老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

小沢裁判 ・・・ 佐藤優さんが無罪にした

東京新聞の「本音のコラム」は面白い。本音を吐いても、マスコミから干されるほどの有名人でない面々が本音を吐くから面白い。

二流人のゆとりである。

面白いと言ったが、私の本音は、「昔は面白かった」である。今はあまり面白くない。当たり前の事を、真面目に書いているだけだからだ。

それでも、社説や論説に比べたら、格段に面白い。

今日、石川議員の隠しマイクが佐藤さんの「入れ知恵」によったことを佐藤さんのコラムで知った。

石川議員の隠しマイクで小沢さんは無罪になったようなもので、あれがなければ、有罪だった。

佐藤さんは日本の政治を左右する人物であったことが分かった。

有罪判決が下されたら黙っていることにして、無罪になったから「私の手柄です」と言うようになったのか、あるいは、自分が入れ知恵したと判決前に公表すると、国策裁判官が、意地でも有罪にしてやろうとすることを知っているため控えていたのか、私には分からない。

私は、彼の国際感覚をまったく評価していない。ピント外れの三流である。

しかし、今回、国策裁判に対する見識が、超一流であることが分かった。

日米安保やイラン、朝鮮などに筆を取ることを止めて、これからもこの方面で活躍していただきたいものだ。

外務省暮らしは無になった。

牢獄暮らしまで無にすることはないのである。

付:
・佐藤さんと呼ばせていただいていますが、知り合いではありません。櫻井よしこ女史を櫻井よしこさんと呼ぶような気軽さで「さん」にしています。

・政党や国会議員は佐藤さんを高給で迎えましょう。絶対に損はしません。

・東京新聞 2012年4月27日 朝刊 
「本音のコラム」隠し録音の勇気


再び物体移動・・・今度は冷麺

都会に戻って、何が一番驚いたかと問われれば、お金が使えると答える。

ホーム・センターに行けば日用品でないものはない。

スーパーに行けば食品でないものはない。

胃袋の容量が年々下がっているから、たまに好きな食品を買うだけで十分である。

10日ほど前、行きつけのスーパーで冷麺と冷麺スープをそれぞれ一つ買った。

普段は日本そばとラーメンとスパゲッティで昼食のローテーションを組んでいる。それでラーメンの補充をしようと寄ったラーメン棚の冷麺が目に入り、買ったという次第。

台所コーナーの棚に置いていて、いざ食べようとしたら消えていた。気づかなかったが、買った翌日には見ていない。

おかしい、おかしいと思いながら、部屋中を探しに探したが、見つからない。

最後には、ひょっとして、すでに食べてしまっていて、自分が忘れたのではないかと思うようになってしまった。

そう思うと、ザルに移して、水道水で冷やし、スープにネギとハムを入れて食べたような気もしてきた。

いつもの自己猜疑が始まった。

その上、たかだか300円の食べ物に幾日も悩むことで自己嫌悪に陥ってしまった。

それが、今朝、置いたはずの場所に置いた時の姿のままで「実在」していたのだ。

家人に聞いても、「さわっていません」と言う。

手にとって賞味期限を読むと、明日4月28日となっていた。

島の楽園時代に私は2度、物体移動を経験している。

このブログに載せたように、一つはメガネで、もうひとつは棒温度計である。この二つは、移動しただけであった。

今度の冷麺は、一度消えてまた元の場所に戻っている。それも賞味期限ギリギリに戻っている。

この冷麺だけならまだしも、手で回して挽く胡椒のビンが消えてから3週間になっている。

ラーメンのほか、肉料理など一日として使わない日がない。私専用なので置き場所は決まっている。それが、忽然と消えてしまったのだ。

今なお、行方不明のままである。

周りはボケの始まりだと言うだけで私の物体移動説を信じていない。

私は信じるのではない、確信しているのである。

付:
・写真の中にプラスチックの箱に置いておきました。並んでいるビンから分かると思いますが、冷麺とスープが見えないはずがありません。手前はテーブルで、この棚は直ぐ近くです。

・朝鮮半島に関心があるからでも、韓流ドラマに凝っているからでもありません。北京にいた時、3日に1度は食べた味が懐かしくなったからです。

・このブログはグルメ談義ご法度を守っています。物体移動の対象として扱いました。


4.27冷麺

小沢裁判と石原自民議員

昼のテレビを見ていたら、石原議員が、小沢議員には国会での説明責任を果たしてもらいたいと言っていた。

親が親なら子も子だ。

説明責任は裁判所が職務で今日の午前に果たしているのである。

それ以上に何を小沢議員に言わせようとするのか。

もちろん、小沢議員が何を説明しても、国民や世論に自分の意見をすり替えて、納得できないの一点張りである。

言葉尻を捉えるか、揚げ足を取るか、これで石原議員の頭は一杯なのだ。


小沢議員の起訴のどさくさにまぎれて、首相になった菅や野田は語るに落ちるにしても、野党の自民までもがこの程度の健全性である。

やはりガレキはガレキということか。

4月m,f,r

小沢裁判 予定稿 無罪

今、9時半。10時に判決が下る。

今日の夕刊に詳しい記事が載ることだろう。

報道の素早さに昔は驚いたが、今はそれほど驚かない。

予定稿なるものができているということを知ったからである。

有罪の場合はこの記事、無罪の場合はあの記事と、出来上がっているのだ。

典型的な結果論である。

下手に予測をして、外れた時に恥をかく。信用に傷がつく。商売に悪い影響を及ぼす。

「今日の判決から目を離せない。予断は許されない」常套句に落ち着かざるを得ない。

私にはこういう心配がない。

だから、気軽に「無罪」判決を断言できる。

付:
・金を扱いが千億単位の国の予算に慣れている小沢さんにとって4億円なんかサラリーマンの小銭感覚であります。

・4億円を大金と呼ぶマスコミは、庶民感覚を後ろ盾にしますが、庶民感覚で国は動かせません。1億2億のカネにハラハラしていてはちょっとした市でさえ運営できませんね。

開店休業の様相(2) 情報過多

都会暮らしが半年になった。

楽園暮らしと都会暮らしの最大の違いは、なんといっても情報の量である。

新聞無し、テレビ無し、ネットのニュースとたまに聴くラジオ第一放送が楽園。

今では、読売新聞、東京新聞、夕飯時に付き合わされて見る民放のニュース番組、その後のNHKの地デジニュース。

その気になれば、国会中継も観覧できるし、知ろうと思えば、ネットでほとんど瞬時に欲しい情報が手に入る。

月刊誌、週刊誌、はてはアメリカの新聞や週刊誌、さらに中国の新聞まで目を通して、初めて物が言えるという人もいる。

物が言えるという場合の物とは読む側になんらかのインパクトを与えることであろう。

私のブログは違う。

インパクトは眼中になく、ただ面白おかしく世事・世相をやっつければそれでよしとしているのである。

これには、情報は少なければ少ないほどいい。

なまじ情報が豊かであると、今がそういう状態だが、面白おかしく書いても、単にトンチンカンとしてしか受け取られない。

「知らないから許してやろう」が適用しないのだ。

大衆浴場の湯船に浸かっているつもりで書いていた時のようにはいかなくなってしまった。

真面目に書くくらいなら休んだ方がずっといい。

付:
国会議員は、あれだけいい加減でも政党助成金というお手盛りが配られていますね。1日10万円になりましょうか。バカを言って、バカをやって10万円だから笑いが止まりません。貴重な残り時間を費やして真面目に相手にするほど私はお人好しではありません。

・写真は右クリックで開けます。

望郷の念、やまず

久しぶりの晴れ

雨や曇りの日は落ち着いていいが、4日も5日も続くと、晴れが恋しくなる。

午前中は、バルコニーでのんびり尺八、苦情が来るまで続けるつもりでいる。

午後、モモをつれて高麗川で散歩。手入れが行き届いた緑の公園。同じ緑でも楽園のはジャングル。

スーパーで買った398の弁当が旨かった。不思議。

爽やかな初夏の一日だった。

付:
高麗川は「こまがわ」。朝鮮半島から帰化した人たちがこの辺りに住みついたのでしょうか。人たちなんて言っていても、私を含め和人のルーツだって帰化人でしょう。

4月24日fとmとr
s-4月24日高麗川


一日は尺八で始まる

「山越」が気に入って、毎日吹いている。最初の3行を教わっただけで、中頃に手の分からない所は、そのままにしてある。

昨日から、これに「虚鈴」が加わった。

関家悠也氏の虚鈴をYouTubeで聴いて、やる気になったのである。

ツレウが、「ツ・レ・ウ」、「ツ・レウ」、「ツレウ」のモチーフとなっているだけで、曲自体はとても単純である。その上、高音部がない。

私はこれが気に入った。

関家裕也氏の演奏は、11分30秒と長い。

私が吹くと、8分位で終わってしまう。

昨日、その理由がようやく分かった。息の長さもさることながら、間の長さが違うのである。

「ツー」とやったら、メトロノームで♪=60の4拍を休む。これの訓練をしている。

頭の中で、「イチ、ニイ、サン、シイ」とやればいいのだが、根がせっかちな私は、途中で早くなり、終わる頃には♪=90になってしまう。どうしてもメトロノームの助けを借りなければならない。

関家悠也氏の「虚鈴」を一回聴いて、その後続いて私が自分で吹くことで一日が始まるようになった。

最近の尺八順序

「調子」
「大和調子」
「錦風流調」
「虚鈴」
「薩慈」
「山越」
「阿字観」
「虚空」
「善哉曲」
「調子」

「手向」は震災から半年以上、毎日吹いていたので、今は休んでいる。

「獅子」と「産安」は気分で加える。スッキリした流れが作れないから、自然に遠ざかってしまう。

「虚空」の13分は私には長すぎる。終わり頃には、音が出なくなる。それでも、いい曲なので続けている。

2尺5寸管と2尺7寸管を吹く。標準管は壁に飾るだけになった。

正座で20分、それから椅子で40分、雨の日も晴れの日も、こんな尺八で一日が始まる。

付:
関家悠也氏の吹奏に加えてその姿勢にも敬服しました。


国際社会とはどんな社会なのか

先週かもう少し前のことだったが、朝鮮のロケット発射をテーマにした番組があった。夜7時半のNHKである。この中で、女性解説員がしきりに国際社会という言葉を繰り返していた。

朝鮮は頑迷な態度を捨てて、国際社会の仲間入りをすることが極東アジアの平和と安全に不可欠であると言っていた。その時に国際社会を繰り返していたのだ。

テレビ番組は自分から見ない、義理で付き合って見たので、おかしなことをいう解説員だと聞き流したままでいた。

それが、一昨日だったか、朝日新聞が世界の声を朝鮮は聞くべきたというようなことを言っていることを知って、ぶり返す気になった。

まだソ連があった時代、国際社会という言葉はなかったように記憶している。社会主義陣営と自由主義陣営と世界が仕分けされていたからだと思う。

自由主義体制の総元締めのアメリカ合衆国の大統領でも自分たちのグループを国際社会とは言わなかった。それほど傲慢ではなかった。

今はどうか。

ソ連や東欧の社会主義体制は崩壊したが、それでもアメリカ傘下の自由主義体制が世界のすべてとは言えない。

政治、経済、文化、教育、軍事ほか何から何まで、それぞれその国の価値観によってそれぞれの体制が存在している。

確かに、アメリカのドル札が世界をリードしているが、たまたま経済面がそうであるだけで、国連加盟国の中でさえ、アメリカの価値観を評価しない国やアメリカと反対の考えが立国精神である国が存在する。

それなのに、アメリカが率いる国家集団を指して国際社会というのはいかにも無理がある。

国際社会、国際社会と連呼した女性解説員は、無理を承知で視聴者を洗脳しようとしているのか、あるいは、新聞などの表現を無邪気に借用しているのだろうか。

私は想像するつもりはないが、軽々しく国際社会を連呼してくれるな、これだけは言いたい。

付:
・日本の政治家が、何かというと「これでは国民が納得しない」を連呼していますが、同系統でしょうな。
・「世界の声」に至っては、笑う他に術はありません。
・「連呼」を多用したのは、市議選と市長選が今月初めにあって、連日の連呼。今も、耳から離れません。

原発輸出とクマ牧場と麻薬密売

買いたい国があれば、福島原発の不幸を物ともせず、輸出に励む日本政府と原発企業。

観たい子どもがいれば、クマの自由を奪って見世物にする牧場。

やりたい人がいれば、心身ともにボロボロになるのが分かっていても密売に励む麻薬組織。

合法であるか非合法であるかなどの次元の話しではない。

儲かるか金が入るかの次元でもない。

どれほど欲しがっても、ならぬものはならぬ。

まだ腹の虫がおさまらない。

こうして吐き出しておけば、少しは寝付きがよくなるだろう。

今日のブログは精神衛生のための自衛手段である。

坂戸の桜4月8日


熊の射殺

都会に戻って、目から入る情報が格段に増えた。快哉をあげるような愉快な情報は一つとしてない。その中の極めつけをこのブログに記録する。

昨日のテレビで熊の脱走の現場を見た。

コンクリの壁に囲まれた更地が彼らの生活の場である。

どれほど凶暴な種か知らないが、あれではどんなにおとなしい種でも、逃げ出して当然である。

逃げ出した熊は射殺された。黒く丸まって動かない映像は今夜も見せられた。

飼育係が襲われて死亡したことも私にはショックである。エサを与えてくれる人間に対しては甘えることが普通であって、襲うなどとても考えられないからである。

兼好は野生動物を檻に囲って楽しむのは、桀紂の類と断罪している。

野生動物は野に放しておけ。

GDPがどうであれ識字率がどうであれ、これをしないで、オリの中で生涯を終えさせることを禁止しない国は最低民度国である。

射殺されるまでの数時間であっても、本当の大地に立って自由を味わって死んでいった熊の方が、却って幸せである。

弱い生き物が死んで幸せと思えるような日本国。

つくづくこの国が嫌になった。

付:環境省の役人ども、働け!

「朝鮮ロケット報道」 二流子氏からの寄稿

1.国名呼称について。「公正中立」をうたうなら、「北朝鮮」に対しては「南朝鮮」とすべし。南を大韓民国の略称で「韓国」というなら、北の朝鮮民主主義人民共和国は大幅に詰めて朝鮮というべし。

2.朝鮮の“生き残り戦略”は非難できない。米国に「核の傘」をさしかけてもらっている日本は一人前の口のきける立場にはない。

3.矛盾するが、朝鮮の国民は、これまでのような困窮した状況の朝鮮が存続してほしいと思っているのか。飢える心配のない支配者層だけではないか。

4.新聞・テレビはもう「報道の主流」だなどと誤認してはならない。まだ続く日々の錯覚が衰えを加速している。

開店休業の様相(1) 背景がない

もともと私のブログはアルバム代わりに使うのが目的であって、ついでに文章をつけてなんとか格好をつけてきた。

イヌとネコは私と一緒に移ってきたが、ヤギは仙台在住の野生動物保護に熱心な方に預かってもらっているままである。

私の楽園なら適当にシャッターを切れば、生き物が生き物らしく写る。

ここには写真に残すような背景がない。

考えてみれば、写真に残す事自体が意味がなくなっているのだ。

思い出ばかりがとかなんとかいう歌謡曲があったように覚えているが、今は振り返ることが楽しみになっている。

付:
私の楽園とは宮城県石巻市の網地島の山奥の竹やぶの一隅のことです。

FC2Ad