私は小学校に入る前、すなわち戦時中、家の中にいればいつも、絵を描いていた。まず、潜水艦。兄から潜水艦はネットを破るために、ノコギリを頭につけていると見本をみせられ、いつも、ぎざぎざをつけた潜水艦を描いた。大人になって日本の潜水艦映画を観ても、それらしきものはなかった。
そして、飛行機。高速回転のプロペラの間から、機関砲が撃たれるのが不思議で兄に聞いたことがあった。単葉もあれば複葉もあった。爆撃機の絵を描いた記憶はない。
戦車も得意だった。キャタピラが面白かった。機関銃も帯のような所が面白く、よく描いた。
まれにだったが日本の飛行機が飛んでどこかへ行くのが見える。そうすると、子どもたちが、みんなで、万歳をしたり、手を振った。描いた絵には、すべて、日の丸をつけた。どういうわけか、軍艦の旗は、日の丸から線がでているものだった。
このように兵器を好んで描いたのは、私が特別に好戦的であるからではない。60年安保の時は、機動隊に追われて、路地裏まで逃げ、小さな喫茶店にかくまってもらい、まだ外で待ち伏せしているのではないかと、何時間も、お邪魔していたくらい臆病者だ。少々体力に自信がついた時でそうだから、小さい時はもっと気弱な子どもである。それでも、兵器はえもいわれぬ魅力があった。
学校に入ってからは、一貫して平和思想教育を受けた。担任の先生が立派であったため、戦争反対は体の芯まで染み込んでいる。
その私が、高校生から今に至るまで、戦争映画の大ファンである。レーザー・ディスクのコレクションも相当ある。戦争には反対する。兵器には近親感を持つ。私がごく普通の人間である証拠である。日本人のほとんどはごく普通の人間である。前文で崇高な理想を日本人に期待しているが、買いかぶりである。
私自身は、軍備など無用の長物と思っている(映画で十分。戦争映画は100インチプロジェクションに限る!)が、持っていないと不安でしかたがないという気持ちもよくわかる。だから、日本人の多数が持ちたいというのなら、持ってもかまわないと考えている。そもそも、武器を手にしたからこそ、人間となったのだから、きわめて自然な姿である。
その代わり、軍隊は一兵たりとも、日本領土から出してはならない。外国で日本人居留民がどんな仕打ちをされようと、軍隊の出動はまかりならぬ。どんな要請がどこから来ようと、出兵はいけない。今の話で言えば、アメリカは言わずもがな、国連の要請さえである。海外派兵は、人間の根源ではない。だから、許さない。
もう一つ、兵器の輸出もしてはならぬ。少し改造すれば、兵器に転用できる物でもいけない。兵器輸出は絶対に儲かる。だが、そこをぐっとこらえる。日本人のプライドである。
最後に、軍事同盟はいかなる国とも結んではならない。派兵をしないのだから、これほど、相手にとってつまらない同盟はない。だれも、好んで日本に同盟をいってこない。アメリカがなぜ、日本と軍事同盟を結んでいるのか、ここが解答の糸口だ。
国際平和は人間という動物社会ではあり得ない。正義は戦う双方が主張するに過ぎない。バイロン卿もトルストイも戦場ではっきり見届けた。春秋に義戦無し、春秋の後も義戦なし。
私の結論:軍備は可。出兵は不可。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


