老いの一筆

昔、銭湯で年寄り連が湯船につかりながら、政治談義に花を咲かせていました。今は、私がその年寄り。世事・世相を飾り気なしに語り合う伝統を銭湯ならぬネットで守り続けたいと思います。

オンドリ 悲しくも確かな存在

  
  田舎暮らしに鶏の放し飼いは定番になっている。私もご多分に漏れず、菜園が一段落した時に飼い始めた。庭先で飼う以上、有精卵でなければならない。ところが、肝心のオンドリが手に入らない。縁日のヒヨコはみんなオンドリだそうだが、ここは縁日にはとても縁のない土地。それで、ウコッケイに抱卵させて、ヒナから育てた。抱いた日から正確に21日目に孵卵し、母鶏の懐から、かわいい顔をのぞかせる。

  半分はオンドリである。メンドリが60羽ほどいた時は、2〜3羽に抱かせるので、一度にオンドリが6羽から8羽産まれる。オンドリはそんなに沢山いてもうるさいだけだ。産まれたばかりの時に、180日は、自然の中で思う存分生きてもらう、半年過ぎたら、2羽を残して、私が手をかける、と言い聞かせることにしていた。それでも、毎年産まれるのだから、オンドリはいつも5〜6羽いた。今は、チャボ、尾長鶏、ウコッケイなど、卵に関係ない鶏を含めて、全部で10羽ほどなので、殺生はしない。

  さて、残されたオンドリはといえば、終生、メンドリのために生きているようなものだ。まず、カラス、野良猫など、外敵が来ると、負けるのが分っていても、メンドリの前にでてきて、自分が犠牲となる。自分が食われている間は、メンドリは安全である。野犬と違って、カラスや野良猫は食べるために襲うのだから、1羽で十分である。その間に、人間である私が犬・ヤギの散歩から帰ってくる。かれこれ、10年近く、オンドリを見てきたが、1羽として、例外がなかった。

  生死がかからない普通の日は、エサ運搬人である。ミミズや昆虫など大好物を見つけると、自分は食べないで、メンドリを呼ぶ。私が与える果物の残りや魚のアラも、オンドリは遠巻きにして、メンドリが食べるのを見守っている。朝夕のエサでさえ、メンドリはエサ箱の最前列に陣取って食べ、オンドリは、箱からこぼれたエサをついばむ。メンドリが満腹して、エサ箱から離れると、ようやく、エサ箱に寄ってきて、残りを食べる。これも殆ど例外がない。

  女性をいためる男、うまい料理に目がない男、昨今のテレビはこればかりだ。

  私から見たオンドリは、悲しくも確かな存在である。

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