老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

中東問題、アフガン問題、アフリカ問題、ぜんぶ軍需産業のせい

インターネットが復旧したことで、世界の動きがニュースを通してこの過疎地の山奥にも届くようになった。

リンク先の二流子氏からも、厳選された記事・評論が再び送られてきている。

私が、外国に言及するのは、その国と対比することで、日本の不自然な政治や経済を鮮明に浮き立たせるためである。私の原則、内政不干渉は堅持している。

今回のテーマも、日本の軍需産業を意識したものである。

中東問題はじめ、アメリカ国軍が出前サービスをしている地域について、日本の評論家は、オバマ大統領の演説、イスラエルやタリバンの声明などを読んで、それを解釈し、今後の進展を予測している。予測する評論家は、ましな部類で、解釈で終えて、「先行きは不透明です」、「予断を許しません」、「見守る必要があります」を結語に持ってくる評論家が大多数である。

下手に予測して、その反対の事態が起きてしまったら、言い訳けを書かなければならなくなる。その稿料は、タダ同然であろう。言い訳けが3回も続けば、新聞社からも雑誌社からも相手にされなくなる。失職する。それが怖い。生活が掛かっていれば、どうしても、「先行きは不透明」となる。

どんな事態に進展しても、不透明と言っておけば、ウソつきにはならないという仕掛けだ。頭がいい。

この手の評論家に限って、どこそこで誰が何と言ったか、どこそこで誰が何と書いているか、で評論の大半を埋める。不透明の一語で済ませたら、ページが進まないから、仕方がない。

最近では、オバマ大統領が、アフガニスタンから撤兵するかどうかが評論の対象になっている。イスラエルの問題は、千年一日である。

その評論を読むと、ほとんどが、オバマ大統領は中東問題やアフガン問題を解決しようと努力しているものと信じている。オバマ大統領がアメリカの大統領である事を忘れているのである。

アメリカは超軍事大国である。軍需産業の意向を無視しては、大統領は務まらない。無視どころか軽視しても、務まらない。アメリカ国民の経済から軍需産業は排除できないのである。

大統領がどこで誰と会談したか、国務長官が何回敵対関係の双方に足を運んだか、こんな事を追いかけているから、「見守る必要があります」になるのだ。

紛争が解決したら、兵器・武器はいらなくなる。紛争が長引けば長引くほど、兵器・武器が消耗され、政府から追加注文が来る。政府は兵器を値切らない。

千億ドルが紛争地の「解決」に使われれば、その千億ドルは軍需産業の潤おいとなる。

イスラエルも軍需産業大国。アメリカとスクラムを組んで、紛争の長期化を画策している。

オバマ大統領が、紛争解決に努力しているという誤認があるかぎり、そういう評論家の記事は、ピント外れである。読むに値しない。

私は読まない。

抑止力

2+2の会談で、中国の軍事力増強に対抗すべく日米共通戦略目標を掲げた。目標には軍事力強化が含まれている。

日本は自分から戦争を仕掛けない。日本の軍事力強化は、他国に日本に対して戦争することを思いとどまらせるためである。いわゆる抑止力である。

仮想敵中国が、2+2の声明を読んで、「日本にそういう心配があるとは知りませんでした。2+2で初めてわかりました。空母は当然のこと、潜水艦も爆撃機も減らしていきましょう。ご安心ください」と日本政府に伝えたら今回の2+2も大した効果が遭ったと言える。

現実はどうか。

中国政府は、2+2の声明を、「受け入れられない内容だ」と評し、強い不快感を日本側に伝えていた。

どこが不満かは、私の知るところではない。愉快、不快は中国政府の勝手で、あれこれ言うのは、微微たりとはいえ、内政干渉である。

私が言いたいのは、日米同盟の堅持と深化が抑止力になっていないことである。仮想敵でも愉快な関係になっていれば、花火大会ではあるまいし、面白半分にミサイルを発射しない。

日本政府は、中国政府の不快感を期待していたのである。想定通りの進行だった。

日本政府は、言っていることと、やっていることが正反対の詐欺政府である。

詐欺師は、知らず知らずのうちに詐欺をするものではない。バレないように念には念を入れて、人を騙す。

日本政府も同じ。日米同盟の強化・深化が中国を愉快にさせないことを期待して、声明に盛り込んだのである。

中国政府を挑発しているのである。中国は、「なにを小癪な、日本。今に見ていろ、日本海を我が空母でうめつくしてやるからな」と、怒ってくれることを望んでいるのである。

そうなれば、日本はさらなる「抑止力」が必要になると、日本国民をたぶらかし、軍需産業に国税が費やされることを、やむを得ない措置と国民に思わせることに成功するというわけだ。

軍需産業が成長を願うのは、何もアメリカと日本だけではない。中国の軍需産業だって、2+2の声明で潤うのだ。忘れてはいけない。

前編の繰り返しで申し訳ないが、抑止力は、軍需産業の保護・成長のための口実である。

紙飛行機とブリキの戦艦。これが真の抑止力である。

村上春樹さんの受賞スピーチ

だいぶ前、全文がこのブログのリンク先の一つ、二流子氏から送られてきた。延び延びにしてきたが、後がつかえるので、書き上げることにした。読んだ限り、いくつか「はてな」マークが付くが、彼のスピーチはおおむね正しい。

ハテナの1.女性の読者たちが僕にキスを求めた

世界でここバルセロナだけとのこと。バルセロナがいかに素晴らしい都市であるかと続く。

これは、落語家が、スタスタ舞台にでて、座布団に座る。来場者を一回り見る。心で「ちぇ、今夜は不作だな」。頭を下げて、言うことは、「お客様、みなさんお若くて美しい。お声はきっとウグイスでしょう。今夜の私は果報者です」、この類である。

村上さん、小説家らしい。キスが、洞爺湖サミットでイタリア首相がホテルのメイドにしたレベル1の投げキスから、深夜のホテルでのディープキスまで7段階あることを知らないはずがない。

西欧、特にラテン民族系の社会では、キスは日本の「お元気かしら」である。日本男児が感激して語っても、聴き手のバルセロナ人は、キョトンとするだけである。落語家のお世辞にもならない。

求められたとあるが、金太郎のように可愛い顔をしているから、おでこにキスをしたのかもしれない。まさか、マウスとマウスのキスではあるまい。時間が取られたと苦情を述べているところから、あるいはそうだったかもしれない。前の女性の口紅を拭きとるのに時間は掛かるだろうから。

どうであれ、キスに特別な思いを抱くのは、彼も東洋人であるという証拠である。

村上さんは、期待したほどの(笑)はもらえなかったはずだ。

ハテナの2.
東京大地震の可能性が高いと言われても、都民は東京を離れない。これは、「無常」が日本人のメンタリティーであるためという。天災を「仕方がない」と受け止める民族性に依る物という。

私はそうは思わない。朝から晩まで酒を飲んで酔っ払って、入れ墨をした体をはだけて踊って暮らしていたのが日本人のルーツ、倭人である。「無常」は日本人になかった。「無常」は大陸・半島からやってきた知性である。そういう知性はもともと日本人の血に流れていたものではないのだ。

日本人が天災に対する感覚は無常ではない。「何も考えていない」これである。彼は、移ろう日本の自然を愛でる精神を紹介しているが、日本人が愛でるのは、美ではない、酒である。「花より団子」。上野公園の桜は美しい。三日前から場所取りする風流人が大勢いるそうだが、彼らは、桜を愛でない。桜の木の下の缶ビールを愛でるのである。

桜の開花時期に、上野公園をアル・カポネの時代のように禁酒にしてみればわかる。三日前どころか、満開になっても上野公園はがらんどうで、わずかに親子連れがそぞろ歩きするだけである。

蛍鑑賞ができる場所がまだ日本にあるとは知らなかったが、紅葉の名所も似たようなもので、酒が飲めなければ、「家のテレビでいいや」とこうなるのである。

彼は、日本人を自慢し過ぎている。

ハテナの3.
福島原発事故に言及して、彼は、「でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう」と語った。

これが彼の錯覚であることは、青森県知事選の結果で明らかである。

「我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです」

彼が腹を立てるのは当然のことで正しいが、過去、国災(国家による人災)に対して、日本国民がこの当然のことをしてこなかった、今回の原発人災事故でも当然のことをしていない。これを、スピーチにいれなければ、片手落ちというものである。

政府や御用学者だけが原発を擁護しているのではない。国民投票をしてみれば、擁護派が多数を占める。国民投票でなくとも、マスコミが世論調査をすれば分かるはずだ。

福島原発事故の福島県人の不幸を鳥取県人は分かち合えない、沖縄県人の不幸を、岩手県人は分かち合えない。これを、「恥ずかしながら」と前置きして、語らなければならなかった。

ハテナの4.
彼は、核爆弾をスピーチに加えた。是非は問わないと前置きして、原爆投下から放射能のおぞましさを学んだという。彼は学んだかもしれないが、日本人がそうだというのであれば、ウソである。日本人の大半は、原爆反対月間に執り行なわれるセレモニーをテレビを通して惰性で見るだけである。原爆保有国に廃絶を迫る政党に何パーセントの日本人が投票しているというのだ。

「我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です」

その通りであるが、これは外国向けに使っても無意味な言葉である。原子爆弾の投下は、投下したアメリカにも言い分がある。アメリカのいない場所で、原爆投下を言うのは、欠席裁判と同じである。もちろん、彼が、アメリカでスピーチするのなら、話は別である。

ハテナの5.
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

小野田敏郎さんは、この意味が日本は二度と戦争をしませんと言う意味だと知って激怒した。彼は自伝でそう言っている。過ちは、非戦闘員を無差別に殺傷したアメリカにある、だから、「繰り返しません」でなく、「繰り返させません」ではないか、こう言う小野田さんを私は尊敬している。小野田さんは日本軍人の鑑である。

現実はどうか。日米安保不平等同盟を過去半世紀一度でも政府が見直おそうと努力した気配があったか。安保見直すべしと主張する政党が、国民の多数の支持を得たことが一時期でもあったか。

村上さんのスピーチは、原爆投下を日本人の過ちと考えているのである。原発事故は内国で処理できる問題、原爆の過ちとは次元が違う、同列に扱えないものである。

ハテナの最後。
「技術力」神話の崩壊であるというが、そうではない。手の打ちようがなくなっても、まだ技術力さえしっかりすれば、原発は安全であると信じている日本人が大半である。神話は迷信に化粧直しをして存続している。

神話の崩壊が原因ではない。金銭崇拝教に日本人の多数が改宗したことが、原発事故の最大原因である。

ハテナはこれで終わりである。

このようにハテナがいくつかあったとしても、村上さんのスピーチはバルセロナ人はともかく日本人にとって聴くに値するものであった。悲劇の再発をしっかり予言しているからである。

その部分の原文を転載して、このブログの完とする。

~~~~~~
~我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
~~~~~~

付の1.
鳥取県民、岩手県民は、例えです。徳島でも新潟でもかまいません。

付の2.
自然の美を愛でるのは、高度な知的遊戯です。遊戯ですからヒマ人でなければできません。平安貴族や江戸のご隠居は日本人を代表していませんよ、村上さん。

道を誤った福島の坊主 玄侑宗久

すべからく宗教は、死後の世界を語っているようで、本質的には、生き方を語っているのである。その宗教に帰依している衆生にいかに生きるかを教えるものである。通説は違うかも知れないが、私はそう宗教を見ている。

以下は、原発事故以後2件の自殺を担当した福島在住の禅宗僧侶、玄侑宗久の言である。

「心が不安定であった人は、余震が続いて大地が揺れるということに耐えられない不安を持ったのでしょう。仕事もなくなって、生活のめどもつかない。放射能にも怯えなければならないのですから」

こう述べて、自殺も二次災害ではないかという。

人の生死を客観視するのであれば、一つの悟りである。立派な宗教家である。しかし、彼のこの言は、人の生死を傍観しているだけである。他人ごととして自殺者の始末を「担当」しているだけで、そうでなければ、こういう発言は出てこない。

不安を持った人を救うのが職業宗教家の最低の義務である。「不安を持ったでしょう」はいかにも軽い。

職業軍人が、目の前で自国民が殺戮されているのを、「殺されているようです」とコメントするか。己の命を挺しても、自国民を救う努力をする。それだからこそ、職業軍人と称されるのである。

震災で不安を抱えた人がいたら、不安でないように導く、トラウマにさいなまれる人があったら、トラウマを除く手助けをする、これが、職業としての僧侶である。放射能に怯える人に心底同情するのであれば、原発絶対反対を、訴えていなければならない。それを他人ごとのように語るのだから、玄侑は、宗教家以前に人間性に問題がある。

この坊さん、禅僧であるそうだ。私が禅僧で知っているのはダルマさんだけである。彼は、洞窟に籠って悟りを開いたと聞いている。

南米の原住民を殺戮した軍隊の従軍キリスト教宣教師は論外として、禅宗といえば、世俗から最も離れた存在であるはずだ。

それが、呆れたことに作家を兼業とし、稿料稼ぎに精を出す。この手の人間は多分テレビが放っておかないだろう。いっぱしのタレントとなるのは時間の問題である。

彼は、最後にこう付け加ている。

「世間には知らされないけれども、地震と無関係とはいえない無数の死もまた現実に存在している。そして、これからもそのような死が増え続けるのかもしれない」

「かもしれない」は坊さんの言葉ではない、NHK解説委員の言葉である。この程度のことさえはっきり自説を語れないようでは、衆生の救いはとうていおぼつかない。

彼はまだ若い。深く反省して、禅僧らしく、一刻も早く福島の山奥に引き篭もり、世俗との関係を一切断つことだ。そうすれば、マスコミにチヤホヤされて浮かれることなく、心も穏やかになり、訪れる衆生一人ひとりに「生きる」意味を丁寧に語ることができる。

それまでは、兼業坊主、タレント坊主でしかない。表題でお坊さんとせず、坊主と貶めたのは、現有の彼を「お坊さん」と呼んでは、他の大勢の立派なお坊さんに失礼になるからである。

付の1.
ニュースが彼の言葉を歪めていないという仮定で書きました。宗教家にしてはあまりにもお粗末ですから、彼は、本当はこういう内容を言っていないのかも知れません。その時のための付の1です。

付の2.
映画「ファントマ」。犯罪が多発するのも、税金が上がるのも、交通事故が増えるのも、物価が上がるのも、全部ファントマのせいだ、というセリフがあります。前編でも紹介しましたが、フランス・エスプリが堪能できます。自殺が原発事故の二次災害。似ていますね。

付の3.
「暗い一日」のために延びたテーマです。

自民の福島県連、民主の沖縄県連 廃県置国

自民党福島県連が、原子力政策を推進しないと表明した。一方、出席した谷垣総裁は「脱原発」に慎重であると語った。招かれた手前、主の面前で反対であるとは言えなかった。無論、東京に戻れば、原発継続を記者会見で述べることになる。

東京に戻る前に、早々と、谷垣総裁は大会後の取材に対し、「エネルギーが不足するから、当面は動かしていくより仕方ない」と答えたという。

エネルギー不足は理由にならない。不足は数値の問題でなく感覚の問題だからだ。よしんば不足が生じるとしても、同量のエネルギー確保は不可能ではない。彼がそうでないと主張するには、不可能であることを福島県民に十分説明し、県民の理解を求めなければならない。そのステップを外して、いきなり「仕方がない」は、民に思考の停止を求めるもので、とうてい許されるものではない。

沖縄の民主党も同じ現象が起きた。

普天間基地の海外移設、少なくとも県外移設、これが民主県連の方針であった。鳩山前総理も菅総理も、国の安全補償上、当面は仕方がないと言って、沖縄県連を無視した。ひどいことに、総理が直々にその根拠を県民に訴えるいい機会であった知事選をボイコットし、東京で外務・防衛の官僚の言いなりになり、ダンマリを通した。

福島県連、沖縄県連の反抗を中央政党本部は無視する。県連が詰め寄れば、中央は、「なんだったら、党員投票で決めましょうか」と応じる。中央の方針が圧倒的多数の賛成で、認められることが分かっているから、こう応じられるのである。

私は何を言いたいいのか。

私は、総体としての民は個別の民の痛みを感じないということを言いたいのである。

国は国益を優先する。国益とはなんぞや、「分割して統治せよ」を実践する権力者の益である。それに仕える官僚の益である。原発を続行する国を島県人は怨む。米軍基地を続行する国を沖縄県民は怨む。同胞が同胞を怨む。

私が廃県置国を主張しているのは、この見苦しい姿が見るに耐えないからである。

付の1.
原発立地町の党員が、脱原発に反対するのは、他人の不幸より自分の懐を大事に思うゼニ亡者のやることです。私が議論する程のものではありません。論外ということです。

付の2.
反対運動に成田三里塚がありました。これは、県連と中央が一体となって県民を虐げたのですから、統治者対被統治者という単純な関係でありました。ですから、今回のような、同胞同士の矛盾は表面にはでませんでした。同根ですが。

付の3.
県が国になれば、そこでまた「国」民と「市」民の関係が生じます。ご安心ください。同じではありません。ダムの建設、水門の開閉、漁民と農民、自衛隊、オリンピック強化、宇宙遊泳、すべて、限られた土地の限られた人々の判断に委ねられます。量から質への変換がなされます。

震災復興構想会議の後世に残る提言

日本語の乱れがこれほどひどいものとは思っていませんでした。

菅直人さんが、復興構想会議がまとめた提言を、重厚と評したのです。

漢語に日本語の意味と同じような意味で「重大」はありますが、重厚はありません(多分)。

ですから、温家宝さんからクレームはつかないでしょうが、それをいいことに、勝手に意味をひっくり返してはいけません。中学校の国語の先生がどう生徒に教えていいのか、困惑します。迷惑します。

そうです。

提言は重厚の反対語、軽薄がふさわしいものでした。軽薄、大和言葉でしたら、「ペラペラの薄っぺら」がそれにあたります。

何項目がありますが、どれもこれも、凡庸な発想。私はこのブログに貼り付ける意欲も湧きませんでした。

メンバーを見れば、梅原猛先生の他はどいつもこいつもテレビタレント兼業の有識者、有名人。梅原先生は、顧問ということですから、お歳もありましょうが、ただ座っていただけだと思います。

何回現地に出向いたでしょう、何回会議を開いたでしょう、幾ら税金を使ったでしょう。

民間企業で、例えば、「某地域における我社の販売戦略」、「クレーム処理のあり方」、「向こう5年の設備投資」等々、まあなんでもいいのですが、構想会議程度のレポートを一日がかりで出したら、役員会に掛けられる前に、企画部長から怒鳴られ、即刻、外回り(注文取り)に配置転換されます。

有識者が雁首を揃えて策定するのなら、非・有識者、例えば私が、ハッとするような中身でなければいけません。

国論を二分するような提言、あるいは、大衆が全然気がつかなかった視点、こういう中身でなければ、いけません。

それが、なんということでしょう。銭湯でワイワイ震災を語り合っている老人でも考えつく中身ばかりではないですか。

発足した当初から、役立たずと私が予言していたことが現実となりました。別に私の先見の明を自慢するわけではありませんが、あまりにもお粗末な提言でしたので、敢えて、繰り返すことにしました。

あまつさえ、菅直人さん、何を勘違いしたのか、そうでなければ、中学国語の時間を居眠りしていたのか、「後世に残る」をご丁寧にも重厚の頭に載せたという。

今日の結論。

「プカプカ浮かぶ瓦礫」はご愛嬌でも、「後世に残る重厚な提言」は、悪質な日本語改ざんである。

付の1.
こういう会議のニュースを報道する際、これに費やされた税金がいくらか、括弧付きでいいから末尾に入れてもらいたいものです。

付の2.
自分たちの無駄金を棚に上げて、増税やむなしと提言しています。公序良俗違反、破廉恥罪適用でしょう。菅直人さんは連座となります。

付の3.
霞が関官僚ご推薦のメンバー表も是非ごらんください。そうそうたるメンバーが名を連ねています。提言を読んだ後なら、「そうそうたるメンバー」を「雁首を揃え」と私が言い換えた訳がわかるでしょう。

付の4.
「みぞうゆう」の元総理の方が、はるかに素直でした。素直がほめ過ぎでしたら、いっときとはいえ、日本国民をユーモアで楽しませてくれたことにお礼申し上げます。

震災復興に大臣はいらない

震災復興担当大臣がどうのこうのと、国会というところは、まことにヒマ人の集まりである。

私の家は、築30年の木造平屋である。残存価値はゼロに等しい。税金を取りたいために、課税評価額を国が勝手に決めているだけである。

私が東日本大震災で、この家を失えば、住むところがなくなる。建て替えることになれば、1千万円の出費となる。

私のジムニーは17年乗り続けている。軽の商用車だから、3年で残存価値は新車価値の2割になっていたはずだ。それから15年になんなんとする間、よく働いてくれてきた。

このジムニーを津波で失ったら、足がなくなる。買い替えれば、150万円の出費となる。

所有する小型漁船「つれづれ丸」も船体と船外機を買い換えれば、100万は掛かる。

この際、中古木材で建てるとか中古車・中古船を買うとかという細かいことは考える必要はない。そんな大金が私にあるはずがなく、あくまでも仮定の話だ。

幸いなことに、家も軽微な破損で終わり、ジムニーとつれづれ丸は無傷のままである。

私の富は失われなかった。

それが全部反対だったらどうだろう。家に1千万、車に150万、船に100万、合計1千250万の出費となっていた。

このカネはどこに飛んでい行くのか。

家の1千万は、建材屋と大工に行く、車は自動車メーカーとカーディーラーに回る。船は、小型漁船の船体と船外機市場で独占的地位にあるヤマハに回る。増産体制を作るために、一部の金は機械設備関連企業に回り、そこも潤う。

私の金が、彼らの収入となり、売上となる。景気の回復に貢献することになるのだ。

自分の富を失ったことで、私は景気の回復に貢献した。

わずか千万と言うなかれ。

1万人の家が建て替えられれば、千万の1万倍、1千億である。2万人の車が買い替えれば300億円である。漁船も同様である。

この千億を超える金は、震災が起きなければ企業は手にすることが出来ない金である。

個人でこの程度であるから、国の出費は想像出来ないほどの額になっていくはずだ。これが、民間企業に回る。震災が起きたから手に入れることができる金である。

デフレ・スパイラルを騒いだ学者や評論家が、最近、大人しいのは、マスコミが紹介しないからではない、今度の大震災が景気の回復に多大の貢献をなすことを知っているからである。

株価が半分に落ちたか。円が1ドル200円になったか。

政治家やマスコミが緊急事態と呼んでいる震災は、景気回復にとって福の神の到来であったのである。

震災を福の神に見立てたのはだれか。拡大再生産さえできれば、何が起きても構わないと密かに願望している資本主義経済である。

資本主義は個人の富や国の富を経済の根本と見なさない。あくまでも景気という前年同月比的な動態を尺度ですべてを測る自転車操業経済である。それを理解すれば、「災い転じて福となす」とまでいかないまでも、「転んでもただでは起きぬ」にはなるだろう。

大臣はいらない。いなくても、資本主義が喜んで復興・復旧に励んでくれる。この際だから、資本主義の本質を少しでも日本人は考えたらいいのではないか。

付の1.
大臣新設はいかにも公家政治です。鎌倉時代から官位を売り物にした伝統は脈々と民主党政権に流れ継がれています。

付の2.
関係省庁から出来のいい官僚を選んでプロジェクト・チームを作るべきです。そして、その中から優れたリーダーを選出して、省庁間のコーディネイトの責にあたらせる。霞が関にもいい官僚が大勢いるはずです。名ばかり大臣はおじゃま虫。

付の3.
今様の大学経済学がどういうものか私は知りません。NHKが定時に株と為替の「値動き」を伝えていることから推すと、ケインズ経済学の域を出ていないのではないかと疑います。あれは、金利経済、高利貸し経済学です。正面から「富」を経済学の対象にしたのが、アダム・スミスとカール・マルクス。音楽でいえばモーツアルトとベートーベン。二人の作曲家で音楽が完成したように、経済学は、アダム・スミスとカール・マルクスで完成しました。

付の4.
某国は、天災を待つなんて呑気に構えていられないというので、ミサイルをバンバン打ち込んでいます。自国であっても他国であっても、資本主義にとって、需要さえ喚起できれば、一切関係ありません。戦禍と災禍、人の不幸は蜜の味。

付の5.
個人は蓄えから、あるいは借金して。国は国債という借用書で。石油が地から湧いて出ている限り、国債の膨張を心配しなくて結構です。政治家では亀井さんや渡辺さんあたりが、よく分かっています。理屈はちょっと複雑ですから、面倒でなければ、書店に行ってください。多分この手の本が並んでいることでしょう。面倒なら、私の言う事を信じて、安心してください。

震災被害 結果論で私を哂わないでください

震災による出費はおよそ20万円。6月25日現在である。今なお余震が日に何度も起きている。最後の一揺れで家が潰れるかもしれない。ケ・セラ・セラ。

屋根瓦のずれによる雨漏り。屋根と床の間に天井があるため、どこの隙間から落ちているのかは確かめられない。ポトンポトンと頭上でする。B29の爆音も怖かったがこの雨音も怖い。天井裏が貯水槽になって、ある時突然バサっと水が滝となって落ちてくる。私がそれで溺死しないとも限らない。福島原発事故の例をみても、想定外的想定も必要だ。

古事記の某天皇は、雨漏りがする度に、土鍋を抱えて、落下点に置いたという。天井がなかった当時のご利益である。

3.11の大地震でズレが1回。余震によるズレが2回。その度に出費となった。トビ職人は、清貧家の私に同情して3回目は要らないと言ってくれたが、1回目の修繕の見落としならともかく、大地震で緩んだ瓦の組み合わせが余震で表立ったのだから、払うのは当然である。

この他、ブルーシート、砂袋のネット購入。50枚400円の砂袋に千円の送料が付いてきた。石巻市街のホームセンターは津波にやられて再開のメドさえ立っていない時期だからやむを得ない。

水道の復旧を祝ったまではよかったが、水道管が破裂してしまった。水道管のサビは前々から悩みの種だったが、アングルがやられてしまった。庭の水場で2か所、台所で1か所。水道屋に修理してもらった。やれやれと思っていたら、数日後、今度は、鉄パイプに穴が開いてしまった。2ヶ月も水が通っていなければ、水道管がもう水は来ないものと思い込んで、勝手にサビを進行させたのだ。2度の出費となった。

洗濯機、数台のAV機器、数個のパソコンと周辺機器、電気が復旧して、初めて知った故障である。修理に出せば直るが、ネット・オークションで買い換える何倍もの費用がかかる。すべて中古で求めたもので、私の所に来てからも5年は使っている。洗濯機は15年選手である。十分働いてくれた。

他に、ロンドンで買った50万円の陶器の皿ワンセット、プラハで買った30万のガラスの花瓶、OED(オクスフォード英辞典)、ブリタニカ、諸橋の大漢和など蔵書が100万円、すべて震災で失ってしまった。落下した絵画数点は、専門家のリタッチが必要だろう。イタリアでいくら掛かるか、幾らかかっても、名画は人類の遺産である。

これらは、震災による損失である。しかし、私には、「損」をしたという感覚が湧いてこない。損失ではあるが、損ではない、そういう気分でいる。

この2語は、同じようであって同じでないというのが、私の感覚なのだ。震災は天災である。その天災で失う、損なう、これは人の計算を基にする損得勘定の埒外ではないかと思うのだ。

損失と損が微妙な問題となったのは次の2つである。

断水対策に揚水ポンプとホース、貯水タンク。停電対策に発電機。これで8万円。

今の日本、断水も停電も永遠に続くはずがない。待っていれば、必ず復旧する。不便は一過性であることは誰しも認めるところであり、ほとんどの島民はその不便を我慢していた。

復旧は早かった。揚水ポンプや発電機を買って、1週間も経たない内に、両方のライフラインが復旧したのだ。ポンプも発電機も数回使っただけで、ダンボールに戻っていった。

島では、誰が何を買ったか、蜘蛛ならぬ人間WEBで直ぐ知れ渡る。

ある人から、複数だからある人々からと言うべきか、私は「損したね」と言われた。これは、褒めているのではない、みんながそうしているように、しばらく我慢すれば、8万円は使わなくてもよかったという、内心は「愚かもの、軽率なやつ」と思っているのである。顔に表れている。我慢した自分の賢明さを自慢しているのである。

(この8万なる金額、皆さんの2ヶ月分の食費と読み替えてください)

確かに大金である。それでも、私には損をしたという実感はない。

揚水ポンプ。

これが来るまでは、井戸にバケツを投げ落として、10キロの水を引き上げていた。風呂には400リットル、すなわち400キロが必要である。風呂を借りれば、半分の水は私が汲むことになる。借りる先は、私以上の高齢者世帯である。

食器を洗うのに沢の水を使う。水は椅子に座るとちょうどよい高さのテーブルの上を流れていない。桃太郎のおばあさん式猫背スタイルになる。腰に最も良くない姿勢である。

腰痛持ちの私は、いつ本格的な腰痛で腰にギブスを巻かなければならないかわからない。

購入時には、風評ばかりで、いつ復旧するか確かな事は誰にも分からなかった。揚水ポンプを買わないまま、何事も無く復旧の時が来ればいいが、その前に菅直人さんのように腰が砕けたら、「ああ、揚水ポンプを買っておけば良かった」と必ず後悔することになる。

発電機。

手元の発電機は避難所に貸していた。不特定多数が使ったものだから、雨ざらしにされて、戻ってきた時は、故障のラベルを貼らなければならなかった。貸した時にそうなる可能性は予見していたので、別にがっかりはしなかった。懇意にしている市街のホンダ店に修理を頼んだら、津波で営業所が水浸しになって、肝心の自動車販売もできない状態だという。7月になったら電話してくれと断れれた。手持ちが使えないため、それで、もう一台を入手したというわけだ。

8時55分、発電機はスタンバイ。ワクワクの瞬間である。9時からが私のゴールデンタイムだ。音楽を聴く、映画を観る、これなくして何の人生ぞ。

発電機もない、電気も来ない、この間に、私が死の床に横たわることになったら、私はどう思うか。「ああ、黒いオルフェを観ておけばよかった、ピンク・フロイドをガンガン鳴らせば良かった」こう思うに決まっている。

揚水ポンプといい発電機といい、たまたま私に特段の変化がなかったから、ムダ遣いに見えただけのこと。

8万円がダンボール箱の鉄塊に変じたのは確かだ。しかし、私は、「損をした」と思っていない。損得は結果論で判じられないことを私は理解しているからである。

付の1.
今も東北電力は島に電源車を置いて給電しています。海底ケーブルの修復に手が回らないためでしょう。

付の2.
9時消灯の時代、電源車に付いている東北電力社員に、24時間復旧はいつごろになるのか、訊ねたことがありました。分からないという返事。石巻市街の復旧が急がれる状況でしたから、わずか400余人の島の事まで考える余裕がないのも、無理はありません。

付の3.
「損をしたね」の人は、結果論で物事を判断する人です。困ったことに、評論家先生多いんですよ。

暗い一日

例年から少し遅れてこの地も梅雨入りした。曇りの日もそうだが、雨の日は、落ち着いた雰囲気になる。

ベッドの中にいた時は、福島のお坊さんをテーマにしてブログを書くつもりでいた。

起きてみると、畳の上に身長5センチ位のムカデが這っていた。子供のムカデである。生き物の子供は、すべてがすべて、可愛いい。この子供のムカデも無心に畳の上を這っていた。遠い昔の小学校の運動会を思い出されてくれた。

それを、私は殺した。

私の庵を通路にしていれば、大人になれば、私を刺すかもしれない。20センチもあるムカデに刺されたら入院騒ぎになる。入院すれば犬、猫、鶏、山羊の面倒を誰かに頼まなければならなくなる。人の世話をしないくせに、人に迷惑はかけられない。

ムカデにとって、家の中の畳と草むらや地面とは同じである。たまたま這っていたら、畳の上だったというだけで、それで命が失われたのだから、憐れである。その憐れの原因が私であるのだから、暗くなる。

嫌な事は嫌な事へと連鎖する。

かれこれ7年前だったか、私の映画館のAVシステムの裏側に身長20センチ程のヘビがいた。これも子供である。

大人になれば2メートルになる。そして、鶏の卵を呑み込む。ヘビは一度卵のある場所を覚えると、毎日やってくる。天からカラス、地からヘビ、庭先飼育の養鶏にとって、ヘビも敵である。

20センチのヘビは可愛いと言っていい。私を見上げて、小さな口を一杯に広げて、威嚇するのだ。その威嚇した姿が、またいじらしい、けなげである。

私は殺した。

連鎖は続く。

オンドリを何羽殺したことか。灰谷健次郎は鶏を締める時、足が震えるそうだが、私は最初の1羽の時に脈拍が上がっただけで、2羽目からは、無感情で首を刎ねていった。それなのに、オンドリの断末魔の声は今も耳にこびりついている。

連鎖は更に続く。

私が産婆をして産まれた仔ヤギをオスだからということで屠殺場に引き渡すこともした。仔ヤギが産まれ2週間と経たないうちに、母ヤギを私の不注意から死なせてしまった。無邪気に私の野草園を飛び跳ねて遊ぶ2頭の仔ヤギも、すぐに大きくなり、人を頭突く。オスヤギは興奮して暴れると、年寄りや女子供の手に負えない。

母ヤギといい仔ヤギといい、自分の手こそ使わなかったが私が殺したのである。

堂々巡りしながら、行き着いた先が、私の生活への疑問である。

私のような神経のか細い人間にとって、仙人暮らしは不向きではなかったか、本当は、命に無関心でいられる都会の方が似合っているのではないか。

明日の朝、子供のムカデが畳の上を這っていれば、私はまた殺す。

今日は、暗い一日だった。明日が明るい一日である保証はどこにもない。

付の1.
福島のお坊さんは、後日に回しました。書く気分になれませんでした。

付の2.
いつも明るい話題を提供しているこのブログ、たまには、こういう暗い話題もいいでしょう。

不毛が約束された原発事故の原因究明(2)

畑村委員長は、更に「人の罪は問わず」と語った。

原発事故が人災であることは、畑村委員長も認めているはずだ。あれを津波という天災だとは、まさか思っていまい。

人災だから、災いを惹き起こした人間がいる。一人かも知れないし多数かも知れない、とにかく、カラスやキタキツネの仕業ではない。

災いは他人に悪いことをするから災いというのであって、良いことをすれば、善である。

悪いことをすれば、報いを受ける。社会に悪いことをすれば、処罰される。これでなければ、社会のタガが外れる。

それを、この畑村某は、臆面もなく堂々と記者会見で述べたというのだ。

検証の1.原発の導入と増設
チェルノブイリ事故やスリーマイル島事故の現実を知っているにもかかわらず、日本が原発を増設し続けていること。これが、人災に当たるかどうか。

検証の2.原発の立地条件
原発の立地にあたって福島の地震・津波に対する脆弱性を見抜けなかった、又は見抜かなかったのはなぜか。これが、人災にあたるかどうか。

検証の3.事故発生後の対応
東電の本音は、「もうどうにでも好きにしてくれ」である。打つ手が無いのが分かっていながら、何かやっていないといけないという大変厳しくも哀しい状況に東電社員は置かれている。こういう事態に至った経緯のどこに、人災があるのか。あるいはないのか。

大まかに言って、せめてこの3段階位には明確に区切って、それぞれの検証をしなければならない。

そうしなければ、八百屋のドンブリ勘定である。店を閉めて、今日の売上を、ぶら下がったザルの中の札とコインを数えることと同じである。

罪があれば罰がある。

裁判で何が厳しいからと言って、軍浦会議ほど厳しいものはない。身を呈して守る義務を負っている立場の軍人が自国民の生命・財産を喪失あるいは危険に晒したからである。これは、アメリカでもドイツでも同じである。ナチスに協力した自国民を容赦しなかったフランスも同じである。自国民が自国民を許さないのだ。

私は今回の原発事故を内戦と位置づけている。砲火こそ交えなかったが、高持続性小型原爆を使ったれっきとした内戦である。福島県民が難民となった、福島圏の半径30キロの円の面積が戦禍で失われた内戦である。

誰がこの原爆を福島に落したのか。

これで軍法会議が開かれないなら、日本の誰が、社会規範を遵守するというのだ。

人災には必ず人が絡んでいる。絡んだ人間を一人ひとりあぶり出して、有罪・無罪を告知する。それでこそ、原発事故調査の意味がある。


それがなんということだ、畑村某は、不問に付す公言したのだ。罪を咎めるとなれば、係わった人間の自供が得られないと心配するなら、まったくのピント外れである。白状するまで放射線汚染貯水槽という水牢に入れておけばいい。畑村某が真っ先に入れられたりして・・・

私は1対1の対応を原則にしている。1件のニュースにブログを2題、当てることはめったにない。

今回は、例外である。1題では収まらないほど巨悪なニュースだからだ。

付の1.
震災復興といい事故調査といい、菅直人さん、一体何をしているんでしょうか。あなた、日本の総理大臣でしょうが。せめて普天間基地と思えば、外務省にいいように小突き回されたまま。原発で、経産省に小突き回されても不思議でないということでしょうか。

こんな無能を誰が選んだのでしょう。これの方が、不思議です。

付の2.
日本軍の軍法会議の甘さは、知れば知るほど、腹が立ちます。情実が通用していたのですね。下々が虐げられる姿は、大東亜戦争時と原発事故の今と少しも変わりがありません。

こんな政府の体質を誰が、許しているのでしょう。これも不思議です。

付の3.
軍法会議に勝とも劣らない厳しい裁判が宗教裁判ですね。魔女狩り裁判というのでしょうか、ああ、恐ろしい。

(補)不思議と言ってみたまでで、不思議でもなんでもありません。下々がだらしないから、こうなるのです。自業自得です。

不毛が約束された原発事故の原因究明 (1)

「事故調査・検証委員会」の畑村委員長が22日、都内の日本記者クラブで講演した。

曰く:

その1.
原子力に関し「いい悪いや好き嫌いでは見ていない。非常に怖いものだが、扱わざるを得ないと思っている」と説明。

この畑村なる人物、一体どこに住んでいる人間なのか。アルゼンチンか、ネパールか。地上の出来事の一切が伝わらない地下人間なのか。はたまた、人間でなくて火星人なのか。

福島原発でどれだけ民百姓が苦しんでいるのを知れば、「いい悪い」を度外視できるはずがない。それなのに視野に入れていない、見ていないという。「好き嫌い」は中華丼か天丼かに使われる超軽量級の表現である。この程度で原発事故を見ている(見ていないと発言したのは見るか見ないかのレベルで原発を見ている反転証拠である)のだから、冷静といえばこれほど冷静な人物はいない。

「扱わざるを得ない」ということは、「原発ありき」の立場であるということである。第三者の組織の資格はない。原発そのものの意義を今回の事故を機会に改めて問い返すことが出発点でなければならない。

畑村委員長の報告が、「原発の存続は日本にとって不可欠である」、あるいは、「原発の存続は日本にとって望ましい」、との結論になっても、これはこれで一つの見解である。しかし、最初から、原発の存続を与件とした委員会は、形式論の域をでない体裁、とりつくろいに過ぎぬ。なお、「非常に怖いもの」は単なる語呂遊びである。「常に非ず」の怖さを、本人は全然実感していない。

その2.
「ものすごく高い代償を払っているが、学んだことは宝物になると思う」と話した。

一年余の歳月を掛けて学ぶという。何回メンバーを招集して、何回会議を開いて、何回ワープロソフトの世話になるのか。費用は政府が持つのか、それとも無給奉仕なのか。

どんなに出来の悪い高校生でも、連立一次方程式を解くのに、1月はかからない。今度の事故のように、正解が目の前にぶら下がっているのに、大の大人が集まって1年がかりとは、どういう感覚で物を言っているのか。

「ものすごく高い代償」は、彼が払っているのではない。福島県人のうちで原発反対を唱えていた住民が払っているのである。

それを、いい悪いだの好き嫌いだのと低次元に還元するのだから、畑村委員長自身が大問題である。彼の脳細胞を先ず、「第三者機関」が正常に働いているか否かの調査・検証をしなければならない。

第三者機関とは名ばかり。結局、菅直人の息のかかった原発関連有閑紳士淑女のサロンである。

そういえば、東日本震災復興団体、あの五百某の団体の結成に当たって、原発事故は検討対象にしないようにとの指示を下したのも、菅直人だった。

一年先の報告はすでに私は読み終えている。

曰く:

「原発はいい悪いや好き嫌いでは見てはいけない。日本のエネルギー事情を顧みれば非常に怖いものだが、扱わざるを得ない」

「ものすごく高い代償を払っているが、学んで得た宝とは、官民協同による、より一層の安全対策の実施である」

なんのことはない、昨日の記者会見を写しただけである。これで必要かつ十分なのだから、畑村委員長、恥を知って、早急に降板すべし。さもないと、来年の今頃、笑い者になるぞよ。

東大学閥 普天間基地の海外移設を阻む邪悪

2+2は終わったものとばかりと思って、昨日書いたが、今日から始まるということだ。低血圧症の老人が、早朝一過性のラジオに相対したのだから、この位の時間差は許容の範囲である。

それに、協議会が終わった後で書いても同じような内容になるはずだ。空は時間の経過に関係なく空である。

今朝、ネットニュースを見たら、普天間基地移転は先送りとなったようだ。

日本の外務・防衛官僚の民心無視をアメリカの外務・防衛官僚が是としていたなら、こんな表現は出てこない。

普天間基地移転は、××日の合意文書の通り、××年××月までに完遂する。

こういうコミュニケになっているはずである。

そうでないのは、沖縄県民の大多数が自国の軍隊を白眼視している現実と民主主義を国の基としているアメリカ政府が沖縄県民の意思を尊重しているからである。アメリカ政府の本音は、普天間基地はどうでもいい、ただ費用の面で日本政府が面倒をみてくれるだけでいい、これである。

軍人が一度決まったことに固執することは、洋の東西を問わず規則第一を信念にしている軍人の習性である。彼らの発言に重みはない。日本のマスコミが騒ぐだけで、アメリカ本国ではピーナッツである。

仮に、日本政府が、2+2で、アメリカ政府に、「普天間基地は海外に移転してもらう以外、我が民である沖縄県民の安寧への道は、ありません、なんとか助けてください」と泣きながら訴えれば、アメリカ政府は、「そりゃ困る、なにがなんでも沖縄だ。Never Happen! 」とは“絶対に”言わない。

「日本も戦後60余年、よくぞここまで民主主義が根付いたもの。戦後しばらく統治したのは、無駄ではなかった。No Problem!引越し費用を出してくれれば、どこにでも消えるよ」

こう返ってくる。

私は、今回の2+2で確信した。この問題は日米間の問題ではない、中国・朝鮮の脅威でもない、政治・外交とまったく別の次元の問題であることを確信したのである。

その別の次元とは何か。

学閥である。

外務キャリア官僚に、東北福祉大学出はいない。大東文化大学出も、日大三高卒もいない。有名私大がわずかに末席を汚しているだけで、ほとんどが東大を中心とする明治残渣大学である。

先輩後輩の序列は花の応援団でなくても、一般人には我慢できないほど厳しい。

高校水泳部で私は実際に経験している。わずか一年の違いで、上には絶対服従、下には絶対支配である。どれほど速く泳いでも、後輩は後輩である。「オイ、コラ」が通用する。

部活は私的環境下であるからいいが、これを国家外交にもちこまれては、たまったものではない。現実は、この「たまったものではない」が、外務省にはびこっているのだ。

東大××年卒。先輩を遡れば100年になんなんとする。5年、10年は未熟だが、100年も続けば、伝統に成長する。

外務省のキャリア官僚の中には、出来のいい人間もいるだろうが、この伝統にがんじがらめに縛られて、ただひたすらまともな政治家の大掃除を待っているだけである。

ついでだから言うと、ほとんどの外務官僚は、年収1千万以下の家庭から出ていない。年収200万の家庭や、生活保護世帯出身は皆無と断言できる。

結婚相手は、シンデレラボーイでもなければメイド・イン・マンハッタンでもない、相応の上流階級出身である。プライバシーに触れるのは、私の本意とするものではないが、外務官僚の世界が日本の一般社会から1千万光年の遠くにあると言いたいのである。

先輩の決めたことは、後輩にとって絶対である。どんなに、おかしいと思っても、先輩に逆らえない。また、おかしいと思うような後輩は、学閥情報網にひっかかり、先輩の知れるところとなる。後輩は、集団でいびられて、気の強いものは、尻を捲るし、気の弱い者は、大使の命を頂戴し南極大陸へ赴任する。

結局、誇り高き学閥が明治時代から無傷で温存されて今に至っているというわけだ。

普天間基地問題が円満解決できないのは、日本政府の中の東大学閥が災いしている。

私は、国家試験の撤廃を常々訴えているのは、この先輩後輩の私的関係で国の政治が動いている現実を見るからである。

日米軍事同盟も同じ。問題は中国でもなければ朝鮮でもない。東大学閥にある。

付の1.
東大は私が関東の人間でしたからあげたまでで、関西でしたら、京大になります。宮城在住ですから、東北大でもよかったと思っています。要するに旧帝国大学を指せばいいのです。

付の2.
大学が同じ、東大合格名門高校まで一緒ならもう救えません。大学が同じ、更にアメフト部、野球部、ボート部、テニス部、これが一緒なら、神でも仏でも救えません。更に同県人なら、四重苦、五重苦です。官僚ではありません、国民にですよ。

付の3.
東北福祉大学や大東文化大学や日大三高を低く見ているのではないことは、本文でお分かりかと存じます。たまたま野球や駅伝で知った名前を使っただけです。私並みに早とちりの御仁のために、申し添えます。

付の3.
外務キャリア官僚のキャリアをもった、やんごとなきお方になられたお方がいらっしゃいますが、本題とはまったく無関係であります。

付の4.
本文にローマ字が混じったのは、書いているうちに飽きてきたからです。眠気覚ましに変わった文字を入れてみただけのこと、“never happen”は、「とんでもはっぷん」のつもりです。

付の5.
急がば回れ。そんな呑気は言っていられません。急いで国家公務員外交官試験を撤廃しましょう。

出来の悪い大臣と出来の悪い小噺 良く似合う

国際原子力機関(IAEA)閣僚級会合で海江田大臣が、2012年をひとつのめどにして、原子力安全・保安院を経産省から独立させると表明した。

以下、親分と子分のヒソヒソ話。

「経産省から独立させるからな」
「いいんですかい」
「お前、頭悪いな。名ばかりだよ」
「へ、かしこまりました。経産省役人はだめとなりますて~と、関村直人先生がいいですね。大学教授とちょうちん持ち、一人二役、一挙両得、どうです」
「お前、顔に似合わず、ましな言葉を知っているじゃねえか。あれは、もう有名になりすぎた。まずい」
「では、関村先生の弟子の関町曲人にしては」
「そりゃいい。関村先生ご推薦なら無害だ。他のメンバーは彼に選ばせろ。安全・安心が民主党政権の命だからな。原発反対有識者は一人も入れるなよ」
「そりゃ、わかっています」
「念には念を入れだ、人選がきまったら、日本放送協会の鑑識課にチェックしてもらえ。あそこのブラックリストとレッドブックは信用抜群だ」
「わかりやんした」
「念には念を入れて、また念だ。現場の実情に詳しいメンバーが欠かせないとかこじつけて東電のOBを加えろ。関電や北電からも一人二人いれてもいい」
「へい」
「東北電力は止めとけ。小国寡民がうるさいからな」
「もっともでござんす」
「まだあるぞ。経団連にお伺いをたてることを忘れるな。連合はほっとけ。金魚のフンだ。ブツブツ言うのは、体裁からだ、気にするな」
「親分、お言葉ですが、これで独立行政法人なんですかね」
「さっき言ったばかりじゃねえか。名ばかりなのよ。お前、へたに正義心なんか起こすとお前の将来にキズがつくぞ」
「(独白)どこかの幹事長の脅しとそっくりだ」
「モグモグ言わないで、さっさと、おっと違った、のんびりやらんかい」

お粗末な出来は、語り手の責任ではない、海江田大臣がお粗末なので、お粗末な話しか作れないのである。

政府が設置する組織に独立はない。現存の独立行政法人のひとつとして独立している組織はない。カネの出所が政府だから当たり前である。

原発関連で独立組織を作るのなら、オール外国人で構成しなければならない。人選に日本政府がタッチしないのは、無論のこと、原発立入検査や広報活動にも干渉してはならない。

外国人メンバーには、終身年金を保証し、本国からの干渉に動じないようにする。どんなに厚遇しても、原発事故の損害額から比べれば、タダ同然である。

蛇足:
子分:「関町先生、親分は原発不安・不信院を、先生の息のかかった人だけでやりたいそうですよ。是非、ひと肌脱いでください」教授が相手では、言葉使いも丁寧になる。
関町:「女子大生が5人、男子学生が3人、そんなとこかな。ワシ、両刀使いだからね」
子分:「先生、息を口元に吹きかけた人ではありませんよ。先生のお弟子さんのことですよ」
関町:「それならそうと、はっきり言ってくれたまえ。裸に脱いでくれなんていうから、勘違いするではないか」

2+2=0

朝7時のラジオが、日米の外務・防衛のツー・プラス・ツーの階段が開かれたと言っていた。

中国の軍事力の増強に対応すべきである、同時に日米中仲良くしていくべきである。

東日本大震災では、日米同盟が役立った。

ミサイル防衛網は引き続き検討する。

普天間基地問題は、従来通り進める。

こんな内容だったように思う。アナウンサーは、高齢者の私のために、わざわざ2度繰り返しくれない。

昼過ぎの今、たとえ2度、3度と繰り返されても、確たる記憶にならないと思っている。なぜなら、内容が空虚だからである。

中国の脅威論は今に始まったことではない。脅威なら仮想敵と言えばいいものを、仲良く軍事の手の内を見せ合いましょうという。中国もこれには失笑する。

ミサイル防衛網が完備する前に、朝鮮が変わってしまう。日米軍事産業家がいくら将軍様体制維持を願っても、長く続くわけがない。

トモダチ作戦は軍事同盟に無関係である。

普天間基地問題の解決は、一歩はおろか半歩も前進がない。

ただ、現状の再確認をしているだけである。緊張感もなければ緊迫感もない。

当然である。

日米同盟に存在意義がないから、当然なのである。

何もなくても何か討議したように見せかけなければ格好がつかないから、朝のニュースのような空虚な内容を声明にする。

2+2=4は小学生の算数。どこでも通用する算数。

2+2=0は外務・防衛の高等数学。ここだけしか通用しない数学。

海江田と蓮舫は瓦礫。廃材置き場へどうぞ

海江田が18日、「各原発ではシビアアクシデント(過酷事故)対策が適切に取られている」とし、再稼働を地元自治体に要請する考えを示した。

シビアアクシデントこれすなわち過酷事故と彼が和訳したかどうかしらない。括弧付きから推測すると、彼は、シビアアクシデントと流しただけで、それをニュース担当者が、親切心から補足したのであろう。

原発事故はシビアアクシデントの意味が理解できる大学英文科卒だけに限って被る事故でない。老若男女、未就学児まで不幸が及んでいる。

海江田はバカではない。それが分かっていながら、いや、分かっているからこそ、「シビアアクシデント対策が適切に講じられている」と何が何だかをさっぱり分からせないまま、とにかく適切な対策を取っているから原発を信じなさいと言うのだ。

適切な対策の実態がどういうものかは、「ご覧のとおり」、「種も仕掛けもない」レベル7が明らかにしてくれている。

人をバカにするにも程がある。

彼は、確か市民政治活動出身ではなかったか。

若い頃は、政治家の堕落に怒りを覚えて、日本の将来をこの手で(政治家だから口で)変えてみせると青雲の志をもって政界入りを目指したはずだ。

政界入りを果たし、今、大臣の座にまで登った海江田。自分の志を実現できる立場にいる海江田。

それが、この体たらくである。

「化けの皮がはがれる」はきたない本性を隠して出世した人物の形容である。彼には、ふさわしくない。

ふさわしい言葉は、「メッキが剥げる」である。

今や財界の走狗と化した海江田に送る辞である。

これだけでブログになるが、海江田一人に私のブログを1本使うのは浪費というものだ。

次に蓮舫を挙げる。

蓮舫が20日、理化学研究所と富士通が共同開発中のスーパーコンピューターが計算速度で世界1位に選ばれたことについて「明るいニュースだ。関係者の努力に敬意を表したい」と述べた。

テレビがまだ映っていた時に、私は仕分け作業現場の蓮舫の活躍を見ている。しどろもどろの役人や役人もどきに向かって、「一番でなければならない理由は」と、鋭い眼差しで歯切れよく、詰問していた。昨今の政治家には稀な、税の無駄使いを一切許さないという知性の塊であった。

それが、なんということだ。

しどろもどろの役人の代弁者となって、明るいニュースだと語ったのである。あまつさえ、敬意を表すとダメ押しをしたのだから、それこそ、「なんということだ」

私は、民主党が脱官僚をマニフェストにした時から、実行不可能であると断言していた。だから、「なんということだ」は一応言ってみただけで、本当は、「だから言ったじゃないの」である。

汝らは地の塩なり、塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき

付の1.
下の句があります。東日本大震災の廃材置き場に行けば分かります。お二人さん、廃材置き場にどうぞ。

付の2.
この二人、菅直人と同じで、官僚に丸め込まれました。新政権の意気込みの賞味期限は6か月。それまでに、霞が関を骨抜きにしなければ、自分が骨抜きにされます。その通りでした。民主党は自民党とああでもないこでもないと、お公家さん政治に戯れているのが関の山。信じた私が馬鹿なのよ。

原発事故は内戦である

私は、気が向いた時、自家用宇宙船に乗ることにしている。この宇宙船は、種子島から発射される宇宙船と違って、排ガスも出なければ、税金も減らない、理想的な宇宙船である。

昨今の宇宙飛行士は、地上で民百姓の生活という重い荷を背負って蟻のごとく働く姿を眼下に見下しているが、私はそんな非人道的な行いはしない。

ひたすら、地球の青さに感動するのみである。

昨日、久しぶりに宇宙船に乗った。地球はいつもの姿である。

アフリカ大陸を見ると、一本の細くて黒い線が長く延びている。最初は、国境線を墨で引いたのかと思った。よく見ると、動いている。蟻にしては、大きすぎる。それに動きが一方向である。蟻はエサと巣を往復するものだ。更に目を凝らしてみると、その線は難民の集団疎開であった。

西部開拓史の幌馬車隊のような陽気さも笑顔もない。ただ、黙々と歩いている。所々にカーキ色の服を着た若者がいるのも目に入った。難民護衛の、国連軍はNATO軍の兵士である。

飛行船はあっという間に日本の上空に達した。

おどろ木ももの木さんしょの木。

ここでも一本の線が延々と伸びていたのだ。アフリカは黒かったが、この線は茶色である。

その脇では、迷彩服を着た若者が歩いていた。肩に担いでのが、自動小銃でなく拡声器だった。違いといえば、この位で、黙々と笑顔皆無の一方通行はアフリカ難民変わりがない。

追う者、追われる者、同胞である。だから内戦というのだが、原発事故もアフリカの内戦とまったく違わない。

日本政府という国家権力が強制的に福島住民を移動させる。戦車や装甲車なら通り過ぎるまで何処かに潜んでいればいいが、日本の内戦は放射能という始末に負えない兵器だから、息を吸う限り、すなわち、生きている限り、疎開する以外に道はない。

私は、アフリカ内戦をアメリカや欧州が公言しているような圧政と民主化弾圧が原因のすべてとは考えていない。

泥棒にも三分の理というように、政府の側にも政府なりの言い分があるはずで、それをアメリカ流民主主義が黙殺して対処するものだからいつまでたっても終わりにならない。悪いことに、軍需産業が内戦で荒稼ぎをしている。

政府は原発の経済性や必要性を、しきりに国民にPRしている。「しきりに」しなければならないのは、原発維持には、三分の理しかないからである。三分の理を七分の理に見せかけたい。せめて、六分にして、多数決民主主義に物を言わせたい。

私たちは、アフリカの内戦をアメリカ指導のマスメディアによって洗脳されている。アフリカは宇宙船から見るだけで済むからまだしも、原発事故は誰も逃げることができない日本の現実なのである。

計画的避難などという聞きなれない日本語はいらない。一言、原発周辺は内戦状態であり、避難住民は日本政府の非暴虐的圧政がもたらした難民である、これで十分である。

宇宙船から無事帰還した私の福島原発レポート、斯くの如し。

付の1.
圧制者が誰かは、数日前のブログで列挙しています。
付の2.
今福島原発がどういう事になっているのか、私にはさっぱり分かりません。手の打ちようがないのではないでしょうか。打つ手を持った人がいないというべきでしょうか。腕を組んでダルマさんよろしく半減期を待つ、政府、東電の本音でしょう。
付の3.
アフリカ、日本とめまぐるしく段落が変わるのは、宇宙船が超特急だからです。私の作文能力が劣っているからではありません。

瓦礫の撤去と大連立

海岸沿いの家の被害は甚大だったが、それ以外の場所の被害は半壊以下の軽微なものだった。しかし、浜は一面、瓦礫で覆われていた。

浜や磯に打ち上げられた木片や材木は、数キロ離れた石巻市街から流れ着いたものだ。

わずか100日前には、家の柱としてその主を雨露から守ってくれたのに、見る影もない。

私が属している集落の海岸は陸を遠くに見渡せる位置にある。いつも散歩の途中で、望郷の念にかられることなく、眺めている。冬の乾燥した晴れの日には、磐梯山あたりの山が見える。気分転換にとてもいい。しかし、震災以降、瓦礫と化したたくさんの柱を足元に見なければならなくなった。つらい。

6月に入って、瓦礫の撤去作業が始まった。数台の重機の他は人海戦術である。

見る見るうちに、浜がきれいになっていった。この分だと、学校が夏休みに入る頃は、海水浴もできそうだ。あと何年、泳げるかわからない私にとって、年に一度しかない夏の季節に海に入れないということは、寿命が一年縮まったということと同じである。惜しい。

浜はきれいになった。ならば、瓦礫はどこに消えたのか。一箇所に纏められたのだ。写真は1ヶ月前のもので、今は、この数倍の高さの山になっている。

最後には、島外に運ばれて処理されるのだろう。見ているだけで、気が滅入ってくる。葬送行進曲が必要だ。

私は、ふと思った。

私が民主・自民の大連立に大反対であることは、何度もこのブロで言ってきた。国会全体が大政翼賛会になって、民百姓が不幸になるという心配をしていたためである。

それが、この瓦礫の山を前にして、だいぶ考えが変わった。

大連立、結構ではないか、社民も共産も、その他の名ばかり新興政党も全部連合したらいい。そして、大連立内閣を作ればいい。

1年もしない内に、ボロがでる。人が同じだから今と少しも変わらない。2年か3年後の総選挙では、この大連立政治家が、そろって討ち死にする。

その時に、名実共に真性の新興政党が日本に出現する。

今の既存政党は、瓦礫と同じ。ひとまとめにすれば、最終処分には効率がいいという訳だ。

目の前の柱、プラスチックのケース、畳、ふとん、タイヤ、どれをとっても、みんなよく人のために働いてくれた。それでも、役にたたなくなれば、一括処分にされる。

政治家や官僚には、まったく役立たずの人間がウヨウヨいる。瓦礫として処分しても葬送行進曲はいらない。歓喜の歌だ。

大連立は、瓦礫の集積に都合のいい方向ではないか。

というわけで、大連立も、悪くないのでないかと思うようになった。

煮え切らない言い方は、確たる自信が私にはないからである。真性の新興政党ができることに自信がないのである。

できたところで、選挙民が認めないのではないか。

私は、選挙民をほとんど信頼していない。

期限付き大連立も、離合集散、烏合の衆、これの回転木馬に過ぎないのではないか、新たな政党は産まれないのではないか。

哀しいかな、私は、かえって、こちらの方に自信がある。

0516瓦礫

原発なしが、わずか月千円で実現する!

今夜のタイトルは、サプリや英会話教室の宣伝コピーをならった。この手のコピーは、読む側は信じていないし、一種のユーモアと分かっているから、誰一人、騙させたと怒って、裁判沙汰にする者はいない。

天下り先政府外郭団体に、ロクな物がない。税金ばかり食って、赤字国債を刷り増しし、民が文句をつけようとすれば、消費税を上げますよと恫喝する。外郭団体が恫喝するのではなく、その母体の省庁のキャリア官僚が恫喝する。官僚が政治家を膝に抱いて、腹話術をしているというべきか。

今日のニュースで、原発関係でまた一つうさん臭い名前の団体があるのを知った。本当に、ゾロゾロ、よく出てくるものだ。一体、何を仕分けしたのか、民主党の枝野さんや蓮舫さんに聞いてみたい。

日本エネルギー経済研究所。

日本、エネルギー、経済、研究所。一つひとつは、どれも素晴らしい単語である。

過ぎたるは及ばざるが如し、4つを一つにつなぐのは、やり過ぎである。かえって、インチキ集団の取り繕いではないかと疑われる。

ニュースを読んでいくと、なかなかいいことを言っている。

「すべての原発を廃炉にしたら、1カ月あたりの標準家庭の電気料金が、2012年度は10度実績に比べ1049円増加する」

私は、してやったりと膝を叩いた。

標準家庭がどういう仮定の家庭か知らないが、平均的世帯で月千円のアップを我慢すれば、原発なんて無くて済むということであろう。民主党政権になってから、初めての朗報である。

私は、原発廃炉による電気料金値上げは、2倍までは許容の範囲であると思っていたから、千円で済むという試算に、さすが研究所だけあると、感心して、続きを読んでいった。

すると、どうも雰囲気が違うのである。私の感心した風向きと違うのである。

ニュースをそのまま写すと、

~~~~~

 同研究所は「産業の国際競争力への深刻な負の影響、経済成長への悪影響の可能性もある。原発の再稼働問題を真摯(しんし)に検討することが喫緊の課題」と主張している。

~~~~~

深刻な負の影響と経済成長への悪影響。

これを言いたかっただけのことだったのだ。「可能性もある」以下は、自分たちの権威付けのための付け足しである。「真摯」や「喫緊」はエリート官僚好みの単語である。得意になって真似して使う田舎政治家もいるから、益々増長する。

話を戻せば、千円アップの試算はどうでもいいのだ。彼らが言いたいのは、負と悪の2字がすべてであった。存続・廃止の問題と言わず、再稼働問題と言う。再稼働を前提にして、検討してくれと言っている。

「負」では、脅しが弱いので、「深刻」を頭に乗せる。これも、いかにも、いかにもである。

この外郭団体、経済産業省の所管であるという。

国際競争力、経済成長、ゼニ命。

難民10万は、掃いて捨てればいいのだ。

やはり、ロクでナシだった。

けなしてばかりいるのでは、能がない。千円と言わず、2千円でもいいから、原発を廃炉にしてくれ。こう東電ほか電力会社に働きかけよう。

企業だから、損をしないとわかれば、原発に執着しない。千円でトントンなら、2千円となれば、千円が丸儲けだ。原発御用学者や原発天下り官僚を掃いて捨てること必定である。

愉快ではないか。

(石巻市街から流れ着いた倒壊家屋の残骸を償却処分している我がプライベート・ビーチ)
0617石戸

物体移動 映画「Proof Of Life」

メグ・ライアンとラッセル・クロウ主演のこの映画、前にシネフィルで観ている。年明けに観たいと思って探したが、コピーは、ライブライーのどこを探しても見つからなかった。

それで、震災前に、DVDを購入した。夜9時過ぎ、自家発電で、楽しい一時を過ごした後、DVDのラックに収めた。

私は考えた。

コピーがなくなれば、オリジナルもその可能性はないわけではない。政府答弁くさいが、二重否定だって立派な文章構造である。なくなったら目下緊縮財政、大問題だ。

そこで、3日前、DVDをブランク・メディアにダビングすることにした。「複製不能」は、これで金儲けをするわけでなし、無視だ。

他に何本がダビングする映画があったので、まとめて翌日整理することにして、安らかな眠りについた(死んでいないから、「安らかに眠りについた」か、いや、初夏の日のストンで旅立ちは、「安らかに」だ。まあ、どうでもいい)。

不思議なことに、翌日、このDVDがどこを探してもないのである。どこと言っても、モニターが乗っている机の上だけでの作業だ、他に動かすことはない。奥行90センチ、巾180センチの大型の机でも、一目であるかないかは分かる。

あったのは、ダビングしたメディアとオリジナルの空のケース。

一昨日、昨日と二日間、机以外に、DVDがありそうな場所は当然として、風呂場まで探してみた。やはり、ない。他のDVDのケースに混じって入れたのかもしれないと、全部のDVDケースを開いてみた。やはりない。

然り。

物体消滅が起きたのだ。

前編で語っているように、私は、これまでこの地で2回物体移動を経験している。一つが、棒温度計、もう一つがメガネ。置いた場所でない場所で発見されたので、物体移動と表現した。

今回は、消滅である。これも、本当は、島のどこか、広ければ日本のどこかに移動しているのかも知れない。

私は、守護神の存在を信じている。

今回の物体消滅は、守護神からのメッセージであると受け取った。

映画狂は認めてやろう。だが、700本を超えるDVDやCDをこの先、何時観るというのか、何時聴くというのか。毎夜1本でも、一巡するには2年かかる。それでも足りずにまだ、増やそうとしている。

「これまでは、黙っていたが、もうお前は、増やしたDVDを観ることはできないのだ。それをお前に教えるために、お前が大好きなメグ・ライアンとラッセル・クロウを遣わしたのだ」

そうだったのか。

神に政策、私に対策。

毎夜でなく、週に1本の割合で観ればいいのだ。そうすれば、私の寿命は7倍に延びる。700本は2年。だとすれば14年、84歳ということになる。

待て待て。

守護神の意向が700本という数は私の勝手読みかもしれない、守護神のメッセージは、2年という時かもしれない。もし、そうだとすれば、週に1本では、毎夜に比べて七分の一と減ってしまう。これではたまらない。何のために生きているのかわからない。

私は、即座に結論をだした。

毎夜1本、興が乗れば、四つ木映画館は文芸座なみに2本。

人生、長さじゃないのよ、中なのよ。

付の1.
DVDが見当たらない原因がもう一つあることを、私は気づいています。恐ろしいから、気づかない振りをしています。

付の2.
今でこそ、猫の昼寝場になっていますが、180センチ巾の机には、SODや漢語大辞典が所狭しと広げられた時もありました。知識欲旺盛な学生諸君、小さな机でこせこせ本は読まないように。

付の2.
守護神の存在のことですが、私は真面目で信じています。言葉の遊びではありません。ウソとデタラメ満載の私のブログを読まれた守護神に、おふざけかと誤解されないように付を付けました。

原発事故 法の整備より人の整理を

政府は官邸と東電のぎくしゃくした関係を認め、新たに法律を準備するという。

はっきり反省したと言っていないから、私は「認め」とした。

妙に聞こえるかもしれないが、原発事故は津波が原因ではない。津波対策を怠った人間が原因である。

東電の副社長が、今回の事故を人災と公言した通りである。

先ず、地震と津波の予知に関わった人間。チリで震度9.2の地震が発生したのを知っていながら、日本には起きないという誠に自分に好都合な解釈をしていた。都合、不都合は本人の主観によるもの。好都合と言ったのは、日本で起きないという根拠を気象庁は我々に一度も示していないからだ。

次が、高級官僚の天下りで分かるように、東電と霞が関との癒着。安全に疑問を投げかける官僚を、東電で引き取るはずがない。官僚の中にも、まっとうな人間がいるはずだが、そういう人間は東電から相手にされない。

次が、関村直人を初めとする原発安全迷信の学問的専門的理論的教祖。どこかのメディアが安全神話の崩壊と原発事故を表現したが、神話ではない、迷信である。その迷信の教祖が、大学にうじゃうじゃいる。

次が、迷信を熱心に布教した日本放送協会である。3月の事故から、「風評被害に遭わないように、冷静に対応するように」、こんな言い方で原発の安全性を危険な事態に直面しているにもかかわらず、迷信を布教していた。風評は、「うわさでしょ」で片付くが、東大、阪大、北海道大と、名門大学の教授の談となれば、聞く側はつい信じてしまう。原発の安全に疑問を抱いている教授や学者が日本にいないはずがない。そういう人たちは、講演会は著書で広く大衆に向かって警鐘を鳴らしている。NHKが知らないはずがない。知っているからこそ、そういう疑問派専門家を排除していたのだ。

もしも、NHKが、疑問派専門家を夜のお茶の場番組に登場させていたのなら、大衆は、大声で強く政府の尻を叩いていたろう。菅直人や枝野某の事故対応にも真剣さが違っていたはずだ。

迷信を信じこませる意図をもって報道したのだから、ウルトラ重罪である。

次に、連合。これはひどい。財界や経済界がカネを命より優先するのは当然として、労働者まで、音無の構えでいたのだから「ひどい」の一語である。

毎年一回開かれるメーデーで、原発反対、そこまででなくても、原発の安全確保をスローガンにしたことがあったろうか。

今回の事故の後のメーデーでも、NHKが大々的に報道しなければ済まないような規模で原発を取り上げていなかった。

労働貴族は総評時代の言葉、今は経済界翼賛団体と言い表すのが適当だ。

学生については、私は語れない。実際は反対運動をしていても、ニュースになっていないかもしれないからだ。ニュースに取り上げるほどの活動をしていない限りにおいて、全学連も同罪である。

最後が、東電から給電されているエリア圏の住民。キロ・アワーを25円かそこらの安さで電力を使っている。世帯あたり月額40円や50円の値上げがニュースになるのだから異常な安さである。

「鬼は~外、福は~内」

原発を容認して安い電力を享受してきた関東人は、福島人に不幸が起きることを、疑いたくない、知りたくない、自分の良心に差し障るものは考えにいれない、こういうご都合主義者である。もちろん、NHKの安全迷信放送を安全神話に置き換えて観ているし聴いいている。

考えを広げれば、アメリカからの圧力、フランスからの要請、原発売り込み等々、ありそうだが、要するに、事故は属人なのである。

それを、法律の不備にすり替えるのが今回の政府の狙いだ。こういう責任回避に私は断固反対する。

断固反対しても、法律が制定されるかもしれない。

しかし、法律ができても、人が変わらないのだから、次の事故でも、同じように右往左往する。

危機管理に対処できる人間が原発関連業界に揃っていたなら、法律の不備など話題にもならず、事故は初期段階で収まっていたからである。

こんな法律を思いつくのは、政治家ではあるまい、官僚であろう。

卑怯である。

付:
電気料金の値上げは、貧乏世帯のつましやかな使用に対しては行いません。貧乏人の一人である私です、急傾斜累進制を提唱しています。ご安心くだされ、同胞貧乏人。

イタリア原発国民投票(続き)反対90%! 賛成派の捨て身作戦

うろ覚えで申し訳けないが、昨日かのニュースで、反対が90%になろうとしているとあった。

この数字は、反対と賛成の違いがあるだけで、独裁国家の数字である。民主主義、それも熟した民主主義国家で、一つの政策に国民が9対1の差になることはない。

アメリカが戦争をすると、アメリカ世論は、9割、少なくても8割が大統領に賛成する。これは独裁国家とは言えないまでも、アメリカの民主主義が未熟である証拠である。

イタリアがアメリカ並の政治的未熟国家であるとはとても信じられなかったが、真相が分かった。

国民投票は、有権者の過半数が投票しないと、無効であるということを知ったから、分かったのである。

原発容認・賛成派は考えた。

福島原発、それとドイツの動き、この流れで国民投票すれば、反対派が勝利することは間違いない。唯一、自分たちが勝利するのは、国民投票そのものを無効にすることだ。

無効にするためには、有効投票数を半分以下にすればいい。

それで、投票をボイコットした。

賛成派がボイコットすれば、反対派の数字の上での圧勝は当然の結果となる。問題は過半数の投票があったかどうかで、それもどうやらクリアーしたらしい。

原発廃絶が決まったことは祝福に値するが、9割の賛成は、数字のトリックである。

4割のボイコットがあれば、反対賛成の比率は6対4であるとみなさなければならない。

この6対4は、個々の人間の価値観が多様化している民主主義国家でなければ出てこない比率である。

イタリアの国民投票の結果は9対1でない。それでこそイタリアだ。

ビバ、イタリア!

付:
ローマ帝国と私が呼んでいるが、共和制時代のイタリアのことである。


ます野菜煮の缶詰 助けてもらっていうのも何ですが・・・

数々の救援物資のなかで、ひときわ「目立たなかった」のが、自衛隊員用の缶詰でした。

写真の通り、食欲を減退させるような色です。何種類かの缶詰をいただきましが、すべて同じ大きさで同じ色。それと中身の表示が黒インクですから、目を近づけないと、何が入っているのかわかりません。

食欲をそそるようなデザインでは、食欲旺盛な若い自衛隊員にいくら缶詰を用意しても、足りるものではありません。それで、わざと、いかにもまずそうな外装にしたのでしょう。

待て待て。

缶詰は戦場の食料。ピカピカ光っては、敵の兵隊に見つかってしまう。だから、迷彩服を着せたのではないか、そうとも思えます。しかし、そうだとすれば、缶の縁はブリキのままなのはなぜ。月夜は光ります。

よく分からないのですが、缶詰ラッシュの救援物資の中でも、珍しい貴重品であることには違いないので、今日まで大切に保存してきました。

民間の食料援助では足りないような災害でもない限り、こういう機会に恵まれるものではありません。この意味で貴重なのです。

ところで、この缶詰には、賞味期限の文字がありません。食品衛生法か何かしりませんが、豆腐からミネラルウォーターまで、およそ食べ物の包装には賞味期限の漢字が印刷されているものとばかり信じていました。

なぜ、この缶詰に賞味期限の文字がないのか。私は考えました。その推論はこうです。

賞味期限は食べる目的の食料だから必要なのですね。表現がおかしいようですが、食べる目的でない食料があるからこう言いました。それが、この防衛庁の缶詰です。

大日本帝国が崩壊してから、日本の軍隊は一度も戦場に出かけていません。日本の塹壕で敵を待ち伏せすることもありませんでした。だから、戦場の缶詰は食べる機会が与えられていないのです。

どうせ食べないまま、ゴミとして処分するものならば、いちいち賞味期限を表記する必要はないとうわけです。戦後60余年、経験則が物をいいます。

私のこの推論が正しいかどうか、いつか確かめたいと思っています。

さて、この缶詰、賞味期限の漢字はないものの、缶の表に、賞味期限らしき数字が印刷されています。

1003です。普通は、これを2010年3月と読みますね。そうすると、この缶詰は去年の3月、今度の震災からちょうど1年前が期限ということになります。

長持ちするから缶詰。多分5年位は食べても大丈夫でしょう。そうすると、この缶詰は、2005年あたりに詰められたものとなります。

そういえば、防衛省に格上げされたのが、2007年。それまでは防衛庁でした。この缶詰に防衛庁と印刷されています。ということは、少なくとも、2007年以前の缶詰ということになります。

他の缶詰を見ましたら、防衛省となっていました。賞味期限らしき数字は1103です。

これも、今年の4月に配られたのですから、期限切れです。

私の想像ですが、期限切れの缶詰は一定期間保管しておき、それを過ぎると廃棄処分にする。ちょうどその間に今回の震災が発生して、廃棄処分を免れた、こんなことではないでしょうか。

もともと賞味期限を信じていない私ですから、1年前の期限であってもかまいません。それでも、いつかは腐るので、昨日、数字の若います缶を開けました。

外面(そとづら)に似合わず、とても美味でした。

まだ、いくつか残っています。

ます野菜煮防衛庁1003SK3205
鶏肉野菜煮75g防衛省1103HK03206
味付けハンバーグ110g防衛省1103MCC2218

沢庵の缶詰がありましたが、生協が止まっているときに食べてしまいました。あれは、小隊に1缶で、みんなで食べ合うのでしょうか。同じサイズの缶詰でした。うまかったです。

防衛省の缶詰を知っている人はほとんどいないと思います。あと4日で、防衛省御用達も空き缶になりますから、記念にブログに載せました。

付の1.
兵隊の食料は、国家の機密であります。敵は何を食べているのか、敵の糞まで調べたと日本軍軍医が語っていました。缶詰の大きさ、内容量の重さ、その中身、これで、何カロリーのエネルギーを兵隊は補給できるか、分析することもあるでしょう。

私は、この缶詰をブログに載せることが、いいものかどうか、かなり時間を掛けて考えました。

結論は、民間に放出するのだから、国家機密保持違反にならないということでした。でも、簡単に兵隊の食料を民間に放出するのは、問題ではないかと今も思っています。防衛省がどうせ戦争は起きないから問題ではないというのでしたら、納得しますが。

付の2.
4桁の数字が賞味期限という仮定で、表題をつけました。期限切れに文句をつけたい人もいるかもしれない、その代弁のつもりです。言い方は、映画「椿三十郎」から借りました。

0614防衛庁缶詰

イタリア原発国民投票

腐っても鯛というと叱られそうだが、さすがローマ帝国。奴隷の上に乗った市民政治だったとはいえ、イタリア人の政治感覚の伝統を私は羨ましく思う。


ネット・ニュースによれば、イタリアはチェルノブイリ原発事故(1986年)後、国民投票で原発全廃を決めたという。

今回の国民投票は福島原発事故がきっかけだったのか。

イタリアにとって、チェルノブイリ事故も福島事故も、はるか対岸の火事。それをただテレビで観ているだけでなく、もって他山の石にしたのだから、ちゃっかりしている。よくいえば偉いということだ。

事故から100日になろうとしている今も、まだ収束のメドがたっていない当事者の日本が、原発と電力供給量のバランスなどと寝言を真顔で議論しているだけで、これからどうするのかさっぱり方向がわからない。、政府に任せておけば、いつになったらはっきりするのか全然あてがない。

原発賛成派も反対派もそれぞれ考えがあってのこと、国家権力が一方に肩入れすべきではない。国策であるというのなら、国民にその是非を問わなければならなかった。事故が起きてからは遅きに失した観はぬぐえないが、やらないよりはまし、というより、直ぐにでもやるべきである。

政治家も官僚も有識者も学者もみんな一人1票で、国民投票を実施したらいい。

賛成ならマル、反対ならバツ、単純明快な結論がでる。

電気料金がどうなるかは、金額の問題であって、人間や他の生き物の生命や健康の問題と同席させるほどの価値はない。この考えでいる私は、投票用紙に☓を書く。御用学者の一人が○をつけても、相討ちである。ざまあ見ろ。

タダで多くを学んだドイツやイタリア。
高い授業料を払い続けていながら、何も学ばない日本。

くやしいと思わないか日本。

公開質問状 日本放送協会殿 地デジを契約しないと裁判に訴えるのか

昨日、私よりはるかに若い知人の一人から、メールが届いた。

NHKの勧誘員が家にやってきて、地デジの契約を迫ったというのだ。その知人は、気の弱いこととスカパー一本の点で私とよく似ている。ヤクザのようなおっかない人で、怖かったそうだ。怖いかどうかは、受け手の感性の問題だから、脇に置くとして、契約は高利貸しの美人受付嬢であってもキング・コングであっても、言う側と聞く側の関係である以上、感性で済まされない問題である。

大昔、本多勝一という人物が「NHK不払い」の本を書いた。私にも、道理のある立派な内容であることが分かった。NHKが、反論したかどうかは知らない。

先日のラジオが、不払い相手の裁判で勝訴したと、得意になってニュースを流していた。これは、受信契約をしていながら、カネを払わない相手に対する裁判で、その裁判で勝訴したのであって、受信契約をしていない相手に対して起こした裁判ではない。この点は、ニュースでもはっきり述べている。

受信契約は国民の義務となっていることを私は知っている。義務不履行に対して罰則のないことも知っている。煙感知器設置の義務と同じ意味合いの義務である。

だから、NHKにとっては、受信契約を取れるかどうかでお金を手にすることができるかどうかが決まるという切実な問題なのだ。必死に受信契約を勧誘する気持ちも十分想像できる。

公共なんて口では偉そうなことをいっていても、所詮ゼニである。勧誘は何もNHKだけではない。新聞社も必死に勧誘する。しかし、「うちの新聞を取らないと、裁判に訴える、覚悟はいいな」と玄関先でつぶやいた新聞勧誘員の存在は一度も聞いたことがない。

NHK殿、勧誘員(正社員ではあるまい、NHKの本部のすごさを知らない出来高払い契約社員だろう)に、受信契約をためらう、あるいは拒む世帯に、契約をしなければ裁判に持ち込むと言えと指導しているのか。そういうマニュアルが用意されているのか。

うなぎの蒲焼は、店の前を通れば自然にいい匂いがする。それを、かがなければ、「前を通る通行人に、お前は匂いをかげ、かがないと殴るぞ」、ああ怖い。

私なんぞ、私の許可なく、勝手に電磁波を私に浴びせるNHKを訴えたい位である。もっとも、裁判になっても、映らないことがバレて、敗訴するには違いないが。

NHKに契約するくらいなら、中国国営テレビは朝鮮放送、キューバ放送にカネを払う。これらがいくら太っても、日本国に被害をもたらさないからだ。

最後にもう一度。

日本放送協会は、勧誘員に地デジ契約拒否者を裁判にかけることもあると脅迫するよう教育しているのか、していないのか。
Yes、No、ささ、どっちだ。

予定調和的体調不良

計画的避難があるなら、予定調和的体調不良があってもおかしくなかろう。

「小国寡民」の中でひと通りのことは、書き終えてしまった。医療が入っていないのが、少し気になっているが、臓器移植に反対する立場であることは、前編で何回か書いている。それで、略した。

「小国寡民」は、私のx-軸、y―軸の原点である。私のブログが(0,0)、すなわち「無」であるということである。

この「小国寡民」を堺に、花粉症が格段とひどくなった。鼻腔の奥がヒリヒリする。クシャミが止まらない。まぶたの周りが痒くてたまらない。痒いと自然に手が伸びて、目をこする。そうすると、ますます痒くなる。また、こする。悪循環である。

多分、「小国寡民」までは、私なりに気が張っていたのだろう。原点のまとめが済んだので、気が緩んだのだろう。

菅直人さんが辞めても、次の総理大臣が日米安保を見直す見込みはなさそうだ。普天間基地問題にしても、かえってアメリカ議会の方(かた)が、日本の沖縄県民を考えているようにも思える。日本政府の政治家や外務省・防衛省の方(ほう)が、日本の沖縄県民を見放しているようにも思える。

しばらくは、体調復旧・復興に努めることにする。食い放題、飲み放題、書き放題の気ままなブログも、目が痒くて、鼻がヒリヒリしていては、気ままどころではない。

苦しんでまでメッセージを発信だけの価値を、私はブログに認めていない。

話は飛ぶ。

今日のニュースで、反原発のデモが日本で沸き起こったことを知った。大変喜ばしいニュースである。学生諸君がどれほど参加しているのか、一歩先を見る立場の学生諸君のことだ、日比谷公園が埋めつくされたものと想像をたくましくしている。

もう一つの喜ばしいニュースはイタリアで原発賛否の国民投票が実施されたことである。

ローマ帝国の伝統の強さを見せつけられた。羨望の一語に尽きる。

日本は、駄目だ。町方が日本を動かしている。武士の伝統、いずこへ。武士は二言がなかった。今は、どいつもこいつも、周りの状況次第で、いとも簡単に前言を翻す。二言はないと筋を通す人物より、「わるうござんした」と、頭をかく町方政治家ばかりが大衆受けする時代だ。

話は飛ぶ。

私の体の身代わりになってくれた損が約20万円。私には大金だが、千万円を超える損をした人からその被害を直に聞くと、20万は安い方だとも思える。私の身代金が安いのは、私の身代がその程度だからかとも、解釈できるし、それをひがんでみたくなる。しかし私が本気でひがむと、神様も本気で身代金の増額を決めそうなので、「損は身代わり」のコメントに留めておくことにした、触らぬ神に祟りなし。

とにかく私の震災は一段落した。あとは、レンタルビデオの再開を待つだけ。でも、こちら、あまり長く待てないのだ。しっかりしてくれ、佐川鈍行便。

話は飛ぶ。

ああ、鼻がヒリヒリする。目がかゆい。

ネットで調べたら、犬、猫の毛やダニ、ホコリ、それとニセアカシア、ハンノキ、みんな花粉症の原因になるとのこと。犬や猫の毛に花粉がつくからだそうだ。私の家は、人間以外土足で出はいりしている。夜は6畳で一緒に寝ている。ムカデも来るし、アリも来る。某人から、ここは人の住む場所ではないと言われたことがある。以前はムッとしたが、今は、そうかもしれないと思っている。(テレビに出ると我が島は楽園に変身する。ヤラせだが、ふるさと一番初め、すべての田舎暮らし番組は都会人ディレクターが指令するヤラせである)。

松も杉もニセアカシアもハンノキもすべて私の周りに生えている。空山人を見ず、昔の仙人は花粉症に悩まなかったのか。

とりとめのない話がでるばかり。キリがないので、これで、お終いにする。前編ですべて言い尽くしたようなものだから、沖縄普天間基地問題の正しい解決が出るまでは、体調管理を専らにすることにしようか。

ああ、鼻がヒリヒリする。目がかゆい。情けない。

(注:昨夜11時の公開が、fc2の都合で、今朝になりました)

バカもいればマトモもいる 自民党

このところ、選挙で自民党推薦が連戦戦勝。民主党は連戦連敗・・・ならまだ救いがあるが、不戦敗が多い。

勝てない勝負はしない、これは町人のソロバンである。いやしくも政治に携わっている者の採るべき態度ではない。卑怯者かつ臆病者である。負けが分かっていても、街頭で論戦を戦わすのが、民衆を支配せんとする者の使命である。

野党が外野席でどんなにわめいても屁のカッパ。論じるに足らぬ。共産党をみればわかる。

自民党は野党。その自民党を今回話題にする。

私が自民を採り上げるのは、久しくなかった。最後が小泉か福田ではなかったか。あるいは麻生かもしれない。過ぎた事だ。

その私の気分を変えたのは、今日のネットで面白い記事に出会ったためである。

党改革の柱の一つ「首相経験者の次期衆院選での非公認」が、党執行部の横槍で事前に削除された。

ここまでなら、採り上げる価値はない。後ろから槍を突くことだって珍しくないのが政治の場だ。民主だって同じようなものだ。

価値があるのは、委員会の塩崎委員長が「抗議の意味を込めて」委員長の辞意を表明したことにある。ニュースでは「騒動」と表現しているが、オチャラケも度が過ぎる。大変根性が悪い。

塩崎氏は立派な政治姿勢を態度で示したのである。

ここでバカが登場する。石原氏である。

「(現職の)首相経験者4人から了解をもらったのか」と、彼が改革委員会に文言の削除を迫ったという。

谷垣総裁も石原の側だが、この人物は語るに足らぬ。

自民も、世間と同じ、バカもいればマトモもいる。

バカの代表が石原氏、マトモの代表が塩崎氏。

もう一人マトモがいた。

「偉い人から言われて曲げるようなら、党の再生はない」と不満をもらした平将明氏である。

この記事を読めば、自民が駒不足であることが分かる。日本のトップに立ち1億3千万の民を導くだけの器量を持った人物がいないのだ。

もう一つ。小泉氏の再登場を願っていることがこれで分かる。非公認で当選して、自民に再入党してもらい、改めて総裁になってもらう。そんな七面倒な手続きをする必要はない方がいいに決まっている。それに、小泉氏の面子のこともある。ご子息のご機嫌も計算に入れておく必要がある。

私は政治家の評価を多面的に行うことはしないし、できない。自分の知った限りの一面的判断による。外交に直接係わるものでない故、政治家個人はこれで十分である。

だから、ここでバカとマトモを仕分けしたもの、この記事の限りに於いてである。

石原氏にもマトモな面があるはずだし、塩崎氏にもバカな面があるはずだ。

当たり前のことで、言うまでもないことだが、改めて最後にお断りしておく。

付:
既成政党の人材不足は福島原発並に深刻な事態となっています。首相の首替え人形劇は、これからも続きます。

ブログの再開(まとめ) 小国寡民

小国寡民

小国の定義を私は知らない。大小の小で、大国の反対に位置する国家と解釈している程度である。老子の考えに合っているかどうか、これも知らない。知る必要も感じない。

私は、五柳先生と同じように、学者から学ぶのは助走までで、その後は自分流に解釈することにしているからだ。

江戸時代までの日本は小国であった。それでも身の丈5尺か6尺そこらの日本人には、十分な広さであった。地球を知らないから狭さを感じないともいえるが、知ったとしても、窮屈だとは感じなかったと思う。五十三次に胸を踊らせていたはずだ。

それからの時代は、大国志向一本。走りに走った。一時期ではあったが軍事大国としての日本を世界に認めさせた。それが失敗すると、今度は経済大国を目指した。

ある国では、ワインの消費量を大国の基準にするかもしれないし、ある国はワールドカップの獲得数を大国の基準にするかもしれない。お国が違えば民の意識も異なるのは当然である。

日本に限って言えば、前は軍事大国、今は経済大国、国の大小基準をこの二つに絞っていいと思っている。

従って、私の理想とする小国とは、軍事小国であり経済小国である。

先ず、軍事小国。

侵略を企てる国家が周辺に存在すれば、自衛のために軍備が必要になる。侵略意図国家の軍事力に応じて、相応の防衛力を保持しなければ、小国は消滅する。だからそのような国がないことが前提となる。

幸いに、日本には、周辺にこのような外国は存在しない。漢民族と朝鮮民族が侵略意図国家であるならば、長い歴史の中で、何度も日本に戦争を仕掛けてきたはずである。それが一度もない。彼らの血に外国侵略のDNAが存在しない証拠である。ロシア民族はどうか。古来、東進南下策が対外政策であっても、東はこれ以上進みようがなくなっているのが今日である。

北海道の上空を偵察機が跳び回ってうるさい事態になっても、うるさいのはカラスだってうるさいのである。北海道を割譲せよと日本に迫るにはそれなりの理屈が必要である。その理屈を私は思いつかない。

朝鮮(北朝鮮)脅威論は、日本を軍事大国に向かわせる魂胆が見え見えの捏造である。早い話、朝鮮と日朝安保条約、中国と日中安保条約を結んでしまったら、自衛隊は暴動鎮圧の名目で、日本人民を蹴散らす戦車だけでよくなってしまう。こういう事態は軍需産業から米国兵器メーカー、コンサルタントや商社、マスコミ、愛国評論家まで、とても我慢できるものではない。

中国の空母がどこに浮かんでいようが、中国の勝手である。心配するのは、これに対抗して日本も軍備を増強しなければならないと、「国民に理解を求める」口実である。

周辺諸国が日本を侵略する意図がないことの理由はまだある。

日本の土地は平地が20%以下で、小麦の穀倉地にするためには愚公一族と百年単位で土木工事契約を結ばなければならない。放牧して牛肉を確保できる土地があるかと思えば、その先は断崖絶壁だ。材木も雑木林が主で、日本人でさえ敬遠する。林野庁は膨大な赤字を抱えているはずだ。石油・石炭は、ほとんどゼロ。温泉は豊富だが、宣戦布告をして、爆撃機を飛ばして、軍艦を浮かばせて、戦車を走らせてまで、温泉場に自国の国旗をなびかせる愚かな国は周辺はもちろん世界のどこにも存在しない。神風ならぬ大地震がいつ襲ってくるかわからいところにどこの国が兵隊を駐屯させるというのだ。

これも前編の繰り返しになるが、日本人を奴隷として拉致することもありえない。ガレー船を漕ぐだけの体力がある成年男子が何人いるか。

最後に宗教はどうか。大便・小便が神様になっている国だから、外国の神様はなんでも受け入れる。さりとて、熱心に信仰するわけでもない。ぬかに釘だから、宗教戦争を仕掛けようにも仕掛けようがない。

土地も資源も人間も、外国にとって戦争を仕掛けてまで奪うほどの魅力は日本にないのである。「経済大国」日本は、日本人が考えているほど、世界からは思われていないのが現実である。きつい言葉を使うなら、日本人のうぬぼれである。

それでは、小国をどう造るか。

私は廃県置国を提唱してきた。

道州制が話題になっているようだが、そんなお茶を濁すような程度では不十分である。そもそも道州制は小国を目指して考えられたものではない。地域の活性化、地方の活性化、こういう陳腐な「活き活き」村興しを田舎のおじいちゃん・おばあちゃんレベルから国家レベルに焼き直しただけの発想なのだ。

私の主張は、県を国に昇格させるというもので、生半可なものではない。

外交の独立。
アメリカと同盟したければその国(県)が結べばいい。軍事基地を提供したければ、そうすればいい。その国民(県民)が反対なら、基地はなくなる。中国と軍事同盟を結ぶのが国民の希望ならそうすればいい。永世中立国を宣言してもいい。

経済。
通貨も独自に発行する。宮城円、東京ドル、富山マルク、北海道ルーブル、これでいい。円があるのだから角があってもいい(中国の貨幣単位にすでに使われているか)。金本位制を採るのも紙幣乱造するのも、その国の民の判断による。

言語。
英語を国語にしたければそうすればいい。漢字を廃止して、カナに統一してもいい。国旗も各県でデザインする。起立するかどうかはその国の自由である。国連参加もオリンピック参加も、各国の判断に任せる。

こうすれば、瓦礫1塊拾うことをせず宇宙のチリを集めるようなロケットを鹿児島国はやらなくなる。

海に面していない長野国や埼玉国がイージス艦を建造するはずがない。

世界のすべての国に大使初め外交官を派遣するムダを敢えてするような国はない。

リニア高速鉄道の資金はどこからもでてこない。失敗すれば、自国の民に直接跳ね返ってくるからである。

青森国が、ソロバン勘定から、原発を増設したければすればいい。事故のツケは自国に限るから、他国の干渉するところではない。

北海道国が、アイヌ民族を王様にして、北海道王国になってもいい。

こうすれば、今の国会も霞が関官僚も、他あらゆる弊害が一気に解消する。長年の弊害は今の県に丸投げされるから、その国の民度次第で弊害が拡大することもあるし、解消することもある。

沖縄の問題を他県の群衆が知らぬ振りをして通しおおせるような不公平は起きない。原発を国策の名で福島県の民に犠牲を強い、関東地方の民にいい思いをさせるような不公平は起きない。

では、日本人のアイデンティティーはどうなるのか。自称愛国家の諸君、心配ご無用。

天皇を象徴とする今のような状態を維持すればいい。各国に1カ所、御所を設けておき、天皇ご一家は自由に移動できる、あるいは、バチカンを真似て、独立国にしてもいい。

小国になれば、今風の経済は維持できなくなる。今の経済とは大量生産大量消費、スクラップ・アンド・ビルトの資本主義のことである。不要不急の仕事が続々あぶり出される。そうなると失業者が大量に発生する。だから、日本の人口もそれにつれて減っていくことになる。政府が失業対策を講じる前に、国民自ら、少子化の道を歩むことになり、結果として寡民の状態になる。今の1億2千万は絶対に多すぎる。私のその中の一員だから、それならお前が率先して寡民を目指せと言われそうだ。言われなくても、自然に任せれば、自然に減少していく。

大航海時代からアメリカ文化爛熟期の今日にいたるまで、大国思想が地球を小さな惑星にし続けてきた。

21世紀を、大国思想を小国思想が圧倒する時代の始まりとしなければいけない。

ブログ再開に当たって、私の原点をおさらいした。ブログで言いたいことはすべて語り尽くしたと思っている。


山下宏文教授 

読売新聞2011年5月17日の記事である。

全文を掲載する。頭に掲載したのは、一読するだけで、この原発担当学者の質のひどさが手に取るようにわかるからである。これほどの人物は、滅多にお目にかかれない。

~~~~~~

原子力教育の充実必要
京都教育大学教授(環境教育) 山下 宏文
53歳。日本工ネルギー環境教育学会副会長を務める。
  ◇
福島第一原発の事故後、放射線や原子力の知識啓発が課題となっている。教育現場の現状などを、京都教育大の山下宏文教授(環境教育)に聞いた。
  ◇
これまで、小中学校では放射線や原子力についてほとんど教えていないのが実情だ。原発事故後に登場した放射線量の数値やデータの意味を理解できる人が少なかったのも無理はない。誤った知識による風評被害の遠因にもなったと思う。中学理科では「放射線の性質と利用」を学ぶことになったが、「触れる」程度の内容だ。

文部科学省と資源エネルギー庁は昨年2月、小中学校向けの副読本「わくわく原子力ランド」と「チャレンジ!原子力ワールド」を発行した。事実を正しく知ってもらう狙いで、私は企画制作委員長を務めた。しかし「(原発は)大きな津波が遠くから襲ってきたとしても機能が損なわれないよう設計」 「設計は想定されること(地震や津波)よりもさらに十分な余裕を持つ」などの表現は結果的に正しくなかった。専門家の意見を踏まえたものだが、反省しなければならない。

米スリーマイル島の原発事故後、スウェーデンでは原子力教育を充実させた。日本でも、今後は教育や啓発を十分行うべきだ。

将来を担う子供が正しい知識を得ることは特に重要で、電力量に占める原発の割合やメリット、今回の事故の経過や原発事故のリスク、放射線の人体への影響などを学校でバランスよく扱う必要がある。今後の原発のあり方を考えるにしても、国民がまず正しい知識を持たなければ選択することはでぎない。 (談)

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私から・・・

一つひとつ文句を付けていたのでは、出来の悪い作文が赤筆で真っ赤になるようなもので、時間のムダと放っていたが、寝付けそうにない。そこで、深夜、こうして書くことに決めた。
  
・ほとんど教えていない
少しは教えているということだ。その中身が、「(原発は)大きな津波が遠くから襲ってきたとしても機能が損なわれないよう設計」 「設計は想定されること(地震や津波)よりもさらに十分な余裕を持つ」というものだ。こういうウソをなんという犯罪名かしらないが、犯罪行為である事は間違いない。
 
・放射線量の数値やデータの意味を理解できる人が少なかったのも無理はない。
自分は大学で勉強したから理解できるのであって、大学で勉強していない諸君は、自分のような人から啓蒙を受けなければいけない。「まあ、知らないからと言って、私は、とがめませんよ、寛大な人間ですから」、こう言っている。事故を起こしておいて、データの意味がなんだというのだ。

・誤った知識による風評被害の遠因にもなったと思う
誤った知識を印刷物で生徒に教えていけば、原発に疑問を抱かない成人に育つ。起きないと教えられてきたのだから、起きた時は、なにがどうなっているかさっぱりわからなくなる。風評に惑わされるなと言われても、何が本当で何が風評なのか、判断できない。直接の原因が自分にことに気が回らない。これでは、どんなに周りに苦痛を与えても、何も感じないだろう。

・私は企画制作委員長を務めた。しかし「(原発は)大きな津波が遠くから襲ってきたとしても機能が損なわれないよう設計」 「設計は想定されること(地震や津波)よりもさらに十分な余裕を持つ」などの表現は結果的に正しくなかった。
数十年に一度あるかないかの不幸な衝撃を世界に与え、日本在住の人間、生き物、土壌、とりわけ福島県民に苦痛を与えておきながら、「結果的に正しくなかった」と一言で済ます神経は、もはや人間ではない。パソコンである。

・専門家の意見を踏まえたものだが、反省しなければならない。
反省を誰に求めているのか。委員長は自分ではなかったのか。他人事のように語るとはなにごとか。反省では足りない。割腹しても驚かないほど罪が深い人間、それが自分であることをまったく自覚していない。

・米スリーマイル島の原発事故後、スウェーデンでは原子力教育を充実させた。日本でも、今後は教育や啓発を十分行うべきだ。
この男に教育と啓蒙を任せたから、こんな事態になったのだ。文科省で、原発の危険性を教えるどころか、安全であると啓蒙していたのだ。この男に啓蒙されたのでは、これからどうなるかわかったものではない。

・将来を担う子供が正しい知識を得ることは特に重要で、電力量に占める原発の割合やメリット、今回の事故の経過や原発事故のリスク、放射線の人体への影響などを学校でバランスよく扱う必要がある。
正しい知識だって。自分でデタラメを教えておきながら、盗人猛々しい。バランスよくだって。栄養の3大要素でないのだ、原発は。

・今後の原発のあり方を考えるにしても、国民がまず正しい知識を持たなければ選択することはできない。
笑わせてくれるな。国民のことはどうでもいいから、文科省に掛けあって、もう一度、中学で倫理の勉強をし直してくれ。

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山下宏文教授のような脳天気はどこの社会にもいる。大学も例外ではない。問題は、こういう人間を文科省が取り立てることにある。原発事故は経産省ばかりでなく文科省の責任でもある。国策人災事故では、役人も断罪されなければ道理が通らない。チェック機能が名ばかりチェックだからこうして原発システムが暴走したのだ。

記事についてであるが、読売新聞社の姿勢は原発許容、少なくとも反対の立場ではない。それを不満としている記者は絶対にいる。原発教育の内情を直接暴露し、原発反対を記事にすれば、新聞に掲載されるまでに、どこかでボツになるだろう。

それで、彼に物を言わせて、読み手に、政府はこんないい加減な態度の学者を使って原発推進を図ってきたのだという事を示したのである。

これだけの記事を読んで、まだ政府への信頼が揺るがないとなれば、記者の表現能力不足ではない、読み手の鈍さが山下教授並であるということである。

1時を回った。どうせ寝付けなかったのだから、これを書いて夜更かしをしても、私は損をした気分にはならない。

終わりに一言。 この男が新聞記者に語ったのは、人の苦痛に鈍感だからである。恥というものを知らないからである。普通は、恥ずかしくて、あるいは、罪の意識に苛まれて、人前に現れないものである。

内閣支持率は単純な算数による

福田さんから菅さんまで、何人もの総理大臣が出ては消え、出ては消えた(菅さんは予定稿)。

それが、女性関係(宇野某)でもなければ金銭関係(ロッキード某)でもない、暴言(バカヤロー)・暴力沙汰を起こしたからでもない、ただ支持率が下がったから、もう駄目だと世間から見放される。

この支持率は世論調査という大変いかがわしい調査によるものだから、世論調査自体を調査する必要がある。しかし、これは、いずれということで脇に置く。

今回は算数のおさらいである。

就任当初の支持率が60%。それが1年足らずで20%。内閣改造で多少のカンフル効果はでるが、やはり下げ続ける。

これを、総理大臣の指導力や実行力の高低などに結びつけるのは、正しい見方ではない。

民主主義が行き届いて、市民が自分の意見を持つようになれば、どこでもこうなるものなのだ。

まず、就任当初。

国民は期待する。仮に100人を国民とする。60人、すなわち60%が、自分が関心のある事物の実現を新総理に期待する。支持率60%ということだ。残りの40%は最初から期待していない、あるいは分からないである。

政権に就いてある政策を発表ないし実行する。どんな政策にせよ60人すべてが賛成するものはない。善政と見るのは大体80%、悪政とみるのが20%、これが相場というものだ。

すると、どうなるか。

60人のうち、20%イコール12人が反対に回る。残りは48人。

それからまたある政策を発表ないし実行する。20%は反対。10人が反対に回る。

その後も同様に続く。38人の20%が反対に回り、残る賛成は31人になる。以下同様。

まとめると、初めは60人、それから48人、40人、32人、25人、5番目になると20人。

政府は内政・外交・経済・文化・教育、その他、何から何まで面倒を見続けるから、不満や失望に事欠かない。

残った20人が、内閣支持率の20%となって表れる。

あ~ら不思議、個々の政策には80%の支持をとりつけていたのではなかったか。

何もしなければ、それはそれで、何もしないという批判に晒される。

だから、誰がどうしたところで、1年過ぎれば、内閣支持率は20%位に落ちるものなのである。

菅直人さんは、別に福島原発事故や大地震の処理能力や行動力に欠けていて、それで不人気になったというのではないのだ。

彼がどれほど働こうが、それどころか、働けば働くほど、不支持は増えるのである。

見がいい。菅直人さんの後継者に誰だれがなろうが、1年もすれば、支持率は20%に落ちる。

私が予言するのではない、一昔前のような後援会の組織が地方でも崩壊して、選挙民が自分の利害を自分で判断するように変わってきたから、落ちるのである。

小泉さんはこの点、さすがである。支持率が下がる前に辞めた。この時点で、彼の息子の当確は約束された。

世間は、誰が総理になっても同じだと言っているらしい。その分析根拠が私の算数と同じであれば、世間を見直してもいいと私は思っている。

付の1.
政府支持率が100%は旧ソ連。今の中国も、全人代の政府に対する支持率は90%以上(これは私の想像で、多分こんなところでしょう)。大日本帝国の議会も圧倒的数字で時の政府を支持しました。内閣支持率の意味をもう一度、考えてみてくれませんか、NHKほか新聞社の皆さん。

付の2.
民主・自民の大連合でも、事態は変わりません。大連合内閣で大安泰なんて妄想ですよ。支持率が下がれば内輪もめが待ってます。これが分かっているため、短期間で、大連合を解消するということでしたら、立派な参謀です。褒めてあげましょう。

ブログ再開(続々の続) 裁判所・裁判員制度

裁判員制度ができてはや2年。まったく市民を苦しめてきたものだ。既成事実化によって、あとは慣性の法則で永遠に回りそうな事態である。

この苦しみは、いつまで続くのだろうか。

死刑が続々執行され、そのすべてが後になって冤罪であることが分かった、そして、この裁判に招集されて裁判員になった市民が、自責の念にかられて続々自殺する世の中になった、こんなことにでもならなければ、最高裁はこの制度を引っ込めないのではないか。

いや、「この程度の自殺数は想定内ですよ」で、すまし顔を通すかもしれない。

私は、この制度が悪い制度であると心の中で思っている、判事や検事や弁護士がごまんといると信じて疑わない。

ごくごく少数の最高裁と法務省役人が賛成しているにすぎない。しかし、かれらは、反対意見側が束になってもかなわないような絶大な権力を有しているから、我ら市民は手も足もでないでいるのだ。

新聞を読めば、問題点がいかに多く、また深刻であるかがわかる。それを、改善するにはどうしたらいいのか、こんな事を記事にするのでなく、廃絶の道理を啓蒙してほしいものだ。

悪い物はいくら取り繕っても悪いのである。撤廃以外に道はない。

もう一つ。

裁判員制度を存続させるなら、一審で完結させる制度に改めることだ。

地方、高等、最高。

これがトリックの元凶である。田舎から都会へ、都会から東京へ、この順番で偉いという明治時代に成り上がった薩長田舎侍の羨望はもはや時代遅れなのに、今なおこの気分が温存されている最後の砦が、裁判所である。

地裁が正しい判決を下し、最高裁が誤った判決をするというのではない。地裁が正しい判決を下す場合もあれば、誤った判決を下す場合もある、それと同程度の確率で、最高裁も正しい判決と誤った判決を下すということである。

市民の良識からすれば、自衛隊という軍隊は憲法違反である。まことしやかな理屈をつけられれば、それでよし、どんな屁理屈も駄目となれば、「これは敏感な政治問題だからね」で逃げを打つ。

これ一つをとっても、最高裁が名ばかり「最高」であることがわかるではないか。

前編で、くどいほど、裁判員制度をこき下ろしたので、もう種切れになってしまったが、私の人生のうちでこれほどひどい制度を見たことがないので、これから何度でも繰り返す。

私のこの考えと裁判員制度を作った最高裁とどちらが、市民の良識に近いか。

世の中、世論調査ばやりだそうだから、裁判員制度の存続か廃止かを、判事、検事、裁判官、それと法務省職員全員にアンケートを回すことを、次期法務大臣にお願いしたい。

私の見立てでは、廃止に賛成は、90%、悪くても80%以下にはならない。存続は、良くて20%である。

地裁、高裁、最高裁。

丁半サイコロで、地裁が丁、高裁が半、双方不服で、最高裁で最後のサイコロ。この目が丁であれば地裁で済んだ、半であれば高裁ですんだ、なんのことはない、1回で済むことを3回やっただけのことだ。

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2ヶ月ぶりか、先月終わりから数回、新聞が埼玉から届いた。3月12日の新聞はなかったが、15日あたりから5月24日あたりまで10日分位あろうか。

いつもは読み捨てだが、こんどばかりは、スクラップを作った。ブログの材料がゴロゴロしているのに私は気をよくした。

その代わり、とても疲れた。このブログは、走り書きである。

本当に疲れた。今夜はこれまで。次は、いよいよ、小国寡民。

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