老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

官位の誘惑に転ぶ 自見、輿石

国民新党が連立から離脱する。

野田首相によって連立時の約束が反故にされたという理由である。これは正当な理由である。

与党になって豹変する政治家が多い中、筋を通した。筋を通すことが珍しくなった国会議員に慣れた私の目に新鮮に映った。

私は亀井という政治家に一目置いている者である。

その正反対が、自見と輿石である。

官位と権力の味を一度でも舌にしたら、そこから逃れることはできない。

なんやかやと理由をつけてはいても、すべて官位と権力にしがみつきたいがための言い訳である。

政治信条は政治家によって様々であるのが自然である。お互いに主張しあえばいい。

しかし、節操を投げ捨てることは、政治家以前に人間として失格である。

そんな連中の離合集散、所詮国会議員という名のガレキである。

平家は公家に丸め込まれてから間を置くまでもなく、野蛮で粗野な関東武士に滅ぼされた。

既成政党が橋下に滅ぼされるのは平家物語平成版である。

付:
民主党の「み」の字も書きたくない、見たくない。官僚機構に丸め込まれた末期だけは見届けます。

朝鮮ロケット報道

ここで言う朝鮮とは朝鮮民主主義人民共和国のことで、NHK始め日本のマスコミが北朝鮮とよんでいる国である。

朝鮮では朝鮮半島全体を意味する嫌いがあるから北を加えたというのなら、これは間違いである。国としてはすでに大韓民国が南半分を統治しているからだ。

北朝鮮とマスコミが言っているのは、国として認めたくないからであり、早晩崩壊することさえ視野に入れているからだ。

そして今度のロケット打ち上げ報道。

国会では大政翼賛会の再現ではないかと思われるほど非難一色である。政府もたじろぐような過激な発言が相次いでいる。サクラの満開だ。

ある質問者はテレビに映る時間がまもなく終わるから足早に話すと言っていた。地元後援会を意識しているのである。正義のPRが過激になるのもむべない。

国会議員で誰ひとりとして、朝鮮のロケットが日本に被害を与えるとは思っていない。たとえ被害がでても、たかがロケット1発、核爆弾が破裂するわけでなし、せいぜい空中分解した金属片が降ってくるだけである。
日本の国土の7割が森林であるのだから、日本国民の生命への脅威は電子顕微鏡的規模、ナノ的数値である。
それなのに、今にも日本が攻撃されるかのように政治家は騒ぐ。

なぜか。

一つは、大衆の愛国心をくすぐって、次回の選挙を有利にするためである。これは与党も野党も同じである。
与党は加えて失政の目くらましの効果を狙っている。

もう一つは、日本の軍需産業の意向に沿うからである。平和が続けば、重工業会社はじめ日本の軍需産業界は飯の食い上げになる。これが困るものだから、平和であっても、戦争の危機を政治家を通して煽っておきたい。その格好のチャンスとして、ロケット1コを利用している。族議員の仕事となっている。

与党議員の仕事には、自衛隊の無意味さの解消に役立てることがある。震災で活躍してくれた自衛隊員を国民が防災隊員にしたらどうかという危険な考えが広がってもらっては困る。あくまでも戦争ごっこのために温存しておきたい、それは同時に日米安保を軍事同盟から防災同盟に変質されては困ることからでもある。

こういう具合だから、先を争って政治家が1発のロケットに便乗するのである。
私は、就活国会議員とはこんな程度であると思っているから驚かない。

私の関心事は報道である。

読売新聞と東京新聞に限っていえば、朝鮮のロケット打ち上げを朝鮮の内政とした記事はない。日本にとって由々しき事態であると言っている。

何事においても新聞やテレビの反対を書いて発行部数を増やそうとしている週刊誌でさえ、こと朝鮮ロケットでは、足並みを揃えている。

日本全国の報道が朝鮮脅威一色になってしまった。

これは恐ろしいことである。

私は、昭和戦争前夜の悪夢の再現を見る。新聞社がこぞって鬼畜英米への敵愾心を煽った。

「いや、イギリスやアメリカにも一理ある」

こういう報道や評論は一切なかった。そのような報道は、主流の報道が抹殺したし、そのような評論は、主流の評論が抹殺し、戦争前夜には報道は体制翼賛一色になってしまった。

頭を冷やして振り返れば、中国大陸侵略、朝鮮半島および台湾の併合に英国やアメリカが不快に感じても不合理ではないことがわかる。

戦争に負けて、初めて気がつくのが当時の日本の報道であった。負けたから気がついたようなもので、勝っていたり中途半端な媾和では、鬼畜英米を止めなかったであろう。

これではいけない。どんな状況であっても、冷静に政治や社会を見ていくのが報道である。民衆と一緒になって騒ぐのなら報道の資格はない。

私は、朝鮮の内政には関心がない。しかし、朝鮮の内政に対する日本の政治や報道に関心はある。劣悪という印象である。

朝鮮の外交には、関心がある。

隣近所が、自分の庭の栗の実を盗らないか、深夜に騒音を立てないか、関心して当然であると思っている。特別に困った隣人でない限り、普通に付き合っていればいい。

朝鮮に対しても同じである。中国、韓国、台湾とならんで日本の隣近所である朝鮮が特別に困った隣人でない以上、敵対心を持ってはならない。そうすれば、隣人もかならず自分に敵対心を抱くようになるものだからだ。

言論の自由を謳歌できる日本にあって、今回の朝鮮ロケットの打ち上げ報道のような非難一色は、日本の報道の危うさの表れである。

ストーカー事件 悪いのは制度だ

暴力の被害届けを出そうとしたのに、警察の担当者らは「一週間待ってほしい」と多忙を理由にして受理を先延ばしにした。

多忙は名目であって、実際は慰安旅行の予定のためだという。

これで、当事者である千葉県警は、マスコミの批判を浴びた。

おかしい。

慰安旅行は、突然決められたものではなかろう。前から予定されていたものに違いない。

その予定も、オリンピックや万博やサミットなど、全国の警官が総動員されるような時期は避けるものである。

また、これも私の想像だが、年に5回も6回もやっていないはずである。

生活安全課といえば、暴力関係など特にストレスが溜まる職場である。年に一度か二度の慰安旅行を課員は楽しみにしているに違いない。

「慰安旅行があるから、受理しません」と言えば、角が立つから、「多忙」を理由にした。こういうウソは、私の尺度では十分許されるウソである。

「分かりました。慰安旅行があるのですがキャンセルして、事件にあたりましましょう」この方が、よほど不自然である。

ストーカー事件は年間1万4千件を上回る。届出がなされる度に、即応していたのでは、定年まで一度も慰安旅行ができない。

いくら市民のための職業とはいえ、警官も組織の中の一員として、息抜きも必要であろう。

私は、年間1万4千件のうち何件が殺人事件に発展しているのか知らない。警察は知っている。1万4千件のうち、半数と言わず1割でもあれば、警察は今回のような引き延ばしはしなかったであろう。

ここ半年足らず、私は新聞を読んでいるが、1割にあたる千4百件の半年分である700件のストーカー殺人事件を見ていない。

生活安全課の課員にウソを入れても落ち度はなかった。

落ち度は別な所にあるのである。

楽天イーグルス。

田中投手(マー君):「監督、シーズン中ですが、新婚旅行で2週間休ませてください」
星野監督:「いいとも。ワシだって投手をやっていたのだ、代わりに2試合登板してやろう。ゆっくり遊んでこい」
これはない。往年の名投手でも、代わりはできない。

NHK仙台放送局。

月曜から金曜までは若いアナウンサー。土日は中年のアナウンサー。中年のアナウンサーは多分管理職に就いているのだろう。普段は登板しない。若いアナウンサーが休みの時だけ代わりを務める。今日はアナウンサーが休んでいますから、ニュースは流しません、これでは世間は通らない。無論、NHKはこんなバカなことはしない。

警察はどちらか。当然NHKスタイルである。

生活安全課の部長や課員が休みを取る時には、管理職が代わりを務める。これでなければいけない。警察の部長級はたいした地位ではない。管理とは名ばかりである。私の管理職とは、大卒の幹部を指す。これらが、慰安旅行の空白を埋めなければいけないのだ。

市民から届出があれば、窓口で受理する。そして事件性を的確に判断して、しかるべき行動を取る。これでこそ管理職である。

実際はこれができない。

なぜなら、管理職はNHKのアナウンサーとちがって、現場でたたき上げられ、実績を伴った管理職ではないからだ。

何をどう処理すればいいのか、まったく無知なのだ。自分から現場に入って経験を積もうなどという殊勝な心がけなど、ひとかけらもないのである。

警察機構の改革こそマスコミが訴えなければならない。

それを、現場の怠慢やウソという表層観察で警察官を非難するのだから、ますます現場はやる気がなくなってくる。

千葉県警の不祥事と新聞は書いているが、その原因は警察機構制度の落ち度にある。

数年毎に移動を繰り返して定年を迎える大卒幹部の温存制度を廃止せよ。


付:
・私が務めた会社の上司は、天下りや国家試験通過でない人たちでした。社員の海外出張の間、スマートに仕事を処理していました。実力がありました。だから尊敬されまた恐れられました。

・恋愛適齢期の子どもを持つ親御さん、現行制度の警察は信頼できません。交際相手がストーカーに変身するかどうがを見分ける力を子どもたちに身につけさせることです。

・石巻警察署生活安全課とは10年位付き合いました。銃砲刀剣類所持の許可でした。待っている間に、聞くでもなく色々電話の話しが耳に入ってきました。慰安旅行は堂々とやってください。

・東京新聞3月24日社説 「警察はもう瀬戸際だ」
~~~~~~~
片桐裕警視庁長官は「危機意識の欠如の表れと言われてもやむを得ない」として県警に再調査を指示した。」もはや長官自らが陣頭指揮すべき事案だ。それほどまでに信頼は薄れてしまった。(一部)
~~~~~~~
陣頭指揮って何するの。幹部を集めて喝を入れるだけでしょうが。危機意識の欠如ではありません、昇格制度そのものにメスをいれようとしない長官、あなたの鈍が問題なのですよ。

反原発で頑張っている東京新聞ですが、この社説には失望しました。

私の都会と私の田舎 空の色

晴れた日にはバルコニーで午睡することにしています。改修の際に、幅を3尺から4尺にしたので、ゆとりができました。

横になってうとうとすると、モモ(犬)が寄ってきて、背中を私の体に着けて寝ます。しばらくその状態でうとうとしていますと、リッキー(猫)もやってきて、反対側の脇でやはりモモと同じように背中をつけて寝始めました。

私は腕の置き場がなくなり、頭の後ろに組んで、空を見上げました。

快晴です。

快晴には違いないのですが、見慣れた空でないことに気が付きました。

青に白がうっすらと混じっていて、それによって、空に奥行きが感じ取れるのです。

島の空は違います。

本当の青と言いましょうか、混じりけのない青です。ですから、奥行きは感じられません。ハンモックから空を眺めていると、宇宙の無限が実感できます。

そう言えば、昨年11月から、星空を見ていません。

15年、青空と星空を見上げてきましたので、目を閉じれば、昼なら青空を、夜なら星空を見上げることができます。

モモがイビキをかき始めました。

とりとめのない思いに任せて、もう少し、このまま横になっているつもりです。

付:
ここの空も実際は青一色ではないか、私の眼が曇ってきたためそう見えるのではないか。もう一度島で空を見上げる必要がある。ふと思いました。

死ぬのは一人だ

「少しでもつながりがあったから、救えたと思う」
「老いはいずれ自分が直面する問題。高齢者を支える方法をみんなで考えなければ、孤立死はとめようがない」

東京新聞生活部の細川暁子の署名記事である。

顔写真からこの記者が高齢者と呼ばれるまでには数十年が必要であることが分る。

高齢者の孤独死をよくないものと規定している。
果たしてそうだろうか。
若い人は錯覚していないだろうか。誤解していないだろうか。

若い人は老人・老女をかわいそうな人達と見ている。私も若かったころ、老人がヨタヨタ歩いているのを見たり、シワだらけの顔や手の甲を見れば、そう思っていた。歳をとればとるほど、この「かわいそう」が高まってくると信じていた。

これは間違いである。

齢い60に達して老いの仲間入りをしたとき、私は自分が前より「かわいそう」になったという感じはまったくしなかった。70を過ぎた今、60の時に比べて「かわいそう」が強くなったという自覚はまったくない。
この私を傍から観察していれば、ヨタヨタ歩きとシワだらけの皮膚が深化しているのだから、「かわいそう」も深化していく。

私は、これを間違いという。

もう一つは、孤独死という語感の間違いである。

日本の社会は金太郎飴社会であると言われてきた。他人と同じような言動を取らなければ、変人・奇人扱いである。中世西欧なら異端者ということだ。

橋下大阪市長が、ヒトラーの再来と嫌われるのも、瓦礫国会議員と違っているからで、これを見ても、日本の社会通念の振幅の狭さがわかる。

孤独すなわちひとり身の侘しさと寂しさ。これは傍の短絡思考である。論理の飛躍がある。

私は、人間社会の煩わしさから、好んで人の少ない土地を選んで移住した。55歳だから高齢者とは言えなかったが、60歳になっても、この気持ちに変化はなかった。

高齢になった今でも、私は自然の中で弱い生き物たちと共に生活する方を好む。行事に参加したり、集会に参加したり、酒宴にでたりすることは、出来る限り避けたいと思っている。

これを、社会は「かわいそう」と思って、「お声がけ」に務める。このお声がけが周囲の市民にとって大きな負担になっていると、記事は言う。

社会にとっておおきな負担は私にとって大きなお世話である。

そっとしておいて貰いたい。月に一度でも私の生活の調和を乱す闖入者である。

私は、「人と接する努力までして、人の中にいないと安心できないのですか」と反論したいくらいである。

こういう私を世間は千人に一人の偏屈者というかもしれない。

千人に一人で結構。10万人なら100人である。100万人なら千人である。

孤独死が千人いたところで、不自然ではない。余計なお世話を拒んで死んでいくのだから、周りがお世話に悩むことはない。

救えたという記事を写す。

~~~~~~~
男性の知人から「連絡が取れない」と相談を受け、知人が預っていた鍵で解錠。チェーンがかかっていたため、すぐに消防と警察に連絡した。室内では男性が倒れており、病院に運ばれて一命を取り留めた。倒れてから三日後。部屋にはウイスキーの空の空き瓶が転がっていたという。
~~~~~~~

付:
・東京新聞 2012年3月20日 独居高齢者の「孤独死」
・生き様と死に様。今の日本は命を「長さ」で決める悪習が蔓延しています。旅の半ばで死をむかえた芭蕉さん、江戸時代に生きてよかったですね。
・だいぶ前、孤独死を書きました。多分同様の内容だと思います。
・007死ぬのは奴らだ

入院日記(3月8日) 退院日

午前中に術後経過の最終確認がある。それでOKが下れば、退院となる。

100%そうなることが分かっているから、昼の食事は要りませんと話す。

宅配の残りをまとめる。

尺八と譜面と財布位位で、ほとんどの物はすでに送り返している。

外科の先生が11時ころ回診にきた。

OKである。

二つ、聞いてみた。

腹に力を入れる尺八は吹いてかまわないか。
正坐を30分してもかまわないか。

いずれも初めての質問とのことで、明確なダメ押しは出なかった。

看護師が尺八をみて、不思議がった。

そこで、調子の初めを吹いた。


ベッドの上で正坐して吹くのだから、フガフガの音である。
それでも、初めて尺八の音を間近に聞いたと言って、喜んでくれた。人に聴かせられるまで行って、初めて趣味と言えるそうだが、その通りだと思う。

便通をよくする薬と排尿をよくする薬が余ったが、持ち帰っていい、家で症状が出たら、飲むようにとのこと。

看護師が部屋をチェックする。忘れ物が多いからだそうだ。

ナース・センターに向かって大声でお礼の挨拶をして、エレベーターで降りる。

会計を済ませる。1割負担だ。各種保険税の5年分を取り返した。

途中、栗橋の尺八師匠の所に寄る。博多一朝軒伝の「山越」を教えて貰うためである。

島の震災を少し語った。陸の被害を知ってしまったから、話の種にもならない。

これで、また心配なく尺八が吹けると思うと気分がいい。

帰りの電車で、改めて退院指導(添付)を読み返す。

今回は、この「おめでとうございます」だったが、次回か次回の次か、そのまた次の次か、いつかはこの退院指導の紙が渡されなくなる。これを実感した。

今は、若干違和感はあるが、いつ破裂するかわからない時と比べれば、天と地である。

しばらくは、ネット碁と尺八とギターと犬の散歩と昼寝に専念しようと思っている。

追:
退院前日の日記は18日にあります。下書き状態を今、気が付きました。今日、公開しました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
s-イメージ

栃木の天下りと横滑り

入院生活は時間がたっぷりある。

普段は見向きもしない記事も、活字というだけで読むようになる。

伊藤企業局長(59)が外郭団体の県産業振興センター理事長に就く予定。定年間際に転身する。多分今の理事長も天下りだろう。

須藤教育長(66)は、県立美術館長。

吉沢農政部長(60)が県農業振興公社理事長に
石川議会事務局長(60)が県観光物産協会理事長に
神戸理事兼危機管理監(60)が県消防協会理事長に
池沢県土整備部長(60)は県住宅供給、県土地開発、県道路の3公社の理事長

親が親なら子も子。

よくも天下り、横滑りができるものである。

池沢なる人物、よほど優秀な人材とみえて、3つの理事長を兼任するというのだ。

私は石巻にいた頃、宮城県の職員の話を聞いたことがある。天下りできるのはほんの一部のエリートだけで、普通の職員は定年になったらそれまでとのこと。

定年になって退職するのは、当たり前だが、エリートだけが定年後数年甘い汁を吸うのが癪に障るとも語っていた。

異議なしである。

公僕を自認するのなら、60の定年になるときは、市民のために働いたため身も心もボロボロになっているはずだ。

定年になって、更に理事長などという重責に耐えられるはずがないのである。

県立美術館には職員が働いている。彼ら彼女らはいくら働いても館長になれない。観光物産協会だって同じだ。20代、30代ならともかく、40代になれば、理事長の椅子に座りたくなってもおかしくない。仕事の励みでもある。

それが、数年毎に、県中央から降ってくるのだ。これで、やる気を起こせというのは、言う方が間違っている。

外郭団体で気迫のある協会は一つとしてないのではないか。

一地方の人事異動ではあるが、全国似たようなことが起きていると私は思っている。

記:
・下野新聞 3月7日「県幹部人事固まる」
・親は国家エリート官僚、子は地方エリート官僚。 
・重責は、お分かりの通り、適当に事務所に顔をだして、月給と退職金を漁ることです。
・東京新聞は都の人事異動を掲載しているでしょう。普段は忙しいので読みません。

野田首相 防衛大の演説

昼のニュースを聞いていたら、野田首相の訓示があった。

朝鮮や中国が脅威だから、防衛大卒は頑張ってもらいたい。

この人ほど、本気で言っているのか、トボけで言っているのか、はたまた、阿呆なのわからない首相はいない。

朝鮮がロケットを打ち上げたっていいではないか。日本だって、種子島の発射台から大金をはたいて打ち上げているのだ。

日本のは平和目的で、朝鮮のは平和目的でも本当は軍事目的だからいけない。日本の平和目的だって、ロケットの実験データはミサイル開発に使っているのだ。

自分は正直で相手は嘘つきと日本が言うのなら、朝鮮だって同じように自分は正直で日本は嘘つきと言ってもおかしくない。

敵対国を昔は鬼畜英米といってマスコミは盛んに民衆を煽ってた。今は、朝鮮、中国なら何でも悪いと報道する。

もう一つは日米同盟のありがたさを野田首相が言ったことである。

東日本大震災では、アメリカ軍がトモダチの誼みで、日本を助けてくれた。ありがたいことで、だから日米同盟は増々深化させなければいけない。

防衛大卒よ、しかと覚えておけ、だって。本気で聞くほど防衛大卒は間抜けではないと私は思っている。

前に書いてしまったので、少し気後れするが、アメリカと日本の軍事同盟が役に立ったのではない、日米防災同盟が役にたったのである、これを改めて言っておく。

野田首相は、被災地支援を軍事作戦にすり替えている。

トボケですり替えたのか、本心からそう思っているのか、これが私には分からないのである。

前者であれば、ペテン師、後者であればバカ者、どちらにしても、トップ政治家たるに反面教師である。

今なお原発の悲劇が続いていながら、原発を続けるという。脳組織がおかしいから、何から何までおかしなことになっている。

付:
中国が軍事力を増強するのは中国の勝手です。経済大国はいい、軍事大国は悪い、こういう論理で中国を名指しで非難するのなら、アメリカも名指しをしなければいけません。

国家公務員 4割削減 オタメゴカシ

野田首相が、13年度採用の国家公務員を4割削減するという。

「速やかに結論を出し、国民にわかりやすい成果を示す必要がある」と言う。

国民の一人である私が、これほどバカにされているとは。この発言を見た時の印象である。

しかし、そうでないことに気がついた。

野田首相は国民をバカにしているのではない、自分のバカに気が付かないのだ。

公務員給与削減など一連の対公務員施策は、「痛み」を国家でも持つから、国民も消費税のアップにがまんしてくれというためのものである。

消費税増税は国民にとって痛みであることを知っているからである。

それなら、採用数の4割削減はどうなのか。

誰も痛まない。強いて言えば、国家公務員志望者である。これは痛みでも、仮想の痛みである。

私が国民の一人として、野田首相や民主党政権に要求しているのは、キャリア官僚の高給カットであり天下りの廃絶である。

政権をダッシュしたときに国民の一人である私に約束した事の実行である。

新規採用を控えれば、現業公務員にそれだけ負荷が掛かる。早速、海上保安庁や警察から苦情がでてきた。

現場で働く者は、どれほど努力しても負荷の増加は時間の増加になる。残業手当てが出なければ、人員の減少分だけ国民へのサービスが低下する。

野田首相はこれを称して、「国民にわかりやすい」と言っているのだ。バカでなければとても考えられない発言である。

更に、こうすることで、キャリア公務員が無傷・温存のままでいられるというのだから、とても政治家の発想とは言えない。

官僚のシナリオで演じているピエロである。

いい加減にしないか、野田さんよ。
(3月7日記)

付:
岡田副総理ときては、政治家なのか官僚なのかサッパリわかりません。

 入院日記(7) 退院前日

午前の回診で、抜糸。少し痛かった。悪くなる方向の痛みであるから、我慢しやすい。

これで、治療はすべてお終い。

宅配の準備は明日の午前に延ばす。今夜と明日朝まで、ラジオを聞きたいし、パソコンも使えるままにしておきたい。

午後、30分位、尺八を吹く。暖かな陽気だったせいか、よく音が出る。

「薩慈」を暗譜。同じようなフレーズが繰り返されているため、なかなか覚えられなかった。

看護師から食事はどうでしたかと聞かれた。

うまいかまずいか、の問だと思ったので、これで十分ですと答えた。

ホテルや旅館なら食事の良し悪しも評価の項目にあげられるだろうが、ここは病院である。治療に専念してもらえれば、食事の質は問わなくていい。

と考えていたら、別の見方があることに気が付いた。

入院生活は単調である。外に出られない。買い物ができない。酒は飲めない。ネットは使えない(私の環境では)、好きな音楽がスピーカーで聴けない、朝は黙っていても検温で起こされる。

せめて食事位、楽しいものであっていいのではないか。食事の楽しみは、和食、中華、フランス料理、イタリア料理、オーダー次第でルームサービスが受けられることである。

マフィアの親分が自分の病院に入院すればできるかもしれないが、私には無縁である。最初から諦める。

いや、諦めるのではなく、前に言ったようなことで納得するのである。

食事の不自由さはあっても、健康回復のために考えられた献立である。

うまい食事は退院してからでいい。

そのかわり、時間の自由はふんだんにある。

ベッドに横になり、好きなだけ考えることができる。

今は、時間を有効に使うことに専念する。

これからを考えるのに、1週間は理想的な休止符であった。
(3月7日記)
3月7日

科挙制度の見本 警察機構

ストーカー事件で、警察の偉い人が3人、頭を下げた。

頭を下げても、失われた命は戻るわけでないし、これからも同様の事件が起きるし、起きれば偉い人がまた、「より一層、市民のために尽くす」などと神妙な顔つきで言い、頭を下げる。

現場の警察官や窓口の警察官の不誠意が引き起こした事件であるというのは、表層的判断である。

現場の警察官が誠実でなかった。この一つとっても、単純ではない。面倒な事件や曖昧な事件を自分の署で引き受けることに上司が日頃積極的でない、それを現場が感じ取っていたのかも知れない。

ストーカーの苦情がきて真剣に対応したら、単なる痴話だった、こういう経験を何度もしてきたかもしれない。真剣に対応した警官が、上司に怒られたのかもしれない。

偉い人が3人、頭を下げても、原因はまったく語られていない。語られているのは経過だけである。経過と原因は別物である。

私は彼らに代わって原因を語ることにする。

語るというほどの大げさなものではない。

警察の組織が前世紀の遺物、科挙の制を固く維持しているのが原因である。

中国の科挙の制度は、知識の豊富さ、書物をどれほど読んだかである、の試験をして、役人に採用する制度である。門閥や縁故に無関係であることでは、平等な試験制度であるが、その後がいけない。

一度なってしまえば、生涯、地位と収入が確保されるのである。地方の長官になっても、そこの事情など理解する必要はない、しばらくすれば、またどこかの地方に行くからである。

下野新聞は栃木の地方紙である。警察の人事異動が細かく載っていた。

警察署のトップは数年に一度、配置転換される。自分が署長でいるあいだ、部員の不祥事だけが自分のキャリアを傷つけるので、なにごとにも穏便に処理しようとする。これは人情である。

長くいると地元の悪い連中に丸め込まれるというのが、数年に一度の配置転換の理由である。ならば、悪い連中に毅然とした態度を取ればいいではないか、誰しもこう思う。これではまずいので、「癒着」と言い換えている。

どういう言い方にしても、こんなことでは、現地に根を張って現地の事情に詳しいトップになろうという気にはならない。

すべて部下に任せる。部下の言う事を聞くだけになる。部下の言う事がおかしいと感じても、満足に反論・指摘できない。こういう上司の下で働くとどうなるか。

この答えが、すなわち原因なのである。

然り。

モラールの低下・消失である。

警察の仕事の相手は人である。人の中でも、あまり世間で評判のよろしくない人である。

そういう連中に対抗するには、世間は世間でもかなり下の方に通じている警察官でなければいけない。

事件を解決するのが、警察官の業務であれば、解決を多くした警官がどんどん上に登っていくのが自然である。民間企業では、営業なら売り上げ、技術なら開発件数、宗教なら信者獲得数、みんな実績によって昇給し昇格する。

ところが、この警察機構だけは、違う。科挙なのである。

東大・京大・東北大出ばかりか、一般大学出でも、子供の頃から本や塾には縁があるが、ガキ大将や半分不良の友達とは無縁である。高校に入れば、成績優秀な仲間に入り、大学では知識を増やす。運動部で体力も増強させるかもしれないが、ケンカの経験はできない。

国家試験に合格する。形だけの現場働きを終えれば、もうエリート集団として、配置転換を楽しむだけで、昇給・昇進エスカレーターから下界を眺める。

こんな上司を見せつけておいて、現場の警察官に真面目に働けと言うのは、言う方が間違っている。

現場の警察官が、実績をあげる、その中で、優劣が自ずと決まり、優秀な実績をだした警官が、昇給・昇進し、最後にはその中の一人が警視総監の地位に着く。

地方の警察署の署長は全部、現場から登ってきた警察官で占められなければならない。

それでこそ、易しい事件にしろ難しい事件にしろ、現場の警察官を指揮・監督できるのである。

大学で犯罪学を勉強しても、強盗の前では無力である。国家試験が優秀であっても、犯罪の臭いは嗅ぎ分けられない。ここでも無力である。

不幸なことに、エリート警察官僚は、自分の無力を地方の警察署でいやというほど知らされるから、いきおい、エリート仲間のサークルに引きこもっていく。ますます現場と離れていく。

どうせ3年たてば、サヨナラというシステムはこうして確立されているのである。

国家官僚制度の大改革。

警察も例外ではない。

警察官採用試験を、一本化すること。

そして義務教育を終了したことを唯一の学歴条件にすること。

これからも現場警察官の不祥事は頻繁に起こるだろう。現場の警察官をいくら署長が怒鳴りつけても、減給処分にしても、無くならない。マスコミが取り上げるから不祥事になるのであって、表にでない怠慢は数限りない。

これはすべて、現場の警察官のモラールを重んじない国家官僚制度に原因がある。

嘘だと思ったら、30年間、私の言うような制度を導入してみたらいい。記者会見で頭を下げるようなお芝居は絶対になくなる。

警視庁長官が幹部を集めて、怒ったところで、なんの役にも立たない。幹部が自分の署に戻って、その分を怒ってみたところで何の役にも立たないからである。

付:
・「野良犬」の三船敏郎が歳を取り経験を積んで署長や局長になったら、彼の部下は彼の言う事を聞くでしょう。
・3月7日(記)走り書きのままです。
・先週、警視総監か誰かが、幹部を集めて、喝を入れまた。テレビで見る限り、科挙の仲間うちの茶話会です。

裁判員制度 頭のいい最高裁

アメリカの陪審制度に似て非なるもの。

日本の裁判員制度は、民を裁くためにある。企業、国家、その他大組織は対象になっていない。

アメリカは企業の責任も陪審員が裁量できる。

日本ではできない。

日本の司法業界が、最初からできないようにしている。

人を死なす、人に怪我を負わす、これが民に限ったことではないことは、津波や原発の事故が示している。

裁判員制度に東電原発事故が対象になる制度であれば、優秀な弁護士が一斉に東電と政府の人災を法廷で追求し、天文学的賠償請求と関係者の処罰を裁判員が決めることになったであろう。

こんなことは、権力側にとって都合の悪いことである。企業や政府を直接民が裁くことだけは許すわけにいかなかった。

マスコミは、これに同調して、数年にわたった施行までの準備期間、ただただ制度のPRにつとめただけである。

今回の原発事故を見て、もっとも快哉を叫んだのは裁判員制度に参画した連中である。

内心、してやったり、であるのだ。

裁判員制度は撤廃すべきである。撤廃しないなら、刑事裁判に限定せず、あらゆる裁判に参加させるべきである。

この私の主張は今も変わっていない。

政治家には一応選挙というチェック機能が民の権利として存在する。

裁判官は、チェックされないようになっている。

捏造しても発覚しなければ、永遠に闇の中。発覚すれば、前の事件と錯覚していたと言えば済む。

正義が失われた社会を育成しているのが司法機関であるとは、日本も皮肉なものである。

裁判官に中卒はいない。学歴と品格は無関係である。大卒条件の国家試験で官僚を採用することの誤りの見本でもある。
(3月6日記)

汚職のパターン 日本、中国、ロシア

中国の国会のニュースに必ず出てくるのが、権力の横暴と汚職である。格差や言論の統制も同時にでてくる。

ロシアの大統領選のニュースも、まったく同じである。権力の横暴と汚職、格差、言論の統制も、判を押したように、同じである。

法律がないから天下りや官業癒着がまかり通っているだけで、これを道徳を軸にして見れば、日本は中国、ロシアどころではなくなる。

国家エリート官僚が、自分たちの好きなように振舞っていても、国がかくまっているということで「汚職」と呼ばないだけである。

私は、テレビや新聞を見ると、日本のジャーナリストは、まるで日本が中国やロシアより優れている社会であるような錯覚に溺れているように思えてならない。

灯台もと暗し。
(3月6日記)

入院日記(7) 3月6日 前立腺の検査

退院まで後二日。
宅配便でパソコンやCDラジオなどと自分で運んで来た物、それと入院後に買ったものなど、返送はまた宅配でする。病院の隣りにセブンイレブンがあるので、そこまで手で運ぶことにする。

明け方まで雨。9時には止んだ。

今日は前立腺の検査。パジャマ姿で11時に泌尿器科に行く。

前は開かなくて後ろが開いているパンツに履き替える。悪い予感がする。

尻から何かか突っ込まれた。痛いの痛くないのって。診察を受ける前に、看護師に注射はないと言われて安心していたのだから、落差は激しい。

午後、正常であるとの検査結果が医師から伝えられた。

もう注射も検査もない。残っているのは明日の抜糸だけ。痛いだろうが、我慢だ。
(3月6日記)

付:
・手術後、排尿する度に筒の先っぽの中に激痛が走りました。術後のカテーテルで起こりがちのようです。どうせ入院しているのだから、前立腺のチェックもやってしまうことにしたのです。突っ込まれたのは、超音波の機械だそうです。まる一日、異様な感覚が続きました。

・肩に担いでナース・センターを通ったら、重い物はまだ持たない方がいいと、看護師が車椅子を貸してくれました。ダンボールを車椅子で運ぶ姿も異様でありましょう。
(3月9日追)

備える!発想と工夫で

公民館や学校に避難した人たちが家に留まった私と、食べることについては同じように思っていたことを今日の新聞で知った。

記事 ~~~~~~~~
味が付いていない魚の水煮缶。
干し野菜。
乾麺。
~~~~~~~~~~~

これらがいい。味が決まっている缶詰などは用途が決まってしまう。カップラーメンやレトルトカレーなどいつでも食べられるものはありがたかった。

記事 ~~~~~~~~
生鮮品などは、「無駄にしてはいけない」とあわてて使わざるをえない。

卵スープなど、市販のスープ。

常備食材を使ったら買い足す「回転備蓄」

食品群
1.体を動かすもとになる米や乾麺
2.筋肉や血液をつくる魚や肉の缶詰
3.体調を整える野菜や乾物
~~~~~~~~~~~

これらに嗜好品を加える。
チョコレート、甘納豆、かりんとう、ビスケット、ポテトチップスなど。自分が日頃間食しているもの。
コーヒー党はコーヒー。お茶、紅茶、ココアなど。
牛乳はなかなか入手できないから、その代替として乳児用粉ミルクを1缶用意する。

酒好きなら酒も備蓄する。

地震が起きても、自宅に留まれる場合の備えである。当日直ちに避難所に移らなければならない時は非常袋一つだけに注意すればいい。あれもこれもとグズグズしていると、家の下敷きになって死ぬ。

カップラーメンで味の薄い物はなかった。野菜か卵をいれて味を薄めたいが、カップのサイズがギリギリなので、うまくいかない。
粉末調味料を全部使わないことで対処した。

津波の危険がない場所に居を構えているなら、どんなに遅くても2週間後には救援物資が配給される。

私の備蓄を紹介する。
・レトルト飯米 (白飯、赤飯、五目)1日2個。計24個
○乾燥そば、乾燥麺、スパゲッティ、モチ
・パンの缶詰
・缶詰
・レトルト(カレー、シチュー、ミートソース、中華)
・乾燥スープ(シイタケ、卵、ビーフン)
・乾燥味噌汁の具
・粉ミルク 
・ミネラルウォーター 1日2リットル2本
○野菜ジュース 1リットル 1本
・インスタント・コーヒー
○ウイスキー
○ドッグ・フード
○キャット・フード

○は、毎日使っているもの。特に備蓄として分けていない。乾麺類は常時使い足しをしている。野菜ジュースは冷蔵庫に1本入っているだけで、残量を常備に回す。ウイスキーも同じ。ドッグ・フードとキャット・フードは中袋1つを常に未開封にしている。

非飲料水:
先日200リットルの雨水タンクを購入した。島に備えたものと同じ。2リットルのペットボトル100本分。島は井戸があったし沢があったので生活水に困らなかったが、それでも、自分の家にタンクがあると雨や寒い日には助かった。4人世帯なのでもう1個注文しようか考慮中である。

発電機:
島にある2機のうち1機をこちらに移す予定でいる。エンジン音が大きいが、夜の9時までは使っても周りから苦情は来ないと思う。

新聞でHondaのエネポが紹介されていた。ガスボンベで発電する。私のは共にオークションで手に入れたHondaとYamahaのガソリンエンジン機である。

冷蔵庫、テレビ、LED照明の各部屋、7Aの範囲で使える。

ガスコンロ:
都会では絶対に必要である。島はガスボンベで、常に1本満タンになっていた。両方が空になる前に、ガス商店が換えにきた。この間の3ヶ月、熱源に不自由はなかった。

揚水機:
車で5分の川は水際で汲める。そこでは揚水機はいらないが、風呂に貯めるには重宝する。島から移すことを考えている。

暖房:
石油ファンヒーターは8A以上の電気がないとスタートしない。それで島の避難所は苦労した。この経験から、去年の9月に普通の灯油ストーブを新調している。

付:
・下野新聞3月5日
・3月5日記
・東関東の地殻変動エネルギーは昨年3月で使い果たしました。順番から言って、今度は関東です。埼玉坂戸は津波の心配はありません。2×4構造の我が家は地震に強い。心配は地震が引き金になって発生する火災です。私の考えです。(3月15日追)

病院の2階

 過疎の被災地に残るということ

日本で過疎が始まったのは、離島からだった。遠く明治に遡る。

新しい人生を夢見る者が、去っていった。島の不自由さに気が付き、もっと快適な生活を送りたい者が、去っていった。

昔から変化のない島の生活に満足している者は残った。そしてそこで死んでいった。

新しく島に来る者はいなかった。

過疎が進行する。

これに続いて陸地の不便な所も過疎化してきた。

3.11の震災は過疎を早めたことは事実であるが、この流れは震災が有るなしに無関係である。

遅かれ早かれ、過疎になる地域は過疎になるようになっているのである。

過疎が不満であれば、去っていくことだ。新たな過疎条件に納得する者が残ればいい。

不満にかぎらない。生きていけないのなら、生きていける場所に移住することだ。

長年自分が住んできた土地だからとか先祖の墓がある土地だからという理由で、残るのは当人の自由判断である。

しかし、自由判断した上に、買い物に不便だからとか病院に行けないとかで、行政になんとかしてくれというのは、筋違いである。

交通網再生がなかなか進まないという現実に不自然さはない。

数人、数十人、多くても百人単位の集落のために、バスは走らない、鉄道は復旧できない。

過疎地の生活に移動手段は欠かせない。生協、移動販売車、また医師、役場職員など、過疎地に出向くシステムができたとしても、週に1回とか2回で、住民が必要とする時に間に合うことは稀れである。

私は、過疎地の現状に満足できない者は、その土地から去る覚悟を持つべきと思っている。

どこに去るのか。

国が用意する新しい集落である。

車の運転ができない、歩くのも思うようにいかない、そういう高齢者は、どこで生活しても、行動半径は500メートルもあれば十分である。

私はかねてから、姥捨て山スタイルの高齢者共同租界地の建設を提唱してきた。

仮設住宅などその場しのぎはダメである。

復興が一向に進んでいないのは、何も役人の怠慢や縦割り行政の弊害によるものではない。

集落がなくなってしまった現実を理解せず、仙人でなければ生きていけないような過疎地から離れようとしない住民がいるからである。

強いリーダーがいて、有無を言わせず、ある場所を新居住地にする。

そこに移れば、衣食住と医の心配がない。国はこれだけやれば十分である。

こういう形で復興を進めていかないで、住民の声に耳を傾けて、なんて言っているから、復興がすすまないのである。

記:
・読売新聞 3月5日 復興へいま(5) 交通網再生 過疎の壁
・3月5日記

入院日記(6) 看護師の明るい声

毎朝、8時少し前に、番茶のサービスがある。普段は、もう少し遅くまで寝ている私も、これで起きることにしている。

雨が降っている。病室の窓から見える駐車場は、ほとんど満車状態。

待合室に人が大勢いる。節電で暗いせいか、明るい顔をした人は見当たらない。

私は、優越感を感じた。これがなぜだかは、部屋に戻ってゆっくり考えよう。

診察が始まるのが9時だから、外来患者は、基礎年金ならぬ基礎待機時間が1時間ということになる。半日掛かりだ。島は一日掛かりが普通、泊まりがけも珍しくない。これからどうするのだろう。

1階にある売店で新聞2紙と家で飲んでいるブランドの野菜ジュースと牛乳を買う。このセットが定番である。今日は、これに簡易カミソリを追加した。持参した電気髭剃り器のバッテリーがダウンしたためである。

11時頃、医師の回診があった。

傷口がまだ痛む、特に体をねじってベッドから立ち上がるとき痛みが走ると伝えた。執刀による切開を、傷と言われれば、愉快に思わない外科医がいないでもない、それで、手術した箇所という表現に傷口を言い換えて話した。

術後の経過は良好とのこと。失敗は化膿でわかるそうだ。

昨日は見舞い客で一日中騒がしかった2階の病棟が、打って変わって静かになった。

看護師同士が話している声だけが聞こえる。

その声はビヨンセには及ばないにせよ、声に張りがあって明るい。そりゃそうだ。彼ら彼女らは病気があって病院にきているのではないのだ。

今夜も持参した告別曲集を聴いて寝ることにする。
(3月5日記)

・優越感は、寝場所によるもの。人も動物ですからね。(3月15日)

島に戻るか、坂戸に戻ったままにするか

曇り空。1面が窓になっているため、まるで外にいるよう。しかも暖房がよく効いているから、快適に空を眺めることがでる。

これからの事を考える。これからの事とは、再び田舎に戻るか、都会に戻ったままにするかである。

関東から遙か遠い島の山奥に移った理由は前に書いたと思う。宮仕えの最後の数年間、何もしないで人並み以上の年収を得ていた。そのストレスに耐えられなかった。そのリハビリのためにできるだけ静かな場所に行きたかった。

行き着いた先が宮城の網地島であった。

2月、雪が薄く積もっている小路を踏んで、たどり着いた小さな家と周辺を見て、即座に契約した。

動物がのびのびと生きていける場所で動物と一緒に生きていきたいという子供の頃の夢が実現していった。

そして15年。昨日、今日、明日と同じパターンで生活していた。何事もなければ、このまま、75歳まで島に留まっていただろう。

それが3月11日の震災で、大きく狂ってしまった。

不便さは織り込み済みだから、震災で更に不便になってもあまり気にならなかった。

大きな違いがいくつか出てきた。

1.地盤沈下で浪入田の砂浜(マイ・プライベート・ビーチ)が消えた。今は、石ころだけの荒れた浜。散歩してもつまらない。磯はほとんど水没して、春から初夏の海草の見込みはない。

2.白浜海水浴場が変わった。石巻市街から押し流されてきた大量の瓦礫や廃材は海岸に打ち上げられたものばかりではない。海底に沈んだまま砂に埋もれる量がばかにならないはずだ。表面がいくら透明だといっても、数十センチ下に生活廃材が沈んでいると思ったら、とても泳ぐ気になれない。昨年は役場から遊泳禁止が出された。今年は遊泳が解禁されるだろうが、私は以前のような無心で泳ぐ気にはなれない。


4.網小医院が医院でなくなり、介護施設に変更された。島の人口が減って、医院として成り立たなくなったからである。もともと大赤字を例年計上してはいたが、経営者の善意だけでは収まらない所に来たということだろう。

週7日、医師に診てもらえたのが、週2日になった。台風は言うまでもなく、秋から春にかけて吹く北西の強風で連絡船が欠航したら、診察は受けられない。

週7日の時は、翌日、悪くても翌々日に診てもらえたが、週2日となれば、当日の欠航は、3日後の診察になる。運が悪ければ、更に先に延びる。

緊急時には、これまでどおり、ヘリで島から運ばれることになっているが、荒天ではヘリも来ない。昨年知ったことだが、夜間もヘリは飛ばないことになっているのだ。

5.モモは、ほとんど、私の側で寝ているだけ。自分から林の中に入って遊ばなくなった。散歩に連れて行くと、野原や砂浜や校庭でテニス・ボールを追うくらい。

6.リッキーは、昼間、寝てばかり。好きな場所が何カ所かあって、そこで寝る。夜は1回外出して、明け方、戻って私のベッドにきます。子供の頃のように外で遊ぶようなことはほとんどなくなっていた。

7.メリーが、島暮らしの一番の受益者だった。今は、野生動物保護活動家に預かって貰っている。歩きまわる範囲は島には及ばないが、島で年中私に怒られているより、ずっと伸び伸びと生きている。
(3月4日記)

付:
・田舎暮らしでもなく都会生活でもない病院生活は、中立性が確保されます。考える場として病室は理想的と言えます。これは途中です。まだ他に考慮すべき項目があります。追加予定ありです。

入院日記(5) 3月4日 部屋から出て尺八を吹いてみる

昨日と同様、今日も病院全体がのんびりしている。

周りは大勢の見舞い客で賑やかだが、みんなそんなに長くいない。帰った後は、また静かになる。

正面玄関の脇に出て、尺八を鳴らす。腹に力が入らないせいか、1週間近く吹かなかったせいか、乙のロ音がでない。焦った。

風が結構吹いていたから、風のせいにしてもいいし、寒かったから冷えた竹のせいにしてもいい。

調子を何回か吹いて、戻ろうとしたら、車椅子の老婆が看護師に付き添われて近寄ってきた。挨拶したら、尺八の音が聞こえたので、近くで聴きたいとわざわざ2階の病室から降りてきたという。

これには参った。

人前で吹くほどの技量を持っていないことを自覚しているからだ。

ヘタが吹いても尺八の音色には魅力を感じる人がいることを知った。

だったら、ヘタなりに、初めから終わりまで曲が吹けるようにしよう。そう決心した。

病室に戻り、さっそく「薩慈」の暗譜に取り組んだ。

同じようなフレーズの連続で、譜面がなくては、堂々巡りばかりする曲である。

やっとのことで、暗譜に成功。才能があれば、あるいは、若ければどうというほどのことでないのだろうが、しかたがない。

「手向」の出だしの乙ロの大メリは難しいが、これは途中ででてくるので救われる。

別件。

十年振りになるだろうか、NHK囲碁トーナメントの準決勝戦を観た。テレビは90分100円の有料なので、受信料を払って正々堂々と観たことになる。

地デジはきれいである。碁盤の目がはっきりしている。90分100円の課金なら、NHKと契約してもいい。

退院したら、ネット碁をもっと真面目に打とうと決心した。

今日は決心の多い日だ。どうせ三日坊主だからかまわない。

パジャマから普段着に着替える。

そけいヘルニアの手術は、再診に来るのなら、今日退院してもいいことに決められている。家のロフトベッドの登り下りに自信が持てない。体を曲げると痛みが走るのだ。

日毎に痛みが弱くなっている。このまま退院日の8日を待つことにする。その間は、リハビリである。

普段着になれば、歩き方まで、シャンとなる。

(3月4日記)

3月4日夕飯

領土問題 火種を絶やさないご利益

唐突に、日本政府は名も無き小島の名前を発表した。

名前が付けば自分の物になると思っているのか。

子供の頃、お菓子を兄弟同士が先を争ってつばをつけたことを思い出した。つばを先につけたら、自分の物になるというルールである。

無論こんなルールは先につばをつけた側のルールであって、必ずその後に一悶着が起きたものである。

すっかり忘れていたが、この名も無き島で思い出した。

お菓子も領土も人間の立場からみれば、所有という概念では同じである。

案の定、中国と台湾の両方から文句がでてきた。

この二つの国が名も無き島々の存在を知らないはずがない。知っていても、名前を付けることを控えてきたのである。自分たちが付けた名前を公表するメリット・デメリットの天秤で、デメリットの方が下がったためである。

このことは、日本政府にも言える。日本政府が公表したのは、メリットの方が大きいと判断したからである。

メリットの一。

内政で失策続きの民主党政権が、国民の目を内政からそらすため。古今東西、出来の悪い国家権力の奥の手である。

メリットの二。

憲法改定に当たって、戦争ができるような雰囲気を日本国民の間に植えつけるため。抑止力だけを米軍駐留や自衛隊の存在理由にすることに、限界を見たからである。

日本政府は、公表すればどういう態度を中国が取るかは、織り込み済みである。文句がくる。日本国民は、反発する。タイミングをはかって、米軍駐留と自衛隊増強の重要性を国民に訴える。

攻撃は最大の防御というわけだ。

肝心なのは、この見えすいた芝居が日本政府だけでしたてたのではないということだ。事前に中国と台湾の外交部に通知していて、了解を得ているのである。

中国だって、日本憎しということで内政のゴタゴタをガス抜きさせたい。権力者の思惑なんか、こんな物である。

ムキになって話題にすれば、両国政府の思う壺。無視するに限る。

(3月3日記)

入院日記 3月3日 おくやみ欄

排尿時の痛みは、大分軽くなった。朝夕2回の薬が効いた。

まだ、体をよじると痛い。

高齢者だから癒着に時間がかかるのではないかと、回診の時に医師に聞く。年齢にはあまり関係がないそうだ。手術すれば、その箇所の筋肉が硬くなる、その違和感がなくなるまでには2~3か月掛かるとのこと。

手術は成功したのだから、痛みは問題でない。別にいつ何をしなければならないということはないので、こんなものと諦める。

読売と下野を1階の売店で求める。朝の行事になっている。

下野新聞の「おくやみ」に毎日目を通している。

58 63 58 54 94 96 89 89(老衰)
87 79 98(老衰) 65 63 90(老衰)
85 70 78 87 73 89 51 85 
86(老衰) 90(老衰) 73 93(病死)93(病死)
76 100(老衰)76 89 83 78 83 58 
92(病死) 67 57(事故死)
注:他は病死

90前でも老衰があり、90過ぎでも病死がある。

私が今ポックリ逝っても、それこそOne Of Themであることが再確認できて、安心した。

ローカル紙だけかと思ったら、読売にも同じ欄があった。

売店の読売は栃木版である。埼玉版をかれこれ3ヶ月読んでいるが、こういう欄に気が付かなかった。退院したら確認するつもりだ。

昨日で点滴が終わり、あとは抜糸を待つだけ。ヒマである。日光連山を病室から眺めて時間を潰す。

部屋は温かい。温度調整ができる。ときどき換気する。問題は乾燥である。とにかく湿度が低い。昔のホテル泊を思い出して、バスタオルに水を含ませ、暖房排気口に乗せる。2時間もしないうちにカラカラになってしまう。

家人に加湿器を宅配させれば翌日から使えるが、敢えて遠くの病院を選んだ手前、我慢することにした。最低限の支度の中に、次回は加湿器を加えよう。

今日は、土曜日。病院全体がなんとなくのんびりしている。

体温は37.0度。測るごとに下がっている。

付:
・売店には読売新聞と下野新聞とスポーツ紙1紙の計3紙だけ。毎朝、買っていました。新聞はありがたかったです。
・下野、これを見た時、すぐに「しもつけ」と読みました。学校で習った記憶はありません。多分、座頭市か水戸黄門か国定忠治の映画かテレビで覚えたのでしょう。半世紀前でもよく覚えていたことと、愉快になりました。
・3月3日記

3月3日

プーチン圧勝

新聞で勝利が確実であることは知っていた。

6時のラジオニュースで圧勝を聞いた。6割というのは、普通でない。

これが国会議員だけの投票であれば、談合や裏取引で可能であろうが、全ロシア人の有権者によるというのだから普通でない。

6時のラジオで、NHKの論説委員が都市部の不満や言論の不自由を盛んに言っていた。汚職が蔓延しているとも言っていた。そしてこれからプーチンの人気は下がる一方だと結論らしいことを言った。

論説委員は、もっと深く考えなければいけない。

それは、不満や汚職がありながら、なぜ6割の支持が取れたのかという問題に解説が必要であるということである。

言論の不自由は汚職はロシアの特産でない、中国だって、韓国だって、日本だって同じである。権力の乱用・国民にたいしての隠蔽、日本では日常茶飯事である。

私は日本の報道陣は、都会のインテリ層にしか接触していないのではないかと疑っている。

ロシアの田舎に足を運んで、そこで取材するようにすれば、プーチンがなぜ圧勝したのかがわかるだろうし、標準ロシア語を話す都会のインテリ層が支持的に少数派であることも理解できることと思う。

日本のメディアは、圧勝を快く思っていない。だから、アラ探しをする。

中国に対する姿勢でも同じである。何が起きても、悪い方、悪い方と見方を偏向する。

ロシア、中国という大所帯を仕切る指導者が、ヘナヘナ政治家でいいはずがないのである。
日本だからこそ、首換え人形でも首相がつとまるのである。

そういう国のメディアがロシア・中国を報道するから、歪められた解説になる。

私は、話半分に聞いている。告白すれば、日本の報道は半分どころか2割も信用していない。言論に自由が保証されていながら、タテマエや立場を優先しているからである。

付:
3月5日記

原発事故 あの時何が

病室はテレビが備わっている。90分100円の有料である。

新聞の番組表を見たら、今夜9時にNHKスペシャルがあった。福島原発事故の特集である。

地デジの映像の良さに驚いた。廃墟と化した町の様子がはっきり映っていた。津波に襲われた地域が、どこもほとんど同じ姿であることは、新聞社発行の写真集で知っている。

津波の被害は回復が早いが、原発事故の被害は尾を引くと前に書いたが、その通りであった。

消防団長、看護師、町長など取材が取りやすい人々のインタビューで構成されている。

脱原発の菅直人さんや官僚の登場もあった。このグループは反省の言葉である。

終わりまで観て、非常に安易なスペシャルというのが私の印象である。

この程度なら、東電や東電を支えている財界企業からの広告収入を諦めれば、民放でも楽に制作できる内容である。もっとも、諦めたら倒産する民放にはできないのだから、さすがNHKと言えないこともない。

この1時間番組を観ている間、ずっと思っていたことは、太平洋戦争の時代と政府・官僚の体質は少しも変わっていないということである。

場当たり的な対応で処理できないような深刻な事態を想定しようとしなかったこと、深刻な事態に直面しても臨機応変に対処できないこと、そして、苦しむのは、常に平民であること、これらの点でも少しも変わっていないのである。

もう一つ、忘れてはならないのは、報道の脆弱さである。

メディアが権力側を常日頃甘やかしているから、権力側に、それは政治家であり官僚であるが、緊張感がないのである。

津波に襲われても、原発は安全なのか、震度いくつ以上になると危険なのか、そういう確認を政府・官僚に求めて来なかった。政府内部には様々なシミュレーションができていた。それの公表を迫らなかったメディアの罪は非常に重い。

何から何まで穏便に事を運ぼうとし、また運ばれることを夢想し、できる限り一般市民には知らさないでおこうという体質の権力に対抗できるのは、メディアしかないのである。

起きてから検証するのは、いつも言っているように、大学のケース・スタディである。

一般市民が、知らされない、あるいは気付いていない重大な隠蔽を、市民に代わって、暴くのがメディアである。その感性と知力が備わっているからこそメディアである。

このスペシャルの収穫は、NHKが原発事故を特集したことである。

番組は、「それでもあなたは原発を存続させますか」と視聴者に向かって問いかけている。

NHKは大分変わってきた。もうひと頑張りして欲しい。NHKは、ノブリス・オブリージュがあるのだ。

付:
NHK3月3日。3月3日記。

被災地の老小漁師

「息子に大借金残せない」

とても賢い選択である。

国や県があの手この手でカネを貸す、あるいはカネを与える。

全額を国や県が持ってくれるのなら、やってもいいが、一部でも借金をするとなれば、何十年の長期にわたって返済が続く。

それを、息子の代に及ぼしたくないということである。

宮城、岩手、福島の商工業者2万7千のうち2割が休廃業を決めたという。

これを私は賢明な選択というのである。

~~~~~~~

AIJのことが編集手帳に載っていた。私の考えと離れているので、ついでに書いてみた。

顧客を騙し続けたAIJを海賊に例えている。

有り金が、いつのまにやら、蒸発する・・・の頭文字と揶揄している。ダジャレの一歩手前が面白い。

末文はこうなっている。

◆委託したのは、多くが中小企業で働く人だという。波静かな海辺で人生の夕映えを迎えるために、一粒いくらという汗を額に浮かべて工面してきたお金を、跡形のなく食い散らかす。酷い海賊がいる。

ダジャレの後は美文調である。

これからは私の意見。

そもそも海賊に酷いも優しいもない。商船や客船を襲撃するとき、「これはかわいそうだから止めとこ」なんていう海賊の頭領はカリブ海にはいない。いたら、すぐに部下の反乱を招く。

額に汗も気に入って表現だが、それなら、なんでまた投資会社になんかカネを任せたのか、無知であるか欲ボケである。額に汗までは結構だがその後が無知と欲ボケでは締まらない。

編集手帳は、「信じた私がバカだった」で括って欲しかった。これほどどぎつい言葉をいわなければ、今の海賊(金融資本主義)には太刀打ちできないのである。

付:
・読売新聞 3月1日
・3月1日記

市長、公費で大臣に高級食品を贈る。

これだけでは、お隣の大国のことだと思う日本人がいると思う。

そうでない。

河瀬敦賀市長である。大臣は原発相ら国会議員11名である。1万円の越前ガニを歳暮として届けた。

ケチな男である。

全部で11万円の歳暮を、公金でまかなうのだからケチな男である。

こんな男を市長に選んでいるのだから、原発ムラの選挙民の公民レベルが知れるというものだ。

敦賀原発に反対している住民の税金をよくも使えたものだ。

「市としてある程度原発を維持したいという思いは伝えてあるが、配慮してくれという意味ではない。法的に問題はないが、不適切との意見があれば、よく検討したい」

これが市長の発言である。

法律に問題はない、経済に悪影響を及ぼす、こんなことで原発を存続させるというのだから、FUKUSHIMAは憐れである。

付:
・下野新聞 3月1日 
・3月1日記

AIJ 欲が道連れ

AIJ関係者はケイマン諸島、香港経由で日本国内の先物取引をしていたと証券取引等監視委員会に説明した。

AIJがどういうポリシーでどういう商売をやろうが、勝手である。

この商売に無理やり引っ張り込んだのならば、新宿の暴力バーとかわらないが、そんなことはなかった。

顧客は、年5.5%の利回りに目が眩んだのである。新興国は元の数字が低いので、5%や10%のリターンが現実にある。それと先物商品取引をAIJの顧客はいたのではないか。

いや、そうではない。先物商品取引が大博打であることは曲がりなりにもプロである企業年金運用担当者が知らないはずがない。

「おっかしいなぁ」と思っても実際に配当金が自分の口座に振り込まれれば、敢えて詮索しなかったのである。

実態を知ろうとする勇気がなかったのである。臆病だったのである。

無論、その上司や幹部もおなじ臆病に罹っていたのである。

資金運営など額に汗を流して集めたカネとは無縁でなければならない。集まったカネの範囲でできることをやらなかったツケが企業年金に回ってきただけのことである。

企業年金の喪失はだれかがそれだけ儲けたのだ。それが誰だったかを追っていけば、資本主義の横暴が分かってくる。

横暴とは私の側であって、儲ける側にしてみればこれほどいい経済制度はない、マネーがマネーを産んでくれるのだから。

付:
・下野新聞 3月1日
・3月1日記。後のニュースで天下り役人の天国であることを知りました。犯罪の陰に高給役人あり(3月12日追)

入院日記(4) 3月1日 手術の翌日

昨夜は腰痛に悩まされた。仰向けでも横向きでも、腰に鈍痛があり、手術の箇所も痛む。

夜は、2時間おきに看護師が見回りにきてくれる。最初、痛いのは当たり前、三国志の英雄なんか麻酔なしで矢を抜かせ、その間に碁を打ったというではないか、彼も人なり、我も人なり。

我慢していたが、耐えられず、腰にバスタオルを当ててもらう。それでも鈍痛は消えない。何回目かの見回りの時、ついに薬の助けを訴えた。注射か座薬のどちらにしますかときかれたので、尻を見せるのは恥ずかしいが注射の痛さよりましと、座薬を尻に入れてもらう。

あら不思議、次第に痛みが消えて、明け方には夢は見たが熟睡はできた。

29日は一日雪だった。入院が28日で助かった。今朝、起きて窓から外をみたら、駐車場の車の屋根にわずかに残っているだけだった。雪が降ろうが嵐が来ようが、こちらはすでに総合病院の宿泊客だ。何があっても困らない。

少し、得した気分になった。

~~~~~~~

午前中は、尿の出が、2秒、それから10秒の休み、また2秒。これを10回以上繰り返した。

排尿の感覚がないのである。

午後になって、10秒から15秒位に伸びた。休みは1回だけ。

機能回復に進んでいるとのこと。

点滴は午後でお終い。

後は、下剤と抗生物質の薬を飲むだけでいい。

ベッドから降りる時、手術した箇所が痛む。それでも無痛を0として激痛を5とすれば、昨夜の3から2になったような感じがする。

記:
・尻は二度目です。手術当日、浣腸がありました。看護師が「これから浣腸をします」と言うのを聞いて、「えええっ」、「浣腸をしたことがありますか」、「ありません」。若い頃読んだその筋の作家のSM小説を思い出しました。経験して初めて、「ああ、こういうことだったのか」と分かりました。
・3月1日記

2月29日病室から


読売新聞 社説vs世論調査

世論調査だけなら面白くない。社説だけでも面白くない。

一つの新聞社の同じ日の新聞に両方がでると、これは面白くなる。

先ず世論調査の方。

◆原発事故収束
順調 13%
順調でない 83%

◆原発事故の健康被害
心配 66%
心配していない 33%

◆健康被害に関する政府説明
信頼できる 13%
信頼できない 81%

◆今後の原発
増やす 2%
減らす 53%
震災前と同じくらい 15%
すべてなくす 24%

最後の質問は、「大震災が起きる前、日本の電力の3割近くは原子力発電でまかなっていました。今後、国内の原子力発電の割合をどうするのがよいとおもいますか」である。

これが、誘導質問であることは明白である。3割でなく、3分であれば、なくなってもこの程度だからいいだろうと考えるだろう。3割となれば、これは大変なことだと世論が気づき、原発存続に○をつけるだろう。こんな希望的観測が込められている質問である。

本音を言えば、「大震災が起きる前、日本の電力の3割近くは原子力発電でまかなっていました。原発がなくなると皆さんは不幸になります。今後、国内の原子力発電の割合をどうするのがよいと思いますか」こうしたかったのだ。

さすがに、これではミエミエになるものだから、我慢して控えたということである。

こういう世論調査が東日本大震災1年の特別面に載っている一方、社説は、「原発再稼働で『電力不況』防げ」である。

やたらに数字をあげて深刻さをアピールする手法で原発復活の必要性を訴えているが、全然迫力がない。

原発は生活必需品ではない。この視点がまったく欠けている社説である。

読売新聞の社としての姿勢であるから、外部がとやかくいう筋合いのものでない。

自社の世論調査の結果をみれば、有権者の77%を敵に回すことになるのをわかっていながら、原発再開を政府に進言したということになる。


読売新聞は日本一の購読者数である。有権者の77%を敵に回すことは、購読者の77%を敵に回すことと同じではないのか。

敵に回すという意識がなく、単に原発に偏見を抱いている購読者にたいして、啓蒙しようとしたのではないか。

読売の購読者が社説によって目が覚めれば、反原発・脱原発の機運が衰える、他社の世論調査の結果に好結果をもたらすのではないか。

私はこの幻想が面白いのである。

記:
読売新聞3月3日
・私は社会派社会部と企業派政治部の内部抗争ではないかと疑っています。
・3月3日記

瓦礫の行方 福島原発の半径5キロ圏内

瓦礫の処理がなかなか進んでいない。

近くで火事があった。見舞いに行く。不足するものがあれば、届ける。使っていない部屋があれば、しばらくは泊まってもらう。

人情である。

しかし、火事場の焼けた柱や冷蔵庫、テレビ、ベッドなどは、いかに自分の庭が広くても、どうぞお持ちくださいとはいわない。

これが人情の限界である。

この限界を周りで冷たいとか無関心とか言うのは、周りが間違っている。周りが当事者になれば、同じような態度にでるに決まっているからである。

被災地の瓦礫の処理が遅々として進まない。

他県がなかなか引き受けてくれないからである。

これは当然のことである。

県の職員を派遣したり、備蓄食料を提供するまでで、他県の善意は十分である。それ以上を、他県に求めるのは傲慢である。被災地の被害者意識過剰シンドロームである。

ならば瓦礫をどうすればいいのか。

海に沈めるか。瓦礫が言葉通りの瓦礫なら沈むが、多くは廃材やプラスチックである。漂流する。沈んだ瓦礫だって、海洋汚染の元になるし、そもそも世界が許すまい。

答え。

福島原発を瓦礫で埋める。これである。

半径5キロ圏内は、今後30年は生き物が住めるところではない。鳥は放射能の被害に気が付かないから近づくかもしれないが、鳥をそれで無知と非難することはできない。

奇形のヒナが続々産まれても、原発推進派の人間をあの世で裁くのがせいぜいである。可哀想だが、仕方がない。

ヒトは違う。

これだけ原発の不幸に見舞われて、まだ無知でいられる訳がない。

双葉町や浪江町の住民は戻ることができない現実を認めることである。認めたくないのは感情であって、心の中ではもう戻れないと思っているのである。

それを、野田政府が原発の再稼働を推進するために、戻れるかのような幻想を振りまく。住民の心が揺らぐ。行こか、戻ろか、迷う。行くグループと戻るグループが睨み合う。

住民の意向がまとまらないのは当たり前で、待っていては何もできない。

現実は使い物にならない土地である。使用価値も交換価値もない土地になってしまった。

唯一役に立つのはごみ処理の場としてである。

どうやっても住民の半分に不満は残る。この際、思い切って、原発5キロ圏内を瓦礫で埋めて、東電原発を平成新山にすると決める。

東北3県の瓦礫は放射能が低いはずである。あったとしても、原発周辺の放射能から比べれば問題にならないほど低い。

数千万トンの瓦礫があれば、築山ができる。

雨が降り、雪が降り、炎天が続き、風が吹く。瓦礫の中の廃材が朽ちて、そこに風に乗って運ばれた木や草の種が落ちる。鳥の糞も種を運ぶ。

3年も経てば、瓦礫の山鹿うっすらと緑に覆われる。10年経てば、数ミリの土ができる。30年後には、木々が認められるようになる。

そして、百年後。原発推進派が平成時代にいたことさえ忘却の彼方だ。

次の総理大臣は、これくらいの知恵は持ちあわせているはずである。おバカ総理の連続はコリゴリである。

付:
・半径5キロは、これが10キロでもいいです。瓦礫処理と東電原発廃炉の一挙両得を実行せよと言いたいのです。
・政府や県は、住民の声を聞くといいいますが、リーダーシップを発揮できないだけのことです。つまり、瓦礫処理が遅々として進まないのは、住民のせいにしたいというわけです。

・30年間は日本の領土であって領土でないと宣言すべき所を政府は原発かわいさで、そうしません。20年か40年か、一昔30年がいい区切りなのでここでは30年としています。

・沖縄の米軍基地も同列です。沖縄の不幸には同情しても、米軍基地を自県で引き受けません。人情です。だから、海外移転が唯一の解決策だと私は言っているのです。他県の政治家が海外移転を進めないとすれば、それは、日本人として恥です。絆なんか口先だけの政治家です。

低能の全力は腹三分 野田首相

野田首相が復旧・復興に全力をあげると繰り返して国民に語っている。

彼はエヘラエヘラして言っているのではない。心の底からそう言っているのである。

惜しいいかな、心に能力がついていかないのである。

例えば、囲碁。

アマが全知全能をかけて詰碁に挑む。延100時間を掛けてようやく解く。
プロに見せる。一目で解く。その時間、わずか3秒。

アマとプロの違いとはこういうものである。

翻って、政治。

野田首相は政治のプロである。

首相を任せられて、どのくらい経過したのか定かでないが、その間、全力を注いで復興にあたったのは事実である。
それは、彼の無能、低能の証明でもある。

時々刻々変化する環境、例えば、戦争に向かっているのではない。3.11以降、staticな状況(静的環境)が続いている。

相手が変化するのであれば、機敏性を必要とするが、今の日本はそうではない。

物事を自分のペースで順序立てて実行できる環境なのである。

それなのに、この体たらくである。

無能・低能がいくら全力を出してもらっても、事は一向に解決しない。

私は、再々確認した。

付:
原発再稼働に向けて野田首相は全力をあげるそうです。彼の全力は3分ですから、原発立地の皆さん、少しも心配はありません。貧乏神にたぶらかせられないように。

FC2Ad