老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

映画『ザ・ラスト・サムライ』

渡辺謙さんの反原発スピーチに惹かれて、楽天レンタルで借りました。

今さっき、見終わったところです。

私は映画オタクほどではありませんが、年に200本は観ているでしょう。同じ映画の、たとえば「椿三十郎」や「ビルマの竪琴」ですが、重複を計算にいれなくてもこれまで千本は超えています。

その中には、つまらない映画もたくさんありましたが、今夜の『ザ・ラスト・サムライ』程つまらない映画は初めてでした。

トム・クルーズに武士道を語らせています。独り言をブツブツ言っています。あとは、チャンバラです。

ハリウッド映画のカー・チェイスとそっくりで、延々と続きます。戦さのシーンは、人、人、人。少し前の中国歴史映画とそっくり。人民解放軍の兵士がエキストラで戦場を埋め尽くしました。

『ザ・ラスト・サムライ』は、人件費の安い人民解放軍が都合つかないので、CGでまかなったのでしょうね。
私は、開演からまもなく、早送りのため、リモコンを握り、終わりまで握り通し。

トム・クルーズの武士道講義は、早送り→が3本。チャンバラは、→が5本。

本当にこれほどつまらない映画はめったにありません。

終わり頃の天皇の「お言葉」はぜんぶカット。

渡辺謙さんの反原発に敬意を表して、最後のクレジットまで通しましたが、そうでなければ、私の2時間が惜しくて最初の15分でストップ。結果、レンタル料50円也が惜しくて今夜は眠れないでしょう。

お口直しにレッド・サンを観ようと思ったら、不幸は重なるもの。島に置いたまま。

やむなくブログで憂さ晴らし。

ブルーレイなので田舎の風景はきれいでした。犬がいて鶏がいて、畑があります。残念ながら、田舎暮らし15年の私には珍しいものではありません。

せめて音楽だけでも、ですって。甘い、甘い。平凡な中国風、朝鮮風、日本風のミックスでした。

渡辺謙さんがこんな駄作に使われたとは、もったいない。

いつか、黒澤明のような監督に出逢われんことを。

付:
・トム・クルーズ君に武士道は合いません。F戦闘機でトップ・ガンです。J仕様の。なぜJ仕様か、ピンときた人は映画オタクです。

・十八成は「くぐなり」、長渡は「ふたわたし」

今夜はこれにて閉店。皆さん、よい夢を。グッナイ!


人口8674万人、65歳以上は4割 これが意味するもの

日本の将来推計人口、2060年である。

こんなことは新聞で知っていると言われる方もおられるだろうが、私のこのブログ、新聞が通わない日本の一隅でも読まれているのだ、地球の反対側の熱烈読者にも読まれているのだ。

だから日本、2060年と断っている。

断るまでもなく冗談。冗談とも本気ともつかない野田総理の国会答弁とは違う。

タイトルが長すぎるので、2060年を省略しただけのこと。

この数字は、国立社会保障・人口問題研究所が、30日に発表したもので、私は新聞で知った。

これが意味するもの。

ある人は人口が減って税金の徴収が難しくなると憂うかもしれない。ある人は、子ども音楽教室を改めお年寄りピアノ教室を開こうと意気込むかもしれない。ある人は、2060年まで生きたら120歳だ、それまでサプリを飲み続けようと決心するかもしれない。

私は違う。

私は数字を見ない。数字を出した役所を見る。

案の定、国のカネで飯を食っている寄生虫集団であった。

こういう統計作業にうつつを抜かすのは、だいたい厚労省と決まっている。さもなければ文科省か総務省である。

ヒマな人たちである。実にヒマな人たちである。

50年先の日本を想定して、何になるというのだ。

国家百年の計には必要だって、冗談じゃない。国家百年の計には、数字はいらない、いるのは勇気ある為政者である。これがふ~ら、ふ~らしていて、何が2060年だ。

そう言えば、地球温暖化も2020年とか30年とかのスパンで語られたような気がする。

ただみんなで話し合っただけである。

今度の、人口推定も同じで、ただ話題を提供しただけである。税金をふんだんに使って。

長いスパンで語られなければいけないのは、人口ではない、福島原発事故である。

数字はトリック、カモフラージュである。

ヒマを忙しそうにみせる仕掛けである、政府・霞が関官僚の怠慢の隠蔽である。

ほんとうにつまらない統計が次から次へと湧いて出るものだ。

暇つぶしにカネを払っているのだから、消費税増税もやむを得ない。迷惑な話だ。

政府や官僚からでてくる数字の裏を見なければ、ピントを外される。ご用心。

付:
国立社会保障って、いったいなんなんでしょう。人口問題を研究するって、なんなんでしょう。名前ばかり大げさで。いっそ、大口研究所にしたら。

ついに魔の手は国語まで

新聞のチラシはチラッとみるものだからチラシというのだろうか。

月給日後の最初の金曜日の朝刊は、このチラッでパンパンに膨れている。

都会暮らし再開の数週間は、印刷物が無料で手に入ることにとても得をしたように感じたが、今はそっくりそのまま雑紙袋に捨てている。

そのためだろうか、新聞販売店はご丁寧に新聞サイズの袋まで用意してくれている。

数日前、いつものように捨てるべきチラシを手に取ったら、国語力という活字が目に入った。

サンマの特売、輸入牛の特売、墓石の特売、わずか3か月でこういうものに慣れきってしまった私には新鮮だった。

それに、国語力という日本語があったとは知らなかったから、一つ利口になるかもしれない。この期待もあった。

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新しい国語力は新聞から
齋藤孝さん(明治大学文学部教授)に聞く

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聞くまでもない、新聞の凋落傾向著しい今日、あの手この手でそれを食い止めようとやっきになっている新聞社の一つのあの手である。これは碁でいう一目(ひとめ)百手読みで、すぐに分かった。

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Q1.2011年度から小学校の国語はどうかわりましたか。

(A)文学作品を通して読解力を養うことから、物事や意見を伝える手段としての「実用日本語力」を高めることに重きがおかれるようになりました。

Q2.なぜ実用日本語力が必要とされるのでしょう。

(A)論理的に意見を伝えるためです。日本の子どもは自分の考えを筋道立てて述べるのが苦手、という傾向が国際的な学力調査結果からみえてきました。

実用日本語力のアップはすべての教科の学力向上につながるといえます。

Q3.新聞がその力をつけるのに適しているのはなぜですか?

(A)物語やエッセイなどと違って、いきなり結論から始まる新聞の文章の特徴は、実用日本語の特徴でもあります。

この文章のスタイルを身につけて、読んだり、書いたり、話したりできるように頭を構造化することが大事です。

家に新聞があるかないか、これは子どもの実用日本語力を培ううえで重要なことなのです。

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以上が全文で、(A)は、私が付けたもの。アンダーラインの箇所は、これでも目に入らないかといわんばかりの赤い字である。ばかばかしくてアンダーラインだけにしてある。

呆れの1.

小学生や中学生に意見を述べさせるなど10年早い。先ず、大人の教えを受ける。老いたら犬に限らず人も新しい物事にたいする感性が衰える。貪欲なまでに周囲の事象を吸収しなければならい時期である。

若い時に、文学作品に接しないで、いつ接するのだ。

童話、民話、伝記、詩集、小学生、中学生の時でなければ読めない文学がたくさんある。読解力を養わず、ペラペラしゃべるこまっちゃくれた子どもを成績優秀とするが教育なのか。むろん、名ばかり教育である。

呆れの2.

国際的な学力調査だって。

それがなんだというのだ。雄弁は銀、沈黙は金、日本のことわざではない。小・中学生はもとより、青年期までは、論理など数学・理科の授業に任せればいい。豊かな感性を養うのが国語の時間だ。

論理的に伝えるためだって。この齋藤教授、唐突に、実用日本語力のアップはすべての教科の学力向上につながるという。

これこそ非論理のお手本ではないか。

非論理も、単なる論理の飛躍なら許せる。齋藤教授の非論理は、実用日本語の向上(これは読解力を犠牲にする)がすべての教科の学力低下につながるというべきところを、反対にしている。

算数の時間、理科の時間、どれほど意見を述べる機会があるのか。教科書の内容を理解するのに意見を述べる力が必要なのか。

この齋藤教授、論理的に育ったはずなのに、(彼は子どもの頃から新聞を読んでいた)、まるっきり論理的でない。

呆れの3.

続けて彼は言う、「頭を構造化する」と。

これが日本語か。パソコンのCPUではあるまいし。それともDNAの螺旋をイメージしているのか。

私は実用が無用といっているのではない。実用は社会に出て実際に必要になった時のために残しておいていいと言っているのである。それからでも遅くないと言っているのである。

「実用日本語力」なる言葉、これ自体も日本語の品格に欠けている。日本力、就活力、こういう堕落した日本語の大本山が新聞ではないのか。

私は英語教育が、軽佻浮薄な英語屋に支配されていることに腹を立てている。

私は、教育委員会のデタラメを垣間見るにつけ、日本の小・中学校の授業が疲弊していないはずがないとの思いを深くしている。

国語は最後の砦であった。

それが、齋藤教授のような英語屋に勝るとも劣らぬ日本語屋に崩されると思うと、今夜は眠れぬ。

記:

・このチラシ、朝日小学生新聞、朝日中学生ウイークリーの広告です。よい子のお父さん、お母さん、齋藤孝教授を信じてはいけません。私の言うことを信じなさい。

・文学部教授、明治大学で何を教えているのかね。

野田政府の強行突破

夜7時のラジオを聞いていたら、野田政府は、年金のネの字も明かさないという。

言えば言うほど、ボロがでる。

ここまできたら、財務省の御ために見事討ち死だ。

それなら、開き直って、問答無用。

強行採決、その直後に解散。

野田は腹をくくった。

操り人形の末路はすぐ先だ。

国家百年の計を忘れた為政者の末路はすぐ先だ。

民主党政権について多くを語るのはもはや紙面のムダだ。

この数行さえ惜しいくらいだ。

安らかに眠れ。

チャオ。

京で遊ぶ地震シミュレーション・ゲーム

ここの京は、正気の時の蓮舫さんがムダの見本として槍玉に挙げたスパコンの京である。

だいぶ前の日経の子ども向けページに、京のありがたさが紹介されていた。

巨大で高速のコンピュータである京が完成すると、地震の予測がより正確になります、とかなんとか書いてあった。

大人の私がその記事を読んで、再確認できたのは、予測などできるはずがない、この一点だけである。大人の私は騙されなかった。

私を騙せなかった腹いせに、子どもを騙す。子どもに子供だましを使うとんでもない大人、呆れたものである。

京が、直下型地震の被害想定を完成させたという。

マグニチュード6、7、8、9、10。これ以上は想定外とするか。

震源地。東京湾内、外房の外、伊豆半島、富士山真下、埼玉坂戸(我が家の真下は困る)、等々。

地下30キロ、40キロ、50キロ、海底30キロ、40キロ、50キロ、等々。

日時。明日、来月、来年、10年後、100年後、等々。

時刻。月曜の朝のラッシュ・アワー、花金の午後9時、日曜の朝、等々。

こういう組み合わせはいくらでも想定できる。一々やっていたのでは、パソコンがパンクしてしまう。やはり、スパコンの出番だ。

京の結論。

想定1では、死者・行方不明者、1万人。倒壊家屋、1万棟。
想定2では、同2万、同2万。
想定3では、同3万、同3万。

以下、想定100、なんだったら1万も簡単に想定できる。京は神様、仏様。

世界一は無駄でなかった。税金はムダ出なかった。消費税増税もこれのためなら国民は納得するだろう。今の蓮舫さんが正気で、仕分けの蓮舫さんはチャイニーズ・ゴーストだった。

マニフェストは破棄して正しかった。野田首相の笑顔。

待てよ。

明日かもしれないし、来年かもしれない。

マグニチュード6かもしれないし、9かもしれない。

幕張かもしれないし、箱根かもしれない。

私は一体どうすればいいのだ。対策のしようがないのである。

私のエゴではない。

石原都知事にしても、同じ。彼の想定ナンバーを選ぶのは、ナンバー宝くじを引くようなものである。

私が知りたいのは、地震の被害ではない。地震がいつ、どこで、どの強さで起こるか、これである。

彼だって同じなはず。

京の結論に対抗して、今日の結論。

京はまったく役立たずである。数千億円のカネを注いで、役人と納入業者を喜ばせるゲームである。

膨大な数字をインプットしてアウトプットし、それを膨大な報告書にまとめる。報告書をマジマジながめて、苦労が報われたと感慨にふける。

いい加減にしないか。

とここまできたら、京のお陰で、東日本大震災が再現(シミュレーションですぞ)できたとあった。

いい加減にしないかを通過して、冗談も休み休みにしてくれである。

読売朝刊のトップで紹介されている。

消費税増税の旗手である読売は、政府の節約は限界だと読者に教えている。反応が芳しくないので、一つ二つ政府のムダを読者の目にさらすほうが、かえって説得力あるのではないか、そんな魂胆がミエミエのトップ記事である。

この記事を読まなくても、これくらい分かる。だから、読まない。

京はムダである。これで十分である。

記:

読売新聞 2012年1月30日
巨大地震「京」で被害予測 東大システム開発 まず三連動

・被害予測は、4千億円の設備はいりません。400円でわかります。週刊現代をお買い求めください。どこでいつ起こるかわからないのですから、同じでしょうが。

これぞまことの勇気! 阿部美紀子さん!

原発ムラで反原発を口にすることがどれほど大変か、田舎政治に一時首を突っ込んだ私にはよくわかる。

岩波の世界や民放の時事番組に登場する知識階級には絶対に分からないと思う。

東北電力は女川に原発を持っている。数年前のことだが、年がら年中、配管の亀裂など、東北電力でいう「微細な」トラブルが起きていた。

このブログは、始めたころから、折に触れ、女川原発を何度も取り上げてきた。3月11日の福島原発で目覚めた反原発とは、筋の入り具合が違う。

Fukushimaが発生した後でも、原発を擁護する人種は論外そして(人)格外であることは言うまでもない。

私の田舎の中では、私の反原発思想は一部の間でしか知られていなかった。私が積極的に政治活動の表舞台に立たなかったからである。

月刊誌「世界」から寄稿を頼まれれば、ホイホイ好き勝手なことを原稿用紙何百枚でも書く識者や学者は、どんなに多くの読者から反感を買ったところで、痛くも痒くもない。私生活に実害はないのだ。

田舎はそうでない。何かを言うことは、その何かに反対する者からの手痛いしっぺ返しを覚悟した上でないとできない。

この覚悟をもった女性が、阿部美紀子さんである。

ところは女川。

原発廃炉を訴えて町議選に出馬、見事に当選した阿部美紀子さん。

かつて、女川の住民が、お金をくれる東北電力に足を向けて寝られないと話してくれたことをこのブログで紹介した。

この住民が少数派で、周りの反対を押し切って、私に語ったのではない。大多数の女川住民が原発感謝団の構成員だったから、堂々と私に語ったのだ。

その時、女川原発の反対運動で老人は期待できない、土建・役場・観光、その他お金で物を計る人たちに原発反対は無理であることを確信した。

同時に、女性、特に子供を抱えた女性すなわち母親とよばれる人々、の真剣さ以外に私は原発廃止のエネルギーはないと確信した。

阿部美紀子さんの話はここまでとして、記事を読んでいくと、都会の人が「アレッ」といぶかる場所にであう。

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 定数12に対して立候補は13人。仮設住宅を歩きながら「脱原発」を訴えて回った。女性を中心に「別の人に入れるけど、あんたにはうかってほしい」「表では言えないけど、原発は心配だ」という声も多く聞いた。
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解題の1。

12議席を13の候補で争うのだから、これは、公立高校の入試より楽ではないか、こう思うだろう。田舎の政治はそうでない。身内、親族、後援会、ガチガチに固められた票の集まりである。投票前から、当落は確定、しかも獲得票数は予想と10票と違わない。

12を13で争うのは、世襲なしの新人にとって苦痛の極みである。

解題の2。

反原発だったら、投票所で反原発の候補者に投票すればいいではないか。なぜ別の人に入れるのだ、日本は選挙監視団を国連が派遣するような未熟な民主主義国家ではない、都会の人は不思議に思うにちがいない。

反原発の候補者に入れたくても入れられないのである。

女川町の役場の人間は女川町民である。選挙管理も役場の人間である。開票作業は彼ら彼女らによって行われる。間違いのないように、目を皿にして一票、一票確かめる。
ここが問題なのだ。

名前は鉛筆で書く。書けば筆跡が残る。これで、この票が誰によるのか分かるのである。

親の代から、あるいはもっと前からの付き合いであれば、書いた字をみれば、簡単に分かる。選挙管理委員の大部分は原発賛成派である。ガチガチの(再出でくどいがこの言い方がぴったりなのだ)賛成派の票はどうでもいい。どうも怪しいと思う投票用紙に神経を集中すれば、簡単に「裏切った」かどうか見破れる。

そんなバカなと思うかもしれない。

小学校の教師が、50人の児童の答案用紙を見る。50人中50人、全員の答案が誰のものかは、名前欄が空白でも当てることができる。

これと同じである。

私の島は今でこそ石巻市となっているが、合併前は牡鹿町と称していた。人口4千人そこそこ。居住者でありながら町議選の応援に精を出した私に、当選祝いの席で島の長老が、自分の集落の誰がどの候補者に投票したかわかると言明してくれた。

村八分にならないために、どうしても、阿部美紀子という字は書けなかったのである。

これを勇気の欠如と言うなかれ。「世界」やテレビで好き勝手なことを言う人間だって書けまい。

女川町議選の投票総数は5千41票。阿部美紀子さんの得票数は288票。しがらみだらけの立地自治体では「288票も」と言うべきだろうと記者は書いている。

その通りである。

優れた感性の記者による表現である。

「戒厳令下」のお隣中国に置き換えれば、6千万人の反旗である。

余計なことだが、これは、天下の読売、朝日、毎日、産経、一面トップの記事に値するニュースである。

日本国内の、しがらみと周りのにらみの下での女川のこの選挙、トップ記事にしない手はない。

普段は、記や付で記すのだが、今回はこの新聞の栄誉を讃えて、本文で紹介することにした。

東京新聞 

こちら特報部 脱原発のこころ

未来へつなぐ反対運動
被災し出馬、初当選の女川町議
阿部美紀子さん(59)
子どもが笑顔で過ごせる町に
原発に頼らない復興計画を

署名入りの記事である。記者は小国智宏。

この記者にもエールを送る。

記:

東京新聞 2012年1月29日

・女川:「おんながわ」ではありません。オナガワです。第二のFukushima、Onagawaにならないように、阿部美紀子新人議員、頑張ってください。

・NHKさん、野球選手の追っかけをする代わりに、こういう人の1年をルポして放映してください。

・「十八成」「長渡」 私の田舎の地名です。読めたら偉い。

・選管は中立ですって。いいでしょう。「あいつに投票するだと、開票でわかるからな。その覚悟で書きたければ書け」怖いですよ。

朗読 岸田今日子

私は朗読が大好きです。

聞くのも読むのも、大好きです。

聞く方では、舞台俳優の朗読が優れています。

よく石巻図書館でカセットを借りたものです。

優れている中でも、特に優れているのが、NHKのアナウンサーです。

昔、BS2で午前中の10分間、朗読の連続放送がありました。

男性アナウンサーの朗読に酔いました。

漢詩の世界の女性アナウンサーも良かったです。

日本に文字がまだなかった頃、語り部が何かの行事の時に聴かせる神話は、純粋の日本語。やまと言葉の優しさに、聞き手はうっとりしたことでしょう。

残念なことがあります。

岸田今日子の朗読のカセットを大分前に聞いたことがあります。

この人は語尾をほとんど声に出しません。

「ここは、漱石の愛した湯治場で○」
「空の青さは言葉で言いあらわせませ○」
「本当に困ったことで○」

「す」が聞こえないのです。

社民党の総裁の「~でSU」が耳障りなのは、彼女の職業が政治だから許せますが、朗読で「す」を省略するのは、許せません。

数日前、BSデジタルで、日本だったか外国だったか、美しい風景の映像で、久しぶりに「す」抜きのナレーションを耳にしました。

やはり岸田今日子でした。

私は、嫌いです。

嫌いといえば、60過ぎのナレーターも嫌いです。

柳生博の語りですが、老人になった彼に声の張りがまったありませんでした。やさしくおだやかな語りでも、声の張りは必要だと思います。

老いてくれば、先ず目が言うことをきかなくなります。古典、名作はどうしても朗読に頼らなければならなくなります。

朗読保存会や朗読無形文化財などあるのでしょうか。

銭形平次捕物控を声の通る語り部で聴きたいものです。

0130森

日本人の絆

‎日曜日村上春樹さんはバルセロナで「分かちあい」という言葉で、原発の悪を訴えた。

渡辺譲さんは、「絆」という言葉で原発の廃絶を訴えた。

一人は非常に有名な作家で一人は非常に有名な俳優であることをしったのは、つい最近である。

こういう人の話が注目を集める力は、野田、前原、菅、小沢、岡田が束になって原発推進の街頭演説をしても、敵うものではない。まさに一騎当千である。

反原発派の一員である私は、喝采する。

でも、少し引っかかる。なんとなく落ち着かない。

「絆」である。

野田民主党総裁と谷垣自民党総裁が強い絆で結ばれているのは、その通りである。米倉経団連会長と古賀連合会長が強い絆で結ばれているのも、その通りである。日本の外務省官僚とアメリカの国務省官僚が強い絆で結ばれているのも、その通りである。

しかし、日米安保のことで、私と櫻井よしこさんの間に絆があるとは、思えない。経済・金融問題で、私と浜矩子さんの間に絆があるとも、思えない。3人は揃って渡辺譲さんが対象にしている日本人である。

有名人と無名人の間だから仕方がないということはないはずだ。この段は少し負け惜しみっぽいと疑われそうなので続けない。

沖縄の米軍基地。

沖縄県民の大多数が、米軍基地を減らしてくれと国に訴えている。民主党政権は、アメリカとの絆の方を大切にして、沖縄県民とは絆を結ぼうとしない。

国民といえば、国会議員の選挙で、米軍基地縮小を主張する政党に投票しない。自分の所のダムや道路のことを優先させる。

そして、日米安保は日本の安全に欠かせないと、言う。それはそれで一つの国際感覚であろうから、「絆」とは無関係でいい。

問題は、沖縄県民の痛みの幾分かを負担するのか、しないのか、これである。

これは「絆」があるかないかに直結している。

沖縄県民の苦しみを少しでも小さくするのが、「絆」ではないか。

日本の数十の都府県のどこの国会議員が、「それでは私の選挙区の一角をアメリカ兵に提供しましょう。少々の騒音や犯罪は日本の安全の確保のため我慢しますよ」と沖縄県民に語りかけたというのだ。

どこの選挙民が、そういう議員を国会に送ったというのだ。

そう、私は、日本人に「絆」はないと思っている。

震災のボランティアは、アメリカ救世軍や国連ユニセフなどの募金活動と同じである。一過性のいわば良心の緊急避難である。

ボランティアはそれぞれ自分の仕事と生活を持っている。ボランティア活動によって仕事も生活も脅かされることはない。脅かされない程度で引き下がるものだ。無論、これでいい。本来自衛隊がすべきことを無償でやるのだ。誇っていい。

だが、私はこれを「絆」とは考えていない。

「絆」は半分と半分を糸で結ぶから「絆」という漢字になったそうだ。いつでも結び目が解けるようなら、「絆」という漢字の精神に反する。

然り。

私は痛みを分かち合うことができて、初めて「絆」と呼べるものと考える。

日本に国家規模の絆は存在しない。

原発ムラ、県警ムラ、国会ムラ、東大ムラ、官僚ムラ、こういう村単位の絆がアルのみである。

村上さんにせよ渡辺さんにせよ、日本人を「分かち合い」や「絆」で褒めるのは控えた方がいい。贔屓の引き倒しになる。

付:
菅前総理が、反原発を言い始めたそうな。この男、どこまで阿呆なのか、頭をMRスキャンにかけてみたい。メディア諸君よ、ニュースに登場させるな、記事にするな、チヤホヤするのもいい加減にしなさい。

新党に寄せて

民主党の国会議員が脱党して、新しい会派を作った。これを私は官僚の天下りとならべ、議員の横滑りとして、揶揄した。

やることなすこと、言うこと語ること、ぜんぶ場当たりの言い訳民主党政権、それに便乗する自民ほか現職野党。

誰からみても、彼らの世が終わりに近づいていることは明々白々である。

そうなると、御身、大切。次の選挙で落選したら、就活に奔走しなければならない。さらばグリーン車、さらば交付金、さらば公設秘書、さらば何々、さらば続々。

一度甘い汁を吸った国会議員が、このように潔く別れの曲を歌うわけがない。

どこか、頼りにできるところはないか。

義理も人情もへったくりもあるものか。

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映画『ゴッド・ファーザー』

落ち目のドン、マーロン・ブランドが息子アル・パチーノに言う。

「擦り寄ってくる者が必ず出てくる。その男はお前をおびき出して殺す。用心せよ」

その通り、手打ちの仲立ちをするから、オレのシマにご足労願えないかと誘いの声がかかる。

アル・パチーノは、「はは~ん、来た来た」ということで、その悪者を成敗する。(まあ、同じマフィアだから、悪者よわばりできないかもしれませんが)

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新党結成となれば、自薦・他薦、雲霞の如く、現職代議士が門を叩いてくる。

こういう連中を信用してはいけない。風向きが変われば、理屈をつけてさっさと離れていく。

そこまででなくても、メディアに目を付けられて、内紛の火付け役を買ってでる。

現職国会議員はすべて、同じ穴のムジナである。

松明に火をつけて、焼き殺さなければいけない。

ある人達は、来る者は拒まずだ、政治は数だ、うまく制御すればいい、こういう考えから、現職議員の横滑りを可とするかもしれない。

ダメである。

これができる人物は、日本の歴史で、天皇から百姓までぜんぶひっくるめて、たった一人しか出て来なかった。

そう、徳川家康である。

彼は、関ヶ原合戦でどれほど軍功をあげた大名がいても、外様としては受け入れたが、決して気を許さなかった。我が宮城の英雄伊達政宗に対しても然り。家康に器があったから、外様を抑えることができたのである。

石原、平沼、橋下、束になってかかっても、家康の足元にも及ばない。

下手に度量の広さをみせることはない、横滑り議員を門前払いせよ。

新党に寄せる老爺心である。

付:
今日は、花の土曜日。一杯機嫌で書きました。



映画の題名(追) 『愛されるために、ここにいる』

第4外国語にフランス語の単位を取った。ロクに勉強をしなかった上に、半世紀も前のことだから、単語はソフィー・マルソーが『恋人たちのアパルトマン』で言っていたジャメほか数語しか覚えていない。

構文に至っては、まったく覚えていない。わずかに覚えているのは、英語のnotがne~pasと二つになることだけである。

英語なら、ジス イズ ア ペンのレベルである。これでも通信簿に可を貰えたのだから、いい大学だった。

映画『愛されるために、ここにいる』

中年女性がはにかみながら初老に挨拶する。このシーンがなんとも言えない。

シネフィルイマジカを録画しただけでは足りず、中古DVDを入手した。

原題を見て、あれっと思った。原題が、

JE NE SUIS PAS LA POUR ETRE AIME
となっていたのだ。

Je 私
suis 英語のbe動詞
pour 英語のfor
etre aime 英語では、your love
ne~pas で否定。

そうすると、『愛するために、いるのではない』ということになる。

邦題と逆である。

どうもetre aimeがyour loveでないようだ。これ以外に考えられない。

翻訳者が間違えたくても間違えようのないフランス語入門だからだ。

もしも、私の訳your loveでよければ、とんだ邦題ということになる。

原題『生きる歓び』が『生きる哀しみ』や『死の歓び』に換えられたら、それを知った原作者は驚くだろう。人によっては怒りだすかもしれない。

DVDを手に入れたのが2年前、以来、喉に骨が引っかかっままである。

ブログに吐き出せば、少しは気が楽になるはずだ。

もう一つ。

『007は殺しの番号』

老人のショーン・コネリーもすばらしいが、やはり彼は007である。その彼が久しぶりに007に復帰、題名が『ロシアより愛をこめて』

この題名は『007は殺しの番号』の主題歌と同じある。気になって調べたら、同じ映画だった。

これは羊頭狗肉とまでは言わないが、だいぶおかしいのではないか。許されるのだろうか。何十年か後に、『最後はベニスのゴンドラで』あるいは、『夜行列車の決闘』と題名を変更するのか。

まだある。原題は『Dr.No』

ソ連時代のソ連の国連代表が拒否権をやたらに使うので、Mr.No(ミスター・ニェット)と陰でよばれたことがあった。

それを避けたかったかどうか知らないが、殺しの番号は飛躍のしすぎである。『否博士』では集客は望めない、私が担当する立場でも、『否博士』は採らない。

『ドクター・ノー』これでよかった。

もう一つ。

先日の『変面王』

私は中国映画と紹介したが、DVDで確認したら、中国・香港映画だった。『変面王』のままの邦題では、香港のギャング映画と勘違いされかねない。

そんな心配もあって、『その手に櫂を添えて』にしたのだろう。

これは、なかなかの配慮である。書き添える。

付:
アクセント記号をつけた本当のフランス語。
Je ne suis pas là pour être aimé
DVDのオモテ面にあります。

ファシズムとポピュリズム

外来語の氾濫は敗戦の日に始まった。

アプレ・ゲールである。

それは今も止むことなく、国政にまで及んでいる。

・ポピュリズム。

政党交付金を社民党の国会議員は率先して返上すべきだと提案した社民党代議士を社民党の別の代議士が、ポピュリズムと批判した。この別の代議士は、確か、ソーリ、ソーリ、ソーリと国会で叫んだ女性議員だった。

ポピュリズムという言葉を、この時初めて知った。

彼女はポピュリズムを日本語の大衆迎合の意味で使った。

政党交付金は、選挙のためのもので、就職活動費である。新規参入者を排除するカルテル資金である。

それをなくすることが、ポピュリズムというのであれば、日本語の大衆迎合ではない。批判の時に使う言葉でなく、賞賛する時に使う言葉である。

・ファシズム。

イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラー、日本の昭和天皇。ファシズムの代表である。それから後は、独裁者を一般的にファシストと呼ぶようになった・・・ように思う。

私の思い違いかもしれないが、私の定義としては、ファシストは、自国の国家権力を用いて他国の領土をおびやかす元首のことである。

この元首は民主的に選ばれた者でもいいし世襲でもいい。とにかく自国の国家権力で、すなわち軍事力であるが、他国を干渉する国の長のことである。

中国は共産党独裁、しかしファシズムではない、米国は自由選挙、しかしファシズム国家である。

ついに石原都知事が新党を立ち上げることを決断した。仲間に平沼赳夫や亀井静香が入っている。

このメンバーを見て、人は、ファシスト集団と言うかもしれない。

国旗掲揚、国歌斉唱、これをしない教員はクビだときかされれば、戦前の悪夢、あな恐ろしと振るえるのは無理もない。

しかし、待て。

国旗掲揚や国歌斉唱など国にとってまったく些細なことである。何も意固地をはるまでもない。ハイ、ハイト従えばいいのだ。裁判までするほどのことはない。

仮に、天皇杯を戴いた外人力士が、国歌斉唱で、口パクパク、心の中で自国の国歌を歌ったとして、それがどうというのだ。

石原、平沼、亀井、おおいに頑張ってもらいたい。

とりわけ、石原都知事には、日米安保という不平等条約の破棄を望む。アメリカにノーといえる政治家は、石原の他には小沢しか残っていないのだ。

外交では、沖縄基地の縮小の具体化。

内政では、国家腐敗官僚組織の抹殺。

この2点だけでもやってくれれば、私は両手を挙げて、新党を応援する。

ただし、ただしだ、尖閣諸島は日本の固有領土だ、自衛隊を駐屯させる、独島も日本固有の領土だ、韓国軍を追い払うべく自衛隊を派遣する、これだけはいけない。

国内でどんなに美辞麗句を並べても、こんなことでは、ファシストの美辞麗句であって、どれほど日本国民に禍いをもたらすか、私は想像しただけで、あな恐ろし。

天才と狂人は紙一重とか。

今日の既成政党の慣れ合い談合政治より悪くなるはずがない。一度は、石原軍団に政治を任せてもいいと、私は思っている。

案ずるより産むが易し、先ず破壊する。とにかく、政官業学の腐敗癒着を破壊するエネルギーが日本には必要だ。

その後のことは、その時に選挙民が考え判断すればいい。

ただし、ただし、ただしだ、領土問題を政党の綱領に入れるとしたら、彼らは狂人集団、私は願い下げだ。

付:

・ポピュリズムは、広辞苑を開くと、悪い意味が含まれていません。大衆迎合と同義に使われているのでしょうか。私は自信がなくなりました。

・北方四島。これも腕ずくで取り戻すというのでしたら、一応見直しましょう、一応ですよ。

私の都会、私の田舎(1) 音

都会の喧騒、田舎の静寂。

15年前、網地島に移住した時に、まっさきに感じたことが、この田舎の静寂というウソであった。

真竹の折れる音。パカーン、パカーン。
風に振るえるシュロの葉。サラサラ。
春先の濃霧に鳴らす汽笛。ボ~~、ボ~~。
荒天の海。ダダダダダ、ド~ン、ダダダダダ、ド~ン。
カラスほか野鳥の鳴き声。
森林組合職員のチェーン・ソー。
東北電力社員の竹伐採。
野良猫。
ねずみ。
蛇の足音(這う音か)。
深夜の漁船のガナリ声(マイクで)。
島内放送、「石巻警察が来ます(から、無車検の車は隠してください)」。
私が鶏を飼うようになってからは、オンドリの啼き声。
犬、ヤギ、猫。
忘れて困るのは、松島航空自衛隊のジェット機。

15年で本当の静寂を感じ取ったのは、悲しいかな、あの3月11日からの数夜だけだった。

平成の浦島太郎として戻った今、今度は、都会の喧騒もウソであることを知った。

静かなのである。

早朝の新聞配達。バイク。
廃品回収の軽トラ。
夕方の豆腐売りの軽トラ。
たまに通る宅配便のトラック。

せいぜいこんな程度である。

静かであることはいいのだが、こんな程度では逆に悩みが生じる。過ぎたるは猶及ばざるが如し。

外なる音がこうであるから、内なる音が大手を振って通りを歩けないのである。

島からオーディオ・システムを持ってきた。結線もOK。では、音楽鑑賞を。

これが思う存分にできない。

島は、アンプのボリュームを12時まで上げてもまったく問題がない。海が荒れていたり、雨足が強い夜なら、モモやリッキーが前足で耳を塞ぐほどの音量でも、一切ノークレーム。

都会に戻って、その伝でやったら早速、苦情が来た。

弦楽四重奏、タンゴまでである。

ドボルザークの「新世界より」やピンク・フロイドは無理である。

音量を下げて聴けばいいとの助言もあったが、ガラス窓がビリビリ鳴らない、床が振動しない、そんな「新世界より」なんて、聴かない方がましだ。

音量だけを比較すれば、都会の静寂、田舎の喧騒が正しい表現である。

付:
・無車検、無免許は昔の話しですよ。今はせいぜい免許証不携帯です。
・28Hzの鬼太鼓CD、これを再生すれば、苦情が来ても反論できません。

相対的貧困指数

世の中にはヒマな人がいるものである。日本だけかと思っていたら、世界にも結構ヒマな人がいるものだ。

鉄骨を担ぐでもなく、大根を抜くでもなく、車のオイル交換をするでもない。ただ、パソコンに向かっているだけで仕事をした気になる人たちが、思いついたのが「相対的貧困指数」である。

貧困の尺度に、ケータイを持っているかどうかを使うという所まで読んで、そこから先はアホらしくて読まなかった。

貧困は貧乏とは違う。

生活に困っているかどうかは、相対的なものではない。隣の芝生を羨ましがる程度は貧困とは言わない。

国を治める者の責任は、徒然草の一文に尽きる。

~~~~~~~

世の人の饑ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり (徒然草第142段)
~~~~~~~

日本が世界の何番目に位置しているかなど、調べるほどの価値はない。税金のムダ使いだ。

国家公務員だか国の外郭団体だか覚えていないが、とにかくアホらしかった。そのまま放っておいたが、頭の中からなかなか消えない。

こういう時には、ブログに限る。

スッキリした。

付:
ネット検索しました。相対的貧困率が正式名称でした。厚労省発です。作成者、給与100%削減ですな。

公務員給与 8%削減

今後2年間、国家公務員の給与を8%下げるという。

民主・自民・公明が合意したのだから、その通りになるだろう。

これで、溜飲を下げる国民がいるとすれば、早とちりである。

国家公務員には現業に携わっている者から自衛隊員まで含まれる。

年収400万円がいると思えば、2千万もいる。

家賃4万円を払って民間アパートから出勤する者がいれば、高級マンション並みの官舎に敷金なし、タダ同然で定年まで安住(あんじゅう)する者もいる。

年収400万円からの8%削減が32万円。年収2千万円からの8%が160万円。大差である。では、どちらの家計が苦しくなるかといえば、400万円である。

消費税と同じ原則が働く。

民・自・公の三××トリオの自作ではない、有識者が作ったものでもない、国家公務員が策定したものを、三××トリオが採用したものである。

平均8%の母集団は、野田総理の手元に届いているはずだ。

ある集団には3%、別の集団には12%、こういうことかもしれないし、すべて8%で、統計学上の表現で平均8%と言っているのかもしれない。

私は、現場で真面目に働いている公務員の給与をムダだから下げよと政府に「勧告」したことは一度もない。

憲法の番人でありながら軍隊を見て見ぬふりをする裁判官、年がら年中、統計作業をこしらえている役人、出来もしない地震予知で俸禄にありついている役人、原発は安全であるとウソをいいつづけている国立大学の教授、こういう公務員の給与がムダであると言ってきたのである。

8%の明細は、時間と金をかければ、私でも入手できるだろう。しかし、私はそのために生きているのではない。
ごく普通の生活を送っている一老人である。

その私の代わりに、明細を入手し、それを公開するのは、新聞にとってお手の物であろう。

26日付けの読売にも東京にも、ただ8%とあっただけだった。

ラジオやテレビでできないこと、新聞でなければできないこと、すなわち細かい数字を活字で紹介すること、これをして欲しかった。

100点を取った秀才学生一人と零点を取った鈍才学生一人のクラス。これでもクラスの平均点数は50点。

三××トリオが自慢気に公表した平均8%は無意味である。

付:
・石巻市では、市の職員の報酬が、市広報でランク毎に公開されています。国家公務員でしたら政府が、全国紙で公開すべきでしょう。
・退官という自然減が計算に入っているのかどうかもわかりません。

ダボス会議 渡辺謙の『ラスト・サムライ』

26日の東京新聞で彼のスピーチを知った。

写真を見るとかなりの硬派である。スピーチの要約を読んだら、顔と同様、中身もこれまた硬派。

せっかくだから、記念に一部を私のブログに写そうかと思っていたら、全文が東京新聞のホーム・ページに載っているとあった。

以下はその一部。

~~~~~~~

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

~~~~~~~

日本にあるという「足るを知る」の本家はお隣の大国中国である。中華人民共和国建国の当時は、この「足るを知る」を実践した。ある人たちは、物質文明を知らないから、やせ我慢だと批判していた。現在の中国を見ていると、この批判が概ね正しかったように思える。話がそれた。

「足るを知る者は富めり」は国家でもなければ国民でもない。一部の賢人たちの自覚ではなかったか。

また、被災地を、渡辺謙さんは自分の目で確かめたのだろう、がれきの荒野と呼んだ。私は荒野という表現はまだ甘いように思っている。石巻で見た被災地は、私には廃墟である。人や生き物の気配が感じられない、構築物の痕跡だけしかない平らな土地は、千年前の廃墟と少しも違いがない。

それはともかく、渡辺謙さんが原発廃絶を世界に訴えると同時に、「足るを知る」日本を世界に紹介した。偉い。

一方、同じ日本人でありながら、連合は1%の賃上げ要求をしている。

外国からみたら、何が「足るを知る」だ、わずか1%の駆け引きにうつつを抜かして、連合は日本ではなかったのか、渡辺さんと連合とどっちが日本人なのか、こう不審がるだろう。

連合の幹部、それを選出した連合労働者よ、渡辺さんのスピーチをよく読むことだ。

恥ずかしくて、二度と1%を口に出せなくなるはずだ。

付:

・この渡辺さん、映画俳優とのこと。出演している『ラスト・サムライ』という映画のDVDを、さっそく、楽天レンタルで借りることにしました。

・『レッド・サン』つい最近観ました。アラン・ドロン、チャールス・ブロンソン、私のお気に入りですが、とくに三船敏郎が日本を代表していると聞いて、観ることにしたのです。三船敏郎に言わせる武士道に拍手しました。『ラスト・サムライ』が楽しみです。

・映画『武士の一分』もいい映画でした。私の邦画嫌いは食わず嫌いかもしれません。

解散総選挙を野田に迫る谷垣(敬称略)

夜の7時、いつもより少し遅目の夕飯。会津磐梯山の日本酒で晩酌。2リットルで980円は安い。

島にいれば今頃は自家製どぶろくだ。

ラジオを聞きながらの一杯で、負け碁の気安さのような気分に浸れる。

谷垣:「オタクはウソばっか。直ちに国民に信を問え」
野田:「いやなこった。消費税増税が決まってからやるよ」

こんなやり取りが放送された。

野田総理は、次回選挙で討ち死にする。この自覚症状はある。地方選挙で連戦連敗を喫していながら、まだ、総選挙に勝つなどとは、どんなノー天気でも、想像しない。

野田首相は、増税を決めて、討ち死に。これが財務官僚のシナリオでなくてなんであろう。

それではならじと谷垣自民総裁。

と彼に拍手したくなるが、これがまたとんだ食わせ物。

野田総理が、「谷垣さん、仰せのとおり、早速解散総選挙しましょう」と応えたら、谷垣総裁は真っ青になる。

年金と税をどうするか、今の民主と同じように国民から問われる。答えれば、なんだ野田と同じじゃないかと恥をかく、答えなければ口先だけと笑われる。どっちにしても、たいへん迷惑な事態に直面することになる。

だから、将棋の手順ではないが、こうはならない。

谷垣:「解散せよ」(解散しないでね、野田さん)
野田:「しません」(後は一緒に仲良くね、谷垣さん)

自民、民主、霞が関官僚、それと大手マスコミによるやらせ演出である。

国会中継は伊達に流れているのではない。ヒマがあったら聞くのもいい。その時間が惜しいと思えば、ラジオでも聞けばいい。

NHKが要領よくまとめてくれている。

解散あり。ただし、消費税アップのあと。

如何。

‎国会 自公民の馴れ合い劇場

私は、日本のテレビ局・新聞社の記者で、自・民対決を信じている者は一人もいないと思っている。

自民と民主が、国会で論戦を張っているのは、支持率を1%でも上げて、合併の時に少しでも優位に立ちたいがためである。

横滑り代議士の新党でなく既成政党打破の志を抱く政治家の新党の出現は間違いない。

しかし、今なら、かろうじて、自民と民主が団結すれば、国会の過半数は、なんとか確保できる。その時の準備で大わらわというのが今日の「時局」である。

慣れ合い劇場でも、舞台は舞台。役者は一応それなりの演技をしなければならない。舞台の上から見下ろせば、覚めた観客の冷たい視線が返ってくる。

普通の神経の持ち主なら、耐え切れず、尻尾を巻いて舞台から去るのだが、こういう神経は持ちあわせていない。ず太い神経を持っているというべきか。

しばらくは、ポーズ合戦が続けられる。いかに、メディアに喜んでもらうか、メディアに贔屓してもらうか、民主と自民、自民と公明、公明と民主、三つ巴の駆け引きが、国会演舞場の裏で日夜行われている。

こういことが大好きなお公家政治家の集まりだから仕方がない。

選んだ私はバカだった。選んだ(としたら)あなたもバカだった。(一言余計でした)

付:

解散総選挙は、そんなに先の話ではないように思えます。後になればなるほど、新興政党が力をつけますから。

原子力災害対策本部の議事録の未作成

私の最初の就職先は、冷凍機メーカーで、その工事部に配属された。

印刷された自分の名前を初めて見た時の落胆を今でも覚えている。ああ、これからは死ぬまで働かなければいけないのか、名刺が語っていた。

机と椅子こそあてがわれたが、入社したての私に仕事は与えられない。任せる仕事がないのだから、そうなる。

どうせ会社にいても役に立たない。そこで、先輩たちについて外回りをする。

工事部の外回りは、集金や勧誘ではない。打ち合わせである。

相手先と我が社が、ああだこうだと話しあう。入ったばかりだから、なにがなんだかさっぱりわからない。そもそも、業界用語が分からないのだ。

やることといえば、机に並んだ相手先の名刺をいじくるだけだけ。先輩にこづかれて止めにした。

ただ、睡魔との戦い、大学の商学科目を思い出した。あれも眠かったなぁ。

夕方、会社に戻る。やれやれこれで今日は一日お終い。帰ろかな。

その時、「おい、議事録を明日まで書いておけ」と先輩。

青くなった。場所と時間と相手の名刺の写しのほか、白紙である。何も書けない。

翌日、こってり絞られた。

「議事録が残らない打ち合わせは、会議ではない、飲み屋の雑談だ。分かったか、バカもん」

この叱責のお陰で、その後転々として移った勤務先での打ち合わせや会議の議事録作成では、私の右にでる者はなかった。とにかく早いのである。

打ち合わせが終わる。その時には、原稿が出来上がっている。帰社してやることは、体裁を整えて、必要部数をコピーすればいいだけ。

とりわけ、電子部品メーカーの技術部に席をおいた時は、私の手際の良さが光ったものだ。エヘン。

これは私の自慢話ではない。次の話を引き立てるためのものである。

大手企業であれば、技術部の何々課、何々班、何々担当となるかもしれないが、私の所は、何でも屋。新製品開発から、原材料評価、信頼性試験、品質管理、クレーム処理、なんでもござれであった。

打ち合わせが終わる。

「議事録は私の方で作らせていただけませんか。明日、ファクスいたします。追加や訂正がありましたら、お願いします。正式書類は、営業に届けさせます。いかがでしょうか」

私のささやかな殺し文句である。

相手側の安堵感というのか開放感というのか、顔で分かる。だれしも、宴会の後の皿洗いは嫌いだ。

議事録も同じ。議事録は書き手側が有利になるもの。そうなっているから、上司のハンコはついたも同然。

ある会社で、いつもの手を使って、見栄を切ったら、
「その必要はないです。すでに出来上がっています」

部屋の隅の電話から、女子社員を呼んで、コピーを命じる。終わりの雑談中に、女子社員がコピーを持ってくる。
打ち合わせをしている間に、作っていたのだ。この手際の良さ。

いささか得意げの表情で議事録用意を提案した私が、己のうぬぼれを恥じたものである。

この名誉ある会社は、パナソニックの前の松下電器産業の一部門である。

広い世の中にはこういうしっかりした組織があるのだ。

さて。

これに比べて、政府はどうだ。

議事録を作らないばかりか、作らないことへの反省が一言もない。

「きちんとした合意がなかった」

笑わせてくれる。政府や役所は、合意がなければ議事録を作らないのか。
しかも、「きちん」だって。

「意図して取らなかったわけではない」
笑わせてくれる。隠していないと言いたいのだが、隠すも隠さないも、取るのが常識ではないか。

「録音はひとつのやり方」
笑わせてくれる。人は録音機ではない。収録はいいが、それを取捨選択して要領よくまとめて文書に残すのが人ではないか。

原発事故を他人ごとのように、受け流す。町工場だったら、真っ先に「バカもん」が飛び出す。

岡田副総理は、バカか阿呆か、はたまた、その両方か。

どこで勉強したのかしらないが、こういう人間が副総理でございと大きな顔をしているのだから、呆れる。こういう人間を政治家、しかも国のナンバー・ツーにする選挙民の甘さに呆れる。

読売を購読していない人のために、書き写した。

~~~~~~

岡田副総理

現時点で聞いているのは、どこが記録をとっているか、きちんとした合意がなかったということだ。意図して取らなかったわけではないと聞いている。(会議の録音は)一つのやり方だ。

~~~~~~

記:
読売新聞 1月26日
新閣僚に聞く 岡田副総理 野党拒否 世論次第で難しく

春闘 この華麗なるパフォーマンス

恒例の春闘である。

経団連と連合が、賃上げの交渉を始めた。

労働者の賃金が上がれば、内需が拡大して、景気が良くなる、会社は儲かる、だから賃上げ・定昇は必要だ。さあ、どうする。

賃上げは、コストの上昇をもたらす。国際競争力が増々弱まる。工場の海外移転が必要になる。失業者が増える。さあ、どうする。

何年、こんなことを繰り返すのか。

惰性、慣性の法則でやっているだけである。

民主党政権になっても、変わっていない。

それどころか、日経連と連合が共に、民主党政権のスポンサーであることで、春闘は闘争からサロンのお茶飲みに変質してしまった。

原発企業・軍需企業・ダム企業、こういう労働者は労働貴族と呼ばれ、これが春闘の主人公であるのだから、無理もない。

春闘は茶番だ、大手メディアがトップ記事にしていないことからも証明できる。

付:
・経団連の米倉弘昌会長と連合の古賀伸明会長の写真。どちらが資本家サイドでどちらが労働者サイドか分かりますか。日比谷公園で赤旗をなびかせるような力持ちが労働者。そういう労働者が選んだトップが古賀であるはずがありません。連合の労働者は名ばかり労働者です。

・総評会館が連合会館に名称変更。こうして、大政翼賛が日本に蔓延していきます。

・国家公務員も連合であることを忘れているわけではありません。

題名

大昔から気になっているのが、洋画の日本語題名である。

イタリア映画『島の女』の名付け親が、当時は「島の男」という映画があったので『島の女』にした、今なら『イルカに乗った少年』にしたとラジオで語っていた。昔の話である。

網地島という島の男である私は、「島の女」を贔屓にしたいところだが、「イルカに乗った少年」の語感に勝てないでいる。

次ぎ。

『リバー・ランズ・スルー・イット』

この原題は『A River Runs Through It』で、そのまま邦題にしいている。これは、明治初期の英語の教科書である。

今でも、ランズがランニングのランと同じであることを直感できない人がいるはずで、スルーと来たら、中学英語で習わないのではないか。

マラソン選手のランは走る、リバーなら流れる、ここまで読み手の連想力に任せていいものか。

「一本の川がそこを流れている」。配給会社の担当員がこれではどうにもならないと、あれこれ日本語を考えた末、結局面倒になって、エイヤッとローマ字カナ変換で済ませた、こんなところだろう。横着である。

次ぎ。

中国映画。原題は『變臉王』繁体字を日本語漢字にすると『変面王』。この邦題が『その手に櫂を添えて』になっている。私がタイトルを伏せて試写会でこの映画を観たら、文句なく邦題を推薦する。まれに見るいい映画である。その題名にふさわしのが、「その~」である。

おまけ。

昨夜、見た映画である。フランス映画『恋のエチュード』。この月並みな題名には呆れた。題名の多さで『恋~』はトップではないか。それにエチュードとは。平凡の極みである。しかし、フランス映画大好き人間の私は、一応観ることにした。美しい風景がHDないため台なしだった。これが私の印象である。

原題は『Les Deux Anglaises Et Le Continent』

直訳は二人のイギリス女と一人の大陸男、か。これは味も素っ気もない。命名担当者が、これを軸にして、人を惹きつける邦題を工夫しなければいけない。それが、彼か彼女の仕事であはずだ。それを、『恋のエチュード』とは、なんたること。

新聞に新刊書籍の広告が毎日出ている。

中身の程度の低さ相応のセンセーショナルな題名もあれば百年後まで図書館に保存して恥ずかしくない題名もある。

書名に共通しているのは、著者以上に、出版社が命名に腐心していることだ(想像です)。

映画だって、芸術作品はともかく、普通の映画であれば、題名にも気を使うべきである。

名は体を表す。

どんなに内装が豪華でも表札が貧弱であれば、その家は豪邸と呼ばれまい。

幸い、映画は誰でも自由に観ることができる。

オッ、ひとつ木戸銭を払ってみるか・・・、題名次第である。

しっかりしてくれ、配給会社。

付:
フランス語の訳、自信ありません。

赤字国債 何が問題なのか

国の借金が増え続けている。

国家予算の国債依存度は限界に達している。

大変だ、大変だ、なんとかしなければ国が滅びる。

増税だ、増税だ。

滑稽でならない。

紙っぺら一枚の証文でお金が入ってくる。日本国の紙っぺらであるからお金が入ってくる。これがどこか遠くの小さな国だったら、金粉をふりかけた厚手の和紙でもお金は入ってこない。

国債、国債と話題にする割に、こういう大前提があまり話題になっていない。

借金は借りる時は、豊かになる。自分の稼ぎに上乗せすれば、豊かになるのは当たり前。

返す時は、貧しくなる。自分の稼ぎから返すのだから、貧しくなるのも当たり前。

日銀や財務官僚はこの当たり前を難しい言葉、財政破綻に置き換えて、消費税増税を野田にやらせようとしている。当たり前は、国民にとっても当たり前ということで。

落し物はありませんか。

貧しくなるのは、自分の稼ぎから返すからである。自分の稼ぎから返さなければ、貧しくならない。

これを落としているのである。

国債償還を国債の発行、然り、赤字国債の発行でカネを集めて、それで返済していけば、財政破綻は起きないのである。

返せ、返せと迫られたら、また国債を発行すればいい。

これを繰り返していくと、どうなるか。

別にどうということはない。更に増発すればいいだけのことだ。

バイ・プロダクト(副産物)さえ期待できる。

野田政権や経団連会長、御用組合連合幹部が泣いて喜ぶ円安である。

半世紀前は、1米ドルが360円であった。キンで裏付けされた米ドルだった時代のことで、その時でも日本の貿易は成り立っていたし、円安で餓死者がでたことはなかった。

私は、国債増発が財政破綻の危機を招くと主張する政府やエコノミストが本気でそう言っているのなら、彼らの経済学の質の低さを嗤う。増税目当てなら、彼らの詭弁に怒る。

それでは、赤字国債をお前は認めているのか、こう問われれば、私の返事は、「否、否、否」である。

額に汗したカネは、誰しも大切にする。欲しい物があっても、将来もっと欲しい物が出てくることを考えて貯金するかもしれない。

他人のカネではそうしない。返せないカネであろうが返すつもりのないカネであろうが、手元にあれば気軽に使う。

カネに色はついていない。楽して手に入れるカネもカネだ。額に汗するのが馬鹿らしくなる。

国も同じ。

身の丈の生活が国家にとって、国民にとって、その中の一人である私自身にとって、なにより大切であると信じている私は、借金による背伸びを最も嫌う。

国債増発で国家財政は破綻しない、破綻するのは国民の道徳心である。

これが理由で、私は国債に猛反対するのである。

付:

・なぜ、文科省が国債問題を主導的立場で解決しようとしないのか、私には理解できません。

・全国債を償還したら、返して貰った側が、そのお金の使い道に困ります。すぐに、日本政府に国債をどんどん発行してくれと迫ります。

石原都知事インタビュー 新党参加は核装備

石原都知事は、地球温暖化を心配している知事である。多くの県知事が、地元と国のパイプ役に身を落としているのとは大違いである。

インタビューから私流の語録を作ってみた。

・都は職員の数も減らした。なんで国はやらないのか。それもやらないで消費税を上げるって「野田さん、もうちょっとしっかりしなさい」

・行政経験のない人間が都なんか預かれない。

・大事な事は官僚制度をいかに抹殺するか。

・若者をもうちょっと意欲的にするために、高卒後、2年位自衛隊・警察などで集団生活をさせたらいい。

・教育委員会は何も役人が天下りで行く必要はない。

・東日本大震災は天罰だ。日本人は我欲を洗い落とす必要がある。

私流だから、どうしても私の気分が混じってしまう。大賛成とまではいかなくても、反対する理由は見当たらない。

次が面白い。

~~~~~~

僕は核装備をすべきだと思っています。できないんだったら、核のシミュレーションだけやったらいい。新党参加の絶対必要条件の一つにする。

~~~~~~

彼の中国嫌いは私でも知っている。中国が核兵器を持っているから、対抗措置として日本も持つべきである、こういう考えであろう。中国なんかにナメられてたまるか、この「心情の吐露」と私は見ている。

上の語録は、石原新党が政権を担うようになれば、実現可能である。核装備を除けば。

そう、アメリカは絶対に核装備を許さない。日本に対する警戒心たるや、朝鮮、イランの比ではない。私の考えである。

記者会見で記者の一人が、「アメリカが反対したらどう対応しますか」と質問をしなかったことである。応答があっても、記事にしなかったのかもしれない。

知りたかった。残念である。

記:

・東京新聞 今月の何日のか、捨ててしまったのでわかりません。1月5日の新年記者会見であることは覚えています。ずいぶん後になって記事にしたものと不思議に思ったことも覚えています。

・抹殺ですよ、怖いですね、現行制度に甘えている霞が関キャリアの皆さん。

大川小学校 石巻 津波

・東京新聞には、校庭に避難した(避難させられた)児童が「こんなところで死んでたまるか」と話していたとありました。

・6人の長の皆さん、この事、いつ知ったのですか。犯罪ですよ。業務上過失致死傷罪の対象者リストとして、とても役に立ちました。

・両紙を読んでも分からなかったのは、3.11当時の「長」達が今どうしているかということです。まさか、この6人ではないでしょうな。

合掌。

付:
東京新聞 1月23日

これは、昨日のブログの付でした。石巻教育委員のデタラメを一人でも多くの皆さんに知ってもらいたとの思いで、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で2部に分けました。

野田首相の馬脚

野田首相の姿勢方針演説の全文が記事になっていた。

人間、現金なもので、ラジオしかない時には、都合のいい所だけNHKに語らせて、なんて文句を言っていながら、いざ全文をさあ、ご覧下さいと出されると、こんなダラダラ文に一々相手してられるか、ということになる。

とは言え、せっかくの我が日本国の政治家トップの演説である、一応は敬意を表しなければならない。

チョンチョンとかいつまんで読んでいく。

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このような背景や認識に基づいて、政府与党は、経済状況を好転させることを条件に、2014年4月より8%へ、2015年10月より10%へ段階的に消費税率を引き上げることを含む「素案」を取りまとめました。

引き上げ後の消費税収は、現行の地方消費税を除く全額を社会保障の費用に充て、全て国民の皆様に還元します。「官」の肥大化には決して遣いません。

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第一問。

私の聞いてきた限りでは、経済状況の好転をみて、あるいは、経済状況をうかがいながら、このような他力であった。民主党内部の消費税反対派、慎重派に配慮してそのような条件がついたと思ってきた。

演説では、「経済状況を好転させる」と自力の表現になっている。

頑張る、努力する、どうか国民の皆さん、私の言うことを信じてください、こう言っているだけで、なんら客観性がないのである。

「頑張る、努力する」、しかし「やはりダメでした」これでも消費税増税はするという意味なのである。

経済状況次第では、消費税のアップは中止することになるかもしれない、こういう余地が残されていないのである。

景気の回復は永遠に起きない。今様の資本主義体制では、どんなに豊かになっても、必ず不平・不満の業界が残るものだ。GDPがいくらいくらの成長で幾年持続したら、消費税を上げる、こういう約束でなければ、景気の回復は絶対に起きない。こう私は信じているから、消費税増税の機会はないと踏んでいた。

野田首相の演説は、巧妙に表現を替えた。ウソとは言わないが、トリックである。

第2問。

官とはなんぞや。官は公僕である。官の存在理由は、民に貢献することにある。これがそうでないことは、民の側の常識であるが、民主党の政治家もそう思っていたのである。彼らはマニフェストで公言している。

政権を奪取してからは、180度方向転換して、政官協業体制をとるようになった。協業の実態が官主政従であることは何を今更である。

私がこの演説から感じたのは、野田首相自身も、「官」をムダと認めていることである。

だから、彼は、全額民に回しますと言ったのだ。

彼にしてみれば、大見得を切ったつもりであるが、よくよく考えると、こんなおかしな話はないことに気づく。

消費税は野田首相が額に汗して稼いだカネか。否。ぜんぶ国民から巻き上げたカネである。大根1本、納豆1個、これを買うたびに納税しているのは、国民である。この中には在日朝鮮人も含まれているから、朝鮮学校への助成は当然である。話をそらさず、続ければ、全額国民から徴収して全額国民に還元することがなぜ演説に入っているのか。当たり前のことではないか。

10取って、9返すのは、丁半賭博の鉄火場の胴元だ。

ここでまたよくよく考えると、全額還元はウソであることにも気づく。中間搾取が官によってなされるからだ。

全額還元だったら、最初から税金を取らなければいいだけのことだ。国民から巻きあげておいて、さあ、お使いください、これはないだろう。

引用した前後に、官庁組織の縮小統合を語っていた。

復興庁を新設したニュースが私に届いたのは、つい昨日だった。縦割り行政の弊害をなくし迅速な対応とかなんとか言っているが、やっている官僚の質が変わらないのだから、看板の作成費用がかさむだけだ。

まだあった。

胴上げ型、騎馬戦型、肩車型。読売新聞でとっくに知っている。陳腐な例えである。

胴上げでも、把瑠都をトスするのは大変だ。肩車でも、2歳の子供ならなんということはない。

一体、一体と言っていながら、現行保険制度を抜本的に改革せず(役人は変化を嫌う)、大変だ、大変だとわめく。
政治家が改革せず、誰が改革をするというのだ。

操り人形の野田首相、原稿を間違いなく読み終えたことがせめてもの収穫か。

付:
馬脚とは失礼な。ごめんなさい、お馬さん。

・好転させる、好転しなかったじゃないか。心配ご無用、野田さんはOBになっています。(財務官僚談)

大川小学校 津波 石巻市 教育委員 恥知らず

石巻市教育長の記者会見 ここにも恥を知らぬ役人が(副題)

私は大川小学校の悲劇をこれまでブログにだしたことはなかった。

嘆く、悲しむ、悼む、これらの言葉ではとても言い表せないからである。

漱石や龍之介ならこの悲劇にどんな言葉を当てるのか。

石巻にいた時に、教育長の談話はすでに知っている。

「学校は最善の対応をしていた」

これである。

今日、教育長の記者会見の模様が記事になっていた。

ご多分にもれず、起立、礼のポーズ写真付きである。

「未曾有の自然災害としての天災と、学校管理下での大きな被災としての人災」が犠牲者を出したと述べている。

これが悲劇から10ヶ月が過ぎて、教育長が出した結論である。

石巻教育委員会のメンバーと大川小学校の校長や教頭などが会議を開き、練りに練ってまとめ上げた結論である。

「いくら謝罪しても決して許されるものではない。心から謝罪を続けていく」

見よ、この空々しさを!

天災と人災の複合災害とは、よくも言えたものだ。

3月11日の地震と津波は自然現象である。1人の犠牲者も1戸の被災家屋もでなければ天災とは呼ばなかった。

大川小学校のような人災が起きたから、天災となったのである。

教育長の反省は天災半分、人災半分、だから半分の責任は天にある、自分たちは残りの半分である、こう言っているのだ。

いくら謝罪しても許されないのなら、なぜ謝罪を続けるのだ。

石巻市街で被災した地元壮年の一人と島の我が家で一杯やった時の話。まだ、救援物資が配られていた5月のことである。

話題は、当然、3.11。

私:「大川小学校の児童は本当に可哀相だった。自分で判断できない子供ではないか」
壮年:「父兄からは非難轟々だ」
私:「教育長や校長の談話には我慢がならない。切腹ものだ」
壮年:「実際に教師の一人が自殺した」

理由が父兄からの突き上げに耐えられなかったとのことだったが、確認していない。自殺があったかどうか、これ自体、私は確認していない。

ただ、自殺して罪を償うことに、私は少しの違和感も抱かなかった。責任の取り方の一つとして納得できる選択肢であるからだ。

学校側の怠慢で74人の子供の命が失われたのだから、40歳や50歳の教育長らが自分の命に未練を捨てること位、朝飯前でなければいけないではないか。

それを、「心から謝罪」にすり替える卑しい根性。

彼らの心は心であって心でない。

続ける。

津波が来る前に、住民が「学校の裏山に逃げろ」と引率教師らに声を掛けた。

記事では「声を掛けられた」となっているが、こんな「お声掛け」であるはずがない。叫んだのだ。絶叫したのだ。

これをそのまま記者会見で発表すると、「それなのに、なんで聞かなかった」と責められる。だから、「お声がけをいただきました」レベルに落としたのである。

さすが、教育界の強者である。予防線だけはしっかり確保している。

記事はこれで終わっていない。

唯一生き残った男性教諭の事故に関する文書が公開されたのである。

驚くなかれ、書かれたのは6月3日である。

驚くなかれ、この文書は保護者宛てであるのだ。

半年以上も石巻市教育委員会事務所の棚に置きっぱなしになっていたのである。

父兄から何も言ってこなければ、菅直人ではないが、「ないことに」する魂胆だった。

今日のブログは、くどいほど石巻を繰り返している。石巻を検索するお方が迷って私のブログに着くことを願っているからである。

石巻市教育委員会の恥知らず。

我が零細ブログを疑われるなら、1千万部の読売でとくとご覧あれ。

記:
読売新聞 2012年1月23日 

・それでは東京新聞はどうだろうか。活字に飢えきった島暮らしの後遺症です。記事は読売に軍配。東京新聞は写真がよかった。どんな面を下げて記者会見したのか、カラーでよく分かります。

河北総合支所
学校長
教育長
事務局長
事務局次長
学校教育課長

雁首が揃っています。河北総合支所は長が付いているでしょう。トリミングされて見えませんが。

首都直下地震4年内70%

週刊現代という週刊誌は面白いもので、私がサラリーマンをしていた30年前にも、ネタ不足になると、決まって「東京大地震で阿鼻叫喚」を特集していた。

来るぞ、来るぞ。車内吊りの広告を見ると、ひょっとして、東西線の真ん中辺りでやられるんじゃないかと心配したものだ。(ウソ)

今日の4年内70%は読売である。真面目な話には真面目に応えなければ礼儀を失する。しかも、その出所が東大地震研究所であるというのだから、私は真面目も真面目、大真面目で読んだ。(ウソ)

私がこれを取り上げたのは、東大地震研が、発生確率を過去の地震の発生間隔を統計学確率論から推定しているからである。

何も東大でなくてもいい。北大でも、西大でも、南大でも構わない。地殻変動の観察でなく経験から予測するという私の持論と同一であれば私は納得する。

3.11大地震の前は、向こう20年内で大地震の発生確率が85%だったように記憶している。あるいは30年だったか、80%だったか。宮城では地震予知役所の発表として頻繁にニュースになっていた。

20年の初日か20年目の前日か、ヘブン ノウズ。

起きた時にどうするか、備えはどうするか。人智に残された余地はこれだけと観念した方が利口だ。

これのためには、確率はまったく役に立たない。これは、同志社大教授か誰かが、年中、借金王国日本ではバブルはいつはじけてもおかしくない、と言っていることと同じ程度で無意味である。

首都直下地震 M7級で、最大死者1万1000人、建物の被害85万棟。

M8ならどうか。東日本級のM9ならどうか。

東大地震研がシミュレートしていないはずはない。多分、30年前の週刊現代特集号と似たような数字がでていることだろう。

救いは、発生確率が大幅に下がることだ。(ウソ)

100年内の確率が10%であっても、その10%が100年の初日であるかもしれないことには変わりないのである。救いにはならない。

だからといって、無意味な数字であるのではない、それどころか、都民に覚悟を促す非常に重大な警告である。

首都直下地震が発生した時に、水がない、食料がない、電池がない、トイレットペーパーがない、行政は何しているんだ、こんな泣き言を聞くのは、宮城でたくさんだ。

記:
読売新聞 2012年1月23日 第1面中央(特記します)

4億円と85億円 パン代とサーカス代

私のブログのしつこさはご愛嬌半分として、マスコミの小沢さんに対するしつこさには、辟易する。

収支報告書に4億円の記載が漏れていた。知ってのことか、いやこんな大金、知らぬはずがない、4億円はどこから手に入れたのか、延々と続けているのである。

小沢さんは政治家である。経理課の課長ではない。政治家が自分の懐具合を年中気にしていては、商売にならない。彼はいみじくも言った、「私は政治家だ。国家を考えていて、カネ勘定をする暇はない」と。この言や良し。

テレビ局の記者にテレビ局の金繰りを聞いてもわからない。新聞記者に新聞社の金繰りを聞いてもわからない。彼らに向かって、同じ会社なのにどうして分からないか、こんな質問をするバカはいない。私の仕事は取材と立派な記事を書くことだ、と一笑に付されるからである。

4億円が銀行を襲って手にしたカネなら問題だろう、麻薬の密売で手にしたカネでも問題だろう。

政治家でも企業家でも、偉くなれば偉くなるほど、固定給外の実入りが増えるものだ。

係長時代には2千円のそば、課長時代には1万円のハムの詰め合わせ、部長時代には5万円のコニャック、その上、係長では部下2人から、課長では部下20人から、部長では部下100人から、こういうことが在職中続く。

あっという間に、玄関先が貢ぎ物で一杯になる。

清廉の志士、判事や検事の生活範囲ではこういう現象がない。盆暮れの2回どころか、毎月税金による貢ぎ物が届けられるから、現象は起きないのである。

誰しも、人に知られたくないカネは持っているものだ。

小沢さんの地位であれば、2百万円の「知られたくないカネ」が毎年20人から届けられ、それが10年続いたところで、驚くほどのことではない。

記載漏れなら、記載させれば済むことだ。

世間知らずの記者、六法全書しか知らない役人、政治家を経理マンと混同している(非)有識者、そして、彼らに便乗して権力の座にしがみつく政治家。

私は、野球芸人に85億円も用意する経済社会の方が、よほど病根は深いと思っている。

それで、パンに4億円、サーカスに85億円と題した。

恥を忘れた菅直人 歌を忘れたカナリア

今日も静かな朝を迎えることができた。

夕方まで、静かなままであるという保証はどこにもない。

3.11も、やはりこんな静かな朝だった。

新潟、阪神、北海道、東北内陸、東北沿岸、順不同でも、次回が関東であることは、地震予知寄生虫官でない私でも、分かる。

それでも、いや、それだからこそ、静かな朝のひとときを心静かに過ごしたい。

ネットを開く。

Yahooニュースをざっと見る。近頃、新聞のお陰で、真剣に見ることはない。ブログの材料をYahooニュースに求めることもない。

今日は、違った。

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福島第1原発:最悪シナリオ封印 菅政権、なかったことに

 東京電力福島第1原発事故で作業員全員が退避せざるを得なくなった場合、放射性物質の断続的な大量放出が約1年続くとする「最悪シナリオ」を記した文書が昨年3月下旬、当時の菅直人首相ら一握りの政権幹部に首相執務室で示された後、「なかったこと」として封印され、昨年末まで公文書として扱われていなかったことが21日分かった。複数の政府関係者が明らかにした。

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「ミッドウェーはなかったこと」
「ガダルカナルはなかったこと」
「硫黄島はなかったこと」

人は、これらは現実に起きたことの隠蔽であって、菅直人のは、「シナリオ」だから、次元が別だと言うかもしれない。

確かに言われる通りである。

福島原発の事故がNHKのご贔屓原子力学者の予言通りで収まっていれば、「なかったこと」がなかっただけのことで、そうでなかったことは、後のこと、いわゆる結果論である。

私が問題にするのは、国民に最悪の事態、最悪シナリオが真の最悪かどうかは別にしてだが、を国民の税金で雇っている専門家が用意したにも拘わらず、菅直人とその茶坊主連が握りつぶしたということである。

国民に信を置けば、最悪の事態に対する覚悟を率直に国民に告げなければいけない。チェルノブイリやスリーマイル島が教えているように、架空の事態ではなかったのだ。

今でも、菅直人は国会議員の一人として、国会に居座っている。

今なお、新聞のインタビューにも応じている。

歌を忘れたカナリアと違う。彼に温情はいらない。山に捨てよ、淵に沈めよ。

ここまで書いて、ようやく腹の虫が収まった。

朝の静けさが戻ってきた。

私の頭の中の消しゴム、ご苦労。

付:
多忙により、アップロードは深夜翌日時刻になってしまいました。

岩手の仮設住宅 「水がでない」

夏は暑い、冬は寒い。

緯度が上がれば上がるほど、冬の寒さが厳しくなる。北半球の宿命である。小学校の理科である。

岩手沿岸部の仮設住宅で水道凍結が続出しているという。

そんなバカな。

私は我が目を疑った。

宮城にある私の温暖な島でさえ、厳寒期には蛇口にツララができる。まして、岩手なら。

岩手県知事は、施工に問題があったとして、1万4千戸全部を修繕工事をすると約束した。

おかしいと思わないか。

施工は設計図・仕様書に従う。施工に問題があるとするのは、設計図通りに建てなかった場合であり、設計図通りに建てたのならば、施工に問題はない。

手抜き工事だったかどうか、記事を読む限り私には確認できない。

しかし、手抜きであってもそうでなくても問題は残る。

一つ。
冬将軍が襲ってくる前に、仮設住宅が不要になると県の政治家や役人が思っていたのか。国の仕事ぶりをみていれば、あれだけの被災から半年かそこらの短時間で復旧するなどありえない話だ。大甘である。

一つ。
改修の費用は、誰が負担するのか。施工ミスなら施工業者である。無理難題の仕様を押し付けたのなら発注者にも責任がある。その追加費用は、応分に知事や担当部署の役人が負わなければならない。

よもや、県税や交付税を充てることはなかろうな。

私は、このいずれでもないと思っている。

県の役人が、冬の寒さを知らないはずがないからである。自宅の水道管がむき出しのままであるはずがないからである。

それでも問題は残る。現実に問題が起きているのだから、当たり前である。

その問題とは、施工主である県が、仮設住宅の引渡し(施工業者からみて)時に、建築確認をロクにていなかったことである。

空調完備の役所でパソコンに向かうばかりで、現場に行かなかったら、怠慢である。

分かっていながら業者にクレームをつけなかったかったとしたら、癒着である。

小雪の舞う中、ペットボトルを抱えて給水車を待つ時の寒さを私は経験している。蛇口をひねれば水がでる、このありがたさは、仮設住宅の避難民ならよく分かっているにちがいない。

やれやれ水道が使える、ありがたいことよ。そんな気分でいたところ、寒い時期になって、再び断水、そしてペットボトルの世話になる。

一度落として、また上げる、それからど~んと落とす。役所仕事に翻弄された暗いジェットコースター話である。

付:
・県建築住宅課「水抜きをしても凍結するのは複数の管が交差する部分のたわみに、水がたまってしまうことが原因です」と。ふざけるのもいい加減にしてください。最初から交差させなければいいじゃないですか。それとも、検証した結果でしたか、地震予知官に倣ったのでしょうか。

・入居者の中に、このままでは水道が使えなくなると、区長や役場職員に注意した人が絶対にいます。私の経験から、賢い地元住民が大勢いること、そしてズケズケ物を言う人が必ずいることは確かです。耳を貸さなかった担当部署がA級戦犯です。入居者が配管状態を知っていればですが。

・地元業者が手一杯で、南の国からやってきた業者に任せたことではないでしょうか。岩手県の役人にとって凍結対策は常識ですから、まさか交差配管をするなんて、思いもしなかった、こんなことだと思います。

・東京新聞 2012年1月21日夕刊

消費増税分 社会保障に

政府は5%の全額を社会保障費に回すことで、一体改革の必要性に理解を国民に求めた。

一体改革の一体が怪しいことは別としても、改革の必要性と増税の必然性はまったく関係ない。

見え透いたトリックである。

お金に名札も日付もない。一度、国の金庫に入ったら、他の税金と一緒である。

いや、金庫は別になっていますだって。

これがトリックである。

戦争ごっこに1兆円、

宇宙遊泳に1兆円、

投げ槍に1兆円、

原発賛助金に1兆円、

議員報酬に1兆円、

ついでに、役人のぶらぶら代に1兆円。

これらを無傷に温存したいがための、講釈である。

私たち納税者が政府に望んでいることは、ムダをはぶくこと、この約束の実行である。

消費税を増税しなければ、社会保障に回すカネは、どこかから、そう、国の別の金庫から引き出さなければならない。

戦争ごっこ予算が削られる、宇宙遊泳予算が削られる、金メダルが遠くなる(そんなに金が欲しいか)、以下同文、これを民主党政権はやるはずだったが、ヤル気が失せたのである。

やることといえば、財務省の操り人形よろしく、増税のカラクリを矢継ぎ早にだすことしか能がない。

5%を丸々消費税に充てることは、5%分のムダを丸々残すことと同義である。

民主党よ、野党の時にムダと思っていたら、与党になってムダでないことがわかりました、と来るか。

付:

私はムダの定義が難しいので、ムダと言わず不要不急な事業と言い換え、それをカットしませんかと言ってきました。

・財務官僚談:野田に踊らせろ。済んだら燃やしてしまえ。これ、オフレコ、オフレコね。

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