老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

日本の外務省はなぜ無能なのか

今日の空は薄く雲がかかっている。雨天、曇天とここ数日続いていたので、晴れ間はありがたい。

モモとメリーを従えて、いつものように思索の小径を散歩する。

歩きながら、日本の外務省が無能なのはアメリカ政府の御用聞きで通ってきたためという私の考えを、反芻してみた。

なんとなく落ち着かない。

そして気が付いた。

日本は、独ソ不可侵条約に驚いた。日独伊防共協定を結んで、いつでもソ連と戦争できる状況にありながら、ドイツが突然、そのソ連と不可侵条約を結んだ。

「突然」は外交の場合「想定外」である。外交交渉で「想定外」は情報収集力とその分析力における外務省の無能さの証明である。

もう一つは、対米戦争の調停をソ連に頼ったこと。最後まで、それがありえないことに気が付かなかった。ソ連が何かしてくれると想定していたのだから、判断力における外務省の無能の証明である。

無能でやっていけたのは(敗戦まで消滅せず)、軍事力が強力で、外務省の無能を武力がカバーしてくれたからである。

戦後はどうか。

目覚しい経済発展で、日本がGDPで世界第二位になった。外交は経済力を後ろ盾に、ODAという名のもと、カネをばらまいていればそれでよかった。

歴代政府与党が、ODAの削減を試みれば、死に物狂いで巻き返しを図る。カネがなければ、自分たちの無能が表面に現れるからである。

戦前は軍事力、戦後は経済力。

これが外務省の伝統である。都合のいいことに、アメリカ政府が何から何まで肩代わりしてくれた。

少しでも骨のある役人なら、とても勤まるような外務省でなくて当然である。

とここまでが行きの考え。帰りにまた、続きを考えた。

これは外務省の役人の無能とばかり言えないのではないか。

日本人そのものが、外交に不向きなのではないか。

日本は海という最良・最強の防御設備を有している要塞である。万里の長城ならぬ万里の外堀が最初から備わっていた。

その上、漢民族と朝鮮民族という文民尊重の国家と隣り合っている。こちらが攻めない限り、向こうから攻めてこない。外敵の心配がないまま、千年、2千年と生き続けてきた日本人に、外交手腕のDNAがあるはずがない。

白村江の戦いの戦いにせよ、加藤清正の虎退治にせよ、今のアメリカと同じで戦争とは出張して起こすもので、雲行きがおかしくなれば、さっさと店じまいすればよかった。

外敵が日本に侵略しようとするのを、外交でどうにか食い止めなければいけないとようというな修羅場の試練は一度も経験していない。

家に着く頃には、今日の結論が出た。

外務省が無能なのは日本人が無能だからである。日本人が無能なのは、日本が恵まれすぎているからである。

投票は必要、選挙は不要

国会議事堂に国会議員が集まる。一人ひとり議長の前に歩いていって、青札と赤札のどちらかを職員に手渡す。

粛々かつ無表情で最後の一人まで同じ事が繰り返される。

職員が札の枚数を、これも無表情で数え、議長に報告する。

議長は、これもまた無表情で、結果を宣告する。

「よって、☓☓君が首班指名されました」
「よって、不信任案は否決されました」

国会議場内に、万歳やらワ~ッやらが響き渡る。


堂々巡りが1時間続けば、少なめに見積もっても税金が1億は消えるのではないだろうか。

惜しい。

各議員それぞれの机に、タブレットを設置して、採決はクリックで済ませる。

「青ですか、赤ですか」
クリック。
「ほんとうに青(赤)でいいですか」
クリック。
「ほんとうに、ほんとうに青(赤)でいいですか」
クリック。

フリーター君のような若者ばかりではない。このくどさが必要である。

最後の質問。

「わたしは誰ですか」

これに要する時間は2分で十分である。地球4周半遅れても、議場の大画面には1秒で結果が表示される。

1億円の税金が節約できる。

生涯にただ1回だけの議員、たとえば小泉時代の自民党のフリーター君議員や今の民主党の新人たち、の議場を見渡す場所に一度でいいから行ってみたいという欲求が強いことは分からないわけではないが、堂々巡りはいかにもムダである。

とここまで来れば、あとは自然の流れ、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

各議員のクリック自体がムダであることに気がつく。

青札、赤札を選ぶ。選ぶのは数を知るためである。

だったら、最初から、政党のボスが、一人でクリックすればいいのだ。

大世帯のボスのクリックは、1発で200票。カス的な政党のカス札は1発で5票。

これで立法機関である国会は普通に機能する。

議員がいなければ、造反も離反もないからだ。

現実はどうか。

審議拒否で国会が空転、その間、政党と議員には有給休暇扱いで億単位のカネが支払われていく。

一度議員になったら、辞めたくなくなるのも無理は無い。失職確定の民主党議員が今日解散を嫌うのもまた無理はない。

話を戻す。国会議員は不要なのである。

議会制民主主義は民主主義の一形態であって、それの存在理由が失われれば、別の民主主義に置き換えられていい。

選挙民の価値観が多様化し、どの政党にも100%満足できなくなった今、議会制民主主義は時代遅れとなっているのである。

一人の党首で政党は十分。多様化した価値観毎に政党が作られ、その政党名を投票用紙に書き込むだけでいい。

党首は自分の政治信条と政策実行にとって必要な人材を自分の裁量で自由に選ぶ。

政党助成金や議員報酬は完全撤廃する。

その代わりとして、1票につきたとえば年間1,000円を党首に与える。それで、人材を募り、参謀にする。

100万票なら、10億円。ガラクタ国会議員を100人持つより、優秀な参謀を年1億円で招聘するに決まっている。

むろん、最低限の得票数を設定して、それ以下は、得票数に反比例して供託金を没収する。泡沫は許さない。これは単なるテクニックのことだが。

1億3千万の国、日本。有権者が数千万いる日本。指導者はどうしても必要である。誰に委ねるかは、今のところ、やはり投票によるしかない。

しかし、議員を選ぶための選挙は不要である。

金属疲労という言葉は若い時から知っていた。制度疲労という言葉は中高年になってから知った。

国会議事堂はおためごかしである。虚飾の殿堂である。

あんなのは、すぐにでも博物館にして、数人から数十人の党首の話し合いで政治を祭るべきである。

付の1.
大阪維新の会が、一院制、議員定数半減を提唱しているようです。賛成ですが、できればもっと徹底してください。
付の2.
この維新の会の半減説に自民の大島某が議会制民主主義の破壊だと怒っていました。その通り破壊です。破壊しなければいけないほど爛熟・腐敗しているのです。腐敗側の大島某が怒るのは当然です。
付の3.
たとえば人口1万人の小国寡民でしたら、10人か20人代議士を選んで、政治に当たらせる、これはいいことです。勝手な振る舞いをする代議士はすぐに吊し上げを食いますから。
付の4.
「わたしは誰ですか」このダイアログを見た時にはびっくりしました。WindowsのUpdateにありました。ラジオしかなかったころのクイズ番組にあったような記憶があります。

民主主義の幻想

民主主義が正しくて、独裁主義(主義と言えないはずだが)が間違っているという幻想がどうして日本に根付いたのか、私はよく考えてみた。

幻想であることだけは、日頃の国会運営やら市議会の情報で確かである。その幻想の所以を考えたのである。

第一が、アメリカ合衆国の政治が選挙によるということ。国ができたとき、王族、貴族、執政官、およそ政治のプロと名がつく国民はいなかった。没落貴族や失職執政官はいたかもしれないが、ダメな者はどこに行ってもダメ。自分もそうだし周りも平民であった。選挙で選ぶ他に方法がなかったのである。

そういう国が、肥沃な土地と豊かな資源を有効に活用して、世界一の国になった。

政治がよくなくても、経済観念に優れた国民であれば、あの土地と資源をもってすれば、世界一とはいかなくても世界二や世界三には間違いなくなれた。その上、土地と資源の活用に人を牛や馬の代わりに使ったのだから、何をか言わんやである。

その国力を政治の良さに結びついた。これが幻想の第一である。

第二は、これが最大の原因であるが、第二次世界大戦が独裁国家対民主国家の戦いであったという考え。そして連合国が勝利を収めたのは民主主義のお陰であるという考え。これが小学生になった時から日本人には叩きこまれているのである。

お隣り中国から、日本の中国大陸侵略は一部軍部の独走によるもので、日本人民も中国人民と等しく被害者である、なんていうトンチンカンが伝わってきたのも、幻想育成に貢献したのである。

昭和天皇もヒトラーも最初から独裁者ではなかった。マスコミ世論と自由選挙で、独裁者に奉らえたのである。

国民の総意として民主主義が独裁者を作ったのである。

一部独裁者の戦争だったら、アメリカは原爆を絶対に使わなかった。いや、使えなかった。

民主主義は政治の一つの形でしかない。それは独裁主義と比較して優れているとも劣っているとも言えない。ただの一つの形である。

この自覚が、マスコミ関連の事業に携わっている諸兄に欠けている。

中国は独裁だから悪い、日本は民主主義だから正しい、こういう論調で尖閣・釣魚問題が語られていることに、私は不自然さを感じてならない。

表題は民主主義の幻想である。議会制民主主義とすればよかったかもしれない。

選挙が近い 思い出すのは4年前

私は民主党が政権をダッシュした時、民主党にエールを送った。

4年間は誰が何と言おうが、政権の座に就いていられるのだから、その間、マニフェストを実行して『脱官僚」の日本にしてもらいたいと希望をのべている。

同時に、賞味期限は6か月で、ダッシュの初めの半年で勝負が決まるとも忠告している。

私の心配した通り、半年でガタガタになってしまった。あの仕分け作業を公開したのが最大の間違いであった。

圧倒的多数の議席を確保したのだから、ことさら選挙民にパフォーマンスをしてみせる必要はなかったのである。

ムダである、ムダでない、こんな議論を政治家が役人相手にケンカするのだから、知識も組織も格段に勝っている高級官僚役人に一年生政治家が勝つわけがない。

問答無用だったのである。

いい例が織田信長にあった。

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山本山下の僧衆、王城の鎮守たりといえども、行躰、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀まいないにふけり、浅井・朝倉をひきい、ほしいままに相働く
  —信長公記

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この公記が生前の信長から承諾を得たものか、それとも没後に誰かが書いたのか、私は知らない。かなりの誇張が入っていることは、この手の記録にはつきものだから、ウソだホントだと議論するつもりはない。

私がこれを読んだ時、今の野田民主党政権がそのまま当てはまるという、ある種の政治の皮肉を感じた。

ダッシュの時には、民主党はこの信長と同じ気概をもって政権に就いたのである。

驕る国家官僚を成敗する意欲に満ち満ちていたのである。

民主党はその意欲があれよあれよという間に消えてしまった。

信長はそうでなかった。

信長は、比叡山の僧侶たちと対話をしなかった。

問答無用で比叡山の焼き討ちした。

信長公記が話半分でも、焼き討ちの価値はあった。実行すべき時は、自分の信念で実行する、この点が信長の成功と民主党の失敗になっているのである。

野田民主党政権は公記の記録そのものである。初めは信長として、終わりは比叡山のクソ坊つとしてである。

今、維新の会とやらが、4年前の民主党と同じ気概で政権をダッシュしようとしている。

私は絶対に成功しないことを保証する。

現職の国会議員を仲間にする、政党助成金は存続させる、これに加えてマスコミに自ら登場し議論をする、これだけ失敗の要因が揃えば、成功するはずがないのである。

半年の賞味期限を設定したからよかったものの、そうでなければ、己の不明だけが恥として残るだけの民主党向けエールだった。

もう、コリゴリだ。賞味期限も設定しなれば、エールも送らない。

結果を見るまでは、褒めないことに決めている。

一党独裁と一人独裁

一党独裁政治と言えば、良い印象より悪い印象が強い。

日本史でも世界史でも、歴史をみれば、権力組織の存在しない国家はどこにもないことがわかる。

組織がない人間社会はないし、組織があればピラミッド型の命令系統が必要となる。そうでなければ、組織は成り立たない。

一党独裁から連想する国は朝鮮、キューバ、中国である。いずれも共産党という名の党による独裁国家で、他に宗教団体が党を名乗り支配する国家がるかもしれないが、私が知っている一党独裁は、この3か国である。

これらは他国である。その国がどういう政治形態を取っていても、それはその民の総意(多数であるという意味の場合もあれば圧政が許容の範囲である場合もある)によるものだから、その民がよしとしている体制にとやかく評を論ずることはない。

問題は我が日本である。

野田政権の内閣支持率が20%を割った。10人の選挙民のうち8人が積極的にせよ消極的にせよ、国のリーダーとして認めていないのである。

それでいて、政権の座に居座っている。解散は総理大臣の権利だといいながら、その権利を行使をしない。

野田某1人の意志で国が動かされているのが、今日の日本である。

困った困ったと日本の民が嘆いても、野田某が自分から降りないかぎり民は手の施しようがないのである。これは独裁である。

国民が反政府デモをやれば、穏やかな行進なら機動隊の監視で済むが、暴力行為になれば、暴力行為が返ってくる。エスカレートすれば、野田某は戦車だって繰り出してくる。

一党の独裁も一人の独裁も、国家の存続に必要な限りにおいて、優劣はないのである。

自由選挙があるというかもしれない。その通り。自由な選挙で権力者を選ぶことはできる。

しかし、投票日の翌日からは、再選にせよ新規にせよ、再び強力な支配者と非力の被支配者の関係が生じる。

議会制民主主義は人類が作り上げた政治形態の最高傑作というわけではない。

この自覚だけは、日本の選挙民に忘れてもらいたくないと思っている。

付の1.
言論・表現の自由があるですって、一人独裁者には無力です。馬耳東風です。野田総理をみれば分かるでしょうが。
付の2.
私は、議会制民主主義はすでに爛熟から腐敗の域に達していると考える者であります。国会議員の議員であるだけで給料を受け取り(失業するのが嫌で解散先送り。国民の福利など大ウソ)、徒党を組めば政党助成金で蓄財。腐敗です。

尖閣・釣魚問題(27) 「領土問題」の存在

教えて!政治の疑問 

もめる日中、それでも「領土問題は存在しない」の?

これに外務省担当の守真弓さんが答えしている。

▽中国政府は自国領だと言いますが、日本政府は「領土問題は存在しない」と取り合いません。領土問題があると認めれば、帰属が確定していないと認めることにもなりかねません。日本の領土であることは議論の余地がないというわけです。
(小国寡民)
「認めることにもなりかねない」心配があれば、その心配を取り除くことが外務省の仕事ではないだろうか。中国と真正面から向き合って、中国に納得させるのが仕事ではないだろうか。
日本の領土であることに議論の余地があることは、中国が自国領だと主張していることで証明されているのではないだろうか。

▽日本政府は、「国際法上、正当に領有権を取得した」という立場です。
(小国寡民)国際法という法律が世界の国々を規律していると信じるほど滑稽なことはないのではなかろうか。
国の法律ならその国の中で拘束力があり、違反すれば裁判にもかけられる。
世界史上、国際法で一国が裁判にかけられたことがあったか。戦勝国が国際法なのでなかろうか。正当性は常に戦勝国側にあった。敗戦国がどれほど自国の正当性を主張しても、戦勝国は無視するばかりである。国際法とは、どちらに転んでも大差がない問題に役立つだけで、国益が正面にでるような問題(Issue)に対しては、まったく無力であるのではなかろうか。

▽領土問題はないということで、日本はこれまで、ことさらに領有権を主張しませんでした。ただ、中国が米主要紙に広告をだすなど国際世論への働きかけを強めており、これに対抗するため、発信を強めることにしました。
(小国寡民)
国際法を国際世論に置き換えれば、前段で言い尽くしている。中国が国際世論に働きかけをするのは中国の方針である。肯定も否定もない、他国の自由である。日本がこれに対抗する、これは問題である。発信の効果で国際世論がいくら日本に肩入れしても、肝心の中国がそれで引き下がるはずがないではないか。

国際世論が日本に代わって中国に納得させるとでも期待しているのだろうか。

竹島・独島を例にしてみる。韓国が米国、英国、露国、中国、仏国、伊国、西国、印国、独国ほかすべての国の主要な新聞に広告を出し、すべてのテレビ局にコマーシャルを流す。

宣伝が成功して、あれは独島であると、すべての国の新聞とテレビが言うようになる。

そうなった時、日本政府は、「あれは日本の間違いでした。竹島ではありません、独島でした」と国際世論と歩調を合わせるだろうか。

広告は広告掲載料が損をするだけである。正当性をアピールする冊子を外務省が作成することにしたそうだが、世界の誰が読むというのだ。

「尖閣諸島か釣魚島か、正しい方に◯をつけて、日本外務省に送ってください。抽選で100名様に中国で売り損ねた高級日本車を差し上げます。また、応募していただいた方にはもれなく日本製の液晶テレビか日本製の一眼デジカメを差し上げます」

こうでもしなければ、絶対に読まない。日本の印刷会社が儲かるだけであろう。

私は思う。

外務省の責任は、日本の立場を主張するだけでは不十分である。それを、相手に納得してもらうまでが仕事である。

主張するだけなら、武力という力でもできる。外務省は、武力に頼らず、交渉によって、相手に自国の主張を認めさせる、こうでなければいけないのではなかろうか。

最も拙劣なのが、相手を無視することである。廊下ですれ違う、こちらが挨拶する。向こうは挨拶を返さない。外務省の廊下ではキャリアとノン・キャリアの間ではありそうだが、やはり非常識である。

国対国の問題は、国が物を言うわけではない、つまるところ人対人でしか解決できないのである。

国際世論は幽霊のようなもの。こんなことに時間と金をかけて、仕事をしたつもりになっては困る、大いに困る。

交渉相手は、すべてがすべて自分に好意的であるとは限らない。あからさまに不快を顔に出す相手だっている。それでも、仕事となれば、笑顔で付き合いをお願いするものだ。

隣国とは不愉快な関係でもやむを得ないと外務省が考えているのなら、そんな外務省は日本に要らない、税金がもったいない。明日にでも閉鎖しなければならない。

付の1.
外務省の考えを要領よく紹介している、とてもいい記事です。
付の2.
天声人語が▼ですので、ここは▽にしました。
・朝日新聞2012年10月14日

大学は何のため

「大学って何のためにあるのだろう」

某大学の大学一年生の言葉である。これは大学生なら誰もが一度は抱く疑問である。

精神が正常に活動している証拠である。

疑問を感じないまま、卒業する学生がいれば、若大将はいざ知らず、この方がおかしい。

合格発表から入学式。普通の若者にとって人生で一度か二度あるかないかの甘美な数週間である。

そして、入学。受験戦争で勝利した充実感を肌で感じる。

ここまでは、私の想像である。

以下は本人が語っている記事の写しである。

~~~~~~

入学一週間後のガイダンスで、いきなりこう言われて驚いた。

「大学生は2年生までと思ってください。あとは4年生の卒業まで就職活動です」

周囲はできるだけ要領よく単位を稼ごうとしている。楽しむのは飲み会とサークル。

「授業を楽しむって発想ないんです」

~~~~~~

これを読んで、私が学生に社会の不正義に憤れと激を飛ばしたことが、いかにピントはずれであったことかを知った。

大学生活については、大内兵衛の著書をこのブログで取り上げて持論を開陳している。繰り返さない。

大学に入って一年目は何が何だか分からないままあっと言う間に過ぎる。2年目で、学問の面白さが分かり(教授の影響大だ)そして終生の友に出会う。

ここまでは、いわば助走である。未成年である。

3年になって本格的な大学生活が始まる。

就職活動など、4年の夏から始めても遅くない。今の日本、普通に働けば餓死することはない。

生涯を賭けるだけの就職先や業種が運良く就職課の壁に貼ってあるのは稀である。

運良く見つけ、運良く採用されたとしても、その先まで、運がよいとは誰も保証しない。

入社後会社に不満を抱くことがあれば、会社だって採用を後悔しているかもしれないのだ。

大学と就職は別の次元である。

私は就職希望者のなかで最も就職が遅かった。卒業10日前であった。別に五斗米を嫌ったのではない。次から次へと不採用の手紙が届いただけのことである。

しかし、緊張感は少しもなかった。優の数を増やしておけば良かったとも後悔しなかった。

卒業してからは、嫌も何もない、無産階級知識労働者は、30年、40年と職に就いていくことになる。

大学の4年間は、モラトリアム期間である。帰らざる貴重な時間を、決して就活などで潰さないように。

老婆心である。

付:
朝日新聞 2012年10月13日 「いま子どもたちは」
本人の名前と大学名は、記事に出ています。架空ではありません。

(心象風景を思わせる今日の空)
121027心象風景

天声人語(再々の再) 日本語「およそ」の意味

およそ戦争は「おとなの男」が始め、あすを担う女性と子どもの犠牲に耐えかねて終わる。
武力をもてあそぶ者にとって、時に「おんなこども」は煙たい。

これが大新聞の編集者の言である。

戦争。

元寇の襲来。鎌倉武士がもてあそんだか。
第二次世界大戦。フランスのレジスタンスがもてあそんだか。
太平洋戦争。沖縄の日本兵がもてあそんだか。
ベトナム戦争。ベトコンがもてあそんだか。

出征と凱旋。

日の丸の小旗を振って侵略戦争の現場に兵士を万歳でおくったのは誰だった。
パリが開放され、歓喜をもってアメリカ兵を迎えたのは誰だった。

女子どもの犠牲に耐えかねて白旗を振る敗戦国がどこにあるのか。日本の戦国時代の籠城などがあるだけで、絶対的多数はどちらかの国が刀折れ矢つきて終戦になるのではないのか。

この論説委員、めちゃくちゃである。

もちろん、長い世界史のうちには、「まさか」と疑うようなMASSACREが数知れずあったにちがいない。
だがそれらは、戦争の名に値しない小競り合いである。

高校の歴史にあるような戦争で「おんなこども」が出てきたことはない。

あまつさえ、「およそ」の枕詞をつけた。

とは言え、泥棒にも三分の理という、念のため「およそ」を広辞苑で引いてみた。

およそ「凡そ」
①多少の例外の有無は問わず、概略的または原則的に述べる意を表す。
②全く
③昔の法文で条々の初めに置き発語として用いる。

私は「およそ」を➀に取っていた。編集者はそうでなかった。➂だったのだ。

天声人語が経文であれば、➂の意味で使って何の不自然もない。

やはり確かめてよかった。

日本語の勉強にはなった。

付:
そろそろ朝日新聞の在庫が尽きてきました。文句の言い甲斐はありました。天の声に二礼二拍手一礼。

尖閣・釣魚問題(26) 坂田の碁 第5巻 石の捨て方

はしがき

手本なしに我流で覚えた人の碁はどうしても筋が悪くなります。その原因というのは、すべてにつけ、考え方が逆になるからです。

我流で覚えた人の解釈のしかたが、本筋の考え方とちょうど正反対になるのは不思議なくらいですが、この謎を作っているひとつの大きな要素は「捨て石」の感覚ではないでしょうか。

初心者は石を捨てることを極端にきらいます。なによりも、「捨てる」という気持ち自体、本能とは逆行することですから無理もないでしょう。

しかし、石を捨てたくない気持ち、石に執着する気持ちが一局を通してどんなに無理な考え方を強制しているかはなかなか気がつきません。

捨て石には、積極的なものと消極的なものがあります。

積極的な捨て石としては、あるはっきりした目的のためにわざわざ捨て石を打つ場合。

消極的な捨て石というのは、すでに打ってある石を、作戦上捨ててしまう場合です。題材としては、こちらの方が高級かもしれません。

なぜなら、前者は捨て石の手筋として一つ一つの知識を積み重ねることによって身につく事がらですが、後者は重い石、軽い石、危険な石かサバける石か等々、捨てる前提としていろいろ判断力を要するからです。

石を捨てたがらない人にとっては頭の痛い課題かもしれません。しかし、この捨て石作戦こそ、一段と本格的な碁に進むための必須の技術といえるのです。

昭和39年5月 名人 本因坊栄寿

~~~~~~

平凡社からだされた囲碁の技術書である。いくら解説を読んでもザル碁の域をでない私だが、このはしがき(抜粋)は、よくわかる。

要石(かなめいし)とカス石の区別ができないで、年中負けているからである。解説を読む間はわかっていても、いざ対局となると、頭に血が上って、相手と石取り合戦をやらかしてしまう。

大敗してから、なんであそこで軽く手を引かなかったと後悔する。損をして、初めて自分の失敗に気がつく。この繰り返しである。

尖閣・釣魚、竹島・独島、小さな島に熱をあげて、大局を見失う。

まさに、他山の石である。

付:
囲碁のことわざに「子(し)を捨て先(せん)を争え」があります。子とは石のこと、先とは先手のこと。盤上の石を捨てても、先手、先手と大きな場所に向かいなさい、という意味です。

老いのフィーリン’ 3割の打率

年間通してで3割の打率を出す野球の選手は優秀である。

私はあの3.11震災以降ではないだろうか、朝の寝覚めがあまりスッキリしない。

20代の朝は、10日に7日はオクラホマ!だった。

今は10日に3日である。

特に先日、流星群が観られるということで、夜、庭にでたことが禍して、以来不調である。今風に言えば絶不調である。

10年も前だったろうか、やはり流星群に地球が突入するということで夜中、ずっと空を見上げたことがある。流星群は尺玉のイメージである。夜空いっぱいの流れ星を期待したが、見事にかわされた。

どうせ今度も口先だけだろうと思って夜10時、表に出たら、その瞬間にまばゆいばかりの流れ星が一つ閃いた。

それから半時間あまり、空を見上げ続けた。収穫はゼロ。いわゆるビギナーズラックというやつだったのだ。

散歩はいつも下を向いて歩く。マムシが怖い、アリを踏みたくない、これもそうだが、百円玉が落ちていないか、できれば五百円玉、浅ましくも、このためである。

だからこそ、ふと見上げる空の美しさを知るのかもしれないが。

そんな具合だから、首が慣れない上向きのため、参ってしまったのである。

ここ数日間、そのリカバリに費やされた。

しかし、よく考えてみると、首がダメでなくても、ダメな要因はいくらでもある。

目はチカチカする。
耳の中でプチプチ音がする。
頭皮は痒い。
足首辺りも痒い。
左足先はしびれる。
(寝ている間に口が開くため)喉がカラカラになる。
手は震える。
残り僅かの歯の半数がぐらつく。
腰が痛くなる。
胃がムカつく。
青ッぱなを垂らす(これはない)。

日を決めて、全部が一日に起きてくれればありがたいが、そうは甘くない。

たいてい日替わりでやってくる。10日のうち3日が体調がよいと感じれば御の字。10日のうち1日でも感謝しなければいけない。

何千人いるか知らないが、打率3割の選手はそうザラにはいない。10回ボックスに立てば、7回は凡打か三振だ。

慰められる。

今は10日に3日、やがて10日に1日になるだろう。そして終わりの頃には、日当から時間給に変わり240時間に1時間になるだろう。私はそれが自然で、いいも悪いもないと思っている。

夫三界ハ只心ヒトツナリ。

今様にいえば、フィーリン次第である。

付:
心が汚いために追い込まれていながら、体の不良を口実に辞任する大臣が後を絶たちません。体調に失礼ではないでしょうか。

尖閣・釣魚問題(25)  「反日デモ」の経済効果

オリンピックが閉幕すると、日を待たずに、巨大なシンク・タンクがその経済効果を試算する。

宮城でも仙台七夕まつりが終わると誰かしらによって経済効果が試算され、復旧にどれほど貢献するものか公表される。

この手の試算は、一種のゲームであって、数十か数百の変数をキーでポンポン入力すれば、タタタタと出てくるものである。喧々諤々の議論は素通りである。大人のお遊びというわけだ。

その上、試算された経済効果は私の暮らしに無関係である。50億円でも100億円でも、どうでもいい。

しかし、それはイベントの場合であって、今度の「反日デモ」による経済効果は、非常に関心を持っている。

20億円の島(あんな遠方の島、だれが自腹を切って買うというのだ。タダでも私は要らない)の攻防を巡って、日本と中国、それぞれが受けた経済効果の試算は、これからのこともあるので、是非参考にしたいと思っているのである。

今日の中国は正真正銘の資本主義経済だから、中国における経済効果は中国のシンク・タンクに任せておけばいい。

日本の経済効果を日本のシンク・タンクに出してもらいたい。

自動車、家電製品、航空会社の運行などの落ち込みは分かる。その実態を知りたい。新聞社だって広告掲載料がかなり減っているはずだ。

「反日デモ」の余波が続いているから、イベントと違って総額は出せないというのなら、月次報告でもいい。

多分「想定外」をはるかに上回る想定外の負の経済効果が明らかになるだろう。

付:
すでに発表されているかもしれません。Yahooニュースを見ている限り、その気配がないので、ないものとして書きました。

石原政権 どこの国が最も心配するか

韓国が日本の右傾化を心配した。中国も似たような感情であろう。

石原さんの尖閣アクションをみれば、彼が平和思想の政治家で、ノーベル平和賞を追悼授与されるなど誰も思わない。

石原さんがどうであれ日本の右傾化は形式的な物でしかない。戦争可能な国家にする憲法になっても、あくまでも条文の上である。それは、現行憲法の前文と第九条が条文でしかないのと同じである。

戦争する相手はいないのである。これが現実である。

韓国、中国は本心からは心配していない。

心配している国は、アメリカ合衆国である。

エセ愛国主義者が政権を担いつづけ、エセ愛国新聞がアメリカ従属宣教に努めている今日の日本が、そうでなくなるのだから、心配などという生易しい事態ではない。

老人は「老いの一徹」というように、若い時の考えは簡単に変えられないもの。ましてや、固まって信念になったものは、死ぬまで変わらない。

彼は、「ノーといえる日本」の共同著者である。私はこれを読んだとき、よくもこれだけズケズケとアメリカに反旗を翻したものと、感心したものだ。

日米安保からは卑屈感の他になんの感情を生まれない。そういう時代にあって、石原さんは敢えて筆を取った。

反共思想家であると同時に反米思想家でもある。

今日、いくら反共を叫んでも、叫ぶ以上のことはできない。

しかし、反米は叫ぶこともできれば、行動に移すこともできる。

日本の軍事力の増強と核武装により、日本からアメリカ兵に出ていってもらうこと、この行動が取れるのである。

日本が独立国家であることが名目に過ぎないことは、右も左もない、普通の大衆は分かっている。

石原さんが、真の独立国家と叫べば、大衆は呼応する。

アメリカはこれを恐れる。

武器販売のお得意様を失うこともさることながら、核保有となったら、いつ報復されるか、それこそ枕を高くして眠れなくなる。

もちろん、アメリカが日本の核保有を許すはずはない。あらゆる制裁を課しても、なんなら東京を爆撃しても核保有は許さない。

許さないアメリカに手も足も出せない日本。やはり東亜は東亜だとなる。

これから先までキーを叩いていくと、自分の時間がなくなるので、止めにするが、要するに、石原政権で最も不快に感じる国がアメリカであることを言いたいのである。

常日頃、反共を愛国の代名詞にして大衆を煽っている日本の新聞の、当惑振りがもうすぐ見えるようになる。

お楽しみに。

天声人語(再々) 太陽がいっぱい

アラン・ドロンの出世作「太陽がいっぱい」は、裕福な友になりすまして財産を狙う話だった。

別人を装う点は振り込め詐欺も同じだ。

こうした世俗の悪事に比べ、ネット空間の闇は底が知れない。

~~~~~~

こう始まって、例によっていくつかの▼に分けネット犯罪について天からの声を日本語で語っている。

▼以下の論評は、天も地もない、極めて平凡な中身である。勧善懲悪の講談師だったら、桟敷からミカンの皮が飛んで来る。

よくこれで編集委員が務まるものと、朝日新聞の度量の広さに感心するものである。

平凡な▼記述だけなら、別に驚きはない。他の新聞だって似たり寄ったりである。

冒頭の「太陽がいっぱい」の解釈に驚きがある。

裕福な友になりすまして財産を狙う話と紹介するのだから驚きである。

この映画が振り込め詐欺と同じだというのだから驚きである。

虚構の映画1本も正しく理解できない新聞記者が、どうして現実の世間・世情を理解できるというのだ。

新聞記者は理解できるだけではその資格は半分である。理解し、あるべき社会・あるべき政治・あるべき文化について大衆に語りかけて、大げさにいえば、啓蒙することで本分なのである。

この映画は、1960年の作品である。以降この半世紀、フランスでこれに勝る映画は、出てきていない。

振り込め詐欺と同じでない理由を今日は話さない。ネタバレということになるからである。

3~4週間後に、このブログの続編を載せる。それまでに、レンタルして、観てもらいたい。

観終わって、2時間を損したと思う人は1人もいないはず。

駄作と感じる人がいたら、私はその人に向かってこう言う。

「あなたこそ天声人語の写経にふさわしい人です」と。

・朝日新聞2012年10月10日

石原新党 脱官僚を実行してください

前から分かっていたとはいえ、ついに来たかという思いである。

国会議員の権力闘争、護憲勢力の形式主義、連合の権力志向、大正デモクラシーの崩壊過程を見るようである。

国家官僚の専横が今日の日本政治のガンであることを知りながら、公約にも官僚主義打破を入れていながら、何もしないで政権維持だけに全精力を費やしてきた民主党の責任は重い。

しかし、本当に責任が重いのは、社民党(旧社会党)である。

土井、村山らが自民と組んで政権に着いたことがすべての誤りの始まりだった。

覆水盆に返らず。

昨今の学生はといえば、飲み会だ就活だ、大人の不正義に憤るヒマがないようだ。

官僚支配打破は、私が望む所。是非、実現してほしい。

先ずは、国家官僚を震撼させるような「脱官僚」を実行してもらいたい。

国軍だなんだとヘンチクリンな考えは、石原さんが昇天してからみんなでじっくり巻き戻せばいい。

大正・昭和は、戦争する相手がいた。皇軍の使い道があった。平成の今、国軍であろうが防衛軍であろうが、持っているだけで使い道がない。

尖閣を守り、竹島を奪還するために国軍を使うほど日本人は純粋で素朴な愛国者ではない。

中国市場を失ってまで中国と戦争するほど、ピュアではない。

それに、勝てば勝つほど、中国大陸から原爆が近づいてくる。

戦争は石原政権になっても出来ないのだ。

結局、国軍の増強でお茶を濁す。

軍事費が増えることくらい、脱官僚の実現のためなら、安いものだ。

御歳80歳と聞く。あれもこれもは時間がない、国家官僚(国家試験で採用されたキャリア官僚)のクリーニングだけに絞ってやることだ。

付の1.
小島のために戦争は起きません。中国市場を武力で自分の物にする発想も荒唐無稽。「グッバイ・レーニン」憲法改正も好きにさせましょう。今でも、条文があるだけですから。

付の2.
石原政権が日中戦争を起こせば、アメリカは核の傘を閉じてスタコラ帰っていきます。自軍の命をムダにしないのがアメリカです。

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石原都知事「きょうで辞任」新党結成し国政復帰へ
テレビ朝日系(ANN)10月25日(木)17時6分配信

 東京都の石原知事が緊急の記者会見を開き、25日をもって知事を辞任する意向を明らかにしました。新党を立ち上げて国政に復帰するということです。

 東京都・石原知事:「きょうをもって東京都知事を辞職することにいたしました。私は、これから国会に復帰しようと思っています。新党をつくって仲間と一緒に復帰してやろうと思っています。これからやろうとしていることは、すべて東京都知事として過去14年間やってきたことの延長です」

 石原知事は、都政に関わった4期13年の間、「国の妨害に遭って苦しい思いをした」と述べ、「国が抱える矛盾を解決するには、中央官僚の独善を変えないといけない」と主張しました。関係者によりますと、石原知事はこれまで、「たちあがれ日本」の平沼代表らと新党結成に向けて会合を重ねていて、21日には大阪市の橋下市長と「日本維新の会」との連携について大阪市内で会談が持たれたということです。石原知事は、新党結成の時期については「準備はできている。あすにでもできる」と話しました。
最終更新:10月25日(木)17時6分

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尖閣・釣魚問題(24) どうしました、大江健三郎さん

なんでもない時に、平和を語ることは誰にでもできます。隣国とギクシャクしない間は、友好万歳、熱烈歓迎、これも、誰にでもできます。

しかし、世論という世論が、隣国に対して一歩も譲歩しない、それどころか、相手が額面通り受け取ったら宣戦布告と紛うような論調が溢れている時に、果たして、平和だ友好だと語れる勇気の有る人が何人いるでしょうか。

私は、大江健三郎さんがこの勇気を持っている知識人であるかどうか知りたいと思っています。

尖閣・釣魚問題を解決するにはどうすればいいのか、この提言を読みたいと思っています。

インテリ・サロンの月刊誌「世界」に寄稿している可能性大でしょうが、そんなのは蛸壺です。

石原都知事が堂々と愛国募金を募ったのですから、大江健三郎さんも、反戦・平和募金を全国紙で募ってくれなければいけないと思います。

石原都知事と対極に位置する大江健三郎さん、頑張って都知事の10倍、160億円を集めてください。

たかが一つや二つの孤島の奪い合いで熱くなっている日本の現状をどう思っているのか。

冷静に対処などという村上春樹さんのような体裁論でお茶を濁すのか。

ご意見をお待ちします。

付:
かれこれ朝日新聞を3週間ほど読んできました。大江健三郎さんの寄稿は見当たりませんでした。読売に寄稿しているのでしょうか。

それとも病床に伏しているのでしょうか。

Are you alive yet?

尖閣釣魚問題(23) 丹羽大使 日中関係の修復

このままほっておいたら関係修復に40年以上かかると丹羽中国大使が語った。

これは日本政府に対する警鐘である。

もう少し、正確さを求めるならば、「このままほっておいて、かつ、他に日中間に何事もなければ」としなければならない。

蒙古来襲は700年前。これで鎌倉幕府が倒れた。倒れたから一段落したようなもので、元朝が続いたままでそして鎌倉幕府が倒れないままで21世紀の今日まできたら、元と日本の関係は悪いままであったはずだ。

いまでこそ、日本国歌を全員起立して斉唱し朝青龍、白鳳、日馬富士と3代続けてモンゴル人の栄誉を讃えているが、これもその間様々な事件と変化があったからである。

単純に時間が過ぎただけでは、蒙古来襲が日本人に代々引き継がれて、日蒙関係修復などありえなかった。

元寇の末裔を君が代で讃えるなど考えられない。

もう一つ。

ヒロシマ、ナガサキである。この2都市に原爆が落とされてから今まで、原爆はどこの都市にも落ちていない。

だから、40年経っても、60年経っても、100年経っても、「このまま」であるかぎり、原爆とヒロシマ・ナガサキは腐れ縁のまま永遠に続くのである。

核廃絶があっても、同じである。

この腐れ縁は絶対に消えない。消えないが希釈されることはある。それは、原爆があちこちでピカドン、ピカドンと落ちる時である。

私が言いたいのは、一度歴史教科書に記されたら、時間の経過はその記録にはまったく無力であるということである。

丹羽大使が40年以上と危惧の念を学生に表明した。丹羽大使が今何歳か知らないが、40年先まで生きてはいないだろう。しかし、20前後の学生なら40年後、丹羽大使の警鐘の正しさを確認できる。それを見込んでの大使の講演でもあった。

私は、学生諸君に丹羽大使の警鐘の正しさを確認してもらいたくない。

今の政府のやり方(やらないからやらない状況か)では関係修復が40年できなかったことの確認であるからだ。

私は、関係修復は、日本政府がその気になれば、40年先どころか、今年の年末までに出来ると確信している。

尖閣諸島を釣魚島に名前を換えて、中国に献上することである。もともと我が国土と主張している中国だから、献上は不適切な言葉かもしれないが、要するに、尖閣諸島を積極的に放棄することである。

私はこれまで一度も尖閣諸島が日本固有の領土であるかないかに関心を持ってこなかった。証拠をいくら集めても、いくら主権を唱えても、中国が認めなければ、その証拠は無駄な証文だからだ。

見れば見るほど、小さな島。文字通り寸土である。

島は小さい。海は広い。

尖閣諸島の周辺の海にいかなければ日本の漁業が滅びるわけではない。すでに、日本の漁業自体が日本人だけでは成り立っていなのだ。

中国が海底資源を採掘。石油だ、レア・アースだ、金銀象牙だ、その豊かなること、100年採っても採りつくせない。こうなればしめたもの。

ヤキモチは禁物。大いに喜んであげる。

盧溝橋事件、南京事件、小さい小さい、中国大陸侵略が中国の歴史教科書から改定版毎に小さくなっていく。

いくら松茸が生えている林でも、そこにマムシがうようよとぐろを巻いているのでは、採るにも採れない。

尖閣諸島など、欲しけりゃもっていってもらおう。竹島は独島で結構。

そうでなくても島国根性。これ以上島国根性を増長させてなんになる。

~~~~~~

「修復に40年以上」=中国大使だった丹羽氏講演―名古屋大学
    時事通信 10月20日(土)13時16分配信

 中国大使を務めた丹羽宇一郎氏は20日、名古屋大学で講演し、最近の日中関係の悪化について「このままほっておいたら最悪の場合、40年間の総理(全員)の努力が水泡に帰すかもしれない。(関係修復に)40年以上の歳月がかかる」と強い危機感を表明した。

 尖閣諸島の「日本の主権は間違いのない事実で、立場を譲る必要はない」と強調。ただ、国有化以来、中国では「日本が盗んだ」という認識が広がっていると指摘し、「イメージが若者にすり込まれるのは大変憂うべきこと」と訴えた。

 丹羽氏はまた、尖閣問題により日本企業の中国市場進出に悪影響が出ることに懸念を示した。 

~~~~~~

付の1.
私は尖閣諸島死守なんて言っている人に、先ず尖閣諸島まで船で行ってもらいたいと願っています。ヘリはダメです。船でです。

遠くの小さな島に執着した自分の心の貧しさにきっと恥じると思います。

私は沖合3キロ先まで毎日のように海を眺めてきました。15年ですから、少なめに見積もっても1万キロは見ています。その私が言うのですから間違いありません。

「やは肌のあつき血汐に ふれも見でさびしからずや道を説く君」(与謝野晶子)。机上の愛国論者に扇動されないことを願っています。

付の2.
丹羽大使さん、立場を譲る必要がないと言っていますが、ならばどうすればいいのか、語って欲しかったです。「このまま」が心配なら、「このまま」でなくする処方箋も学生に示すべきです。
(丹羽大使さん、ハッキリ、主権放棄を提唱したらどうです。本心はこれでしょうが)

尖・釣問題(22)完成品メーカーと部品メーカー

しばらく前の民放テレビで、日本の自動車メーカーは痛手を受けるが同時に日本の現地生産工場に納入している中国の部品メーカーも痛手を受けるとタレント評論家が言っていた。

ここで我慢すれば中国側も折れてくるだろう、そうでなくても、痛み分けにはなる、反日デモは日本だけが損するのではないと言っている。

私は電子部品メーカーで働いたことがある。このジャンルでは業界一位だったから、その部品を使う大手完成品メーカーのすべて(自社工場をもっていて自給していた三菱電機以外)がお得意様であった。

家電メーカーは当然のこと、エレクトロニクス化が進んできた時期からは、自動車メーカーも続々取引先リストに載っていった。

家電製品の競争は激しい。どこの業種でも激しいから特別に激しいというわけではないだろうが、そのシェアー争いの影響は部品メーカーの営業マンにもろに当たってくる。

自分の得意先が伸びれば、営業マンのボーナスが増える、落ちれば減る。得意先が1人の営業マンに値しなくなれば、掛け持ちポストに回される。

だが、これは担当営業マンのミクロの問題である。会社は特定の得意先が伸びようが倒産しようが、全然気にしない。その分、別の得意先がシェアーを伸ばしてくれればいいからだ。

部品メーカーはブランド商売ではない。完成品メーカーが自社のブランドと栄枯盛衰を共にするのに対して、部品メーカーは、注文の切れ目は縁の切れ目である。

得意先と一蓮托生などありえない。

100%の子会社でも、親会社からの注文で食っていけなくなれば、必死に浮気相手を探す。親会社もノーとは言わない。

中国では、日産、トヨタ、ほか日本車が悲惨な目にあっている。工場の一時閉鎖から無期限の閉鎖まで、3.11の前と後の我が石巻市の様相を呈している。

これと、中国の部品納入業者のダメージは直接的にも間接的にも関係はない。若干の時間差があるだけで、しばらくすれば何事もなかったように操業する。

それどころか、日本車の落ち込み分をアメリカやドイツなどの自動車メーカーが増産することになり、新しく金型の発注まで期待できる。

およそ量産と名が付くすべての部品には金型は必要で、作られる部品が100個で1円のものでも、その金型が数百万することは普通である。金型は利が厚い。しかも、新規金型は、部品の受注が約束された証拠である。

日本が受ける損と中国が受ける損を、完成品メーカーと部品メーカーに仕分けして語ることは間違いである。

ブランド商売で嫌われたら、ブランドを隠すという屈辱が待っている。

この手の論法はこれからも出てきそうなので実務経験者の立場で書くことにした。

付の1.
部品メーカーにとって痛いのは総需要の減少です。
付の2.
中国の部品メーカーは、日本車をシリ目に、すでに立ち直っているのではないでしょうか。

再び天声人語  間違っても煽る側には回るまい

言うまでもなく、尖釣、竹独問題で、この天声人語のスタンスを意思表示したものである。

「無人島のために戦争なんて、とつぶやける国がいい」

これで満足するのか。

つぶやくだけなら、ナチス支配下のユダヤ人、ソ連とその子分の戦車で街路が通れなくなったブタペストの市民、フランコ政権下のスペイン人、だれもがつぶやけた。

つぶやける国が良ければ、悪い国など古今東西どこを探しても見つからない。

無意味な表現である。

そして、このブログの表題に続く。

「隣国の無法に呆れ、国境の荒波にもまれる海保の精鋭たちに低頭しつつ、小欄、間違っても煽る側に回るまいと思う。」

私は一瞬、講談本「坂の上の雲」を開いたのかと疑った。日清・日露常勝日本軍、万々歳!

国境。
日本の国境と韓国・中国の国境が違うから問題になっているのだ。
それを一言で国境と片付ける神経の太さ。

荒波。
毎日欠かさず海を眺める私は、向こうの佐渡が荒い海でみえなくなる日もあれば春の海の琴が聞こえる日もあることを実感している。時折添付する海の写真をご覧あれ。

遠洋漁業の船長や漁労長に聞いても、全員船酔いするような荒天もあれば、朝から尺八を吹いて過ごす日もある。

海保の精鋭。
島にときどき宮城県の海上保安庁の巡視船がやってくるが、その職員が特に精鋭という感じは受けなかった。ごく普通の船員である。(救援物資を運んでくれたヘリの自衛隊員も精鋭とは感じなかった、余談だが)。編集者は本当に海保の乗組員を見たのだろうか。

低頭。
頭ヲ下ゲテ故郷ヲ想フ。これはいい。しかし、海保の乗組員を頭を下げて感謝するというのは大げさである。ヒマならビデオも観れば、マージャンもする警察官や消防署員と同じ国家の公務員である。公僕である。もう少しコラムが広ければ、「日の丸」の小旗を振って、と付け加えたいのだろう。

こうした美化の過剰は講談師のウソとして許せるが、「隣国の無法に呆れ」は絶対に許せない。

好戦週刊誌や主戦論新聞が「無法に呆れる」のはそれなりの見方だから、表現していい。

相手を罵倒し、相手を興奮させ、できれば中国人民解放軍や韓国軍と日本自衛隊のバトルを実現させたい。その意図を読者に示すことになんの不都合もない。

朝日新聞もその中の一員を自負するのなら、これも許せる。

しかし、「間違っても煽る側」に回るまいと語っている者は、「隣国の無法」という言葉を使ってはならない。

無法者といわれて、シュンとする韓国や中国ではない。国連で日本を堂々と名指しで非難する自負と勇気を持っている両国である。

煽るのは、自国の群衆を煽るのも一つの方法であるが、もっと巧妙なのは相手にけしかけ、煽らせることである。

相手が興奮すれば、自国も興奮する。その手法を使っていながら、煽る側に回っていないつもりでいる。

支離滅裂。

この編集者は頭の細胞分裂はともかく、右脳と左脳か前脳と後脳か、脳のシステム本体が分裂している。

10代から70代の朝日購読者に告ぐ。天声人語の写経も結構だが、このコラムだけは、除外することだ。

付の1.
コラムの隣りにドリンク広告がありました。「甘くない。と言いたいくらい」。傑作です。

付の2.
自民に行っては、「民主の某さんはあなたを阿呆と言っていますよ」、民主に行っては、「自民の某さんはあなたを阿呆と言っていますよ」

ある派閥に行っては、別の派閥からの悪口を伝え、別の派閥に行っては、ある派閥からの悪口を伝える。

炎上すればするほど、次週の発行部数が増える。

新聞社がこうなったら、オシマイ。

付の3.
   静夜思 李白
  牀前看月光
  疑是地上霜
  擧頭望山月
  低頭思故郷

(朝日新聞2012年9月30日)

世論調査(2) 国の印象

貴重な朝の時間を割いて目を通した世論調査だ。転んでもただでは起きない。

中国を民主主義国家とみている日本人が4%。戦後このかた、アメリカ式の政治が民主主義と定義されてきたから、中国がこれに当てはまらないとする日本人が圧倒的多数であるのはうなずける。しかし、わずか4%でも中国を民主主義国家と認めている。これは貴重である。

日本を独裁国家とみている中国人が30%。これも貴重である。4年に1日だけ自由に権力者を選ぶ。残りの1,460日は、その権力者の思うままに政治が動かされる。

仮に中国で世論調査をして、温家宝首相の支持率が20%以下が分かった時、日本のマスコミは、退陣しないのは共産党独裁だからと言うだろう。

中国人は日本の世論調査を知っている。それで退陣しなくていいのだから、目くそ鼻くそであることがよく分かっている。

中国が1党独裁であれば、日本は3党独裁であり、独裁政治に違いはない。

岡目八目、中国人はよく分かっている。

もう一つが人権問題。

中国人の56%が中国の人権制限を「そんなことはない」と答えている。「その通りだ」が28%で、3人に2人は自国の人権に不自由を感じていない。

この設問は、「中国では人権が制限されている、という指摘が欧米などからでています。このような指摘について、どう思いますか」である。

これが誘導尋問であることは一目瞭然である。前文で欧米の指摘と言うものだから、カチンときた中国人が、「そんなことはない」に◯をつけた。

本心は、もう少し言いたいことややりたいことを個人に任せて欲しいと思っても、内政干渉には反感を抱く。

「あなたの通っている大学は、ロクな教授がいないと周りから言われていますが、そう思いますか」

思っていても、誰が自分の大学を「そう思う」に◯か。

世論調査は調査する側の意図が反映されるように設問されている。

厚労省の、65歳以上まで働きたいですか(60歳で隠居、これでは困る)、と同列である。

日本政治を独裁政治と見立てた中国人を無知と笑わってはいけない。

日本人の知識人にはなかった発想である。中国人は日本人にアメリカ式議会制民主主義を考えなおす機会を与えてくれたよき隣人である。

これが世論調査に関する今日の結論。

(朝日新聞2012年9月24日)

世論調査(1) 隣りの国が好きか嫌いか

私の住んでいる島は二つの集落からなっている。一つが網地(アジ)で人口が100人弱、もう一つが長渡(フタワタシ)で人口が200名弱。

小さな島であることと、移住者が少ないことから、誰もが自分がいる集落の一人ひとりを知っている。

ここで、世論調査が行われた。

◆網地(長渡)は好きですか、嫌いですか、特にどちらでもないですか。
◆網地(長渡)にどんな印象を持っていますか。(選択肢から二つまで選択)
  (長渡の住民への質問で、網地の住民へはかっこの中が使われる)

好きか嫌いか。

網地が長渡を:80%好き。
長渡が網地を:20%好き。

この結果がでたとする。

網地の住民はこう思う。あれ、こっちが8割も好感を示しているのに、向こうはたったの2割ですって。それならこちらも考え直しますわ。

長渡が網地を20%嫌い。
網地が長渡を80%嫌い。

長渡浜の住民はこう思う。あれ、こっちが10人のうち2人が嫌いというのに、向こうは10人中8人も私の所が嫌いだったの。それならこちらも考え直しますわ。

これは50-50でも同じである。調査を受けた人の思いと結果が違っていれば、不愉快になるものだ。

相手がこちらに8割好感をもっているから、こちらの2割を8割にしようというほど島民の度量は寛くない。

何事もない平穏な時期の調査ならともかく、たとえば船着場の修復でどちら優先するか、連絡船の発着時刻を決めるのにどちらが便利になるか、こんなギクシャク要因が存在する時は、相手の好感に呼応するわけがない。

否定的な面が増大するだけである。油に火をつけたあげく、うちわや火吹竹で煽るようなものだ。

これを朝日新聞はやった。日本と中国でやった。

◆中国(日本)は好きですか、嫌いですか、特にどちらでもないですか。

かっこがついているのは、日本人に対して中国は、中国人に対して日本は、のためである。

質問はあと20数項あるが、好きか嫌いかの数字の必然性はまったくないものばかりである。

尖閣・竹島では、お互いに冷静に、と主張しておきながら、一方で両国民の間に敵愾心を増長させる。

マスコミの常套手段と言われれば、それまでだが、なんとも不毛かつ不愉快な世論調査である。

付:
石巻市網地浜(網地と長渡)の世論調査は架空であります。愚かな調査をする愚かな団体は石巻市にはいません。また例えも架空であります。

(朝日新聞2012年9月24日)

ウソをつく心をくむ

久しぶりの読売新聞である。関東の奇特な方から頂いた。

ウソをつく心をくむ

子ども同士がケンカをし、親は何が起きたのかつきとめようとし、どちらかがウソをついているのではと考える。

これが禁物であるという。

例えば、砂場で遊んでいて、
①AがBに砂を投げる
②BがAに砂を投げ返す
③Aがさらに投げ返す
ということが起こった場合。

経緯をAに聞くと、②から話し始めることがよくあるという。自分がされたことが強く印象に残ると、発端となった出来事が記憶から欠落してしまう。

幼児期にしばしばみられるという。

「本人の中では正直に話しているので、頭ごなしに叱っても通じません」ということである。

続けて、

子供が相手を欺く意図でウソをつくのは5歳後半からだそうだ。

尖閣・釣魚問題が大問題になったのは、香港の漁船が尖閣諸島にやってきためである。それが発端だという意見がある。

発端は石原都知事の愛国募金活動である。ヘンテコな旗を翻して尖閣諸島にやってくる漁船など、丁重に送り返せば、何でもなかった。

これまで何度も起きた些細な出来事である。

強制送還を実施した翌日は、またもとの絶海の孤島に戻る。一部の日本の愛国者が不満を新聞や週刊誌やテレビでぶちまけても、中国大陸の日本車が襲われることはなかった。

いい品物を素直にかつ経済合理的にいい品物として受け入れていたのである。

私は、これまで野田首相はじめ、中国の「反日デモ」の発生と拡大の原因が発端が日本政府でなく中国政府にあると語っている評論家連を事実曲解のウソつきと呼んできた。

ウソつきではなかった。自分の都合の悪い事実をすっかり忘れていたのだ。本人たちに自分がウソをついているという意識がなかったのだ。

総理大臣の位につく年齢になっても、精神構造は5歳後半のままだったのだ。

なるほど、これでは、いくら私が野田、野田、野田と叫んでも、野田総理には何のことかさっぱりわからないはずだ。

世論調査の支持率が20%を下がっても、何でそんなに下がったのか、これもわからないはずだ。

くらしのページの「子ども」の記事である。

子どもにかこつけて、野田首相の精神年齢を読者に分からせる、とても芸の細かい内容である。

流し読みするには惜しい記事なので、ブログに記すことにした。

~~~~~~

子どものウソへの対応(記事抜粋)

幼児期

・空想や願望を本当のことのように話すことがあるが、成長の一過程と受け止める
・記憶形成が未熟なので、事実の追及にこだわりすぎない
・大人の論理でウソと決めつけて叱らない

~~~~~~

そう、野田首相は成長の一過程にいるのだ。記憶が未熟なので事実の追及をしても無理なのだ。

首相の座から降りて、地元千葉の幼稚園に帰って、ゆっくり成長の一過程を歩むこと、これがベスト・チョイスである、日本国民のためであるが、何より本人のためにである。

付:
読売新聞の政治コーナーは、アメリカも赤面するようなアメリカ一崇拝賛美礼賛一辺倒記事の羅列です。ですが、文芸がその欠点を補ってくれています。政治部の記者は文芸部に感謝しなければいけないですね。

(読売新聞2012年10月5日)

あわれ、渡辺代表 

9月27日付けとなっていました。

~~~~~

国会は国の政治をやる場所。外国との交渉(外交)ができる場所。これが、田舎の選挙民はさっぱり理解していない。

国会議員は地元に鉄道を敷くこと、道路を引き込むこと、ダムを造ること、このために税金をいかに多く選挙区にとってくるかのやっちゃ場と田舎の選挙民は信じている。ほか、農業、林業、水産業、観光なども同じ。地元にカネを分捕ってくればくるほど。いい先生ということになっている。

昔から、外交は票にならないといわれてきた。

渡辺代表の主義主張が私の機嫌を損なうものであろうがなかろうか、彼は、憂国の念が強すぎて、地元選挙民のご機嫌伺いがついつい疎かになったのだろう。

あっちの集まりにホイきた、こっちのあつまりにホイきた、顔を売ることを最優先にしている国会議員ではない。

後援会は、こういう国政に集中している「先生」が安心して、また次期選挙にも安全圏で当選できるように、地元で働く、できれば、「先生様、選挙はご心配せんでもいいでがす。どうぞ、日本全体のためにご活躍なさってくんなせい」と言ってもらいたいものだ。

それが、彼の地元の市議はなんたる言い草だ。

Yahooのニュースを見て、驚き、呆れた。

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 みんなの党の渡辺喜美代表(60)=衆院栃木3区=の地元、栃木県大田原市で、結党以来、渡辺代表を支援してきた同市議会の会派「新政会」所属の市議6人全員が<みんなの党>渡辺代表の地元市議全員が離党…栃木・大田原
毎日新聞 9月27日(木)2時30分配信

 みんなの党の渡辺喜美代表(60)=衆院栃木3区=の地元、栃木県大田原市で、結党以来、渡辺代表を支援してきた同市議会の会派「新政会」所属の市議6人全員が「同志としての絆を結ぶことができない」として同党を離党することが26日、分かった。6人は次期衆院選で栃木3区から出馬を表明している自民党新人、簗和生氏(33)を全面支援する。

 渡辺代表は09年1月に自民党を離党、同8月にみんなの党を結成。6人は渡辺代表と一連の行動を共にし、地元から支えてきたが、「地元のことをお願いしても耳を傾けてもらえない。地元を重視してもらえる人を支援するほかない」などと話している。【柴田光二】

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「驚き、呆れた」は、私のささやかなウソである。宮城も然り。県会議員は、市町村のエゴのため、市町村議員は、集落のエゴのため、エゴと言って悪ければ、市益、集落益のためである。少しも驚かない。

そういえば、国連だって、国益のつばぜり合いだ。動植物を念頭において地球を語るべき時期に来ているのに、まだ、損した、得したとやっている。

政治家を堕落させるのは、選挙民。これが議会制民主主義の本質だ。

驕るな、自由選挙!

二枚のプロの写真

私は55歳を境に、新聞のスクラップ作業を止めた。

読み返す時間があるとは思えなかったし、そもそも新聞が届かない仙人居住地に住むようになったからである。

旧聞はときどき奇特な方々から送られてきているが、切り取って日誌に貼り付けるような価値のあるものは、その中にはなかった。


今、ここにスクラップにするための2枚の写真がある。

一つはイチローの地区優勝の時の写真である。男同士が抱き合っている格好には少し違和感があるが、笑顔が素晴らしい。

マリナーズでどれほど我慢し、努力してきたことか。それが一向に実を結ばない。自分の選手寿命だけが着実に短くなっていく。

それが新天地で一変。

我慢は報われる。

これを、私は改めて確信した。

もう一つは、千秋楽の日馬富士。

名古屋場所の千秋楽に続いての写真である。飛び道具なし、2本の腕と2本の脚だけの正々堂々たる勝負。

精進は報われる。

これも、私はあらためて確信した。

見るだけで不幸になる野田首相の写真は見たくなくても新聞を手に取れば目に入る。

私はイチローと日馬富士の写真を厄払いとして日誌の裏表紙に貼りつけた。

付の1.
国粋主義者ではありませんが、日本人が外国で、外国人が日本ですばらしい姿を見せてくれます。
日本人の選挙でえらばれた日本人の政治家が日本でみっともない姿で右往左往しています。
これをどう解釈したらいいのか、悩んでいます。

付の2.
イチロー:朝日新聞2012年10月5日。打ち明けますと、ヤンキースM1の写真(読売新聞2012年10月4日)も切り取ってあります。モノクロですがこの写真の方が、はるかにいい。読売のカメラマンに拍手です。

付の3.
二枚のドガの絵。刑事コロンボにありました。

子供たちよ、パソコンに手を触れるな

授業で「朝デジ」記事調べ

小学生、慣れた手つきで操作

またまた朝日新聞の自社宣伝である。

スラスラ検索できて、知識を集めることに時間を掛けなくてすむ、とてもいい授業である。

子供たちがタブレットをうつむき加減で眺めている写真が載っている。

間違っている。とんでもない間違いである。

新聞の記事を知って役に立つことは一つもない。

子供には選挙権がない。国会議員の低質を知ってもどうこうできるわけではない。

子供は1人でニューヨークに行けない。国連で核廃絶を訴えることもできない。

胡錦濤さんに仲良くしましょうと手紙を書けるだけの中国語が習得できるわけでない。

ただの知識である。

子供に不要である。無益である。

そんな時間があるのなら、運動場に出て、体を動かさせることだ。山野、海浜、田畑などでのびのびと遊ばせることだ。

新聞の情報は大人になってからでも十分間に合う。パソコンをいじりたければ、老人・老女まで生きていくことだ。

山野・海浜・田畑で走りたくても走れなくなるのが老人・老女。嫌というほどパソコンがいじれる。

「みやすくて分かりやすい」(小見出し)
分かってどうなる?

「ネット通じて記者に質問」(小見出し)
朝日新聞の記者は健康食品のコールセンターか?

凋落傾向止まぬ新聞社の苦肉の策であることは理解するが、子供の教育をダシに使ってはならない。

大人が読んで耐えられる記事を増やすことに神経を集中してもらいたい。

タダ読みで、ケチをつけるのは感心する行為ではないが、朝日新聞を購読している父兄の0.001%でも洗脳されたら大変なこと。それを案じて、敢えて採り上げた。

・朝日新聞2012年10月2日
全面広告なのにその表示がありません。まぎらわしいったらありゃしない。

iPS細胞(5) 科学にタブーを

10月19日の朝日新聞は山中教授のノーベル賞受賞賛美一色である。

再生医療の恐ろしさには一言も触れていない。ただただ日本人の受賞を祝っているだけである。

恐ろしさには触れていないが、「神の領域って感じ」という一行はあった。

たった一行である。

私は科学にタブーを「導入」しなければいけないと思っている。

ノーベル賞の基金は、ダイナマイトの特許でできている。戦争の準備と実行の度に儲けて、その余りにも莫大なおカネを前にして、このままでは地獄行きだと感づいたノーベル氏が贖罪としたのがノーベル賞である。

戦争と平和の論議はすでに述べているから繰り返さないが、火薬の発明で戦争による死者・傷者の数がケタ違いに増えたことは間違いない。

ダイナマイトは戦争に使われただけではない。愚公一族が100年かけても崩せなかった山が簡単に平にできるのはダイナマイトのお陰である。ダイナマイトがなければ、ディケンズの女・子供が今も炭鉱を手掘りしているはずだ。これもダイナマイトのお陰である。

その通りである。

天地開闢が陰陽を発生させたのだから、森羅万象、いい面と悪い面があって当然である。

物には両面がある。これは真実である。

私は、だからタブーを作れというのだ。

悪い面だけを禁止するのはタブーとは言わない。悪い面も良い面も共に禁止するのがタブーである。

私の意見への反論はきまって「良い面を伸ばし、悪い面には使わない。要するに運用次第である」という常識論である。

この常識論が非常識であることは、ダイナマイトから始まって原子力まで例をあげるいとまがない。

爆弾や原発が悪いとは言い切れないと再度反論するかもしれない。申し訳ないが、「どうぞお好きに」、私はそういう人を相手にしない。


神の領域を覗きこんで、そこに手を突っ込む、これをタブーにしないと、後世畏るべし。いや後世恐るべし。


付の1.
倫理委員会で検討すること自体が間違いです。「ならぬものはならぬ」
付の2.
ノーベル賞の賞金は戦死者の怨念が籠っています。受賞者は精神に異常を来さないように注意してください。文科省が100億円出すのは、怨念からではありません。ノーベル賞受賞の報奨金です。神の領域と思ったら悪魔の巣窟だったりして。

長野県中川村村長 曽我逸郎さんにエール!

朝日新聞は読みでがあります。広告と株式は飛ばしても、朝刊に30分を掛けています。

読売新聞は長くて15分。半年以上の長い付き合いですので、見出しをチラリと見るだけで、記事の内容がわかります。それに、主義・主張が野田総理並にぶれずに一貫しているのも時間短縮に役だっています。

朝日新聞に「オピニオン」という頁がありました。

国旗に一例しない村長。

このタイトルを見れば、日教組上がり脳単細胞原理主義者かと思われますが、とんでもない、思考の柔軟性に関しては、私も顔負けです。


意見ぶつけ合わず 現実に流される国 誇りをもてますか

これを堂々と言ってのける実に立派な村長さんです。

人口が5千人余り、世帯数は1,600ほど。

まさに小国寡民の土地です。

村のホーム・ページ、村長さん個人のブログ(ツイッターというのでしょうか)に早速寄らせていただきました。

少しかいつまんで読んだだけでも、中身の濃い事がわかりました。

Yahooニュースだけでは、絶対に知ることがなかったオピニオン。

天声人語がある一方、このような村長さんのインタビューを掲載する朝日新聞の幅の広さに敬意を抱きつつ驚いています。

付の1.
村長選で中村さんを当選させた村民の民度の高さが輝いています。長野県人は理屈っぽいというのが私の印象でしたが、これも撤回します。
付の2.
廃県置国のモデル村になるかもしれません。ウオッチします。

(朝日新聞1012年9月21日朝刊)

天声人語(2) 天声人語は般若心経か

「天声人語書き写しノート」

ステップ1.
今日の1面の天声人語を1分間ひたすら覚える

ステップ2.
このページ(宣伝ページ)に帰り、左上のマス目に覺えたとおりに書き入れる

ステップ3.
元の文と比べ、正確に書けた文字数を初めから数える。左のグラフで自分のレベルをチェックする

左上のマス目は原稿用紙である。左のグラフは、「記憶文字数の年代別平均値と目標値」で、10代前半から70代以上まで分類されている。

私はうまい拡販ツールを考えついたものと感心した。それから呆れた。

天声人語は朝日新聞で、読売新聞の編集手帳に当たる。

読売が編集手帳の書き写しを拡販の道具に利用した話は聞いたことがない。編集手帳が採り上げるテーマが天声人語のそれとは違うことはあっても、言語表現が天声人語より劣っているわけではない。

それでいて、書き写しをためらっているのは、編集手帳の書き手が、己の分際をわきまえているからである。どんなに対中主戦論や日米同盟深化を「こじつけ主張」しても、己の分際をわきまえている限り、正常である。

朝日にはこれがない。不遜である。

あまつさえ、天声人語を書き写したら、頭がよくなりますよという。

購読料だけの出費で済む頭のよくなる薬の一つだと思えば、それでいいかもしれないが、それに費やす時間も考えに入れなければいけない。

10代。

世界のすべてが新鮮に映る世代である。人間形成にとって最も大切な一時期である。

同じ書き写すのなら、古典を書き写すことだ。何百年、何千年と人類が「維持管理」してきた作品は、その価値の大なること、保証済みである。

新聞記者がチョコチョコ・スラスラと書き流した天声人語など、100年はおろか、10日後には、ゴミとなる。もちろん10代の頭には何も残らない。

壮年時代。

仕事が次から次へとやってくる。独法の天下り理事らは別にして、その処理能力を向上しなければ、路頭に迷いかねない。天声人語の書き写しは実務にまったく役に立たない。そんなヒマがあるのなら、外国語の単語一つでも、業界用語の一つでも、書いて覚えた方がいい。いや、ストレスに負けないだけの精神力を実務とまったく関係ない古典で養うのがいい。

70代。
私の年代である。天声人語で極楽往生はできない。邪念、執念、怨念、無念残念、天声人語が採り上げる時事に閻魔様への手土産はひとつもない。書き写することで、へたに頭に刷り込まれたら、心まで曇ってしまう。

書き写すこと自体は脳の活性化に役立つ。これを私は否定しない。

だから、天声人語を書き写す対象にしても脳の活性化に役立つ。

しかし古典なら、脳と心の両方に役立つ。

10日先のゴミを写すか千年前の古典を写すか、さあどうします。

付の1.
私の書き写し。

日本語は、徒然草と方丈記。それに文語体の旧約聖書。最も多く書き写したのがやはり文語体の新約聖書。賢治は「雨ニモマケズ」と「宇宙の微塵」だけ。
英語は、シェイクスピア、特に「お気に召すまま」、「オセロ」、「ジュリアス・シーザー」、ソネットもかなり書き写しました。G.ギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」、Ch.ラムの「エリア随筆集」、小泉八雲の随筆。
漢文は、高校レベルの漢詩(陸游を加えて)、老子、史記、聊斎志異、菜根譚、論語。

すんなり思い出すのはこれだけ。モンブランとペリカンはこのためにありました。あとは、ブログを始めてからの新聞の書き写し(叩き写し)。これは、脳にも心にも役立ちません。

付の2.
般若心経はこれまで多くの知人・友人から勧められましたが、億劫でやっていません。中村元の「ブッダの言葉」で仏教は十分と思っています。

付の3.
今は書き写しをしません。眼がダメになったためです。良質の文章に接し、書き写せる時間は、長くありませんでした。

・朝日新聞2012年9月20日21頁「まなあさ」

天声人語(1) 「譲れない」 日本に天の声 

天声人語。

読売でいえば編集手帳に相当するコラムである。

私はこの言葉を取り下げない間は、朝日新聞を信用しない。

いくらまともな事を書いても、まともな寄稿を載せても、天声人語を標榜している限りダメである。

天カラノ声ヲ人ガ語ル。
天カラノ声ヲ人ニ語ル。

前者なら、いつからムハンマドになったのか、後者ならいつからモーゼになったのか、朝日新聞に公開質問状を送り付けたい。

9月18日の天声人語は、尖閣・釣魚問題を取り上げた。

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▼ むろん主権は譲れない。だが挑発せず、挑発に乗らず、あおらず、そして決然と、官も民も、平和国家の矜持を堅持しつつ事を運びたい。諸外国の日本への支持を膨らますよう、考えていく時だ。

~~~~~~

これが天の声だというのだから、ムハンマドもモーゼも「そりゃないよ」と己の耳を疑う。

挑発しているのは、君たち新聞社ではないか。新聞を買い続けてくださいなどと政府に揉み手をして頭を下げるヒマがあったら、新聞社が寄り合って、「あおらず」の共同声明でも社説にしたらどうだ。

決然、矜持、堅持、インテリ好みの言葉である。群衆の一人である私は、一体どうすればいいのか、具体的に話しをしてもらいたい。

言葉遊びもいい加減にしてくれ。

満州事変から敗戦まで、日本の大手新聞が、中国国内や朝鮮半島の日本の主権を「むろん譲れない」と民をあおった「歴史的事実」を、後輩諸君はお忘れか。

日本に天の声が届けば、中国にも天の声が届く。仮にも天の声があるとすれば、だ。

仮にあっても、「釣魚島は日本のものだ」が中国に届く天の声でないことだけは私が保証する。

尖閣・釣魚問題(20) 愛国 岩井志麻子さん

痴話げんかで止めておけ

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わんぱく相撲で力士が子どもを振り飛ばしたって、あいつは強いなんて誰も言わない。力の上の者がうまく負けてあげることが大切だし、その方が格好いい。

「愛国じゃ、愛国じゃ」って言って、本気でけんかして、戦争なんてことになっても誰が得するんですか。

(中略)

そもそも、よその国をおとしめて自国を愛するという愛国心はようないと思いますよ。あなたの国は良い国ですね、うちの国も良いですよ、と言った方が、母国の良さが相手に届くでしょう。

それこそ真の愛国者じゃないですか。

よその国を尊重する気持ちがない人は、愛国者を名乗っちゃいけんのじゃないですかね。
(聞き手:秋山惣一郎)

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岩井志麻子さんの語りである。夏目漱石と大佛次郎程度しか知らない私だからこの方が作家であるとは知らくて当然である。名前さえ知らない。

しかし、中身は大したものである。

前段を省いているが、冒頭に「竹島は日本の領土でしょ」があったので、櫻井よしこさんと同期の桜かと、構えて読み始めた。

それが、ジョークであることは、すぐに分かった。読み手を引き寄せるテクニックに、私が引っ掛けられたのである。さすが、人気作家だけある。

しかし、表現の上手さは、表題の「痴話げんか」にある。

私は、中国と日本のケンカは対等にできないと思っている。日本がどんなに鼻息を荒くして突っかかっていっても、中国は鼻先でフフンである。

なぜか。

漢字の使用である。

だいぶ前にアジアのどこかの国か地方で、ハングルをその地の文字に採用するというニュースがあった。実現したのか、中止になったのか、実現したとしてもまだ続けられているのか、私は知らない。

私は、このニュースを聴いた朝鮮半島の人々がどれほど自国文化を誇りに感じたか、隣人として拍手を送ったものである。

文字は文化の根本。音声はカラスもイルカも同種の間で確立している。ヒトが飛び抜けて優れているわけではない。文字こそヒトのヒトたる所以である。

日本のひらがな、カタカナは共に漢字からひねり出したもの。漢字がなければ、古事記の口伝は20世紀まで続けられたに違いない。

日本人は漢字を中国の文字であることを意識しない。昔から日本語であるかのように思っているが、誤認である。

度量の広い(冗談めかして言えば、少し鈍な)中国人は、漢字の使用を無断で使用し始めた時、日本に特許料を請求してこなかった。

当時の日本はそれに対して、きちんと朝貢を続けていた。礼に失することはなかった。

日本がどれほど経済で中国を離しても、漢字を使っている限り、中国は日本を弟分くらいにしか思っていない。

本気で中国と事を構える覚悟が日本にあるなら、先ず漢字を中国に返上することだ。亜流のひらがな、カタカナをやめてアルファベット26文字とアラビア数字で日本語を表現することだ。

尖閣諸島でキーキー日本が騒いでも、女房のヒステリーである。

弟や女房がのぼせ上がれば、兄や亭主も黙っていない。

まさしく痴話げんかである。

岩井さんは、「日韓関係は夫婦みたいなもんです」と言っている。

私は、「日中関係は兄弟みたいなもんです」と付け加えさせていただく。

付:
私のブログは老後に私が読み返すためであります。鈴木さん、亀井さん、岩井さんの愛国耕論は、読売や産経の論説委員や記者そして購読者にも読んでもらいたいという願いもほんの少しではありますが、込められています。

(朝日新聞2012年9月19日)

尖閣・釣魚問題(19) 愛国 亀井静香さん

愛国 政治家よ、軽々しく使うな

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自分たちの郷土を素晴らしいところにしていく努力をする、それが愛国。

みんなが持っている感情で、いちいち取り立てて言うようなことじゃありませんよ。

当たり前のことが強調される時は、何かよこしまな意図がある場合が多い。

(中略)

領土問題で隣国と先鋭的な対立が生じている今、政治家は、相手の国がこれまた短絡的に愛国を振りかざして極端な対応をとらないように、現実的、具体的な解決策を地道に探る努力をすべきでしょう。

仲良くすることに勝る防衛はないんだから。

しかしそんな政治家はすっかりいなくなったね。簡単な言葉で酔っていく時代ですから、威勢のいいことを言っていれば国民が拍手してくれるし、マスコミも取り上げてくれる。

それで一時の人気を得て、ダメになったらまた別の人間が同じようなことを繰り返す。

まったく、賽の河原のようなもんですよ。
(聞き手:高橋純子)

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私の好みの部分だけ写した。この前段には、東京都の尖閣諸島購入構想は正しいと言っている。これは石原都知事の購入意図にやましさを感知した私の好みでないから写さない。

何から何まで、同じ意見である必要はない。

「仲良くすることに勝る防衛はない」、この一言で十分である。

付の1.
新聞を読むと、愛国を強調しているのはマスコミの方ではないかと思ってしまいます。よこしまな意図がプンプン臭います。
付の2.
朝日新聞9月19日。耕論「愛国」鈴木邦夫さんと同じページに掲載されたものです。

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