私は話すことには自信があった。小学校3年から卒業まで、学芸会の主役を任されたし、大学では、金田一春彦先生から直に教えをいただいた。所帯を持ってからは、夏が暑いのはお前さんのせいだ、冬が寒いのはお前さんのせいだ、台風で風が強いのはお前さんのせいだ、とカミさんから攻められ、その都度、言い逃れをしてきた。会社でもクレーム処理はお手の物だった。
このような私が、NHKの話し方教室という通信講座を受講した。当時の給料では随分高い月謝であったことを覚えている。受講の理由は、自分の話し方にミガキをかけようとしたからだ。
与えられた題について話し、カセット・テープに吹き込んで送る。それが、添削(筆でなく語りで)されて返送される。添削はNHKの現役アナウンサーで、指摘のどれもが、反省の材料となった。ミガキどころか自分の話し方が欠点だらけであることを自覚した。
NHKのアナウンサーは、第一に、品格がある。次に教養がある。そして、よき日本語の伝承者である。テレビやラジオで台本を読むだけの姿からは、到底、想像できなかった。演説はテクニック次第だが、1対1の語りでは、品格と教養が、正直に表れてしまうものだ。話し方ばかりか、この面でも、私は負けを実感した。
今、受信料の不払いが若い世代で多いと聞く。それで、民放もどきの軽薄な言葉やジェスチャーで若い世代をなんとかつないでおこうとするように見える。信念を持っての不払いならともかく、単に金が惜しいというのなら、いくら擦り寄ってもムダだ。もともと、NHKのアナウンサーには、下品で粗野な振る舞いなど、似つかわしくない。ペラペラ早口でまくしたてるアナウンサー、地震や水害を芸能人の追っかけと区別しないアナウンサー、平気で関西弁のアクセントを混ぜるアナウンサー、かれらはアナウンサーではない、タレントだ。
美しい日本は、何より、美しい日本語が不可欠である。アナウンサーは仕事柄、己の意を殺して、大本営発表をしなければならないだろう。その時でも、美しい日本語の語り方だけは捨てないで欲しい。
前に提案したようにNHKがPPVとなれば、私は、テレビに限らずラジオにも、いくつかの番組には喜んで受信料を払う。少々高くても払う。美しい日本語を聞けるのは、もはやNHKのアナウンサーからだけである。
新約聖書 マタイ伝 第五章
汝らは地の塩なり、塩もし効力を失はば、何をもてか之に塩すべき。


