老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

第二次大戦は民主主義国家間の戦争だ

戦争月間も残る所わずか二日。

ここらで、一言ならぬ一筆を走らせておく。

先の大戦は民主主義国家の連合対独裁主義国家の枢軸の間の戦争というのが常識となっている。

スターリンのソ連はどこから見ても民主主義国家ではない。ソ連は南米の小国の参戦ではない。イギリス、アメリカと並んで三大連合国の一員であった。

最も多くの死者を出した独裁国ソ連を外して、民主主義国家連合と言うのは、無茶である。

無茶は枢軸国にも無茶がある。

イタリアは第一次世界大戦の戦勝国である。戦に勝てば、戦利品の獲得は当然の事、古今東西、勝ってくたびれ儲けは鎌倉幕府の他に例をみない。イタリアは勝ってもタダ働きに終わったのを不満にした。民主主義も専制主義も関係ない、終戦後の処理に常についてくる不満に過ぎない。

問題は、ドイツとわが日本。

天から降ってきた政権でもなければ地から湧いてでた政権でもない。

ヒトラーはワイマール憲法の下で合法的に選ばれたし、昭和天皇は大正デモクラシーの中で国民に選ばれ内閣を無視したことは一度もなかった。

戦争になれば、戒厳令が敷かれ、国の長は強大な権限を与えられ、国民がそれに従う。古今東西(くどいね)、ごく自然のことである。

アメリカにはルーズベルト、イギリスにはチャーチル。かれらが、議会の賛否や世論の動向にこまごまとお伺いを立てながら戦争を遂行したとは想像できない。

ドイツのヒトラーや日本の昭和天皇を独裁者と呼ぶのであれば、ルーズベルトやチャーチルも独裁者と呼ばなければ、歴史認識の偏向というものだ。

第二次世界大戦は悪漢サターン対正義の味方黄金バットの戦争ではない。議会制民主主義国同士の戦争である。

では、なぜ枢軸国側が戦争を仕掛けたのか。

そこで武蔵は考えた。

付:
『戦争と平和』のエピローグで小説の筋から離して、トルストイの戦争観が述べられています。いくら読んでも、私にはあいまいでしかありませんでした。

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