自殺 その二 60年前と比べて
大人たちの話の中で、今も忘れないのが、「死んだつもりなら、恐くない」、「死ぬ気になればなんとかなる」、「死ぬことを思えば、大した事ではない」等々、“死”に係わる言い方である。
小学校に上がる頃、そして低学年時代、耳にタコができるほど聞かされた。もちろん、家の中で、親や兄姉たちも大人同士で交わされていた。
私は、カエル、エビガニ、川魚、蝶、トンボ、ミミズなど、田舎の子供が普通にするように採っていたから、“殺す”ことは知っていたが、人間が“死ぬ”ことは想像さえできなかった。ただ、大人たちの話では、“死ぬ”ことは、生きていく上での最後のそのまた最後の手段であるように思えただけであった。
と言って、近所はおろか、町で自殺をしたなどという話はきいたことがなかった。今住んでいる島と同じで、当時の情報は口コミネットワークだから、遠くで自殺が起きても、一日とおかずに噂になって届いたはずだ。
生きているのに、わざわざ死を選ぶ。いずれ時がくれば、間違いなく死ぬのに、待てずに死ぬ。
私は、どんな理由があるにせよ、自殺者に一片の同情を持たない。また、自殺者に同情する人間も同情からの行動にも嫌悪感を抱いている。大和ことばでいえば、吐き気をもよおす。
付:
“死ぬこと”を乗り越えてたくましく生きた当時の大人たちを英雄扱いにするつもりはまったくありません。死ぬほどの苦労に見舞われたのは、その大人たちが、日の丸の旗を振って、中国、朝鮮に出兵し、アメリカと戦争をしたからだからです。
そんなに“死ぬこと”を思うのなら、なんで、台湾・満州を中国に返し、朝鮮から手を引かなかったのですか。大日本帝国臣民が“死ぬ気”になればできることだったでしょうに。ボロボロになって、初めて死ぬ気が起きてきたのだから、英雄でもなんでもありませんよ。それどころか、反戦思想者を、彼らの意志に反して、“死なせた”とは、・・・大衆の愚かさの証明となっているだけです。
コメント
なかなか、てきびしいですね!・・私は、思うんですけど
・・むかしの人は、”死ぬ事を思えば・・”と言うぐらいに死を恐れ・怖いもの・苦しいもの・と考えていたと思います。それは、”苦しみの中の死”という思考で・・体験的な積み重ねから、後の世代へと伝えられてきたのでは?
人間が、より自然界に近く暮らしていた頃の弱肉強食の
体験、死=食われる・・のDNAが関係しているかも?
動物的な生きる本能といいますか?・・
現在の日本人は、一筆さんの言う様に近親交配で本来は
持つべき野性の生きる本能が減退してるのかも・・?つまりは、生物的に弱い・・・・!
そう考えると,外国より日本の自殺者がダントツなのはうなずけます。現代の日本人は死を恐れず、死んだ方が増し、楽だと思考する人が増えています。
無知は罪だ!とか知らぬより知ろうとしないのが罪だ!
とか、よく言われますが・・圧倒的な知識と権力をほんの一部の日本人が持ち得た!時代背景下において・・一般
庶民は成す術を知らなかったのでは?・・知らなかったと言うよりも、一部の権力階級と富裕階級が情報を捻じ曲げて、庶民の無知をいい事に統制・洗脳して行ったことに
怒りをおぼえます。
きな臭い昨今ですが、二度と騙されぬよう・・・!
- 2008/06/24(火) 04:32:04 |
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