fc2ブログ

老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

幻の移動日

網地島の波入田(なみいりだ)は私の最後の楽園。

家人の骨折により埼玉坂戸に戻ったが、一段落した後のことだったが、望郷の念やみがたく、と言って、坂戸の利便さも捨てがたく、6月から10月までを島で、11月から5月までを坂戸と折衷案を実行に移した。

その矢先、突然の心筋梗塞の発作により、4週間の入院生活を余儀なくされ、普通の生活を送る分には問題ない程度まで回復したが、あの激痛の再発が恐ろしくて、坂戸に戻った。

それが7月の15日。

以来、今日まで、晴れの日でも、雨の日でも、風の日でも、本を読んでも、音楽を聴いても、バイクに乗っても、歩け歩けをやっても、ベッドに入っても、とにかく何につけても、「もしも島に戻っていたら」という妄想・幻想・虚妄が頭の中にはびこっていた。

坂戸の快適生活もこのためだいぶ減点してしまった。

本来、今日が島から坂戸に戻る日。

明日からは、この妄想から解放される。

鬼が笑ってくれなければ、来年の5月31日か6月1日に私は楽園に戻る。

な~に、7か月なんかあっという間だ。

それまでしっかりリハビリを続けて、島の仲間にできるだけ面倒を掛けない生活が送れるように足腰を丈夫にすること。

これを生活の最優先にする。

(高麗川の土手2018.10.30.)

心筋梗塞 - 三日、三月、三年

三日、三月、三年

どこで覚えたのか、覚えていない。
いつ覚えたのかも、覚えていない。
正しい意味も知らない。

退院したのが7月15日、今日で無事3か月を通過した。
それで、無意識の内に浮かんだのが三日、三月、三年である。

私なりに解釈すると、何事も始めて3日目が続けるか止めるかの敷居で、それを過ぎれば、どうにか3か月は続く。ここでまた、続けるか止めるかの敷居となる。同様に3年目も敷居となる。3年すぎれば、晴れてその「何事」が当人と切っても切れない腐れ縁となる。

これを今度の病に当てると、退院後の医師も看護師もいない自宅生活の3日目が第一の関門、リハビリを続けて過ぎた3か月目の今日が第二の関門となる。

背中や胸の所々に鈍痛を時々感じるが、他の病気と同じと思っている。すなわち、目の悪い人は時々目が痛むだろうし、足の悪い人は時々足が痛むだろう。耳の悪い人は耳、歯の悪い人は歯、頭の悪い人は頭(これはないか)という具合である。

とにかく第二の関門は通過した。

明日は近くのがってん寿司に行って、たらふく、と言っても今の私の胃袋にはせいぜい8貫、醤油とワサビをベタベタにつけて・・・でなく、ほんのちょっとで我慢しながら、そして世話になった方々に感謝しながら食べようか。

附:
「三日、三月、三年」が熟した表現かどうか、これ自体もわからないのです。





心筋梗塞 - 同病相憐れむ

心筋梗塞の参考書をAmazonで探していて、偶然見つけた。

三木卓なる名前は聞いたことがない。本になるくらいだから多分名士なのだろう。

1935年生まれで、私より5歳年上。それで読む気になった。

彼は都内の日赤医療センターでバイパス、私は石巻日赤でステン。

この本にユーモアは一つもないが、その真面目さがかえって笑いを誘った。

早めに布団に入って、一気に読んでしまった。

附:
1.笑えたのは退院して3か月のゆとりだろう。この手の経験談は、経験する前に読むのが為になるもの。しかし経験することがわからないのに読む者はいない。典型的な結果論だ。
2.定価1,500円也。新本(しおりのひもの先がばらけていない)なのにAmazonで1円。送料が300円。
3.彼は1994年に入院した。59歳。Wikipediaで調べたら、まだ死亡年が空白になっていた。当時の59歳の平均余命がいくらか知らないが、24年は大したものだ。私の余命2年という胸算用も急に現実味が増してきた。これなら、来年の6月には網地島に行けるぞ。

生還の記

心筋梗塞 - 酒と薬の日々

酒は25度の芋焼酎。年金の受給開始の歳、ビールは買わないことに決めた。年金で高級酒を買うことに抵抗があったのだ。

それに代わったのが焼酎。麦でなく芋がお気に入り。

退院の時、先生から日本酒1合程度なら飲んでも悪い影響はまずないと言われた。

日本酒は16度。1合は180CC。25度の焼酎は110CCが相当する。

先生から大丈夫と言われても、用心に用心で、その3分の1にした。

入院中の4週間と約2か月の禁酒の後だから、2リットル千800円の紙パック焼酎もうまい。もっぱらオンザロックでやる。

薬は6種の錠剤と心臓貼り薬が続いている。

6種もあればその副作用も馬鹿にならない。

それぞれの薬の処方に副作用が注意書きとなってでている。

私の場合は、ひどい便秘である。

運動すれば改善されると言わたが、タケダの生薬に頼っている。

それと立ちくらみである。

これはしばらくじっとしている以外に対策はない。

本来の私には便秘もなければ立ちくらみもあって年に数回である。

よくよく考えると、「本来の私」は過去のものであって、薬と一緒の私が、今の「私」なのだ。

無病息災。

私の場合は、心筋梗塞と腰痛の二病息災が死ぬまで続く。

C'est La Vie. セ・ラ・ヴィ!これが人生さ。

(飲み忘れ防止の「お薬カレンダー」 amazonで見つけました)

薬カレンダー

第九 - 夢にも思わなかった幸せ

先月末の日曜日、市の文化会館に行ってきた。

台風が来るかもしれないとの予報をものともせず、1千席の8割が埋まった。

池袋まで50分、それから演奏会場まで乗り換えやらなにやらで、高齢者にはとても生のオーケストラに接せない。

それが、車(自転車)で5分の市文化会館で聴けたのだ。

O Freunde, nicht diese Töne! から涙が流れっぱなし。

フォーレのレクイエムと組まれていた。

全く申し分ない。

全席自由で3千円。もちろんこれではやっていけない。競輪の補助があるとパンフレットに書かれていた。

興奮冷めやらぬこの1週間だった。

管弦楽:東京ニューシティ管弦楽団
指揮:小崎雅弘
ソプラノ:東城弥恵
メゾソプラノ:成田伊美・津金久子
テノール:高田正人
バリトン:萩原潤そ
合唱:坂戸第九を歌う会


附:
1. 私のCDはジョージ・セル指揮のクリーブランド管弦楽団。昨日、家人のいない昼間、片チャン100Wのバイ・アンプでステレオ計400W。それを-10dBまで上げて聴いた。久しぶりの大音響だったが、日曜の演奏の足元にも及ばない。
2. カラヤン・ベルリンフィルをyoutubeで聴いてみた。超一流も再生装置の音源はしょせん作為。
3. 交響曲の演奏会場は千席くらいが理想的ではなかろうか。来賓席が2席用意されていた。どうせ市長か誰かのためだろう、台風接近で演奏会どころではない。それを察知して、ちゃっかり来賓席に陣取った。さすがベスト・ポジション。ソリストの朗々たる響きを満喫した。
4. 坂戸第九を歌う会の第30回の定期演奏会でもあった。根気よく続けているものだ。頭が下がる。
5. いつか語ったの思うが、レクイエムはフォーレがいい。モーツアルトのは悶死で地獄行きのイメージだ、私に言わせれば。
6.冥途への土産を私に授けてくれた‘偶然の神’と関係各位に心からお礼を申し上げます。

(2018.09.30.午後4時過ぎ。第4楽章演奏開始前。指揮棒が見えなくても問題ないのですね)

第九合唱付



子供は外で

子供が集まって遊んでいるシーンは島にはない。

歩け、歩けのリハビリに愛車(自転車)で2分の公園を利用している。

時々サッカーや野球のボールが足元に来る。決して手渡しはしない。手渡しをすれば、「ありがとうございます」の一言が期待できることを知っていてもそうしない。必ず蹴り返すことにしている。ボールを蹴るチャンスが滅多にないからだ。

ベンチで小休止していると、自分の子供時代を思い出す。

ガキ大将がいた。ベーゴマ、メンコ、ビー玉の勝負に夢中になっていた。三角ベースのゴロ野球があった。

道具や形が変わっても、今眺めている子供たちも同じように遊んでいる。

同じでないことが一つある。

ケンカである。

必ずケンカがあった。つかみ合いもあったが、たいていは口喧嘩である。相手の弱い所は頭であれ足であれ目であれ容赦なく‘差別用語’を駆使してののしった。

そして翌日になるとケロッとして、肩を組んで学校から帰る。

そういうケンカの相手の名前を何人覚えているか。

子供のケンカがなくなったのは、日本全土にわたるものか、ここ一地域の現象なのか・・・。

若い時に、老人がベンチで物思いに沈んでいる映画のシーンを見ると、哀れを誘われたものだ。

その老人と今の私は二重写しになっている。

附:
物思いでなく、単なる居眠りかもしれない。

(ボールを蹴り返しても、空振りかチョロ。子供から失笑をかっています)

第三公園b

第三公園a

芸術の秋

先月28日、市の文化会館で開かれた、油絵展にいってきた。

私は絵画はまったくわからない。

風景画なら、ネットに満載されている壁紙の方がいい。
静物画なら、香りや匂いを放つ果物の方がいい。(後で食べられる)
動物画なら、ぬくもりを感じる犬、猫の方がいい。(あとで撫でられる)
裸婦なら、・・・
抽象画にいたっては、何を訴えているのか、頭がついていかない。

この画展、趣味の会の作品である。

私は、この中に10億円のレンブラントが紛れていても、見分けられない。

ロンドンのオークションにかけられるスタート1億円の名画の中にここの作品が紛れていても、やはり私は気が付かないだろう。

来場者のひそひそ話が耳に入った。

「この作品はいいね」
「うん、うん」
彼らはそれから長く対話を続けた。

分かる人には分かるのだ。

私はうらやましい。

(人がいない時を選んで撮りました)

絵画展

The Odyssey, by Homer 犬は天国への導き人

犬を人というのに私は抵抗を感じない。

Dog is the best friend of man.
Dog is Man's best friend.

The Odysseys がただの冒険譚に陥っていないのは、第17章のArgosによる。

形容詞や副詞なしの簡潔な表現は犬の潔さにふさわしい。

トルストイの作品の中の犬の描写にもハドソンの作品の中の犬の描写にも涙が誘われたが、ここのホーマーの表現は別格である。深いため息のみ。

Eumaeusはユリシーズであることに気が付かない。Argosは気が付く。しかし老衰でUlyssesに駆け寄れない。UlyssesはArgosを見て涙を流す。ArgosはUlyssesを認めて、そのまま死ぬ。

いい文章(以下は17章のその部分)に出会った。

附:
1. モモはヘンデの作品の主人公から借りてきた。次に飼えるチャンスがあるものなら、名前は絶対にArgosにする。
2. Henry HudsonのFar Away and Long Ago.(1918)トルストイの作品は何だったか思い出せない。
3. 英語の辞書の犬の項に好意的な意味がない。なぜ?多分辞書編纂委員の誰一人として犬を飼ったことがないからだろう。犬を飼わず生涯を終えるは愚かなり(偽徒然草)

~~~~~

BOOK XVII.
As they were thus talking, a dog that had been lying asleep raised his head and pricked up his ears. This was Argos, whom Ulysses had bred before setting out for Troy, but he had never had any work out of him. In the old days he used to be taken out by the young men when they went hunting wild goats, or deer, or hares, but now that his master was gone he was lying neglected on the heaps of mule and cow dung that lay in front of the stable doors till the men should come and draw it away to manure the great close; and he was full of fleas. As soon as he saw Ulysses standing there, he dropped his ears and wagged his tail, but he could not get close up to his master. When Ulysses saw the dog on the other side of the yard, dashed a tear from his eyes without Eumaeus seeing it, and said:
“Eumaeus, what a noble hound that is over yonder on the manure heap: his build is splendid; is he as fine a fellow as he looks, or is he only one of those dogs that come begging about a table, and are kept merely for show?”
“This hound,” answered Eumaeus, “belonged to him who has died in a far country. If he were what he was when Ulysses left for Troy, he would soon show you what he could do. There was not a wild beast in the forest that could get away from him when he was once on its tracks. But now he has fallen on evil times, for his master is dead and gone, and the women take no care of him. Servants never do their work when their master’s hand is no longer over them, for Jove takes half the goodness out of a man when he makes a slave of him.”
As he spoke he went inside the buildings to the cloister where the suitors were, but Argos died as soon as he had recognized his master.
~~~~



A FREE MAN'S WORSHIP 

ユリシーズの冒険譚でかなり柔らかくなった脳の活性化のため、大いに硬い文章に向かうことにした。

バートランド・ラッセルの随筆は高校時代以来である。

外語の第二外国語の授業は(率直に言えばつまらない)さぼりにさぼって、校庭をグルグル走った。

お陰様で、体の方は心筋梗塞にも(今のところ)耐えることができた。それが陽の面なら、英語の実力がさっぱり身につかなかったのが陰の面である。

「こりゃいかん」と都立大で英米文学を学んだが、学士入学が24歳。学問の世界では後期高齢者である。

悪銭と同様身につかず、結局、今もって苦労し続けている。

ラッセルが平和主義者であることは知っていたが、時の政府から牢屋に入れられたことは知らなかった。

筋金入りの思想家であると紹介されている。

若いころとちがって、「死」の文字が目立ってみえる。

この随筆は、「Modern Essays Christopher Morley」で検索すれば、無料でDLできる。

30余りの随筆家の作品はどれも佳作。御多分に漏れず、たまにラテン語がでてくるが、ホットケーキ(ほっておくのアマ碁界業界用語)にしておけばいい。

掛かった時間が延べ6時間。精読に値する作品であった。





【“A FREE MAN'S WORSHIP ”の続きを読む】

魯迅 藤野先生

聊斎志異ばかり読んでいると、頭が柔らかくなりすぎる。柔らかいままでもかまわないが、たまにはワサビ的な作品も読んだ方がいい。聊斎志異のありがたみが倍増するというものだ。

魯迅が仙台の医学校で作家を志望することになったのは、そこで観たニュース映画であって、藤野先生とは関係ない。

藤野先生とは純粋に師弟関係である。

ネットで藤野先生が福井出身であることを知った。

このネット、中国杭州のテレビ局の制作である。

ガイド役のお姉さんが手にしていたのは、「語文」、日本の国語教科書に当たる。

日本人が師、中国人が弟子。

普通の感覚からすれば、こうした美談の与える側は自国民であり受ける側は他国民でる。

私が学校で習った国語は、この典型で、野口英雄がアフリカかどこかで献身的に地元民に尽くし、最後には文字通り献身した美談はあったが、中国人や朝鮮人が日本人に与えた美談はついぞ見なかった。

敗戦国の入植者が拷問・虐殺の目に遭わずに、大多数が舞鶴港に帰還できた裏には美談がいくらでもあったはずだ。

古くは、朝鮮人の帰化人の貢献もある。中国へ留学した日本人へのもてなしもある。

向こう三軒両隣、やれピアノがうるさいの猫が糞を落とすなどと、お隣り同士がいがみ合って得するのは、何もない。

国だって同じだ。

違うことは、いがみ合うことで儲けるグループが執拗にいがみ合うように仕向けていることだ。

近頃、日本人の優秀さを自慢するネットが増えているように思える。対米戦争を正当化する本も「送料のみ」という一瞥しただけで宣伝配布物とわかるうさん臭い本までネットに陣取っている。

自分で自分を自慢するのは、夜郎自大というもの。

今の義務教育の国語教科書に、魯迅の「藤野先生」に相当する作品が採用されていればいいのだが。

附:
1.「語文」があるいは台湾の教科書かもしれないと、今日再度ネットを見てみた。簡体字になっていた。間違いなく大陸の教科書である。
2.ロシアのスパイとして中国人が打ち首になるニュース映画がこのネットに入っていた。魯迅を体を治すより心を治すのが先だと決意させたシーンがどのようなものだか、初めて岩波選集で読んだ20代から気になってしかたがなかった。半世紀の後、解消できた。長生きはするものだ、ありがたい。(長生きからのごく稀な恩恵だかこそ)