老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

島と都会 ― 日本語のヒアリング能力

島の暮らしでは、1週間に一度、生協の共同購入日に人と会う以外、日本語を聞くことはなかった。

プロパンの交換、電力メーターの検針、宅配と書留郵便、この人たちとの挨拶は、「どうも」の一言である。

私は、「こんな人里離れた山奥に、どうもご苦労様です(どうもの使い方が間違っているかもしれない)。今度の時までに、道を作っておきますから、すいません(自称野草園は、ここ数年は腰痛で刈払い機が使えない、それで、敷地内の道が草で覆われている。雨の日には、来訪者のズボンはびしょびしょ、それですいません)」と話す。

私が聞くのは、「いやいや、それほど気に掛けていただくと、私の方が却って恐縮いたします。では、ごめんなさい。さようなら」という日本語ではない。「どうも」である。

ヤギ、イヌ、ネコ、ニワトリ、長い付き合いをしてきたが、ついぞ日本語を聞いたことがない。

都会に戻ってあっという間に1か月。

何が困るかと言えば、日本語のヒアリングが非常に衰えたことである。

スーパーのレジ(支払いはセルフの時代)、図書館の受付、ガソリンスタンド(セルフ)、市民プールの利用法、何から何まで、2度聞きである。

2度聞きに嫌な顔をされたことがこれまでなく、物事も無事に済んできたが、今日は済まなかった。

今日、25日の火曜日。

高齢者運転手の認知症講習会がある日である。

いさんで指定の事務所に行ったら、てんで通じない。受け付けでウェルカム!を期待していた私は拍子抜け。

今日は講習会はありません。

でも3月末に25日火曜と予約を取りましたよ。

怪訝(けげん)な顔々。

日常会話がしばらくあった後、4月25日でなく、7月25日であることが予約帳で分かった。私の名前がちゃんと載っていた。

帰り、無駄足を引きずりながら、はたと気がついた。

電話予約したとき、先方は「しち月」と言ったのだ。それを私は「し月」と聞き違えたのである。

私は壁に掛けてあるカレンダーをめくりながら電話で話していた。話しながら4月のカレンダーをみたら、25日(火曜)とあった。

まさか、3か月先の7月とは!

高齢者講習会が3か月先まで待たなければならないと知って、年寄りは島に限らないことを実感した。

同時に、私の日本語ヒアリング力の回復は大変であることも覚悟した。

付:
1.難聴の兆候はありません。純粋に日本語の問題です。
2.確認のために、私が「し月25日火曜ですね」と言ったと思いますが(確認は宮仕え当時の癖)、「しち月」と発音したのでしょう。「いいえ、4月ではありません、7月の25日です」とは返って来なかったことで分かります。してみると、スピーキングにも問題有りということになります。やれやれ。

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