老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

雨の降る日は悲しいブログ

今年は、例年になく、雪の日が多かった。二日と続かないから、三日も経てば、元の景色に戻る。

15年前は、こんなものではなかった。降り止むと、あくる日は、隣の主人と雪かきをやったものである。自分の敷地は300坪でも、大通りまでの百メートルは二人でやらなければならなかった。

四駆のジムニーはよく活躍してくれた。

最近は、異常気象のおかげで、ほとんど雨である。

雨の日は、ヤギとイヌの散歩は中止する。ヤギは勝手にわがビオトープや裏山に出向いて自分で食べる。温暖な島ゆえ、家の周りは常緑樹と真竹だらけ。エサに困らない。イヌは、寝たきりドッグである。

ヒトはといえば、私を指しているが、尺八の稽古とネット碁である。尺八は腕が痛くなるので、1時間が限度。それに対して、碁は、何時間でもやってしまう。体と頭に大変良くない。自分で承知していても、勝負事は始めたら、止まらない。

孔子様も兼好さんも、博打(囲碁)は悪いと書いている。孔子様が碁好きであったかどうかは知らないが、兼好さんは、絶対に碁気狂(ごきち)であると私は確信している。

徒然草は書きたい、しかし、碁も打ちたい。こんなハムレット気分を味わいながら、一生を終えたのである。

朝から晩まで、いやいや、負けが込んでくると、ローソクか何かのもとで、深夜まで打っていた。これではいけないと反省して、硯と筆を取り出した。これが徒然草になったのである。

彼は、ヤギもイヌもネコも鶏も飼っていなかった。鶏は飼っていたかもしれないが、下男下女が鶏肉にしてくれた。そういうヒマ人だから、ヒマ人が集まってくる。

私のこのブログ、なんとか碁の時間を減らさなければ、「体と頭」がもたない、この自覚からの苦肉の策によるものである。

読み手の事は意識していない。まことに申し訳ないと思っている。

付:
最近、気がついたのですが、ネコは雨をヒトのせいにしていますね。雨の日には、晴れにしてくれと、独特の言い回しで文句を私に言うのです。

0226リッキー

消費刺激策 決め手欠く 変わらぬ不況

これは昨年12月24日の記事である。

60日を経た今、まだ、消費者物価指数は下降のままでいる。

政府は、高速料金の割引、定額給付金、エコポイント、エコカー減税など様々な景気刺激策を打ち出した。

このような刺激策は、需要の先取りと配分の作為的変更であると、あざけっていた私だから、つい、「話が違うではないか」と政府につっかかりたくなる。

少し前の日、日本の広告が大幅に減少したというニュースがあった。昔は、都市銀行や信託銀行、酒・食料・化粧品、家電、ほとんどすべての業界の広告が新聞を賑わしていた。今の新聞は、格安海外旅行、お試しセットの健康食品、車の広告で一杯だ。完全に様変わりをしている。

読売だけかと思ったら、朝日も同じである。先日など、格安海外旅行の広告が逆さまに印刷されていて、驚いた。誤字・脱字がない新聞で、なんで逆さまになっているのか。切り取って、綴じてお使いくださいということであった。旅行会社がイタリア往復4万円(しかも宿泊込み!)で大儲けできるわけがないから、新聞社が手にする広告料なぞ、スズメの涙であろう。それが、全紙で数ページにわたる。まさに様変わりである。

デフレすなわち不況。不況すなわち日本国の不幸。日本国の不幸すなわち日本人の不幸。

金がなくて払えないのではない、もはや、積極的に買いたいものがなくなっているのである。これは、嘆くどころか、「資本主義、よくぞここまで頑張った」と喝采しなければならない世の中になったのである。

景気対策だけでは、この悪い状況は終わらない。将来への不安を取り除くことができない限り、消費に金がまわらない、これが凡庸なエコノミストの考える全てである。

優れたエコノミストは、そうは考えない。デフレ・スパイラス、これはお隣中国に低賃金のため、不可避である。消費低迷、これは、日本人の大多数が、生活にゆとりができた証しである。この2点を与件として、政府に経済政策を提言しなければいけない。

菅直人大臣が、インフレ転換を期待するような発言をしたらしいが、ピント外れもいいとこだ。

将来への不安ではない。借金の返済に困る者が、今の今、不安になっているだけなのである。

新聞記事の小見出し、「変わらぬ不況 必要な包括的政策」は、新聞社の実感であろうが、正しい捉え方とは言えない。

政府は、借金を勧めて、物を買わせるような政策は絶対に行ってはならない。ローンを組みやすくする制度など、政府は大いに反省し、大麻取締法で禁止しなければならない。それほど、悪である。

付の1.
繰り返しになっています。相手が繰り返すから、仕方がありません。ご勘弁を。

付の2。
ご苦労様と労をねぎらって、お引き取り願う時代にきているのです。キャピタリズム先生様。

付の3.
読売新聞2009年12月24日

鳩山総理の狭量(4) 差別と朝鮮人学校無償化

私はSolamente Una Vez、ただ一度だけファースト・クラスに乗った。

成田からロス。長旅である。

これは自分の意志によるものでも、自分の財布によるものでもない。何かの手違いで、エコノミー・クラスがオーバー・ブッキングされて、ひとりだけファースト・クラスに移さなければならないという、航空会社に事情によるものである。

普通車からグリーン車に移るときのような、差額は請求されなかった。よもやとは思っていたが、一応確かめた。

周りは成金や外務省外郭団体の理事のような貧相な人間ばかりである。こいつら、みんな、自腹でファースト・クラスに乗ってはいまい、内心軽蔑したが、自分も同じ立場であることに気づいて苦笑したものだ。

ジャンボ機のアッパーは快適である。エコノミーでも団体専用の狭い座席、座席が狭ければ、間隔も狭いのだが、しばしば小錦級と魁皇級に挟まれる。そんな経験ばかりだった私には、天国と地獄である。

スチュアーデスの応対も格段の差がある。団体席は60キロの荷物である。日ごろの善行は、こういう思わぬ所で報われると、ハッピーであった。

そうこうしているうちに、機内食の時間がきた。密室での食物の香りは、動物本能に訴えるものがある。私の前をどんどん食事が運ばれる。動物本能丸出しで、どんな食事がつい見てしまった。まったく違うのである。団体食が仙台駅の構内そば屋とすれば、ファースト・クラスの食事は、椿山荘である。

最後の番になって、私の所に来たのは、“なんと”仙台駅のそば屋であった。周りのいい香りは密室だからなかなか逃げない。もともと私の嗅覚は人一倍敏感だから、自分のテーブルに置かれた食事を彼らの食事からかもしだしている芳香の下で取ることになった。

私が、ロスまで、どんな気分でいたかは想像できるはずだ。

然り。目の前で差別をあからさまに受けると、それがどれほど合理的なものであっても、人は我慢がならないのである。合理的とは、この場では、団体チケットで乗った私が、団体食を与えられることを言う。

鳩山総理は、こういう経験がないのではないか。朝鮮人学校に無償化を適用しないとする理由は、いくらでも言い出せる。この理由がいかに合理的、かつ説得力があるものであっても、人間としてやってはならないのである。社会としてやってはならないのである。

朝鮮人学校の高校生、親に、「どうして、うちは無償にならないの」と聞く。親は、なんと答えるか。鳩山総理よ、想像できるか。

将軍様の勅令で日本に上陸した親はいない。何十年とつましく生活している朝鮮人の親が、自分の子供の教育費が負担にならなくなると期待している。それをぶち壊して何が友愛だ。

日ごろ、イエス・キリスト顔負けで友愛を惜しげもなく、恥ずかしげもなく国民に説いている鳩山総理。

知らなければ教えて進ぜよう。悪に悪を報いるな。自分の好みにあう相手を厚くするのは、バカでもできる、自分の嫌いな相手に善意を示す、これが真の愛である、こうイエス様は語っている。

悪いことはいわない。日本全土に、無償化をするのであれば、無条件に無償化することだ。

付の1。
「食い物の怨みは恐ろしい」食い物の怨みを知らないで政治をするのは、一層、恐ろしいことです。

付の2。
よほど、この航空会社、名前を出して、30年前の怨念を晴らしてやろうかと思いましたが、すでに「社会的制裁」を受けているようなので、やめました。

付の3。
「日本人の狭量」にせず「鳩山総理の狭量」にしたのは、これから日本人の狭量をブログに続ける予定があるからです。

付の4。
もともと、高校無償化政策がとんでもない間違いです。いずれ、撤廃しなければなりません。こんな無策の策は、最初からあってはならなかったのです。

付の5。
朝鮮の政府がどうであれ、やるべきことはやらなければいけません。日本の愛国者の一部が、在日朝鮮人は洗脳されているというのでしたら、尚の事、公平な扱いが求められます。

補:
「なんと」の正しい使い方のお手本を示しました。

0226モモ

鳩山総理の狭量(3) 納税と朝鮮人学校無償化

右翼思想家と言う言葉は、消滅したのだろうか。最近、耳にしない。右翼とレッテルを貼る態度そのものが悪いことだったから、消滅したのなら結構なことだ。

それに代わったのかどうかは分からないが、最近、やたらに国益優先の愛国思想家が目に映る。

この人たちに言わせると、日本に敵対するような思想を教育している朝鮮人学校に我が国の税金を使うなどもってのほかであるということになる。

これはおかしい。

在日朝鮮人が、スーパーで買い物するとき、消費税5%が免除されているか。プロのスポーツ選手、歌手など、日本で稼いだ金は課税対象になっていないか。普通の朝鮮人が日本で普通に働いた時、所得税は減免されているのか。

多分、日本人以上にきちんと払っていると思う。いい加減な態度をして、問題にならないように、普通の日本人以上に神経を使っていると思う。

年に4兆円もの税金を軍隊保持に使う日本。朝鮮人学校の高校生に用意する金など、どこからでも出せるはずだ。

鳩山総理の狭量(2) 朝鮮人学校の教育

鳩山総理は、朝鮮人学校の教育内容が不明であるから、無償化の対象にするのは、一考を要するというようなことを言っていた。

朝鮮人学校に限らず、どんな学校でも、その教育内容やカリキュラムは自由でなければいけない。国家権力が干渉するとどういう人間が育つか、とくと考えよ。

昭和の大日本帝国、紅衛兵時代の中国、現在の朝鮮。

国家が干渉する教育なら、「野放し」の教育の方が、ずっとましである。はるかに健全で良好である。

朝鮮人学校の校庭で、鳩山総理の藁人形を軍事教練として竹槍で突いてもいいではないか。「偉大なり、将軍さま」と毎朝、朝礼で斉唱してもいいではないか。

これが、地下鉄のホームや山手線の車内でやった時、初めて問題として取り上げればいいのだ。

朝鮮人学校の思想面での教育内容は、普通の日本人であれば、大体想像がつく。鳩山総理ならなおのこと。

今さら、教育内容云々はない。

鳩山総理の狭量(1) 高校無償化と朝鮮人学校

昼のニュースで、無償化の恩恵から朝鮮人学校を除外することになるかも知れないと鳩山総理が言っていた。

無償化はマニフェストに掲げられていた。それを可とする有権者の賛同を得て、政権が獲得された。民主党は「奪取」と言っていたが、自分たちが、力ずくで「奪い取った」のはない。

このマニフェストに、対象について限定条件が明記されていたか。

少し前、年収1千万以上は対象外と言ってみたり、いや2千万以上だと言っていたが、政権の座に就いて、実行できる段階にきて、制限を考慮にいれるなど、とんでもない詐欺行為である。

「私どもの会員になっていただければ、あなたの拠出金は1年後に倍になります」こういう勧誘がある。私がポケットマネー、1億円を払う。1年後になって、2億円になって戻ってくると思いきや、「倍になる人は10万人にひとりです。会員全員のお金が倍になるとは言っていません」、「あなたはそのひとりではありません。ハイ」

これと同じことをやろうとしたのだ。年収制限は実施されなかったが、今度は、生身の人間を差別しようというのである。

こうなったら鳩山総理は政治家以前に人間として失格だ。失格が失礼なら、マルチ商法の親分に転職することを、私は彼に勧める。

これは、無論、冗談である。

マニフェストは、どんなことがあっても、守らなければいけない。守って4年後に審判を仰ぐ。

これを、重ねて言いたいのである。

プリウス(続々) 難しい再現実験 自動車をスリムにしよう

数回にわたってのこのブログ、プリント基板の信頼性がそれほど高くないことを言いたかったのである。

こんな報道が、今日のネットにでていた。

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    焦点の電子制御スロットル・システム(ETCS)について、豊田社長は「安全第一のコンセプトで設計している」と強調。これまでの調査の結果、「設計上の問題はないと確信している」と繰り返し言明した。一方で、公開の場でこの問題を検証し、一日も早く顧客が安心できるようにしたいとの意向を示した。

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安全第一のコンセプトで設計がなされているという表現は、誤解を招く。安全第一でもあり、品質第一でもあり、価格第一でもあり、デザイン第一でもある。売れなければ、話しにならないから、諸々の要素の妥協で製品化されているはず。安全第一だからといって、運転手の安全のために、装甲車のドアはつけないし、通行人の安全のためとして、最高時速を4キロに抑えない。

まあ、「第一」は語呂の関係であると大目に見ることにして、この社長の根本的な誤りは、「設計上の問題はない」という過信である。前に言ったように、電子機器の信頼性試験は所詮、実験室のチェンバーという擬似環境での信頼性にしか過ぎない。

電子制御の導入前は、アクセルもブレーキも人間の足による機械的動作であったから、バネが切れたり、しゅう動部の潤滑油がきれたりしない限り、問題の生じる余地はなかった。寒かろうが暑かろうが、カラカラ天気であろうがジメジメ天気であろうが、アクセルを踏めは、加速されるし、ブレーキを踏めば減速された。

それを、ハイテックと称して、足の動作を一度電気回路を迂回させることにした。電気回路は電子部品とプリント基板で構成されているから、環境から影響を受ける。

設計が想定している使用環境と現実の環境の違いなど、あるのが当たり前。

公開の場で検証するという。
本当にできるのだろうか。

「問題がある」。これを検証するのは、簡単である。一つの問題を示せば十分だからだ。

「問題はない」。「ない」ことを示すことはできない。「ない」から「ない」のであって、検証できるのなら、「ある」になる。自己撞着である。

一万歩ゆずって、公開で検証できたとしても、ユーザーが経験した「問題」は、一向に消えないのだ。現実に起きているから、これも当然である。

話は、またそれるが、クレームは、あちこちで発生した方が、品管(品質管理)や技術にはありがたいのである。問題が生じた環境の共通点を探し出しやすく、その環境を自分の実験室に設定し、問題を再現させる。再現できれば、あとの設計変更はいとも簡単である。やっかいなのは、稀の上に稀が重なるクレームである。どのような条件で問題が発生したのか、ユーザーからいくら聞いても、要領はえられない。そこで、自分たちが、再現することになる。

これが、できないのである。1000万回に1回起きるかおきないかの不具合は実験室でいくらやっても再現しない。再現しなければ、原因究明ができない。

それを、公開の場で検証してみせるという。できるはずがないと考えている私は、トヨタがどのように行うのか、興味津々である。

最近の車は、あまりにも電子機器に頼りすぎている。

・メーターは針で示せばいい。
・窓は手で回して開け閉めすればいい。
・オートマはいらない。
・GPSを使わなければ道が分からない遠い土地に行くなら、電車に乗ればいい。
・燃費を向上させたければ、シトロエンC2Vのようなブリキでつくればいい。エンジンは360CCで十分だ。

大昔なんか、方向指示器も、ワイアー連動で、運転手が手動でパタンと挙げ、パタンと下ろしたものだ。これは、さすがに行き過ぎ(戻り過ぎ)だが。

新語 erliuzi氏の寄稿

同病相憐れむーで、新語に困惑する状況よくわかります。

ただ、漢字を導入した上古の時代からこのかた、受け入れては改良してきた歴史からみて、受け入れがやむことはまずないでしょう。

韓国の数学者にして日本文化に造詣の深い金容雲先生によると、対外交流を閉じるか限定した時代に<日本文化>は発達した由。

遣唐使廃止・室町時代・江戸時代。ウーム、なるほど。ただ、もう<鎖国>はできませんね。

ならば、音韻を正しく表せないカタカナに代えていっそ原語をそのまま使いますか。しかし、アラフォーなんて和製ですから<arafour>にはならないでしょう。nonsenseですね。

プリウス(続) トヨタの対応

ぬかるみにはまって動きの取れないトヨタの車。

その根本は、クレームに対する初期対応のまずさにあると私は思っている。

アメリカから、苦情がアメリカのトヨタに入る。最初は当然1件である。販売台数から見て、大勢に影響がないと考える。販売台数が増加するにつれ、同様の苦情が入る。アメリカから日本の本社に連絡が入る。営業から品質管理部門に回る。技術部門に問い合せる。「十分テストしたのだから問題が起きるはずがない」こうだったのではないか。

技術部門には、自信過剰症候群のような病人が必ず何人かいる。品管で止まれば、製造過程に問題がある、工場長を締め上げよ、部品に問題がある、納入業者を叱り飛ばせ、これで自分は安泰である。

しかし、設計自体に問題があるとなると、身の危険を感じる。数件の苦情で、しかも海外(これは日本の技術者にとって二流・三流顧客である)からの苦情、そんなのもに、「いや、私ども技術部の落ち度でした。申し訳けありません」など、口が裂けても言えない。言わない。

バカ売れが続けば、おとなしいユーザーばかりではない、何かにつけ文句をつけたがる一言居士(私ではない)のユーザーもでてくる。彼または彼女が、運転中にヒヤリとする。苦情が、クレームに脱皮する瞬間である。

PL法が日本で施行されたときは、すでに部品メーカーから製品メーカーに転職していた。PL法の解説を法務部から聞かされた。アメリカでどういう使われ方をするか日本で想像したり仮定したりすることは困難である。問題は起きるものということを前提にして商売しなければならない。

水掛け論になったら、アメリカ市場を手放す気がなければ、日本に勝ち目はない。だから、第一報が入って来たときに、直ちに「もみ消す」ようにしなければならない。

こんな内容だった。

技術部員は、プライドだけは数人前である。彼らの言うことは、政治で言えば、世論である。崇めて言う通りにしていると、とんでもない結末がやってくる。

付の1。
想像に任せて、気楽に書いたものですから、適当に読むだけにしてください。

付の2。
プリウスはトヨタの代名詞として使っています。アメリカの車種は、知りません。

付の3。
最後の行の「世論」論は付け足しです。

付の4。
トヨタの社長が手ブラでアメリカにいくわけがありません。お土産は、社会奉仕基金のようなものでしょうか。びっくりするような金額だと思います。お楽しみに。どうせ、エコ・ポイントで税金から手にしたお金、トヨタさん、惜しくありません。悪銭身につかず。でも、税金が悪銭よわばりされるのですから、たまったものではありません。Easy come、easy go!

0223メリー

プリウス 急加速

ブレーキの問題だとばかり思っていたが、アクセルにも問題があるとニュースで流れた。

運転している時に、急に運転手の意志に関係なく加速されるというのだ。これはアメリカのユーザーの発言。

トヨタは、そんな設計はしていない、万が一でも、二重・三重に対策が施されている、とこれはトヨタの発言。

ここからは、電子部品メーカーで技術開発に当たっていた当時の私の経験である。

電気製品に配線は欠かせない。真空管時代は、被膜電線でそれぞれの電子部品をつなげていた。しばらくして、プリント配線板が開発され、あっという間に、被膜電線を駆逐してしまった。電線はプリント配線板が不都合な個所でしか使われていない。

このプリント配線板(プリント基板とも言う)は、製品の小型軽量化の要求から、どんどん高密度化していった。

高密度化は、伝導部(銅)を細くすることと、伝導部の隣接する間隔(絶縁樹脂)を狭くすることで可能となる。

この分野の技術開発は、ほとんどこれである。

開発したサンプルを作る。それの性能テストが続く。初期の数値が満足するものでなければ、最初からやり直す。

何回か作り直して、OKとなれば、次は信頼性試験である。耐候性試験とも言われるように、環境試験である。

これが、問題を起こす。

製品は、一応、7年~8年の使用を想定する。この間に、不具合や故障が起きると、クレームとなるか、ならないまでも、「あのメーカーの品は壊れやすい」との悪評が立つ。それだから、個々の部品も最低でも7年~8年の寿命が保障されなければならない。

新製品の開発は、毎年行う。部品の信頼性試験に与えられる時間は、長くて240時間(10日)。短いものでは48時間(2日)である。この間に8年間の使用をシミュレートするのである。

塩素ガス噴霧の環境、硫化ガス噴霧の環境、高温と低温、高湿と乾燥、単一と複合、急激な変化と緩慢な変化、こういう試験がプログラムされた試験槽にサンプルを入れる。

後は、結果を待つだけ。新聞を読もうが、昼寝しようが、技術雑誌を読もうが、部内で雑談を続けても、だれも文句は言わない。

時間が過ぎて、再度、数値を測る。ガタガタに落ちている。これでは、使い物にならない。また、すったもんだしながら、新しいサンプル作成に取り掛かる。このダメになったときは、問題にならない。世にでないのだから、当然である。

若干の劣化はあって当然、しかし、許容の範囲内(スペック内)である。やっと量産に入れる。めでたし、めでたし。しばらくは、遊んで暮らせる。であるが、これが問題になるのだ。

環境試験はJISで規定されている。JIS規格は遵守するとしても、規格自体が甘いから、普通、メーカーでは独自の一段厳しい環境試験を行う。

条件を厳しくといっても、例えば高温を10℃上げる、低温を10℃下げる、環境変化勾配を急にする、などで、時間を長くすることはまずしない。240時間を720時間にすることはない。

なにを言いたいかというと、実際に使われる環境で試験は行われないということである。あくまでも、モデル・ケースのサンプル試験なのだ。だから、「予期せぬ出来事」は必ず起こる。

車でいえば、海岸を走る、炎天下、温泉に行く。途中大雨が降る、雹が降ってきた、雷が近くに落ちた。こんな環境試験は行っていない。運転だって、トヨタの社員のレベルと知識を備えた運転手が走らせるとはかぎらない。

家電でいえば、無喫煙室でエアコンにより春夏秋冬、ほぼ室温と相対湿度が一定であるような、使う人も、毎日決まった時刻に決まった時間を使う、こういう所に家電製品すべてが行くとはかぎらない。

冬は零下3℃。夏は過ごしやすいというので、ネズミやゴキブリが家電製品の周りをうろついて、糞をする。アリは換気グリルから入り込む。イヌの毛は製品の中で積もる。何ヶ月も使わないと思えば、ある時には、朝から夜中までつけ通す。

実際の使われ方は、一つとして環境試験と同一はない。

そうであるから、ユーザーから、「突然急発進した」と言われて、「二重・三重に対策が施されている」と一応は返答するが、その対策自体が、すべての環境条件下で性能試験を通ったわけではないから、「車に問題はない」と断言できないのである。

ユーザーは実際に経験した。「問題がない」と言われて、「ああ、そうなの」と了解するはずがない。映画「評決」のポール・ニューマンがアメリカではうようよしている。

バカ売れしなければ、絶対値が小さいので、問題にならなかったが、売れに売れたので、普通の運転では起きない状況が、数件、数十件となる。

トヨタは社長が説明するという。説明して納得する相手ではないこと位、トヨタの法務部は知っていたはずだ。

そう、プリウスの問題は、技術の問題ではなく、法務の問題なのである。

付の1。
映画「評決」の悪徳弁護士P.ニューマン、最後にはヒューマン弁護士になっています。

付の2。
一昔前の物語ですから、事情はだいぶ違っているでしょう。プリウス問題で、トヨタの技術部員が責められるとすれば、お門違いというものです。

昭和は遠くなりにけり 言葉で知れる

似たような服装をした、似たような顔つきの人の群れ。この人たち全員が居眠りをしている間は、私は自分が異国の地にいることに気がつかない。その中の一人が一言でも言葉を発したら、瞬時に、自分が日本にいないことを覚る。

時代も同じではないか。

・ セレブ
だいぶ前から耳にしている。初めて聞いたときには、さっぱりわからなかったが、最近、どうやら成金の意味であるらしいとわかった。

・ アラフォー
「あらえっささ」、「あらそー」。アラに結びついた言葉は、この程度しか知らない。ラジオできいてもテレビを見ても、想像力抜群の私でも、この両方では意味が通じない。

・ シュウカツ
高校生や大学生がニュースの中で言っている。カツには、「とんかつ」しか連想できない。シュウは、今週、来週の週だ。トンカツでは意味が取れないので、週を頭において、漢字博士になろうと努めてみた。だめである。

・ AKB48
ソ連時代の自動小銃である名機AK47別名カラシニコフの改良機が中国や朝鮮で製造され始めたかと思った。それならば、AK48でいいものを、とここまでの思考で先はない。

・ アバター
「あばたもえくぼ」差別語かなにかしらないが、アバターとなんでタを伸ばしたのかわからなかった。売上高更新の映画の題名だそうだ。内容はあばたに無関係らしい。

新聞のおかげで、上にあげた5つのすべての真の意味がわかった。コンカツまで私の知るところとなった。

今は、この程度だからどうにかこうにかついていけるが、この先どんな新語がでてくるやら、追いつける自信はない。

私の時代は終わった。

付の1。
私の時代の「の」は所有の「の」ではありません。所属の「の」です。いくらなんでも時代を自分のものにするほど厚かましくありません。

付の2。
今日1日に私が発した日本語は、散歩に出掛けるとき犬に向けた、「行くか」、帰るときの、「帰るか」この2語だけです。人に逢わないから、挨拶程度の日本語さえ聞きません。居留守電だから、1年で2倍になる儲け話の日本語も聞きません。周りはボケを心配してくれています。

付の3。
漢字制限より新語制限したらいかが。近頃はやりの「地球にやさしい」と「エコ」、聞いても、見ても、イライラしてきます。

0221ホンダ




プリウス あだ花の狂い咲き

私は、現場主義者である。また、少数尊重主義者である。別の名がアマノジャクである、これは、自称ではない。

トヨタがすったもんだしている。これに私は同情するものである。

ハイブリッドカーの蓄電は、どこから来るのか。定速走行時に、蓄電しても、エネルギー不変の法則で、ゼロサムである。変換過程で若干の損失が生じるから、蓄電が必要な程度まで下がらなければ、作動しない。

蓄電は、ブレーキ動作による。従来の車は、ブレーキ・パッドの所で、熱エネルギーに変換されて止まる。昔は、「キーッ、キーッ」と音にエネルギーの一部を変換させた物もあったが、今時、そんな車はない。

慣性モーメントを蓄電する。理想的な蓄電は、運転者がブレーキをかける。すると、すべてのエネルギーが蓄電に使われる、これである。熱エネルギーに替えないのだから、ブレーキ・パッドはない。蓄電によって慣性モーメントがゼロになるまで、ノロノロ惰性で走ることになる。その代わり、道路上は追突だらけになる。

ブレーキ・パッド並に一気に変換したければ、恐ろしいほどの大きさと重さの発電機を搭載しなければならない。

出来る限り制動エネルギーは蓄電に回したい、さりとて、大きさ、重さからの制限がある。

この二つに加えて、運転手という人間も考慮に入れる必要がある。

さあ、困った。

燃費をよくしなければ、エコ・カーの名折れ、販売競争にも勝てない。と言って、ブレーキを充電に回しすぎては、追突続出となる。

そこで、トヨタの技術陣は、ブレーキの際、どこまでタイム・ラグが許されるか、これに掛かりっ切りになっていた。タイム・ラグは感性の問題である。

この感性という問題が、技術者にとってもっとも頭の痛い問題なのだ。ある人にとって許容の範囲であっても、別の人にとっては耐えられない程度であるという事であるから、最後には統計的手法によらざるを得なくなる。

そして、鳴り物入りの新車発表である。国が何十万円かご祝儀を付けたものだから、バカ売れだ。

この後は、ニュースの通りである。「ブレーキの効きが遅い、危険だ」である。

統計的手法によって設定されたのだから、売れれば売れるほど、3σの外側の運転手の絶対値が増加する。不満が起きて、追突でも起こせば、欠陥車扱いとなる。現に、なっている。従来型のブレーキになじんでいる運転者が乗り換えるのだから当然である。何年後かプリウスから同じタイプのハイブリッドカーに乗り換える時には、このような不満は起きない。慣れているからだ。

トヨタの技術陣は、決して手抜きをしたのではない。トヨタの経営陣が驕った結果でもない。

ハイブリッドカーが、あたかも地球環境によい車であるかのように錯覚させて、国庫から補助金を付けて、買い替えを煽って、景気浮揚にうつつを抜かした政策がもたらした報いである。

大きな車に奨励金を付けることは、悪である。小さな車がその数だけ売れないからである。

トヨタの社長が、アメリカでなんと詫びようが、エコ・カー減税の本質が、補助金・助成金のあだ花であることに変化はない。

この事件、リコール騒動のレベルに落として百家争鳴すれば、あだ花は、ますます狂い咲きをする。

付の1。
感性は本当に技術者泣かせです。皆さんのリモコン、大昔は金メッキのキー接点でした。それをカーボン・ペーストに替えようとしたのが、某部品メーカーで技術開発を担当していた一人。私こと小国寡民でした。ご存知、金は電導率が高い、カーボンは低い。キーを押して、即座に反応する金メッキを安価なカーボンに置き換えようと深夜まで励んだものです。最大の難関が電子ピアノ用の鍵盤。道路方向指示標識がすべて、カーボン基板のパターンに見えて、車の運転が怖くなりました。そんな我が身の上ですから、技術上の問題と世間が騒ぐと、つい、トヨタの技術者、品質管理者に同情してしまうのであります。

付の2。
蓄電、充電、用語は適当に使っています。エコ減税の不当性が本論であることを分かっていただければ、それでいいのです。回生ブレーキという言葉は、JAF Mate 2010年3月号で知りました。

付の3。
今回の対策で、燃費は悪くなるはずです。まあ、この対応が、技術者の喫緊の課題となっているでしょうが。

通訳のこと  erliuzi氏の寄稿

「迷惑」を含む田中スピーチを通訳したのはわれらの同学同班O氏です。

こちらがbo/po/mo/foなんて発音練習をしているころ、「帰国子女」の彼は中国人講師とダベっていました。

「実は」、あの訳語は事前に外務省が選択して決定していたものです。

そういう意味で、通訳個人の誤訳ではありません。

深い謝罪の意味を込めた表現を使うと賠償問題につながってしまうーと外務省首脳は懸念したのでしょう。

「迷惑」と「麻煩(マーファン)」 日本外務省の策謀

昭和報道の続編である。

人の品性は、瀬戸際に立った時に確認できる。日ごろ、カッコいい事を言っている人間がとてつもない俗物であることが露見するのも、何かで追い詰められた時である。

朝日新聞社長と特派員との話で、大学が品格の養成に無関係であることが証明された。人間の品格は、義務教育までに形成される。学歴が就職に有利であるような現在の日本社会を改めることが先決である。

それはそれとして、ブログにした後、なんとなくスッキリしないのだ。こういう時は、書いたブログのどこかに不自然な個所があるもの。

一夜明けた今、「迷惑」が引っ掛かっていた事が分かった。

先ず、田中角栄が自分で演説の文章を書かないだろうということ。日本語草稿は外務省によるもので、田中角栄は、一見しただけで「諾」を与えた。もともと彼は、コミュニケや宣言などを重要視していない。会見では雰囲気がすべてであり、彼は雰囲気作りの天才であることを自負していた。

それが分かっている外務省内の有力日中戦争無反省謝罪不要派のこと、出来る限り妨害工作をしようと企んでいたから、あまたある謝罪関連日本語を避けることにした。

「迷惑」はかくしてひのき舞台に立つことになった。

この日本国民向けに「迷惑」さえ使えば、あとは中国語訳などどうでも良かったのである。と言っても、「迷惑」以上に深刻な表現に訳されては、困る。「損害」・「侵略」など外務省にとって絶対に使ってはならない中国語(日本語と同じ意味)である。

結果として、翻訳・通訳から上がってきた「麻煩」を「諾」とした。外務省幹部は、一応「麻煩」の意味を確かめたが、なんら格式のない日常会話用語であることを知って、安堵したというわけである。

この一件、言葉の問題でもアドリブの問題でもない。

日本外務省の策謀であったのだ。

付の1。
ヘベレケ会見の大臣を見殺しにした外務省。あの時でも、職務に忠実であったなら、即座に対応して、あんなに延々と日本の恥を晒すことはありませんでした。冷たいものです。これが40年の伝統というものでしょうか。

付の2。
ここまで来て、ようやく古い仲間が朝日の検証記事を送ってくれた意味が分かりました。感謝いたします。

付の3。
スカートの水。朝日新聞社の中国語のレベルの低さが露呈されましたね。東外大中国科の最後尾の私でも、こんな例えで「麻煩」を解釈しません。

0221モモとリッキー

朝日新聞の検証 昭和報道 文革と日中復交

私は検証嫌いである。ある事件を、後になって、実はこういう事であった、実はこう言う内情があった、実はこういうことは無かった、すべでが、こんな具合だからだ。

この「実は」が大嫌いなのである。テレビが嫌いなのも、この「実は」ともう一つ「なんと」が頻繁に出るようになったからである。

検証は、後知恵。それを覆してくれるだけの検証かどうか、ほとんど期待はしていないながら、古い友から送られてきた記事だから、読むことにした。最悪でも、活字は追えることだし。

本題。

文革時代は、反中国の態度を示せば、いとも簡単に、中国政府は国外退去命令を出すとんがった時代である。赤いビニールの表紙の毛語録を、私は面白がって読んでいたが、中国貿易の同期の仲間は、毛語録を商談の場に持っていかなければならなかったと、こぼしていた時代である。

商売には大変でも、そういう時は、ジャーナリストにとって願ってもない状況である。いくらでも報道する材料が出てくる。それを中国政府の意向を汲まず、そっくり日本に伝えたら、三日と経たず、記者は身柄拘束が国外追放、そして支店は閉鎖である。

こういう事情は、検証によく書かれている。

問題は、この事態に、朝日新聞の社長が北京赴任記者に向かって言った言葉である。誤解なきよう、長いが書き写す。

1.「歴史の目撃者」論
~~~~~~~~~~~~~~~
北京赴任に際し、社長の広岡知男から指示を受けた。
「それを書けば国外追放になるという限度があるだろう。そのときは一歩手前でとまりなさい。極端にいえばゼロでもいい。書けなきゃ見てくるだけでもいいんだ。ただし絶対に事実を曲げたり、うそは書いてはいけない」
~~~~~~~~~~~~~~~
新聞社の社長は最高学府で学んでいるはず、指示を受ける記者も最高学府で学んでいるはずだ。その二人が、小学校一年生の教室並の話をしたのだから、開いた口がふさがらない。

事実を曲げたら、ヨタ週刊誌だ。ウソを書いたら、犯罪だ。社長の言っていることは、よた記事やウソでなければ、「なにを書いてもいい」と言っていることと同じである。仕事柄、何か書かなければいけない、書くのは、結局、中国政府版大本営発表である。

これで「新聞社でございます」とはよく言えたものだ。「ゼロでもいい」だって。ゼロなら当然、北京にいて見ているだけの赴任になる。長期滞在の観光旅行と同じである。

2.記者交換と政治三原則
~~~~~~~~~~~
マンションの広告に載った地図中の「中華民国大使館」の文字についても、ねじ込まれた。国交のある国の大使館が東京の地図に載っているのは当然だ。この幹部(筆者注:朝日新聞外報部員)は謝罪に抵抗があったが、上司は「どんどん謝ればいい」というのだった。
「中国側の文句に逆らえば、特派員追放のリスクが大きいことがはっきりしていたからだ」(外報部幹部のメモ)。特派員は、中国政府が報道各社に政治三原則を守らせるための“人質”でもあった。
~~~~~~~~~~~~
不条理を追って、購読者に知らせるのが、新聞社の最低の義務であろう。中華民国大使館の文字で中国政府がねじ込んできたのだから、それを記事にしなければいけない。外報部員が謝罪をためらうのは当然の当然である。それを、上司たるものが、「どんどん謝ればいい」とは、呆れて物も言えない。「ご無理ごもっとも」は商人のやることだ。商人でも小粒の商人のやること。商人道に誇りをもった商人は、理不尽な客を相手にしない。

リスクというからには、追放による損失が見込まれていなければいけない。ゼロでもよくて、見るだけでいい程度の特派員がなんで北京に置かなければいけないのだ。

「人質」とは、あたかも自分たちが被害者のように聞こえる。実態は、どんどん自分から謝って居させてもらっているのではないか。嫌なら、朝日新聞社が、「貴国の干渉には愛想が尽きた。これでは、報道のメンツが立たない。よって、明日、特派員を引き上げる。バイバイ」でいいのだ。それに対して、中国側が、北京空港で、朝日の特派員を捕まえ、軟禁状態にした、これで初めて「人質」と自慢できるのである。

3.「迷惑」発言の波紋
北京での歓迎会の席の話でこんなやり取りがあったという。

周恩来:「日本軍国主義者の中国侵略により、中国人民はひどい災難をこうむり」
田中角栄:「中国国民に多大のご迷惑をおかけした」

田中角栄の日本語能力では、「ご迷惑」が精一杯の謝罪の言葉であったと、私は思う。彼の人生に「迷惑」が出る場面がなかったと想像するからである。ならば、秀才・文才揃いの日本外務省で、もう少しましな言葉をいくつか田中に見せて、選ばせる位してもよかったではなかったか。

この中国語訳が「麻煩」となっていた。それで、歓迎会が一度に静まり返ったとある。軽々しく「迷惑」で済まさないでくれ、という雰囲気を取材中の記者は感じたという。

「ご迷惑」の日本語が分かる中国側列席者はそう多くはないだろう。通訳が「麻煩」でギクリとしたのではないか。

この記事では、「麻煩」を女性のスカートに水をかけた時のおわび程度の軽い中国語だった、となっている。

「麻煩」は謝罪の表現ではない、感謝の表現である。

女性のスカートに水を誤ってかけた、その女性に向かって言う言葉は、「ごめんなさい」に当たる中国語(対不起)である。そこに、給仕が駆けつけて、女性をなだめながら、熱いタオルで懸命にスカートのシミを拭く。給仕は女性が落ち着いたのを見て、笑顔になる。この時、水をかけた人が、給仕にかける言葉が、「麻煩」である。

確かに迷惑をかけたのだから、お詫びの意が含まれていても自然だが、「お世話になりました」、「ご面倒をかけました」の場面の言葉である。忙しい時に急ぎのコピーを頼む、それができてくる、この時に「麻煩」である。バスの車内で足を踏んで、注意された時、「麻煩」は使わない。踏まれた相手は怒り出す。だから、「麻煩」に続く言葉は、「ありがとう」であって、「すいません」ではない。

歓迎宴で、週恩来の日本軍の言葉をつないで田中は「麻煩」で、中国大陸で日本軍は「すっかりお世話になりました」(「多大の」が訳されたとすれば、であるが)と言ったことになる。

これで、黙って引き下がるようでは、中華思想本家ならずとも国の体をなさない。案の定、周恩来が苦情を呈したとある。

この失態の原因は、3つが考えられる。

その一。翻訳・通訳が帰国子女によるもので、日本語があやふやである。
その二。外務省で中国語を研修したが、中国語があやふやな翻訳・通訳。
その三。堅苦しい雰囲気をジョークで和ませようとしたアドリブが、不発だった。

・ ・・・

1970年代とのことだ。それを、40年後の今になって、実はこうだったと言われても、朝日の読者はなんと反応していいのか。

今、NHKはじめ、読売、朝日、毎日、他有名マスコミが、日米軍事同盟を不可侵の与件として、普天間基地問題を語っている。これから40年後に、2010年の普天間基地問題において、実はこういう圧力があって、社の上司の指示に従って、記事を書いたのだ、と「検証・平成報道」で言われるかもしれない。

それでは、「遅いんだよ、マスコミ諸君!」

私の検証嫌いは、癒されなかった。

付の1。
朝日新聞です。今年は確かですが、日付はわかりません。検証・昭和報道198~206です。

付の2。
アウシュビッツ収容所の役人、私は上司の指示に従っただけです。似ていませんかね。

付の3。
100の検証より1の仮説。私のモットーです。

付の付:
写真を左クリックすると全景になります。

0220ジョウビタキ

忌々し NHK 福地会長 受信料支払い率は上昇

新年の課題と展望のインタビューである。

1.うれしかったのは、視聴者からの「信頼」や「親しみ」の指数も上がっていること・・・
上がっているということは、同時に「信頼していない」、「親しみのもてないと思っている」視聴者が減ってはいるが、存在するということだ。

その人たちがなんでNHKと契約しなければならいのか。信頼していない車を買えというのか、親しみのもてない土地に旅行せよというのか。共産中国や旧ソ連でさえ、こんな乱暴な態度を人民に向かって取らなかった。

2.支払率というのは、公平負担の問題。支払率が低ければ受信料制度の根幹が崩れるので、極めて大事。・・・
だいぶ前の繰り返えしになるが、受信料はテキ屋のショバ代である。みんなが払っているのに、お前だけ払わないのなら、覚悟しておけ、と脅す、縁日のヤーさんである。信頼と親しみに溢れている視聴者が自発的に契約する、そうでないと感じた世帯は契約しない、それ位の自由は憲法解釈以前の問題であろう。

こんなことで、なにが言論の自由か。

3.NHKは公共放送なので、編集権の独立の名のもとに何をやってもいいわけではない。編集権の独立は不偏不党という義務で担保しなければならない。・・・
保障という意味か、担保の意味が私にはよく理解できない。難しい表現で煙に巻くつもりなのか、私の語彙力不足か。大問題は、いつもながらの「公共放送」と「不偏不党」である。

権力広報放送なら、日本語として、よくわかる。「公共放送」は、公共だから不偏不党でなければいけない、理論的にはその通りである。悪いのは、「不偏不党」である。

放送に、これは報道と広げてもいいが、不偏不党はありえない。一度、放送すれば、それだけで、何かの側にとって利益となり、何かの側にとって不利益となる。放送すれば、番組になった側があれば番組にならなかった側が出てくる。

一つの番組を組んだ時点で、すでに不偏不党でなくなる。私は不偏不党などというまやかしを旗印にすることが、NHKの最大の欠陥だと考えている。

不偏不党でなければ、視聴者から一律に受信料を取れない。だからNHKは、不偏不党であるように見せ掛けなければならない。

教養のあるアナウンサーが一人で解説すれば済むものを、専門家にお越しいただくのも、「~であります。~との見方もあります」、「見守る必要があります」などの常套句で締めくくるのも、すべて、見せ掛けが目的である。

自分の主義・主張を表に出さないことが不偏不党とするNHKは、いっそのこと、朝から番まで、「ふるさと一番」と「のど自慢大会」を放映すればいい。本当は、これでも、クラシックファンから見たら不偏不党でない。

4.(不祥事の減少について)一つは厳罰で臨んだからでは。(当事者は)まさか辞めさせられるなんて思ってなかったでしょう。・・・
この点は、まったく同感である。倫理規定をどれほど箇条書きにして読ませても、バレても損がなければ、悪いヤツは悪いことをする。不届きなヤツには、厳罰以外に方法がないのである。悪徳エリート警察、怠慢公務員、横領会社員、密漁者、例外はない。

減少したことが、なによりその正しいことを語っている。

最後に、なぜ「忌々しい」か理由を記す。

編集権の独立の名のもとに何をやってもいいわけではない。(前出)

アサヒビール出の商売人にこう言われて悔し涙一滴流さず、黙々と番組を組んでいる編集部も編集部である。報道人の資格無し。

編集権の独立を盾に、堂々と言いたいことを言ったらどうだ。優秀な人材が揃っているNHKがこの有様、これが忌々しいのである。

付:
読売新聞 2009年1月5日夕刊

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中卒 200万円(続き)私は農本主義を尊ぶ

近頃、セーフティネットなる言葉が聞かれなくなった。はやった当時から経済システムは一向に改善されていない。今でも国会でセーフティネット論が取り上げられても良さそうなものと思っている。

待てど暮らせど来ぬならば、こちらから提唱する。

それは、社会の基本として、農林水産業を用意したらどうかということである。

第一。
高等教育は、万人の必要とするものではないこと。高等と名付けらたから錯覚するだけで、実体は、知識の寄せ集めを、教師が小出しに生徒に分け与えているだけである。それに価値を認める若者が進学すればいい。興味がない若者が就職のために高校・大学と進むのは学問の世界では邪道である。

第二。
義務教育の9年間で、社会に通用する常識を身につけることができる。読み書きソロバン(計算)も、実社会で困らない程度までは十分に身につけることができる。

第三。
人間も動物の一種。なにより体を使うことが大切である。脳は副次的でいい。悪いことをするのは、ほとんどが脳によるもので、体によるものは稀である。普通の人間が普通に生きていくのに、体には特別な訓練はいらない。

第四。
都会のインフラコストは、経済成長で支えられる。環境汚染でその限界が見えてきた。一方、地方の過疎化は人口の自然減にまかせている現在、加速されるばかりで、もっとも影響を受けているのが農業である。農地の荒廃は全国的に起きている現象である。小さな島にこだわる前に、目の前の土地を蘇生させるべきである。

思いついただけでも、これだけある。それでは、具体的にどうするか。

第一。
勉強好きの児童は、国が教育費を全額受け持つ。中学生の2割、この程度の割合だろう。好きだから当然成績がいい。その集まりが高校生であり、そのまた2割が大学進学となる。知識の世界は、この程度のピラミッドで十分だ。

もちろん、公務員試験に学歴の差別はない。司法、行政、一切合切、中卒、高卒、大卒、無関係に試験を実施する。実務に必要な知識は、採用後で十分教えることができる。試験も、つまらない知識や法律業界用語、常識試験など扱わない。

要するに、進学しても、就職に有利にならないような国にする。就職に無関係であるのが高等教育であると言う方が適当だろう。

第二。
義務教育に、知識の詰め込みは不要である。「ウソはつかない」、「人の物を取らない」、「人に危害を加えない」この3点セットを徹底して教えれば、あとは、若干の漢字の読み方と足し算引き算の学習でいい。

3点セットを生涯忘れないように教育すれば、正義の戦争・平和のための戦いなどというたわごとが日本から消えてなくなる。

第三。
最近、田植えの風景を見たことがない。見るのは、小学生が体験実習として田んぼに入るテレビだけである。

大型農機具と工場並の作業場で、一気に済ましてしまう。これが諸悪の根源である。人間ができることを、機械にさせる。機械は人間の10人分、50人分をこなすことができる。1台のコンバインが50人の人間の仕事を奪っていることと同じである。

農業は、手作業でやれる仕事である。それも、世界のどこに行っても就職に困らないような「人材」でない普通の人間ができるのだ。それを、みすみす機械に譲り渡すことが間違いの元である。

朝から夕方まで、(朝は朝星、夜は夜星は昔の話)土を相手に過ごす。雨の日には、それぞれ好きなことをすればいい。

第四。
この担い手は誰か。先ず、失業者である。ホームレスである。この人たちに一時金を給付しても無意味である。仕事を与えることが絶対に必要なのだ。しっかりした仕事に就かせて、その労働に対価を支払う。

次に、頭脳遊民である。高等教育施設が余れば、当然、大学関係者や塾経営者などは失業する。失業対策関連役所職員も、失業する。この人たちも、農業に従事する。

都会から遊民がいなくなるから、電車も混まない。高層ビルの上の方は使わないで済む。トイレの揚水にエネルギーは消費されない。

過疎地は、多様な人たちで賑わう。子供の声が聞こえるようになる。教育費の心配がないから安心して、子育てができる。

年収200万円の条件でこれを実施すれば、子育て支援や高校授業料無料などというその場シノギ別名バラマキ政策が不要になる。

副産物として、200万円なら、国内に留まっても、採算がとれるということで、かなりの企業が、生産工場の海外移転を取りやめにするだろう。

以上。

荒唐無稽と笑わば笑え。やれデフレだ、やれ金融政策だと、専門家ぶる専門家の解説より、ずっと建設的な提唱である。大いに譲歩したとしても、日本再生の処方箋の一つになることは認められるはずである(私見であるが)。

付の1。
前にも書きましたが、学問を軽視しているのではありません。個人的には、私は高校・大学で師にも友にも恵まれました。進学で就職が有利になる社会が狂っていると言いいたいのです。

付の2。
農業で農水産業代表させました。大型漁船の一網打尽漁業はいけません。

付の3。
私が3点セットを無視しているように思われるのは、私の不徳からであります。3点セットは正しいのです。

付の4。
友愛はお金の施しではありません、仕事を与えることです、鳩山さん。

0218雪とモモ

〔特別投稿〕海兵・カティンの森・旧暦 ― ある三題噺 Erliuzi

千葉に、「海兵」出の老頭児がおいでです。といっても、いま問題の米海兵隊=Marine ではなく、かつて江田島にあった海軍兵学校です。三菱系のビジネスマンでしたからカメラはNikon愛好家で、写真を通じての交流があり、北京駐在時にお世話になりました。戻ってからも往来があり、この正月も「灘の生一本」を年賀にいただきました。礼状は出したのですが、「たまにはこちらから」と思っていました。

過日、新宿中村屋に寄る機会があったので、羊羹と月餅の詰め合わせを送ってもらいました。そのとき、熨斗に「年賀」と入れてほしいと頼んだのです。先方からの、太陽暦の正月の辛口の年賀に対し、当方は陰暦(旧暦)の正月に甘い年賀―と洒落たつもりでした。
店員が怪訝そうに「年賀ですか?」と訊くものですから、「いま旧暦ではお正月だよ」と注釈しておきました(2月14日が旧正月元日)。

それから神保町へ回り、岩波ホールでアンジェイ・ワイダの 『カティンの森』を見ました。見終わって十階の階段から降り始めたとたん携帯が鳴ったのです。「新宿中村屋ですが、お届け物について、配送担当から『年賀でいいのか、もう2月も半ば過ぎだぞ』と問い合わせがあったもので・・・」。

見終わったばかりの映画について「1940年だと虐殺は赤軍の犯行だなぁ」などあれこれ考えていただけに、この電話にはいささか腹が立ち、言い返してやりました。
「だから売り場でも言ったでしょう、旧暦の正月ですよって」。

 電話の主はしきりに恐縮していましたが、それを聞いて「少し大人げなかったかなぁ」と反省したものです。小国寡民氏にその話をしたところ、「明治は遠くなりにけり、昭和も遠くなりにけり」とひっくるめて一言。

そういえば、ポーランド軍将校1万余人が殺害されたカティンの森事件は昭和15年、われらの生年のできごとであり、旧暦もどうやら遺物になってしまったようです。
 

「ユニクロ型デフレ」で日本は沈む

2009年思潮12月と言う読売新聞の記事の一部である。ユニクロ沈没論の女性は、これまで2度、このブログで取り上げたと思う。今回で3度目ということだ。

この女性、やはり同一人物であった。エコノミスト浜矩子さんと新聞にある。どこかの大学の教授である。その講座は、下手な落語より面白いだろうと書いたはずだ。

読売新聞がそれを見逃すはずがない。

だいぶ長いが、我慢して、転記する。

~~~~~~~~~

昨今のデフレの深刻さを教えるのが、エコノミスト浜矩子、経済ジャーナリスト荻原博子両氏の対談「『ユニクロ型デフレ』で日本は沈む(『文藝春秋』)だ。
浜氏は「市場が合理的で妥当な価格形成の場として機能しなくなっている(中略)価格が下がりつづける寡占市場、という経済学の教科書にも載っていない未曾有の事態に私たちは直面している」とした上で、「ここまでデフレが進んだのは、いわば日本がグローバル化に過剰に反応してきたからだといえると思います。適応は日本のお家芸ですからね」と言う。状況に適応してかえって困難に直面するなら、我々はそれにどう適応すればいいのだろう?
(文化部 植田滋)

~~~~~~~~

浜氏の発言は、ピント外れと評するより、奇想天外というべき内容である。私のブログに迷い込まれた皆様に、改めて私が解説する必要はあるまい。

私がこれを取り上げたのは、最後の植田記者の疑問符(?)に大いなる価値を認めたからである。内政、外交共に、ちょっと質が落ちているのではないかと疑いたくなる記事の多い読売新聞だが、この新聞社、文化部はさすが超一流である。

「我々はそれにどう適応すればいいのだろう?」

冒頭に「デフレの深刻さを教える」という伏線が施されている。終りまで読んでも何も教えてくれない。これほどの皮肉を紙面で眼にすることができたのは、痛快至極、眼福の至りである。

付の1。
政治部や経済部の編集委員を文化部から招聘したら、どれほどすばらしい記事が載ることか。

付の2。
デフレのこと、私は書き続けますね。浜さんによって開けられた口を塞ぐために。

付の3。
読売新聞2009年12月28日朝刊

言い忘れる前に 人生案内の補足

人の不幸や不平を語るとき、自分はもっと不幸でなければないらないと、私は考えてきた。自分だけ幸せの此岸にいて対岸の人の不幸を眺めるのは、あまり上品でないと考えているからだ。

最近、私の知っている人が、次々と長旅に出て行った。「知っている」といっても、名前と顔つきだけ。正確には、名前も聞いたことはあるという程度の人のことである。

若い時には、他人ごとだったこの旅立ち、括弧の中の数字を見ると、私自身、いつ旅立ちをしてもおかしくない。

はっとした。

私が不幸と不満を周りの人から受けていたとした、先日の人生案内のブログに「はっ」とした。私が、このまま、おかしくない事態になったら、上品どころか、大変な傲慢、恩知らずのレッテルが私に貼られてしまう。

それで、今日は、訂正記事を書くことにする。

会社で、陰険な上司、これはウソである。「仕事に行きます」と言う私が、外国で何をしているのか分かっていながら、出張旅費をケチらず出してくれた。旅費精算にカジノの負け金を上乗せしても、分かっていながら、ハンコをついてくれた。

会社の車を酔っ払い運転でボコンボコンにしても、笑って済ませてくれた。高粱酒で酔わされて、知らない間にサインした売れば売るほど赤字が増える契約でも、文句を言っただけで、ボーナスはきちんと満額出してくれた。本当は、このように私は上司に恵まれていたのである。

ごますりの同僚。とんでもない。私がチョンボをする度に、私に代わって言い訳けをしてくれた。有給休暇を完全消化する私の分まで彼らは休まずに働いてくれた。

居酒屋では、神学から文明論まで、広範囲にわたって講義してくれた。ある職場では、工場経営、現場の人使い。どこでも、転職する度に新人の私に、組織と人事をアドバイスしてくれた。

出来の悪い部下。とんでもない。年中、タイプ・ミスをしている私に代わって、きれいな文章を作ってくれた。朝から、倉庫の隅で居眠りしていても、サインの時だけ書類を持ってきて、そのまま日が暮れること、しばしばであった。

私の外出が喫茶店の居眠りでも、知っていながら、「お出かけですか」と、声を掛けてくれた。漢字の間違い、スペルの間違い、数字の間違い、いつのまにか、直っていた。私の乱雑な机は、朝になると整頓されていた。

女房子供を養う、だって。まさか。6時に帰ると、「お前さん、外は暑かったろ。さ、冷えたビールでもお飲みよ」と好物の生ハムを皿一杯に盛ってくれる。午後、池袋サンシャインのほとんど無人のプラネタリウムに入って、星座を眺めながら涼を取っていたのに。

終電で帰れば、「お前さん、この寒いのに残業とは大変だねぇ。さ、一本熱いのができてるよ」とこれまた好物のかき鍋と柳川だ。会社には直帰すると言って、3時から碁会所詰め、負けが続いて帰るに帰れず、やっと1勝したのが閉店の11時。3時に入れば、ストーブの脇の特等席が確保できる。ぬくぬく温かい。

人様の情けにすがって(と言って頼んだわけではないが、結果として)生きてきたような私。みんな、真実である。これを言ってしまったら、悩み多き方々の「真剣な」人生案内に水を差すことになりはしないか。そんな気配りで、ありもしない事実を語ったのである。

「言い忘れる前に」としたのは、「旅立つ前に」が正しい。しかし、「旅立つ」にすると、一体どこの有名人かと詮索されそうだ。「言い忘れる前に」なら、プロフィール欄で私の歳を知り、そうだな、そろそろボケてもしかたがないか、で何事もない。

高齢者の役得である。利用させてもらった。これをアップ・ロードしたら、彼岸への旅立ちも気楽なものになるはずだ。キサス、キサス、キサス。

NHKのオリンピック いじらしく 空々しくて 忌々しい

朝から晩まで、夜更けまで、オリンピックである。メダルがいくつと胸算用をしたまではいいが、相撲でいう「出ると負け」醜名(しこな)にA太、B子、C太、D子、以下Z子までをつけて出場させるべきではなかったか。

金メダルが取れないものだから、せめて銅メダル、NHK総出で、やんやの喝采である。出身地の支局からは、選手の家にへばりつくために、カメラマンと記者と、雑用係が出向いている。

ラジオのアナウンサー、解説者、必死の声援である。この声援、虚しく空に消える。それでも努めて明るい声で懸命に応援する。いじらしい。

銅メダルもダメとなったら、8位入選である。5位にでもなれば、日本の誇り、最高の褒め言葉が並べられる。出し惜しみしたところで、後はない、最高の褒め言葉を温存しておく必要はない。どんどん使ってしまえという次第だ。

10位あたりなら、惜しい、残念無念、15位なら、もう一歩、20位なら、よくやりました。下から勘定した方が早かろう。

アナウンサー稼業は言葉で飯が食える商売である。金(きん)であれば当然、たとえ最下位でも、言葉には困らない。それでも、やはり、私には「随分無理をしているなぁ」と聞こえてならない。

はっきり言えば、空々しい言葉の羅列である。なんでこんなことのために国がカネを使うのか、ビシビシ追求しなければならない事態に、「よく頑張った」である。空々しい限りである。

忌々しい。
これは、別に扱うことにする。材料はすでに手元にある。後は、キーをポンポン叩けばいいだけだ。

付の1。
負けて帰ってくれば、なんと言う。「予算が削られたから選手育成が思うようにできなかった。もっとカネをよこせ」だ。できもしない地震予知に、「できないのはスパコンが足りないから、さあカネをよこせ」にそっくりさんです。

付の2。
少ないメダル選手、これから、何回同じ選手を見せられるやら。

付の3。
懸賞金を出さずに済むのは、納税者にとって、せめてもの慰めです。

付の4。
選手を一人だけ送った国があります。ゼロ人もあるでしょう。飽満日本の他山の石として、一人だけの国を讃えます。
 アルバニア、アルジェリア、バミューダ、ケイマン諸島、コロンビア、エチオピア、ガーナ、香港、メキシコ、モンテネグロ、モロッコ、パキスタン、ポルトガル、セネガル、タジキスタン。
(朝日新聞2010年2月13日夕刊)



「天皇家は韓国から来た」

これは酔っぱらいが言っているのではありません。

先日来、週刊現代、週刊ポストと週刊誌づいているこのブログ、もう一つ大事な週刊誌を、取り上げなければ、片手落ちというものです。

「週刊新潮はあした発売で~す」今も、このコピー、音声と共に私の脳に焼き付いていて離れません。

終電の棚、「おっ、有るな。活字文明を見捨てる野蛮人め」とモグモグつぶやきながら、取り上げますね。

見れば、「週刊新潮」。

これの時は、完全に無視することにして棚に戻します。

何故かと聞かれればですね。

この週刊誌位、人生を暗くする印刷物は他に見当たらないからです。

記事を書く人は、共産党員と公明党員を足しただけで、2で割りません。記事を書く部屋は、地下3階。鉄格子があれば、地下牢、水が出ていれば水牢。天井には60Wの裸電球一つ。もちろん、お日様など無縁。

私のイメージですが、こうして週刊新潮は毎週、明日発売になっているのです。

私が通勤していた時代、新聞広告や車内吊り広告が目に入ります。年中、日教組を批判をしていました。批判はいいのですが、そのやり方が、陰湿でしつこいのです。先週号を表紙だけ換えたのではないかと、いつも疑っていました。

その頃、NHKはオーム真理教を夕方7時のニュースに欠かしたことはありませんでした。特別に新事実がないのに、大げさに警察の話を繰り返すだけ。しつこさの両横綱でした。

週刊現代、週刊ポスト、過激な表現や編集部員の低脳はあっても、遊びといいましょうかゆとりといいましょうか、肩肘が張らないムードがありました。凡人の笑いがありました。それが救いでもありました。

週刊新潮にはそれがない。これでもか、これでもかと人をみじめにしてやみません。地下3階で陰気人間が無言で原稿を書いているのですから、仕方がないでしょうが。

それでも、今日まで継続しているのですから、世間は広い。マゾっ気のある人が支えているのでしょう。

それはそれ、私が、今回、呆れたのは、広告にあったタイトルです。

「天皇家は韓国から来た」少し小さな文字で、「喝采を浴びた『小沢一郎幹事長』ソウルの不敬発言」となっていました。

小沢さんといえば、どこかの阿呆評論家が国家主席とまで崇めるほどの現代日本の大物。その彼の発言とはとても信じられないのです。

韓国は日本の植民地支配の後の国名「大韓民国」の略称でしょう。天皇家が、1945年に移住されておわしますなど、誰が信じますか。

高句麗、百済、新羅、任那、この時代にはすでに、天皇家は日本に居を構えていたはずです。その前なら、「朝鮮半島から来た」、こう言わなければなりませんね。

小沢さんが実際に言った言葉を、私は知りません。仮に小沢さんがその通りに言ったのなら、漢字の読み間違え総理よりひどい歴史「誤認」であります。

小沢さんの「朝鮮」を週刊新潮が、「韓国」にしたのなら、週刊新潮は、小沢さんにとんでもない誹謗をしたことになります。

私の本題は、それではなく、小さな文字の方です。

「喝采を浴びた」、本当ですか。

日本列島はもともとアイヌ民族を原住民として、人間の住めない所は、イノシシやサルが住んでいた。そこに、倭人が乗り込んできて、夷狄征伐が始まった。その大将、大親分が連綿と八千代に続いているのが天皇家であります。

朝鮮半島から来たのは、天皇家ばかりではありません。週刊新潮の地下牢の編集員の先祖様だって、半島から来たのです。

「色は黒いが南洋じゃ」美人の先祖様は南方から来たと察せられますね。色が白ければ、シベリアかもしれません。

言いたいのは、今でこそ、日本人などと大口を叩いていますが、大昔、招かれざる訪問者として、日本列島で、アイヌ民族を北海道に追いやったのが、我ら日本人のルーツなのであります。

この点では、ヤンキー騎兵隊とアメリカン・インディアンの関係と少しも変わりがありません。

ここからが、最後の難関。

「喝采を浴びた」、本当ですか。

住み心地が良ければ、生まれた土地から人は集団離脱するものではありません。

朝鮮半島の生活が朝鮮半島の人々の満足するものであったら、絶対に海を渡ってまで、島にやってこない。満足しないどころか、生活ができなくて、仕方なく日本列島にやってきた。たとえ、何割かが、途中で遭難し命を失ったとしてもです。

ソウルで喝采を浴びたのは、小沢さんの発言の意味を、「日本は韓国の分家だ」と取ったからでしょう。

外国人の考えをとやかくいうつもりはありませんが、私がソウルで、「天皇家は朝鮮半島から来た」と韓国人に語るとすれば、「当時の朝鮮半島は住み良くなかった。良い悪いのレベルを越して、生きていけない人々が大勢いた証拠だ」と言うことと同じであります。

不敬発言の中身はこんな程度であります。

「週刊新潮はあした発売で~す」

陰気な編集部の印刷物にしては、妙に明るい女性の声でした。それがかえって薄気味悪いです。

付の1.
主語ー目的語ー述語。この日本語のパターンから、漢人が一般倭人のルーツでないことがわかります。特殊技能や才能を持った漢人は少数派です。それで、主語ー述語ー目的語は日本語になれなかったというわけ。

付の2.
作りとしては、端正です。しかし、昔の人民日報やプラウダと同じで、端正だけでは、どうにもなりません。中身です。職場で疲れたサラリーマン諸君を帰りの車内で追い打ちはいけません。

付の3.
不敬発言ですって、平成天皇・皇后を週刊新潮の広告に載せる方が、よほど不敬でしょうが(不敬という言葉が生きているとすれば)。

付の4.
12月31日・1月7日号 特別定価360円

幻の世論調査    

日本放送協会、新聞各社は、これまで頻繁に世論調査を実施していた。そのいくつかは、以下の通り。

◆1910年 韓国を合併した年。
問1。合併について・・・
正しい選択である         60%
良くない              20%
分からない             20%

問2。正しい選択と答えた人に理由を聞きます。
日露戦争で勝ったから      50%
日本が優れているから      20%
朝鮮人を助けるため       30% 

◆1915年 中国に21か条の要求を出して、満州地方の権益を求めた。

問1。21か条の要求について・・・
良いことだと思う         60%
悪いことだと思う         5%
わからない           35%

問2。良いと答えた人に聞きます。もしも、中国が受け入れを拒否したら・・・
武力に訴える           90%
引っ込める           10%


◆1931年 満州事変が起こった年。
問1。日本は、満州から撤兵すべきでしょうか。
撤兵すべきである        10%
撤兵すべきでない         60%
わからない            30%
問2。すべきでないと答えた人に理由を聞きます。
撤兵は国益を損う        60%
中国を助けるため         30%

◆1937年 日中戦争が起こる。
問1。戦争が始まりました・・・
即刻、停戦すべきである     10%
中国が降伏するまで戦う      80%
分からない            10%

問2。戦うと答えた人に理由を聞きます。
国益を優先する          60%
日本軍は不敗である        40%

◆1941年 太平洋戦争が起こる。

問1。対米戦争について・・・
反対である             5%
賛成である            90%
分からない             5% 

問2。反対した人に、理由を聞きます
自分は共産主義者だからだから   1%
信教上の理由から           5%
勝てそうにないから         94%

問3。賛成の理由を聞きます・・・
横暴な英米に制裁を加える     40%
日本軍は不敗であるから      20%
アメリカ軍は弱いから       20%
やむを得ない           20%

問4。この戦争で負けることを考えますか
考えたことがない         50%
負けるはずがない         50%

問5。賛成の人から、反対の人を見ますと
愛国精神に欠けている       25%
国益を考えていない         25%
売国奴である            25%
亡国の輩である           25%

無作為抽出法で実施すれば、世論はこんなものだろう。

普通選挙法が制定されたのが1925年。それ以後は、国政のすべての責任は有権者にある。

昭和天皇が独裁者であったなら、対米宣戦布告はなかった。臣民の声に耳を傾けたため、昭和が日本史上、最悪の時代になったのである。

当時の臣民は今日の世論、マスコミは煽るだけ煽って、世論を形成していく。当時もそうだったし、現在もそうである。

鳩山総理が、世論の動向を見ながら政治を行うとすれば、大変な過ちを犯す。リップ・サービスであることを、祈ってやまない。

付の1。
被害妄想の明治、誇大妄想の昭和、その間にデモクラシーの大正がありました。

付の2。
一部の全体主義者が民主主義を破壊したのではありません。民主主義が少数の正論を抹殺したのです。

付の3。
中国大陸侵略、太平洋戦争、これらを正当化する人には、少数の正論など、馬耳東風でしょう。

付の4。
世論は、きちんとツケを国民に回しました。原爆と焼け野原の現物で。

付の5。
架空の世論であり、架空の数字です。

人生案内

現役時代、社説・株式欄と並んで、まったく読もうという気にならなかったのが、人生案内欄である。

陰険な上司、ゴマすり同僚、無能の部下、この中で女房・子供を養っていたのだから、自分の人生を案内するだけで疲労困憊、他人の人生まで構っていられなかった。

退役15年目に、読む新聞は何から何まで新鮮である。どう転んでも、私の人生、人様に迷惑をかけない、同時に、人様に有益にならない、こう観念してからは、人生案内も気楽に読めるようになった。

◆40歳の主婦。パート先で不倫。夫に知れたらと悩んでいます。どうしたらいいでしょう。(青森A子)
◆30歳の独身女性。妻子ある上役が好きになりました。どうしたらいいでしょう。(岩手I子)
◆50代の主婦。お金に不自由はしませんが、夫が浮気をしているのではないかと疑っています。どうしたらいいでしょう。(福島F子)
◆70歳の主婦。老後が心配で、お金を貯めたいのですが、年金が少ないです。どうしたらいいでしょう。(長野N子)
◆20代の独身女性。周りはどんどん結婚しているのに、私だけ男性が寄ってきません。社内一の美人がどうして、こうなのでしょう。(東京T子)

いやはや、天下泰平である。こういう悩みに対して、作家や精神科医や弁護士や大学教授が丁寧に進路案内をしている。

私には到底まともに相手をしていられない。私にできないのだから、もっと忙しい各界の専門家は、相手にしていられないだろうと想像した。

その結論が、担当記者の自作自演である。筆が立つ文化部記者にとって、悩みをでっち上げることなど、朝飯前。その回答も朝飯前。

自作を、専門家にメールして、「先生、こんなもんで、いかがでしょうか」
先生:「うん、いいよ。原稿料だけは、忘れないで頂戴ね」

こうして、岐阜のG子ができ、高知のK子ができる。

と、半分感心しながら、人生案内を新聞社もいいかげんだなあと感心して読んでいた。

最近、雰囲気が違ってきた。

先日など、姑のオナラが臭いから、姑の顔を見たくなくなったという悩みが出ていた。

これは、どう考えても、教養の高い新聞記者の発想ではない。文化部の女性記者に同様な理由で同居の姑が嫌いになっても、教養が邪魔をして、記事には書かないだろう。

追うようにして出てきた記事。

◆結婚して40年の60歳の主婦。夫は、転職を繰り返して、貯金のできた試しがありません。辞める理由が、いつも「こんなくだらない会社はもう沢山だ」であります。やはり離婚をした方がいいでしょうか。

私、内心「うっ」。追っ手は緩めない。

◆私はテレビのバラエティー番組が息抜きです。私が観ていると、夫は、いちいち、「くだらない、最低だ」と脇でブツブツいいます。クイズ番組を観ていると、ピンポーンなら、「サルでも知っている」、残念!なら、「バカが、恥さらしが」とテレビを罵ります。そのくせ、自分の答えが間違っていると、「こんな問題、出す方がバカだ」です。ファイナル・アンサーに出た石原都知事一家が100万円ゲットしそこなった時の石原さんの負け惜しみと同じです。先日、おしとやかさで有名な私も、ついに、「そんなにテレビがいやなら、テレビのない所に一人で住んだらいいじゃない」と言ってやりました。そうしたら、本当に遠くの山奥に一人で行ってしまいました。どうしたらいいでしょう。

私、心臓が、「ドクン、ドクン」。さらに追ってきた。少々長いのが玉に瑕だが全文である。

◆60歳の主婦。結婚した当時はわからなかったのですが、夫は極端な人間嫌いで、定年を待たずに、「もう人間には愛想が尽きた。仙人になる」と言って、遠くの小さな島に移ってしまいました。周りの勧めもあって、しばらく一緒に暮らしましたが、相変わらず、「バカだ、バカだ、世の中、バカだらけだ」と起きてから寝るまでつぶやいているのです。

私の神経が参りそうで、子供の世話になることにしました。サッパリしたはずですが、毎夜、毎夜夫をこてんぱんちに殴っている夢を見るのです。昨夜は、夫を体落としにして、気絶させる夢でした。私は、チャンピオンのように両手を上げて、万歳を繰り返していました。これでいいのでしょうか。

私の目は血走っていたはずである。カミさんがいる某県でカミさんのイニシャルの某子であったら、私の人生が人生案内の対象になっていることになるからである。

どんな専門家がどんな回答をしたのかは、読まなかった。とても読む気になれなかった。今更、「どうしたらいいでしょう」と私に言われても、どうにもならないのだ。某県某子がハズレていたことを知ったときの、安堵感よ。

もしも、記者が気を回して、某県某子を別の県にしてくれたのなら、その記者に心から感謝の意を表する。同時に、そうであれば、やはり某県某子の投書かもしれない。心安らかでない。身から出た錆とは、このことか。

付の1.
バカバカしいと思われるかもしれませんが、みなさん、悩みは真剣なのです。本稿、一部に私の創作があります。

付の2.
記者の自作自演でないことをはっきり認めます。読売新聞2009年12月26日に「人生案内この一年」の特集記事があります。

付の3.
平安貴族の生まれ変わりを自認している私、「バカ」は使うまいと何度決心したことか。それなのに、いつの間にか、使っているのです。人生案内に投書しようかな。

デフレでも 初競り マグロ 1600万円

東京築地魚市場の記事である。

230キロのマグロ、1本の値段。魚は基本的には、匹で数えるものだと思っているが、230キロともなれば、匹では追いつかないのかもしれない。

キロ当たり7万円になる。私が計算する前に、この記者が計算してくれていた。

100グラム、7千円。卸がこれだから、えらや骨を除いて、実際に口に入る時は、100グラム、2万円になっているだろう。

私の食べるサンマは1匹100円。この100円で記事にでていたマグロを食べるとすると、1グラムが200円だから、0.5グラムになる。ハハハ。

毎日サンマ1匹を夕飯のおかずにしても、食べ飽きることはあっても餓死することはない。マグロなら、いくら少食の私とはいえ、空腹感で夜も寝られずということになる。

誰が、これを口にするのか。福沢諭吉先生1枚でマグロ50グラムを口にする。ここまでくると、うらやましいというより、嫉妬心なしで、「どこのバカか」と叫んでしまう。

たかが、魚。食べたらお終いである。人それぞれ、価値観が違うから、そういうヒトがいてもいい。その分、私の価値観も自由であるから、私が「バカ」と叫ぶのも許されていいはずだ。

問題は、個人の価値観ではない。「デフレでも」が問題である。

記者は、この不景気な世の中でよくも1600万の値がついたとあきれたのだろうが、「デフレ」と不景気とは相関関係がないのである。

インフレでも不景気な業種があればデフレでも好調な業種がある。デフレ、インフレ、私が年中、口にしている(マグロの代わりに)ゼロ・サムなのである。

ご祝儀値段だから、このマグロを口にする者もご祝儀袋に1万円入れたと思って、舌包みを打つのかも知れない。どうでもいいことだ。

美食用の食い物は原則としてこのブログに載せないことにしているが、経済学の範疇となれば、別である。

似たような現象が、オリンピックである。北海道の山奥で滑るのは、1日100円、マグロ0.5グラム。カナダで滑れば、予選落ちでも1日1600万円(強化費用等々を含め)。出るバカ、見るバカ、払うバカ。

付:
読売新聞 2010年1月5日夕刊

ムダの見本、日中歴史共同研究   南京大虐殺を避けて通るとは!

ネットで、このニュースを知ったのが、昨年の12月。いずれ、詳しい内容が新聞という印刷物で手に入るため、それまでブログにしないでおいた。

第一。
歴史は共同研究の対象にならない。真実、事実、ゴチャゴチャ言っても、歴史は所詮、歴史を観る側の価値観でいかようにも取られるもの、この事は、歴史の専門家ならずとも中学生でも分かる、歴史のイロハのイである。

百人いれば、百人の見方がある。

日中戦争は、日本人の間でさえ、「あれは侵略戦争ではない。頼まれたからしぶしぶ兵隊を送ったのだ」という偉い評論家や歴史家がいる。

日本国内で見方がまとまっていないまま、日本代表団を組んで、中国の代表団と相対する。混乱するのは最初から分かっていることである。私が分かっているのではない、この研究を発足させた人間が、発足させる前から分かっているのである。

それなら、分かっていながらなんでやったのか。

役人、学者のヒマ潰しである。何もしないで税金を与えるわけにはいかないから、ヒマを潰してもらったという次第である。

第二。
南京大虐殺の人数。中国側が30万人以上と言えば、日本側は、その数字の根拠がないと言い返す。水掛け論である。

ネットでは、日本側が、「数万から20万」と主張したとあるが、公式報告書では、私が読んだ限り、見当たらない。

第一のヒマ潰しより、この方が問題である。なぜかと言えば、南京大虐殺の本質が、いつの間にか数字の多少に置き換えられて議論されているからである。

その結果、南京大虐殺については、報告書から削除されてしまった。

10人、20人の殺害であっても、手段次第では虐殺とよばれる。日本側の数万が正しいものとしても、大虐殺である。

この前、古い友が、井上靖の従軍記を送ってくれた。読めば、後ろ手にしばられた死体(中国人)が路端のあちこちにあったという。

日本の都市と違って、城壁に囲まれている中国の都市で、逃げ場のない住民が殺害された、それを「共同研究」しないで何が共同研究か。

近現代史総論と学者らしく体裁を繕っているが、中身は、自画自賛で読むに耐えられない噴飯物である。その代表を書き写して、終りにする。

「双方の研究者はそうした差異についても一定の相互理解に達した」


付の1.
読売新聞 2009年12月25日朝刊。記事のタイトルは「日中の溝浮き彫りに」です。何を今更。安倍首相(当時)と胡錦濤主席との合意によるものだそうです。

付の2.
数字を取り出して、本質をうやむやにするのは、裁判員制度でも見せました。汚い手法です。

付の3.
ネット配信。そのままコピー&ペーストしました。

日中共同研究、「南京事件」は両論併記へ
12月22日3時5分配信 読売新聞

 日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)が24日にも最終報告をまとめ、このうち「総論」を発表することが明らかになった。

 時代ごとに担当委員が執筆した論文を盛り込んだ「各論」も近く公表される見通しだ。

 ただ、南京事件の犠牲者数など両国の争点となっている論点を巡っては溝が埋まらず、両論併記になる見通しだ。

 1945年以降の現代史については公表を見送る方向となった。中国側が現在の中国政府への批判につながることを懸念したためとみられる。

 日本軍が37年に中国・南京を占領した際に起きた南京事件に関しては、中国側は政府の公式見解「犠牲者30万人」を譲らず、日本側も「数万人から20万人まで」など様々な説があると主張したため、両論併記とすることとした。日中戦争についても、日本側は「軍部の一部勢力に引きずられて戦線が拡大した」との見解を示したが、中国側は「計画的な中国への侵略」と結論づけ、かみ合わなかった。

 現代史に関する公表が見送られるのは、米英など連合国がいわゆる「A級戦犯」を裁いた東京裁判(46~48年)や、天皇陛下の中国訪問(92年)などの評価で意見が対立したためだ。89年の天安門事件なども、「中国側には触れられたくないテーマ」(関係者)だという事情があった。 .最終更新:12月22日3時5分

借金世帯の娘や息子がカナダで遊びほけている

日本の児童が全員、体力、知力、気力、普通に備わっていて、その家庭の家計もそこそこゆとりがあり、4年に1度位なら外国に行かせるのもいい経験であれば、私は何も文句は言わない。

ご存知の通り、普通の家なら、夜逃げか首吊りがあちこちで起こっても不思議でない今の日本、カナダくんだりまで娘・息子を遊びに行かせる余裕なんかないはずである。

文科省の調査が発表される度に、日本の児童の運動能力の低下を知らさせる。真剣に憂いている私には、なんで、この解消に全力を注がないのか、理解ができない。

国の税金を大量に使って、メダル、メダルと騒ぐ。

メダルが取れれば、ヒーロー、ヒロイン、取れなくても、青春を燃焼しつくしたと涙の会見。他人のカネを使って、いい気なものだ。

NHKがそれほどオリンピックにこだわるのなら、自腹でオリンピック選手を育成すればいい。

NHKが故意に騒がなければ、オリンピックの人気なんか、夏の甲子園の何十分の一にも達しない。

ヒーローを何が何でもでっち上げたいNHKが必死に応援するのは、無理からぬ事とは分かっていても、もっとましな報道材料がある今日の日本の社会、ほっぽらかして、遊びほけている道楽娘・ドラ息子をカナダまで追いかけるゆとりなど、ないはずである。

飛行機が飛ばない状況は絶対に避けなければ 前原国交相

ひどい発言である。飛行機が飛ばない状況を彼は心配しているようだが、天が落ちてくるかもしれないと心配した昔の漢人の方が、はるかに現実味を持っている。

読んでいくと、飛行機は飛行機でもJALマークを付けた飛行機のことであることがわかる。

そこで、私は考え悩む。

なぜ、JALの飛行機が絶対なのか、これで悩むのである。

JALがなくても、全日空がある、全日空がなければ、デルタ、大韓航空、シンガポール航空、スイス航空、無数にあるではないか。全部の飛行機が飛ばない状況など、私にはとても想像出きない。

年間5000万人の旅客を受け持つJALが飛ばなければ、混乱は避けられない。これが理由とのことである。

ウソである。ウソが不穏当な表現であるなら、記事の表現に文句を付けてもいい。

「一時的に」混乱は避けられない。こうでなければいけない。いつ、どこで、だれが、等々、新聞記者にとって不可欠な項目が前原大臣に確認されていない。欠落しているのだ。

5000万人の中には、仕分け作業で露見した外務省外郭団体のビジネスクラスも入っているにちがいない。国家公務員の外遊にもJALが優先されていたのではないか。無料・格安チケット、要するに自分の懐が痛まないチケットの搭乗者が含まれているはずだ。

歪んだ国策商売が破綻するのは、国鉄を前車の轍とする。

いい加減な搭乗者を除けば、5000万人が4千万人台に減る。それを、存続している航空会社が、受け持てばいいではないか。

半年もすれば、ちょうど小石を池に投げたようなもので、JALってなんだっけとなる。

車のエコ優遇補助金もそうだが、どこかを優遇すれば、どこかの「得べかりし利益」が損なわれるのである。

資本主義経済の良さは、自由な経済活動が保障された上での優勝劣敗の原則である。

5000万人の見込み客を期待していた「まっとうな」競合他社にどんな顔して言い訳けをするつもりなのか。前原大臣に伺いたい。

付:
読売新聞2009年12月24日

小沢支配ニッポンを大予測

週刊現代の広告があったと思ったら、正月には週刊ポストも広告を出していた。まだ続いているのだ。1.15・22とあるから合併号だ。

その大見出しが「小沢支配ニッポン」
緊急シミュレーションとして、2010「カネと票分捕り」「悪魔の恫喝」「長男出馬で自衛隊票強奪」

なぜ「緊急」でなければいけないのか、さっぱり分からないが、小学館が居ても立ってもいられず、記事にしたのだろうと推測はしておく。

私もこれまであちこちの職場でシミュレーション作りに加わってきたが、私も含めて、携わる人間は、一様に、科学的かつ合理的な人間であることが条件であった。感情に走ってはシミュレーションの意味を成さないから当然である。

「カネと票分捕り」、カネの亡者たちが骨と皮になった人間から票をむしりとる地獄絵である。

「悪魔の恫喝」、横溝正史に同じような名前の小説があったように記憶している。小沢が悪魔か、小沢の恫喝が悪魔のような恫喝なのか、どちらにしても、ヤクザもびっくりである。

「自衛隊票強奪」、昔、三億円事件があった。ペテン師もどきの手口だから強奪と言えないかもしれないが、自衛隊から強奪するというのだから、大変な体力である。駐屯地がある投票所で流血騒動は免れまい。

ここに描かれている小沢某の顔を見たいものだ。

下の方にやや小さめの字で、こう書いてあった。

仕事と生活 ー 全て分かる

390円也。安いものだ。明日連絡船に乗って、買いに行こう。

待て待て、もうとっくに売り切れているだろう。残念だが諦める。

私も言葉は悪いが、小学館も悪い。変に自信がついた。それで、我慢することにした。

小沢一郎の不人気 立花隆

新聞は、昔の事を思い出させてくれる。

電車通勤をしていた頃の話。終電やその1本手前の電車には、夕刊や週刊誌が棚に置き去りにされている。

駅構内のごみ箱に入れない横着な人間に腹を立てながら、私はその人間に代わって捨てることにしている。ついでに、中身も読む。お駄賃である。

新聞の広告でなつかしい週刊誌がまだ続いていることを知った。健在であると書きたいが、内情は火の車かもしれないので、単に「続いている」としておく。

週刊現代 2010年1月9・16合併号

特別寄稿 立花隆 「小沢一郎は国家主席になったのか」
異様な権力構造、無力な鳩山総理

大きい字で宣伝している。昔の立花隆なら、小沢一郎の政治能力を高く評価したかもしれないが、今の彼は、そのような才能や思考がない。つまらない平凡な評論家の一人である。だから、この寄稿は、週刊誌をわざわざ買って読むまでもない。

国家主席は中国の政治を引き合いに使っていることを示している。鳩山総理を温家宝首相に見立てることで、小沢幹事長が、指令していると彼は言いたいのであろう。

ちょっと待て。

中国の国家主席は中国共産党一党独裁の上に成りたっている。一党独裁の良し悪しは不問として、選挙は実施しても名ばかり、実質は独裁国家の独裁者である。コキントーが嫌いだからといって、ノーの意思表示はできない。命を掛けるのなら別だが。

日本の小沢一郎は、投票権のある日本人が、自由な選挙で選んだ政治家の一人で、日本人の多数が彼を気に食わなければ、投票用紙に彼や彼の所属する党の名を書かなければそれで何事もない。別に、禁固刑が課せられるわけではない。

組織があれば、必ず取り仕切る立場の人間が必要となる。コキントー氏も小沢一郎氏もこの点では、同列である。

だが、これを以て、小沢一郎氏を国家主席と並べるのであれば、あまりにも皮相的な観察である。

国民が誰からも干渉されずに己の意志で選んだ小沢一郎、彼が、行政組織の長である鳩山総理に注文を付けてなんの不都合があろうか。

政官癒着であったから自民政権は、こういう話題がでなかった。この方が、よっぽど不自然であり不健全である。

小沢独裁、小沢ワンマン、小沢天下、いい加減にしないか、立花隆ならびに同程度の評論家諸先生!

付:
NHKは大本営発表をそのまま言われた通り国民に伝えた。私が嘘つきではない、大本営がウソをついたのだ。NHKは、このように言い逃れをする無責任な報道組織である。こう喝破していた頃の立花隆は、いずこに消え去ったのでしょう。
最終電車の棚が指定席の週刊誌に寄稿するまで落ちぶれた今日の彼、哀れとしか言いようがありません。
顔写真も載っていましたが、緊張感は全然感じ取れませんでした。評論家を評論しない主義のこのブログですが、例外扱いといたします。あのたるみ切った薄笑いの表情に我慢がならなかったためです。

0213フカ


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