老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

しおらしくなりつるものかな erliuzi氏の寄稿

季節の変わり目を、
あなたの心で知るなんて~という昔の唄、
知らないでしょう。

いいんです。

また一年暮れます。

悠久の時間の流れに、
ヒトがなんとか刻み目をつけようとした「時間」とか「年月日」。

陰暦では来年は13か月になるため、
立春(陽暦2月4日)が春節(旧正月=陽暦14日)に先行する。

それで、陰暦寅年は「春」のない一年になるのだとか。

過ぐる年の啓発に感謝します。

祝各位健康!

2009年回顧(5)誤解なきよう

人はいざ知らず、私は、自分のこのブログを後から読み返すことはしない。表現で引っかかる所があると、それが心に引っかかって、「まてよ、も一度、見てみるか」とこんな程度である。

年末、百八つかの煩悩が今日消えるというので、それにあやかり、私も、自分のブログの誤解を解こうと思う。

第一。
ウソとホントの区別がついていません。真面目と法螺も混然としています。自分で書いていて、どこからどこまでかの区分けができないのです。

「偉そうな口をききおって」と怒る人、呆れる人に向かって言っておきます。金持ちは自分を金持ちといいません。頭に自信のある人は、自分を利口と言いません。貧乏人が金持ち面をするのです、出来の悪い者が、そうです、「偉そうな口をきく」のです。

精一杯の背伸びと、お許しください。

第二。
エコノミスト、アナリスト、政治評論家、経済評論家、学者、すべて知的専門家を私は嫌ってきました。皆さんの語ってくれるのは、後知恵ばかりで、そんならこれからどうなると元旦に聞きけば、分かったような理屈をつけて、為替相場を株価を予測します。年末になれば誰も元旦のことを覚えていないから、てんでんばらばらの予測の誰が正しくて誰が間違っていたかは、不問となります。元日の新聞を365日残して年末、検証する執念の人などいないでしょう。

間違って予測しても失職しない専門家、まるで七勝七敗で千秋楽を迎える大関です。

そういう私の見方を変えてくれたのが、仕分け作業にあたった専門家です。学者です。物事を是非をしっかりわきまえていました。なんだ、日本の知識人も結構捨てたものではない、いや、私よりはるかにしっかりしていると、感心したものです。

考えてみれば、私の専門家のイメージはNHKのテレビを通して作られたものです。もともと選ぶ側が側ですから、ろくな専門家が解説・主張するはずがなかったのですね。口のうるさい、しかし、まっとうな論戦を張る専門家は、最初から後登場願わなかったのです。

私は、今年になって、ようやくこれに気がつきました。それで、立花隆の堕落も納得できました。彼だって、戦時中のNHKが御用メディアであったことを痛烈に批判していましたよ。NHKに抱えられる前のことですが。

第三。
軍人には首から上は要らないといってきました。これは、軍隊の組織上やむを得ないことでありまして、自衛隊の諸君の頭が悪いと言っているのではありません。良く学び、良く理解し、いい学業を残す自衛隊員は大勢いることでしょう。

しかし、別な角度から見れば、起こりもしない陸海空戦のために無為徒食におかれた職場で生涯を送るのです。彼らの鬱積はいかばかりか、同情を禁じ得ません。

また、とび職を引き合いにだして宇宙飛行士を語ったことがありましたが、これも屋根の瓦を葺くとび職人を見下しているのではありません。ヒーロー扱いするNHKの報道と自分でもそのようだと錯覚している 宇宙飛行士に、高い所に登って喜ぶのはサルとバカだけですよ、二階の屋根を葺く職人の方がはるかに立派でしょうに、と私は言っているのです。

何度か四国の山奥を田舎の代表にしました。これは、漱石の坊ちゃんからさんざんバカにされていながら、のん気にかまえているおおらかさに甘えたためです。ここ東北を田舎なんて言った日には、何年恨まれるかわかったものではありません。くわばら、くわばら。それと、私淑する福岡正信師の住んでいた島であることも理由の一つです。いずれ我が島も小国寡民が一時期、居にしていたとてもありがたい島となるかもしれません。観光ツアーが組まれ、連絡船の増便では追いつかなくなります。いっそ橋を架けてしまえ、となるかもしれません。片道8車線でね。

第四。
添付写真と記事との関連性はありません。このブログはもともと私が島を離れてベッドに数日間横たわった時に、島暮らしを懐かしむために始めました。写真の一枚一枚はすでに私の脳内RAMにメモリーされて、毎日私の清い血流でリフレッシュされています。でも、はっきりした対象物として目で見ることにはかないません。

せっかくだから、何か書いてみようと思い、後から文字がついてきたようなぐあいです。このブログのリンク先のパソコン先輩は、ご子息お二人のアルバムとして使っています。賢いチャッカリ・マンですね。  

誤解のほとんどはこれで解消したものと思います。最後に数日前の自画像ですが、自分でいうのはなんですが、本当は歳相応のもっとやさしい穏やかな顔をしています。erliuzi氏からサマなっていると言われましたので、気持ちよく来年の賀状に使いました。横顔は、正面写真が不都合のためです。理由は言いたくありません。

では、皆様、良いお年を!

職場を奪う、住まいを壊す 良いか悪いか

私の家の約300坪の野草園は、夏から秋まで、クモだらけになる。このブログにも何枚か写真を載せたと思うが、雨上がりの朝は斜めからの陽の光で、見事なオブジェを呈してくれる。

クモは真面目だ。「金儲けして何が悪い」などという寝言は言わぬ、一攫千金も狙わない。ただ、ひたすら後ろ足で糸を張って巣を広げていく。大きなものは一日掛り、小さいものでも、半日は掛かっている。

動きをみていると、クモもヒトと同じなのか、器用・不器用がある。等間隔で糸を張る者もいれば、「獲物がいれば、どんな巣でもOK」といういい加減な出来の巣を作る者もいる。モクモクと休みなく働いていることは共通している。

人はクモの巣が邪魔だと言って、あるいは目障りだと言って、竹棹を振り回す。こういう人は、一度でも私のようにクモが巣を張っているのを見たことがあるのだろうか。

クモにとっては、職場である。クモの巣が完成して初めて食にありつける。クモにとっては我が家である。無重力空間まで舞い上がってVサインするバカ人間のマネはしない。生涯をそこで過ごす終の職場であり終の住処である。

私だって、人の一人、クモの巣が顔にかかると不快になる。メガネを掛けている時に、引っかかると、メガネをきれいにするのが大仕事になる。いやだ。しかし・・・

今は、自分の通り道だけ、自分の体が通過できるように払うだけに止めている。それでも、自責の念にかられて、その日は何をやっても上手くいかない。「ああ、せっかくあれだけ懸命に作ったのを、一払い(ひとはらい、一括払いではありません)で壊した私は、閻魔様に叱られるに相違ない」これが頭から消えないのである。それに、一払いした時の、クモの驚いて逃げる様まで脳裏から離れない。職を失い、住を失ったクモの嘆きを想像したら、もう、居ても立ってもいられない。

今、日本は、職がない、住まいがない、大変だ、大変だと騒いでいる。職業選択の自由、転居の自由、言論の自由、三拍子揃った社会で、なんで騒ぐのか、私に言わせれば、甘ったれである。

追い打ちをかけるようだが、今の日本の天災を私は天災と認めていない。台風、地震、みんな起きることが分かっているのだ。その備えをするだけの国力は十分有しているのが今の日本である。国力を抑止力という分けの分からないために無駄にしているに過ぎない。

12月の今、クモの巣は、よじれた黄色の糸の姿となって、壊れた柵などに残っているだけだ。寂しい。生まれて、巣を作る。死ぬときは何も残さず、次の世代のために自分の場所を明け渡す。

潔い。

付:
家の中も同じ。台所、居間、便所、その動線だけはクモの巣を払っています。170センチ以高はそのままにしてあります。訪れた人は、驚きます。呆れます。私の性分をよく知っている人は、本稿で私が横着を言い訳けしていると思うかも知れません。

宮城県警の裏金作り  仙台高裁の奇妙な話

仙台地裁が裏金作りは明白な事実である、よって、使途明細を公開せよとの判決を下した。

裁判官は、裁判所で入手した情報・資料を元に、不正使途の証拠を掴んだ。証拠がない、根拠がない、それで、不正があったと言うわけがない。不正がある以上、県警はその罪を認め、自浄作用が皆無であったことも認め、市民オンブズマンなどの指導を仰ぐ、とこうでなければいけない。

仮に、裏金作りは明白である、しかしながら、どれが不正使途であるかは判断できないから、使途明細の公開はしなくてよい、と判決したら、世間はどう思うだろう。

これを仙台高裁がやったのである。

不正はあった。しかし、どれが不正かは分からない。よって、無罪である。公開は無用である。

日本の司法の堕落は最高裁に限っているとは思っていないが、私の住んでいる宮城県で現実を見せつけられると、怒りを通り越して、笑ってしまう。

この交高裁判事の名前は、今分からない。顔からは、品格の「ひ」の左始めの一筆も感じられない。そのうち、新聞が来るから分かる。そうしたら、改めて、名前を太文字にして広告してやる。埼玉版だが、こんな「珍事」はたぶん全国に知れ渡ったことだろうから。

後がある。

村井知事が、この最高裁の判決を大いに褒めたたえたコメントをしたのである。もともと、軍人上がりの脳なしだから仕方がないといえばそれまでである。しかし、この知事が今年の改選選挙で圧倒的支持を得て再選されたのである。

これは、笑って済ませられない。正義感に欠けた知事を頭に選んだ宮城県民の政治感覚の次元の低さを、私は、一県民として、嘆かないわけにはいかない。

付の1。
村井知事は知事になってからも一貫して県警の不正をかばってきました。それは、県民で知らない人はいないでしょう。私は、これを指して、政治感覚の次元の低さと言うのです。

付の2。
県警と交番のお巡りさんとは別質です。大卒エリートの倫理観の程度が知れます。私は国家試験廃止論者であります。

付の3。
この判事、数年すれば、どこかの県に去ってくれます。宮城はバンザイですが、どこかの県は悲惨です。それで、こういう判事は最高裁の受け抜群ですから、多分いつか最高裁判事になるでしょう。冬のボーナス600万円、いいなぁ。

終わりでありません(米米CLUB流で)

正義感、というより常識をもった地裁の判事は、こんな高裁判事が上司でいるのですから、バカバカしくってやってられるかいとばかり弁護士に転身します。こんな高裁判事は日本全県転勤して猛毒を撒くわけですから、全県の常識地裁判事は、みんな辞めていってしまいます。残るはカスばかり。これが50年続き、これからも続くなんて、あな、恐ろしや。

地裁から証拠が上がってきました。遠山の金さんがいないことをもっけの幸いとして、握りつぶしたのですな。さすがに、不正はなかったとは言えなかった。さぞ、苦しかったろうに。なに、そんな玉かよ。

これでほんとのお終い。

NHK、静かに過ごそうと思っていたが

NHK歳末助け合いの偽善は、昨年の暮れに証明している。今年は、くどいのでそっとしておこうと決めていたが、我慢がならなくなり一筆参上する。

一つ。
前の会長の退職金が8千万円とか9千万円とか。不祥事が相次いでおきたので、減額して千8百万円にしたとか。これは、新聞で知った。NHKがニュースにするはずがない。読んだ新聞をどこにやったのか覚えていない。だから、金額はうろ覚えである。「会長の退職金は皆様の受信料から出しています」本当はこのように公表すべきである。

公共事業の代表であるゴミ収集車の運転手。40年勤めていくら退職金が得られるか。自称公共事業のNHKとは格が違う、運転手の方がずっと上の格である。

一つ。
「政府の決定により、2012年から現行テレビは映りません。お金が必要です。今から言っておきますからね」

政府を動かしたのは一体どこのどいつだ。政府がそう考えたとしても、そうしてはなりませんと言えた立場であったのはどこのどいつだ。電波が満杯になったので、NTSC方式は限界だと。ならば、その範囲内でやりくりすれば済むことだ。ガラクタ番組をダラダラ流さなければ、ノー・プロブレム!ではないか。

一つ。
募金のお礼放送。皆様の公共媒体のNHKからの挨拶とは、笑わせる。金を払うテレビには映る、金を払わないテレビは映らない、これで、どうして公共なのか。世間には金持ちもいれば貧乏人もいる。金があっても受信料を払わない者もいれば、払う金がなくてもNHKを見たい者もいる。これが社会でありそういう社会をカバーしてこそ公共である。

新聞は購読契約しなければ読めない。売店で買わなければ、電車の棚に置き捨てになった新聞しか読めない。選択的、排他的な読者向けだから、新聞は公共と言っていない。言う新聞があるとすれば、うぬぼれである。

一つ。
8月恒例の戦争番組。チャンネル換えの時、チラッと見たら、日本の核武装、賛成か反対かという激論が交わされていた。高校の物理教室のようなひな壇があって、そこにいろいろな年代の人が数十人座っている。みんな真面目に自分の主張を述べているのである。NHKの番組作成がどんな基準でなされているのか、これほどナンセンスな戦争番組は見たことがない。

今の世界、核拡散を保有国はやっきになって防ごうとしている。自分らは持っている、何が悪い、でも、これからはダメだ。現実である。

その先頭に立っているのがアメリカ合衆国。どこの国に対しても核武装を許さない。まして、いつヒロシマ・ナガサキの怨みが吹き出るかわからない日本に核を持たせる訳がない。そんな環境にありながら、核武装云々は、不毛も不毛、これ以上の無意味はない。企画する阿呆、参加する阿呆。

受信料からいくら出したかしらないが、1万や2万の費用ではあるまい。集まった人間の交通費もばかになるまい。こんな番組をせっせと仕組む位なら、なんで戦時の放送録音を流さないのか。国民を煽ったのは新聞と言わんばかりの態度を改めないのか。

一つ。
朝、テレビを見たら、紅白歌合戦の来場希望者を、受信契約者限定でくじ引きして選んだと言っていた。受信契約者限定を二度も繰り返した。くどい。「紅白を会場で観るチャンスが欲しけりゃ、金を払いな」、これはヤクザか都知事のセリフである。

忌々しいのは、台車に載せた応募したはがきの山をテレビで写したことである。「小国寡民よ、お前が遠くでボソボソほざいても、ほれ見ろ、こんなに国民の支持があるんだぞ」と私をあざけった。

年末最後の今日、寝付きが悪くならないように一筆参上したという次第である。

付の1。
手持ちのテレビは、DVD再生には、チャンネル切り替えが必要なプロセスになっています。見るつもりがなくても、ちらっと見えてしまう。不幸の始まりでした。

付の2。
「昭和20年」の番組がありました。戦後を語る人たちに、新聞を持たせていました。ワン・パターン。新聞ではこう書いてある、こればかり。でも、良質な番組でした。

付の3。
来年もNHKは私のテーマになります。それは、NHKが日本の政治を動かしていると考えていることと、NHKには志をもった優れた人材が多数いる、それが米国文明賛美経営陣に押さえ込まれている、そう信じているからです。甘いかもしれません。

経済成長は悪い、ソフト・ランディングしながらの経済不成長を

経済不成長という言葉は広辞苑を開くまでもなく、日本語にないことぐらい、私は分かっている。それでも、他に適当な言葉が浮かばないから、仕方なく使うことにする。

鳩山首相の所信表明全文を新聞で読み、これで内政は絶望だと確信した。以降、私はこのブログで国内問題に言及したのは、わずか五輪招致の外遊の愚だけである。それも、時差ボケということで許した。

昨日、彼がよせばいいものを、強いリーダーシップなどとどこかで聞いたようなセリフを吐いたものだから、我慢出来ず、取り上げることにした。

経済成長は、途上国の言葉である。自殺者年3万人を持続している日本の使う言葉ではない。ハイテク産業育成、補助金・助成金による農林水産業保護、子育て支援、高校学費無料化、こういう方向に進めば進むほど、失業者が増えるし、自殺者が増える。

これは、来年のブログに引き継がせるテーマである。経済「成長」戦略が大変な誤りであることだけを言って、今年のブログを閉じることとする。

私の不成長論は来年のお楽しみに。

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成長戦略、年内にも策定=雇用・環境・子どもが柱-政府
11月8日16時43分配信 時事通信

 政府は8日、内需拡大と新産業育成による景気浮揚を目指し、中長期の経済成長戦略を年内にも策定する方針を決めた。「雇用」「環境」「子ども」を3本柱とし、関係閣僚による閣僚委員会を今月中に設置、本格的な検討に着手する。菅直人副総理兼国家戦略担当相が同日、都内で記者団に明らかにした。

 「雇用」と「環境」に関しては、既に政府の緊急対策本部や検討チームが動きだしている。成長戦略には、それぞれ介護や農林業分野などでの新規雇用創出や、太陽光パネルの普及、環境分野での新産業育成などが盛り込まれる見通しだ。

 「子ども」分野について、菅氏は「短期間に全国で保育所の待機児童がなくなるような政策を打ち立てていきたい」と語り、民主党が掲げる子ども手当に加えて、子どもを持つ女性の就労を支援する仕組みの必要性を強調。「小中学校の空き教室など、保育園、幼稚園が一緒になって活用できる枠組みが必要ではないか」と述べ、「幼保一元化」の検討にも意欲を示した。 

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「実行力試される時」=成長戦略、実現へ決意-鳩山首相
12月30日15時4分配信 時事通信

 鳩山由紀夫首相は30日、新たな経済成長戦略を決定した臨時閣議後、首相官邸で記者会見した。首相は政官民一体となった取り組みが重要との考えを示した上で、「古い壁を壊さなければ新しいフロンティアは生まれてこない」と強調。新戦略の実現には政治の強力なリーダーシップが不可欠として「新政権の実行力が試される時だ。何としてもやり切る」と決意を述べた。

 また、首相は、旧政権の成長戦略が政治的リーダーシップの不足に加え、公共事業依存や市場原理主義の呪縛(じゅばく)で失敗したと指摘。環境・健康・観光で需要を創出するとともに、国民生活の向上に主眼を置き「友愛精神に基づく『人間のための経済』で、この国の成長をしっかりつくり上げる」とアピールした。

 また、同席した菅直人副総理兼国家戦略担当相は「民主党には成長戦略がないのか、と指摘されてきたが、満を持して打ち出すことができた」と語った。

付:
この2件の記事は鳩山経済政策の根幹故、ネットをそのままコピーしてあります。著作権などで問題がありましたら、即刻削除します。 

私の人生、最後の年賀状書き

四十代の頃が一番多かったように思う。喪中の挨拶である。年々減ってきて、来年古希を迎える今年は、数枚である。

それと反比例して、賀状の枚数が減ってきている。現役時代の付き合い程度でも賀状だけは欠かさないという人がいる。そういう人にもう今年でお終いにしようとする人はめったにいない。根が律儀なのである。

隠居してから十余年、急に賀状が途絶える。仲が悪くなるも良くなるもない。賀状交換だけの付き合いになっているから、別段先方を不快にさせたようなこともない。それで、春、夏、秋と四六時中気がかりになったまま年の瀬を迎えることになる。

然り。

まだ生きているのかどうかが気がかりなのである。喪中の挨拶で、「私儀、本年8月無事昇天しましたので、新年の挨拶遠慮云々」とは書けない。

江戸っ子の洒落で、3年ほど先付を用意して、残った身内に書かせたら面白かろうと、密かに決めていた。賀状に「お元気ですか」なんて添え書きした相手の小国寡民は実はすでにいなかったなんて分かった時の顔、想像しただけで愉快だ。

それを、数年前島に集まってくれた高校の仲間に披露したら、「半世紀過ぎてもお前のバカは治らない」と顰蹙を買ってしまった。言われれば、確かに趣味が悪い。

自分が死んだことは賀状相手に知らせることができない。急に来なくなれば、小国寡民がどうしているか心配でたまらないはずだ。そんな迷惑は掛けたくない。

「もう生きちゃあいまいなぁ」このように想ってもらうのが私の理想であるが、生きているかどうかを賀状に託すのは本意ではない。

考えた。

思案の末、島の賢人の教えをヒントに、賀状を中止してしまう手を見つけた。黙って中止すれば、失礼にあたる。そこで、平成22年の賀状は、最後の賀状と断って送ることにした。

賀状交換だけの付き合いはこれで終結した。平成23年の賀状はもうこちらにも来ない。先方も気楽になったろうし、私も気楽になった。

遠くで、お互いに、「もう生きちゃあいまいなぁ」と想い合うことの人生の余韻、如何。

付の1。
ビング・クロスビーが歌うこのホワイト・クリスマス。英語の歌詞では最高でしょう。ミュージカル「回転木馬」の歌詞と双璧をなしています。私見ですが。
~~~~~
I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
~~~~~

付の2。
これで、平成23年を迎えるまでに、閻魔様にお目通りとなっても、気が楽になりました。ホント。

付の3。
ほっとしたなんて喜ぶ先方様もいないではなでしょうね。あるいは、ほとんどだったりして。ひがまない、ひがまない。

2009年回顧(4) 私の楽園暮らし 

某月某日 

朝、ベッドの上でぐずぐずする。低血圧が言い訳。
8時か、まだ早い。9時か、そろそろか。10時か、もう10時か。
メールを見る。
尺八を吹く。今日は調子が悪いなぁ。
ネット碁でも始めるか。また負けた。今日の相手は強いなぁ。

昼ご飯のあとは、昼寝。
犬が散歩の催促。では、行くか。
犬と山羊を連れて外に出る。春秋、夏、冬、それぞれコースがある。
今は、冬の裏山コース。マムシ、スズメバチ、クモがいないため。
プライベート・ビーチ行きは共通である。
全世界の人間の罪障を我が長管の「ぼ~ぼ~」で消滅せんがためである。
と、意気込みは立派だが、たいていは「しゅ~しゅ~」である。
意気込みが意気消沈に変身して、家に戻る。

だいたい1時間半の行程。今日も人に遇わなかったなぁ。平穏だなぁ。
夕方か。またネット碁をやるか。一手のポカで負け。バッカだなぁ。自己嫌悪。

夕飯のあとは、またひと眠り。
映画を観るかなぁ、それとも音楽にしようかなぁ、やっぱり、1局勝つまで、碁をやるかなぁ。悩んでいるうちに時が過ぎる。

もう10時か、寝るとするか。あ~、今日も一日が終わったのだなぁ。
ありがたや、ありがたや。

・・・・・

普天間基地問題で社民党が連立離脱、公明党が連立参加、こんな悪夢が現実に起きたら、私の楽園暮らしは、毎日がこういう某月某日となる。勘弁してくれ、鳩ポッポ!

1227某所から金華山

鳩山外交 アレレ、雲行きが怪しいぞ

今、ヤフオクの評価をしようと、ネットを開いたら、こんな記事が目に入った。

「鳩山由紀夫首相は26日午後、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「現実の中で考えれば、抑止力の観点から見てグアムに普天間のすべてを移設させることは無理がある」と述べ、米領グアムへの移設の可能性を否定した。アール・エフ・ラジオ日本の番組収録で語った」

私は、彼の腹はグアム移転で普天間基地問題を決着させるものと、決めつけてきた。

その根拠を繰り返せば、中台間の緊張が無いこと、冷戦終結後、日米安保の意義が日本を占領状態の保持にあり、東京以外の基地は、どうでもいいこと、この2点であった。

鳩山首相もオバマ大統領もこれを共通認識として外交交渉を進めていると、楽観してきた。

社民党が連立政権から離脱しない限り、鳩山首相をはじめ内閣の閣僚の様々な言動はすべて陽動作戦やメディア対応のフェイントであると語ってきた私だが、「抑止力」が鳩山首相の口から出たとなると、話は違ってくる。

「抑止力」は、単なる陽動作戦のためとして出せる言葉でない。世界をどのように捉えるかという外交姿勢の根源的スタンスから出る言葉である。

社民党が連立離脱に踏み切れば、この記事の通りである。そうでなければ、扇動こそ使命と信じているマス・コミの安いヨタである。

内政がダメ、外交もダメ、これでは、ナポレオンかだれかではないが、百日天下となって終わる。

付の1。
社民党と組んだ一芝居にしては、抑止力を持ち出すとは冗談がきつすぎます。

付の2。
日本殺すに刃物は要らぬ。石油と食料、止めればいい。アメリカの脅しに鳩山さんが気がついたのでしょうか。はて、さて。

付の3。
普天間基地が沖縄県内移転で決着した時点で、私は、己の不明を恥じ、このブログで外交は二度と話題にしません。

1226朝


鳩山内政 長い目で見るべきとは言え・・・

数十年も病床に横たわっていた患者を、数回の治療で元の体に戻すなど、どんな名医だって不可能だろう。

鳩山政権は、4年間、独裁的権力を自由に行使できる。マス・コミがどう書き立てようと、NHKがどう世論調査を放送しようが、うるさいハエと思って我慢すれば、4年間は保証されている。

お隣中国ほどの長さではないが、したい放題をするには十分以上の時間である。

前期の2年間、これは、自民政権の後始末・尻拭いで手一杯であろう。家も新築より改築の方が面倒なそうな。ザル碁の手直しを根気よく教えてくれるプロ棋士は、内心、こんなに手直しするくらいなら、一手目から自分で打った方が楽と思うそうな。

私は、2年は、片目をつぶり、もう一つの片目は細目にして、その分、長い目で見ていく考えでいる。これがおかしい、あれもおかしい、と文句を並べたところで、1年や2年で文句が解消できるはずがない。

それでも、言わなければならないことはある。

マニュフェスト違反である。

高速道路を無料化すると公約した。選挙の時自民党が減ったカネはどうするんだと突いていた。ガソリン暫定税率を廃止すると公約した。やはり自民党がカネのことで突いていた。

民主党は、それでも、「やります」と公約した。先立つものはカネ、地獄の沙汰も金次第。町方の発想で自民は生きてきた。政治を司る支配者は、こうではいけない。「金はなんとでもなる。やると言ったらやる」こうでなければいけない。

それを、なんとしたことか。「台所が苦しいので、止めました」だと。あまつさえ、「世論の動向も見極めました。国民の皆さんは理解してくださるはず」と、言い訳けまでやった。

これでは、自民党と変わらないではないか。同じく選挙で大勝した昔の小泉さん、一度だって、言い訳けをしたか。為政者は言い訳をしてはならないことを彼はよく分かっていたのだ。ならないというより、無意味、やぶ蛇と認識していたのだろう。さすがだ。

民・百姓は為政者の有能・無能をどういう基準で判断するか。

一言、「信」である。

やると言ってみたり、やらないと言ってみたり、やれると言ってみたり、やれないと言ってみたり、こんなご都合主義は、庶民は自分らの世界で毎日見飽きている。

やはり、上に立つ者は、我々とは違う・・・こう思わせなければ、政治家は続けられない。

野球では、9回になるまででも、ファウルや空振りでストライクを取られる。黒星先行の相撲と違って、前半がだめでも、後半で逆転がある。

私は鳩山政権を相撲に見立てるより野球に見立てる姿勢でいるが、公約違反は、片目でも、細目でも、長い目でも、全部ダメ、公約復活で予算を組まなければ、彼はお終いだ。

孔子様には毎度の登場でご苦労だが、論語で締める。

  論語 卷第六 【顔淵第十二】
  子貢問政、
  子曰、足食足兵、民信之矣、
  子貢曰、
  必不得巳而去、於斯三者、何先、
  曰去兵、
  曰必不得巳而去、於斯二者、何先、
  曰去食、自古皆有死、民無信不立。

辞書 erliuzi氏の寄稿

わが愛用の国語辞典は 『新明解国語辞典』。

1973年8月、赴任先のサイゴン(ホチミン)で買ったのが第一版でした。

その後、蔵書の整理に頭を痛めていると、連れ合いが「旧い辞書なんて捨てればいいじゃない」。

孔子のかの名言「女子と小人は・・・」登場もそんなことがあったのでは。

最近刊の 『岩波国語辞典』、端正だけど個性のある 『新明解』の語釈が楽しい。

わが 『中日新語辞典』のできばえは如何に?

2009年回顧(3) 景気の回復と日銀

今日のニュースで、日銀が、自分たちがデフレを認めると日本経済が萎縮するから黙っていようと、なんとかの会合でひそかに決めていたという。

来月には、今日の新聞が手元に届くから、その時には、正確な名称がわかる。わからなくても、一向に差し支えないから、ブログを続ける。

一つ。口裏合わせ・・・
もうこれは、日本人の血としか言いようがない。西日本JRも好例だ。原発電力会社も好例である。企業の口裏合わせは、自己保身のためだが、日銀の場合は、公表すれば世間に悪い影響を及ぼす、決して自己保身に走ったのではない、だから口裏合わせも正しい、とこういう傲慢な論法である。

どこかで聞いたセリフである。そう、太平洋戦争中の大本営発表である。めちゃくちゃに負けて、航空母艦が沈んじゃった、でも、この事実を発表すれば、一億臣民の士気に悪影響を及ぼす、無しにしとこ、これである。ウソをついたにはついたが、保身ではないと言いたいのである。本当に敵の損害の方が大きかったのかいな、とNHKも新聞記者も疑ってはいたものの、士気に悪影響を及ぼさないようにということで、大本営発表を伝達していた。

これがどんな結果をもたらしたか。1945年に戻ろか。

日銀の態度はこうした大日本帝国政府のサル知恵、浅知恵とまったくかわりがない。デフレと判断したら、デフレと発表すればいい。マス・コミが、「どうしてくれるんだ、責任を取れ」と言っても、書いても、失職しないのだ。

も一つ。デフレ・スパイラル・・・
こちらも深刻である。デフレが深刻でなく、日銀の経営者が、デフレに対して、手の打ちようがないことを知っていること、それを誰も口に出せないことが深刻なのである。

日銀のエリートは経済の本質をかなりしっかり理解している。ドルが下がった、わ~、わ~、円が下がった、わ~、わ~、株が下がった、わ~、わ~、株が上がった、わ~、わ~、こういうテレビ評論家やNHK御用達経済学者と違う。

経営委員の中にはどうしようもないエリートもいようが、ほとんどの委員は、景気回復そのものを信じていない優秀な頭脳の持ち主である。自分の在職中に、大パニックが起きないことのみを祈りつつ内心びくついて出勤しているだけである。

はっきり言えば、もはや資本主義経済が歴史の中でお役目ご免であることを、彼らは理解しているのだ。やむを得ず、金融資本主義だの、強欲資本主義だの、放任資本主義だのと飾り言葉をつけているが、すべて方便である。

デフレは止まらない。景気は年々悪くなる。

これは正常な動きであって、デフレをくい止めよう、景気を良くしようと政府・日銀が策を講じれば講じるほど、民百姓に負担がかかってくる。

デフレが困ると文句を言い、景気回復を最優先せよと詰め寄る民百姓が、シッペ返しに遭うのだから、自業自得といえないこともないが。

付:
景気回復政策を堅持し続ければ、ハイパー・インフレが待っています。でも、恐れることはありません。紙切れにゼロを3つか4つ追加印刷すればいいのですからね。

1224金華山

2009年回顧(2)  人の話を伺っていては維新はできません

改革と革命の違いはだいたい分かります。刷新と維新の違いもだいたい分かります。

鳩山政権、平成維新を実行すると約束しました。

維新は刷新ではありません。もっと、強い意味ですよね。広辞苑を見ましたら、「政治の体制が一新され改まること」とありました。もう一つ、「物事が改まって新しくなること」がありました。

幕藩体制から天皇政権に改まったから明治維新。徳川何代目が何代目に代わったでは、維新と言えません。

自民・公明連立政権から民主連立政権に代わった今年、政治体制が一新されたでしょうか。否です。

鳩山さんは、後者の意味で維新を使ったと思います。彼はそれが脱官僚だというのです。

残念ながら彼には無理です。八ッ場ダムで、有無を言わさず中止しなかった時点で鳩山政権の維新断行不可能を察知しました。

享保の改革、寛政の改革、天保の改革、ことごとく失敗したのは、官僚が既得権死守に走ったからでしたよね。それぞれ道理を持っていますから、評定すれば、必ず賛成・反対が起きます。

レーニン、毛沢東、彼らが成功したのは、人の話しを聞かないばかりか、文句をいう人そのものをバッサリあの世に送ったからです。その位やらなければ、政治の世界で改革はできません。

日本でも織田信長が、お坊さんの言うのももっともだ、農民の騒ぐのも一理ある、光秀もいいことを言うなあ、なんて感心してたら、何もできませんでした。シャラップ!の一言がすべて。

今の世の中、民主主義でそんなの通用しませんですって。維新と民主主義は水と油です。民主主義のおかげで五十五年体制が存在してきたのですよ。それを改めようというのですから、民主主義なんかに気を配ってはいけません。

やはり、民主主義が大切だというのでしたら、維新は諦めることです。

私は、ここで民主主義の価値を語りません。民主党政権があくまでも維新を貫こうとするのなら、公開仕分け作業はとんでもない間違いでしたよ、と言いたいのです。だまって、バッサ、バッサ、中止・廃止を決めなければなりませんでした。

私は、こと内政については、鳩山政権になんの期待も抱いていません。歴代自民総理の卑屈さを持ち合わせていない彼の育ちの良さが対米交渉で発揮されればそれで十分と思っているのです。

付の1。
独立行政法人のいくつが今回廃止ないしぶら下り先の省庁に回収されましたか。

付の2。
維新は戦時下の軍隊と同じ。上意下達。一度こうやると決めたら、実行するのみ。下位の兵隊にわいわい言わせたら、収拾がつかなくなります。負け戦、必定です。

付の3。
それにしても、マス・コミのあら探しはひどい。日本が混乱すればするほど、視聴率が上がるからでしょうが。

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2009年回顧(1) 友の美酒に酔うを羨む

新聞一括精読で体も脳もヘトヘトになったここ一ヶ月。月下独酌を続けたら本当におかしくなってしまいそうな感覚が私を襲った。

それで、ずっと飲酒を絶ってきている。何事も、そこから抜けると物がよく見える。今日は、酒の話をしてみよう。

朝、起きる。いつの間にか夜になる。グラス一杯の自ビール、冬はどぶろく一合で一日が終わる。ありがたいにはありがたいが、別な「ありがたい」飲み方があることに最近気がついた。

一つは体。
高校の仲間が東京のフル・マラソンに参加し完走した。私だって、参加出来ないことはないが、スタートの先、100メートルで、都民病院直行である。無理して400メートル走ったら、そのまま、都民斎場行きだ。

彼は、病院にも斎場にも行かず、数時間掛けてゴールのテープを切ったのである。

サッカーなどの団体スポーツなら、適当に休んでいても終わりになる。現に、ボールから遠い選手など、ただ歩いているだけである。テレビ中継では、ボールばかりしか追わないからわからないが、運動をしているのは、常に三分の一程度である。

野球なんかもっとひどい。27の三振を取ったチームの内野手4人、外野手3人、ただ立っているだけである。

ついでに加えると、自民政権下の予算委員会もひどかった。ただ座っているだけの議員になんで歳費を出すのか、もったいなかった。

マラソンは違う。

徳川家康が人生はマラソンだと嘆息したように、自分の体をスタート地点からゴールまで移動させなければならない。40キロだか42キロだか、私の島の県道だったら5往復しなければならない。真っ直ぐ進んだら、ハワイまで行ってしまう。

この友は、完走の後のビールが格段にうまかったと言っていた。

もう一つは頭。
大学の仲間が辞書を完成させた。かれは、百冊を超える著書をすでに実績としているが、辞書は他の著作とは意味がまったく違う。

小説、随筆、和歌、経済書、まあなんでもいいのだが、本を書くだけなら、誰にでもできることである。読まれるか読まれないか、売れるか売れないか、こういう次元でその本を評価しさえしなければの話としてもだ。

辞書は違う。辞書は言葉の座標軸の原点(0,0)である。小説など他のすべては、(x,y)でしかない。著者によってうまく言葉が使われれば、傑作になり、いい加減な著者なら言葉もいい加減な使われ方をされよう。

辞書は違う。(0,0)そのものを追求するものである。「売れませんでした、まあ、しょうがないか」、で済まないのである。私の金田一京助古語辞典は手に入れてから50年経っている。Shorter Oxfordも40年。かくも長きの年月に耐えなければならないのである。

作曲だって、辞書作りから比べれば、易いものだ。自分の好みで作ればいい。絵画・彫刻なんかもっと易い。私の目では、ピカソのどこがいいのか、ジョイ・ウォンの写真の方がずっと価値がある。

最後の1字を書き終わった後のビールは、やはり格段にうまかったに違いない。

二人の友は、私と同じく1940年生まれで酒好き。

飲み助は、酒がうまいという。私もうまいと思う。しかし、何かを完成させた後の酒のうまさは、ただの飲み助のうまさとは、まったく次元が違うのではないか。

私は、これからもこういううまさを経験することはない。羨むのみ。

付:
ジョイ・ウォンはチャイニーズ・ゴースト・ストーリーに出演した女優です。私、大ファンですが、カミさんには内緒にしています。命が惜しいからね。

1224メリー

COP15(高校生必読編) COPはコペンハーゲンではありません

まさかロボコップのコップではないだろうと気に病んでいた矢先のこと、コペンハーゲンだからと納得していた。京都議定書があったことも、私の想像に寄与した。

昔の仲間はありがたいものだ。

先ほど、珍しく夜、メールを開いたら、「おバカちゃん、COPはコペンハーゲンではないよ。ペラペラペラなんだよ~」と教えてくれていた。

でも、私のブログに寄ってくださる皆様のこと、小国寡民のヤツ、またデタラメを言いおって、で済むはず。いつか適当な時に謝ればいいかと、尺八を吹き始めた。

と、突然閃いた。

仮に、就職希望の高校生が私のブログを読むとする。COP15を知る。面接試験を受ける。貧相な人事課主任がCOP15の意味を聞く。高校生が、得たりとばかり、「強欲連中がコペンハーゲンで空騒ぎしました。コペンハーゲン、コペンハー、コペン、コペ、ローマ字読みでCOPです」と答える。

私だったら高校生のユーモアセンスを認めるだろうが、貧相な主任ではアウトだ。世は就職難の時代。これで落とされたら、かわいそうだ。

連想は続く。こちらはかわいそうで済ませても、向こうが、可哀そうで済むなら警察はいらねぇ、と怨んだら・・・

両親から、青少年福祉法違反か偽証罪か詐欺罪か公文書偽造罪か、なんだかで訴えられるかも知れない。親が航空自衛隊のパイロットだったら、訴訟なんか面倒だ、ミサイル一発お見舞いしてやるか、となるかもしれない。

もう、一音成仏どころではない。

と言う訳で、今、ソソクサと下書きを記している。

面接を明日に控えている高校生諸君、このブログ、必読ですよ。

付:
ペラペラペラ英語が入っていますので、仲間のアドバイスをそのまま転記しました。ドント トラスト ミー。トラスト ハー(仲間)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
会議の対象が
正式には

気候変動に関する国際連合枠組条約
United Nations Framework Convention on Climate Change、略称:UNFCCC、FCCC

さらに、会議は

気候変動枠組条約締約国会議(Conference of the Parties、COP)

だそうです。その第15回会議ということです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

1222裏道a

COP15(最終章) 国じゃないのよ、人なのよ

人類は奈落の底に落ちていく。

世紀末論者、末法思想家のいずれでもない私も、誰かからこう言われると、そういう気分になってくる。唯一の救いは、人類奈落の前に、私の方が先に昇天できることだ。

新聞に国別の炭酸ガス排出量が円グラフで表されていた。

中国が21%、米国が20%、突出している。テレビやラジオのニュースでこの2カ国が槍玉に挙げられているのもうなづける。

国別ワースト順位
1位 中国  61億トン
2位 米国  59億トン
3位 ロシア 16億トン
4位 インド 14億トン
5位 日本  12億トン
6位 ドイツ  8億トン
8位カナダ  2億トン
8位 英国  2億トン

待てよ。

炭酸ガスは、中華人民共和国が排出しているのか。アメリカ合衆国が排出しているのか。生身の人間でしょうが。

そこで、一人当たりのワースト順位を作ってみた。

1位 米国    19.7トン
2位 ロシア   10.7トン
3位 ドイツ   10.0トン
4位 日本     9.2トン
5位 カナダ    6.7トン
6位 中国    4.7トン
7位 英国    3.3トン
8位 インド    1.3トン

さんざん排出してきたアメリカとようやく物質文明の入り口にたどり着いた中国と同列に語るのは不公平と言ってきたが、人間単位で見ても、不公平であることがわかる。

今後も、ニュースで温暖化問題が取り上げられるだろうが、アメリカの4分の1程度の中国を論じる前に、アメリカ・ロシアを槍玉に挙げるべきである。

私に、中国の排出を正当化する意図はない。中国の総量をもって、自国の排出量の穏健性を主張する列国の非理を言いたいのである。

付の1。
イミダス07年版によります。大雑把に書き移しました。
 中国      13億人
 米国       3億人
 ロシア       1.5億人
 インド     11億人
 日本       1.3億人
 ドイツ     0.8億人
 カナダ      0.3億人
 英国       0.6億人 

付の2。
新聞には2007年の排出量とありました。こういう数字はテレビ・ラジオでは無理です。新聞のありがたい所です。

付の3。
ツバルの代表が本気になって怒っていました。人口1万、面積八丈島の約3分の1。小国寡民のお手本のようなポリネシアの楽園。私、本気になって同情しました。

1220yuugata.jpg

COP15 (続) 歴史を思い出させる

コップ、コップというので、ロボコップと何か関係があるのかと、おもっていたら、どうやら、コペンハーゲンの略であるらしい。

ニュースを聴いていると、まだすったもんだしている様子。

この様子をうかがっていると、ある歴史にたどりついた。

帝国主義列強国のアフリカ植民地化である。

初めの頃にやってきた帝国が、いいとこをどんどん自分の物にする。二番手は、その二番目のよい所を自分の物にする。そんなぐわいなものだから、後からのんびり参上した帝国は、カスしかつかめない。一部でもアフリカをカスというのは、語弊があるが、帝国主義国家の目ではそう映る。

そこで、一悶着もふた悶着も起きた。

コペンハーゲンのすったもんだは、アフリカの代わりに地球環境になっただけのことで、パイの争奪戦においてまったく同一である。

ひとつあるとすれば、アフリカの疲弊は、列強国にとって対岸の火事であるが、地球の疲弊は、自岸の火事である。最初はボヤかもしれないが、一度燃えたら、もう逃げ場なし。

私は、すでに手の施しようがない段階にまで、この火事はひろがってしまっていると、考えている。
                                   
世界中の人々も、それが分かっているのだが、ある人たちは恐ろしくて口に出さない、ある人たちは自分が損をするので口に出さない、ある人たちは笑われるので口に出さない、ある人たちはマスコミから干されるので口に出さない。

COP15でどんな声明が発表されようと、その声明で、地球環境が良くなることは決してない。アフリカがかわいそうだから、この辺りで手を打とうなんてありましたか。

尺八(1)  サマなる意味

新聞は深刻な話題を提供してくれます。特に、広告はそうです。今日はその一つを紹介いたしましょう。

「3ヶ月でサマになる」

このコピーは、大人向けヤマハ音楽教室の広告にあったものです。若い人がギターを持っている、マイクを持っている、フルートを持っている、サキソフォンをもっている。ひとりの人ではありません。一人だったら、サーカス芸人ですね。そう、計4人です。

この4人、お兄さん、お姉さんが、みんな歯をむき出しにして笑っているのです。これには驚きました。わずか3ヶ月の入門者が、こんなすばらしい笑顔で楽器を手にできることに驚いたのです。

私、尺八を始めてもう満4年。一度だって笑ったことはありません。世間様は、「首振り三年、コロ八年」と言って、私を慰めてくれるからいいようなものの、そうでなければ、泣きべそ、良くて半べそです。

音楽教室では3ヶ月でサマなる。私に稽古をつけてくださった尺八の師範は、達人ばかりであったのに、4年でもダメ。

悔しいから、せめて格好だけでも、サマにしようと頑張りました。

付の1。
音楽は姿じゃないのね、音なのよ。と言って、この姿、サマになっているなどと自惚れていません。イヌやネコの他に、ヒトがいることを知ってもらいたいためです。なお、写真の七寸管、音は全然出ていません。

付の2。
声楽ほか楽器すべて易しい、難しいはないはずです。琴は三年三味八年。櫂は三年櫓は八年。みんな手前味噌でしょう。

付の3。
新聞は特別の断りがない限り、このブログでは読売新聞です。

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仙台市議会、費用弁償半減 日額5000円

費用弁済が、市会議員の議会出席の日の交通費あること、そして、それが遠くの者も、近くの者も、無差別に1万円をフトコロにすることができること、すでにこのブログで紹介した。

その弁済金額を、市議会が、仙台市民オンブズマンからイチャモンをつけられて、半額にしようとしているのだ。

この根拠がまた振るっている。それで、再度、取り上げることにした。

仙台市議会の「改革検討会議」(西沢啓文座長)は・・・

市の厳しい財政状況や、全国的に費用弁償の見直しが進んでいることなどに配慮した。西沢座長は5000円としたことについて「他都市の事例や判例などさまざまなケースを参考に検討し、委員の同意を得た」と説明している。

この提案のために計7人16回の会合を開いて協議を重ねたと胸を張った。どんな胸をしているのか、私の感覚では、とても胸を張れるものではない。

先ず、1万円が妥当か不当か、この検証がない。次に、5千円に下げた根拠が、まったく論じられていない。あるのは右顧左眄である。他都市の事例は、ビンからキリまであったろう。判例は、これ以上高いと問題になりますよ、といっているだけだ。ゼロ円だっていいし、地下鉄やバスの実費でもなんら差し支えないのである。

判例を調べたのは、市民オンブズマンに再びイチャモンをつけられたくないためだけの理由である。

1万円は、平成バブルの副産物である。バブルがはじけても、1万円は残した。

その穴埋めに、費用弁償などという偉そうな専門用語を使うことで、仙台市民を煙に巻こうというわけだ。

伊達政宗を神様仏様と崇めている仙台でこうである。ああ、情け無や。

付の1。
1990年の条例改正で費用弁償が5千円から1万円に引き上げられた。2008年度の支給額の総額は約4186万円となっている。

付の2。
 費用弁償をめぐっては「報酬の二重取り」「お手盛り」といった批判が出ており、全国18の政令市議会のうち10市議会が費用弁償を廃止か交通実費の支給に改めている。

1217モモ

拉致被害問題 一筋の光明

拉致問題はこのブログの常連の一つである。

商売で、買うつもりのない相手から売り込みにきた時どうするか。門前払いをして恨まれては損だ。それで、相手が絶対に呑めないような条件を提示して、相手から断りのメッセージをもらうようにする。

例えば、大陸間弾道弾にでも搭載しなければ、間に合わない納期。これをやんわり、おだやかに相手にお願いする。相手もバカでないから、買うつもりがないことを理解し、次の機会もないわけではないと、穏やかに引き下がる。

日本政府が、実行犯の引き渡しを朝鮮側に要求している限り、解決はないと、何度も繰り返し言ってきた。

一国の支配権力が、自国の人間を他国に引き渡すなど、余程の理由があればともかく、あり得ない話である。

凶悪犯罪人でも、できれば渡したくない、まして、政治がらみとくれば、絶対に渡すものではない。

これまでの政府が、実行犯の引き渡しを条件としてきたのは、拉致問題を解決したくないからであった。外務省の秀才でなくても、私ばかりか田舎の国会議員の十分理解できる真理である。

鳩山政権は、実行犯の引き渡しを交渉前提条件から削除したという。

これで、問題がトントン拍子に解決するかどうかは、政府、とりわけ、外務省の腕次第である。しかし、実行犯引き渡しを条件にしている限り解決しないことから見れば、大躍進である。

拉致被害者の会が、この政府の処置を知ってどれほど安堵したことか。朝鮮脅威論軍備拡張愛国主義者がどれほど落胆したことか。

事態の喜ぶべき進展である。

1218a

ワープロ(2) タイプライターと日本語ワープロ

最近とみに、このブログの文章に嫌気がさしてきた。内容はともかくとして、表現にである。

信州に移住した都会人がよくやる田舎暮らしの定番、手打ちそばだからだ。心は、「素材はいいがずたずた」である。

一つの文章が頭に浮かぶ、その冒頭の文節をローマ字で書く。画面を見る。変換する。思った通りの漢字が出るまで、変換を繰り返す。今だって、「かんじがでる」に「感じが出る」が始まりである。

やれやれと安心する。気が抜ける。それで、ついそこに句点を打ってしまう。読点までたどり着く間に、最初の文章が頭から消えてしまう。これではいかんと読み直す。長い文章やちょっと「基地外水」が入ったら、面倒くさくてたまらなくなる。

結果が、ご覧いただいているずたずた文章である。

本論。

私は、原稿用紙の枡目を万年筆で埋める作業が失われた現在、もはや、漱石・一葉の再来はないと思っている。和文固有の流れるような文章の小説は、これからは期待できないのではないか。

アメリカの作家が、カリブ海のビーチで、タイプライターを叩く。あっと言う間に、小説を書き上げる(短編だが)。これは変換の必要がないからである。

「ザ リバー ランズ スルー イット」・・・打てば響く!
「その川はそこ(の中)を流れている」・・・変換、変換、また変換!

韓国語(朝鮮語)はハングル文字。こんど韓流映画を観るとき注意するが、パソコンのキーはハングルで、変換なしで、文章ができるのではないだろうか。最近、鳩山夫人にあやかり(冗談です)韓国映画をよく観る。筋がよく流れている。これも、シナリオが変換作業なしで、作られるからであろう。

中国語は漢字とローマ字、数字。日本語は、これにひらがな、カタカナが混じる。私がストレスに悩むのは、私が正常な神経の持ち主であることの証明かもしれない。

付の1。
朝鮮半島でなぜ漢字が使われなくなったか。ご存じの日本人の若者はそう多くないでしょうな。

付の2。
カタカナ文が読みにくいという人がいますが、単に慣れの問題です。きちんと分かち書きをすれば、読む速度は、日本が狂うほど遅くならないと思います。

付の3。
このブログ、手書きでアップ・ロードできるのでしたら、躊躇なくペリカンとモンブランに代えます。達筆故、お寄りいただいた方が読めなくなります。玉に瑕です。

付の3。
本編はOASYS・V8によりました。

1214ストーブの前

ワープロ(1) WORD、OASYS、一太郎

ワープロ・ソフトってよく考えると、すべて借り物なのですね。確かに、インストールするときに、使用許諾書らしきものがあって、「はい」、「いいえ」がありました。

もっとよく考えると、ほとんど(全部だと思いますが)のソフトに、この「はい・いいえ」があるようです。

「いいえ」では先に進まないので、「はい」

これでWORDを使わせていただいているのですが、すこぶる調子が悪い。最初が、95、続いて、98、そして今、2002。改良に改良を重ねているはずですが、変換が思うようにいきません。

例えば、きちがい。広辞苑公認のれっきとした日本語です。変換すると、「きちがい」、「キチガイ」だけ。きちがい水で通りますか。

めくらめっぽうは、「眼倉めっぽう」です。しょうこくかみんは「小国かみん」。

単語登録昨日があるからいいではないかと、言うかもしれませんが、やはり、すんなり、「単語登録機能」であってほしいですよ。

私、言ってみれば、借家人、あまり文句を言うと、そんなら出て行ってくれ、とアパートの家主に言われそう。しかたなく、我慢しています。

でも、今、ひそかにOASYSを試しています。若い時、会社では一太郎、家ではOASYSでした。かれこれ15年、OASYSがどれほど進化したのか、楽しみです。

3代にわたって付き合ってきましたWORDですが、ストレス爆発の臨界点にきているのが、自分でもわかります。ストレス解消ができるのなら、10万、20万の出費は軽い軽い。

OASYSがダメなら、一太郎君、頼みますよ。

仕分け人を批判する人々 クラシック音楽家

仕分けされたノーベル賞授賞科学者が異論を唱える。仕分けされたオリンピック選手が、異論を唱える。仕分けされた大学総長が異論を唱える。

ゼニ金に最も無縁であると信じられてきた人々が競うようにして、補助金・助成金の継続をテレビ局のカメラや新聞社の記者に訴えていた。

これら人々は、仕分け作業がその対象自体に無意味・ムダのレッテルを貼っていると錯覚しているのである。

補助金・助成金の陳情は、田舎のごうつくばり政治家の専売特許とばかり思っていた私は面食らってしまった。

それの頂点が、数日前のピアニストの記者会見であった。どこかで見たような顔と思ったら、中村紘子である。

仕分け人が言っているのは、国から補助は出しませんよ、これだけである。科学、スポーツ、大学、音楽、いずれにも価値判断は一切口にしていない。

それぞれの分野で超一流の人々が、ヒョンな所で、自分たちの常識理解力の能力不足を露呈してしまった。

私は言う。国の補助がなければできないようなら、さっさとお止めなさい、と。

付:
ショパンのピアノ曲がどんなにうまく演奏できても、感動する者、納税者のすべてではありません。江差追分の方が好きだという人の方が、圧倒的多数ではないでしょうか。あれだって立派な文化・芸術ですよね。

腹を括った民主党政権 日米同盟か国連か

いまさらの出来事ではない。野党時代、日米同盟と国連のいずれを優先するかと、激しく政府とやり合ったときから、小沢幹事長は、日本の不平等条約を嫌悪していたことが私は分かっていた。

自民党は、国連より日米同盟重視であった。

私の基調は、国連無益論であるが、次善を求める故、民主党に与している。

二つの大国、アメリカと中国。その狭間にある日本。見様によっては、こんなに気楽な立場はない。

日、出づるところの中国、日、没するところのアメリカ。

自民が日米安保に固執してきたのは、アメリカが日本製品の上得意様であっただけのこと。お客様のご機嫌を損ねては大変である。町方国家の面目躍如である。東アジアの緊張なんか皆無であること、私が考えていること位、彼らだって分かっていた。

町方の長所は、損得に明るいことである。

アメリカがだめなら、中国があるさ。時代がこう感じている。

好都合なことに、民主党政権の国家独立願望と合致する。

普天間基地問題で、もしも、日本側の「希望」が受け入れられなければ、日米安保の破棄を「要求」するも止むなし、ここまで、鳩山政権は腹を括っている。

それを感じ取る能力を有するオバマ大統領は、結局は日本側の提案を受け入れることになる。

付の1。
くどいようですが、国家間のやりとりが複雑であればあるほど、外交辞令、別の名は、カモフラージュ、が働きます。表面だけ追っているメディアさん、しっかりしてください。

付の2。
小沢幹事長は、自分の不人気ぶりがいかほどであっても気にしません。民主党に4年間の職場が保証されているからです。

付の3。
名ばかりNHK世論調査。普天間基地の移設先を自県にしてもいいかどうか、県別世論と自民党議員に聞いてみたらどうです。

冬の街彩る灯 ページェント12日開幕 仙台

2009SENDAI光のページェントが12日、仙台市で開幕された。31日まで、青葉区の青葉通と定禅寺通のケヤキ191本に取り付けられた約60万個の電球の明かりが冬の街を彩るという。

恒例行事になっているので、私も恒例行事として、文句をつける。

これまでと違うのは、消費電力の少ない発光ダイオード(LED)を全体の3分の1の約20万個導入した。これをエコと主催者が言っている。

全部の電球が60万個。これが全部点灯するかどうかも、数日前、チェックしたとあった。

ご存じの通り、仙台は大都会で、その中心の2本の通りは、普段でもまぶしいほど明るい。それでも満足せず、もっと明るくしようと60万個の電球を光らせる。買い物客を引き寄せるためである。

日当を払ってチンドン屋を雇うのなら、エコかもしれない。しかし、60万個の電球は、エコと言うことはできない。消費電力の少ないLEDを導入したのは、電力消費がエコに反していると言う自覚があるからだ。

20万個のLEDを作るためにどれほどのエネルギーが消費されたか、地下水が汲み上げられたか、知らぬふりをしている。

夜中に照らされる樹木にだって、いいはずがない。これで、地球にやさしいイベントといえるのか。

クリスマス商戦、結構。しかし、クリスマスが、イエス・キリストを生誕を祝うことであるならば、街頭を明るくしてはならない。真っ暗闇にすべきである。その闇の中でキリストの悩みのいくらかでも感じ取ろうとしなければならない。

宗教を商売の道具に使うなど、もってのほかである。あまつさえ、地球にやさしい配慮などと、よくも言えたものだ。

付:
日本ばかりではありません。キリスト教徒国すべてに、反省していただきたいと思っています。漆黒の夜を取り戻そう。

最高裁判事のボーナス、600万円也  パチェムー、ポルケ、ツェンマ、ホワイ、なんで?

12月になると、どこのテレビでも、公務員のニコニコ顔を居間の視聴者に見せる。

「こんな薄っぺらなボーナスでやっていられるかい」と口をプーと膨らませた公務員を、一度として見たことがない。公務員の中に一人もいないのか、それともいるにはいるが、テレビが見せないのか、私は知らない。

宮仕えの30年、夏冬と2回、私もボーナスを受け取っている。渡り歩いた先は、一カ所が財団法人、残りの五カ所は民間企業である。
                                       
財団法人も含めて、ボーナスの支給額は会社によって違っていたし、その会社でも、毎回違っていた。

その理由は、30歳くらいにすでに私は理解していた。

先ず、企業の業績である。俗に言う景気がいい、儲かっている、この時期の締めくくりのボーナスは、社員一様に多い。

次が、個人の会社に対する貢献度である。平均2カ月なんて言っても、私の袋には1カ月なんてしょっちゅうあった。貢献度の高い先輩や同僚が私の一カ月を山分けしたのだ。

それでも、私が過分のボーナスに恵まれたのは、大前提である会社の景気が良かったからである。

日本航空の社員の中には、優秀な人材がわんさといるはずだ。しかし、会社がおかしくなっていれば、ボーナスゼロに泣かなくてはならない。
                                       
もう一つ、大切なこと。

ある人たちは、ボーナスは給料の後払い、と定義しているが、これは間違いである。ボーナスは、企業業績と従業員貢献度の後払いである。

そこで本題。

最高裁判事のボーナス、600万円也。この検証をする。

先ず、企業業績はどうだったか。企業とはむろん日本国を言う。ますます貧乏になってきた。国民が揃って補助金・助成金を政府におねだりするものだから、火の車である。国という名称でなければ、日本航空と同じ扱われ方になっている。

次は、個人の貢献度である。司法制度の頂点にいて、私たちの能力では裁判ができません、ぜひ、市民のみなさん、良識をお貸しください、こうである。

貢献どころか、日本国民に多大な迷惑と不幸をもたらした一年であった。自民党政権のときは、憲法第九条が違憲であると言えなかった、これだけでも職場放棄の怠慢であるが、この半年でその言い訳は通らなくなった。それでも、知らぬ存ぜぬ、やっかいだから政治家に任せます・・・個人貢献度の査定は、マイナス5、最低である。

国の金庫の中は金塊の居場所である。それが、借用書と請求書の山。個人の貢献度はマイナス。これで、納税者の金六百万円がどうして、彼の懐に入るのか。

仕分け人の活躍を最も必要としている対象業務である。

付の1。
30年、一昔。昔から、600万円だったのでしょうか。

付の2。
所得税12万円の納税者100人分です。これに、高等、地方とピラミッド全員に配られるボーナス。全部でハウ・マッチ。最高裁が600万で、高等裁が6万円である訳がありません。地方裁判所には普通に配りましょう。民間で言えば、平社員ですから。それに、まじめに働いています。

付の3。
日本国憲法 第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

付の4。
他人の財布を探るのはスリ。税金の行く先を探っているので、私はスリではありません。


民主党政権の外交は筋金入りだ

優柔不断のように鳩山総理が見られるのも、お坊ちゃん兼公家の顔つき故、仕方のないことだ。

しかし、人は見かけによらないこともある。一見信念の塊のような政治家が、じつは守銭奴だったりする。

鳩山総理は、平成維新を国民の前で表明した。都合が悪くなったので、引っ込めるなどというほど、彼は、貧乏でない。これほどの強みはない。金の心配がないから、志にも筋が通る。

世間では、失うものがない者の強みというが、失っても失ってもまだ残るほどの財産を持っている者こそ、真の強みの者である。

もう一つ忘れてはならないこと。ご存じ、小沢幹事長である。この人は、海上給油中断で、アメリカと互角に勝負できた大物である。向こうから面会にきて、それでも断ったのだから、並の日本人ではない。ノーと言える日本などという偉そうな本を出しておきながら、職員にノーと言わせないどこかの知事とは人間の質が違う。

それが、鳩山総理のバックにいる。

今回、訪中団を率いて、アメリカ恐るに足らず、と一大デモンストレーションを行った。何百人の団体でも、格安チケットなら一人3万円、一大などと大げさに言う方がおかしいか。

更にもう一つ。それは、仕分人を選んだ時に分かった民主党の優れた人材選定能力である。外交面でも、立派なブレーンを確保しているに違いない。

普天間基地も、絶妙なタイミングを計っているところだ。自民党がやきもきする気持ちは、よく分かる。しかし、彼らにはかわいそうだが、外交は自民党の手から完全に離れてしまった。

民主党政権は、自民党や名ばかり世論を無視し、任期完了までじっくり腰を落として外交にあたる、今、まさにその過程にある。

私は、外交に限って言えば、鳩山政権を長いスパンで観察していくつもりでいる。

COP15 地球温暖化は防げない

世界の政治指導者が真剣になって議論をしているのを、あざ笑うようかのような言い方で申し訳ないのですが、今の指導者連中では、不可能です。

なぜでしょう。

真剣に議論しているのは、いかに自国の経済を成長させるか、成長させないまでも、停滞させないか、これが目的だからです。

どこの国の指導者が、自国の経済を少々犠牲にしても、地球環境の保全が第一だ、と演説しますか。できれば、この機会に一儲けしたいと企んでいるのですよ。

昔、経営者の本で、変化はビジネス・チャンスとありました。温暖化もその延長線上で議論されているのです。

ハリケーン・台風・地震・津波・森林火災、ほか天災が降りかかるたびに、道路、家屋、橋梁、鉄道、これらの会社が儲かります。自動車もフル操業となります。

海水面が上昇すると、またその対策に莫大な資金が必要になりますね。その資金は、海中に沈むのではありません、みんな誰かの懐に入るのです。

人の不幸は蜜の味とか、幸福でも、結婚式場が潤うので、不幸だけ取り上げるのは、不公平ですが、とにかく変化がなければ、GDPは上がらない、そういう経済構造になっているのですから、手のほどこしようがないのですね。

変化がなければ、作ってしまえ、この極端な事態が、戦争行為です。戦争を資本主義の責任とするのは、酷ですが、ある時代の戦争が、その時代の反映とするならば、現代の戦争は、資本主義を意識しないで解説できません。

話を戻しますと、地球温暖化は「化」というように、変化です。海水面が上昇して、陸地が沈む国など、政治指導者にとって、どうでもいいことです。うまくすれば、岸壁工事をわが国のゼネコンに、悪くても、セメントだけでも、なんて言うところが本音であります。

超高層ビルを建てて自慢するような国が、なくならない限り、温暖化は防げません。言い換えると、現有の高層ビルは、地上5階まで、それ以上は、廃墟にする、そのくらいの覚悟ができれば、温暖化は防げます。

アメリカさん、中国さん、ロシアさん、あなた方、国益を犠牲にできますか。

付 の1。
世界の政治指導者を指しています。世界中の指導者といっていません。

付の2。
以前、このブログで、船底に穴があいているを知っていながら、ダンスに興じている豪華客船に、環境問題をなぞらえたことがありました。

付の3。
同じ排出大国でも、私は途上国にまだ情状酌量的道理があると思っています。散々炭酸ガスをまき散らしておいて、「これからはお互いに、注意しましょう」、これでは虫がよすぎます。途上国の腹の虫はおさまりません。アメリカが、シンガポールのような狭い国土なら別ですが、なんでニューヨークにあんなに高層ビルが必要なのでしょう。

付の4。
技術革新は、エントロピーの増加をもたらします。地球環境悪化対策にはなりません。エコです、クリーンです、地球に優しいです、こんな戯言が、世間をまどわすのです。

新聞閲読 今、胸突き八丁

勧誘員様:

勧誘員さんは数少ない「奇特な方」のお一人ですね。まず、お礼申し上げます。

体を壊してまで、読まないようにとの、今回の助言ですが、新聞のこと、勧誘員さんに感謝しているのですよ。

自称活字マニアの私、印字を追うだけで、ハッピーなのです。それに新聞は面白いです。

私の身を案じてそれほど大変だったら新聞を止めたらとのことでしたら、まあ、もう少し様子を見させてくださいといいたいです。新聞の記事をブログにして、平穏な世をこれ以上乱さないように、そのために読むのを止めたらとおっしゃるのでしたら、世を乱すほどのブログとはいかに誇大妄想狂の私といえども思っていません(お言葉自体、褒められているのかけなされているのか、そのどちらなのか悩みます)。

お寄りいただいている「奇特な方」は勧誘員さんのほかにはおひとりかおふたりです。小さな島の山の奥で人に迷惑だけはかけまいとひっそり隠遁しているわが身、なんの不満がありましょう。

ブログにありますように、今リハビリの最中です。もしも、ここで、新聞を再び読まなくなったら、死ぬまで読まないままでしょう。

総合月刊誌を完全読破するほどマニアックではない私、体調と相談しながら、しばらくは続けたいと思っています。

    平成21年12月12日  小国寡民拝

付:
erliuzi様の寄稿とは別に、古い仲間の一人が、私の体調不良を心配してくれました。その方の名が勧誘員というわけです。実際に新聞閲読を勧めてくれた方です。

「隅から隅まで」は読まずとも  erliuzi氏の寄稿

新聞を「従頭到尾」読んでもらい、元記者としてはとてもありがたく思っています。

ただ、頁数の割りには読むに値する記事が少なくなっていますね。とりわけ、最近は、「日米同盟」についてY紙など連日「危機だ」と煽っていて、東京・大手町で社屋が背中合わせのS紙と変わらなくなりました。

ちょっとだけ実務的なこと。

「格安旅行」は(1)から便を飛ばすより少しでも収入をという航空会社(2)同じくホテルーが冬季特別サービスで仕組んだものでしょう。現地でのオプション・ツァーや名産品工場見学、みやげ物店での買い物などさまざまな機会を設けてキックバックが得られるようになっています。

数年前の2月、上海・蘇州・紹興5日間¥38000というのに参加して得た知識です。

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