老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

震災日記 4月12日(続)計画避難

ラジオで聴いた。避難計画は分かるが、計画避難は初めて耳にした。避難の頭に附くのは緊急避難。私が知っているのはこの位である。

難を避けるのに、計画があるのか。あるいは計画のない避難はあるのか。原発事故特有の用法かと思ったら、つい先日の停電があった。初めは、順番停電だったか輪番停電だったか、別の停電だった。それが、いつの間にやら、計画停電に代わった。停電については、計画より順番の方が分かりやすく、適切な修飾である。「計画」はだいぶ水ぶくれした曖昧表現になっている。少々順番が飛んでも、計画ならば、市民から約束違反だと文句を言われなくて済む。

これに味をしめたのか、避難にも計画を使って、分かったようで分からない避難を「計画避難」と呼称した。難しそうな表現でけむにまくのは官僚の十八番である。ここでも真価が発揮された。

計画なんかどうでもいい。知りたいのは、避難しなければどういう事が身に振りかかるのか、その程度はどうなのか。これである。新生児から100歳の高齢者まで、健常者から入院患者まで、きめ細かく分類して、住民の「避難すべきか残るべきか」の判断の材料に供する。

同時に、避難した場合の状況も予告しなければならない。バラ色でないことは承知していても、こんなにひどいとは思わなかったでは、かつての中南米移民団と政府の関係の復元である。

残った時の身体に対する危険。残った時の生活のメリット。避難した時の生活。これら3の要因をもとに住民、一人ひとりが、決断すればいい。

残るか避難するか、「計画避難」ではどちらにするか、住民は決められない。

言葉遊びが過ぎると、今度は、「想定避難」なんていう言葉も当たり前に使われるようになる。いけない。

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お知らせ

これで、私の震災日記はおしまい。固有名詞や数字は、当日のままです。正誤チェックはしていません。

明日6月1日からは、従来どおり、気ままに、不定期に、アップ・ロードします。

なお、重複している震災日記は、すべて削除いたします。

震災日記 4月12日(火) 33日目 晴れ

メリーにあやうく米袋をダメにされるところだった。

将碁、1局。負け。停電時刻が気になって、大優勢の碁を大ポカで負けてしまった。ポカの名人だから、東北電力のせいではないが、つい負け惜しみが出てしまう。

原発、ついにチェルノブイリ事故と同じレベル7に達した。レベル7はそれ以上悪いレベルがないという最悪のレベルである。

日頃、1日に受ける放射線量は1年分にすればなんだかんだ、だから直ちに危険ではないと言っていたくせに、今度は、総量を持ち出した。

これが自発的な決断ならまあ大した物だが、東電ファンの日本政府がやるわけがない。他国の研究機関や原発組織からの外圧によってレベルアップしたものである。

半径20キロが無人化している光景は、シュールである。私が、島の船着場で経験したシュールは、光に輝いていた。原発事故によるシュールは、不気味である。人っ子ひとりいない夜の市街や田舎道、私は、その中に立っている私の姿を想像できない。

風が冷たい、散歩はそこそこ。

横になると咳が止まらず、苦しい。長い時間の散歩は無理だ。

震災日記 4月11日(月) 32日目 曇りから雨 仮設住宅3

H兄にCD-R10枚、ゆうメール便にしてポストへ。

散歩出ず。

今日は支援物資の配給日。午後1時、水の配給。水は受け取る。すでに自分で調達できる食料は受け取らない。中身を見れば、欲しくなりそうなので、努めて見ないようにした。

ネット碁。碁仇の岐阜在住のCさんに5月再開のメッセージ。自由対局を1局。○。

那須の親類筋から米25キロ3袋、色々な食料などを同梱して送られてきた。米2年分には驚いた。TBSテレビで島の米不足が放映されたため、みんなに配ってもらうためと、添え書きにあった。

4月初めには、クロネコ宅配便が復活している。その前から、ゆうパックはすでに復旧している。お金をだせば、何でも手に入る状況が今の島である。

困った、困ったは、テレビ局のディレクターのシナリオでしかない。高齢者、離島、震災、同情・・・連想ゲームでウソが作られる。

マスコミの思い込みには、ウンザリだ。

電話が通じたので、那須には、これからも同様の放映があるかもしれないから、ダマされないようにと伝えた。

2度も来島したことのある学友U兄のメールが、一番当を得た島の想像であった。ただ、避難所に私が行ったようなことが書かれていたが、これは残念。公民館か体育館か知らないが、あんな所で雑魚寝するなど、論外だ。テレビのカメラに向かって、「久しぶりに温かな豚汁をいただきました、菅さん、ありがとうございます」となったら、生き恥もいいとこだ。江戸っ子の耐えうるものではない。そんなことなら、いっそ、山奥で満天の星を仰ぎながら死んだ方がましだ。

夕方から、また電話が不調。合間を縫って、H兄とU兄にメール。夜は、ネットがまったく繋がらない。NTTの石巻局に問題が生じたのだろう。

風邪は少し収まったが、まだまだ、咳がでる。更に、涙が出てきた。やはり、体調は良くない。

ウイスキーをシングル1グラス、久しぶりだ。

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仮設住宅 その3
設置場所が見つからないという。阪神・淡路大地震から何年過ぎたというのだ。国は県に数千個の仮設住宅が建てられる用地を確保するように指導してこなかったのか。県は、災害時の避難場所をきめただけで、長期化する災害への対応を手抜きしていたのか。

まったくお粗末な限りだ。

今度の震災も、一年も経たないうちに、まるで何事もなかったように、名ばかり防災訓練に励むことだろう。防災といえば、担当大臣までいるそうな。いったいどんな仕事をしているのかね。

震災日記 4月10日(続)戦禍と災禍

政府は戦後最大の災害だと言う。なぜ戦後と区切るのか。

死者
戦禍 300万人、災禍 3万人。

被害地域
戦禍 45県すべて、災禍 4県。

このように戦争による災難を含めたら、今回の災害が比較にならないほど小さく見えるからである。

それなのに、政府はモタモタして、早1ヶ月が過ぎようとしている今も、10万を超える避難民(偽りにも経済大国日本ですぞ)が現実に存在し、溜まりに溜まった義援金も配分されていない。

菅直人がやることと言えば、被災地視察の名のショーアップ、言うことと言えば、「政府は最大限努力する」リップ・サービスに務めるばかり。

死者は戦禍の1%、地域は10%。この冷徹な数字を頭に入れて、「皆の者、浮き足立つな!」と総理官邸にデンと構え直属配下の指揮に当たらなければならない。下っ端役人は現地で必死なのだ。

国民はと言えば、この数字を逆に見ることだ。テレビで被災地の現状を毎日のように見ているだろう。10倍の地域がこの惨状に見舞われた、そして、100倍の死者を出したのが太平洋戦争の結果だったのだ。

強いて違いを言えば、戦禍は燃える物はすべて燃やし尽くされ、災禍は燃える物がそのまま残っていることだ。

平和のためには戦争も一つの選択肢であるとか、我が国固有の領土保全のために戦争準備は必要だとかいう日本人は、今回の災禍をしかと目に焼き付け、じっくり自分の頭で考えることだ。

自国を戦場にしないで戦争出前サービスをもっぱらにするできるアメリカはいざ知らず、日本が戦争すれば、日本の国土は今度の災禍程度では済まされない。

災禍はある程度は人智の及ぶ所にない。しかし、戦禍は100%国民の意識で避けることができる人災である。

天災は忘れる前にやってくる。
戦争は手招きしなければやってこない。

震災日記 4月10日(日) 31日目 震災日記 告示 冬眠明け

ウォーミング・アップの途中で、今度の地震と津波。石巻市は陸側が壊滅的状況。同市の我が島もその余波が及んでいます。

先ほど、電話回線が試験的にでしょうか、復旧しました。

少し落ち着きましたら、正式に再開いたします。

冬眠から永眠に至らなかったことだけを、今日、お伝えいたします。

ご心配をお掛けしました。

(地震に動じなかったメリー。手前は竹炭作りのドラム缶炭焼き釜)
s-3.19のんびりメリー

震災日記 4月9日(続2)東電の国有化

基幹産業かつ広域独占企業の脆弱さを今回経験したことで、国有化もないわけではないような発言が政府の中で興ったという。

とんでもない話である。

国有企業がどういうものか、旧ソ連のコルホーズ・ソフォーズ、中国の人民公社を振り返ればすぐに分かるというものだ。非能率と形式主義と権威主義、国家官僚が経営すれば自然こうなる。

それは外国の昔話だというのなら、現在の日本の独立行政法人の姿をみればいい。

原発を国有化したら、今の原子力不安院や原子力不信委員会のメンバーが名を連ねることになる。この二つの団体がいかに邪悪な代物であるか、今回の福島原発事故で明白になったではないか。

国が管理してもダメなものはダメである。だれが管理・運営してもダメである。ダメなものとは、原爆のことである、原発のことである。

私は使えもしない核兵器に対して廃絶運動することはほとんど意味をなさないと考えている者である。持ちたければ1万発でも百万発でも持たせればいい。

その代わりというわけではないが、クリーンと平和利用の美名でその脅威をマスキングしている原発には、絶対反対である。

官僚に任せたら事故が起きてもすべて集めた税金を補償に充てて、ジ・エンドとする無責任がまかり通る。

しかし、このまま私企業に任せたら、利益とコストのバランスを勘定しなければならないから、これまでと同様安全性も妥協の対象項目となったままとなる。

原発は誰が扱えばいいかという問題ではない。誰がやってもダメなのである。

存在そのものを否定する以外に道はない。

震災日記 4月9日(続1)仮設住宅 その2

仮設住宅の建設と入居がニュースになっている。

仮設は名の通り、仮の建築物。用済みになれば解体され倉庫に眠る。

日本は、災害大国である。毎年のように、日本のどこかが災害に見舞われる。その度に機材を倉庫から出して、組み立てて、また解体して、格納する。これは資本主義的経済効果はあるが、本質的にはムダだ。

全国各県に、3千戸の永住可能な家を建てれば、そのムダは省ける。今回の被災者の避難を見ると、同一共同体の全員が同一の避難先に移るわけではない。できるかぎり一緒にいたいのが人情だろうから、百戸単位で避難先集落を30個、作っておけば、共同体は維持できる。

仮設住宅と違って、本格的な住宅だから、密集させる必要はない。かなり広い土地に散在させることができる。2DKを主体にして1DKと3DKを作る。スタンダードを設ければ、コストはぐんと下がる。トイレは各戸に備えるが、風呂は銭湯タイプでいい。

ここでいう本格的住宅は、何も基礎を打って土台を作って、その上に建てる家という意味だけではない。いつでも移動可能なトレーラーハウス的な家でもいい。

田舎暮らしの中には、40フィートコンテナを改造して住んでいる人がいる。細長い家だが、レイアウト次第で、快適な居住空間に変身するのだ。

イギリスだったか、幅10メートル位の川に船を浮かべ、それを住まいとしている所がある。縦横に川が流れている場所なら、こういうのもいい。コンテナと同様ウナギの寝床だが、見るからに快適そうである。百年前の香港の水上生活とは雲泥の差である。

仮設住宅は安普請のイメージがつきまとう。仮設はあくまでも仮設。住む被災者は、仮設住宅がいくら快適であっても、いずれ出ていかなければならないということで、先の生活の不安に悩まされる。

人間、何より住む所だ。しっかりした住宅ならば、その地に定住してもいいと考えるようになる。その地で働くようになるかもしれない。高齢者なら、そこで年金生活を送ればいい。

別な場所に働き場所を見つけた青壮年なら、ヤドカリさん方式で家ごと引っ越せばいい。

場所の確保で行政は悩んでいるようだが、こんなことは、とっくに済ませておくべきだった。

災害といえば、直ぐに仮設住宅と続く。こういう発想では、何度災害に遭っても、ゼロからの出発である。

復興計画にたずさわる有識者諸君、モグラたたきで遊んでいる場合ではありませんぞ。

震災日記 4月9日(土) 30日目 小雨

H兄にCD-Rを10枚、焼く。同一内容だから、所要時間は短い。

落札したパイオニア製DVR-530Hには、BSチューナは内蔵されていなかった。BSアンテナ入出端子がないことで分かった。現有の下位機種510Hが内蔵なのに、おかしなことだ。

それで、510Hを従来通り、BS放送の受信用とし、530HはシネフィルとBS放送のコピー用とすることにした。地震で通電しなくなったDVR-7000はヒューズ交換でも電源が入らなかった。修理に出せば、ヤフオクで4台は買える修理費が掛かる。名機も動かなければ、お払い箱だ。残念。

7000で使っていたメガネタイプの電源コードがここ数日、いくら探しても見当たらなかった。どこに置いたのかも覚えていない。それが、廃棄機器置きコーナーの所にあった。よかった。

風邪薬を思い切って、能書き通りに、朝、昼、夜3回、食後に袋の量全部を飲んだ。そのせいか、かがんだり横になるとまだ咳はでるが、回復基調に乗ったようだ。今回、なにより、発熱がないので助かった。

雨降りだから散歩は無し。家の中でのんびりできる。これもたまにはありがたい。

震災日記 4月8日(金)29日目 曇りから小雨 女川原発

昨日、根組(集落)のWさんがへべれけになってやってきた。車の運転は、雨の日以外はサイクリングで体を鍛えている移住者のMさん。白眼をもって迎えた。絡んでくるので、Mさんには申し訳なかったが、追っ払った。酔ったら来てくれるなと、これまで何度注文をつけたことか。酔っ払わなければ人に会えないような者は、ゴメンだ。

喉が潰れた。大きな声が出せない。無菌室で生きてきたようなものだから、突然、人の集まっている所に置かれれば、雑菌にやられる。人は雑菌の温床らしい。風邪もこれだ。

昨夜、11時過ぎ、大きな地震があった。相当揺れた。Sさん夫婦は、消防団の津波サイレンを聞いて、開発センターに行った。方丈記には、余震が数ヶ月続いたとある。モモは地震にだいぶ慣れたが、一人にされるのが怖いようで、何処にでも付いて来る。大きな地震の直後は、「るすばん!」が通じない。

沢水、今朝は濁っている。あれだけの地震では、土砂が水中に混じる。二三日すれば、また澄んでくるはず。

開発センターに行ったら、もう戸別配達でないので、Jさん一人でいい。風邪をひいているのだから、そのまま帰っていいと、言われた。預かっていた配達リストを渡してから、長渡に行き、TSUTAYAのレンタルDVDを投函。埼玉の家族と親類にハガキ各一枚も投函。

少し休もうと思ってベッドに横になると、とたんに咳がでる。歩いている時や座っている時には出ない。喉の構造によるのだろうか。

今日は、タンクの水、一人5リットル、500ccペットボトル6本。Sさんが、自分の井戸水で十分だから、タンクの水は要らないというので、権利を貰った。3日で15リットルなら、備蓄の飲料水はとうに無くなっているが、救援物資の500ccボトルが20本ほどあるので、飲料には困らない。かなりの余裕だ。

埼玉の家族から野菜ジュース、900cc、12本、宅配で届く。

落札したDVDレコーダ、再生はHD、DVDともOK。衛星放送の設定がどうしてもできない。じっくり調べよう。イザとなれば、DVDレコーダ専用にしてもいい。既存のレコーダでスカパーは入る。リモコンはおろか電源ケーブルもないまったく本体だけ。それにしても1,400円の落札価格は安い。送料1,500円。埼玉の家族から島までの転送が1,500円。

アマゾンに注文していたCD-Rメディアが届いた。H兄の最終講義録が焼ける。5枚でいいと頼まれたが彼の記念碑だ、10枚そっくり焼こう。

メリーの散歩は無し。

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東北電力 女川原発

昨夜の地震で、女川原発の冷却電源が、3基のうち2基が遮断されたとニュースが言っていた。現在、稼働しているのは1基だけで、それで冷却を続けている。先月の大地震で、発電は停止している。休眠中の熱がどれくらいか知らない。1基でも動いていれば、最大能力の10%で十分冷却されるのかもしれない。

しかし、動いていればの条件であって、次の余震で残りの1基が遮断されたら、ゼロになる。その時、どうなるのか。

ついに、危険が迫ったのか。

遮断は、故障の時の表現でない。危険を察知して安全を確保するためである。だから、損壊とはまったく違うものである。まさか、東北電力が損壊を遮断と言い換えるようなことはしまい。

福島原発にマスコミが掛かりっ切りになっているうちに、さっさと解決することだ。とりわけ、政府役所の安全不安院や不信委員会が口出しをする事態になれば、悪化の一途をたどることになる。

原発反対論者の私が、少々の放射線被曝は我慢してこの地に残るといっているのだから、東北電力も、少しは私の心意気を汲んでもらいたい。

震災日記 4月7日(続3)東電 エリート

東電の処理の悪さはどこからきているのか。

私は、ボンクラ上司と有能部下を連想した。

想定外の事故には学歴や学業、また普段の勤勉は無力である。ピラミッド組織の上に登るテクニックも無力である。この無力が無能として具現されるのが想定外の事象に向かい合った時である。

為す術がなくただオロオロしている上司、当然下から突き上げられる。上司一人に対して部下10人。優秀であればあるほど、部下はそれぞれ考えを持って、それを主張する。百家争鳴とまではいかないが、賢論から愚論まで、ハチの巣と叩いたように、噴出する。

正解が必ず存在する試験を好成績で通してきて組織を登ってきた上司には、正解が後ろに控えていない問題はお手上げである。ある部下の提言がいいとも思えるし、別の部下の反論もなるほどと思える。まったく別の考えの部下もいるのではないか、また気になる。

自分に考えがないから、こうなる。彼の唯一頼れる所は、データである。数値である。数値はウソを言わない。彼はそう信じている。データの収集と解析、検証を完成させれば、誰からも文句や批判は出てこない。

事故からすでに4週間も経過している。すべてが、後手後手である。東電のトップを説得する立場の上司の無能であるからである。

この無能は、己の危機管理の無能と、部下の意見の中から最良の物を選べない無能から成り立っている。中には、有能な部下の優秀な提案に嫉妬する上司もいる。しかし、これは、別の次元である。

上が優秀なら下が少々ダメでも組織は動く。上がダメなら、下がいくら優秀でも組織は機能しない。

太平洋戦争の日本軍が昭和の「失敗の本質」なら東電は平成の「失敗の本質」である。共に、時代が違うから事象も違うが、日本人の危機対応の弱さが十分汲み取れる点において共通している。

震災日記 4月7日(続2)電気料金は安すぎる

4月4日に開かれたライフラインの現状説明会の報告が回覧で来た。

私は人混みの中に入るような説明会には出ないことにしているから、ニュースである。

電気:

(3月25日に電気が復旧した。朝6時から午前11までの5時間と午後4時から午後9時までの5時間の2回、計10時間である。電源車を島に持ち込んで、そこから供給している)

説明によると、海底ケーブルが破損し、敷設調査はこれから。電源車による供給がそれまで続く。1日、軽油600リットルが消費されている。コストが大変なので、10時間を9時間にする動きがあるという。

私は思う。

海底ケーブルの敷設の場所選定に甘さがあったとは、東北電力に向かって文句は言えない。東北電力が手抜き工事をしたのならともかく、これは純粋に天災による被害である。島への電力供給は島の電気料金の総額の数十倍のコストであろう。

私は、この際、電力料金を4倍にしていいのではないかと思っている。今、1kW/hが23円。それを暫定的に4倍の100円にするのだ。私の場合、月平均150キロの電気を使っている。9時までの給電の現在、50キロを越えていないはずだ。それで、5千円。

海底ケーブルの復旧が半年先としても、3万円である。キロ100円がどれほど東北電力のコスト軽減に寄与するか分からないが、自由主義経済下における受益者負担の原則に従うことは当然である。

その代わり、今のような時間制限は地域独占企業の取るべき手段ではない。どんなことをしても、24時間の配電は維持すべきである。

単位電気料を上げて採算ベースに乗るようにすればいい。

例えば、50キロまでは25円、そこから100キロまでは50円、200キロまでは100円、300キロまでは150円、以下同様。このように急斜な累進に設定する。

高い電気料を払ってでも夜更かししたい者、たとえば私など、は喜んで電気料を払う。冷蔵庫と電灯だけでいいという者なら、深夜は消灯するだろうし、従来通りの電気料で文化的生活を送れる。

実際に、私は今、9時過ぎでも電気が欲しい夜には、手持ちの発電機を回す。ガソリン代を計算したら単価が150円だった。これで11時まで部屋が明るくなり、インターネットが利用できるのだから、私には決して高い電気料ではない。

電気は無理に無理を重ねた安さである。不当に安い。今回の福島原発でこの不当さがツケとなって表面化した。

うまい話は自分(利用者)に、損な話は他人(電力会社)に・・・こんなうまい話は問屋が卸さない。

震災日記 4月7日(続1)原発 想定内と想定外

福島原発事故は、予想をはるかに上回った津波が襲ってきたための災害だと人は言う。想定外ということだ。

果たして、そうだろうか。

そもそも、想定内の事態に遭遇して事故が起きたのなら、手抜き工事以外に考えられない。手抜き工事は、想定された事態に対処すべき段階、すなわち設計から、終わりはセメントの水増しや強度不足のボルトまでの全プロセスのどこかの単一かもしれないし複数かもしれない、とにかく、手抜きである。

事故は想定外でしか発生しないという前提でなければ話は前に進まない。

原発立地選定で、最も気を使うのが安全性である。核分裂反応は原発も原爆も同じであることを、専門家はよく知っているからだ。

そこで、一つ。
原発のある町村には、役場も住民も揃って、電力会社から大金が払われている。文句の口封じが主たる目的であろうが、万が一にも事故がなければ、町村役場や住民の文句をことごとく論破すればいいだけのことだ。論破しないでカネで口封じをしているのは、論破する自信が、電力会社にないからである。

原発反対論は、一般市民ばかりか、学者や専門家の一部にもある。遠くドイツでも原発反対論が出ている。

もう一つ。
職住接近、産直野菜。聞きなれた言葉だ。東京の新宿御苑に原発を作れば、高圧線を何百キロにわたって張らなくていい。輸送に難があれば、東京湾に作ってもいい。名古屋、大阪みな同じだ。電力需要家の近くに原発を設置すればいい。安全であるから、何の不都合があろう。反対する都会人がいれば、これも一つ一つ論破することだ。一部の田舎政治家と違って、カネで心が動かない以上、論破以外にない。

現実はそうでない。

やはり人口密集地でありかつ高度インフラ環境の大都会に、原発は一基たりともない。

なぜか。

電力会社も、想定外を想定しているからである。口では安全と言っているが、あくまでも想定内の事態で安全なだけであることを彼らは最初から認識しているのである。

政府関係役人、東電原発担当者、原発推進学者と識者、援護のマスコミ記者、かれらは、ホッとしてつぶやく。

「やはり、思った通り(想定通り)田舎に建ててよかった」

大津波は想定外、原発事故は想定内!

震災日記 4月7日(木) 28日目 薄晴れ

明け方、咳がひどかった。これが風邪の終わりの前触れであればいいのだが。熱はない、下痢もない。これが救いとなっている。

4月4日に開かれたライフラインの復旧予定説明会の報告が回覧で来た。

私は人混みの中に入るような説明会には出ないことにしているから、ニュースである。

電気:海底ケーブルが破損し、敷設調査はこれから。電源車による供給がそれまで続く。1日、軽油600リットルが消費されている。10時間を9時間にする動きがあるという。

電気:
(3月25日に電気が復旧した。朝6時から午前11までの5時間と午後4時から午後9時までの5時間の2回、計10時間である。電源車を島に持ち込んで、そこから供給している)

説明によると、海底ケーブルが破損し、敷設調査はこれから。電源車による供給がそれまで続く。1日、軽油600リットルが消費されている。コストが大変なので、10時間を9時間にする動きがあるという。

水道:
海底パイプは無事。送水用の電力が復活すれば、供給が再開されるとのこと。私は、今月一杯で復旧すると予想する。陸の電気復旧は、非生産地区の島とちがって、経済活動にとってそれこそ死活問題であるからだ。

それでも、私は、揚水ポンプを自家用に備えることにした。近くの沢水は鉄分が多く含まれている。犬や山羊が飲んで健康被害に遭っていないから、他の哺乳類が飲んでも平気だろう。少なくとも、「直ちに」影響は及ばないだろう。どんな健康被害であっても、20年先、30年先なら芳紀十七歳、失礼、男児七十歳の私は一向にかまわない。

地震は当分来ない。雷と台風は、毎年のようにやってくる。停電すれば、貯水タンクの水でお終いである。揚水ポンプがあれば、沢の水を腰痛悪化の不安無しで、無制限に使える。水道が復旧した暁には、三年寝太郎でいい。

固定電話:
これにはホトホト参った。昨年10月、冬眠に入る時の約束で、4月1日に掲載がなければ、永眠したことにしてあったからである。電話がなければ、小国寡民の生存を確認ができない。

ブログの原稿は溜まる一方。どうせブログにでないなら、後から一気に書いてしまおうと一時考えた。そうしたら、不平・不満で腹がパンパンに膨れて、どうにもならなくなってしまった。これはいかん。これが分かってからは、パソコンに向かって義憤を噴射することに決めた。何ベクレルか知らないが、半減期がどれほどか知らないが、電話回線が復帰したら、どっと世界中に撒き散らすのだ。

震災日記 4月6日(続4)女川原発 関村直人

昨年10月1日に冬眠してから、ラジオ1本で通してきました。再びテレビに戻る気はさらさらなく、冬眠明けの4月1日からは、ネットニュースを素材に使うつもりでいました。

しかし、今度の大地震と大津波、一応、BS-2のニュースは録画することにしておりました。4月半ばの今日、ランダムに観ている所です。

女川原発で放射能量が国の基準値を越えたので、国に報告したと東北電力が記者会見で発表しました。

それが、自分の原発からのものではないことを、理路整然と説明していました。第一に、女川原発はすべて冷温停止状態であること、第二に、排気塔の数値が外の測定場所の数値より低いこと、第三に、測定場所の数値が先に上昇したこと、これら3点から、女川原発によるものではないと結論づけた会見でした。理路整然かつ単純明解で、私はすぐに納得できました。

ならば、この放射線はどこから来たのか。あえてどなたかに聞こうものなら、「ナメんなよ」あるいは、「お前、馬鹿か」と怒り出すでしょう。

それをNHKのアナウンサーはやったのです。聞かれたどなたかも、怒るような様子もなく、テレビに映っていました。

アナウンサー:「女川原発でなければどこでしょう」
関村直人:「福島原発の可能性があります」

これが、日本の公共放送です。これが日本の最高学府東大大学院の教授です。

「可能性がある」

先ず〇〇だろう。次が△△だ。可能性として、三つ目は☓☓である。

「可能性」とはこういう風に、ほとんどあり得ないが、あるかも知れないという事柄に使われるものですよね。

質問するアナウンサーはNHKだからこの程度で別に驚きません。関村直人には、開いた口が塞がりませんでした。

なんでこんなバカが教授で日本の原発の指導的立場に居座っているのか、呆れ果てたのです。彼の下の教え子の中から一人でも原発反対者が育つと考えられますか。ピラミッドの頂点が賛美論者であれば、裾野はすべて賛美論者になりますね。東大大学院が原発賛美論の殿堂になっていると思いますね。

原発はカネばかりと思っていましたら、学問の世界にも悪性放射能をばらまいているのでした。

電気は1日2回分割の計10時間、電話回線はブツブツ切れます。それで、いつかの日のために、ブログ原稿を溜めているのですが、今日ばかりは、関村直人を罵倒しないではいられませんでした。

まだまだ余震が続いています。私だって、いつ瓦礫の下になるか分かりません。女川原発に対面している私、関村直人のようなカスに一言言わないまま旅立ちしたら、死んでも死にきれません。

震災日記 4月6日(続3)原発の放射能漏れ

国の基準の7百50万倍が検出されたという。拡散速度や半減期はわからないが、この海水が1トンとすれば、国の基準値の海水が750万トンということになる。30万トンタンカー25隻分である。これで直ちに被害があるわけでないとしても、平穏ではいられない。

数値の隠蔽が許される状況でなくなった現在、政府や東電が打つ手は、NHKを通して、国の言う事に反対する意見を「風評被害」と広報することしか残されていない。

(穏やかないつもの夕暮れ。何事もなかったように海は静かです)
s-3.24いつもの夕日

震災日記 4月6日(続2)被災地の自動車税免除

1週間か10日前頃、どこかの被災地で、自動車税を免除すると役場が発表した。

それはそれで結構なこと。流失や損壊によって廃車を余儀なくされた所有者が前年度の保有というだけで5月に払い込まなければならないのは、重い負担である。

その結構なことが驚いたことに「直ちに」変身した。

これの対象に軽自動車とバイクが適用除外されるというのだ。

原発事故をみるまでもなく、これからはエネルギー確保が大きな問題になる。2000ccの1トンの車と、660ccの500キロの車では、鉄からゴムまで、エネルギーの必要程度に大きな差がある。資源地からの運送、運送に要するネネルギー、保管と加工に要するエネルギー、廃車の解体に要するえねるぎー、これらをトータルすれば、どれほどの差になるか。

自動車税の免除は良いことだ。しかし、差別することは悪いことだ。

先ず、軽・バイクを含めたすべての自動車税の免除を発表する。それで県の役割は終わり。

次は、国が、軽自動車の普及を促進するべく、軽以上の車に昔の2000cc超に対する税をはるかに上回る税額を設定することだ。

重さ60キロの人が移動するために、1トンの鉄の塊を移動させる愚かさ。二人でも120キロだ。軽自動車だって、4人は運べる、物だって300キロは運べる。

宮城県は日本最大手の自動車会社(軽は生産していない)の工場誘致にうつつを抜かし、災禍をチャンスとばかり、普通車優遇に重ねてうつつを抜かす。

目先と手元しか見ようとしない行政に、呆れるばかりである。

付:
どこの県か、定かでありません。東北の被災県であることは確かです。

震災日記 4月6日(続1)原発事故は対岸の火か他山の石か

津波に飲み込まれて命を失った犬や猫。みな、名前があったはずである。漁港では名前が付いていない野良猫たちが親子で生きていただろう。あの日までは。

私の家の犬、猫、山羊、それに鶏は、同胞が千の単位で亡くなったことを知らずに、震災前と変わらぬ生活を送っている。飼い主が、地震、津波や台風に十分耐えられる場所を移住先に選んで住んでいるからである。

移住する時に知らなかったことが一つあった。それが、女川原発である。海を隔て、牡鹿半島の嶺を越えた13キロ先に東北電力の女川原発がある。

移住した後に、古い仲間が「原発猛反対のお前がなんでそんな場所に行ったのか」と呆れ顔で教えてくれた。日本地図を最後に見たのは高校か。イミダスの付録にあった地図を見たら、果たして原発のマークがあった。

今更、どうすることもない。

福島原発事故では、半径20キロ内の住民に避難指示が出されたという。女川原発で同様の事故が起きれば、同様の指示が出るのは間違いない。

その時、「犬と猫、なんなら山羊も鶏も一緒に避難するように」と日本の国家が言ったなら日本人の生命に対する感覚を見直す。あり得ない。「人の避難で精一杯なのに、動物まで構っていられるか。非常事態なのだ!」と一喝されるのが関の山である。

70歳まで生きてこれた私は、長さにおいて命は惜しいとは思っていない。避難所で、置き去りにした犬や猫に対する罪悪感でさいなむ余命が確かである位なら、死んだ方がましである。

女川原発事故で避難指示がでても、私は残る。避難命令がでても、私は従わない。放射能をどれほど浴びることになってもだ。

そういう事態を想定するからこそ、私は、女川に限らず、原発そのものに絶対反対するのである。

原発は悲劇の源。電力はあればあっただけ使うもの。なければないなりにやっていけるもの。それで経済が成り立たないのなら、そんな経済は捨ててしまえ。

震災日記 4月6日(水)27日目 晴れ

相変わらず、喉が痛い。生協の注文書を届けるだけだから、養生に専念しよう。

震災後、初めての注文受付だ。写真無しのカタログ、ページ数は10の1以下。却ってシンプルでいい。エコだ。

生協の注文書をGさん宅に持っていく。数量限定で抽選というので、3分の1が届けばいいと、3倍の注文にした。14日にどれほど着くか。生協が復活すれば、救援物資はいらない。

埼玉の家族からハガキが2枚届いていた。消印は3月27日。依頼した物資は、島の情報と違って、ゆうパックが断わらてしまい、すべてヤマトにしたらしい。網地島ラインが受け付けてくれなければ、返送になってしまう。乾電池と水のボトルが手に入らないと書かれていた。計画停電のためだろう。

風邪で声がほとんど出ない。久丸の船長によると島では風邪が流行っているとのこと。薬が大嫌いで、半分にしてきたが、背に腹は代えられぬ。寝る前に風邪薬一人分をそっくり飲んだ。

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5月再開の時には、小国寡民にならべて実名を記すことにしました。これまで控えてきましたが、世間に害悪を及ぼす個人に対しても実名を挙げて攻撃することにしたからです。自分がハンドルネームではフェアーでないでしょう。

震災日記 4月5日(火)晴れ 尺八献奏

一昨日、開発センターで風邪を移された。それが悪化。喉が痛い。発声に支障を来した。無人の環境で長年過ごしてきたため、大勢の人混みに弱くなったのだろう。無菌室から雑菌だらけの外界に出たようなものだ。

救援物資の配達の日である。体調が優れないとからと休むわけにはいかない。頼めば、理解してくれて、代ってくれる人ばかりだが、一回でも頼めば、それが実績となる。後々のこともあるから、マスクを掛けて、開発センターに出向いた。風邪薬が救援物資の中にあって、それを貰った。

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尺八献奏
昨夜は、久しぶりに9時過ぎまで起きて、尺八をローソクの下で吹いた。2万を超える人命が失われたと聞いて、「手向け」を幾晩が連続して吹いたが、昨夜は、生き物への鎮魂のためである。

犬、猫、おそらく数千匹が、津波に引かれて、命を落としたことだろう。ニュースは、犬・猫どころではないということか、一度もこのことに触れていない。震災から3週間、アナウンサーは数秒でいい、一言触れてもよさそうなものだ。

人は、居住の自由が憲法で認められている。津波の危険の認識は、それぞれ人によって違う。ある人は、今後30年に90%の確率で襲ってくるとの国の広報に、明日かもしれないと恐れて被災地から出て行くだろうし、ある人は、残りの10%を重んじて、引っ越した人の空き家に引っ越してくるかもしれない。

犬や猫は、そうはいかない。飼い主の行くところ、どこまでも従わなければならない。津波が怖いといって、ヒトである私がやったように、海岸を去って山にこもるわけにはいかない。

案の定、今回の津波で、飼い主もろとも、命を落としていった。飼い主が残っていれば、飼い主が彼らの死を悲しんでくれるが、飼い主もいないのだから、誰も悲しんでくれないままだ。

最も可哀そうなのは、鳥かごの中の鳥である。カゴさえなければ、羽を広げて、大空に逃げることができた。鳥かごから出られないまま、引き波にさらわれた鳥の気持ちはいかばかりか。

吉田兼好は徒然草の中で、珍しい生き物は飼うものではないと言っている。

ペットも同じ生き物、例外ではない。その生き物にふさわしい環境で飼われて活きるものだ。

私は、何が何だかさっぱり分からないまま死んでいった犬や猫に心から哀悼の意を表する者である。

昨夜の「手向け」は、何度も繰り返し吹いた。風邪のせいで喉が鳴ってしまい、ほとんど音は出なかったが、心を込めて吹いた。

合掌。

震災日記 4月4日(続) 原子力不信委員会

数日前、原子力安全委員会なる団体が、原子力不安院に、情報の提供がないと、苦情を呈した。不安院がすまなかったと謝ったかどうかはニュースになかったが、今後、事務レベルでの交流を行うと応えた。

原子力安全委員会と原子力不安院の違いを、私は知らない。原発になんらかの係わりを持つ委員会であることだけは、名称から推測できる。

私は、不安院の手際の悪さに業を煮やして、「見ちゃおれん、オレたちが代ってやる」と意気込んだものと解釈した。

今朝のニュースに、再び、原子力安全委員会が登場した。

安全委員会の委託先が、原発事故発生のシミュレーションを安全委員会に提出していた。このシミュレーションは今回の事故を警告していた内容であった。それを委員会の誰かがゴミ箱に直行させたという。設定ファクターがどれだけ正確なものなのか怪しいというのが理由である。

これには、呆れた。

シミュレーションは、不確定な条件であるからこそ作られるものである。すべての要因が誰にでも分かる明確な数値であれば、もうシミュレーションではない。単なる正解付き問題集である。学生向け商売である。

シミュレーションにおいては、未確認ないし確認不能要因が多い場合もあれば少ない場合もある。その要因をどう判断して結果を想定するのか、これがプロである。それを、不確かな情報だからといって、握りつぶすのだから、私が呆れるのは当然である。

まだ、ある。

このシミュレーションの報告が、彼らの耳に逆らう内容でなければ、ゴミ箱に行かなかった。原子力安全委員会に都合の悪い結果が導かれたため、握りつぶしたのである。どうせ外部委託なんか下請けだ、カネさえ払っていれば、文句あるまい、という調子で。

シミュレーションはあくまでも想定である。都合が悪い結果が導かれたとしても、シミュレーションであることをはっきり断って、東電社長の耳に突き刺すべきであった。

原子力安全委員会は、別に解決に貢献しようという気持ちから、苦情を呈したのではない。つんぼ桟敷に放ったらかしにされたことが忌々しかったのだ。メンツの次元だった。

不安院に己れのつんぼ桟敷で文句を言っていながら、国民のつんぼ桟敷を己れがやっている。原子力不信委員会は、直ちに取り潰さなければならない。国民にとってジャマな存在である。

原発事故では、彼ら委員会は当事者ではるはずだ。それが、今日まで音無しの構え。なんのための委員会か、正確なデータがなければ何も出来ない体質。原子力不安院と同じ穴のムジナである。

脱官僚は、自民党政権で着ぶくれ水ぶくれした官僚組織の解体が含まれていた。そのために民主党は、政権樹立直後、早々と仕分け作業を立ち上げたはずなのにこのザマだ。

ついでに一言。

蓮舫大臣、内輪もめではしゃぐ前にしっかり仕事をしなさい。このままでは、無能のレッテルがもう一枚額に貼られますよ。仕分け作業を民主党興業のショー番組と、誰かが言っていましたが、その通りなのですね。

震災日記 4月4日(月)25日目 薄晴れ 仮設住宅(1)

大きな災害が起きる度に、仮設住宅の話が出る。定番になっている。

おかしいと思わないか。

台風、地震、津波など日本のどこにでも起きる災害である。稀にしか起きない戦争から比べれば、はるかに予防措置は簡単である。

「どこにでも」は、場所が特定できないから、やむを得ずこう表現している。特定できないもう一つが、「いつ」である。しかし、必ずやってくる。10年のスパンでみれば、1回は必ず災害に見舞われている。

これは、日本の与件である。仮説ではない。だったら、仮設でなく、本格的な住宅を作るのが、まともな発想であろう。

日本の都道府県に、人口に無関係で1県当たり3千戸の住宅を作ってしまう。全部で15万戸である。これだけ確保されれば、二人世帯では30万人がプライバシーを心配することなく生活できる。災害発生後、「直ちに健康被害」ならぬ直ちに災害地から離れることができる。

公民館や体育館の雑魚寝を菅直人の目にどう映ったのか。私には、とても避難先の当事者になれない(実際、私は当日の全員避難の誘いに従っていない)。

国勢調査なんていうムダな統計をとるヒマがあるのだから、その代わりに、日本在住の人間に、万が一家を失ったとき、どの県に移るか、事前聴取で確認しておくべきだ。災害に遭ってから、無用な「あたふた」が防げる。

仮設住宅建設は今回で中止すべきだ。仮設住宅の資材を活用しつつ定住型住宅の着工に入るべきである。

それがなければ、阪神・淡路震災に続いて、今回の災害でも何の学習もしなかったことになる。

地震予知連絡会も裁判にかけよう

地震予知は、気象庁のお遊びテーマと思っていたら、今度は地震予知連絡会が出てきた。

出てきたのは、昭和44年というのだから、かれこれ40年まえから日本に存在し続けてきた。

出てきたのではなく、私の無知、私が知らなかっただけである。

2週間前のラジオ・ニュースだったろうか、この地震予知連絡会が、「今回の大地震の前、2年ばかり小さな地震が頻繁に発生した、そしてそれが予兆であった」と、分析・解析・精査等々の結果を公表した。今後の地震対策に役立てたいと、最後に付け加えることも忘れなかった。

私は、これを聞いて、日本には一体、いくつ地震予知で税金の無駄食い集団があるのか、想像するだけで恐ろしくなった。

それを、いちいち相手にして勝負を挑んでいては、老い先短い私が、時間切れで負けてしまう。だから、いまいましいが無視することにしていた。

今日、敢えてぶり返したのは、日本政府(実際は霞が関キャリア官僚集団)が、この手の官製詐欺商法を告発したことに気を良くしたためではない。

イタリアの政府が、地震予知を裁判の場に持ち込んだのだ。さすが、ジュリアス・シーザーの国、プラシード・ドミンゴの国である、ワインの国である。

Factumは以下の通り。

300人以上が死亡した2009年4月のイタリア中部ラクイラの震災で、ラクイラ地裁の予審判事は25日、イタリア政府防災委員会に所属する地震研究者ら専門家7人を過失致死罪で起訴した。

私は、日本の地震予知関連専門家に公聴人としてこの裁判の為にイタリアに出張してもらいたいと願っている。

判事側に付けば、日本の地震予知のレベルの高さが証明される格好の場となる。

被告の専門家に付けば、予知は不可能であると弁護しなければならないことになる。

どちらの側につくか、それを私は見てみたい。

付:
「地震予知連絡会は、政府として地震予知の実用化を促進する旨の閣議了解(昭和43年5月)及び測地学審議会建議(昭和43年7月)を踏まえて、地震予知に関する調査・観測・研究結果等の情報の交換とそれらに基づく学術的な検討を行うことを目的に、昭和44年4月、国土地理院に事務局を置き発足しました」だとさ。

発足して40年、大地震の予知を1度でもしたことがあるか。実用化の促進が閣議了承の条件に読めるが、目的になっているのは、学術的シミュレーション・ゲームである。巧みにすり替えられている。

震災日記 4月3日(続) 原発住民 NHKアンケートをどう聴くか

福島原発の事故で、半径20キロ以内の住民に圏外への避難が実施された。避難所で、NHKが避難者にアンケートをとり、そのニュースが、10日ほど前に流れた。

アンケートでは、原発賛成と反対はほぼ同数ということだった。原発に反対する側の意見は聞かなくてもわかる。私が、注目したのは、避難を余儀なくされて、プライバシーもない体育館などで粗末な食事で生きている(生活とは言えない)人たちの半数が、原発に賛成していることである。ラジオの聞き流しだから、賛成であったか容認だったか定かでないが、少なくとも反対側でないことだけは確かだ。

賛成の理由として、電力供給に支障をきたすから・・・これはまあ理解ができる。電気のない生活は考えられないからだ。しかし、理由はこれではない。地域経済に必要だからというのである。難しい漢文調を大和言葉で言い換えればら、「東電のおカネは欲しいのです」ということだ。

福島原発は江戸時代にはない。しかし、福島人は何十世代となくそこで生まれ様々な生き方を送り死んでいった。いい時もあれば悪い時もあったが、無人の地になったことは一度たりともなかった。

それが、今度の事故で、無人の地に化けた。事故は原発がなければ起きなかった。どんな事故の想定も、存在しない問題にはかなわない。人がそこにいるからこそ、地域は成り立つ。無人の地になにが経済だ。考えが逆立ちしている。

賛成派は、事態が終息すれば、東電から、以前にもましておカネが入ってくると期待しているかもしれない。タダで済まないことはケインズ経済学者に限らず誰の目にも明らかだからだ。

命と金を天秤に懸ける人が避難に半数もいることに、私は呆れている。

待て待て。数日、思いを巡らしていて、どうもふっきれないものがあった。呆れるのは誤りではないか。

原発の近くの自治体には大金が、住民には現金が黙っていても転がり込んでくる。それが何年も続けば、東電に義理を感じる住民がいてもおかしくない。貰うものは貰って、都合が悪くなると、手のひらを返して、難癖をつけるのは、人品の卑しい者が取る態度である。

福島人は白虎隊がいい例で、義理や恩義に固い県人である。長年、受けてきた恩義に対して、半数が義理を立てたのではないか。義理が深くても、おゼニの義理では格好がつかない。難しい漢文調の「地域経済効果」を理由にしたのだ。

もっとも、アンケートの理由が、アンケートの常套手段として好ましくない回答が現れないように作られていたのかもしれない。

賛成・容認が金銭欲によるものか、それとも恩義への報いによるものか、今の私には分からない。前者であれば、命よりゼニが大切な亡者である。後者であれば操を曲げない律義者である。

私は女川原発が事故れば一発満貫振り込みの地にいる。東北電力からおカネが入ってくる。と言って、別に義理は感じない。そのせいだろうか、アンケートの結果をどう解釈したものか、よくわからないでいる。

震災日記 4月3日(日)24日目 午後から晴れ 義捐金は貯金か

風が冷たい。

昨夜から時々咳がでる。昨日、開発センターで数人の人と会話した。その中の一人が風邪で寝こんで、ようやく回復した。そうしたら、今度は細君が風邪で寝てしまったという。この人から風邪を移されたのかもしれない。避難所全体に風邪が流行っているそうだ。そう言えば、常駐ボランティアの若者はいつもマスクをしていた。大事に至らなければいいが。

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義捐金は貯金か
昼のラジオニュース。先月末までに800億円ほどの義援金や募金が集まったという。その配分を早急に決めるように政府は努力していると続いた。

これから配分を決めるだって。私は、我が耳を疑った。

義援金が赤十字なり政府の責任機関に入り次第、どんどん被災地に配られるものとばかり思っていたのだから、我が耳を疑ったのである。

疑いは直ぐに晴れた。宮城県知事が、配分を速やかにやってもらいたいと政府に要請したからだ。「疑いなく」800億円が被災地に関係のない所で温存されているのだ。

800億円がまだ政府の手元にあるということだ。どこの被災地の役場でも緊急の金は必要だ。自治体のすべてが、ツケで民間業者から物を買うとは限らない、物を頼むとは限らない。納入業者だって工事請負業者だって、現金は欲しいのだ。

自分の所に幾ら義援金が配分されるか、これがわからないまま、災害復旧の事業を民間に頼めるはずがない。今は数字だけの連絡でも、いずれおカネが入ってくるという保証があって、初めて復旧事業の振り分け作業ができるというものだ。幾ら来るかわからないのに、地方の役人が発注するはずがない。

阪神・淡路大震災から災害関連官僚は何を学んだのか。内輪もめにうつつを抜かしている民主党政府がモタモタしていたら、ハッパを掛けてでも、配分システムを完成していなければならないのに。

被災地の程度を大まかに見積もって、義援金をそれに従って配分するシステムな何の難しさがあろうか。全体の被災地の被災額(被災総額)が分母で、個々の被災地の被災額が分子にする。それに義援金を掛けるだけでいいのだ。

こう言うと、霞が関の役人は、直ぐに被災額は精査しなければ不公平になるとから先ず精査だと反論してくる。原発事故のデータ集めと同じ感覚である。

毎日義援金は集計される。それを即日、被災地の自治体に送金する。後から、更に大きな被災地が分かったら、その次の日に、相応の増額をすればいい。増額した分で、すでに配分された自治体が前日より少ない割合の配分になってもいいのだ。

被災者の中に義援金を受け取る非被災者が紛れ込んでくることは、今の日本人の乞食根性から十分想定できる。それでも構わないから、どんどん配分することだ。不心得者は、配布時に行った本人確認を証文として、世間が落ち着いた後でも徹底追求・処罰すればいい。

非常時の現在も、役人はいつもの平穏な日々のルールを守って出勤し残業している。まったく事態を理解していない。ただ忙しく動いているだけである。

頭の切り替えができないトップが役所を支配していて、それを、政治家が不思議がらないのだから、この処方箋はないのだ。

追:
それでは、地方自治体はどうか。義援金が届けられたら、自県の被災地に即刻配分できるようなシステムが作られているか。私は悲観論者である。

震災日記 4月2日(土)23日目曇り NHK

大地震から3週間が過ぎた。NHKのラジオ番組に音楽が入って来ている。もうしばらく経てば、漫才や演歌も復活することだろう。結構なことだ(私にはどうでもいいことだが)。

あまり結構でないこともある。

それは、大地震と津波、それと原発事故のニュースのことである。地震直後から予定していたすべての番組を変更してこれらの災害の報道に切り替えた。

国が取り上げるまでもない小さな事故や災害なら民放に任せて差し支えない。しかし、今回のような大きな災害は、国家が国民に広報すべき性格のものである。

NHKがなくても、政府には国民全部に知らせなければならない義務がある。テレビであるかもしれないしラジオであるかもしれない。電気が来ない場所では、空からビラを撒くことになるかもしれない。いずれの場合でも、このために国民がおカネを払うようなことはない。国家の義務である。

NHKはその一つである。なんで受信料を払わなければならないのか。公共放送は名ばかりで、実際は広報放送、政府の管轄下で組織が動いている国営放送なのである。

私は、これまでもNHKはペイ・パー・ビューであるべきと主張してきた。娯楽番組や教養番組に対し観たい人が観た分だけ払うという極めて合理的なシステムがペイ・パー・ビューだからだ。

災害報道は、観たい観たくないという国民一人ひとりの価値観のレベルではない。政府が国民に知らせるべき内容の物である。その番組はペイ・パー・ビューと無縁である。政府がNHKにカネを払って放送させるべきものである。

当たり前のような現行制度も、表皮一枚を剥がしてみれば、当たり前でないことが分かる。今度の大災害は、もう一度、国営NHKのあり方を考え直す機会である。

震災日記 4月1日(続)原発 ドイツ人と日本人

福島原発の事故は敗戦以降最大の被害をもたらした津波によるものである。この津波は大地震による。こう言われれば、その通りだという以外に言葉はない。しかし、よくよく考えると、大小の大は比較の問題であることに気づく。

大地震と一口に言うが、「大」の程度は人によって差が出る。人の差は、その人が属する組織の差となる。被害に遭わなければ福島原発の関係者は、「大」を利用して、言い逃れはしなかった。

東京電力が、地震とそれに続く津波を全く考慮にいれないで、福島に原発を設置したはずがない。社内の担当部署、政府の原子力不安院や関係する役所、大学の教授、それに在野の原発賛成専門家と有識者、何百回と会議を開き、幾万ページもの資料を集め、何千ページの報告書を作成したにちがいない。

この報告書には二つの必須項目があった。

一つは、東電の原発設置による損得勘定で、損をしないということ。損得勘定だから、利益と費用の妥協点をどこに置くか、これである。設備投資をする工場、支店を設ける商社、どこでもやっていることである。

もう一つは、その場所の住民の了解が得られること。原発の危険をチェルノブイリ事故やスリーマイル島事故で知っている住民を懐柔しなければ、設置できない。成田空港のような具合には、私企業だからいかない。

この2点がクリアーされて初めて原発のゴーサインがでる。クリアーはハードルを超えることである。だからクリアーは、ハードルの高さをどれだけにするかで決まる。

私は、設置のための会議の大部分はこのハードル設定にあると思っている。ハードルさえ決まれば、後は、20世紀の建築技術が容易にフォローしてくれる。

ハードルは、手で触れない、眼に見えない。気象庁の地震予知役場なんか全然当てにできない。自分たちでハードルを設けなければならない。

これが「想定」である。この想定は結論が「ここに設置する原発は安全である」ことでなければならない。これに、前提を付けるわけにはいかない。例えば、「震度7までは安全である。震度8ではほとんど安全である。震度9はやや安全である」とやったら、大騒ぎになる。

100%の安全はどこにもない。原発だけに100%を求めるのは酷である。だから、受益者負担を籏に掲げ、新宿駅の隣りに原発は置けない。東京湾の真ん中に置けない。東京都民が反対するからだ。田舎と違って、カネをいくら積まれても、都民はOKしない。都庁も安全不安院の元締めである政府さえもOKしない。

事故が起きる度に、責任者は「想定外」を言い分けに使う。前にも書いたと思うが、想定内なら事故そのものが起きないのである。事故はすべて想定外である。雨が降っているから今日は晴れでない。これと同じ言い方である。

「想定外」は言い分けにはならない。日本人の大半は、今回の大地震だから東電や不安院の責任ばかりを追求できないと思うだろう。これは間違いである。甘やかしである。

今朝のラジオで、ドイツは原発行政を見直すと報じていた。見直すのは、安全性を高めるための措置などという付け焼き刃ではない。原発そのものを廃棄するか否かということである。原発があれば100%の安全は保証されない。なければ、当たり前の話だが100%安全である。

彼らの思考に、安全性向けの措置がないのは、「想定外」を正しく認識していることによる。日本は地震王国である、海に囲まれている、我がドイツは地震がない、海には一部面しているにすぎない、日本と事情が違う、よって、我が国の原発は安全である、なんて発想をしない。

ドイツ原発は、ドイツで起こり得る事故を想定して安全対策を施してある。今回の福島原発の事故を彼らドイツ人は、どこの国にも「想定外」がある、ドイツも例外ではない、これを教訓にした。

だから、原発反対の緑の党が躍進したのである。原発立地場所の役場や住民にどれほどのカネが落ちているか、私はドイツの事情を知らない。今朝のニュースでも、これに触れていなかった。それでいい。ゼニ・カネの次元の話ではないからだ。

地元民は地元の経済に貢献するといって原発を受け入れた。日本の選挙民はそれを支持する政治家を国会に送ってきた。理由はどうであれ受け入れたのは事実である。ドイツは、反対する側に回った。

私は、ドイツに組する者である。


震災日記 4月1日(金)22日目 晴れ 安否確認

オークションの結果を知るために開発センターにいくはずだった。9時前の約束では、彼のパソコンが忙しい最中で、また狂ったら大変と思い、止めた。

4千円では落札できないだろうし、落札できても、土・日が入る。送金は1週間のうちなら問題ない。月曜まで結果を待つ。

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安否確認
安否確認の電話が輻輳し、ケータイも、地震直後から数日間、ほとんど繋がらない状況だった。

親類・友人の無事を一刻も早く知りたい気持ちは分かる。親類・知人に無事であることを一刻も早く告げたい気持ちも分かる。

それの確認のために被災地に電話がまったく繋がらなくなった。これは問題である。

私が問題とするのは、安否確認ができないことではない。安否確認の電話によって、被災地の回線が輻輳することである。

私は、瓦礫の下で生き延びている人、屋根と床の僅かな隙間で生き延びている人、こういう人の中には、ケータイが普及した現在、携帯している人も多数いるはずだ。そのケータイから助けを求める。居場所を伝える。いつもの様な即接続とはいかないまでも、助けを求める電話をして、それが受けてもらえたら、あとは救助を待つだけ。何回も電話するものではない。同様の助けを必要としている人たちも、順次、繋がるに違いない。

私の住まいは圏外だから持っていないが、仮に私が瓦礫の間で呼吸して、ケータイの短縮キーを1回押すことで、外界と連絡がとれたとすれば、その時の安堵感はいかばかりか、想像に難くない。それができずに、何回押しても、ツー・ツー音。夜が来て朝が来て、また夜が来る。体力は次第に衰えてくる。最後の力を指に入れて、ケータイのキーを押す。それでも通話中。

この状況を、安否確認にやっきになっているケータイ利用者は想像したことがあるだろうか。私は、ゾッとする。

ケータイで小説や写真や音楽を楽しむのは結構。しかし、電話線がなくても緊急時に即時連絡ができるという携帯電話の最大の利便が、損なわれるのであれば、なんのためのケータイかということになる。

無論、ケータイが悪いのではない。ケータイの利点を使えないようにしてしまった安否確認という緊急性の希薄な通話が悪いのである。

石巻では、9日目かに老婆と少年の二人が助かったという。ケータイで連絡が取れれば、7日目であれば、4人かもしれない。5日目だったら20人かもしれない。震災直後の1日目だったら千人を超えたかもしれない。

救助されるはずの人の数を、私は「かもしれない」という言い方しかできない。しかし、ケータイが使えたならば、助けられた人がいたということだけは、確信している。

安否確認。生きていれば、後でゆっくり無事を伝えればいいこと、後で無事を確かめればいいこと、それだけのことである。死んでいれば、生き返らない。後も先もないのである。

安否確認は、外部と連絡できることで生き延びるかもしれないの人たちのために、控えなければならない。


震災日記 3月31日(木) 21日目 曇り 義援金

どんよりした曇空。こういう時は、「自宅待機」で、家の中の整理がやりやすい。快晴では、屋内にいるのがもったいないのだ。

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義捐金
例によって、義捐金や募金活動が始まった。どこそこからは幾ら、どこそこからは幾らと、繰り返しニュースで流れる。

被災地の住民としては、感謝すべき事ではあるが、肝心のどこそこが一向にニュースになっていない。

「どこそこ」の1.
政党助成金である。年間幾らかは忘れたが、百億円の単位で民主党や自民党に配られているはずだ。国会議員が国会で決めたこの助成金、濡れ手に粟というべきか、タナボタというべきか、まことしやかな理屈をつけて、ガッポリ懐にねじ込んでいる。

どこそこの団体が百万円集めました、5百万円集めました、こういう美談で政治家の「自分ヲ勘定ニイレズ」を放っておいてはいけない。貧者の一灯を美談にする前に、ウハウハ政治家のサイフから、億単位のタナボタ政党助成金を強制的に義捐させよう。

日本共産党は、受けとっていない。それでも、政党として存在している。軍資金集めは大変だろう。受け取っている政党は、横着者である。いや、たかり屋である。

「どこそこ」の2.
裁判員制度に賛成の挙手をした者、全員からである。この制度が史上(法制史ではない、全歴史である)一二を争う悪法であることは、これまで繰り返して言ってきた。これに費やされた百億円単位の金。この際、全額、義捐金にしてもらう。私が義捐というのは、少しは彼らに花を持たせたいからで、本音は、「ドブに捨てたカネを返せ」と叫びたい気分である。

仕事を国民に回したくせに俸給が減らない最高裁判事以下裁判所、法案作りに精を出しPR文面作りに加担した法務省官僚、そして、賛成した弁護士グループ。黙っていれば、一銭の義捐金だってださない連中だ。最高裁判事の半年ごとのボーナス百万円さえためらう連中だ。こういう連中は、言われるまではダンマリを決める。納税者は、街の声を爆発させて、義捐金を出させよう。

聞けば、今回の大災害のために、赤字国債の増発も「選択肢から排除しない」という。いかにも霞が関役人という言い回しだ。赤字国債を国会審議に付す前に、政党助成金や裁判員制度を賛成多数で否決・撤廃をすることだ。

震災日記 3月30日(水) 20日目

8:40 開発センター。配達リストに載っていないので、今日のボランティアは留守番役。しばらくしたら、誘いがあった。Jさんに同行して、物資を配給する。12時に戻る。

昼食、熱い麺を食べて、今日はお終い。

Eさんから私宛のメールを受け取る。プリントアウトしてくれた。

揚水ポンプのオークション応札を頼む。

Lさん仙台から戻る。プリペイド・ケータイは本人でなければ再登録不可とのこと。防錆剤5-56が280円。こんなに安かったか。早速つれづれ丸のエンジンに存分振りまく。エンジンカバーの内側は塩をかぶっていなかった。

夜は、中国映画「變臉王」を観る。

子役が出色である。スチルのラストシーンがまた素晴らしい。カメラマンの力量だ。日本版は、「その手に櫂を寄せて」である。あまりにも高価なので、香港から取り寄せた。日本語の字幕はない。英語と旧体字の中国語だけだ。BS録画でなんども観ていたので、字幕はいらない。

却って目障りだ。負け惜しみに苦笑する。

(3日に一度の給水。2リットルのペット・ボトル持参で馳せ参じる。配る側も島民だ)
s-3.17水の配給

震災日記 3月29日(続) 軍人でないアメリカ人

昨夜9時のラジオニュース:アメリカ軍の支援の話、一色。

なんとか作戦とかで、空母まで日本に向かったという。津波被害の状況も原発汚染の対策も、ニュースにしていない。さすが、AHK(アメリカ放送協会)だ。感謝カンゲキ雨アラレ・・・がアナウンサーの言葉のはしはしから感じ取れる。

支援はありがたい。アメリカの民間組織なら確かに感謝するが、しかし、それが軍隊の派遣によるとなると、事情は少し違ってくる。

外国の軍隊の派遣を要請するのは、独立国家であれば、最後の最後の手立てである。外国の軍隊が来る位なら、苦しくても、なんとか自分たちで立ち直るという姿勢を保つものだ。周りから、あれだけ貧乏なのに援助を受けないとは傲慢な、というような陰口がでるかもしれない。

しかし、独立国家は、苦しいからとか貧乏だからとかの理由で外国軍隊の自国駐在を認めるようなことはない。

日本政府がアメリカ軍の支援に感謝カンゲキ雨アラレはいいだろう。それをNHKが宣伝するのも驚くようなことではない。

ただ一つ。このアメリカ軍の支援と沖縄普天間基地の問題は全く別物である。

私が感謝するのは、駆けつけてくれた丸腰のアメリカ青壮年2万人に向かってである。自動小銃とミサイルを携えた米軍兵士に対してではない。

日本国民は政府やAHK(=NHK)からの風評被害に遭わないように、「冷静に事態の推移を見守らなければならない」(政府発表調)

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