老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

入院します

明日から1週間の予定で入院します。

そけいヘルニアの手術のためです。

どうせ何かの病名で死ぬのだから、放置しておくつもりでいました。

しかし、腸が破裂すると、七転八倒の苦しみが来るとのこと。

死ぬのはかまいませんが、痛いのは嫌です。

それで、思い切って、病院にいくことにしました。

のんびりできるかもしれません。

森のリッキー

のんびりした土曜日

起きたら小雨。静かな一日の始まりです。

先ずは、昨日のギターのおさらい。第5弦のドと第2弦のド(ハ長調)を一度に押さえられません。イライラする自分に気がついて、これでまたイライラしました。

ということで、手も疲れたので、尺八の練習。YouTubeで見た虚無僧尺八の真似をして、不動の姿勢で2尺7寸管を吹きました。

とてもいい雰囲気です。フルート演奏でよく見る、体をよじったり、首を振ったりするのは尺八にそぐわないような気がしてきました。

しばらくは、直立不動、いや正坐不動で吹くことにしました。

ふと、思ったのですが、アメリカとイスラエルは、親分がイスラエルで子分がアメリカではないでしょうか。私は、アメリカが親分でイスラエルはその用心棒とばかり思ってきました。

イラン空爆は、イスラエルがやると決めたら、アメリカは何も言えないと思います。

イスラエルにとって、イランの核開発は、朝鮮のそれとは比較にならないほど深刻でしょう。

もう一歩で完成という段階まで待って、一気に空爆するような気がしています。

囲碁の地荒らしから連想しました。

0202雪と枝

ギター稽古、初日

カルリのワルツ。

開放弦の次に習うもののようです。24小節ですが、実質的にはその半分。譜面上ではとてもやさしいです。でも自分で弾くと、高い方の隣の弦に指があたって、ビビビビ、なんとも不愉快でなりません。

楽器が悪いためと思って、先生に弾いてもらったら、まったく問題なし。

そう言えば、下手なゴルファーほどクラブを買い換えるそうな。

押さえる指は立てる、これに集中することにしました。

0110粟ケ崎のモモとメリー

国会はがれきの山です

語るに落ちる、こんな状態が続いています。

日銀は日銀で、デフレ対策などと体裁のいいこと言って。お札をばらまくのは、円安が目的でしょうが。

きれいな海を見て、平常心を取り戻しましょう。私の独り言です。

2009年8月

島はカヤック遊び

震災の後、カヤック遊びを島で見かけなくなりました。

初夏から秋まで、透明な海に浮かんだカヤックは一幅の絵です。

喪に服す期間は3月を区切りとし、それからはまたそれぞれの人生を楽しんではいかがでしょうか。

他人の不幸、自分の幸福。明日は他人の幸福、自分の不幸になるかもしれません。生あるうちに生を楽しめ。古人の言葉です。

今年は、のんびりとパドルを操っているカヤック愛好者を陸から眺められるような夏になって欲しいものです。

写真は2009年8月の粟ヶ崎。私の好きなゲレンデです。

2009年8月

私の都会、私の田舎(13) デジタルカメラ

都会はすっかり春の陽気。日差しが強くて、家の中でくすぶっているのがもったいないです。

午後3時過ぎには散歩に出かけることにしています。

田舎にいた時とだいたい同じような時刻です。

違うのはヤギのメリーがいないことと、モモにリードをつけていることです。

寂しいことは寂しいのですが、とてもよい所に預かってもらっていますから、安心しています。

その他に違いといえば、デジカメを持参しなくなったことです。

都会は写すものがないのです。2~3回、街並みを撮っただけで飽きてしまいました。

田舎は、晴天、曇天、雨天、荒天、どんな天気でも写真になります。一日の中でさえ、午前と午後とでは雰囲気が違います。

同じような写真になることが分かっていても、バチバチ撮ってしまいます。

散歩の後、どんな写真になっているか、パソコンに取り入れるのも楽園の楽しみの一つでした。

こうして、総集編のために過去の写真を追っていくと、デジカメの威力を改めて感じます。

手元にあるデジカメは2代目の500メガ、壊れたらお終い。これが私の最後のカメラとなるでしょう。

付:
・都会の被写体は人物です。これはバラエティーに富んでいます。大きく載せて、その人の過去や未来を推量する文を付けたいのですが、掲載には承諾が必要です。諦めています。

・3月11日の週には、私の田舎の被災写真を再掲するつもりです。

・いつのものか更新が続いて、記録がありません。リッキーが来てから1年経っていないはず。ならば、6~7年前ですか。

b.jpg

船中八策 北大教授山口二郎

山口教授によりますと、この船中八策はたいそう悪いそうです。

船中八策は、とてもよく練られたマニフェストです。私はこう思っているのですが、それが間違いだと言うのです。

「理論や思想のない政策は無意味、さらには有害であると言いたい」

「彼は要するに、奇をてらって目立つこと以外に、関心はないようである」

「掛け捨て年金、地方交付税の廃止など既存の制度を否定する過激な議論である。しかし、その内容について真面目に検討したとは思えない」

「中学生の作文程度の『政策』を大真面目に取り上げ、これが日本の閉塞を打破するかのように取り上げるメディア、特にテレビも、奇をてらって目立つこと以外に関心がない連中である」

「現状を否定しさえすれば状況が好転するという幻想をふりまき、国民が飛びつくならば、困るのは国民自身である」

「『八策』の発表を機に、まじめな政策論議を取り戻す必要がある」

ご覧の通り、コテンコテンにやっつけています。黙って読むと、なんだか胸がスカっとするような気分になります。

気分はその位にしておきましょう。

「理論や思想のない政策は無意味、さらには有害であると言いたい」

理論や思想のない政策は、この世の中にはありません。どんな政策にも、それを策定した個人あるいは集団の、個人あるいは集団としての理論と思想はあるものです。それが、勇気であるか狂気であるかは、部外者からの評価次第であります。

八策には理論も思想も備わっています。それが山口教授の価値観に合っていないというだけのことです。理論や思想のない政策は無意味という言い方は、実のところ文章であって文章でないお手本です。まさに、無意味であります。

「彼は要するに、奇をてらって目立つこと以外に、関心はないようである」

橋下さんが大阪でやってきたこと、そして今やっていることを、この山口教授、お知りでない様子。奇をてらって目立つだけでしたら、新大阪駅の構内で逆立ち歩きをすればいいでしょう。今なら道頓堀川に飛び込んでもいい。なんだったら、手品のいくつかを仕入れて、朝礼の時に披露してもいいです。

大阪知事から敢えて市長に自ら格下げをすることはありませんでした。これを「奇」というのでしたら、「奇貨」と私はまぜっかえしましょう。

「関心はないようである」とのお言葉ですが、山口教授ご自身に関心が向けられていないだけでしょう。

「~過激な議論である。しかし、その内容について真面目に検討したとは思えない」

北海道の原野でキタキツネと仲良く静かに暮らしている山口教授には、浪花の気迫を過激と表現するのですか。そう言われても、どこが過激なのか、私にはわかりません。是非ご指摘をいただきたいところです。

真面目といいますが、自分の考え以外を不真面目というような態度で講義をするようでしたら、学生が可哀想。単位を取るには、山口教授のご意向に従ってレポートを書かなければいけないでしょうから。可哀想というより不幸でしょうね。国立大学の税金が惜しいと思いませんか。

「中学生の作文程度の『政策』を大真面目に取り上げ、これが日本の閉塞を打破するかのように取り上げるメディア、特にテレビも、奇をてらって目立つこと以外に関心がない連中である」

これは故意にか無邪気にか、この山口教授の思考回路が私の推測する範囲外にあるので、わかりませんが、二つの事を混同しています。

一つは、「中学生の作文程度」です。

日本の義務教育は6・3制が敷かれて以降、今日に於いても小・中学の9年です。この間に学ぶことで、社会人として日本国土で生涯を全うできる能力が備えられます。

読み、書き、そろばんの時代から日本の教育水準が高いのは、この基礎教育の充実にありました。

政策は作文ではありません。政策は中身です。中身を民衆に理解してもらうために作文があるのです。

東大の国語の入試問題をご覧になったことがあるでしょうか。難解です。中卒で理解できる人はまずいません。理解できる志願者だけ合格させ、理解できなければ不合格にすればいいだけの大学と政治家は全く別物です。政治家は民衆に自分たちの主義主張を分かってもらわなければなりません。

高卒、大卒だって、全員が国語の優等生ではありません。中学程度の表現がいいのです。私は、八策を一目見ただけで橋下さんの主義主張が分かりました。

大学教授ともあろう山口さんが、理解できないとは驚きです。

もう一つは「特にテレビ」です。

どんな番組を観て「奇をてらって」というのか、知りませんが、奇でありさえすればテレビは船中八策でなくてもいいのです。オーム真理教でもいいし、毒殺疑惑でもいいし、有名タレントの離婚でもいいし、世界一高価な金メダルでもいいのです。奇であれば奇であるほど、テレビは喜んで番組にします。正義や倫理は奇の前では無力です。
山口教授は、こんな常識さえ知らないというのですから、やはりキタキツネの世界ですね。

とにかく、船中八策は奇であるかもしれませんが、それとテレビがちやほやしているということとは別です。

だんだん面倒臭くなってきましたので、ここらでやめますが、「現状を否定する」現状とは政官業学労の馴れ合いという現状のことです。この現状を否定して困るのは、私ではありません。山口教授、あなたです。

付:
・国民という漠然とした集団にかこつけるとは卑怯なり。
・賢いキタキツネのこと、聴講生にはならないでしょうな。
・私が中学程度としばしば使うのは、論理性(論理の飛躍)に対してです。山口教授と混同なさらないでください。
・船中八策と同等の作文を書く中学生を是非紹介してもらいたいと思います。北大付属中学にわんさといるのでしょうかね。

私の都会、私の田舎(12) 快適なロフトベッド

田舎は普通のベッド。

食後は、朝を除いて、すぐにごろりと横になります。この20分か30分の心地よさは、喩えようがありません。

都会に戻ってもこのすぐにゴロリが忘れられず、ベッドを寝床としました。それも、ロフトベッド。

寝る時は、暖房機器からの温風で天井近くの温度は相当高くなっています。天井の上の屋根裏の空間の空気もかなりの温度になっているでしょう。

深夜、屋根からの冷気がこの空気で緩和されます。

田舎では電気毛布の世話になりっぱなしでしたが、今は夜明け前でもほとんど通電しなくて済みます。

ロフトベッドの長所はこれだけではありません。

ベッドの下の空間が重宝するのです。一応キンカ堂の綿布を掛けています。掲げればびっくりの乱雑振りです。
すだれを掲げで望月を望むなんていう風流はありません。

ベッドに横になると、カプセルホテル。負けマージャンで気がついたら終電過ぎ。やむなくカプセルホテル行き。翌日はそのままのワイシャツと臭い靴下とよれたネクタイで出社。よく首にならなかったなぁ。

電気スタンドも取り付けたし・・・

私の倍以上喜んだのがリッキーです。ヒマさえあれば飛び上がって昼寝。夜は私の寝苦しさを気にせず、陣取ります。ふとんの中に潜り込みたいときは、私の頭や鼻をペロペロ、いえザラザラ舐めます。

しかし、このロフトベッド、いいこと尽くめではありません。

リッキーはピョンピョンと2段飛びで上がれますが、私は鉄製のはしごを使います。登る時は平気ですが、朝、降りる時はいい加減にはできません。足を滑らせたら、一巻の終わりになりかねないからです。堅い碁盤や尖った譜面台などは真下に置かないようにしていますが、あと何年、登り下りができるやら。

付:
このロフトベッド、20年以上も、分解した状態で部屋の壁に立てかけられていました。塗装がしっかりしているためでしょうか鉄パイプは少しもサビがでていませんでした。内ゲバで使った鉄パイプは、とっくに鉄クズとなって、どこかの自動車の車体になっているのだろうなぁ。(私が使ったのではありません。写真でみた全学連のパイプです)

0216ロフトベッド

天皇陛下から激励の男性から天皇陛下へ 丸田稔之

「被害者の心の支え。これからも元気な姿をみせていただきたい」
「多忙で心労も重なったのだろうか」
「陛下はご高齢。しばらく休んでいいただき、早く普通の生活に戻るように祈っている」
「激励に来られたのに、悲しみを伝えるのは申し訳ない」

被災地の一老人(72)の言葉です。

皆さん、どうお感じになられますか。

私は長年サラリーマンをやりましたが、上司に向かって一度もこのような言い方はしませんでした。人に伝えてもらうときでも、同じです。「しません」というより、目上に向かっては最初からそういう言い方が頭にないのです。

この男性は、不遜です。何も天皇陛下だからというのではありません。世間では通用しません。

ここで一つ疑問が湧きます。

この老人は果たしてこのような言い方を実際に記者にしたのだろか。これです。72歳といえば、私と同じ歳。人間国宝級ならともかく無職。信じられません。

これは新聞社に問題があったのです。インタビューをした記者の原稿が拙劣であることは仕方がないとしても、入社1年に満たないかもしれませんし、入社30年でもまともな日本語が使えない記者かもしれませんね、それをチェックした上司が悪いのです。

正しい日本語が使えないままエスカレートに乗った上司か、機会があればけなしてやろうと構えている天皇制反対論者の上司か、そのどちらかしか、私には想像できません。

72歳の男性の名前は伏せておきます。

しかし、署名入りの記事ですから、今後のこともあるので、記者の名前をタイトルに入れました。

記:

・東京新聞 2月19日
・同じ日付の「筆洗」は名文です。東京新聞の名誉のために記します。
・今日も「新しい国語力は新聞から」斎藤孝さんに聞くのチラシが入っていました。小学生に新聞を読ませる前に、新聞記者に綴方教室でも開いたらいかが、斎藤文学部教授さん。

ブログ考(3) ロバの耳

私のブログは、穴の底に向かって大声で叫ぶ代わりをしています。

文化人が眉をひそめる言い方をよして、文化人が気持ちよく読めるような言葉と文章は使おうと思えば使えます。

しかし、文化人に喜んでもらうつもりがないので、その時の気分で書いてきました。

「日本アカデメイア」

日本の政界、官界、経済界、学会、労働組合などをつないで日本再生に向けたリーダーを育成するための集団とのこと。

政官業学労、さんざん日本を不幸にしてきた連中が、「よく言うよ」。

アカデメイアなんて舌がもつれるような名称もいかにも文化人です。

おためごかしで、メディアをたぶらかして、庶民を啓蒙するつもりでしょうが、通用しませんね。

お題目集団がひとつ増えただけのことです。

護憲団体のお経読み、核廃絶団体のお経読み、文化人のサロンは花ざかり。

付:

3.11の地盤沈下で、楽園の姿は変わってしまいました。いつ隆起して元に戻ることやら。私は二度と同じ写真は撮れないでしょう。それで、これまでアップ・ロードした写真を逐次再掲することにしました。総集編というわけです。

s-2010年6月

ブログ考(2) 私のブログは日誌の代用

書き写しは現役時代から好きでした。

タイム誌の記事を日本能率協会のダイアリーに写したものです。モンブランとペリカンをその日の気分で使い分けていました。

隠居近くからは、史記やシェイクスピアが主流になって、タイム誌は購読更新の時に終わりました。

ラムやギッシングもしばしば書き写しました。通奏低音としては、徒然草です。

55歳。時間を気にする必要がなくなって、書き写しは増える一方。ダイアリーでは容量オーバーになりました。

だいぶ後になってブログの存在を知りました。これなら、いくらでも写せます。

私がブログを始めた動機のひとつは日誌代わりに使えることです。


付:

・ネットにコピー&ペイストなる機能があることを知りました。以後は、本から写していません。

・迷ってこのブログを開いてしまった新しいお客さまのために、私の楽園の写真を添付しました。これは2009年8月撮影。逐次再掲する予定です。右クリックで開いてください。

・今年から再びダイアリーを使っています。日本能率協会のものでなくダイゴーのものです。糸とじでとても使いやすい。中身はほとんど一緒。どちらかがパクリをしたのでしょうか。あるいは、談合したのでしょうか。不満は表紙に「平成23年」がないこと。よく見たら、中のカレンダーにも年間スケジュールにもありません。

2009年8月

ブログ考(1) 私のブログはアルバムです

私は、最後の数日間を、二つに分けています。

意識がある3日間と意識がなくなった3日間です。

意識のある3日間は、私の楽園の写真を眺めるのに使います。

デジカメが流行し、130万画素がようやく年金暮らし者にも手が届くようになった時から始めました。

バチバチ撮ります。どんどんパソコンに取り込みます。

膨大な写真がハード・ディスクに収められました。

ところがその本体であるパソコンがしばしばダウン。それまでの記録写真が全部パー。

島のパソコン先輩が、ブログがあることを教えてくれました。

これなら、自分のパソコンが壊れても、残る。しかも、タダときている。こんなありがたいことはない。

数年に一度は故障するパソコンに気楽に相手ができるようになりました。

3月11日の震災にも私の記録写真はびくともしませんでした。

最後の3日間も待つまでもなく、今、毎日のように楽園の写真を開いています。

3月になったら、高画質ペーパーに印刷するつもりです。

ブログを始めた最大の動機は、この写真アルバムにありました。

意識のなくなった3日間は、すでに紹介させていただきました曲目の鑑賞です。

これも最後の3日を待つまでもなく、BGMとして予行演習をしています。

付:

天下泰平。一服して、昨年から宿題になっていましたブログ考を済ませたいと思います。

二胡と尺八

どんよりとした空。暖かな部屋。

コーヒーの気怠い香りがただよっています。

こういう日は、のんびり家の中にいるのが一番です。

原発、民主、日銀、外交、裁判、橋下、NHK、護憲、学者、評論家、書き尽くした観がいたします。

世間の常識を私の非常識でめった切りにしたことで、心も頭もスッキリ、ハッキリ。

一日の幕開けです。

午前の部。

こういう精神状態の時はなにをやってもうまくいくものです。碁を打てば、5連勝は堅い。しかし、80歳、90歳の子守りにこの貴重な時間を充てるのはもったいないことです。

ここは、芸の道、尺八を吹きました。

2尺7寸管。吹けば吹くほど、落ち込んで行くのが自分でもよくわかります。荒涼とした原野を一人歩いている。風は強いのですが、音がありません。

とぼとぼ歩いて行くと、大きな門が現れました。地獄です。ここでおもむろに尺八を取り出し、吹きます。門は、軋みながらゆっくり開きました。

この世との別れです。

世間のおバカちゃん連中ともお別れです。せいせいはしますが、でも、なんとなく気分が優れません。

そのまま、昼食と昼寝。

午後の部。

レンタルCDで二胡を聴きました。

ポルタメントのオンパレード、リストの超絶技法でも絶対に出せない音色。

ユニット畳の上に再び横になり、目を閉じます。

すると、あら不思議、私が15歳の貴公子に戻ったような気分になったのです。

そして瞬く間に、色彩豊かな中国の庭園に魂が移動しました。池があって、船が浮かんでいます。美しく着飾った大勢の若い女官が私の周りに侍って、世話をしてくれています。

時は春。春爛漫。春風駘蕩。

えも言われぬ香、柔らかな光、遠くの楽の音。

私は、出島の亭で、うたた寝をしています。

ああ、なんとこの世は楽しいことか。

いつもなら、ここで一つ二つオチかケチをつけて締めるところですが、今日の私はとても素直になっています。

邯鄲の夢をもじったと嘲笑されそうですが、気になりません。

尺八のあとに二胡。

順番も良かったです。

付:
・尺八「門開曲」、二胡「長相思」

s-0216モモ

私の都会、私の田舎(11) 防災備蓄・・・怖い錯覚

わたしの田舎には空がある。海もある(出だしが平凡だなぁ)。ないのはスーパー、コンビニ。

私の都会には、よくこれで売上不振閉店セールがでないものと不思議に思うほど、スーパーがある。コンビニは数知れず、宅配の依頼以外には行かないが、コンビニ1店でさえ私の田舎の総戸数の総在庫数より多いのではないか。

まして、スーパーときたら、胃袋があと3つあってもいいと思うほどで、メリーがうらやましい。

いざという時、田舎では食料その他が手に入らないことが目視できる。そもそもコンビニがないのだ。否が応でも、定期的に在庫を更新しなければ大変なことになることを実感する。

ここ都会では、どこのスーパーに行っても、物が豊富で、大きな荷車(カートというのか)に食料を満載し、愛車の間を3往復すれば、3週間のサバイバルは約束される。

何も自宅をスーパーの陳列棚にすることもなかろう。田舎の空間はタダだが、都会の空間は有料だ。

待てよ。

確かにスーパーには売るほど品物は豊富だ。賞味期限間近な食料など探しても探せない。回転が早い。ということは、買い手もそれだけ大勢いるということだ。

大地震が来た時、私が愛車ジムニーを駆って、スーパーに行き、荷車を3往復するなら、その他大勢も自分の愛車を駆ってそうするはずだ。私は、One Of Them。

これでは、いくらスーパーの倉庫に在庫があっても、瞬時に店頭から物が消えてしまう。田舎の人口500人と都会の人口20万人では、食べ物を入れる口の比が400倍。個体の胃袋の容量だって、平均年令70歳の田舎と平均年齢30歳の都会では倍は違う。実質的食料需要は100倍になんなんとするだろう。

3月11日。

この日の大地震を前日の私は予見できなかた。当日になっても、立っていられなくなるまで、予見できなかった。

時空を計算尺でスライドさせれば、明日が次の3月11日かもわからない。

何でも揃っているスーパーは、他人のものであって、自分のものではない。

都会人から見れば、ばかばかしいほど当たり前の事実であろう。

浦島太郎に改名してから、かれこれ100日。

都会は物が豊富。これが錯覚であることに気がついたのはつい最近である。

明日が次の3月11日でないことを祈っている。

怖い錯覚に気づいた私は、明日にでもスーパーにいって、自分の物を確保したいからである。

付:

・家人が飲料水から卓上ガスボンベまで、2週間分はすでに蓄えてあります。

・缶詰は魚が主体です。味付きは避けるように田舎から家人に指示してあります。味噌でも醤油でも、味付きは、3食、続けて食べられたものではありません。飢えたらなんでもいいというのは、理屈です。みなさん、水煮が一番です。次がオイル。味付きは野菜がたっぷり使えない時は、単品では胃がおかしくなります。それに、自分で持つことはありません。救援物資は全部味付きでした。

・田舎の人口は当たらずといえども遠からずです。都会の人口は、市と隣接地域を合わせればこんな数という大雑把な数です。私は、厚労省役人ではありません。

橋下 この指、さ~われ

有料の塾を開くという。

何事も、身銭を切ってこそ物になる。

物にならない場合もあるから、正しくは、身銭を切らないで物になる物はなにもないと言うべきか。

この橋下塾に応募者が殺到している。

われこそは、だらけきった今の政治を打ち破る一番槍りぞと自薦する。

大いに結構なことである。

その中に、国会議員からも仲間入りの願い出が届いているという。

元でもなく前でもなく、現職の国会議員である。

厚顔無恥に慣れた私でもこの厚顔無恥には驚いた。

私は、現職議員は絶対に参加させてはいけないと考える。どうしても塾に入りたいのなら、先ず国会議員を辞職することだ。

うまくすれば、橋下フィーバーに便乗できる、だめでも任期満了まで国会議員のままでいられる。

こんな好都合主義者に、大改革ができるはずがない。形勢不利とあれば、真っ先に変心する卑劣漢だ。

橋下政治は、選挙民が一歩使い方を間違えれば大変な事態が起きる劇薬である。劇薬を使わなればにっちもさっちもいかなくなった現状を作った現国会議員に何ができる。

絶対に仲間にしてはいけない。

もうひとつ、既成政党は当然のこと、既成政党の息のかかったグループも除外しなければならない。

地方議員も上位当選者は除外しなければいけない。彼らは、後援会にがんじがらめに丸め込まれているからだ。

最初は恫喝し、不利となればもみ手で擦り寄ってくるのが公家政治、これが今の既成政党である。典型的なのが塾は塾でも松下政経塾である。その代表株が前原何某。近頃、先輩面して橋下に理解を示す気配を見せているようだが、とんでもないウイルスである。真っ先に削除する。

ならば、どういう人物がいいか。

・60歳以下。これから数年にわたる激務に耐えられない。ただし長年橋下に仕えてきた老兵は例外。

・出馬すれば決まって次点がその下で落選。それに懲りずに何回も立候補する政治家志望者。情熱家である。

・大手メディアにちょくちょくお声が掛かる評論家が商売敵きと毛嫌いする評論家。

・(大学教授は全部ダメ)冷や飯を食っている准教授は可とする。高校・中学・小学校の教諭もいい。(校長や教頭はダメ)

・中小労組の幹部。(連合傘下の労働者はダメ)

・どこの業界でもいいから、親分肌の経営者。

・霞ヶ関から追い出された元官僚。検察庁や警視庁でも同じ。

思いついただけでもこれだけある。

塾に入いれれば、それだけで議員バッジは約束されたようなもの。小泉ブームでは、無名のフリーター君がバッジをつけた。前例だ。

そういうふざけた国会を破壊するために行われるのが次の選挙だから、肩書きなどまったく無用である。極端に言えば、A太郎、B子、ポチ、メリーでいい。目には目を、ふざけにはふざけを。

塾志願者の中で人材を探すのもいいが、もう一つ、いい方法がある。岩波書店式新規採用である。コネである。

気心の知れた仲間ほど絆の強いものはない。その仲間の仲間も当然強い絆で結ばれている。信頼できるリンクが無限に広がる。

もっといい方法はないものか。

ある。

橋下塾に集まる3千人の一人になんかに誰がなるものか、と深山で俗界を見下ろしている大器、これを探すのである。

橋下・堺屋の二人の方から、迎えるのである。

三国志演義っぽくなったが、骨のある在野の人材は、まだまだ日本にいるはずである。

クセのある人物を集めればいい。金太郎飴を玄徳は好まなかった。

このブログは、橋下塾開講の祝電代わりである。

平成の「船中八策」 大いに賛成

映画を1本観終わって、何かないかとネットを開いたら、大ニュースが飛び込んできた。

明日の朝刊に詳しくその内容が示されるだろうが、彼の行わんとしていることは、項目だけで十分である。

それに対する既存政党のコメントは、それでも君たちは政治家かと聞き返したいものばかりだ。

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民主党・一川参院幹事長:「憲法改正に関わる話題は現実問題、現実性のない話ですからね」

自民党・石原幹事長:「言うのは簡単なんですよ。道州制にしましょう、地方の権限を強めましょう、首相公選制にしましょう」

輿石東幹事長は13日に参院廃止論について「二院制は必要だ。一院制にするには憲法改正が必要で簡単にはいかない」と不快感を示している。

公明党の山口那津男代表も「憲法改正の主張と同義だ。そこまでの議論、価値判断をどこまで重ねたのか。いささか性急な印象を受ける」と批判した。
 
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政治家は言うのが商売、簡単な商売は世間に一つとしてない。みんな苦労しながら商売をしているのである。

この既成政党の面々は、自分たちの商売(政治である)を簡単かどうかで判断している。

簡単なことならやりますが、簡単でないことはやりませんよ、と白状しているのだ。

言うのは確かに簡単だ。石原幹事長に言われなくても、民主党のマニフェストで私は嫌というほどみせつけられた。

議論は行動のために必要であって、議論をいくら重ねてもがれき処理は一向に進まない。ここのがれきは震災のがれきではない、永田町と霞が関のがれき・廃材である。

山口代表は、有識者懇談会や学識経験者の集いの座長でもやっていればいい。政治家は無理である。

輿石は年寄りというだけで、石原と同レベル。真性馬齢である。コメントのしようがない。

私は人間社会が作った社会は人間によってが変えることができるという、歴史学の初歩を原則としている。

憲法改正が簡単でないことと憲法改正をしないことは次元が違う。

大変な困難が待ち受けていても、必要なら果敢に行動しなければならないことなど、スケールの違いこそあれ、一般市民の間では日常茶飯事である。

既成政党のコメントは既成政党が政治家の団体でなく、小役人の集団であることが再確認された。

小異を捨てて大同につく。消費税、教育、日米同盟、軍備、これらが既成政党と似たようなものとなっているので、焦点がボケなくていい。

参議院廃止。解散権は選挙民が持つ。議員の任期は8年。

これに絞って選挙をすれば、圧勝間違いなし。

付:
・この船中八策はすぐれた参謀が橋下リーダーに付いている証でもあります。

堺屋太一は本物になった 「裏社会を使え」

震災復興が遅々として進まないことで、堺屋太一が、裏社会も利用したらどうかと提案した。

これが、清水次郎長親分を先例としていることは想像に難くない。

今日の業務は昨日の続き、明日の業務は今日の続き。これが好きで公務員になった連中に、今回のような内戦並みの危機管理ができるわけがない。

義援金を抱えて為す術もなく右往左往する彼らをこのことで無能よわばりするのは酷である。

被災地の惨状を目の当たりにすれば、机のパソコンをコーヒーを飲みながら日永いじくり続ける人間が非常時にいかに役に立たないかがわかるはずだ。

がれきと死骸、異臭と廃墟、こういう場面で黙々と仕事ができるのは、世間の修羅場をくぐってきた「裏社会」の人間である。

堺屋太一はこれを知っている。官僚出身でありながら見上げたものである。

それを、弁護士かだれかが、せっかく暴力団撲滅運動が盛り上がっているのに、水を差すとは何事かと噛み付いた。

撲滅運動といっても、キャンペーン・ポスターを交番の壁に貼るくらいなものである。もちろん、こんなきれい事で暴力団はなくならない。世間には、汚い事がたくさんあるからだ。「汚い」がきつければ、「ダーティ」とシャレていい。

暴力団を活用せよと堺屋太一は言っているのではない。

ウラ社会の窓口にも声をかけてみたらどうかと言っているのである。

これは、彼の新案特許ではない。警察の麻薬取り締まり刑事が江戸時代からやってきていることである。

変化を求めない役人、きれい事オンリーの弁護士、この連中は、堺屋太一の社会感覚はとうてい理解できないだろう。

私は、清濁併せ呑む人物でなければ政治家はつとまらないとの考えである。

「清」はだれでも言える、「濁」は勇気のない者には言えない。

彼は、本物である。

若き橋下は蛮勇を振るう、堺屋太一は大参謀として舵を取る。

「鬼に金棒」まさにこれである。

付:
防災省(仮の名は防衛省)の防災隊員(仮の名は自衛隊員)の活用が先であることはいうまでもありません。ウラ社会ではありませんが、ウラ生活を送っている同情に値する集団です。早くお天道様の下で活躍してもらいましょう。

麻薬所持容疑(3) 中間管理職の悲哀

私はこのニュースを知って、真っ先にイメージしたのが、中間管理職の悲哀である。

「こんなレターは英語か、どこの大学のバカか」、「こんなデザインで売れると思うか、江戸時代にとっとと帰れ」、「こんな売り上げで今月も給料をくださいだって、香典ならくれてやってもいいいぜ」まあざっと並べただけでも「こんな」部下はどこにでもいる。

その「こんな」部下が部長に何かの時に下手なレターを持っていくと、すんなりOKがでる。デザインはベタ褒めで、あの後発市場では君はよくやった、などと慰められる。

たまらないのは、私こと中間管理職である。

面子は丸つぶれ、部下の面従腹背は開票前の当確である。

今の裁判は、まさにこれである。

地裁で判決。高裁で逆転。最高裁で再逆転。地裁の勝ち。

高裁はバカバカしくてやってられない。好きにしてくれ。こうなる。

いくら階級差だから仕方がないと、自分に言い聞かせても、そこは人情、ばかばかしくなって当然である。逆に、バカバカしいと感じない裁判官に世間の沙汰は恐ろしくて任せられない。岡田副首相に国政を任せるようなものだ。

私は、地裁が正しく、高裁が間違って、最高裁が正しいというのではない。地裁が間違って、高裁が正しく、最高裁がまた間違ったともいうのではない。

日本の裁判制度そのものが不自然であり、その不自然が裁判員制度で表面化したといいたいのである。

設計が悪ければどんなにいい職人によって作られた車でも、公道を走るのは遠慮する。

オシャカの車をそのままにして、司法という公道を走らせているのが裁判員制度である。

私は花の中間管理職を短期間で終えることができた。恩讐は彼方である。

しかし、私は裁判員制度は廃止されるまでケチをつけ続けていく。

麻薬所持容疑(2) 旅は道連れ、危険も道連れ

現役最後のドサ回りが、中国であった。北京、西安、大連、成都など大きな都市を回った。

宴会に継ぐ宴会。

他の国なら商品見本を担いで回れたが、中国の税関のうるさいのなんのって、それでカタログの束と、隠し持ってきたボールペンやストッキングで商売をするのだ。

行きは北京直行、帰りは、上海、広州、香港、これがルートである。ルーチンである。

最後のドサ回りの最後、私の任務がこれで終わりという時の上海空港。

一人の子分を引き連れて、搭乗カウンターで並んでいた。

そのとき、一人の若者が流暢な北京語で私に話しかけてきた。上海で北京語を流暢に話す者は、それほど多くない。地元は上海語である。北京語ができるだけで、この若者の教養の高さがわかるというものだ。

手ぶらの私に、手荷物として一つ預かってもらいたいという頼みであった。当時の中国は何でも手荷物にして乗り込むのが当たり前であった。重量制限ぎりぎりをバゲッジにして、残りは人間が担ぐ。カウンターで多すぎる、重すぎると断られる。

一度断ったら、てこでも動かないのがカウンターである。

それで、なんとか、私の手荷物として持ち込んでもらいたときたのだ。

子分も若者だったが、どう贔屓目にみても、知性と教養はこの中国青年の方が数段上である。

どうせ手ぶらだ、「没問題(問題ない)」、「行(いいよ)」、「好(いいよ)」、この程度の返事はいとも簡単だが、私は断った。

知性と教養のこの若者、顔に似合わずしつこい。笑顔で何度も頼み込んでくる。

脇でそのやり取りを観ている子分は、日中友好のためひと肌脱いでもいいではないかという顔ををしている。

私も考えた。これはテレビ局のドッキリカメラではないか。ここで人助けをすれば、私の鉢巻に書かれている商品名が映る、肩に掛けているタスキのブランド名も映る、サムソナイトに貼ってあるロゴシールも映る、これほどいい宣伝はない。

一つ、笑顔で引き受けるとするか。

待て待て、話がうますぎないか。

私は、結局引き受けなかった。

私は、麻薬が怖かったのである。

美人局にぶおんなは務まらない。絶世の美女とまでいかなくても、せめて福島さん位でなければいけない。私のような知性派には知性派をぶつけてきてもおかしくない。

中国で麻薬運搬は即刻銃殺死刑である。身代金も通じない。私は中国共産党にコネもない。

このドサ回りで外交部とちょっとしたいさかいがあったので、ひょっとしたらオトリかもしれない、これを私は連想したのである。

今回の被疑者は、実際に麻薬を携えていたという。

知ってか知らずか、私にはわからないが、知らずに運んだとしても、無罪は甘い。

たまたま発見されたからよかったものの、そのまま日本国内に入り、薬の売買に加担するという結果論だってあるのだ。

知らないで無罪が判例になれば、知らないことにして運ぶ不心得者が続出するだろう。

旅は楽しい。人の情けがありがたい。しかし、人に情けをかける時は、相当の覚悟がいる。この覚悟は、場数を踏まなければ身につくものではない。本や人の話は、いざその場に置かれたら、とっさには頭の中から取り出せない。

本件は、無罪で終わった。麻薬で有罪は無邪気な被疑者には厳しすぎる。しかし、公序良俗違反かなにかで一応の有罪判決が出てもいいと私は思っている。

付:
・ボールペンやストッキングをセールスしたのではありません。ギブ・アウェイです。

・この旅は贈賄で軟禁されている香港人の商売相手の見舞いも兼ねていました。私の商売とは無関係でしたから、面会できました。そんな背景もありました。

・福島さんは社民党の福島さんではありません。誤解です。誤解するのは勝手です。

・ドッキリカメラは作文です。瞬時に麻薬運搬即銃殺を連想しました。天安門事件の年でした。ドッキリカメラなどあるはずがありません。

・部下一人で、「引き連れて」の日本語はないでしょう。分かっています。

麻薬所持容疑(1) 無罪→有罪→無罪

高裁の有罪が破棄されることは最初から分かっていた。

仮に、高裁の有罪判決を認めれば、裁判員の判定はなんっだったのかとなる。あってもなくてもいいじゃあないか、庶民感覚、常識感覚が芽生える。

こうなっては、最高裁は大変困る。

国民の大多数を敵に回してまで作ったエゴ丸出しの裁判員制度が赤っ恥の素になる。

無罪、有罪は最高裁にとってどうでもいいことだ。たまたま裁判員が参加する地裁が無罪を下したから無罪であって、有罪→無罪→有罪も十分あり得た。

もちろん、その時は、それなりの理屈を付ける。裁判員の面子のためである、のではない、自分の面子のためである。

地裁、高裁、最高裁の階段式裁判と裁判員制度はまったくなじまないもの、アメリカだからこそ陪審員制度が成り立っているのである。

これからもこういう「どんでん返し」は繰り返される。

たまらないのが被告席に座らせられる市民である。助かったと思ったら、監獄ロック、落胆していたら助かった、裁判官よ、いいかげんにしないか、市民は将棋の駒ではないのだぞ。

野田首相、ボサ~とつったてないで、すみやかに裁判員制度を撤廃しなさい。

野田政権のシナリオ、頓挫

慣性の法則は恐ろしい。この頃、寝ぼけまなこで新聞を読むのが楽しみになってしまった。

今朝も、そろそろ読んでみるかと思ったら、休刊日だった。

そこで、Yahooニュースの世話になる。

~~~~~~~~

消費税率引き上げを柱とする社会保障・税一体改革大綱は、野党の協力を得られないまま、17日にも閣議決定される見通しとなった。

 与野党協議を通じて増税を実現するという野田政権のシナリオは頓挫した形で、政府・民主党は戦略の見直しを迫られている。

~~~~~~~~

以下略である。政治家の駆け引きを述べているだけだ。

私は、「野田政権のシナリオは頓挫した」という言い方は間違っていると思う。

今の政府と自民党は似た者夫婦である。夫婦喧嘩をしているだけだ。

長年連れ添った夫婦ならケンカしていても、双方、相手の腹の底はお見通しである。

下世話に眉をひそめるなら、将棋の強い指し手同士と言っていい。局面を見て、「こう行けば、こう来る」が瞬時に何百も頭で描くことができる。

今の政府と自民党は、政治屋のプロである。

野田政権は、自分がどういう態度にでれば、自民党がどういう反応を示すかなど、朝飯前に見通している。

最初から自民がどうでてこようが、消費税の引き上げを決めているのだ。

シナリオは頓挫したのではない、シナリオは着実に進行しているのである。

このシナリオのエンドは、解散である。

天下の読売ともあろうものが、これを「頓挫」とは情けない。

付:

・YOMIURI ONLINE 2月13日

・政治家ではありません。駆け引きを楽しむ政治屋です。政権の協議の提案や譲歩など、ポーズです。これもシナリオに含まれていることは言うまでもありません。

・野田政権と自民党は、法案成立、即解散の話し合いが出来上がっています。これもシナリオです。語るに足らず。

橋下・石原ライン(続) 価値観の多様性

2月に入ってからではないか、橋下、石原の記事が俄然増えてきた。

都会に戻ってきた当初、田舎で聴いたラジオのハシモトと新聞の橋下が同一人物であることに気が付かなかった。

この橋下たる男、新聞を読むと、とんでもない発言をしている。

TPPは参加、日米同盟は深化、知性が疑われる発言である。

方や、石原。

石原といえば、自衛隊の強化にとどまらず、徴兵制を敷く。今彼が言っている国旗だ国歌だなど、芥子粒である。

橋下と石原が組んで、政治を思うままに動かせば、日本の悲劇である。

その通りである。

しかし、何か忘れてはいませんか。

選挙に勝って初めて国が動かせる、間接選挙民主主義国家における政治のこの単純な真理。これを忘れてはいませんか。

日米安保、臓器移植、道州制導入、公営賭博、天皇激務、TPP、年金、原発、etc.何から何まで自分と同じ考えの政治家はいない。

それだからといって、投票所に出向かなければ、政治屋の跋扈を認めることになる。

私が熱烈支持するのは、ただ一点、石原の掲げる現行官僚システムの抹殺である。

これは小沢さんを除けば、橋下以外にできる人物は一人もいない。

これからが問題。

橋下といえども、政権を「奪取」しない限り、ただの暴言居士である。石原が、東京の共産党に向かっていったとおり、「悔しかったら議席を伸しな」である。

しかも、連立しなければできないような議席数では、妥協を強いられ、議会運営もままならず、混乱だけが残る。

無論、国家官僚制度は生き延びる。地方官僚も右にならえである。

私は、石原が総理大臣に就くことはないと思っている。彼自身、(年齢という暗殺者に)殺されるかもわからないと言っているように、タイム・リミットがすぐ先にきている。

結局は、橋下一人が残る。

その橋下には堺屋太一という参謀が控えている。堺屋太一は徴兵制や日米同盟深化を最重要課題にしていない。彼目的は、タガの外れた日本政治の再建である。これには霞が関の壊滅的再構築が必要である。微温的ではだめ、壊滅的でなければできない。彼はそれで橋下を担いだ。

橋下が暴走するような気配があれば、参謀がうまく舵をとる。

日米軍事同盟を深化せず浅化すると、今橋下が公言したら、選挙民はそっぽを向く。読売、朝日、ほか大手新聞からテレビまで、待ってましたとばかりバッシングする。

堺屋太一は、ずば抜けて切れる参謀である。この位はとうに承知している。

深化といっておけば、大多数の選挙民は安心して、1票を投じる。

先ず、政権の座に着くこと。メディアを敵に回していいことは一つもない。大衆迎合と言われても、とにかく選挙で勝つことだ。

昨日だったか、橋下は、参議院を廃止すると言った。

これほど強いインパクトはない。寄生既成政党を震撼させたにちがいない。

橋下政権がますます現実味を帯びてきた。

付:

・私がざる碁の域から抜け出せないのは、我慢ができないからです。アマでも高段となれば、よくもそこまでと思うほど、我慢・辛抱がいい。橋下さんと堺屋さんに、思う存分暴れてもらいましょう、日米同盟深化には我慢と辛抱で勝手に言わせておきましょう。

・国会一院制は、私の主張。これからは、橋下さんが大いにPRしてくれます。一院制の主張は、私ばかりではありません。ネットを訪ねたら、天文学的件数の一院制支持がヒットしました。「徳ハ孤ナラス」


救いようのない東電 温度計

あまり文句をいうと、それならオタク様には送電しませんといわれそうなので、ビクビクしながら小言を言う。

野田総理の冷温停止状態宣言を是が非でも撤回したくない政府と東電は、今回の温度上昇の最中でも、「冷温ではない」、「冷温ではない」と呪文を唱えていた。

40度、50度が冷温なら、風呂のお湯も冷温だ。世間の用法と業界の用法がこれほど乖離している言葉も珍しい。

それはそれとして、60度、70度の冷温は温度計の故障によるものと分かって、政府、東電はほっとしたことだろう。野田総理の宣言を撤回しなくていい上、何かといえば、原発にケチをつける記者連中の鼻もあかすことができた。

「どんなもんだい、めでたし、めでたし」

これはおかしい。

10本の温度計があるとする。9本が故障して1本だけが正常である可能性だってあるのだ。確率の問題である。その1本の70度が正しい表示であったらどうするのか。

1本が不良であれば、その集団の残りすべてに不良の可能性があるということは、品質管理のイロハである。

測定する道具に信頼性が置かれなければ、実際の状況は把握できない。

今度の温度計の故障が分かったのは、放射能がでていないことから分かったというではないか。

これほど、奇妙な話はない。温度計が正常か異常かのために放射能測定をするのは、まったく逆である。

炉内温度の測定に何本の温度計が設置されているか知らないが、全部が全部、正常でなければいけない。原発にとって温度管理は超絶重要不可欠項目である。この測定に不良品が混じって使われているのだから、私は救いようがないという。

ライブのマイクは、演奏途中で故障したらそのライブはお終いである。だから、どんなに高額であっても、絶対に故障しないブランド品マイクを使う。

原発は、ライブのチケット払い戻しとは違う。趣味の世界ではないのだ。

それなのに、「実は、温度計が故障していました。炉内は冷温です、お引取りください」とはなんたることか。

私は、重ねて、救いようがないという。

人間が作る以上、故障のない品物はないだって。

それなら返す。

だから、私は、原発そのものを日本から抹殺してしまえと言っているのである。

今日の夕刊を見ると、「安全性に問題はない」と保安院が言っいるた。測定器が故障して、よくも言えたものだ。

やはり、保安院は不安院である。

民主党議員曰く、 ムダ削減 隗より始めよ

私は、霞が関官僚、その天下り先である外郭団体、彼らのムダを言う前に、国会議員からムダを取り除くべきである、こう主張している。


何回が繰り返している間に、ふと思いついたのが、「隗より始めよ」であった。これほど国会議員にふさわしい成語はない。小躍りしてさっそくブログに使った。

箸にも棒にも掛からない男が隗である。出来損ないが隗である。

私は、だから民主党から共産党まで、国会議員全員をこの隗にみたてたのである。
私としては、最大の皮肉のつもりであった。

その「隗より始めよ」を、民主党の国会議員が、自分から使ったのだから驚いた。

出来損ない議員を自認したあっぱれな態度をとるのだから、私が驚きのも無理はない。

どうもそうでないことが分かってきた。

出来損ないとは露にも思っていないのだ。それどころか、自分たちが身を切らなければ、いけない。率先垂範の意味であったのだ。英雄気取りだったのだ。

この民主党議員の名前は覚えていないが、民主党議員であることは確かだ。

そこで、今日は、2月17日の週刊ポストの広告を彼のために書き写した。

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消費税よりこっちが先だ

国会議員を500人削減せよ

年収は上場企業の社長級。

「文書通信交通滞在費」1200万円は非課税。

JRも飛行機もタダ乗り。

都内高級マンションで家賃9万円。管理費なし。

引退しても民間よりはるかにオイシイ「議員年金」。

与党も野党も減らす気なし。

人口比は日本18万人に一人で58万人に一人のアメリカの3倍以上というのは国際的に見て非常識ではないか

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2月6日の新聞朝刊の広告である。駅売店に並んでいる間は、宣伝のお先棒担ぎの嫌いがあったので、今日まで抑えていた。

国会が開かれた。新聞を読む限り、週刊ポストの言う通り、「与党も野党も減らす気なし」

原発ムラ、霞が関ムラ、旧帝大ムラ、数多くあれど、一番甘い汁を吸っているのは、国会ムラである。一度入ったら、もう二度と出たくなくなる、そういうムラである。

それを打破するのなら、隗より始めよて結構。「隗より始めよ」を誤解しても国語の問題である。

ムダの率先垂範さえしてくれれば、納税者の一人として、拍手を送る。

付:
・東京新聞 2月11日 公設秘書25%未提出 給与詐取 反省みられず
公設秘書は国家公務員特別職。年収約650万から1千3百万。
(私:「特別職」という呼称、実にうさんくさい、そう思いませんか)

岡田副総理 ・・・ 秀才の成れの果て

久しぶりにYahooニュースをじっくり読んだ。

紙にインクの活字が毎日届けられる環境にいながら、クリック1回で消滅するディスプレイの軽さの世話になるなど御免である。

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岡田副総理は10日の記者会見で、民主党が2009年の衆院選政権公約(マニフェスト)に明記した2013年度までの国家公務員総人件費2割削減について、達成は難しいとの認識を示した。

 岡田氏は「2割と書いたが、これを数で出そうとすると解雇しないといけない。今の公務員制度のもとでは出来ない」と述べた。

 民主党の小沢一郎元代表が消費税率引き上げ関連法案に反対する姿勢を示していることについては、「政党人として党できちんと決めたことには従っていただけると思っている」とけん制した。

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世間の評判は岡田が高く小沢は低い。多分にメディアの期待と作為が含まれているが、金にきれいかきたないかを軸とすれば、この評判はその通りである。

私は、金を軸にしない。

政治を軸に政治家を評価する。

結論から言えば、岡田は最低である。

第一に、2割の削減を数で出すという発想。彼のいう数とは役人の数である。2割の削減の本質は財政の問題である。

何千億か知らないが国家公務員に払われている年間の金額を2割カットすればできることである。民主党が政権の座に着くことができたのも、金額の2割であった。人員の2割ではなかった。

年収4百万の国家公務員の2割カット、80万円は厳しい。しかし、1千万の4割400万は痛いには痛いが、死活に関係ない。600万で汗水流して生活している民間人はゴロゴロいる。

400万のカットは、年収400万の5人分にあたる。

どの程度の累進性が必要かは、先の選挙前に民主党として当然計算していたはずである。そうでなければ2割という数字は出せなかったはずだ。

第二に、これが彼の最低を証明するものだが、「今の公務員制度のもと」のことである。

政治家の使命は、法律を維持管理することではない。これは、官僚の仕事である。政治家は、法律を変える、作る、これが仕事である。

既存の法律に従って働くなら政治家を廃業して、公務員になればいい。

岡田はたしかに、小学校から大学まで一番、秀才で通ってきたろう。この秀才とは、試験問題の解答を正しく書くことにずば抜けた才能を持っている者のことである。

正解は、試験官の机の引き出しの収まっている。それと同じ事が書ければ秀才である。

政治家は違う。

問題そのものを問題にするのが政治家である。

自分たちが選挙民に約束し、それを選挙民が信じたからこそ政治家になれたのだ。その約束を果たすのに今の公務員制度が支障になっているのなら、公務員制度を変えればいいではないか。

「今の公務員制度」を変えてもらっては困ると選挙民は言っていない。言っているはずと岡田が主張するのなら、再度これを焦点にして選挙をしてみればいい。

第三。これは蛇足のようなものだが、彼の解雇は本来労働組合ができていなければならない一般国家公務員しか対象になっていない。

解雇すべき対象は、高給だけ懐にして、憲法を守らない最高裁、手当たり次第に統計作業をする厚労省の幹部、ムダダムを推進する国交省幹部、機密費享受の外務省幹部、できもしない交渉のための北方領土担当幹部、できもしない予告のための地震気象庁幹部、その他、私が知らないだけのうぞうもぞう霞が関幹部、独立行政法人も忘れてはならない。

小沢が、「政党人としてきちんと決めたこと」と苦情を呈したことは、彼が芯から政治家である証拠である。

記載漏れ、申告漏れ、濡れ手に粟、メディア好みの話題で小沢を非難するのは、小人である。

岡田こそ、最低の政治家である。私はこれを昨日、言うつもりだった。

記:

・2月11日のYahooニュースです。
・小沢さんをダーティと言っているのではありません。岡田さんのきれいさを強調したまでです。

私の都会、私の田舎(9) ギターとピアノ

今日の午後、フラメンコ・ギターの演奏会に行きました。演奏者と同じフロアーで聴きました。

思えば、生の演奏を最後に聴いたのが、5年かあるいはもっと前、田舎の元小学校の体育館でした。やはり、演奏者と同じフロアーで聴きました。ショパン、リスト、よかったです。

私は今、興奮しています。

朝のうち、岡田副首相の官僚温存発言と国会議員のムダ金をブログにしようかと案を練っていたのに、すっかり忘れてしまっていました。

ブログさえ、どうでもよくなってしまった気分です。

演奏者から5メートルも離れていない席で聴いたギター、まだ耳の中で鳴っています。

さっそく、先生にギターを習うことに決めました。

今からでは遅いですって。分かっています。

私が習いに行くのは、その時間だけでも、再生装置から流れるreplayでなく、本物の音楽に接することができるからです。

プロの演奏は、これは声楽も当然含まれますが、単音ひとつが活きています。

尺八を吹く、作曲する、ギターを習う、私は多忙です。

注:写真は右クリックで開いてください。

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私の都会、私の田舎(8) 音楽鑑賞 ジャズと舟歌

弘法は筆を選ばず、音楽は再生装置さえあればどこでも聴けます。

たしかにその通りですが、聴く場所によって、同じ曲でも随分、受ける印象が違います。

楽しい時と悲しい時とでは、違うことはすでに確認済みですが、場所でも同じことが言えることが分かったのは、つい最近のことです。

雑食動物の私は、田舎でもジャズを聴いていました。都会を忘れた私はそれで満足していました。

今、都会に戻ってジャズを聴いていくと、二度と田舎では聴けないのではないかという不安にかられます。

今の時期の田舎でしたら、コタツに足を入れて聴きます。夏は蚊取り線香の煙の中で聴きます。

ジャズにふさわしくありません。

ジャズは、都会のマンションの一室で、高級ウイスキーを左手にして、ペルシャ猫、ドーベルマンを脇に侍らせ、聴くものです。


あるいは、アスファルト・ジャングルの地下一階で聴くものです。

私のリスニング・スペースは、いずれでもありません。擬似的都会であります。それでも、ジャズの雰囲気は十分醸しだされます。

今、再びジャズに凝り始めました。都会はいい。

しかし、いいことばかりではないことも知りました。

チャイコフスキーのピアノ曲「舟歌」をいくら聴いても、ピンとこないのです。この曲ばかりは、私の田舎で聴かなければいけません。

冬でも明るく輝く海、人の気配をまったく感じない森の中の小径。メリーが道草を喰み、モモが少し先を歩く。ヘッドフォンで聴く「舟歌」が、本当の「舟歌」です。

住めば都、聴けば都。

付:

・デキシーランドジャズではありません。モダン・ジャズです。1970年代から80年代です。

・リッキー(猫)が机に上って、私がキーを叩くのをじっと見ています。突然、手を伸ばしで爪で引っかきます。痛いので、今夜はこれにて散会。

s-0210リッキー

北方四島の帰属問題 佐藤優さん、野田首相と玄葉外相に期待

東京新聞の朝刊に「本音のコラム」がある。

新聞の記事はすべて本音であるのに、なぜこういうのか、私には理解出来ない。タテマエのコラムや記事があるのだろうか、あれば、購読者の便宜に何か印をつけて記事にしてほしい。

このコラム、佐藤優さんの順番がやってきた。

北方四島はもう二度と日本に返ってこないと、昨日、私が言ったばかりなのに、佐藤優さんは、野田首相の訪露で、何らかの進展があると予測した。

彼はロシア外交のプロであると言われているが、本当かどうか疑いたくなった。

つい先日総理大臣になったばかりの野田首相に四島返還のシナリオが描けるはずがない。

歴史を学んだキャリア外交官が、四島のうち一つでも返してもらえるかもしれないなどという甘い国際関係論を持つわけがない。

ソ連時代だったら、大金を積めば、あるいは返してもらえたかもしれないが、経済成長著しいロシアでは、もはやお金は物を言わない。

もっとも、沖縄返還に費やした、そして今でも費やしている総額の10倍くらいロシアに払えば少しは可能性があるかもしれないが。

これが何十兆円か何百兆円か、私にはとても計算できない。計算できるのは、野田首相がロシアに差し出すお金の額を、国民に披露したら、それだけで、野田首相は失脚する、消費税増税の騒ぎどころではないということだ。

メディアも識者も納税者も、四島一括返還以外に政府に選択肢を与えないからである。

四島返還が不可能であることを承知の上で、政府にこう迫る。本音を隠して、タテマエで物を言う。日本人の悪いクセである。

「北方四島に関しては、これからも両国は協議を続けることに同意した」というような共同声明が関の山である。

「そのために、日露間の経済交流を増々発展させることに合意した」、なんのことはない、北方四島問題は形だけで、実質は、商売の打ち合わせである。

解散がなければ、野田首相の訪露が実現するだろう。

その時、佐藤優さんの期待が正しい予見であったか、それとも私の悲観論が正しかったか、いざ勝負!

付:
・外交文書の形式を私は知りません。共同声明の中身はこんなものと言いたいのです。

・拉致問題でも、この「引き続き協議」の確認が繰り返されました。確認のオン・パレードでした。拉致問題のオン・パレードは外務省に解決する気がないため、北方四島は、外務省が最初からギブ・アップしているため。やる気のないことは責められますが、できないことができないだけの北方四島返還で、責めるのはかわいそうです。

・私は返還といいません。帰属といいます。期待の言葉は私がつけました。本音のコラムでは「可能性がある」です。急展開しなくても、「可能性」なら逃げられます。一端の評論家になりましたね、佐藤さん。

・東京新聞 2月10日 本音のコラム 野田対ロ外交 佐藤優
「野田・玄葉コンビで、北方領土交渉が急展開する可能性がある」

グッバイ、海兵隊!  餞別は惜しみなく!

沖縄とグアム。中国に事を構えるつもりなら、絶対に沖縄である。これは、単純に距離の差で示される。

つい先ほどまで、沖縄は抑止力のために不可欠だと言っていたのは、どこのどいつだ。

アメリカは、体力の限界を自覚したのである。


昔、モンゴル帝国が、占領地からすごすごと軍を引いたのと同じ現象である。
維持できなくなったら、そうする以外にない。

要するに、マネー、マネー、マネー。

この数日、野田総理が急に元気になってきた。

沖縄の基地負担軽減にメドがたった証拠である。

これからすることは何か。

餞別の額の公開である。

日米外交は、今これの真っ最中である。いや、すでに金額は合意されているのだ。

だから、野田首相のやることといえば、沖縄で派手なパフォーマンスを披露し、納税者に餞別を喜んで、あるいは、渋々でも、出してもらうことである。

私は、思いやり予算にはびた一文出したくない。日本に居座るための予算だからだ。

しかし、今度の餞別は、日本からいなくなるための予算である。私は、増税してもいいから、アメリカが小躍りするような金額を用意せよと主張する。

なんだったら、グアムの海兵隊の残業手当位、しばらくは肩代わりしてもいいとさえ思っている。

日本は無条件降伏をした。

沖縄ばかりか、九州、四国を米国に取られても、文句の言えない立場であった。

北海道の四島はソ連の北方領土である。これが敗戦の代償であり、国連に訴えても、日本の返還交渉に同調する国はいない。

アメリカは、北海道を所望したソ連をたしなめた。

戦勝国が中国だったから助かったものの、そうでなければ、対馬や佐渡は他国の土地になっていた。

沖縄が日本に返されたのは、なんだかんだといっても、アメリカが占領していたからである。

還暦を迎えたアメリカ老が引退するというのだから、大いに餞別を振る舞うのが礼儀というものだ。

こっそり言うと、この餞別、日米軍事同盟の手切れ金のきっかけに化ければいいと思っている。

野田首相、今回ばかりは外務官僚の言う通りに、お金をそろえましょう。

マネー、マネー、マネー。

だいぶ前に、似たようなブログを書いたように覚えている。

付:
中国にも借りがあります。私はこのスタンスを基本としています。

飲み過ぎ 年4兆円損失

酒飲みがこの見出しを見て、ああ、そんなに損だったのか、今夜から、酒は程々にしよう、こう決心するだろうか。

4千円や4万円なら、なるほどと思う。しかし、4兆円とは、桁が違う。

~~~~~

飲み過ぎで、脳卒中、がんなどの病気やけがの患者が計24万6000人、死者が3万5千人増えたとした。
治療に1兆226億円かかり、69歳まで生きた場合に受け取れた賃金1兆762億円を失ったと見積もった。(中略)労働生産性が21%低下するとの研究があり、損失は1兆9700億円になった。

~~~~~

この世の中、誰かが損をすれば誰かが得をするようにできている。

治療にかかった1兆226億円は、病院、医院、開業医の儲けになった。

賃金の1兆762億円は、働かなかったのだから損得なしである。

労働生産性の1兆9700億円は、「人間関係にひびが入った」、「二日酔いで仕事を休み」などの飲酒による問題を数値化したものである。

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どうやって数値化したのか、見てみたいものだ。

発表した尾崎米厚准教授は「飲み過ぎによる被害は、軽くみられがちだが、社会的な損失は大きい」と話している。

鳥取大のこの准教授、何か忘れてはいませんか。

日本は、アル・カポネのシカゴではない。日本酒、ビール、ワイン、すべてに酒税がかけられている。それも5%や10%ではない、国の重要な財源である。飲めば飲むほど、国庫が膨らむ。国庫の使途は、タテマエにしても一応国民の幸福に向けられている。

社会を構成しているのは国民である。だったら、社会的損失どころか大いに貢献しているのである。

これをすっかり忘れているのである。

尾崎准教授が、何年かけてこの研究発表までこぎつけたのか、私にはどうでもいい。

問題は、(私の口癖である、ご容赦願う)、こういうつまらない研究にどこが資金援助をしたのかである。

ファイナル・アンサー。

またまたご登場、厚生労働省である。

付:

・へべれけになって、警察署のご厄介になりますね。そのときは、お巡りさんの超過勤務手当を、翌日、その酔っぱらいに請求すればいいのです。

・厚労省という所は、労働しないばかりか、手当たり次第に統計・調査をする省庁ですね。これでは金がいくらあっても足りません。

・飲み過ぎは社会的損失ではありません。体や頭を壊すまで飲んで、損をするのは個人です。自己責任です。厚労省の官僚が金をかけなくても、民はこのくらい分かっています。バカバカしい。

・読売新聞 2月9日

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