老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

日本語のローマ字表記(8) 米語は英語の一方言である

英語と米語の違いは、一つの辞書では対応できない位にまで広がっている。だから、米語と称するのだが、実際は、アメリカ合衆国で使われている方言である。

南米、中米、カリブ、北米、欧州、アジアとドサ回りをした私は、教養あるアメリカ人が話すような純正米語を聞いた経験は米国国内以外では皆無に等しい。

アメリカ駐在の外務省職員でも、アメリカ人以外との交渉では純粋米語を聞く機会は少ないのではないか。

オーストラリア人はオーストラリア英語を話す。
インド人はインド英語を話す。
中国人は中国英語を話す。
ドイツ人はドイツ英語を話す。
カナダ人はカナダ英語を話す。
以下同文。

日本人だけが米語を崇める必要はない。たとえ、政治属国であっても、言語まで属国に甘んじることはない。

日本人はニッポン英語を堂々と、他国に負けずに話せばいい。

私の英語はLとRに気をつけた以外、発音に気を配ったことはなかった。それだからといって、商売や接待に支障をきたしたわけではない。

相手は、jとgの混同をきちんと聞き分けてくれた。aの発音が間違っていても、それで意思疎通に齟齬をきたした記憶はない。

LとRの混同は日本人ばかりではない。東南アジアにもある。これはモームも短編小説で書いていることだ。

私は、この人はLとRを混同しているなと分かるのは、耳でなく話の流れからである。

例えば、

a light choiceがa right choiceであることは、lightの前後のa とchoice、そして話しの流れから判断できる。もっとも、「軽々しい選択」の意味で相手が使ったとしても、やはり流れで分かる。(a light choiceが「軽々しい選択」の英語として正しいか否かがわからなくても)

話す方でも聞く方でも、それぞれの地域の方言でやり合えば、意思疎通にまったく支障がないことを私は言いたいのである。

日本人はニッポン英語でいい。

これは、すなわち英語の授業は国語の時間に国語の教師が教えることが可能であることを意味する。

4年後から、英語が小学校の正式教科になる。

独立させる必要は全然ない。国語の授業で英語を教えればいい。小学校の教師は、中・高・大と10年も英語に接している。シェイクスピアのソネットを教えるなら、発音にも注意を払う必要があるが、ライフ、ジャッジ、ヘルシー、フレンド、デスク、等々小学校で覚える英語なんかすでに日常化しているものばかりだろう、教師はLもRも気にしなくていい。

Global Engishは存在しない、あるのは 多数のEthnic Englishである。

苦労してまで一方言である米語の発音に日本人がこだわることはない。

Viva! Japanese English!

付:

Ong Chi Seng turned away, walked to the door, and put his long slim fingers on the handle. Then, as though on an afterthought, he turned back.
‘Is there anything you wish me to say to my friend, sir?’
Although Ong Chi Seng spoke English so admirably he had still a difficulty with the letter R, and he pronounced it ‘fliend’.
(The Letter)

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