老いの一筆

昔、銭湯で年寄り連が湯船につかりながら、政治談義に花を咲かせていました。今は、私がその年寄り。世事・世相を飾り気なしに語り合う伝統を銭湯ならぬネットで守り続けたいと思います。

後期高齢者医療保険 国家による個人への干渉

  社会生活のうち、何がありがたいかといって、人間一人ひとりの価値観が国家権力によって規制されないことに勝るものはない。

  価値観の一つに生死観がある。よく言われている“太く短く”、“細く長く”は代表的なものである。中には“太く長く”と欲の深いお方もおられようが、とにかく、生死観は個々人の問題であり、そのことで、他人がとやかく口出しすべきものではない。

  後期高齢者といえば、家族の面でも社会の面でも、一通り責任を果たした人々である。75歳まで生きてきたのだから、世間の甘さも苦さも十分味わっているはずだ。人生の経験者である。

  ある人は、病気になっても、いずれは何かの病気で死ぬのだと、生きているうちが花なのよと、金を趣味や博打につぎ込むかもしれないし、ある人は、何がなんでも長生きだけはしたいと、現役時代から、ひたすら金を貯めて、大病の治療に備えてきたかもしれない。そして、たいがいの人はその中間でうろうろしているはずだ。

  その人たちが、75歳以降、どう生きるかは、周りであれこれ言う必要はない。まあ、親族や友人が助言するのは結構なことだが、国家が、(厚生官僚の欲望を密かにし)その強制力を行使して、十羽一絡げで、彼らの生活を干渉・規定するのは大いなる誤りである。

  生死観は私の階層ではレベル2で、国家・社会のレベル4よりはるかに高い。

  後期高齢者医療保険制度の悪の原点がここにある。六十歳までは、社会は、主役である構成員の生命・健康を保障しなければならない。その後の生命・健康は、個々人の価値観に任せよう。互助を重んじる人たちは、保険組合を作ればいいし、資産に自信があれば、参加しない人もいるにちがいない。

  そして、「宵越しの銭は持たねぇ」と豪語してきた江戸っ子が、歳をとって泣き顔を見せても、社会は、面倒を見る必要はない。
己の価値観で生きてきたのだから、当然である。

  好きなように生きて、それに応じて死んでいく。私の思想の原点である。社会の良し悪しを測る原点でもある。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://winelight.blog112.fc2.com/tb.php/370-b505a13b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

FC2ブログ(blog)