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老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

田舎は地獄か

田舎暮らしの実態を根気よく集めたtakseshi22さんに先ず敬意を表したい。

田舎、私の場合は宮城の小さな島だが、そこで55歳から76歳までの21年間暮らした経験からこれらが実態であることを認める。しかし、この表現は日本の田舎すべての実態であるかの様な誤解をはらんでいる。日本の田舎のどこかの実態であるに過ぎないのである。これに実態という日本語を用いるのは正しくない、事例を用いるべきであると私は考えている。

さらにこれらの事例が過去形なのか現在進行形なのか、明確でない。昔はそうだったが今はすたれたということはパソコンやAIの世界ばかりではない。テレビが映る田舎なら、世間の動きは都会並みに知ることができるし、田舎から都会に出て行った息子や娘からの情報や勧告、助言も田舎の原住民の思考や行動に影響を与える。

「田舎暮らしはステキ」がテレビや本や雑誌ではやっていて、それにまんまと乗せられてホゾをかむ都会人は少なくない。私に言わせれば、自業自得ということだ。

私のコメントはすべて私自身が経験したものである。

しかし「だから田舎は恐ろしい」とはならない。「だから田舎はすばらしい」である。たとえば、カギをかけない生活。連絡船から降りたときのまるで自分の家に帰ったような安堵感。

田舎の社会からはじかれる者は都会の社会からもはじかれる。はじかれないのは都会で社会に己の身を置いていないからにすぎない。都会の社会でなくてもいい、会社でも役場でも学校でも、病院でもとにかく人が集まるところに一度身を置いてみるといい。

繰り返す、実態は実態でよかろう、だから田舎はダメだとするかだからこそ田舎はすばらしいとするか、これが問題なのだ。

付:
1.田舎、何か忘れちゃいませんか。
透明な青空、うまい空気、満天の星。犬や猫が自由にうろつけ、トカゲやカエルが家の中に入ってくる。
2.私の田舎は「私の最後の楽園」。高校の仲間は「人間の住むところか」が評価。
3.例によって、走り書き。誤字・脱字、妙な文章。あるに違いない。面倒だからチェックしていない。


田舎暮らしに憧れ? あなたは田舎の怖さを知らない ”田舎地獄”

田舎に憧れて移住する人が多いですが、田舎ほど地獄なものはありません。住んで後悔してもおそい。
この記事は私がまとめました
takashi22さん

始めに言っておきます。全部実話です。
田舎に自由は無い。見えないしきたりや強要が存在するだけ。
勘違いして引っ越さない方がいい。都会のほうがはるかに暮らしやすい。
憧れや幻想はすぐさま砕け散り、絶望と化すだろう。

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すれ違っただけで顔をジロジロ見られる
姿が見えなくなるまで観察されます。これは誇張ではなくガチです。
プライベートなんてあったもんじゃない。
田舎では歩いてる人いないんですよ。みんな車。だから近所を散歩とかランニングとかしてると不審者になっちゃうんですね。
道路脇に腰掛けて車の往来を一日中眺めてる老人が町に一人はいるんですよ。まじで。
あなたが見えた瞬間からあなたの姿が見えなくなるまでずっと見てますよ。まじで。。。
(私:単身移住してから5年後、カミさんが移住した。県道を二人で散歩していたら、軽トラが後ろから走ってきた。急に止まった。バックしてきた。しばらくジーとこちらを眺めて、走り去った。無表情で。カミさんはうす気味悪がった)

来客は玄関じゃなく窓を突然あけてくる
玄関のチャイムなんてならさない。いきなり窓を開けて呼ばれる。相手のプライベートお構いなしだ。
(私:私はアポのない来客は相手にしない主義である。こちらから電話を掛ける時でも、迷惑でないかを相手に聞く。だから突然の来訪には白眼で迎える。白眼と青眼の故事を知らないのは人それぞれでいいから、故事を教えることはしない。黙々と英文あるいは中文を読み続ける。すると、のこのこ上がってきて、私の後ろに座る。背中に人の気配がすれば、武士だったら殺気を感じるだろう。私は集中できない。これも二度と同じことをさせないように無視したが、10分でも20分でもそのまま動かない。根負けして振り向くと、ニコニコ笑っているではないか。何のために来たのか、思い出せない。頭に血が上ったこと、顔は引きつっても笑顔でいたことだけは覚えている。-これは20年前の話し、移住者が増え、原住者が減った最近はなくなった)

チャイムは鳴らさない
チャイムは鳴らさずいきなり玄関を開け、
腰掛けてから「こんちわー!」なのである。
プライベートは無いと思ったほうがいい。
(私:敷地の入り口は家から30メートル前にある。そこに無線チャイムを設置し、丁寧に「御用の方はチャイムをどうぞ」と札を掛けた。まったく役立たず。ゴミとなった。犬(モモ)が来てからはよく吠えてくれるので、突然、ガラリはなくなった)

玄関の鍵をかけたら怒られる
玄関の鍵をかけてると怒られる地域もあります。「回覧板どうすんだ」って。
いや、ポストあるのに…。
(私:鍵の必要がない。盗む者もいなければ盗まれるほどの物もない。玄関に鍵をかけるのは物騒な都会の象徴である。私は、鍵を掛けない生活を都会の仲間に自慢したものだ)

老後は田舎で?歳を取ると田舎のほうが住みにくい
年取ってから車でスーパーや病院まで通えますか?車運転できなくなったら陸の孤島ですよ。
スーパーも都会とは比べ物にならないくらい広くて買いだめしなきゃいけないから大荷物。買い物だけで一苦労。今はイオンのせいでスーパー潰れてるから巨大なイオンまで行くしか無い。
イオンってめっちゃでかいんですよ。老人があんな広いとこで欲しいもの探せますか?若者でも億劫なのに…。
(私:スーパーはない。連絡線とタクシーを乗り継いで、一日掛かりで出かける。昼飯を食えば、1万円になる。病院、ホームセンターを同時に回ることになる。イオンは石巻にもあるが、あるだけでも恵まれている)

コンビニまで車で20分
車がないと生きていけません。コンビニまで歩けるなんてどこの話ですか?
(私:そもそもコンビニがない。冬の定番おでんは自分で作った)

もしもの時に助かる確率が都会より低い。
医者の話によると都会より田舎は救急車の到着が遅くなる為、都会なら助かるはずだった症状でも死亡するケースが少なくないそう。一分一秒を争う状況で救急車の到着が遅れ処置が遅れることが田舎にいけば行くほど多い。都会なら10分の所30分かかったり…。この時間の差で生存率は雲泥の差です。
(私:21年の間に3件あった。荒天では1000キロ先の父島と条件は同じ、船は出ない。夜はヘリは飛ばない。私にはそれが逆に魅力であった。高齢者がなにも無理してまでさらに長生きすることはない。病院にいかなければ、長患いはない。ただし、働き盛りや家庭を維持・発展させる途上の者にとっては、「雲泥の差」である「生死の境」である)

実はかかるお金は都会と変わらない。
家賃が安いのは確かだがそれ以上に車が必要になり、維持費とガソリン代を合わせれば都会のマンションに住むのとほとんど変わらない。都会だと駅前の商店街で揃ったものが田舎だと店と店が離れているため何十キロも車で移動しなければならない。車は一人一代必要だ。
 飲みに行くにも倍のお金がかかります。都会だったら3000円で済んでた飲み代が田舎では必ず代行を呼ばなくてはいけません。仕事帰りに軽く一杯が倍の値段で代行も呼ばないといけない。
飲みに行くのが一大イベントになってしまうので今はみんな家で一人で飲んでるだけ。飲み行けないとか遊びないやんけ!
田舎はお金がかからないっていうイメージ。ウソです。かからないんじゃない、遊ぶところがないんです。
(私:家賃は月1万円が相場。ガソリンは2割は高い。灯油も同様。端から端まで4キロだから、ガソリン代を苦にしたことはない。その代わりが先に言ったように、船賃とタクシー代がかかる。飲み屋はあるが、移住者はめったに行かない。移住者仲間で家で飲む。酔っても運転する。一度朝起きたら、自分のベッド。どこに車を置いたのか思い出せない。あったのは、崖沿いの道端。よくも夜中、街灯なし、フェンスなしを運転したものとさすがにぞーとした。落ちたら、30メートルまっさかさま、海の中だ。それ以後、飲むときは歩きにした。ただし、一寸先の自分の手の先が見えないから懐中電灯は必携である。
私はこれも自慢の種である。都会のどこの飲み屋が、飲んだあと暖簾をでて、夜道をあるいて帰れるというのか。「遊ぶところがなんです」その通り。都会で遊ぶやり方の遊ぶところはない。天の川を眺める。水平線にきえていく船を眺める、カヤックを気分と天気次第でいつでも楽しめる、夏はバイクで海水浴場を日帰りで毎日往復できる、4キロの県道のセンターをサイクリングできる、季節の山菜・タダみたいな土地での菜園、これらは立派な遊びではないのか)

全然物価が安くない。
田舎は物価が安いは思い込みだ。的確に言えば地元特産の一部安いだけで全体でみれば安くない。
都会と違い街にスーパーが一つだけなど、競合店が無いため高い値段で商売が成り立つため値下げしないのでむしろ東京で生活する方がはるかに物価は安いし選択肢もある。
(私:高いだけでない、古い。暑い日にアイス・クリームを買ったら、一年前の夏の日付けだった。別に腐っていなかったからおいしくいただいた。私が味期限無意味論者であるからかもしれない。20年前のこと)

仕事がない。
都会と同じだけお金がかかるのに仕事もなければ賃金も安い。生活が成り立たないため結局移住しても都会まで出て仕事するはめに。田舎への憧れは1年で砕け散り都会に戻るに戻れず死んだ目で余生を送るしか無い。移住しても知人が遊びに来てくれるのも最初の2年だけですよ。
(私:お金と時間は本人の価値観で使われる。原宿・六本木で楽しもうとすれば、田舎はハズレだ。掛け方次第である。賃金は日当6千円。これは3.11の復旧作業のときに知った。役場から引き受ける作業は大体この程度だろう。9時から昼休みを挟んで4時まで。通勤時間なし、ネクタイ、背広、シューズの更新なし、雨の日は休み(仕事は逃げない)、帰宅後明日のプレゼンをどうするか悩むことなし、それで賃金が都会並みであっていいはずがない。6千円は相場である。友人・親類との付き合いを大切にしたければ、近くの田舎を選べばいい。朋遠方より来るなどと消極策をすてて、自分から会いにいくことだ。私は遊びに来てもらいという感覚でなく、邪魔されるという感覚でいたから、最初の2年どころか21年、まったく苦にならなかった。死んだ目の意味はよくわからない)

その土地独自のしきたりがある
よそ者は特に白い目で見られる。しきたりに従わない者はガチで村八分。ゴミだしなど許されなくなり、陰湿な嫌がらせが続く。
(私:白い目でみるから白い目で見返されるのだ。しきたりが何を言っているのかわからないが、私の経験ではしきたりは人間社会のしきたりで常識を外れた行為や発言さえなければ、原住民から村八分はうけない。ゴミだしがゆるされない田舎が日本のどこにあるのか、デタラメなことを書いている。陰湿は日本社会の特質。どこの組織にもある。特に田舎だけが陰湿ではない)

町の草刈を強制される
草刈など、決められた行事に強制的に参加しなくてはいけません。仕事を休むのは当たり前。
消防団や婦人会などなど何かしら用事が発生し土日休みがあるなんて思わないほうがいいです。何かしらに属してないと近所の対応は冷たいものになります。そういった会合に参加せざるおえなく、根ほり葉ほり家族の事などを聞かれます。
(私:草刈は強制ではない。みんなが草刈をしているのに、自分だけ、自分の畑で野良仕事をするのがバツが悪いので仕方なく出るだけである。後のことを考えると一緒に草刈をしたほうが、いいと判断するだけのことである。会合も然り。私は神社にも檀家にも加入したが、脱退する時もまったく問題なく、付き合いにも変わりがなかった。ただ、カミさんは移住してきた当時、しつこく何とかの会(踊りかなにかの女性の趣味の集まり)に誘われた。その度に断ったら、だいぶ長くしこりが残った。

さらに限界集落では村の老人の世話役
田舎の集落で格安で物件があったり、条件のいい仕事があったりしますがまず辞めたほうがいいです。若い人を呼び込み村の仕事や世話役を無償でやらせる悪質な地域もあります。「個人所有の財産も村人で分け合うもんだ!」というおかしな常識をつきつけてくることも。田舎ほど地主や縦社会が厳しく新参者はいつまでたっても下っ端。全部下っ端にやらせるのは当たり前。
(私:世話役が好きな人には感謝されて生きがいとなる、先ずこの認識がひつようだ。無償だからこそいいのだ。これを悪質というのは悪意である。個人所有の財産でも、隣に来た移住者が車で家まで通れるように、20メートル幅1メートルの土地を役場に無償で提供した原住民を知っている。都会では坪10万円かもしれないが、田舎の山林・原野は坪10円が相場である。私は300坪の山林の貰い手を捜しているがなかなかみつからない。タダでもいらないのだ)

噂はネットよりも早く陰湿に広まる
少しでもおかしな行動を取ればすぐ噂が広まり、評判になる。近所の立ち話ほど怖いものはない。
家族の誰かがミスをしたら他の家族にまで影響します。近所の対応ががらっとかわり住めなくなる人もいますよ。
(私:おかしな行動やおかしな服装は会社でも役所でとれば、上司に注意される。ひどいと叱られる。少しがどの程度なのかは、その田舎次第だ。近所の立ち話の主題に私はなんどもなったが、怖いことはなかった。今風にいえば、匿名・バンドルネームをいいことに吠えまくっている臆病ネットバカと同じである。ヘイトネットの陰湿こそ陰湿である)

おすそ分けをしてくる
これはいいと思いきや、お返しをしなくてはいけない。あまりにも頻繁にされたりすると返って迷惑なのである。
田舎では借りを作ってはいけない。本当に根にもたれる。
しかも玄関のドアノブに野菜入りの袋をかけられていたり、誰がおいて行ったのかわからない。家のドアをあけ玄関に、もしくは家のリビングに置いてあっても驚くことではありません。
(私:軽ラを船着場において夕方帰ってくると、大きなタラが一本置いてある。だれがおいたのかわからない。玄関に大根、長ネギ、キャベツ、旬の野菜が年中置かれている移住者もいる。人柄がいいので、原住民がそうしているのだ。私のところにもお盆のあとには結構お供え物が回ってくる。これじゃ聊斎志異のカラスだね、と苦笑しながらありがたく頂戴した。時々、車に乗せているからそのお礼である。何か物をくれるときは、必ず何かの理由がある。タダではおすそ分けはない。あるとすれば、冷凍庫が満杯になって、古い冷凍魚や5年前の練りようかん位なものだ。もらえば礼をいわなければならない、この廃物処分を恨んだ移住家族がいた。私もこの不愉快を何度も経験してきた)

会話が合わない
田舎の人達がどうやって生きてきたか知っていますか?遊びといえばパチンコかキャバクラ通いくらいです。あなたが都会で読書や趣味、仕事などで必死に培った教養は田舎に行けばまるで意味のないもの。田舎の人はニュースなどにも関心がありませんし(どうせこんな田舎には関係ない)そもそもそういった教養が必要ない。
 意識高い系の人が幻想を抱いて田舎に移住しますが、そこにあるのは一度もその土地を出ていない意識低い系の人達の慣れ合いだけ。パチンコやキャバクラ通いしなければ会話に入れない。
これがあなたの理想なら今すぐレッツ移住!
(私:そもそも、移住先でカントやゲーテが歓迎されると思っているのか。ショパンのノクターンを一緒に聴けると思っているのか。北島三郎でなくピンク・フロイドのCDを借りしようと思っているのか。憲法第九条が論義されると思っているのか。連絡船の原住民の話題といえば、アワビの相場、ウニの育ち具合、持病の詳細説明と病院の評判情報、都会に出て行った息子や娘の自慢話、これである。病院の待合室に串田孫一の著書が並んでいるが誰も読まない。幻想を抱くのは抱く方が無知である。いくら教養があっても阿呆である。田舎には田舎の生活があって知恵がある。私はサツマイモの苗を3本買うと言って笑われたことがある。都会の教養は無能である。ただし、パチンコ・キャバクラは言い過ぎである。いい足りないというべきか。船長をしていた原住民の冒険談は法螺吹き男爵より真に迫っている。平で終えた漁民の話も聞いてあきない。畑作りのノウ・ハウは本屋に並んでいる家庭菜園図書の比ではない。家庭菜園の本を書いたライターは教養が一応ある人種だろうが、田舎で通用する教養ではない。小松菜の種はその3倍の深さに撒くこと、こんなことが家庭菜園の本にでている!)

パソコンが普及してない
全く普及してないわけではないですよもちろん。使える人がいないということです。パソコンを持っている人でもデータのやりとりなどできるレベルにいる人が少ない。地方は工場勤務、農家が多くパソコンが必要ないのです。
「ブラウザってなに?」「iPhoneをパソコンと同期したことない」
「ケーズ電機で買うよ。Amazon?注文の仕方がわからない」
基本的にググれない人が多いのです。
パソコン=むずかしい=必要ない という先入観が田舎には蔓延しています。
mac付属の動画作成ソフトで簡単な動画作ったらその町で神レベルです。パソコンのことはなんでも押し付けられるでしょう。(もちろん無償で)
パソコンでできること=タダでできんだろ?=タダでやれ。
(私:普及しないのはNTTに責任がある。今も、電話回線はISDNである。おそらく今の人はISDNという言葉をきいたことがないだろう。ガラバコスどころか通信の世界では、ケンタザウルスである。たまにやってくるNTTの職員に聞くとADSLも光もまったく予定にないとのこと。ネットにつながらないパソコンはワープロだ。10年以上前、島の知識人がインストラクター役を買って、無料パソコン講習会をひらいた。若手の幾人かが真剣になって勉強した。70過ぎの高齢者はいざ知らず、中年男女のほとんどは環境さえ整えば、パソコンを利用するに違いない。家具店がない、書店がない、電気店がない、図書館がない、参考になるレシピがない、新聞は宅配されない、はがき・手紙は荒天では島から出ない、島にはいらない、これらの不便が一挙に解決するからだ。NTTが光ファイバーを敷けば、60前の住民は99%パソコンを持つだろう)

町内会の会議が9割どうでもいい世間話
ただ老人が集まって話したいだけの名ばかり会議、結局それに付き合わされるだけの時間の無駄。
(私:開く時間はたいてい8時(朝の)。漁民は早起きであるから8時は都会人の10時。眠い顔で8時5分前に集会場に入ると、議題はすべて通っている。8時なら7時半に集まり、移住者の顔がなくても、見回してだいたい集まったと思えば、議長は開く、開けば、30分で終わってしまう。町内会ばかりではない、神社の集まりも檀家の集まりも同じである。やっている当人が同じだから当然だ。私はある時クレームをつけたが、何の変化も起きなかった。私は「時間のルーズ」と心の中で罵って、ある時から全部の集会をボイコットまたは脱退した。だからといって、委任状を届けるようにとの話もこなかった)

近所の子供が家の冷蔵庫を勝手に漁る
これは本当にあった話。ある地方では玄関の鍵を常に開けておくように強制されるそう。プライベートなんてあったもんじゃない。
(私:子供だけではない。大人もやる。捕りたての魚は冷蔵庫に入れなければ鮮度が落ちる。冷蔵庫に人に見られたら困るようなもの、たとえば偽札、穴の開いたソックスなど、を入れて置く方が悪いのだ。そもそも私の集落に子供はいない)

虫が多すぎる
夏になると虫が大量発生。自転車なんて乗れたもんじゃない。
マムシなども日常的に現れるので危険。
(私:5月のシロアリ、夏場のムカデとヤブ蚊、スズメバチ、ハチ、姫ねずみ、ゴキブリ(都会にもいるか)虫や生き物の世界だ。それだから田舎だ。マムシが日常的に現れる田舎があるのか、これも空想・たわごとである。私の家の物置きにマムシを発見してびっくりしたことがある。直ぐに申し訳ないが殺した。移住して間もない頃である。以来、一度もマムシには出逢っていない。ちなみに島の医院には血清が用意されている。ねずみも巨大なのが敷地内で跋扈していた。ネズミ捕り器で捕まえたのは数知れず(4匹か5匹)溺死させた。ネズミ捕り器に近づいた時に、キーキー歯をむき出して威嚇してきたので、溺死にためらいはなかった。普通でもっとも怖いのはハチである。私、カミさん、犬のモモ、猫のモモ、全員やられた。人間は医院で手当てしてもらったが、モモはかわいそうだった。4日のあいだ顔(頭)はパンパンに膨れ上がり、水もろくに飲まず(飲めず)、縁台のしたでうずくまっていた。それからというもの、テニスボールを草むらから拾うとき、必ず一呼吸置くようになった。私の島はバードウォッチングのメッカ。虫が多いのは鳥が多いのと同義語)

一度信用を落とすと、村八分。もう住めない。
田舎は常に近所の人に監視されている。何か事件でも起こした場合すぐ村八分だ。
(私:事件の程度による。移住してまもない頃、夕日が当たらないため、チェーンソーで10数本倒したことがある。人っ子一人みえない奥山で、誰が地主かわからないから、勝手に倒したのである。しばらくたって、オラほの山の木を勝ってに切ったと原住民が文句をつけてきた。田舎の土地は名義変更がされていないことが多く、法務局まででかけて調べても、大正・昭和にあの世に行っていることが確認できるだけだ。酒を2本持ってその家に言って改めて謝罪した。法律的にはわが家の屋根を覆っている木は持ち主が除去するはずだが、言っても始まらない。その木、今では大木になっている。村八分は簡単に起きない。会社や役所の監視の方が利害関係と嫉妬心が絡んで、ずっときついのではないか)

病院が一番流行りの場所
老人が多いのでしぜんとそうなります。しかし病院が遠いです。車が運転できなくなったらバスで病院に通う。よく考えてください、年をとってから病院も買い物も田舎は不便極まりないですよね。7,80になっても車を運転して買い物も病院も行かないといけません。次第に運転できなくなり家にこもるか、もしくは道行く車を一日中眺めている人もいます。(※実話 結構います。田舎あるあるかも)
(私:人気作家の新刊発売やネット評価の高いラーメンに並ぶ都会の若者をみていると、どっちもどっちという感じがする。市民バスが巡回しているので、1時間も待てば必ず乗れるし自宅にもっとも近いところで降ろしてもらえる。都会のバスで、「ちょっとここで降ろして」、「ハイ、いいよ」はないだろう。

ポケモンがいない
大流行のポケモンGO。ですが田舎にはポケモンすらいないのでなにが楽しいゲームなのかさっぱりわからない。車でポケモン探すしかない。ポケモン探すのにどんだけガソリン使うんだよ。。。
(私:ポケモンを探すひまがあったら、世界文学全集でも読みなさい。ポケモンやネット・ゲームは他にすることができなくなった将来が死ぬだけの老人の遊びだ。ポケモン環境にないことに若者は感謝しなければいけない。変な若者がうろつかないことに私は感謝)。

移住者VS原住民
その土地のルールを押し付けてくる地元民と新ルール改定を求める移住民で陰湿なバトルが各地で行われています。相手は田舎の地元民でしかも老人です。よそ者が入ってきて嬉しい訳ありませんし、この土地を守るという強い団結があります。あなたが望んでいなくても居住者だというだけでこの戦いに参加せざる負えないのです。
(私:安倍首相のようなあら捜し人間が総理大臣に座る原点を見た気がする。私は地方政治にからんでバトルを演じたが、陰湿ではなかった。正々堂々と怒鳴ってきたし、正々堂々と受けてたった。敵の中にひとりだけ10年しこりを解かなかったが、今はそれもすっかりきえて、会えば、「お、まだ生きていたのか」、「お互い様でしょ」という間になっている。
老人は田舎でも死んでいく。団結心がつよくても、いや強ければ強いほど、頼みとする数が減るとおとなしくなるものだ。
移住者は増える、原住民の老人は減る。バランス・オブ・パワーに変化が生じるのは自然である。老人がいくら力んでも、役場との交渉などは原住民より移住者のほうがうまい。電話、電気、水道など、トラブルの解決も昔の顔より移住者の合理的な交渉が勝っていることが原住民にも分ってくる。移住者の多くは定年(60から65)である。方や、80の真性高齢者。口でも体力でも原住民は移住者を無視できなくなっている。

移住者は原住民にコンプレックスを抱く。不安を感じる。時には嫌悪感を感じる。それは新しい接触では常に起こりえる自然な感情である。
原住民だって移住者にコンプレックスを抱き、不安を感じ、ときには嫌悪感さえ感じる。都会人はネットで匿名で無責任に言いたい放題をして、感情を発散するが、田舎の人は逃げようのない現場で、実名で後の始末の責任を背負って感情を押し殺している。
どちらが、人間として、健全か、いうまでもなかろう)

なぜみんな都会に出るかよく考えてみなさい
イオンもできたし田舎から出る人も減ったのでは?と思ってませんか?実はデータを見ると近年逆に過疎化がさらに加速しているのです。田舎にいるメリットがないからみんな都会に出るんです。Uターンしたはいいが現実を知りまた都会に戻る例もホントに多い。田舎を出ずに地元にいた人と一度都会にでた人ではそもそも意識が違うし、仕事、遊び、生活すべてが相容れないものなのです。田舎がよくみえるのはあなたがつかれている証拠です。せっかく都会で積み上げてきたキャリアをドブに捨てるものだと思ってください。思考停止して人生を田舎に投げ捨てないように……。
(私:都会で積み上げたキャリアがどうしたというのか。元役員、元理事、元局長、元契約日本一の保険外交員、元テレビディレクター、元ミス日本、みんな元だ。これがキャリアというのであれば、私は助言する、そんなキャリアは田舎で通用しないように都会だって通用しませんよ、と。さっさとドブに捨てなさい、と)

最後に一筆。田舎に自由がないだって。
都会にスッポンポンで日光浴ができますか。立ちションができますか。免許不携帯で運転できますか。散歩で飼い犬が30メートル先を行けますか。片チャン100Wのパワーでスピーカーを窓を開けたままで鳴らせますか。私はこれらすべてを楽園でやっています。私の楽園は都会にありません、田舎にあります。

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