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老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

ヘンリ・ライクロフトの私記

  『ヘンリ・ライクロフトの私記』を初めて読んだのは高三の時だった。田舎での変化に乏しい引退生活をただダラダラと語っている印象しか残っていなかった。とは言え、引退を考える時は,必ず、思い出した。本格的に読んだのは、自分の引退時期が近づいた五十近くになってからだ。

  その語り口は、(映像でしか知らないが)イギリスの田園(イングランド)にふさわしい優雅さに満ち、様々な苦労を味わった後にようやくたどりついた老境の安堵感が伝わってくるものだった。十七歳の「ダラダラ」が三十年を経て「淡々」に変った。

  ライクロフト氏は、G.ギッシングの作中の人物である。それは分っていても、彼の読書を中心とした平穏な余生は、私には、お手本のように思えた。

  今、私はかなり彼と似た境遇にいる。彼は、知人の遺産でメードを雇うほどの終身年金を得ている、私は三十余年の宮仕えで、贅沢はできないが身の丈にあった暮らしに相応な厚生年金を得ている。彼のイングランドのようなはっきりした四季の変化は乏しいが、その代わり、私には海がある。彼は、母国語でシェイクスピアが読めてイギリス人でよかった、と言う。私は、徒然草を母国語で読める日本人でよかった、と返す。私は、生き物と一緒の生活を送っている。(これはギッシングが生き物を飼ったことがないからライクロフト氏に語らせることができなかったのではないか。また、ライフロフト氏は、散策以外体を動かすことをしない。今、思うと、高三の時の印象はこの点によるものだった)

  これから、読書の秋。私は、すでに拡大鏡なしには、本は読めない。小さな活字の辞書も無理となった。今更、外国語の復習をしようという気も起こらない。若い時に開いた本を、読み返すので精一杯だ。だが、この精一杯のなんと楽しいことよ。

George Gissinng The Private Papers of Henry Ryecroft

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