両国高校は府立三中が前身。卒業式には、いつも浅沼稲次郎からの祝電が披露された。社会党の偉い人位にしか、当時、思っていなかった。頭の中は隅から隅まで受験で詰まっていて、他の何かが、入り込むスペースはなかった。現職の政治家が母校の卒業式に祝電を贈る習慣は、珍しいのではないか。今、思うと、のんびりしていた時代だった。ついでに連想したことだが、府立一中(現日比谷高校)なら、そんなことをやっていた日には、祝電だけで一時間はかかるだろう。
社民党は社会党が前身。見る影もない。明らかに人材不足である。
話は飛ぶが、将棋のプロが最も嫌うのが、位負けである。これは聞いた話である。相手が挑発してきた時、それは大抵は無理筋であるが、唯々諾々と、相手の注文を聞くことが位負けの意味のようだ。囲碁は、神様に自分が成り代わって白黒陰陽で天地を創造する宇宙のバーチャル・ゲームだから(な〜んちゃって)、次元の低い挑発などまったく関係ない(そうだ)。
将棋は模擬戦争である。相手との一騎打ちである。政治家の選挙は、模擬どころか、真性の戦いである。その時、相手に位負けしたのでは、もうそれで勝負はついたようなもの。
これを、社民党の福島党首がやってしまった。先の参院戦(選)で、遊説途中、新幹線名古屋駅かどこかで、安倍自民総裁とはちあわせした。安倍氏の「お先にどうぞ」を福島党首は笑顔で断った。そして、安倍氏が先に列車に乗り込んだ。このシーンを観て、私は、「こりゃあかん」と思わず口に出した。
安倍氏は、公家様の血筋だろう、敵に対しても、レディー・ファーストを貫こうとした。私は素直に敬意を表する。福島党首が男なら、彼は絶対に取らなかった態度である。福島氏は、堂々と、遠慮せず、なんのためらいもみせず、胸を張って、安倍氏に一瞥もくれず、当然のごとく、ああ、言葉がなくなった、安倍氏の先に乗車すべきだったのだ。戦う相手とは、そういう態度でなければいけない。
新幹線の中で、一人の記者が、それについて、正したら、「一国の総理ですから」と福島氏が笑顔で答えた。おかしいじゃあないの。総理から引きずり落とそうとしている相手にむかって、なんの敬意がいるのか。この質問をした記者は、稀に見る鋭い感覚の持ち主である。日頃、民放も新聞も読まない私でも、この記者がどこの社のものか、知りたくなったほどである。
民主の鳩山氏がお坊ちゃんであれば、福島氏はお嬢さんである。一国一城の主を担うのは無理である。アメリカのヒラリーのような下品さを望むものではないが、位負けだけはしない人物を社民党は党首にしなければ未来永劫、カス札のままだ。カス札が、また、福島お嬢さんにふさわしくないのだから、悲劇である。
重ねて言う。人材不足は、明らかである。ブラジルから監督をスカウトできるサッカーをうらやましがることはない。日本にいる。田中真紀子氏である。護憲などと机上の空論をもてあそばず、具体的に、はっきり、海外派兵だけはしないと綱領を改めるだけでいい。あとは、党が一丸となって、新潟に田中真紀子氏邸を訪れ、出馬を請う、三顧で足りなければ五顧でも八顧でも、とにかく彼女が「よっしゃ」と言うまで、根気よくお願いすることだ。田中真紀子党首に反対するような、党員は除名してしまえばいい。どうせ、党員の数など、四捨五入すれば、ゼロのようなものだ。反対する労組はいない方が、社民党には幸いだ。
ぐずぐずしていると、田中真紀子も、人の子、角栄の子、おばさんからおばあさんになってしまう。私は、国内で自衛隊がサバイバル・ゲームを遊ぶまでは、困ったことだが、しばし諦める。だが、武器を携えて日本人が外国に出向くことだけはどんな理由があろうと(捏造されようと)絶対に反対だ。共産党が頼みにならないとなれば、社民党がしっかりしてもらわなければ、自民と民主、昨日の敵は今日の友、あぶなくてあぶなくて、夜もおちおち寝ていられない。

