翻訳本の中に、数ページの解説が入っていた。暇にまかせて読んでいたら、ジュリアス・シーザーの訳についての評があった。書き手が誰であるかが問題ではないので、ここには、記さない。訳文だけ孫引きする。かの有名なブルータス、お前もか!の場面である。
Speak, hands、for me!
(逍遥訳) もう・・・この上は・・・腕ずくだ!
(中野好夫訳) こうなれば、腕に物を言わせるのだ!
(福田訳) この手に聞け!
いずれも、私にはとても納得がいかない。シェイクスピアの芝居は観に行くのではない。聴きにいくのである。京劇や歌舞伎は観劇というように、セリフのほかに役者の顔や仕草も重要な役を負っている(ように私は思っている)。シェイクスピアの芝居は、役者のspeak(語る)ことが主体である。
このことから、私は、キャスカのセリフが、自分の両手に向けられたものと解釈する。シーザー、ブルータスなど舞台の数人がそれぞれspeakしている場面でありながら、このキャスカだけは、一言もシーザーと言葉を交わしていない。暗殺決行の瞬間に、自分がspeakする代わりに、両手にspeak(剣を握る)するように命じているのだ。もちろん、両手は擬人化の手法(ここでは役者として)によっている。だからこそ、for meが活きてくる。私の“ために”ではない。私に“代わって”である。
逍遥訳と中野訳は、自分に言い聞かせているような独り言といってもいい。福田訳は、擬人化まではよかったが、主客が転倒している。“この手に聞け”では、シーザーに向かって言っていることになる。シェイクスピアは、常に舞台の上と下の関係を意識して作品を作っている。口がspeakする代わりに両腕がspeakというのも、観客(聴客という日本語がないため)へのサービスである。当時の観客も、speakと聞けば、役者の語りとして自然に受け取ったはずだ。
私は、ここを、「腕よ、お前の出番だ」としたい。剣を抜いてシーザーを殺そうとしている場面だから、“私に代わって、手よ、語れ”などとのんびりしていられないから、仕方がない。キャスカの立場を余すことなく表現しているSpeak, hands、for me!の歯切れの良さはやはり英語でなければならない。
Julius Caesar ACT 3 Scene 1
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CAESAR: Hence! wilt thou lift up Olympus?
DECIUS: Great Caesar—--
CAESAR:Doth not Brutus bootless kneel?
CASCA: Speak, hands, for me!
( Strikes him from behind; the conspirators and Brutus hack at him)
CAESAR:Et tu, Brute? Then fall, Caesar! ( Dies)
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