老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

海江田経産相 これが代議士?・・・憲法改定のきっかけに

不安院のヤラセが世間を騒がせているようだが、田舎の政治はヤラセのオン・パレードだ。

かつて、町長と島民の対話集会が開かれたことがあった。用意万端、島民の発言の内容から順番まで、事前打ち合わせをした。順番が尽きると、「異議なし!これにて解散」!!!2時間の予定が、1時間半で終わった。

政治ばかりではない。メディアの地方取材だって、ヤラセのオン・パレードだ。

「ごめんください」
「はいはい」
「〇〇テレビですが」
「どうも、どうも」

何日も前から詳細な事前打ち合わせがなければ、こういう笑顔の挨拶は出てこない。

「ごめんください」
「誰だい」
「〇〇テレビですが」
「なんだテレビか。オレは嫌いだ。とっとと帰れ」

こうなる。


不安院のヤラセもその日常茶飯事スケールが国家規模で行われただけのことと、私は思っている。

問題は、海江田にある。

この男、国民の代弁者である自覚がまったくない。これが問題なのである。

~~~~~~

「極めて深刻な事態。国が意見を誘導していたなら申し訳なく思う」と謝罪、法律家らで構成する第三者委員会を設置して事実関係を調べ、8月末までに結果をまとめる考えを明らかにした。

~~~~~~

国、国、国と言うが、今日の日本では、国は国家官僚の私有物である。彼らが、日本の政治を動かしている。国民の公僕で国民のために動いているなど、タテマエに過ぎない。中学社会の教科書に書かれている文科省認定の絵空事に過ぎない。

官僚たちの不遜・傲慢な態度をチェックするのが、政治家、国民の代弁者である国会議員の仕事である。

それを、この海江田某、「申し訳なく思っている」だと。

役人に代わって国民に謝罪することは、彼が国家官僚の代弁者であることを意味する。

それが露骨にならないように第三者委員会を設けるという。この手の第三者委員会や協議会は、「あってはならない」でシャンシャンのあってもなくてもいい、いや、ない方が国民にいい専門家や有識者の寄せ集めであることは、今さらの観である。

海江田某は、先ず不安院のヤラセ作戦に加担した役人全員の名簿を公表しなければいけない。そして、国会にその首謀者を呼びつけて、吊るし上げる。どんな悪事を働いても、「最後は税金で尻拭いときたもんだ、露見する頃は年金暮らし。後は野となれ山となれ。わたしゃ知らん、めでたい、めでたい」この調子でノンノンとしている高級国家公務員の心胆を寒からしめなければいけない。

次に、当時の大臣の怠慢を糾弾することだ。首替え人形の大臣職を歴任すれば地元選挙区で大きな顔ができると、大臣を狙っている国会議員に、そうではないことを認識させなければいけない。

一年その座についても退職金がでるのではないか。民間企業では、一般に最低3年勤続しなければ、退職金は出ない。

話がそれた。

海江田某は辞職のタイミングを図っているというニュース論評がネットに出ていた。次期首相を狙っているからだそうだ。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。確かなのは、野で市民の立場を標榜していた政治家がわずか一年かそこらで、官僚に操られる醜態を目の当たりにしたことである。

ヤラセの不祥事が発覚した経産省は不安院というガレキの処理を行えばいい。他人に任せてはいけない。海江田某は辞める前に、せめてもの国民に対するご奉仕をやることだ。そうでなくては、ただの阿呆である。

今回は経産省だった。以前は厚生省だったか。防衛庁の談合もあった。今も不祥事が発覚しないだけで、どこの省庁だって選挙民が知らない場所で「実施」されている。そう考える方が自然である。

近く総選挙があるという。

政党助成金に与れない新人候補者は、「しがらみのない私に清き1票を」と訴える。他に術がない新人の気持ちは分からないではないが、政治家の職を得たら、半年も経たないうちに、しがらみで身動きがとれなくなる。

私は、民主党政権発足当時、賞味期限は半年と刻印した。その間をああでもないこうでもないと無為に過ごせば、官僚とのしがらみで、マニフェストは雲散霧消することになると警告した。その通りになったことを菅直人が示してくれている。

誰かが、誰がやっても同じだと語っていた。人によらなければ、何によればいいのか。

然り。

憲法を改定する。これである。戦後60余年、制度疲労で日本国はボロボロになってしまった。先送りして好転するのならともかく、悪くなる一方である(誰がやっても同じだから)。そして、いつかは憲法に踏み込まなければならなくなる。だから、改定は早ければ早いほどいい。

それを怖がっていては、何回選挙をやっても海江田某の金太郎アメが生まれるだけである。軍備絶対反対論者である私は、改憲論者でもある。

阿呆共、十把一絡

ははは。

日本の政治は、タガが緩むなんてもんじゃない、タガが外れてしまった。

・日本エネルギー経済研究所は、電力不足が国内産業の空洞化を加速させることで失業者数も19万7000人増加するという。生産拠点の海外移転も避けられない。
(私:国民のお金を使って風評被害を撒き散らしているこの研究所。国民は失業したら新しい仕事を探す。何を今更、海外移転!)

・枝野幸男官房長官は29日午前の記者会見で、東日本大震災の被災地の現状に関し「夏休みを活用してさらに多くの方々にボランティアに参加してほしい。住宅の泥の除去や海辺の清掃など、引き続き多くの活動が求められている」と訴えた。
(私:海自と空自にひと肌脱いでもらえ。それでも足りなければ、霞が関役人に休日ボランティアを指示したらいい。国民にせっかくの貴重な夏休みを返上させるな)

・(赤字国債発行のための特例公債法案の行方が不透明であることで)国の安全への影響も深刻だ。防衛予算には自衛隊の航空機や艦船のメンテナンス費、燃料購入費などを計上。執行が止まれば「有事の際の緊急発進もままならず、抑止力が発揮できない」(政府関係者)。
(私:政府関係者に言わせるのなら、非政府関係者にも語らせてくれ。だいたい政府関係者って、名ばかりで、メディアの自作自演ではないの、誰も確かめることができないのをいいことにして。緊急発進だって、笑わせてくれるな。深刻?有事?抑止力?これぞマスコミ発の風評被害である。孔子様は、国が困ったら先ず軍隊を養わないようにと教えている)

・中部電力と四国電力は29日、2006~07年の国主催の原発関連シンポジウムで、原子力安全・保安院から「やらせ」の指示を受けていたと発表した。原発推進をめぐる「やらせ」問題の深刻さが浮き彫りになった。海江田万里経済産業相は同日、緊急記者会見し、「事実であれば大変申し訳なく思う」と陳謝。第三者委員会を設置して事実関係を調査し、8月中に結果を取りまとめる方針を示した。
(私:5年前のヤラセをなぜ今まで隠していたのか、これが問題だ。海江田は申し訳なく思わなくてもいいから、ヤラセの役人の名前を公表し、厳罰に処せ。役人の不祥事を国の名前でマスキングするのもいい加減にしてくれ。海江田よ、役人の操り人形になる前に、政治家たれ)

・岡田幹事長が2009年衆院選の政権公約(マニフェスト)の財源見通しの甘さを謝罪した。
(私:昔の支配階級である武士には、二言がなかった。町民から、大丈夫ですかね、と念を押されることを恥とした。独立行政法人を全部一度廃止、宇宙開発やプロスポーツ支援金全部廃止、政党助成金全部廃止、参院定数50名(憲法改定するまでの方便)、裁判員制度撤回、国家公務員の賞与で年50万以上は最高裁判事以下全部国庫に返納させる。防衛省は国交省の国土保全局として吸収する。この程度のことをやった後なら、謝ってもいい。政権公約の甘さを詫びてもいい。むろん、その時は、岡田は切腹しなければならない。本人も政治家として生き恥をかいたまま残りの人生を送りたくなかろう)

一つひとつにコメントするのがバカバカしくなって、阿呆共を十把一絡(ひとからげ)にした。

選ばれた阿呆と選んだ阿呆。

ははは・・・

では済まされないほど情けない我らの日本。

なぜ陸上ばかり?

東日本大震災で、陸上自衛隊員がよく働いてくれたことは誰しも認めるところだ。配置先によって、ラクチンな業務に当たった隊員もいるだろうし、死ぬ思いで作業した隊員もいるだろう。個々の隊員がどうであれ、総体としては、武器なし軍隊のありがたみを一般市民は実感した事と思う。

今日のニュースで、岩手から陸上自衛隊が引き上げるとあった。

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第9師団によると、県内で活動した隊員は延べ60万人で、大槌町での入浴支援などを最後に活動を切り上げた。最多で1日当たり約1万2000人が、行方不明者の捜索や被災者への給水・給食などに当たった。
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延べ60万人とは大変な数である。毎日5千人が4か月、殺傷・破壊訓練を中止して、市民のために尽くしたという数字である。

これからも天災は日本で発生するから、今回の震災を防衛大学校の教材にして、防衛大学校の学生諸君は、将来の人助けに役立ててもらいたい。

待てよ。

防衛大学校出の自衛隊の幹部が、瓦礫とヘドロの海や川に体を浸かりながら、捜索活動をしただろうか。救援物資の搬送で重い荷物を肩に担いだか。おばあさんの手を引いて、安全な場所に連れていっただろうか。テントの中で、寒い夜を何夜過ごしたか。

ヒラの自衛隊員と寝食を共にしたのであれば、私からは何も言うことはない。しかし、私は軍隊という階級社会で、このようなことはないのではないかと疑っている。暖房の効いた施設内で、指図していたのではないか。

現場主義者の私は、実働部隊より事務方は低い待遇でいいと考えている。企業では、生産部門や販売部門が、総務や経理などの間接部門より待遇がいいのが普通である。これと似ている。

起きるかも知れない戦争の机上作戦をするより、今起きている震災に全力投球しなければならない、そうであれば、幹部はなおさらのこと現場に向かわなければならないことになる。

もう一つある。

それは、海自と空自である。この部隊が、震災で活躍したという話は聞いたことがない。私の情報網がほころびだらけなせいか、大々的に動員されたというニュースは聞いていない。

基礎体力訓練も陸自ほどではないにせよ、震災現場で働く程度の筋力は持っている。それなのに、防衛省はなぜ陸自に混じって働かせなかったのか。高度の教育と頭脳訓練を受けている海上自衛隊員や航空自衛隊員は陸上自衛隊とは別の方面で活躍できるのにだ。

海自・空自を温存させて、菅直人は他国の軍隊の助けにすがった。これは真のトモダチ関係ではない。日本人として、恥である。Shame On You!(失礼、話が飛んだ)

聞くところによれば、罹災認定処理で、どこの役所も人手不足に悩んでいるという。業務はお役所仕事と別称があるほど、ルールに従えばだれでもできる単調なものがほとんどである。海上自衛隊員や航空自衛隊員を派遣して、地方自治体に振り向けたら、どれほど、役所仕事がはかどることか。多忙で悲鳴を上げている役場職員がどれほど助かることか。

向こう半年位、軍艦を停泊させ、飛行機を格納庫に収めて、最低限の保守部隊を残し、海・空自衛隊員は、全員地方役場で働くべきである。

最後に。

誤解してもらっては困るが、本ブログ、なにも海自や空自をこき使えということが趣旨ではない。

ニュースに載っていたように、市民から感謝の念で見送られるシーンを陸自ばかりでなく海自や空自の諸君にも味わってもらいたいためである。

苦しい作業を遂行し、それに対して市民が感謝の意を横断幕で表す。陸自の隊員は、戦争ごっこでは得られなかった充実感を抱いて所属部署に戻ったことだろう。

こういうことが続けば、日本もいつかは防衛省が防災省に格上げされるにちがいない。

付の1.
メディアは、華々しい(震災では痛々しい)現場しか取り上げないという偏向で満ち溢れています。あるいは、海自・空自の自衛隊員諸君が、病院や物流倉庫で活躍していても、ニュースになっていないだけかもしれません。でも、トモダチ作戦で動員されたアメリカ兵に匹敵する数の動員が海・空でなされなかったことは間違いないのではないでしょうか。

付の2.
日本人はなにかというと政府や行政におねだりするようになった。日本政府がアメリカにおねだりするのも不思議でありません。ともに、自分の懐はギリギリまで傷めたくないという浅ましい根性がなければ出来ないことです。もしも、「思いやり予算があるのだから、この際、少し手伝ってもらおうか」ということでしたら、別な意味でさもしい根性です。

付の3.
役所の守秘義務を、自衛隊員に遵守させれば、役所の仕事はなんでも出来ます。もちろん、人手不足というように、手が足りない部署のことです。企画や予算策定を任せた日には、太平洋戦争時代に戻ってしまいますからね。

納涼シリーズ 棋鬼

ここのところ数回、納涼シリーズをお届けしてきました。

「納涼とは名ばかり、洋画の紹介ではないか、それも、四半世紀前のロードショウ、いくら年寄りでも、少し古過ぎるぞ」、こういうお叱りがコメントで寄せられても私は反論できません。

今回は、真性の幽霊の話をいたします。

昔々の中国のある所での話です。

二人の碁狂(ごきち)が夢中になって碁を打っていました。碁好きでないとわからないでしょうが、碁は一度始めたらどうにも止まらないものです。

勝てば、ではもう一局勝って終にするか。勝っても、終わりになるはずがありません。もう一局となります。

負ければ負けたで、癪だこんどこそ、ということで、もう一局となります。

そんな具合で、この二人も、朝から打ち続けていました。

シチョウを指で追ったり、ウッテガエを読んだりと、盤面に顔がつかんばかりです。

ふと顔をあげると、脇で一人の男がいるではありませんが。貧相なうえに青い顔、目はうつろ、二人はすぐに彼が幽霊であることがわかりました。

日本だったら、怖くて顔は引きつる、腰は抜けるとなりますが、さすが大人の国。「あぁ、幽霊か」です。

この幽霊、別に悪さをするわけでなし、横から口出しするわけでなし、じっと盤面を眺めているだけです。

囲碁は中国が発生の地でして、物語に出てくる碁打ちは、仙人にしても美女にしても、めっぽう強いのが定番となっています。

幽霊も仙人も似たようなもの。二人が、この幽霊が生前は高名の碁打ちにちがいないとてっきり思ったのも無理はありません。そこで、「どうです、一局」と誘いました。

青い顔に少し赤みが差したようにみえました。

打ってみたら、高名どころか、小国寡民といい勝負のザル碁。二人が代わる代わる相手をしたのですが、この幽霊、連戦連敗。

負けが込んで、しまいには泣き出したそうです。

どうです、ゾッとしましたか。

しませんね。

ゾッとするのは、これからです。

幽霊は、生前、朝から晩まで、いや深夜まで、碁ばかり打っていたとのこと。それで、学業はだめ、どんな職に就いても長続きしない、結婚しても女房に逃げられる。

それでも県大会に出られるほどの棋力があれば一目置かれますが、めっぽう弱いのですから、周りから全然相手にされません。

己の不幸は身から出た錆と諦めているのですが、碁は止められなく、時々こうして下界に降りて人が打っている碁を見ているのだそうです。

ゾッとしませんか。

私はゾッとしました。

この幽霊、私のあの世の姿を予告しているからです。

今日は月曜。昨日が日曜。日曜には大したニュースがありません。怒りのキーを叩くような話題がないので、朝から碁を打ってきました。

延べ10時間。これでは腰痛が治るわけがありません。ハエを追う、蚊取り線香に火をつける、こんなことしかしない一日でした。多分、今は幽霊なみの血色だろうと思います。恐ろしいから鏡は見ません。

中国の列車事故で、当局が列車をあっというまに地中に埋めたというニュースが出ていました。隠蔽工作に日本の当局と違って御用学者を動員する必要がないだけ、あっけらかんとしています。あっという間+あっけらかん。中国人民はあっけに取られたことでしょう。

昔々の中国の幽霊、新中国の一党独裁。

ゾッとしませんか。せめてどちらかにゾッとしてください。そうでないと納涼になりません。

付の1.
孔子は、碁は良くないと教えています。
兼好も、碁に夢中になるのは大罪だと言っています。
大内兵衛は、チェスが大好きだったレーニンが、仕事に差し支えるので偉くなってからはチェスをやめた、レーニンを褒めています。

付の2.
「棋鬼」中国語です。棋は囲碁のことです。鬼はあの世の物です。日本語では、幽霊、おばけ、鬼でしょうか。

米倉会長 ソノ下品タルヤ底ヲ知ラズ

この男、中部電力の原発再稼働ができなくなったと知って、机を叩いて怒ったと、先日のニュースにあった。

愚か者はどこにでもいるから、経団連にいても不思議でない。福島の原発被災者に思いを致すよりカネの方が大事であるというのだから、まともに相手にするほどのことはなかった。

昨日のニュースで、この男が政治にまで口を出していることを知った。

曰く:

「経済が元気になって、はじめて雇用が確保され、消費も伸びる」

「(菅首相は)側近の意見も聞かないんだからどうしようもない」

「財界の最大の武器はカネだ。時代が変わったのだから、政治献金の再々開をためらうべきではない」

これでは黙って見過ごせない。

最初の発言は、「カネ儲けこそ我が命」のカモフラージュである。経済が元気になることと人々が元気になることとは次元が違う。雇用を心配するなら、中国に生産拠点を移している経団連の企業に、撤収するよう命じなければいけない。

自分たちだけ、低賃金の労働者を求めて、仕事を外国に与えておきながら、雇用の確保に心配している素振りを見せるとは、厚顔無恥、和語で、厚かましいの一言だ。

消費が伸びる、だって。環境破壊をどれだけやれば、この男、気が済むのか。今日の日本には総体として富は十分蓄積されている。配分が不自然極まりないから、ビンボー階層が増え続けているだけのことである。

菅直人については、「どうしようもない」に異論はない。黙っていても資本主義が震災復旧をやってくれることは前にも書いている通りである。その資本主義の「功績」を自分の功績にすり替えたい、これで頭の中は一杯、普天間基地などまったくどうでもいい、こんな菅は、まことに「どうしようもない」

問題は下の一句である。

戦後からこの方、政治とカネ(真実は選挙とカネ)でどれほど国会運営が滞ってきたか。政治献金がらみの疑惑や不正で、どれほど法律が作られたか。

いみじくも、財界はカネであると告白した。財界の最大の武器というのだから物騒このうえない。バカに刃物である。

「時代が変わった」と言っているが、どこが変わったのか、さっぱりわからない。当人も、深く考えず、ヒョイと口に出したのだろう。

いずれの時代でも変わらぬものと変わるものがある。こんな小学生レベルの真理を無視して、あるいは知らないで、「時代が変わった」というのだから、救いようがない。

彼が自分の家の風呂に浸かりながら、ブツブツ不平を言うのはかまわない。しかし、この男、経団連の会長の職にある。その立場で公言すれば、メディアを介して日本全体に知れ渡る。

どんな世界でもトップは二番手以下にない貫禄が身についているものだ。ギャングの世界のアル・カポネもそれ相応の貫禄があったはず。

それが、経団連に限って、トップに貫禄の「か」の字もない。あるのは、と金紳士の卑しさだけである。

先に言ったとおり愚か者はどこにでもいる。それをトップに据えている財界がどうかしている。彼よりましな人物がこの団体にいないということなら、財界そのものに品格がゼロであることになる。

カネで政治を釣ろうという卑しい根性になびくような品格ゼロの政治家は幸いにして日本にはいない。せめて、これが救いだ。

今日の結論はこのウソで締める。

付:
電力業界は74年に企業献金の廃止を決めたが、直後に個人での対応に切り替えた形になっており、個人献金に名を借りた組織的な政治資金拠出の構図が透けて見える。(Kolnet7月24日)

新聞を読んで(10) ピーク時こそ節電 夕刊こそ節電

ピーク時こそ節電 時間差で電気利用

夏場の1日の電力需要の推移が棒グラフで示されている。

産業(工場など)、業務(オフィスなど)と家庭の3分野に分けられていて、とても分かりやすい。

産業は24時間ほとんど変化がない。どこでも設備投資の減価償却を急ぐから深夜も稼働しているのだろう。業務は、朝8時から夕5時が高く、夜9時から朝6時までは極端に低い。朝に出勤、夕べに退社が普通であるからその通りだろう。家庭は、朝に少し山があって、夜8時から11時がピークになっている。産業ほどではないが、大きなうねりはない。これは、深夜族が多いためというより冷蔵庫の24時間稼働によるためだと思う。

「電力需要のピーク時の取り組みや節電の例」が載っている。

▼テレビの輝度や音量を抑える。視聴時間を短くする。
▼ノートパソコンをコンセントから外す。内蔵バッテリーで動かす(深夜に充電して使えということと解釈した)
▼使っていない家電のプラグをコンセントから抜く。待機電力の抑制
▼家族が同じ部屋に集まる。(他の部屋は消灯、エアコン・オフ)
▼エアコンの設定温度を下げる
▼扇風機を活用する
▼冷蔵庫の冷却設定を弱める(設定ポジションを「低」近づける意)
▼洗濯、掃除などの時間をずらす
▼保冷枕・シートを活用する

以上の9項目がアドバイスである。

我が身を振り返れば・・・

▽テレビはない。プロジェクタは夜8時過ぎ。
▽ノートパソコン。内蔵バッテリーはフル充電しても1時間ともたない。1日6時間は使っているからプラグから電気を受けている。しかし、昼12時から4時までは、散歩など他のことをするから、ピーク時の半分は免除されている。
▽使っていない家電。私のオーディオ機器は待機システムがついていない。シネフィルの録画予約ではほとんど24時間つけっぱなし。それでも、待機時の消費電力は1日せいぜい3円だ。老人のささやかな楽しみとしてこれ位は許されよう。
▽犬・猫に照明はいらない。夏場は六畳二間と四畳半は、ふすまを取り払ってワン・ルームマンション気分に浸る。32Wで十分だ。
▽エアコン。持っていない。必要ない。
▽扇風機。使っている。ヤフオクで安く手に入れた扇風機が働いてくれている。
▽冷蔵庫の冷却設定は最低にしている。冷蔵庫の新発売広告と違って、ビールなし、ハムなし、ハーゲンダッツなし、メロン・スイカなし、あるのは、味噌と卵と納豆くらいなもの。しかも、この地は東北。外気温が低いからこれで十分。
▽洗濯、掃除。洗濯はほとんどしない。犬や猫をみれば、夏冬の衣替えが年に1度だけで、着替えをしない。それを真似ている。掃除は箒でやっている。
▽保冷枕・シート。どういうものか、私は見たことがない。

これからすれば、私の節電は合格点であるといえる。別に努力したからではない。私の置かれている立場なら誰でもこんな程度の節電はすると思っている。

これら9項目に私はもう1項目を加えたい。

それが、夕刊である。

新聞の購読をしていない私は、新聞の価値を客観的に評価できる。

その評価とは、朝刊を発行している新聞社は夕刊を止めるべきであるということである。

原材料の木材の輸入にかかる船、インクの生産、輪転機。配送に使われるトラック。戸別配達のバイク。すべて、エネルギーを消費している。

夕刊は印刷と配送が昼間行われている。わずか、数十グラムの新聞とはいえ、数がある。しかも、週5日の消費である。これを無くせば、ピーク時の節電に大いに貢献するはずだ。

夕刊がなくなって、市民生活が大いに支障を来すなら別だが、まったく支障はない。朝刊が無くても支障がない私は例外としても、一般市民が夕刊なしで困ることはないと思う。

菅直人が謝罪した。それでは、早速民主党後援会の脱退手続きをしよう。

リビアのカダフィ大佐が虐殺をした。それでは、明日の朝一番でリビア大使館に抗議に行こう。

芸能人の誰それと誰それが婚約した。それでは、有給をとって、お祝いに参じよう。

今、夕刊を取っている人で、こんな人は一人いるかいないかだろう。ほとんどは、配られてくるから見るだけで、ただの習慣に過ぎない。手持ち無沙汰になるのが嫌だったら、朝刊の半分を朝に読まないで仕事に出ればいい。

受け手はこれで問題なし。ならば、新聞社はどうか。

夕刊がなくなれば、記者は昼間記事を書かないですむ。少なくとも午前中はアウトプット作業から開放され、記者は自分の頭の中の整理に時間が使えるようになるだろう。

昨今の記者会見における記者の質問の内容と表現を聞くと、社内再教育が絶対に必要と私は確信している。確信できるほど、記者の質は劣化している。

夕刊を廃止すれば、経営が成り立たない。これはウソである。今の経営が成り立たないだけで、なければないなりの体質に変わっていくものである。これが企業というものだ。

もはや、広告収入は当てにできない。スポンサーがこれ以上インターネットに移らないように、新聞社の営業は単価を下げる。総額を減らさないために、その分紙面を広告に振り向ける。その結果半分近くが広告となる。

民放テレビが、1時間番組に30分をコマーシャルに当てたら、視聴者はタダでも見ないだろう。新聞は有料である。

新聞社は、「広告があるから今の購読料が維持できるのです」というかもしれない。これは、新聞社の言い分である。

購読者からみれば、購読料の半分が広告に使われているのである。

夕刊なしでも、現行の購読料金を維持すればいい。それに対して、強い不満があれば、朝刊を断るし、弱い不満であれば、しぶしぶ継続する。1か月もすれば、何事もなかったように朝刊を読むようになる。

私はここ15年、当日の新聞を当日に読んだ日は、20日となかった。それでいて、何の不便も感じていない。極端な例というなかれ、山間僻地の住民には、かなり私と似たような状況で日々を送っている。

新聞社は産業に分類されているはずだが、毎日配られる点からすれば、家庭に分類されていい。そうであるから、家庭の節電の第10項目に夕刊の廃止を加えても、なんら不自然ではない。

ここ数回、新聞はかなり詳しい数値を出して、節電を市民に呼びかけてきた。

参考までに、夕刊がなくなれば、どれほど節電になるのか、新聞社は示してもらいたい。何事にせよ「自分ヲ勘定ニイレズ」はよろしくない態度である。

これで、「新聞を読んで」は終わり。我が石巻市がもっとも被害を受けた記事をスクラップにしてあるが、私が紹介するまでもなかろう。

次のシリーズは、「ブログ考」を予定している。

付の1.
読売新聞2011年5月17日

付の2.
私は、新聞は週刊でいいと思っています。ラジオ、テレビに加えインターネットがあらゆる事件に即時性の対応している現在、新聞はその確認作業が主要な役割となっていると考えるからです。

付の3.
私の新聞は、ご覧の通りだいぶ前の日付のもの、旧聞ばかりです。でも、新聞にせよ旧聞にせよ、新聞の中身の濃さはネットの比ではありません。紙に印刷された活字と写真は、長島巨人と同じで不滅です。神話か迷信か、さてどちら。

付の4.
毎日、毎夕数十ページの新聞では、ただ眺めるだけで、読むことなどできないでしょう。読んだとしても、深く考える時間は取れないのが、(昼間“職場”で読める天下り役人なら別ですが)普通の社会人だと思います。私だって、たまに手に入るからこそ、何ヶ月も保存し、隅から隅まで読み返せるのです。

新聞を読んで(9) 若者よ「怒りなさい」

若者よ「怒りなさい」
レジスタンス闘士 93歳の著作 
高失業率、移民の急増 仏でベストセラーに

93歳とは、生きているだけでも尊敬に値するのに、さらに若者に激を飛ばす、見上げたフランス人である。

フランスが抱えている問題が一向に解消されないことで、政府に向かって怒れといっている本だとあった。

個々の問題は日本と共通しているものがあるかもしれないし、日本には無縁のものもあるかもしれない。

それらを比較検討することのために、この記事が書かれたのではない。無力感の漂う社会に、著者が「現状に怒れ。それが変化への第一歩」と活を入れた、と紹介している通り、記者が日本の若者に怒ることを勧めているのである。

新聞社の社説や論説で、記者がこのような反体制的な意見や主張を述べるほど新聞社は寛容ではない。

それで、この記者は、フランスの老人を介して、若者に呼びかけることにしたのである。

それが明らかであることは、別枠でこの老人にこう語らせている。

「原発事故の対応で政府への不満が広がっているはず。私は日本人の静かさ、礼儀正しさに敬意を払うが、時には正面から怒りを表明し、ぶつけてもよい」

記事はこの本に対するフランス国内の批判も紹介している。

「必要なのは知性や想像力だ。怒りで現状は変えられない」
「ただ怒っていては思考もできない」

はこの老人は穏やかな笑みで応えている。怒りが社会を変化させてきたことは歴史が示してくれている。反論するまでもないのだ。

この著作は本というにはあまりにも薄い。約20ページで、記事では冊子となっている。

最近日本でベストセラーになったというIQなんという本が何百ページか知らないが、著者の村上某がバルセロナで記念講演をした内容の薄っぺらさ・甘さをみれば、本というのは命と同じで、長さでない中身だとつくづく感心する。

昨年10月に発行されて、クリスマスの贈り物用として人気を集めたという。それから26週、ベストセラーのトップを守ったというのだから、さすが知性の王国フランスである。

若者に向けた「扇動」本はいくらでもある。この93歳の老人は偉いことは偉いが、特別に驚くほどのことではない。

偉いのは、老人の冊子に託して、日本の若者に今の政治に怒れとメッセージを送った記者である。

政治を蹴鞠遊びと勘違いしている公家政府と自公の実質大連立に腹を立てている記者が新聞社に最低一人はいることが分かっただけでも、私は愉快になる。

付の1.
読売新聞2011年5月11日。

付の2.
日本でも出版計画が進んでいるそうです。IQなんとかの発行部数を凌ぐことになれば、私は日本の読書人を見直します。もっとも私は冊子が出ても買いません。私と同じ考えを読んでも無益ですからね。

仕事は夢中で、でも夢の中ではいけません。 東京電力殿

電気料金が9月も値上げされる。電力会社10社のうち中部電力が6か月、他の9社が7か月連続して値上げすることになったる。

企業であるから、時には値上げがあってもいい。

問題はその値上げの理由である。

コストの上昇。売価に転嫁しなければ企業そのものがダウンしてしまう。他社の動向を睨みながら価格設定するのは、どこの企業でも同じである。自社のコストが下がれば、競合他社のコストも下がるのが普通だ。その場合は、価格をどれほどまで下げれば自社の存続と成長が確かなものになるか、下がれば下がったで価格の見直しに迫られる。

地域独占企業の電力会社は、他社との競合に頭を痛める事はない。それでも「いくらいくらです。不満でしたら買ってくれなくてもよござんす」と言わないのは政府のチェックが入っているからである。

そもそもこれがおかしい。ライフラインとかいうのか、生活に欠かせないというだけで、独占を許してきた国策が最初のミステークであったのだ。

生活に欠かせないのは、なにも電力に限らない。水は当然、お米だって野菜だって生活に欠かせない。1か月の停電で人は死なないが、米と野菜と味噌がなければかの賢治でも半月しないうちに餓死する。

地産地消が最近の流行語(はやりことば)らしいが、電力がそうであっても少しも不自然でない。国策で一企業を保護育成する必要などまったくない。

富国強兵策の延長線上にたまたま電気があったというだけのこと、これもいってみれば、明治時代のカスである。

政府のチェックは、私企業にとって生死かかわる価格設定の決定権を企業から奪うもの、これが実体である。

これで企業が正常な企業活動を行えると信じる者がいるとすれば、その脳細胞の活動を疑った方がいい。

今回の原発事故処理に掛かっている人・物・カネはすべて東電という企業にとってコストである。超巨大企業とはいえ、内戦勃発並みの人民にとっての被害であるのだから、企業努力では到底まかなえるものではない。

東電はもとより、政府も市民も分かっている。だったら、なぜそのコストアップを売価に転嫁しないか。

安い料金は、政府にとっても、産業界にとっても、市民にとっても甘い汁だった。そのツケが原発導入そして事故という形で東電に回ったということだ。

究極的には、電力会社を政府の管理から開放し、新規参入を認める。これである。

それまでの応急処置は、電力会社に価格設定を任せる。自由にしたからと言って、無茶苦茶な高額になることはない。世間の目は政府や官僚の目よりはるかに合理的に物事を見ることができる。世間が許さない。

今回の値上げは、火力発電の燃料となる原油や液化天然ガス(LNG)の値上がりを反映したものだという。

他社はいざ知らず、東電は火力発電に加えて原発事故処理コストを、今回の価格設定に反映させければいけなかった。

収束のメドがたっていない今でも、これまでにかかった費用は把握しているはず。それを元に、例えば向こう5年で回収するものと仮定し、9月の電力料金に上乗せできたはずだ。

菅直人は、原発が国策であることを理由に、国が補償を保証すると言っているようだが、これは、最後の手である。

まず、東電に電力料金を値上げさる。その上乗せ期間が5年で間に合わなければ、10年でいい。10年でもだめなら20年かけてもいい。

それでもどうにもならない時に、初めて政府が救済にあたるのが筋である。政府といっても、菅直人のサイフのカネではない。日本全国に散らばっている納税者のカネであるが。

財界のトップだったか、電気料金が値上げされたら、企業が海外に逃げていくというマヌケ発言をした。何を今更。家電、衣類、ぜんぶ中国製ではないか。日本製といえばお米と野菜と肉・魚くらいなものだ。いや、野菜だって輸入している。肉はアメリカやニュージーランドから、魚は北欧・南米・カナダから、これが実態である。

財界のトップは、お米の生産まで海外に逃げると言っているのだ。だから、バカなのだ。労働組合の団体である連合がとぼけているのも問題だ。八つ当たり気味だから、ここでは深く追求しない。

原油の変動に電気料が応じるのは平時のこと、原発事故が起きた現在、処理費用と補償を含めない電気料は、見ても見えない振りをしているようなもの、夢うつつの世界だ。

原発事故のコストは受益者負担の原則を貫き、東電の契約者が負担すべきである、この私の持論で締めることにする。

付の1.
5百万世帯×月2千円の原発加算金=月100億円 年1千2百億円也。企業からも同額程度入れば、2千億円を超えます。5年で1兆円。焼け石に水かもしれません。数字に根拠はありませんが、姿勢はこうでなければいけません。

付の2.
国鉄、日本電信電話公社、日本航空、日本放送協会、国家が干渉している組織でロクなものがない、過去においても、現在においても、実感しています。

宮城県災害義援金 7割が未配分 なぜだ

宮城県沿岸部の14市町に直接寄せられた義援金は36億円。8市町ではいまだ被災者に配分できていない。15日現在、震災から4ヶ月も過ぎた7月の15日現在の数字である。

その原因は、人手不足。大量の震災関連業務の処理が追いつかないことが大きな要因である。

なるほど通常業務もこなさなければならないことだし、たいへんだなぁ。目を通すだけでは、これが市民の受け方となる。

おかしくないか。

ここで小学校の算数を披露する。

1世帯当たりの確認作業、これには聞き取りも書類作成も役所内の調整も含める、に20分掛かるとする。5万世帯なら、100万分、これは16,667時間。8時間労働では、2,083人・日が掛かる。

通常業務があるから、震災対応のどちらを残業に回すにせよ、1日1人ネット3時間である。そうなると16,667時間は5,555人・日になる。常時20人の役人が担当すれば、277日掛かる計算だ。これは、月労働日数を22日とすれば、1年掛かることを意味する。

震災から4ヵ月過ぎた今、配分が終わらないのは計算上、無理もない。

おかしいのは、この仮定の計算ではない。

おかしいのは、こういう大雑把な計算をしただけでも、普通のやり方では、処理できないことがわかるのに、それをしていないことである。

計算をすれば、平時の仕事のやり方では、追いつかないことが簡単にわかり、それにはどうすればいいいかを考えなければいけないということに気づくはずだ。

1世帯に10分でなく1分にしたらどうか。1か月余りで完了するではないか。

こういうと、地方行政は、「これでは、不正受給が防げません。公平性が確保できません」と応えてくる。

役人の習性である。

ここは統計的な感覚、普通の言葉で表せば、アバウトでやっていけばいいのである。2割、3割不正は問題だが、5%程度の不正や不公平は統計学的誤差の範囲内と考えて、見逃すようにすることだ。

義援金の配分に当たっている役人の作業は、この不正・不公平の完璧チェックが全てと言って言い。

世帯に申請書を渡す。市民は、該当する項目に書きこみ、返送する。役人は、被害のレベル表を手元において、申請書を分類する。分類すれば、義援金の総額が分かっているのだから、比例配分していけばいい。あとは、振り込むだけである。

たぶん、昨今の日本人の倫理的・道徳的退廃を鑑みれば、5%位は不心得者がいるだろう。それはそれでいい。残る95%の善良なる被災者に義援金が届くのだから、役所で義援金に惰眠を貪らせておくより、はるかに善政である。

地方役人の習性として、規範から逸脱した発想はできない。こういう時こそ、知事や市長、また地方議員が、「責任は私が負う。多少の誤りは気にするな、どんどん進めろ」と役人に命じなければならない。

一部の市民も悪い。ちょっとした不正でも脇で見ようものなら、「誰それはずるい」、周りが少しでも自分より多く取れば、「不公平だ。役場は一体何を見ているのか」と役場の怠慢をなじる。こういう時に、役人には返す言葉がない。自然、文句がつけられないように、念には念を入れることになる。残業時間と税金がどんどん消えていく。

政治家が太っ腹であり、市民が寛容であれば、地方役人は、心置きなく義援金の配布作業ができる。

地方役人に、「予算がない」、「人手がない」を言わせたら、市民は負けである。

義援金配分の遅延をブログに取り上げたのは、だいぶ前のことの様に覚えている。それを再び今日ぶり返す次第になった。

役人や関係組織が、怠惰であるのではない、やり方が悪いのである。戦時(大震災)でありながら平時(3.11以前)の感覚でしか仕事をしていないことが悪いのである。

ニュースによれば、国から県に送金された義援金1098億円、県に寄せられた義援金201億円についても、支給されたのは15日現在、それぞれ350億円と59億円で、約3割にとどまっているとのこと。

「どうせ他人にまわる他人のカネ、のんびりやろうよ」、地方役人よ、心のどこかでつぶやいているのではないか。

手が回らない、ウソこけ。頭を回さないくせに。

付:先日、漁協から組合員に渡る義援金の額が通知されました。

原発事故 迷走続き 揺らぐ信頼

今日のYahooニュースが、今なお工程表がしっかりしていないと言っていた。

そのタイトルが「迷走続き」であり「揺らぐ信頼」である。

一旦メルトダウンが発生したら、(原爆が爆撃機から投下されたことと同じで)手の打ちようがない。

しかし、東電や政府が「どうにでもしてくれ」と投げ槍りになっていたとしても、収束は必ずやってくる。

ヒロシマ、ナガサキでさえ収束した。問題はこの収束がどの状態を指すのかである。

私の島の近くの島は松くい虫の被害がゼロになった。松くい虫が松を食い尽くして、1本もなくなったからである。私の島は、県が毎年、大金をはたいて農薬散布をしているからなんとか松が残っているが、ここは松の島、松島ではない。松が無くてもいいから、ムダな金を使って環境破壊をしてくれるな、こんな意見が通れば、あっという間に松くい虫被害ゼロの島になる。

前編のどこかで例えにしたが、ある集落では虫歯ゼロである。それでも日本歯科医師会から表彰状が届かない理由は、総入れ歯の老人・老女が住民だからだ。

原発はアイドリング6000回転の車である。常にブレーキを踏んでいなければ暴走する。6000回転の状態で、そのブレーキを修理しようとしているようなものだから、できるわけがない。暴走するだけさせて、後はガソリンの切れるのを待つだけである。

政府や東電は、本当の事を国民に明かしていない。彼らはとうの昔、今の状況を予測していた。少なくとも、一部の社員や職員は予測していた。現場にいるだけあって、大学院教授よりずっと現実的な見方をする。

アメリカ製の装置やフランス製の装置がうまく働かないようだが、何十年に数台、メーカーにとって不幸なら1台も売れない装置に発売前の信頼性試験を十分にやるわけがない。市場からのクレームなどフィードバックがない商品、化粧品もそうだろうが、特に機械は、商品とは名ばかりで、ぜんぶ「試供品」、「試作品」である。

うまく働くのは、ルーレットの単数に当たる確率以下である。年賀状のお年玉くじ以下かもしれない。アメリカやフランスのせいにしてはいけない。どこの国の装置でも働かない。当てにするのが間違いだ。わらをも掴みたくなる気持ちはよくわかるが、同情はしない。

原発は原爆である。違いは、ヒロシマ、ナガサキが、数千万分の一秒で収束したのに対し、原発は数年掛かること。原発は、時間があるから死ぬ前に難民となって遠くに逃げられるだけのことである。

しかし、後遺症が人、他の生き物、他その土地の上のものすべてに、何十年も残ることには何の違いもない。核分裂とはこういうものである。

迷走は、東電や政府が本音を隠して見苦しい言い訳と続ける限り止まらない。揺らぐ信頼も甘い言い方だ。失墜した信頼である。

東電と政府は、核燃料がどれだけ残っていて、それがどの位の線量を放散するのか、まず公表すべきである。

「できない」ことを「できない」と言うのは、謝ることと並んで秀才のもっとも苦手とするものである。大学院教授を追いだして、一般市民グループから人を呼び、彼あるいは彼女に、「できません」と言わせるのがいい。収束に向けた工程表の前に、この工程が先である。

事故発生から4か月、その間に起きたいろいろな事件で、原発事故が one of them として埋没されかねない。ここしばらく原発事故から離れていた。ほとんどがこれまでの繰り返しと分かっていても、再度書くことにした。

君のひとみは1万ボルト、宮城のヘドロは1千万トン

ようやく楽天レンタルがここ石巻でも復活した。シネフィルは自分で選べない。しかも映画だけだ。

震災まではTSUTAYAと契約していた。郵便はとっくに復旧しているのに、今に至っても、石巻は配達不可になっている。そのくせ、震災御見舞などと画面に出している。不愉快だから契約を打ち切った。月額980円でも契約は契約だ。

最後まで残った私の震災復旧は、あと一つだけになった。

海で泳ぐことである。

お盆までは人混みがいやなものだから、夕方にならないと白浜海水浴場にいかない。お盆が過ぎれば、水鳥だけになる。これはどんなにたくさんいても気にならない。それで、お盆後は昼間でも出かける。これが恒例であり、一年を生き延びた甲斐を実感する。

今年は海開きのウワサが立っていない。7月も半ば、妙なので役場に問い合わせたら、今年は開かない、公的には遊泳禁止で、泳ぐのは自己責任でやってくれと返ってきた。

自己責任は、歩いても、運転しても、極端に言えば、住むことにも当てはまる。泳ぐのに自己責任はよく考えると少しも大げさでない。

今年も、例年通り泳ぐつもりでいた。

それが、今度の台風で様子が少し変わってきた。

九州、四国の上空に台風の目があっても、海は連続しているせいか、大波(ここではタイナミと言っている)が早くも島に押し寄せている。

散歩コースの磯に向かったら、何かいつもの夏と違う感じがした。その何かは、「におい」であることにすぐ気がついた。「磯の香り」でなく「ヘドロの臭い」である。

私のいる島には、遠く石巻市街から丸太、冷蔵庫、ヨット、スーパーのカゴ、ケース丸ごとの酒、およそ生活に関わっていたものすべてが押し流されてきた。

無機物であれば、腐敗はしなかろうが、生活には食べ物もあれば食べ残しもある。その後の物だってある。それらが一気に押し流されてくれば、海の底に沈殿するだろう。海図をみれば、この辺りは水深はせいぜい40メートル。海岸に近い所は、4~5メートルの棚になっている。

これでは、大波で、沈殿物が巻き上げられることがあっても不思議でない。多分、異臭の原因はこれではないか。

役場の職員は、クギなどが海底にあるかも知れないから危険ですとアドバイスしてくれた。こちらは泳ぐために海に入るのだから底には足をつかない。だから、このアドバイスは聞き流したが、この異臭の中で泳ぐ気にはならない。

台風一過の後は、様々な有機物が再び海底に沈殿することだろう。しかし、海水に溶解した化学物質は溶けたままである。見た目ではいつもの「東北のハワイ」で透明であっても、水質がどうなっているか分からない。

ひと泳ぎすれば、どうしても1回や2回、海水を呑んでしまう。別に直ちに健康被害に及ぶことはないだろうが、私の体の中の微生物に悪い影響を与えるに違いない。

それが不憫で、今年は泳がないことに決めた。もっとも、室温26℃というしのぎやすい今日の決心であるから、残暑が厳しくなれば、変節することもありえる。

ニュースによれば、今回の津波で被災地に打ち上げられたヘドロが3千万トンと推定されるとか。10トントラック3百万台分である。なぜこれだけ海底に沈殿していたのか、私は分かっている。漁連の幹部も分かっている。新聞社も分かっている。

「見ざる言わざる聞かざる」か、いや、「見ても、言わざる」だ。

(地盤沈下で私のプライベート・ビーチから砂浜が消えました。トホホ)

0718石戸大波

老の証(3) 隔世40年 『現代/大学/学生』大内兵衛

先月末、所要があって埼玉の実家へとんぼ返りで行ってきた。帰りの新幹線で読むつもりで手近にあったものを持ち帰った。

55歳の時、それまでの実用書や経営書その他社会にでてから買った本は、ほとんど処分した。残しておいたのは、自分の精神構造に強く影響を与えた本だけである。その1冊がこれである。

新幹線は座席が取れず、デッキに座り込んで読むことになったが、読んでいくうちに、不気味な感じがしてきた。

それは、私がこのブログでああだこうだと言ってきたことが、そっくりこの本に出ていたからだ。

私が精神構造に影響を与えたと信じてきた10冊にこの本は含まれていない。

この本を読んだのが29歳。55歳で宮仕えを中止してから、親しい仲間などには賀状で、今のブログと同じようなことを書いてきてはいても、その時も大内兵衛の意識はまったくなかった。

大いに同感の箇所には、スタビロ・ボスがなかった当時のため、赤鉛筆のチェックが入っている。この手の本には、たいてい数十箇所、「おかしい」、「だめだ」、「ちがう」、「ナンセンス」などがマークされるものだが、一箇所も見当たらない。

読み返して考えた結果、その部分を完全な形で抜き書きしただけにして、一つひとつに下手な私見を加えないことにした。

ただ、40年を経た今の私が、当時の私の考えを捨てている部分があるので、それは記すことにした。

1.ソ連が世界のリーダーになると考えていた。
(その後、中共に視線が移るも、ポル・ポト政権の狂気を見までそう思っていた)
2.労働者は団結するものと考えていた。
(今風にいえば選挙民である。世間に出てから、黒澤明の正しいこと、アニマル・ファームがおおげさでないことを知った)
3.国債は償還するものと考えていた。
(返すつもりがない借金ほど気楽なものはない。恐慌にはならないが、国民の節度が失われる。良くない)
4.マルクス経済学で資本主義に対抗できると考えていた。
(これは、この本を読むだいぶ以前から間違いであることに気がついていた)

以下抜粋
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◇世界経済の中の日本
世界の歴史のうえで、日本くらいオリンピックに金を使った国はない。あのくらい金を使えば、どこの国でも彼らが今回えたよりもはるかに多く金メダルはとれるのではないかと私は考えます。日本は、オリンピックのために三百~四百億円を使っただろうという計算をした人があります。もしそうならば、一つの金メダルを買うのに数億円かかったといっていいかもしれない。私はそのことを悪いとまではいいませんけれども、スポーツの場合でも、日本を外国と比較するときは、オリンピックの金メダルの数で比較するよりは、日本人の体格で比較したほうが合理的だといいたいのです。というのは、スポーツの正しい目的は国民体格の向上である。国民にとって、スポーツはプロ的スポーツが問題なのではなく、国民的なそれが問題です。(1964年12月)

◇国債発行政策への警告
(個人でも企業でも国家でも返済計画のない借金は危険である)ですから問題は七千三百億の借金それ自体ではない、また公共事業を営むということでもない。その公債についてどういう償還計画があるか、その償還ができるような財源が政府の予算の中にあるかということであります。(1966年2月)

◇一九七〇年を展望して
1970年は安保条約の期限の年である。もし日本がこの条約を終了とする意思をもつなら、この前の年までに、アメリカに対してその意思を表示しなくてはならない(条約第十条)。手続きは簡単だが結果は重大である。明治維新以来、たくさんの曲り角をまがったが、日本にとってこのくらい大きい曲り角はたくさんはなかった。「皇国の興廃この一挙にあり」だ。太平洋戦争はそういう大きい曲がり角であった。(1966年5月)

◇法政大学への遺言
申すまでもなく、東京大学は日本における最大の大学であります。あの数十万坪のキャンパスとあの数百の教授陣と、あの堂々たる建物と、あの偉大なる学閥と、それらはみなわれわれのうらやましく思うところであります。しかしながら彼らがあの大をなしておるのはなんによるのか、これは権力と特権とであります。百年におよんで、国家が租税をもって彼らを育成したからでありまして今日といえども年々学生一人に対して二〇数万円の租税を与えておるからであります。ああいう大学の組織でありますならば、学生はほんの名目だけの授業料を払って、在学中いかに怠けておりましても、卒業さえすれば、特権のエスカレーターに乗って官僚となり、財閥の会社の番頭となることができるのであります。これに対して、わが法政の学生はそういう特権はまったくないのであります。(1959年4月)

◇大学においていかに学ぶべきか
高い地位にある者の個人の力は低い地位にある個人の力より大きい。それゆえ、いやしくも自分の理想をその組織の上に実現しようと思えば、少しでも高い地位につかねばならぬ。

大学はなんといっても普通以上の立派な人物がたくさんいるところであります。そのうちにおいて、諸君はよき先生を見つけ、よき友をさがし求め、そういう人々とともに、みずからの生活をエンジョイすることにつとめねばなりません。

学生諸君にとっても、勉強ばかりしていては生活に余裕とうるおいはありません。人間は頭だけでなく、肉体、目や口や耳をも発達させねばなりません。そこで、私はそのためにひろく趣味をもち、それについて学び、それによって人生の味を解することにもつとめてもらいたいと思います。音楽もいい、歌や俳句もわるくない。将棋でも碁でもよい。スポーツはむろん大いによろしい。趣味は豊かなのがよい。とにかく、自分の天分と能力とに応じ、さらにまた金と時間とによく相談して、なるべく高尚な趣味を求め、一生それを楽しむような基礎を大学時代につくるべきであります。人生には智、仁のほかに勇気が必要でありますが、こういう趣味はしばしば勇気と忍耐を教え、それによって友人をつくり、人格に味と光を与えます。(1955年4月)

◇少年老いやすく学なりがたし
大学生として、諸君は何よりも一生懸命勉強したほうがいい。一生懸命勉強して、人生の戦いにおいて必要な知識をとりいれたほうがいい。いなそれよりもそういう知識をとりいれる方法、学問の方法をみがいたほうがいい。なぜならば、それによって、諸君は長い人生において、つねに、より短い労働時間をもって、より有効な仕事ができるからであります。

少年老いやすく学なりがたしであります。私のような年齢になっては、すでに何ごともあまりにもおそい。たとえ、これほどでなくても、人生四〇という年は諸君にもすぐきます。池塘春草の夢はまことにさめやすく、桐一葉が落ちてのち、人生をくり返そうとしてももはやおそいでしょう。諸君はぜひともこの二、三年のうちに、志を立てて勉強をしてください。(1956年4月)

◇学問と思想の自由のために
真理は「疑う心」であるといわれる。それに対していえば、権力は一つの既定の概念の信仰の上にでなくては立たない。だから真理と権力との争いは合理と不合理、進歩と保守との争いであって、昔はそれは個人の争いであったが、いまはむしろ社会の争いである。(1950年2月)

◇私の読書遍歴
第一、私は法政大学の講堂の前にも書きましたが、「学んで思わざれば則ちあやうし、思うて学ばざれば則ちくらし」だと思います。これはもちろん孔子のことばですが、いくら本を読んでも自分でものを考えないと、自分の思想は育たぬ。いくら考えてみても、こっては思案にあたわず、わからんことは人に教わったほうがいい。ひとり合点やはねあがりはよくない。とくに全学連のハネあがり諸君をはじめ、◯☓試験の点取り虫諸君に、このことばをさしあげたいと思います。

第二、新聞や雑誌とくに週刊誌、テレビ、ラジオ。ああいうものは80%ないし90%は一億総白痴のクスグリであり、60%には反動の毒がはいっています。あれ以外に楽しみのないじいさん、ばあさん、文字の速く読めない人はしかたがないが、青年諸君は、とくに志ある学生は、ああいうものはなるべく読まないようにしたほうがいい。なるべく軽蔑したほうがよろしい。時間とエネルギーの浪費ですよ。同じ40円をだすなら、週刊誌を買うな、文庫本を買ったほうがいい。そして、それを何度も何度も読んだほうがよろしい。そのほうが購買力の限界効用の法則にかなっています。

第三、本はやっぱり若いときに読みなさい。若い時でないと、むずかしい本はなかなか読めない。学校を出て仕事につくとなかなか時間がない。かりに時間と金があるとしても雄大な志がなくなる。定年を気にしているサラリーマン諸君の無気力をごらんなさい。あれは人間の醜態です。あの醜態をすててむずかしい本を1冊読めば、それだけ頭のどこかにのこる。それがほんとうの資本だ。資本は5万円、10万円はなかなかたまらぬものですが、5百万円、千万円の段階は案外やさしい。若いときに2~30万も資本があれば、50年もすれば、1億2億ぐらいには必ずなる。資本の増大は複利計算ですよ。小さい資本は恐慌のときにはくずれるが、知識の宝は、恐慌にあってもビクともしないで、かえって必ずふくれる。若いときに読んだいい本は年をとっておおきい果実となります。(1964年1月)

◇まなぶということ
沖縄はアメリカの植民地である。沖縄を返せというまではむずかしくないが、それを実現しようとするとアメリカは日本本土に侵入するかもしれない。まして、日本はアメリカの軍事体制のうち(核の傘のうち)にある。それをはねのけて、日本がほんとうの独立国となるのはもっともっとむずかしい。それでもそれをやりとげるのが愛国心である。“祖国か死か、われわれは勝つ”そういう精神!この精神をきたえあげることが「まなぶ」である。(1966年4月)
~~~~~

付の1.
1967年4月初版。抜粋は原文のまま。ただし「早く」は「速く」に替えてある。

付の2.
「少年易老」がこの本の背骨である。対象が大学生であるから当然である。
   偶成
  少年易老學難成
  一寸光陰不可輕
  未覺池塘春草夢
  階前梧葉已秋聲

付の3.
当時の学生証が頁の間に挟まれていた。少年易老、まったくだ、まったくだ!

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納涼シリーズ 暑い、暑い。『現代/大学/学生』 大内兵衛

毎日暑い。午前10時には室温がすでに28℃に達していた。

何をやるのも億劫だ。

しなければいけない事は沢山ある。

めちゃくちゃになっている物置の整理。震災前から足の踏み場もない状態だったから、大地震の後がどうなっているか、恐ろしくてまだ見ていない。

草刈り。先日玄関先きから公道までの20メートルは刈った。歩くだけの幅の道が両側の草で覆われてしまったから、仕方なくやった。雨の日には、ズボンがびしょびしょになる、長靴でなければ玄関から外に出られない(マムシを踏むのが怖い)、これでは風流も台無しだ。

その他。

台所の換気扇の清掃。
トイレの汲み取り。
DVDの整理。
冬物衣類の収納。
断水時に使ったポリタンクや発電機の収納。
落下したままのシーカヤックを架台に戻すこと。
つれづれ丸のエンジン作動確認、台車補修。
救援物資の空き缶・ペットボトルの分類。
ずんずん伸びていく竹のカット。

嗚呼、思うは易く、行うは難し。

結局、思っただけ。風呂に水を張り、タイマーを10分にセットする。今日の午前中にしたことと言えば、この位だ。

ぬるま湯に浸かって、水道の蛇口を微妙に調整する。水琴窟のつもり。ポトン、ポトンは駄目だ。ポット~~~ン、~~~~~(間の意)、ポット~~~ン。これでなくてはいけない。

ぬるま湯にいつまでも浸かっているわけにはいかない。パンツを穿いても直ぐに汗でベトベトになる。どうせ脱ぐのなら、最初から着けないほうが利口だ。空山人に見られず。ハンモックに乗る。木と竹の緑と空の青。雲ひとつないいい天気だ、体全体に当たる海風が涼しい。

しばらくすると、汗だらけになる。また、ぬるま湯に入る。

こんなことで、なんとか昼までこぎつける。

震災時にありつけなかったザルそばを食べたら、シエスタだ。醒めるのが2時半から3時。

モモはソロソロ散歩の時間ということで、ソワソワし始める。3時はまだまだ暑い。

5時まで、ネット碁で遊ぶ。お互い、昭和一桁か二桁だから、棋力の衰えも似たような物。長い付き合いになっている。大勢の人が終わりの挨拶に、「震災で大変でしたね」と添えてくれる。私のネット碁は、本名と市町村が掲載されているため、石巻すなわち大津波となる。こんなに同情してくれるのだったら負けてあげるのだったと思うこともある。次の対戦では、負けることにしようか、思案する。こちらが負けだと、負けた同情と震災の同情がミックスされて、素直にありがたがれない。我ながら見上げた性格とは言えない。

負けが込むと知らないうちに6時になる。散歩も適当に切り上げる。ヤギは放してあるから、庭のタケノコをたらふく食っている。モモも放しているのだから、勝手に散歩してくれれば助かるのに、一緒でないと外に出ようとしない。

夕餉。6月初めから禁酒している。ドクターストップがかかったわけではないが、晩酌すると、そのまま眠ってしまうことが多くなって止めたのだ。私のゴールデンタイムは午後9時から深夜1時。朦朧とした頭でこの時間を過ごしたら、なんのための一日だったか、諦めきれない。ありがたいことに、ハエも深夜にはおとなしくなる。ジェット噴霧器で皆殺しにした後だからおとなしくて当然か。

大内兵衛を語ろうと思っていたが、億劫になってしまった。

表題をそのままにしているのは、一種の宣誓である。そうでもしなければ、私は私の自堕落をぜんぶ暑さのせいにしかねない。

付の1.
室温が30℃を越えた日はありません。それでも暑くてかないません。外の木陰はもっと爽やかです。ニュースで35℃と聞くと、みなさん、どうやって過ごしているのか、少し興味があります。

付の2.
断水でもっとも困ったのが風呂。次が、大好物ザルそばがうまく作れなかったこと。冷水をじゃあじゃあ流さないと、腰のつよいザルそばになりません。(ザルが大好物というのだから安上がりだなぁ)

付の3.
『現代/大学/学生』は法政大学出版局1967年初版です。私は68年5月に読んでいます。怠惰な生活を読みたくて寄ったのではないと怒る方もおいででしょう。申し訳ありませんが、もう2~3回、お寄りください。

納涼シリーズ 再びハエについて思う

先日、最後の一羽が消えた。鶏がいたときにはハエがいなかった。外にはいたのかもしれないが、部屋では見かけなかった。

それで、鶏がいなくなったことがハエの異常発生の原因と思っていた。生ごみを、玄関前から投網のように投げ捨てることはずっとやってきたことだから、原因ではないと決めていた。

ハエの発生が鶏と無関係であることを、昨日のニュースで知った。

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 東日本大震災の被災地でハエなどが大量発生していることを受け、防衛省は14日、岩手、宮城、福島3県の沿岸部での防疫活動に陸上自衛隊を投入する方針を固めた。

3県の沿岸ではがれきやゴミ集積場のほか、魚介類が腐敗した冷蔵施設などでハエが大量発生し、感染症の発生が懸念されている。

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自分一人の不幸でないことに、ほんの少しだが安堵した。この安堵は、自分の卑しさの表れであることに気づいた。安堵は自己嫌悪に一転してしまった。

それはそれとして、今回もまた陸上自衛隊に助けられた。消毒作業は、猛毒の農薬散布だから、防御服と防毒マスクという夏には過酷な衣装を着てやる。島では、島民がやっているが、私にはできない。

陸上自衛隊のやっていることをみれば、陸自は軍隊ではない、すでに防災隊である。名ばかり自衛隊である。

富士山麓の戦争ごっこを廃止して、すべての県に分散駐在し、それぞれの防災活動や国土保全や環境保護に頑張ってもらおうではないか。

発送の転換とはこういうことだ。

付:
酒は飲まずに済みますが、コーヒーは一日足りとも欠かせません。コーヒーメーカーからポットを取り出し、大きなカップに注ぎます。部屋中にコーヒーの香りが漂います。幸せな瞬間。

と思っている矢先、トンマなハエが飛び込んできます。熱いコーヒーですから、即、石川五右衛門です。

忌ま忌ましいが、それでお終い。立て直し。

こんなことでは、私の年金が全部ハエに奪われてしまいます。そこで、今は、溺死したハエだけをスプーンですくって捨てることにしました。

ハエ一匹で、コーヒーの味は損なわれません。かれこれ1週間続けていますが、別に下痢の症状にも見舞われません。

人類とハエ族とは数十万年か数百万年かのあいだ、共存してきたのでしょう。健康に直ちに被害を与えるものではないのは原発と同じです。違いは、原発はいつか誰かに必ず被害をもたらしますが、ハエは、もたらしません。

とはいえ、冷めたコーヒーをガブッと飲んで、ハエが舌に乗ったときは、ペッと吐きます。清濁併せ呑む私ですが、コーヒーとハエを併せ呑む程の度量はありませんね。

(昔懐かし、ハエ取りリボン)
0716ハエ

与謝野馨大臣 これほどの貧相は珍しい

貧相は経済的に豊かであるかないかによるものではない。貧相は心が貧しいために、顔に表れるものだ。

それを見事に証明してくれているのがこの政治家である。

彼は、政党という同志の集まりを抜けて、菅直人のエサに食いついた。菅直人は自党の大臣に消費税の増税をさせたくなかった。当の大臣ばかりか自分の人気にも悪い影響が出てくることが分かっていたからだ。

それで、この与謝野某が財政健全化の論者であることに目をつけ、一本釣りを仕掛けた。

与謝野某にとって、財政健全化とは国民からカネを絞り取ることであり、国家の官僚、最高裁長官の夏の賞与が400万円、豪華な公務員宿舎、海が好きか嫌いかを統計する外郭団体、こういう無くてもいい所の節約にまったく関心を持たない。

同志と袂を分かつのも結構だが、それは、同志が転向して政府の要職くにありつく、その中で一人立党の精神を守るべく離党するものでなくてはいけない。

自分一人、ホイホイ大臣になるとは、人間の質が低すぎる。

この男にはカネを増やすことしか頭にない。

今度は、ギャンブル税を上げるという。消費税がどうもうまくいきそうにないから、どこか他にカネを増やす手立てはないものか、取り巻き官僚と日夜会合を開いた結果である。

独立行政法人など一切不要である。各省庁がカバーできない業務は何一つない。人とカネが浮く。それでは今の業務が過度の負担になると反論する者がいるかもしれない。

それには、各省庁で当たり前になっている統計作業のすべてを廃止すればいい、これが私の再反論である。

年収300万以下では結婚率が顕著に低いというような統計を発表したのは厚労省だったか。

学力差を県別に統計しているのは文科省だったか。

出来もしない地震予知のために全国の計測地点のデータをパソコンに集めているのは気象庁だ。

無数にあるムダな統計の中で、最もムダな統計が国勢調査である。5年に1回、必ず行われるからだ。無くても政治は動く。国連がらみで必要なら、20年に1度で勘弁してもらうことだ。

とにかく、国家の役人は、ヒマができれば統計作業をやりたがる。

国の贅肉を温存したまま、更に民から栄養補給させるというのだから、与謝野某には物事を判断する能力に欠けている。彼の面相に知性が感じられないのも無理はない。

こういう人間だから、こういう問答がでてくる。

~~~~~~

 --菅直人首相の「脱原発」発言が波紋を呼んでいます。

 ◆極めて純情、純真な青年が夢を語ったということ。政策選択がもたらす結果をよく考えてやらないと間違いを犯しかねない。

~~~~~~

菅直人が青年の夢で脱原発を発言したとは、私には到底思えない。個人的意見と断るところなぞ、市民活動家であった過去をひけらかし、自分が民主党の政治家と一線を画す目論見が、ミエミエである。民主が滅びても自分は生き延びるための布石である。

だから、菅直人が純情な青年であると言っている与謝野某が、私にはボケ老人にしか見えないのである。純情では足りないらしく純真とまで付録につけた。

それに比べ、自分はもっと現実的であると言っているのである。

菅直人が純情・純真であるかないかは別にして、政治家に「日本の国、かくあるべき」の夢がなくて、なんで政治家が務まるというのか。

私企業では、損益がもっとも重要である。ドライに言えば、「儲けてなんぼ」である。

国家は違う。時には損をすることが、得をするよりいいこともある。それを損得一点張りの今の日本国民に分からせるためには、カネの次元とは別の次元で政治家は発言しなければならない。

青年の夢である。これを、与謝野某は、「若いもんの夢じゃあ、世間は渡れないよ」とバカにしているのである。

彼は貧相である。こういう政治家が多数決によって生まれる議会制民主主義が「なんぼ」のものか。

ここまで私を追い詰めて考えさせる与謝野某に私は怨みを抱く。

(車検に出せるのも、間近かになりました。地盤沈下のために必要になったかさ上げです)
0715船着場

飛行艇

プロペラ機はジェット機より乗って楽しい。新幹線より蒸気機関車の方が楽しいことと同じである。

このプロペラ機の中でも、特に楽しいのが飛行艇である。

戦時中、私が5歳ころだったか、飛行艇の絵をよく描いたものだ。


たまたま手に入った日経に飛行艇の写真が第1面に載っていた。

懐かしい。

「海自飛行艇、民間転用へ」のタイトルで、救難飛行艇を消防飛行艇に改装して輸出するという記事である。

一つの喜びと一つの不安を同時に読み取った。

日本軍(自衛隊)は、戦後このかた、他国の民も自国の民も一人として殺傷しなかった。自国の民を殺傷するのは主として陸軍である。戦車である。それが、今回の震災では、陸自という陸軍が自国の民(日本在住の異国人も)をもっとも救ったのだから、嬉しい皮肉である。

陸自の訓練から装備まで再検討すると言う朗報は、海自にまで及んできたかと、長生きに感謝した。

これが喜びである。

待てよ。

日本は武器輸出三原則があって、武器、兵器は輸出できない。海自の救難飛行艇は、負傷した自国兵を前線から安全な場所に移すためである。最小限の防御火器は備えているだろう。その火器があるために武器の範疇に入れられている。

軍需産業も商売だ。日本で販路の拡大が望めなければ、海外になんとかして売れないものか、考えてもおかしくない。

考えた末、武器でなければいいのだ、火器を取り外せばいいのではないか、銃座を残していても、輸出先の国が、後に何を載せようが、知ったことか。セミ・ノックダウンで行こう。

前線までの長距離飛行に必要だった燃料タンクを消火用水タンクに変えれば、民生で通るはずだ。防衛省からの天下りをパイプ役にして、うまく話しをつけてもらおう。

戦車を民生に転用するのは、至難の業だが、飛行艇なら簡単だ。

かくして、武器輸出三原則の抜け穴をくぐり抜けて日本の武器・兵器が堂々輸出される。

これが、不安である。

記事の終わりの所に、次期輸送機C2、次期哨戒機P1も順番を待っているとあった。

見出しを見た瞬間は喜び8割、不安2割。この2割は自分に一切の非がなくても、車を運転しているだけで過失とされる、交通事故の過失相殺のようなもので、軍需産業のうさん臭さを潜在的に感じていることによる数字である。

読み終わった時は、喜び2割、不安8割に変わった。

今の政府の中に、その精神を重んじて、武器輸出三原則を遵守する政治家が何人いるか。理屈を適当につけて、なし崩し的に武器輸出を拡大していくのではないか。

しばらく前のニュースに、武器輸出三原則を見直すべきだという財界の要望があった。それの延長線上でなければいいが。

付の1.
飛行艇は省エネです。ちょっとした斜面で乗り降りして、そのまま海に入ります。水しぶきをあげて海面という滑走路から飛び立ちます。着陸でなく着水。車輪を出して、斜面を這い上がります。バハマに行った時、ボンバルディア機に乗りました。エンジンにRRのマークがありました。ゴ~というプロペラ音が直に聞こえてよかったです。

付の2.
日本製が1機、70~80億円で、ボンバルディア機より割高とありました。割高というより2倍に近いのではないでしょうか。プロペラが4つあっても、たかが飛行艇、70億はないでしょう。リベートが乗っていますね。

付の3.
日経7月2日。

納涼シリーズ 映画「黒いオルフェ」

ポルトガル語科の友へ(1):

フランス人の監督とブラジルの舞台の組み合わせでなければできなかった映画です。半世紀の長きに映画を観てきましたが、この「黒いオルフェ」を越えた映画はありません。上智のポルトガル語出と会社で一緒に仕事をしたことがあります。この映画を酒の肴にしてよく飲んだものです。私は、マナウスにも行きました。

テーマ音楽がポルトガル語であるのは、そうでなければあのギターの旋律に合わないからで、カミュ監督は手の打ちようがなかったと思います。

「三文オペラ」、「私の小さな楽園」。味がありますね。

今も、毎日のようにサン・パウロで買ったサンバのLPを聴いています。家ではCDに落として大音響で、散歩ではMP3にして。

サンバやマクンバの拍子は、だらだらの4拍子の日本人の音感では無理だと思います。刺激が強すぎます。

歌詞、ありがとうございます。少々スペイン語をかじった手前、無理なく喉を通ります。


caoのcにはヒゲがあるでしょ。teu、meuはtu、mi。bonitaはスペイン語もbonita。他、cantar、amor、feliz、voz、que、dia、alegria、スペイン語も同じでは。

私は、meuの発音が大好きです。それから「しゃ」、「しゅ」もいいですね!!

あの映画のようなサンバは、もう消えたようですよ。白人、主にアメリカ人、がついていけるように、締まりの無いサンバが好まれるようになったと、「黒いオルフェ」に出演した女優さんが嘆いていました。

「黒いオルフェ」は世界遺産です。

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ポルトガル語科の友へ(2):

あの映画はまさに、文化遺産です。私も前の前のメールで言おうかと迷ったのですが、控えました。遠くに林立した高層ビル、そこには「生」がありません。文明の墓標です。時々飛行機が横切りますね。あれは、兼好の「蟻のごとく」の象徴です。生まれて、踊って、老いて(時には若い内に)、死ぬ。なんとシンプルなことでしょう。

それに、行方不明者の名簿のシーン。あれは、見事な哲学です。

全編に休まず流れるサンバ。50インチかそこらのテレビで、おとなしくちまちま観ていると聴き取れません。映画評論家の誰かが言っていましたが、全編を通しで音楽が流れているのは、この「黒いオルフェ」だけとのこと。

群衆の一人ひとりの顔や動作は、何回観ても飽きませんね。

ポルトガル語のDVDを入手してから、ますます狂ってきました。

マナウス:
マナウスではドイツ映画「フィツカラルド」そっくりの川をくだりました。もちろんオペラハウスも。深夜、ネクタイを鉢巻にして、原住民と踊り狂ったこともありました。みんな小柄で茶褐色の肌。大きなヘビを首に巻きつけて写真を撮ったことも覚えています。

サンパウロのSaoのoの頭にニョロが付きましたね。

音楽:
GuarudeiMinha Viola
Meu Mundo e Hoje
Sou Da Madrugada
Panga Donga Panga

永眠前の3日間に聴く曲80選にこれらが入っています。ボサ・ノバは、40代までよく聴きました。70歳の更新のときセルメンなど改めて聴いたのですが、覇気がない、それで不採用にしました。黒いオルフェの主題歌も初めと終わりにあるからいいのであって、流れは、チャッチャチャカチャカ、チャカチャカチャカチャカです、時には激しく、時にはかすかに。

ポルトガル本国のはアマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」が入っています。若い時の声量が豊かな録音です。

アルゼンチンにもサンバ(Zamba?)がありますね。哀愁がこもって、これがまたいい。日本ではフォルクローレのジャンルとして扱われているのでしょうか。

トリニダード・トバゴではカリプソ、メキシコシティーではマリアッチ広場、どれも楽しかったですが、でも最後まで付き合う相手はやはりブラジルサンバです。あのヌルッとした独特の転調のような旋律になんともいえない味があります。

知識を全部捨てて頭の中を空にして旅に出る予定ですから、勉強はしません。しかし、この機会にスペイン語とポルトガル語の辞書をネットで買うことにしました。歌詞なんか、愛、恋、別れ、寂しい、想い、嘆き、永遠、一度、この程度で十分ですからね、どこの国の音楽も。

Meu Brasil(私のブラジルのつもり。スペル違うかもしれません)Muito Obrigado!(ありがとうのつもり)

付:
自分から世界遺産と言っていながら、すっかり忘れて、友から言われ同調しています。

新聞を読んで(8) 節電2 原発ないなら発電量3割減

◇原発ないなら発電量3割減

電力の需要が供給力を上回ると、発電所や変電所の運転は一斉に停止する仕組みになっている。

・鉄道が止まり、「帰宅困難者」あふれる。信号は消える。エレベーターにも閉じ込められる。長引けば断水する。
原発がすべて止まってしまうと、供給不足は免れない。
(私)原発がすべて停止すれば停電になる。停電になれば市民に重大な悪影響を与える。ここまで書いておけば、読者は、「なるほど原発は停止すべきでない」と思うようになる。記事はこれを期待している。

・電力量が30%少なかった時代といえば80年代後半に遡る。いまでは一般的なパソコンや食器洗い乾燥機、温水洗浄機などがなかった頃だ。
(私)パソコンを加えたのは、なかなかの工夫である。食器洗い乾燥機や温水洗浄機のない世帯でも、パソコン位はあるだろう。パソコンが使えなくなってもいいのか、この脅しである。

前回の節電ブログで、紹介したように、食器洗浄乾燥機が1.6%。パソコンは、独立した項目になっていない。その他に分類されている。微々たる数値であることを意味している。

・原発が少なかった70年代の石油危機では、テレビ局が深夜放送を自粛し、街のネオンも消えた。原発をなくせば、夜間の「余剰電力」も消える。今度は、24時間営業や自動販売機などにも影響が及ぶだろう。
(私)深夜放送がなくて、市民の娯楽が失われたか。街のネオンが消えて、交通事故が多発したか。行きつけの飲み屋には、真っ暗闇でも探していくのが呑ん兵衛だ。24時間営業や自動販売機がなくなると市民は餓死するか。脱水症状で救急車が出動するか。石油危機が何年続いたというのか。それに比べ、福島原発事故の後遺症は何年続くことか。

・東京電力の場合、夏場に1度上がれば「原発1~2基分」の電力が余分に必要になる。
(私)水力発電何基分、火力発電何基分と言わないところがミソである。「攻撃は最大の防御なり」とばかり、「増やすのは御免だが、まあ現存の原発はあってもいいのではないか」、という方向に世論を誘導している。

・需要逼迫の東日本は今夏、わずかな気温変化にも気が抜けない日々が続きそうだ。
(私)この記事の結語である。唐突に東日本が出てきた。気温変化は、暑いかしのぎやすいか、こんな程度の会話が普通の生活感覚である。僅かな気温変化に気が抜けなかったら、ストレスでみんな病院通いだ。「そうだ」と新聞特有のあいまいさで締めくくっている。東東北在住の一人として、私は、「そうでない」と反論する。気が抜けないのは、屋上のビア・ガーデンの支配人であり、扇風機売場の主任である。

最後にタイトルに一言。「原発ないなら3割減」は非現実的、はっきり言えばウソである。「原発ないなら」火力発電や水力発電が不足状況に従って全部とはいかなくても補填する。

記事がいみじくも語っているように、市民は80年代後半に引き返せばいいだけのことだ。

付:
ただ今午後7時。室温26℃、湿度64%。これでも暑いと感じます。扇風機なしではいられません。内陸の35℃はサウナ級でしょうか。

納涼シリーズ 映画「プロデューサーズ」

映画「プロデューサーズ」

出だしは、アメリカ映画特有の軽佻浮薄である。この映画のためにこれからの2時間を消費するのは、もったいないと感じたが、一応20分位はこの映画に与えてやることにした。

ミュージカルであることが途中でわかった。そうとなれば、終わりまで観ない手はない。

私にとって久々のロード・ショウである。

その昔、高校が江東楽天地の駅下車だったから、私の高校時代は映画を抜きにして語ることが出来ない。中でもミュージカルに対する想いはひとしおであった。

素晴らしい朝を迎えられるのはアメリカ原住民を駆逐したからとか、魅惑の宵にうっとりできるのは米領の海兵隊に守られたからとか、こういう水を差すような理屈は大学に入ってからのことである。ただ、単純に幅広のシネマスコープに興奮していた。

その興奮が、この「プロデューサーズ」で私に戻ってきた。

絢爛たる衣装。歯切れのいいテンポの音楽。直線的でキビキビしたダンス。それと、恥ずかしながら、老人の私にも分かる単純な筋。

これぞミュージカル!これぞアメリカ!

映画っていいですね。

付の1.
この映画、ドイツで受けたのでしょうか。ドイツ向けの配給では、昭和天皇をテーマにしたミュージカルに替えられていたのではないか、興味があります。

付の2.
アメリカミュージカルの対峙がフランス映画「シェルブールの雨傘」でしょうか。フランス映画にもいくつかアメリカ風のミュージカルがありますが、華麗さが感じられません。カネのない国は、背伸びせずチエでいい映画をつくること、この代表が「シェルブールの雨傘」です。いい映画、必ずしも大作にあらず。

新聞を読んで(7) 節電

◇冷蔵庫節電ひと工夫
庫内にカーテン・クーラボックスも
冷蔵庫の冷気を逃がさない工夫

・冷蔵庫用のカーテンを張る。
(私)千円位で買えるとのことだが、宅配便の梱包材のプチプチでもいいのではなかろうか。早速実行する。

・同時に使う調味料などはまとめておく
(私)どこのメーカーの冷蔵庫でもドアの小袋が調味料棚となっているのではないか。醤油・だしの素・ソース・酢、こんな程度では、黙っていてもまとまる。イタリア料理、フランス料理、中華料理、和食にエスニック料理、これを家庭で作る主婦には参考になるだろう。(今の日本にいればの話)

・すぐに使う予定の食材などはまとめてクーラーボックスにいれておき、ここから出し入れ
(私)この記事をかいた人、実際をイメージしたのだろうか。年収200万円の庶民の冷蔵庫の中は、今晩と翌朝の食材が入っているだけだ。すぐに使うものをクーラーボックスに移したら、冷蔵庫は空っぽだ。

・停電対策として冷凍庫にはペットボトルを凍らせておき保冷剤として使う
(私)3月は完全停電だったが、室温が冷蔵庫なみの4℃から5℃で、夜間は零度近かったから、物が腐ることはなかった。

ペットボトルは1日2回計10時間通電した4月から5月に非常に役立った。しかし、夏から秋にかけては、多分、保冷剤としては役に立たないと思う。ペットボトルの氷は数時間で溶けてしまうからだ。

正規の保冷剤だって、買い物をした店から自宅の冷蔵庫までの短時間の保冷のためではないのか。

震災時の私の経験では・・・
生ま物は、火を通して、それを冷ましてから冷蔵庫に入れる。大トロは美味だが、我慢して焼くことだ。イカそうめんは、冷蔵庫に入れる代わりに、買った日に腹に入れてしまうことだ。(買える人に対しての助言)

もう一つ、自家発電機を備えておく。私のホンダとヤマハは、100V5Aの能力がある。これで冷蔵庫は止まらない。エンジン音が大きいのは欠点だが、背に腹は代えられぬ。ホームセンターで材料を買って、防音壁を作り、発電機を囲えば、周りが目くじらをたてるほどにはならない。非常時だから、ある程度の騒音は周りも理解してくれるだろう。

記事の中に、円グラフが載っていた。

家庭での機器別の消費電力量
   エアコン・・・・・・25.2%
  冷蔵庫・・・・・・・16.1%
  照明用・・・・・・・16.1%
  テレビ・・・・・・・・・9.9%
  電気カーペット・・・4.3%
  温水洗浄便座・・・・3.9%
  衣類乾燥機・・・・・・2.8%
  食器洗浄乾燥機・・1.6%
  その他・・・・・・・・・20.2%

(私)
エアコンが4分の1を占めていることには驚いた。エアコンとは冷房装置という私が持っている昔の感覚は通用しない。冬でも暖房機として使われている。日本では半年「稼働」する。それなら、4分の1が理解できる。

私の所は、扇風機と石油ストーブだ。扇風機は50Hzで38W、10時間回して約8円也。

冷蔵庫は昔だったらGEやウエスチンサイズという大型。今では、冷凍庫、冷蔵庫、野菜スペースという3ドアで、普通サイズ。中身はほとんど空だから、負荷は極めて低い。東北の夏は関東のように暑くない。冬は、台所の方が、冷蔵庫内より温度が低い。熱交換の負荷も低い。

照明器具は、30Wプラス32W。いつも32Wだけつけている。6時間で5円かそこら。

テレビはプラグ・オフ。観ない。省エネテレビも真っ青のゼロ円。

電気カーペット、あるが使わない。電気毛布は使う。

温水洗浄便座、一度座ってみたい。総理の座より気持ちいいのだろう。

衣類乾燥機。年中雨降りならともかく、晴れた日に干せばいい。太陽と風が乾かしてくれる。洗濯機がこの範疇なら、私も使っている。

食器洗浄乾燥機。コジマで販売のヘルパーをやっていたとき、口ではお勧めしたが、心では、「こんなの買うもんじゃないよ」と念じていたもの。これが、ベスト・テン入りしているのだから呆れた。手で洗って食器棚に収めれば、翌日までに乾くのではなかったか。

その他。これがなぜ20.2%も占めているか、わたしには分からない。電気風呂か電気あんまか、あるいは髭剃りか。

私のプロジェクターが290W。高輝度ランプだからこの数値になる。これでも小型の方だ。いつか、10畳大のスクリーンで映画を観たいと願っている。その時には、1kWhを消費するかもしれない。

オーディオ機器では2機のパワーアンプ。部屋が違うので、同時には使わない。200W程度だろう。

最後だが、トイレの換気扇。都会に人には想像できないだろうが、これが止まると、トイレが便所に改名される。小はずっと戸外の天然水洗トイレだが、この換気扇が止まると、大も戸外の天然トイレを利用したくなる。これが、16W。1日中回しても10円しない。

かくして、私の月間電気料は4千円台で収まっている。5千円の記憶はない。

先日、東北電力から震災で延び延びになっていた請求書が送られてきた。
     3月 2,033円
     4月 1,801円
     5月 2,374円
となっている。3月は、震災前の10日間の使用料だと思う。契約20Aの基本料金が数字を大きくしていると思う。

というわけで、私は節電協力をしたくてもしようがないほど、すでに節電生活を送っている。大食いプロジェクターは、日雇いが一日の仕事を終えて、夕飯に軽く1杯焼酎をやるようなもの。私の必需品である。高層高級マンションをねぐらにする国家公務員が、これまで止めろとは言えまい。

15%の節電は私には無理でも、平均的な家庭では、それほど難しいことではないように思える。

すなわち、電気カーペットから食器洗浄乾燥機まで使わないようにすれば全体の12%の節電が可能にあるということである。

この4種、あれば便利というだけのもので、なくてもやっていける、すくなくとも原発事故の不幸の再来を代償にするに値しないシロモノばかりである。

あとの3%は、その他で節電すればいい。

電気は、あればあっただけ、なければないなりに。

付:
他人のことをとやかく言うつもりはありませんが、原発なしでもやっていける、しかも、それほどストレスを感じでやっていける、これが記事を読んだ印象です。

納涼シリーズ 映画「マルホランド・ドライブ」

ただ今午前11時、室温26度、湿度68%。暑い。外の風が涼しいとことが分かっていても、表に出る気力がない。

別にこのまま死んでいいということではないが、自編告別曲集のCDの(1)から(6)まで、流して聴いている。

泣きっ面に蜂で、ここのところハエが大量発生している。実にうるさい。Googleの変換で、「うるさい」に「五月蝿い」が選択に出ていた。「煩い」もあった。二つとも漢語の借用、「五月蝿い」の方にユーモアが感じられ、どうせ変換するなら「五月蝿い」だ。「五月蝿い」は、漱石が使いそうな言い表しだ。

こんな環境では、私の脳細胞は、ハエの排除に掛かり切りで、とうていまともな記事はかけない。

それで、納涼に借りて、お茶を濁すことにした。

映画「マルホランド・ドライブ」

私は、ハリウッド映画に相当慣れている自負を持っている。ご都合主義のどんでん返しにも、カーチェイスにも、爆破炎上も、ほとんどすべてに、サプライズがない。筋となれば、フランス映画の足元にも及ばない。つまらない。

だから、アメリカ映画を観る時は、高層ビルや豪華なレストランの食事が見られれば、儲け物としている。

この「マルホランド・ドライブ」も、タカをくくって見始めた。途中まで、「事件がおきても、警察に届けないいつもの手、届けたら、主人公が主人公でなくなるからな」とバカにしていた。

ところが、途中から何がどうなっているのか、サッパリわからなくなってしまった。

この歳になると、余人は知らず、私は、名前がよく覚えられない。この映画は、悪いことに、いくつかの名前が同じ人物に付いているような、いないような、さらに時間の流れが行ったり来たりで、どうなっているのかも、掴めない。

私が理解できない作品はすべからく駄作である、と断言するだけの勇気はすでにない。そこで、映画攻略本であるネットの映画評論のお世話になることにした。

観る人は、よく観ているものだ。私がなぜ理解できなかったか、その理由が分かった。

だいぶ前の映画であるが、まだ観ていない人のために、種明かしはしない。

二度読む価値のない書物は、一度も読む価値がないそうだが、この映画も同じ。一度観ても良さがわからないが、二度観て初めて価値が分かる作品である。まあ、良さは個人の価値観だろうから、「理解できる」と言うべきか。

昨夜に続き、今夜再演する。そして、昨夜わからなかったシーンでは、「なるほど、そうだったのか」と膝を叩いて納得する。

付の1.
私の場合、初演と2回目のインターバルに、ネット解説が入りました。解説なしで、2回目をみて、この映画を理解できるか、私には自信がありません。1回で分かる人がいれば私は尊敬します。

付の2.
ネットの解説は映画を観終わってから見ます。俳優の名前や粗筋の確認が必要だからです。20代には、どんなに長いロシア文学のどんなに長い人名でも、途中で最初の頁の戻るなんてありませんでした。

自衛隊から防災隊へ一歩転身

自衛隊トップの折木良一・統合幕僚長が、 「自衛隊原子力災害対処計画」を見直すと表明した。

その見直しは、自治体や米軍との連携強化を念頭に訓練や装備の拡充も進め、能力向上を図るためとのこと。

まことに喜ばしいニュースである。

原発事故でも同じだと思うが、被災地での自衛隊員の働き振りを目の当たりにした市民は、だれしもが、かれらの働き振りに感心したはずだ。

自衛隊は軍隊である。軍隊は人の命を奪うこと、物を壊すこと、これが実際の仕事である。武器・兵器もそのための道具である。

警察予備隊からこのかた、自衛隊は、人を殺したこともなければ、物を壊したこともない。それどころか、日本国内で大きな天災が発生するたびに、献身的に被災者の救援に当たってきた。

それなのに、これまで、人を殺す、物を壊す作業の向上に努めてきた。自衛隊員の訓練もそうだし、装備品もそうだ。

日本に軍隊は要らない。要るのは大災害時に頼りになれる組織である。

今回は、原発事故が対象のようだが、原発事故に限らず、これを前進の第一歩として、もっと広範囲に見直しをしてもらいたい。

自衛隊員は、人命救助のエキスパートに転身する。首まで泥水に浸かって遺体の捜索活動をすることも正規の任務の一つとなる。

戦闘機はすべて廃止し、代わりに輸送ヘリを増やす。戦闘機1機のお金で、輸送ヘリ5機は堅い。駆逐艦や潜水艦はすべて廃止し、代わりに物資の輸送船や避難民の仮宿船にする。イージス艦1隻で輸送船5隻は堅い。戦車はすべて廃止し、代わりに瓦礫処理の重機にする。給水車もいいし、タンクローリーもいい。戦車1輌で重機5輌は堅い。

太平洋戦争が終わった時に、日本の軍需産業は平和産業に一度転身した経験がある。だから、軍需産業の会社は、こういう転身をいとも簡単にやってのけるだろう。

自衛隊トップの折木某は米軍との連携にも言及しているが、日本に駐留しているアメリカ人というだけのこと、武器の携行がないのだから、アメリカ兵も日本国内で活躍するかぎり、防災協力隊である。

日米安保が日米防災同盟に転身するのは、まだ先のことだろうが、制服組がここまで言ってくれたのだから、防衛大臣や総理大臣ほか政治家も、真剣になって自衛隊のあり方を見直してもらいたい。

その見直しとは、自衛隊の目的を「殺す」「壊す」から「生かす」「直す」へと180度転換することだ。被災地で働いてくれたヒラの自衛隊員の労苦をねぎらう意味でもある。

新聞を読んで(6) 大震災でやっと気づいた知識人たち

何に気づいたかといえば、物質文明の膨張が、人類にとってそれほどありがたいものではないということである。

何日かの新聞で作家、評論家、哲学者などいわゆる知識人が告白している。当人たちは我々大衆に警告ないし啓発しているつもりかも知れない。

◇3月31日 近代問い直す東北の試練
被災地上空で思う 高山文彦

◇4月4日(夕) 時のかくれん坊
老いとは生命のこと 黒井 千次

◇4月13日 要所に賢者 日本は変わる
池澤夏樹さん 被災地を行く
よき貧しさの構築が課題

◇4月18日 思潮4月 大震災 近代主義に衝撃
価値、技術の理念 転換迫る
社会経済学者佐伯啓思・京大教授「世界観を変える契機」(文藝春秋)
国際政治学者・坂本義和氏「人間のおごり」(世界)
評論家・寺島実郎氏「東日本大震災の衝撃を受け止めて」(同)
思想文化論・西谷修東外大教授「近代産業文明の最前線に立つ」
(同)
解剖学者・養老孟司氏「『自然の法則』と日本人」(Voice)

4月18日の記事は文化部植田慈氏によるもので、上記の「名だたる言論人が、一斉に声をあげている」ことを、紹介している。

これらの名だたる言論人はぜんぶ駄目である。

なぜなら、大地震を自分の目で確かめてから、自分の意見を開陳したからである。

こういう人種は、復旧が進み再び物質文明が栄えるようになれば(資本主義がそうする)、この3月、4月に語ったことなどケロリと忘れ、やはり人類の進歩は素晴らしいなどと語るに決まっている。

人の災難を材料にして、筆耕する言論人を信用してはいけない。

真の言論人に、大震災の発生で初めて近代文明について考え直すような愚か者はいない。日頃から、信念として、持ち続けているものである。

そもそも近代文明や物質文明を対象にしていることが、問題のすり替えなのである。日本の知識人がこれまで避けて通し続けてきた資本主義こそ、議論しなければならない対象なのだ。

私は、資本主義に正面から向かい合うことを、ここに登場した諸氏に強く勧める。

軽微とはいえ被災した一人、人情夜話的な文明批判はもうウンザリしているのだ。

今回は、日付ごとに、一つひとつ採り上げる価値がないので、十把一絡げにした。

付の1.
高山文彦、黒井千次、池澤夏樹の3氏は作家とのこと。資本主義に言及しなかったことで非難されません。いい内容です。

付の2.
梅原猛氏は、「それ見たことか」と仰っていることでしょう。(私と違って)紳士ですから、もっと穏やかな言い方でしょうが。

(追) お詫びと訂正
2011年6月26日のブログで、梅宮猛氏は梅原猛氏の誤りです。お二方にお詫びいたします。付を書いているとき、胸騒ぎがし、チェックしました。遅まきながら、訂正しました。

被災者に徳政令を

子供の時に見た終戦当時の大人は、今とちがって、どこかサッパリしていた。大人たちが、「死んだ気になれば、なんでもできる」、「誰それは、裸一貫から(仕事)を始めた」などと言っていることをよく覚えている。

戦災が日本全土に及んだとはいえ、全土が全土、焼土と化したわけではない。この点でいえば、今回の震災と似ている。

東京の下町で終戦を迎えた私は震災を戦災とつい比べてしまう。3.11から4ヶ月、震災にはどこかジメジメした陰気さがただよっているように感じてきた。終戦のあのサッパリ感がないのである。

その違いの元が分かってきた。

第一。
日本人の政治家が国を動かしていなかった。国家官僚は策動しなかった。すべて、アメリカ進駐軍の指令で動いていた。

第二。
国民は、政府を頼りにしていなかった。頼りにしたくても頼りにならなかった。
自分の力、家族・縁者の力、仲間の力で出来る事から始めた。力は人により、頭脳であったり、体力であったり、精神力であったりしたが、とにかく、自分が主体だった。

第三。
借金がなかった。市民に貯金するだけのゆとりがなかったから銀行に融資資金がない。あっても個人に貸す余力はなかった。

ベトナム戦争や朝鮮戦争の特需はずっと後の話である。私が今語っているのは、終戦から数年の間の印象である。

時間をかければ、もっと出てくると思うが、とりあえず、この3点は終戦直後の状況であったことには間違いない。

戦後のサッパリ感は、この中の第三にあると私は思っている。

今回の震災と原発事故で、もっとも深刻な打撃を受けた被災者は、銀行から借金して、返済途中で仕事や家を失った人たちである。

だから、政府は徳政令を発して、被災者の借金をゼロにしたらいい。

「そんなバカな」と思うかも知れないが、日本政府はこれまで借金棒引きを銀行に命令している。対象が個人でなく企業であるが。

それを被災者に適用したところで何の不都合があろうか。

事業の再開に資金がない、家の建て替えにお金がない、では低金利で長期返済のローンを用意いたしましょう。これでは駄目だ。

低金利でも無利子でも借金は返済しなければならない。借金をしたことのない人にはわからないかもしれないが、借金は大変なストレスである。

原発事故で、東電に補償を求めるのは当然であるが、同時に、政府にこの徳政令の実施を迫らなければいけない。

中には、原発のあぶく銭を種銭にして、銀行からその数倍のローンを組んで酪農家になったのもいるかもしれないし、船主になったのもいるかもしれない。そういう人たち、すべてを対象にして、借金ゼロにさせるのである。

この徳政令を受ける者には、「今後、いかなる借金もいたしません」という証文を書かせること、これは絶対条件である。

酪農家であれば、鶏1羽から再スタートする。やがて牛1頭になり、1頭が10頭に、10頭が100頭になる。100頭が何かで80頭に減っても、借金がなければ、誰に気兼ねすることもなく、減ったなりの経営をすればいい。

個人も同じ。また六畳一間のアパート住まいから始めることだ。真面目に働いていけば、少しずつ、部屋数が増えていく。

上層部は怠慢と無策で満ち溢れていても、日本はまだまだそうすることができる社会である。

他人の金を当てにせず、裸一貫から再スタートする。戦禍も災禍もその場で生き残った者にとっては、同じことである。

結び:
政府がしなければならないことは、徳政令発布。やってはいけないことは、ローンの再組み換え便宜。

「東日本大震災は11日で発生から4か月となる。全国各地に避難した被災者は約10万人に上り、うち約2万4000人は依然として、学校などの避難所で生活を続けている」

今日のネットニュースである。

付の1.
ここでいう借金は、銀行など高利貸し商売からの借金です。無利子でも政府からの借金も含まれます。親類・縁者・友人からの借金は別です(周りに返せなければ、返さなくてもいいよと言ってくれる人がいればの話ですが)

付の2.
我が家はハエがいませんでした。今年は、すごい数のハエです。関東のハエに比べて小粒ですが、大群です。頭、背中、足、顔、キーボード、ディスプレイ、ところかまわず止まります。ハエたたきを右手に持って、キーを叩いています。文章におかしな箇所があるのは、神経が集中できなかったためです。

原発交付金 あればあるだけ、なければないなりに

毎度でお騒がせいたします。

こちら石巻市でございます。

東北電力様のお陰で、屋内プールと図書館を作ることができました。

夏になれば海水浴客で賑わう海浜があるのに、市民は泳ぎません。夏に泳がない市民が、どうして冬に泳ぎましょう。それなのに、いつでも泳げるようにボイラーで水温を保っています。

立派な図書館には新刊同様の本が並んでいます。誰も読まないからいつまでも新刊同様なのです。70、80のおじいさん、おばあさんは、細かい字よりテレビです。子供は読みたい本があれば親が買ってくれます。

少し前に、同じことを申し上げました。

この2つは、文化交流センターという名称で、今も存在しています。今回の地震などなんでもないほど、立派なビルディングです。

これはほんの一例でして、山奥の私の庵に向かう道がアスファルト舗装になったのも東北電力様のお陰だそうです。私が移住した当時は、砂利道でした。陸の道路の良さは言うまでもありません。牡鹿半島を車で回れば、アスファルト舗装特有に轍(わだち)がありません。東北の気候のせいもあるでしょうが、昼間でも車はほとんど通らないためです。夜間は鹿が横断するだけです。

道路沿いの草刈りは年中行事です。集落の草刈りは、住民が奉仕しますが、山の方は、プロがやります。

まだまだあります。

行政の印刷物、私たちは配り物とよんでいますが、その豪華なこと、一度、東京北区の配り物を見たことがありますが、その貧弱なこと。以前は毎週ドサっと一軒一軒に配られました。永久保存版などありはしません、一瞥即ゴミ箱へポイです。

東北電力様の女川原発のお陰です。

石巻市の歳入は市民の税金、こんなのはたかがしれています、国の交付金、これはありがたい、それに東北電力様からの寄付、原発立地交付金のことですが、これら計3本であります。

税金は景気次第で上下する、市民は年寄りがさらに歳を重ねるのだから、税金の増加は見込めない、唯一確実なのは、原発寄付金であります。

確実な収入を当てにするのは、個人も市も同じです。

それが、当てに出来ない状況になったとしたら、どうでしょう。

私の想像ですが、温水プールは、ただの防火水槽に、図書館は古本屋さんに変身するでしょう。道路は、両側の草で覆われます。豪華な多色刷り印刷物の納入業社は、仕事が減ります。市民税と交付金で、維持・管理できるとは考えられないからです。

そこで働いていた人は失業します。

前置きが長くなりましたが、本論はいつもの様に、至って簡単。

これをもって、「原発をなくせば、地域経済が成り立たなくなる」というのです。

誰が。原発推進派の県知事であり市長であり、町長であります。安全性がどうのこうのは、二の次、とにかくお金が入る前提だけは崩せない、これが、「地域経済不成立論」であります。

今回の政府の対応を目の当たりにすれば、事故がおきたら、原発は国策ということで、政府が面倒を見てくれることがはっきりしました。だったら金だという考えを持ちたくなるのは当然かも知れません。

今日の結論です。

原発なしでは、交付金というあぶく銭で膨らんだ贅肉体質を維持することはできません。それは地域経済が成り立たないということではありません。贅肉体質が維持できないと言っているに過ぎません。

原発がなかった頃にも、その地域に経済がありました。猿と鹿と猪だけ棲息している地域でない限り。

「原発をなくせば、地域経済が成り立たなくなる」、ウソです。

先の中部電力の株主総会のニュースの中で、80過ぎのおばあさんが、「原発は嫌です、電気が来なくなるのも困ります」と言っていました。

このおばあさんが中部電力にどれほどの影響を与える株主かニュースにはありませんでした。日本全国では、こういう風に思っている人がたくさんいるのではないか、そうなると、中部電力に影響を与える程度では済みません、日本の将来に影響が出てきます。私は不安になりました。

前編から始まって、何回同じようなことをこのブログで書いてきたかわかりません。間違った考えの人の1票で私の1票が相殺されるのが忌ま忌ましいので、これからも書いていきます。

それと、失業ですが、恐れることはありません。ここ日本は憲法で職業選択の自由が保証されています。その権利を行使すればいいだけのこと、あぶく銭に頼らなくていい職業に転職したらいいのです。

いつ襲って来るか分からない原発に怯える地域住民の心を無視してまでも、なおあぶく銭を稼ぎたいのですか。なおあぶく銭が欲しいのですか。

付:
合併前の牡鹿町時代の話です。

新聞を読んで(5) 3月26日(夕刊) 愛犬に導かれ83歳無事

◇愛犬に導かれ83歳無事
津波直前 散歩コースと逆の急坂一気

東日本巨大地震による大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市で、愛犬に命を助けられた女性がいる。津波来襲までの30分間、愛犬は興奮した様子で女性を高台にぐんぐん引っ張り、安全な避難所に導いた。(浅見徹)

(私)以上が要旨の全文で、その詳しい状況が本文記事となっている。我が家の犬、モモは地震がきた時、一目散に裏山に逃げて行った。その夜は帰ってこなかった。次の朝、顔をみせて普通にしていたが、夜になるとまたどこかに消えていった。

これは、震災日記に記してある。

主人である私に庇護を求めず、一人(一匹)山に登ったのはモモが本能的に死に場所を見つけたものと好意的に解釈していた。

この記事の犬は、そうでなかった。主人を安全な場所まで導いたのだ。

モモはやはり駄犬だった。そんな気がちらっとした。主人が駄人だから別に文句はつけないが、モモにエサを与える度に、記事の中の愛犬を思い出すようになって、読まなければ良かったと後悔した日がひと月ほど続いた。

しかし、なんとなく記事がすっきりしない。私はすっきりしない時には、すっきりするまで徹底的に考える。

もう一度、よく記事を読み返した。

発見した事実の1.
「ぐんぐん引っ張り」とあるのは愛犬がリードに繋がれていたということだ。もしも、リードがつけられていなかったら、はたして、主人を導いたろうか。私は、否定的である。やはり、モモとおなじように、一目散に高台に走ったと思う。

ヤギのように、主人のお尻を後ろから頭で押し上げたと書かれていれば、導いたという表現を私は素直に受け入れる。

発見した事実の2.
いつもの散歩コースと逆の方向の高台に向かった。津波を予知していたのかもしれないと主人が語っているが、いつもの散歩コースが高台でないから、逆方向のイメージができたのであって、犬はオオカミやキツネと同じで、恐怖に駆られると、山奥に逃げる習性の動物である。津波の予知とは無関係である。たまたま逆方向であっただけではないか。

放し飼いのモモは、一人で走ったが、リードを付けていたら、私を引っ張って行ったはずだ。私が動かなければ、裏山に登れないから、「リードを外してくれないか」と内心では思っていても、やむを得ず、リードを引っ張ることになるはずだ。

要旨では、リードをつけて導いたことになっている。本文では、そこがはっきりしていない。
「赤沼さん(飼い主)の歩みが緩むと、バブ(愛犬)は振り返って歩みを促すようなしぐさを見せ、追いつくと勢いよく前へ出た。それを繰り返すうちに、自宅から1キロ離れた避難所への坂道を一気に上がりきっていた」

83歳の飼い主が休み休み上っていったとあるのに、なぜ一気なのか、これは不問としても、リードの有る無しは記さなければならなかった。要旨で書いているからリードがついていることは省いたのか、それとも、高台に向かったときにはすでにリードを外していたのか。

本文を読む限り、リードは外されていたようだこれがはっきりわからない限り、私の頭の中のモヤモヤは消えないままでいる。考えてもだめだった。それはそれで仕方がない。国語の試験問題と思うことにした。

助けた愛犬のこの記事を読んだ購読者の中には、飼い犬だけさっさと高台に逃げて、飼い主や飼い主の家族が津波に呑み込まれたと例もないとはいえない。

とかく美談記事は、そうでない者に悲哀や落胆をもたらす物。この記事を読んで、自分の駄犬に嫌気が差し、動物愛護センターのガス室送りにしないように、私は願うものである。そのための一筆である。

付の1.
写真がでています。たしかにうちのモモより頭が良さそう。今も有感余震が日に何回も起きています。裏山に逃げるほどではありません。

付の2.
柱につながれたまま、津波に流された犬は相当いると思います。法律用語で緊急避難というのでしょうか、津波警報が出たら、街中でもリードを外してあげましょう。囚人とちがって、生きていれば、101匹が101匹、主人の元に戻ってきます。

付の3.
読売新聞です。

田中知・杉山憲一 羹に懲りず羹を呑み込む二人の愚か者

福島原発の事故の本質は、「想定外」の一言に尽きる。これがわからない専門家がいるので、愚か者の格好の見本として紹介してみた。

東電は原発がまかり間違えば大事故を惹き起こすことを知っていた。政府も危険であることは承知していた。だから、原発反対派に対して福島原発は十分な安全対策が施されていると、繰り返し反論してきた。

安全対策は、閾値(しきいち)の設定が大前提である。閾値があるから、その値までは安全であると保証できるのであって、同時に、それを越えた場合は安全でない、ないし、安全は保証しないことでもある。

テロが心配な国では、襲撃するテロリストの数、上空を航空機が頻繁に行き来している国では、墜落するジャンボ機の数であろう。

日本は、地震と津波である。東電と政府は、これに閾値を設定した。閾値は、すなわち震度であり津波の高さである。まだ起きていない地震は、検証も解析もできない。出来ることといえば、過去の「実績」を参考にして、これから起きる地震を想定するだけである。

東電や政府は、実績と同じ強度の地震や津波を想定していない。最低でもその1割増し、あるいは5割増しにしていたかも知れない。いずれにしてもある数値を想定していた。

それが、福島原発には通用しなかった。

東電も政府も、「想定外」であることを認めている。

これからが田中某と杉山某の愚かさの解説である。

~~~~~~
7月3日、青森県の原子力安全対策検証委員会(委員長・田中知)の4回目の会合が3日、東京・新橋で開かれ、東北電は東京電力福島第1原発の津波が約15メートルだったため高さ2メートルの防潮壁を築くと説明。杉山憲一郎委員は「余裕を持った設計だ」述べた。
~~~~~~

15メートルと2メートルの関係が私には分からない。これは、ニュース側の説明不足であろう。大した問題ではない。問題は、この二人が、防潮堤の高さを津波の高さに基づいて想定していることである。

もう一度、福島原発事故を振り返る。くどいようだが、万人が認めているように、事故は想定外の津波によるものだった。これが、田中某と杉山某には理解できないのである。

この二人を、タイム・マシンで3月10日に戻して、東電と政府に福島原発の安全性を確かめさせたい。二人に返ってくる東電・政府からの返答は、「これこれの津波には十分余裕を持った設計になっています。どうか、お引き取りを」である。

二人が3日に出した結論は、まさにこれ、「十分余裕を持った設計」である。青森が想定外の津波に見舞われないという保証はない。それをこの二人は保証した。もしも、青森が自分たちは福島とは別だと思っているのなら、とんでもない錯覚である。

原子力安全対策検証委員会は青森県の監督下にある。あぶく銭惜しさが二人の愚か者を登用したのである。この二人は、自分たちが青森県の人、生き物、土、空気にどれほど無責任であるかをまったく自覚していない。それどころか、専門知識を振りかざし、無知蒙昧の青森県人を啓蒙しなければならないという責任感に溢れているのである。

だから、私は、無責任の二人とは言わない。二人を愚か者と命名するのである。

田中某は東大大学院教授。杉山某は北海道大大学院教授。

付:
想定が無意味であったら何もできないではないか、これは専門家らしい反論であります。私は応えます、「その通りです。想定できない事故が福島で起きたのですから、想定は無意味なのです。原発は、何もできません。全部、廃炉です」、と。

新聞を読んで(4) 3月27日 国家公務員宿舎

◇被災者に公務員宿舎提供 公営住宅も 計4万2000戸を確保
【写真】被災者の受け入れが検討されている新築の公務員宿舎(江東区東雲)

(私)記事に特別の意味はない。あるのは、宿舎の写真である。この写真を見て、私は、ドバイかと錯覚した。上海の一等地かと錯覚した。それほど威風堂々とした建物である。

どうみても、高級マンションである。外見だけで断言するのは、屋内が、薄い4ミリ厚の合板で仕切られているはずがないからである。灯油ストーブで暖を取らなくてもいい部屋に決まっているからである。

この家賃、東京・江東区であれば、どんなに安くても10万円は取られるだろう。ちょっとした設備が備わっていれば、15万は請け負う。東京の賃貸マンションの相場に疎い私がこのように想像するほど、見事な宿舎である。

ここに国家公務員の本人と家族が住む。おかしくないか。

国の民の下で働く公僕が、なんで、民より贅沢な暮らしができるのだ。飲んだくれ、ギャンブル狂い、この手の民と比較しているのではない。政府がよく例に出す平均世帯と比較してだ。

極々普通の民が普通の能力を普通の職場で発揮して得ている年収で、家賃10万はとうてい払えるものではない。

都心にこれほど近い場所に宿舎を建てるということは、公務員がその家賃を払えることを知っているからである。それほど、公務員は優遇されているのだ。

部屋数が900戸。局長、課長クラスの専用ではあるまい。そこそこの地位の公務員でも入れるのだ。

国家公務員の年収がいくらか、私は知らない。しかし、この写真から、彼ら、彼女らの年収は、民の想像を超えた額にちがいない。

嫌な考えが浮かんだ。

ひょっとして、この宿舎の家賃、市価の2割引、悪ければ半額程度になっているのではないか。知らないのは、民ばかりではないか。

職住接近は誰しも願うもの、だが、民の1時間、2時間通勤(片道ですぞ)が珍しくない東京で、公務員だけ、霞が関直通30分はないだろう。 

しばらくは震災難民に住んでもらうという。今後がどうなろうが、今回の震災で、公務員の厚遇が図らずも暴露された。

今回ほど写真の価値を認識したことはなかった。新聞の記事は、複眼で読むと、また別の情報が得られるものである。

付の1.
指で追ったら、35階はありました。地下には駐車場もあるでしょうね。国会議員宿舎といい国家公務員宿舎といい、税で贅を凝らす。ダジャレの一つも言いたくなります。

付の2.
節電を民に呼びかける。結構なことです。この35階の役人さんと家族の皆さん、水洗トイレの水はどう確保しているのでしょうか。エレベーターは、ガレー船のように奴隷が引き上げているのでしょうか。

新聞を読んで(3) 5月20日 GDP 

◇供給網寸断 成長足かせ GDP年3.7%減 消費低迷
長期化も 雇用悪化で

(私)記事は紹介するまでもない。震災と津波と原発で、GDPが下がるという見出しがすべてである。

私が興味を持ったのは、4人の専門家(エコノミスト)の見通しである。誰がまともで、誰がピント外れかを、ゲーム感覚でチェックしてみたかった。

木内某(野村證券なんとか) V字回復が見込める
新家某(第一生命なんとか) 懸念はある
白河某(クレディなんとか) 回復するとは思えない
熊谷某(大和なんとか)   説明なし

数字が出ているが、震災前に、この人達がどんなGDPを予測していたのか出ていないので省略した。

まともなのは、4人のうちたった一人、木内某である。残りの3人は、知識人特有の悪癖、前提条件を付けることを忘れていない。

賞味期限ぎりぎりの在庫が一気にさばけた、生産設備が破壊された、家が流された、家電が流された、車が流された、これで、景気が悪くなるはずがない。

失業者の増加と景気の後退とは相関関係はないのである。資本主義経済は貧乏人を相手にしない。年収200万円が千人いるより、1億円の20人の方をありがたがる経済である。

見出しの「成長足かせ」は新聞の日頃の不勉強を物語っている。

付の1.
いつものように、読売新聞です。

付の2.
これから、富裕層を狙った商品やサービスが増えるでしょう。超金持ちから超貧乏まで、正規分布である社会が望ましいのですが、日本はだいぶ怪しくなってきました。
 

松本龍 人ノ軽キコト鵞毛ノ如シ

朝、ネットを開いたら、辞任したとあった。

辞任に当って謝罪したという。これはいただけない。自分の発言を何とするのだ。

ここ数日の間、彼の語った事が周りの反発にあうことは、普通の感覚の持ち主であれば、十分予測できた。彼は、その位のことは百も承知の上で記者会見をしたし、東北の県知事とも会ったはず。

態度や言葉遣いの悪いことが非難の原因であるなら、彼は、自分の教養や育ちの悪さのせいにすれば済むことだ。辞めることはなかった。

辞めずに、自分の考えを言葉遣いに気をつけて、再度披露すればよかった。彼の語った事は、先ず、住民が自助の精神を発揮し復旧に当たる。力が及ばない所は、政府が手を差し伸べる。手とはお金のこと、お金は税金である。税金は、全国日本在住の民(日本国籍ばかりではない)から集めたもの、最初から政府を当てにするなという発言が大臣から出て何らおかしくない。

それを、周りに騒がれて、いとも簡単に撤回する。

松本某に残ったのは、国を後ろ盾にして、周囲を威嚇する下品な国会議員のバッジだけである。

組の名前をちらつかせ、夜店の主をゆするチンピラである。

このチンピラと共に、まともな考えまで消え去ることがないように、彼のチンピラ語を翻訳して、再掲する。

「政府に甘えるところは甘えてください。私たち政府は、出来ないことは出来ませんと率直に申し上げます。そのくらいの覚悟でやっていきましょう」

「実情に詳しい県の方で住民の意見を集約していただけませんか。国は住民の意見をまとめる力がないのです。県にお願いしなければなりません。その代わり、国は県の方針を尊重しますし、それに対してできる限りの財政的援助をいたします。明確な方針を打ち立ててください。それがないと、国として、何をしたらいいのかわかりません。何を国に望んでいるのかが曖昧なままでは、大切な税金を使うわけにはいきません。大変でしょうが、どうかご理解ください」

「自治体には、できるだけ知恵を出してもらうように話してください。ただ困った、困ったでは、県の財政がもちませんでしょう。そういう自治体には、県は面倒を見ませんと釘を刺す位でいいと思います。国も県も町村も全員が緊張感をもって復旧・復興にチャレンジしましょう」

付の1.
韓国では、「一言のことばで千両の借金も返せる」というそうです。

付の2.
松本某は最初からやる気がなかったのです。辞めるための環境作りの大臣職でした。これでは、霞が関官僚が政治家を馬鹿にするのも無理ありません。我ら選挙民、しっかりしましょう。

付の3.
鵞毛の軽さはガチョウの差別語ではありません。「松本某、人ノ軽キコト灰ノ如シ」でもよかったのです。

付の4.
前回のブログで、私は松本某を褒めていません。しかし、言ったことを本音と書いたことには責任を感じています。松本某、少しはマシと早とちりしていたのです。今の民主党にマシな人物がいるはずがないこと位、ちょっと考えればわかることでした。私の不覚。

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