先週、久しぶりに都会に出て、1週間ばかり新聞を読んだ。ちょうど、後期高齢者医療制度が話題になっていた。つい先程は、裁判員制度であった。
凶悪犯罪と同じで、新しい犯罪が発生すると、前の犯罪がニュースの片隅に追いやられ、また、新しく犯罪が起きれば、もう、前の前の犯罪となって、紙面を飾らない。裁判が始まり、そのとき改めて、数年前の出来事と、民衆は思い出す。
新聞が読んで字の如しである限り、新聞自体はそれでかまわないが、公共をうたい文句にしているNHKはそうであってはならない。
裁判員制度に毎日10分使っていたのなら、この問題が解決されるまで、10分を使わなければならない。後期高齢者保険の問題が出てきたら、それにも10分使う、そうして積もっていけば、のんきにアメリカの映画やスポーツなんか放映している時間などないはずだ。
こんなことは、百も承知の上で番組を編成しているのだから、NHKだけにニュースを頼ってはいけない。分かっていても田舎では、頼らざるを得ないのが実情である。新聞の情報量がNHKと格段の差があるのだ。
この差は、活字と電波の違いによるものではない。発信者の姿勢によるものである。新聞には新聞社の思想が表れている。その思想に共鳴した者がその新聞を買う。いやなら、別の新聞にする。それがいいのだ。
私は、NHKがPPVとなるまで、NHKを話題に取り上げる。金の出どころが、国の定めによる受信料であれば、国にへつらう。報道のへつらいがいかなるものかは、お隣の国々が他山の石になってくれている。
他国は他山でも、日本が他山の仲間であってはならない。
付:
ある新聞がまだ、“天声人語”という言葉を使っている。昔、どこかの県の知事が談合に係わったとき、陰で、その知事の指示を天の声と呼んでいた。たかが知事・新聞のくせに、天の声とは、本気にせよ冗談にせよ、傲慢の極みである。私はこういう輩を最も嫌う。

