都会人には、代議士も官僚も、遠い存在である。普通の仕事をしている都会人の中には、いろいろな手続きや許認可で役所と係わる者もいるだろうから、強いて言えば、官僚の方が、まだ近い方だ。主婦も、生活面のさまざまな苦情も、相手は役所であるから、同様だろう。薬害、公害なども、役所だ。代議士と接することは、まず無い。
田舎は、その逆である。最近は一部にガタがきているが、がっちり固めた後援会組織が一つのヒエラルヒーを構成していて、国会議員であっても、国会議員すなわち県会議員の親分、県会議員すなわち市議の親分、市議はオラホの一票で当選したと、連想することで、それほど遠い存在ではない。官僚は、その反対で、最高で県職員止まりである。普通の生活では、役場の窓口以上には、係わらない。
それが贈収賄に対する感覚の差に現われる。都会では、政治家の腐敗も官僚の腐敗も同列に扱われる。両方とも、許しがたい。一方、田舎では、政治家の腐敗に、それほど、反感を持っていない。なぜなら、ワイロで懐にした金が、地元に還元されているからである。このワイロが、政治家の床下の金塊に化けるのなら、話は違ってくるだろうが、田舎の政治家は、とにかく面倒見がいいから、その散財も馬鹿にならず、田舎の人間はこのことをよく知っている。代議士が悪いことをしても、かえって、悪いことをしてまでも、地元のために尽くしてくれていると感動する程だ。官僚の方はといえば、話題にならない。はるか遠くの存在、テレビの画面だけの存在である。
私は、ドロボウが縄を編んでいるようなもので、政治家の不正は政治家では解決できないと考えている。国会議員が暴言を吐いたり、不正が露見したりすれば、全国共通券のマスコミに騒がれ、ほとんどの場合、辞任に追い込まれる。地元はまったく反対の価値観で代議士を測るから、ミソギを終えれば、再度、当選となる。全国共通券は総論であって、各論の田舎では通用しない。総論は優等生、悪く言えば、上っ面だけの正義感、各論は、生活に密着した実在感である。どちらが強いかは、火を見るより明らかだ。
業、官、政とデタラメが横行しているが、本当に「隗より始めよ」と言いたいのは、民に向かってである。


