老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

聊斎志異 韓教授の講演 残念なこと

聊斎志異の更なる理解のための講演でありながら、結語が中国人は西欧を見習えと、とんでもない方向に行っている。

中国と西欧とインドの比較人生観論は、聊斎志異の世界とは無関係である。

これは、かれの文章ではない。CCTVのディレクターの文章である。

もしも彼自身の文章であれば、竜頭蛇尾である。

他国のテレビをとやかく言うのは内政干渉である。これ以上は言わない。

自分のコピーから結語を削除するのみ。

付:
特にアンダーラインの部分を削除しました。
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中西方的差异:有无数人提出过无数种想法。当中,我认为最入木三分的是梁漱溟先生的提法。中国印度与西方的差别,最重大的原因是,对人生的态度不一样。我们的态度是三种,奋斗,从正面下手,满足自己的要求;调和,遇到间题后,顺应它,调节自己的内心,在现实的境况中得到满足;从反面下手,反身向后,是设法取消这种间题。他是哲学家。印度人会反思,一切有为法,如梦如幻泡影??出家算了。三种解决间题的不同方法,决定了中国印度西方不同文化路径后,再看故事,徐某与鲁滨逊表现的正是不同的选择。鲁滨逊是标准的西方态度,是征服者的态度。这是正面解决间题,是征服者的态度。徐某所做出的所有选择行动是典型中国式的行动,不是正面解决,是调整自己顺应它。留下来,为什么不过得好点?会做饭,于是烹调。找个母夜叉,刚开始不喜欢,想想人家是好意,不能拒绝吧?于是可以接受了。为什么不更幸福些呢?一步步下来,徐某的顺应调节几乎是无底线的。生活这么多年,唯一征服性质的事,是征服了这些夜叉的胃。换成是鲁滨逊呢?开始时恐怕也肯定会不得不以做饭开始,后来可能完全不同,可能会用观念来改变他们,比如驯养鹿与山羊。正如梁漱溟先生说的一样,中国人不应该一味地顺应与调和。要学习西方的奋斗,只有这样,才能不断开创新格局。社会上这样的人多了,才会开创新格局。

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