老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

NHKの良心 オン・デマンド方式

かねてから、NHKは選択番組有料放送を提唱してきた私、このニュースをNHKで聞いて、まさに欣喜雀躍。日ごろ、なんだかんだと文句ばかり言っているのも、NHKの職員の質の高さを認めていればこそ、やっと分かってもらえたのかと、このブログも日本のためにすこしは足しになったかと、宮城名物すずめ踊りを犬と猫の前で披露したものです。

善は急げ。善も速かったが、落胆も速かった。

先ず、NHKと受信契約をしていることが条件。これでは、ムダ金が解消しない。もっとも私は払っていないので、ムダといえないかもしれませんが、オン・デマンドのためには、契約が前提であるとのことで、挫折の第一段階。

次は、NHKに直接的には関係がないでしょうが、インターネットの通信速度。ご当地は、旧石器時代で流行したISDNなのです。NHKは高速通信でパソコンにダウン・ロードするようにとのこと。1時間番組をISDNでダウン・ロードした日には、夜を日に継ぐぶっ通しで何日掛かるやら。メールの授受、ブログの更新、一切できなくなります。第一、NHKの機械が、「もたもたすんなよ、田舎モン」と私のパソコンを袖にしますでしょう。

結局、オン・デマンドと絵に描いたもち。

その腹いせではありませんが、こんな言葉があったのをNHKの不遜として紹介することにしました。

NHK、曰く:

「ますますグローバル化する国際社会では、テロや紛争、環境問題など、複雑な問題が頻発しています。『BS世界のドキュメンタリー』はニュースだけでは伝わらない、国際社会の重要な問題に鋭く切り込み、その深層に迫ります」

よござんすか。ニュースだけでは伝わらない、おかしいでしょう。NHKは奥様は魔女、アメリカン・フットボール、アメリカの商業野球、何時間割いていますか。ニュースのための時間などふんだんに余っていますでしょうが。

「伝わらない」など、自動詞だが他動詞だがいい加減に、かつ、狡猾に、使うことで、あたかもオン・デマンドが公明正大、真相に切り込む、深層に切り込むとてもありがたいツールのようにみせるのです。

よござんすか。「国際社会の重要な問題に鋭く切り込み、その深層に迫る」のが毎夜7時のニュースでしょうが。

デタラメな解説をデフレ・円高にする時間があるのですから、苦しゅうない、その代わりに複雑な問題の深層に切り込んでください。

付:
もしも、私がオン・デマンドでNHKにお願いするとしたら、やはり、オーディオ・グラフィックが真っ先ですね。ほとんど全部の番組をS-VHSに収めたのですが、四面楚歌、四面湿気の島暮らし。数本を残して、すべてカビとともに去りぬです。オン・デマンドなら、パソコンからDVDに移して、我が私設映画館で夜毎の鑑賞となったのに。癪だ。

経団連の会長の愚言 デフレ・円高

デフレ、円高で、政府になんとか手を打ってくれといい歳のじいさんがわめいた。それが、ニュースになるのだから、日本のメディアの質まで疑ってしまう。

前に言ったように、デフレ、円高、ゼロサムである。一方が得すれば他方が損するだけのこと。

円高で千載一遇の儲けが転がり込んできた石油業界や食品業界は、ダンマリを決め込んでいる。円安になったら、大騒ぎするくせにだ。

円安といえば、1円円安になったら、何億のカネが濡れ手にひっついてくる。こんな幸せな事態に遭遇しても、政府に、「日ごろお世話になっています。些少ですが、お納めいただけませんか」とその億円の幾割かを差し出したことが一度でもあったか。

キャノンはいい製品を沢山出している。この写真もキャノンのカメラによる。ああいう会長が、会社から経団連に出ていったから、いい製品になっているのかもしれない。

会社は、厄介払いができてウハウハだろうが、日本の社会にとっては、迷惑なお荷物である。民主党政府の馬耳東風であること、切に願う。

なお、愚言は広辞苑にない。苦言、愚見はある。よって、本日の表題、正しい日本語では、「あつかましい」となる。私の愚見によればである。
1130モモとリッキーa

仕分け、これからが本番ですね

仕分け人対官僚。

これは、一応、仕分け人に分がいい結果でおわりました。脱自民の効果。これだけでも、万歳三唱、三十唱の価値はあります。

でもですね。官僚は負けても、失職しませんよ。ある事業に予算が回らなくなっても、それに連れられて、失業するなんて、考えられません。

ムダと言われれば、誰だってプライドが傷つきます。高級エリート官僚は、プライドの塊、大学受験から今日に至るまで、人生が左右されるような挫折がなかったものですから、当然です。

しかし、ムダといわれて、どうしようもなければ、実体としては、どうということはありません。明日も職場にいけばいいだけのことです。

勝った負けたといっても、一種のゲームを大人対大人で遊んだだけだったのかもしれません。

これからは、遊びではありません。

1億円の事業が中止となる。これの受注を当てにしていた民間企業は、一億円分、帳簿が赤くなり、顔が青くなります。100億円の補助が中断された田舎の企業や団体も真っ青になります。

いままで、自民様黄門様に、後援会を通してその補助金・助成金の幾分かを政治献金としてキック・バックしていた制度が無効になるのですからね。

もう官僚なんか頼りにならない。ではどうするか。

私が当事者だったら、絶対におめおめと引き下がりませんね。死活問題では、一手の緩みも許されません。囲碁の世界ですが。

私は、先ず、今回フット・ライトを浴びなかった民主党の国会議員を手なずけます。元々政治家は自分がちやほやされなければ我慢がならない人種です。今回の仕分けを不愉快に思っている民主党議員はわんさといます。その中で、カネが欲しそうな顔をしている先生に眼をつけて、たぶらかします。

無論、小沢さんの眼を盗んでです。

彼ら・彼女らに、ムダではないと言わせます。人に厄介扱いされている野ネズミ、マムシでさえ、地上での存在価値があります。どこでかといいますと、総合月刊誌、週刊誌、新聞、テレビ、なんでも、食いついてくれる所ならいくらでもありますよ。

もう一つは、お涙頂戴の悲劇を、NHKほかマス・コミに流すのです。1億円の中止で、もう企業が成り立たない、私の団体がつぶれる、やっとの思いでここまで来たのに、絶望だ、こんなことの種ならいくでも作れます。10億円なら、10億円分の不幸、100億円なら100億円分の不幸。

1億円、10億円、100億円の補助・助成がなかった時の姿はだんまりを通します。首吊り・焼身自殺が続出すれば、効果抜群ですが、善人の私はそこまで演出しません。

大衆は、民主党政府に向かって、「ああ、なんというむごい仕打ち!」と私に同情してくれるでしょう。

話しは飛びますが、社民党は問題外です。この政党に仕分けなんか任せたら、ヒラ官僚天国が到来してしまいますからね。今回の仕分け人に参加しなかったのは、自分の脇腹が痛むからでした。

民主党議員へのすりすり、マス・コミへの不幸番組資料提供、これで、仕分けられた事業が半減するでしょう。

仕分け作業の後は、骨抜き作業が控えています。

さあ、ピンセット君、君の出番だ!

付の1.
半分というのは、大げさでありません。一つ例外を作れば、もう、芋づる式に、ならばここも、ならばあれも、気がついたら半分ということになります。

付の2.
八ツ場ダムの復活、JALの救済、あぶない、あぶない。

付の3.
民主党が一枚岩でないこと、どこの組織にも言えます。特に民主党を非難することはありません。

1130モモとリッキー

またやっちゃった こんどはF15ジェット機

海上自衛隊の護衛艦は民間の船舶を護衛すると思ったら大間違い。

潜水艦だって、浮上すれば、頭上の敵機の代わりに祖国日本の民間船があった。

海があれば、空もある。小学唱歌ではない。

聞けば、飛んでいる最中に重さ200キロの金属物体をどこかに落としたという。「落とした」のではなく「落ちた」が正しい日本語かもしれないが、イソップ寓話のカエルとおなじだ、地上の民間人には迷惑極まりない。山中だったら、リスかカラスがやられているかもしれない。罪なことだ。

仕分け作業で、防衛省が8千人の増員を計画していたことがバレた。これの理由はさすがに冷や汗三斗である。見ているほうが、聞き苦しい、見苦しい。どれほど自民・公明政権を懐かしがっても、too late!

航空自衛隊は、ブルーインパルスで曲芸団を結成して、黄門様として田舎で巡業興行するといい。私は、かなりの収入が見込まれると踏んでいる。

海上自衛隊は、すべて無人操舵。日本のロボット技術とセンサー技術で、完全無人化は可能である。そもそも、護衛するにしてもどこの国の戦艦から瀬戸内海の民間漁船や輸送船を守るのか。護衛すべき先がいないのだから、玉を結んだロープを放擲する場面がない。前の潜水艦では、ロープを投げるどころか、ただぼうっと見ていただけだった(これは、私の記憶で、正しいかどうか分からない)

護衛艦がいなければ、海上で衝突しない。人命救助も不要である。乗船している軍医は無医村で働いてもらう。調理師は、回転寿司他、どこでも活躍できる。

サッカーで人間の相手になるロボットを完成させるのは、意味・無意味は別にしても、多分22世紀になっても無理だろう。

軍艦は今でも簡単に作れる。作ろうとしないだけのことだ。

船体周囲360度観察できるカメラ、漁船を認識して、回避操船。上空の物体を捕捉するレーダー(自衛隊のF15からの物体だったりして)、照準を合わせて、ミサイル発射。サッカー選手の機敏さが求められないことのメリットである。

護衛艦の乗員380名の年間人件費38億円が浮く。30年後の退職金もいらなくなる。年に一度、船検のために、某重工業の軍事技師が乗り込めばそれだけでいい。

先の自民政権が防衛省に格上げしてしまった。

民主政権は、これを、再度、防衛庁に格下げし、次の衆院選までに、防衛局、そして、防衛部、そして、防衛課に呼称を変えることだ。その後は、「あれっ、日本に護衛艦や戦闘機があったのはいつだったけ」と日本人に懐かしがられるようにすることだ。

私は、その頃まで生きてはいないだろうが。故人曰く、善人は早死にする。

1128そろい

売れない論 「買わない」と「買えない」

デフレの要因として、常に挙げられてきたのが、物が売れない、値段を下げても売れない、である。ああ、不幸だ。国の一大事とみんなで嘆く。ちょっと待て。

衣:
サラリーマンや公務員がネクタイをつけて出勤する。何十本持っていても、朝、首に巻くのは1本だ。今日は、気分を換えて、3本なんていう人はいない。

寒いからといって、エスキモーや南極越冬隊員がかぶっている防寒頭巾は買わない。

食:
ざるそばはうまい。ワサビとのりとネギがついている。うまいからといってチューブ一本のワサビをそっくりつゆに加えない。口が曲がるからだ。濃縮つゆ汁も、一食せいぜい20ccだ。1リットルを全部使ったら、下痢する。

久しぶりの洋食レストラン。えびフライ定食にハンバーグ、スパゲッティー、ついでにビーフシチュー。デザートにアイス10個、コーヒー10杯。一人で食べきれない。だから注文しない。

住:
起きて半畳、寝て一畳。10人の侍従をはべらせていなければ、3つも部屋があれば十分だ。一度建てれば、そこに住む。第2号邸、第3号邸は明治の伯爵・男爵の世界。中近東の油帝王の世界だ。

デパートの不振が続いている。背広が売れないらしい。スーパーが不振という。安い食料しか売れないらしい。新築が伸びないという。いくらローンで優遇してもだめらしい。

売れない社会がいい社会かどうかは、判断が難しい。しかし、買わない社会が好ましい社会であることはまちがいない。物が過不足なく民百姓に行き渡っている証だからだ。

買いたくても買えない社会、旧社会主義国がどうだったか。物がありさえすれば、あっただけ売れた終戦当時の日本がどうだったか。

「売れない」のが、貧しくて売れないのか、豊かで売れないのか・・・天と地の差である。一緒くたにして、論ずるなかれ。

付の1.
資本主義先生の不満とする所でありますが、この先生、本当は思想の一つでしかありません。生身の人の立場に立てば、己の出番が終わりになっていることに気がつくでしょう。思想・制度は人間が作ったもの、幕引きを資本主義先生に任せてはいけません。いつまでたっても、舞台から降りようとしませんよ。

付の2.
衣食住がこんな具合ですから、後の財貨・サービスなんか滑っても転んでもへっちゃらです。たとえば、白い小さなボールを穴にいれて1億円也。千円でも社会は不幸になりません。人工衛星が飛ばない。それで、中秋の名月が困りますか。

1124船2

デフレと円高 驚きの解説

評論家がどう考えようが、勝手だ。しかし、全国の国民にニュースでいい加減な説明をしたとなれば、一筆参上、止むを得なしである。

時は昨夜、夜7時。カラスの勝手(アンテナの方角が変わった)で、NHKの総合テレビが少し映るようになった。

デフレは、大変だという。

物が売れない、売れないと企業の業績が悪化する。悪化すると、従業員の給与があがらない、人員削減が起きる、物価が低くなると消費者の立場で見ると好ましいが、結局は、消費者が不幸になる。こういう語りであった。

円高が大変だともいった。

1円円高になると、トヨタではこれこれの損、パナソニックではこれこれの損、海外旅行に喜ぶのは結構だが、輸入品が安く買えるのも結構だが、国民の皆さん、不幸が待っているのですよ、と警鐘を鳴らしていた。

トヨタ、パナソニック、大企業にはちがいないが、それぞれ民間の一企業である。彼らの損得は、自前である。日本国の損得とは無縁である。トヨタがだめなら、ドウダがあってもいい。パナソニックがだめなら、バカゾニッグがあってもいい。

デフレ、インフレ、ゼロサムである。円高、円安、ゼロサムである。

強いていえば、借金をしたものはインフレで得、輸出するものが円安で得。それだけのことだ。

国民大衆をミスリードする魂胆は、借金資本主義、外貨獲得資本主義を代弁することにある。努々(ゆめゆめ)、まどわされないように、私は鉢巻を締めなおす。

付の1.
古い仲間からこの前、総合月刊誌を送ってもらいました。それについてブログに1編載せたと覚えています。てんこもりの記事の中に、「ユニクロ栄えて、国が滅びる」という驚くべき題目がありまし。面白くもありばかばかしくもあり、一経済学者のたわごとと済ませていたのですが、NHKが、まったく同じことを昨夜言ったので、経済博士(経済学博士ではありません)である私の我慢できるところではありませんでした。

付の2、
風が吹けば桶屋が儲かる。笑いが止まらない落語で、私は大好きです。「ユニクロ栄えて国が滅びる」、どこかの大学教授らしいですが、この先生の講義は学生諸君、聴講必須科目です。大学で、寄席が楽しめるなんて、滅多にあるものではありません。

付の3.
私もNHKのニュースを寄席と思えばいいのですが、まだまだ人間未完です。困ったものです。

1126リッキー

また起きちゃった 農協着服

「南三陸農協(宮城県南三陸町)の女性職員(53)が組合員の共済掛け金などを着服したとされる問題で、西城弘組合長は23日、同町の本店で記者会見し、職員が2002年9月から今月まで計約9970万円を流用するなどしたと明らかにした」

2002年9月から2009年10月だから、まるまる7年間、着服を続けていたというわけだ。

職員がどこに住んでいようが、1億円の金が農協の職員で稼げるわけがない。台所の床下収納ボックスにカネをためていたのなら別だが、そんなことのために、1億円を着服するはずがない。

近所の人は、おかしいと知っていたはずだ。しかし、それ以上の詮索はしない。田舎の長所である。

組合の職員も、おかしなことに気がついている。7年間、まるまる7年間ですぞ、こつこつ着服してきたのだから、やろうと思えばチェックできたし、チェックを上司や農協組織に提案できた。それをしないのは、密告者のレッテルを貼られたくないからである。密告者は卑怯者と同義語。末代までたたる。田舎の長所である。

田舎に暮らして、その心情がよく理解できる。

農協や信用金庫の着服が盛んな田舎ほど、凶悪犯罪が少ないはずである。人々は、平穏で安全な暮らしを送っているはずである。

考えようでは、着服しても黙っている社会の方が、暮らしやすいといえるのだ。

つい先ごろ、着服をこのブログに書いた。いつものように、お偉いさんが記者席に向かって深々と頭を下げていた。わが宮城、着服はお国自慢となっても、あのセレモニーの空々しさには我慢ならない。書いたら、スカッした。御免。

1124船1

仕分け作業、する人、される人

する人の歯切れの良さに先ず感心した。有名・無名大学の教授や諸々の立場の人がかくも市井に埋もれていたのかと、改めて、非専門家の能力の高さを認めることになった。専門家嫌いの私はうれしい。

それにいやおうなく比べられたのが「される人」、国家高級エリート官僚である。しどろもどろ。はきはき答える官僚がいたと思ったら、「世界一になって、夢と希望を日本に!」だって。すぐに逆ねじを食った。当然である。

鳩山内閣は物質世界一を目指さない、友愛と弱者援助を目指すと標榜し、それで、政権が選挙により獲得でたきのである。日本が世界第2位の経済大国をお題目にしていた自民党に見切りをつけたのである。

「~である」が続いて恐縮だが、もう暫くのご辛抱を。

この官僚の説得力のお粗末さに、私は、映画「善き人のためのソナタ」を連想してしまった。その中のセリフに、旧高級官僚に面と向かって投げかけた「なんでこんなクズに国を任せていたのか」があったからである。

大企業はいうに及ばず、一人二人の零細企業の営業部でも、彼らはまったく営業成績が上がらない。私がカタログかついでその職に就いていたから、自信をもって、保証する。予算獲得の単位が億円、それは、企業でいえば契約である。億の単位の契約となれば、商事・物産だって、少しはマシな営業マンを交渉先にあてがうはずだ。

この仕分けされる人は、100円の使い捨てライター1本だって売れない。

役所には人材が埋まっている。我慢できなければ、自分から飛び出す。我慢も才能。こうして、白日に晒されて馬脚を現した役人とは別の、我慢を通してきた、下積みの役人に、働く場を用意してもらいたい。

聞けば、公務員改革は先延ばしになったとか。国家百年の計に、1年2年は問題でない。じっくり、かつ、徹底的に改革してもらいたい。

仕分け作業で分かったことは、これまでの自民・公明政権のいい加減さである。これも、マスコミは、貴重な副産物として、しっかり報道しなければいけない。

1125浪入田

日本軍の失敗(1) ノモンハン事件

「作戦目的があいまいであり、中央と現地とのコミュニケーションが有効に機能しなかった。情報に関しても、その受容や解釈に独善性がみられ、戦闘では過度に精神主義が誇張された」

このように解説がなされているノモンハン事件。事件と名がついていても、日本軍1万7千、ソ連・モンゴル軍1万8千人を消耗した当時としては戦争である。

これに費やされた戦費がいくらか、私は知らない。想像できるのは、軍需産業会社が、多大な売り上げを計上したことである。

この「事件」は、ソ連・モンゴルが従来から主張してきた国境線が外交交渉によって確定されるという結末で終わった。

なんのことはない、最初から、日本がソ連・モンゴルの主張を認めれば、戦争は起こらなかったのである。

ここが問題。

「やってみなければ分からない」対「やる前から分かっている」・・・これは論理としては、五分五分の正当性・非正当性がある。それが、「そんな弱腰で国が守れるか」という愛国心が入ることで、論理を狂わせていった。

日本軍を圧倒したソ連の司令官が、「日本軍の下士官は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」とコメントしている。

高級将校は、軍人育成大学の成績抜群のエリート、下士官は田舎出の三男坊、四男坊である。

今、仕分け作業で、旧帝大等出身の成績抜群のエリートが、初めて、世間に姿を現した。日本軍の高級将校は人命を惜しまなかった。今、高級官僚は税金を惜しまない。ともに、無能の証明である。

付の1.
日本軍の将校は、戦で敗れると、自刃した。多数の部下の命が戦場で失われ、おめおめと自分だけ命永らえることを潔し(いさぎよし)としなかった。今の官僚の税金使いは、己の俸給や退職金、高級官僚に約束されている天下り先の給料と退職金、みな、他人の金である。

付の2.
戦さの勝ち負けは兵の常。部下が全員戦死しても、それを教訓として、再度、戦場で指揮を執るようでなければ、軍隊が消えてしまう。実際、負けて生還した将校に切腹を命じた上司がいたのだ。情に篤い美徳は軍人に向かない。だから、非情を嫌う血が流れている「友愛」日本人には、戦争はもともと無理なのである。自衛隊の保護・育成は日本の軍需産業保護・育成が本音である。同時にアメリカの軍需産業の外貨獲得の賛助でもある。

1127リッキーa

大学人よ、己の不要を自覚せよ

仕分け作業に、旧帝大の学長がこれも雁首をそろえて、学問の予算を仕分けないでもらいたい、なぜなら、大学は崇高な学問の伝道である、云々という。

昔、東大に入れない人間が東大を語るな、と誰かに言われたように覚えている。石原都知事が、文句があったら選挙で勝ってからにしなと共産党に言ったようなものだ。

無論、道理のない理屈、へ理屈である。

大学は、知識を大学教授から授けてもらう場である。友情などは付録であって、軍隊だって育まれる。

知識とは何か。好奇心の満足である。人格や品性とはまったく無関係である。知識の人生における無意味さは、ゲーテがとうにファウストの口からの告白として我われに語っている。

現在の日本の社会にもっとも欠けているのが、友愛であり弱者対策である、と私は思っていないが、現政権はそう信じている。友愛にも弱者対策にも大学は不要である。その自覚がないばかりに、旧帝大の学長がピエロを演じた。イタリアやフランスの観客だったら、「引っ込め、大根!」とヤジが飛ぶような不出来である。

田舎暮らし15年。大卒の中で仕事をして田舎に来たら、昔の小学校に戻ったよう。周りは中卒、高卒、専門学校出がほとんどである。その人たちの人格・品格は実生活から出てきたもので、仕分け人に言い訳けをおどおどしている有名大学卒の国家上級公務員の卑屈さと好対照である。

もちろん、中にはこれはちょっとと思う人もいる。それは、高卒・中卒だからではない。延べ8年大学の身分証を持っていた私だって、傍からみたら、これは“大いに”ちょっとにちがいないのだ。

大学は社会に貢献する、だから予算カットはするななど、不遜もいい加減したらどうか。

繰り返して言いたい、人間の品性は学歴とは一切無関係であると。これからも旧帝大卒の国家上級公務員がテレビやラジオにでるだろう。その顔をとくとご覧あれ。私の正しさがわかるはずだ。

付の1.
島の皆さんは、テレビを見るまでもなく、私を見れば納得するでしょう。東大・京大卒ではないですが。

付の2.
百害満載の公務員試験の撤廃が私の変わらぬ主張です。

付の3.
好奇心が不要といっているのではありません。今の日本に不要と言っているだけです。誤解なさらぬよう。

1125月

賞味期限切れの科学技術

仕分け作業が着実に進行している。平成維新というだけあって迫力満点である。ある人たちに言わせると、人民裁判だそうだが、公開裁判、大いに結構。毛沢東の時代のような流血がないだけでも、被告は感謝しなければならない。

今日のニュースで驚いたのが、ノーベル賞を貰った人間が、仕分け作業はまるで別世界を見ているようだと嘆いていた。

別世界にのほほんとしていたのがご当人であることにまったく知恵がまわらない。嘆くのはこちらのほうだと嘆きたくなる。

何人か歴代ノーベル賞受賞者が雁首をそろえて、鳩山首相に直訴したという。

こういう見苦しい姿をどこかで見たような気がしたがなかなか思い出せない。今、分かった。

都知事がオリンピック招致で、金メダリストを並べて、都税をやみくもに使ったときと同じであることを。

金メダリストが、閉塞感に満ちた日本人に夢と希望を!だなんてしらふでいえるのはNHKだけだった。

皆の衆。

科学技術は原爆の開発と完成でドクター・ストップなのだ。ノーベル賞はダイナマイトを開発して巨万の富をその殺戮により創設された、罪滅ぼしである。科学技術にいささかでも人倫を含めるのなら、受賞を喜ぶどころか、毅然とした態度で拒絶しなければいけない。それでこそ、科学技術にたずさわる者の良心が認められるというものだ。

聞いていると、資源のない日本には、科学技術でしか世界で勝てないという。これも、どこかで聞いたセリフである。

思い出した。大東亜戦争の大政翼賛会である。東条英機の政府である。NHKが大本営発表として、報道の威信を投げ捨て連日アナウンスした言葉である。

オリンピックの金メダルといい科学者のノーベル賞といい、マスコミがチヤホヤするから、図に乗るのだ。メダリストや受賞者、いてもいなくてもどうでもいい存在である。

賞味期限という言葉はあまりにも通俗的で、私はこれまでブログで使っていない。しかし、今回ばかりは、ノーベル賞受賞者の低次元ぶりにふさわしい表現なので、敢て表題に使った。

仕分け人よ、NHKの作為ある世論もどきニュースに惑わされないで、しっかり科学技術の予算を削ることだ。

1125浪入田

内需拡大 ウソ、ホント

私はときどき、内需拡大を唱える政治家や経済学者は、本気で私をバカにしているのではないかとひがんでしまう。

彼ら、彼女らの言い分は、景気の回復は、輸出に頼らず、内需拡大によってもたらされなければならないとのこと。それに添うような政策が執られなければならないともいう。

本気でそう思っているとは思えないのだ。私の無知蒙昧を見透かしてウソをついているのではないか。

列強の中国大陸・インド大陸植民地化、日本の大東亜共栄圏思想、つい先ほどに起きた歴史をなんと読んでいるのだろうか。

自分で物を作る。それを自分で使う。どこから富が得られるというのだ。100円の品物を200円で売る。100円の儲け。200円で買ってくれた相手が自分でないからこそできる芸である。ついでに言うと、この100円の儲けは、富ではない。200円を払った相手の富が自分に移っただけのこと。200円の出所を突き詰めていけば、石油など天然資源に行き着く。

もう一つ。アメリカの内需拡大は「超」有名。諸外国は、オバマさんに内需拡大はいい加減なところで抑えて欲しいと言っている。オバマさん自身も、困った、困ったと言っている。昨年の金融危機が内需拡大(真の内需とか誤った内需とかいう表現は聞き飽きた)によるものであることを知っているからである。

私をバカにするのはまあいい。日本国民全員をバカにしてはいけない。

駄菓子屋の子供は、店の飴玉を口に入れない。

1122メリー

再生音楽の半世紀

今でこそ、ステレオかつノイズレスで再生音楽を楽しむことに不思議がないが、最初大変だった。

物心がついた頃はSPレコード。手でゼンマイを巻いて、レコード盤を回す。縫い針に似た針は数回で交換する。鉄ですぐ磨耗してしまうし、磨耗させなければ、レコード盤が削られてしまうのである。あっという間の3分間。終わりが気になってゆっくり構えて聴いていられない。

シューベルトの「冬の旅」は良かった。シューシュー音の方が歌手の声より大きいような演奏にまったく違和感がない。この曲で音楽は外見ではない中身である、と覚った。すなわち、いくら高音質、高画質であっても、中身が粗末であれば、文化としては無意味であること、音質、画質が悪くても、中身が優れていれば、聴くに耐え、観るに耐え、人の心を動かすという覚りである。

その後に登場したのがLPレコード。この音に魅せられた。針を交換しなくてもいい、1楽章が連続して聴ける。裕福な家庭の友人がステレオ装置を買ったから、聴きに来ないかと誘われて、初めて聴いたときの驚き。それがドボルザークの「新世界より」。

その頃である。レコード鑑賞会があちこちで開かれたのは。舞台にあるのは、スピーカー。それを神妙な面持ちで聴く。聴きに来た人たちは、若い人たちばかりだった。

LPから現在までの経歴書は、ここで書くまでもない。DVDの登場でこれまでのすべてが過去の物になってしまった。最近では、DVDまで過去の物にしようとしているようだ。

再生技術の進化を企てても、これからバッハ、モーツアルトは二度とでない。再生装置は所詮クリエート(創造)無しの受身装置なのだ。無意味な「進化」はそろそろこのあたりで止めたらどうか。

地デジは伝達手段の無意味な進化。ポストDVDは再生装置の無意味な進化。BS20周年を記念して、ここに記す。

1122メリーa

NHK BS放送20周年記念に寄せて

終戦当時。私の兄はそれまで年中、軍歌を歌っていたのが、ウソのよう。クラシック一本になった。

真空管ラヂオ、鉱石ラヂオ、とにかくNHKの音楽番組があれば、ほとんど正座で聴いたものである。

曲はベートーベンの第三、第五、チャイコフスキーの悲愴、シューベルトの未完成、ラベルのボレロ、とだいたい決まっていた。小学校前の私も一緒になって聴いていた。

当時はSP盤しかなかったから、1楽章を中断なして鑑賞できるのはNHKしかなかった。この感激は筆で表せるものではない。

それから、しばらくしてから、立体放送が始まった。NHKは第一と第二で左右チャンネルを放送する。番組の前に必ず、「右の音です、左の音です、確認してください」というナレーションがあった。第一バイオリン、チェロ、これが別れ別れで鳴るのだ。この頃になると民放ができていた。NHKに負けずに、文化放送とニッポン放送が共同して、立体放送を企画した。

音響メーカーのステレオは高くて手が出ない。真空管アンプの自作で夢中になって聴いたものだ。真空管がじわ~と赤く灯る。両方の20センチスピーカから音が出る。

それからしばらくして、FM放送が始まった。周波数帯域が1万5千ヘルツまで延びたのだ。しかも、ステレオ。もう立体なんていう古ぼけた表現はしなくなった。しかも、ノイズがFM(Frequency Modulation)のリミターが効いて、この上なくクリアな音が送られてくる。この頃は、私の懐にも少しばかりゆとりができたので、最高級のFMチューナーで再生音楽を楽しむこととなった。

曲名と演奏者の名前を簡単に紹介される以外、音楽が流れている。これが朝から夜中まで続く。クラシック、ジャズ、ロック、フュージョン、広いジャンルが楽しめた。

あとから、FM東京ができた。ディスク・ジョッキーかナレーターかしらないが、ペラペラよくしゃべる人間を登場させ、ついでにコマーシャルまで流していた。せっかくの高音質をなんでつまらない語りに使うのか、半ば呆れ半ば惜しんだものだ。

そうしている間も、光陰矢の如し。BS放送が開始された。

最初は数年のように覚えているが実験放送だった。Bモードステレオ音声と高画質の映像が渾然一体となって私に迫る。この感激も筆で表せるものではない。同時に、NHKの質の高さに脱帽したものだ。製作者の品格に圧倒されたものだ。

そして満20歳の現在。

見る影もない、悲惨な状況である。愚かなドイツ兵と知性と勇気が溢れるばかりのアメリカ兵の番組「コンバット」、一片の知性も感じられない、アメリカ人が自分のバカさを恥も外聞もなく曝している番組「奥様は魔女」、これがBS放送の現状なのである。この二つの番組は数十年前にはやった再放送である。

私は、NHKがなぜ生誕20周年を記念するのか、さっぱり理解できない。産まれたときは天才、二十歳過ぎれば凡人。人は、凡人で結構。

今のBS放送は、凡庸などというやさしい言葉で表せない。愚劣番組のオン・パレードである。チャかチャカした若者、衛星映画劇場のくだらない案内、どれをとっても、「歳をとればそれでいいっていうもんじゃあないよ」の見本である。

放送文化、半世紀。四半世紀の栄光を後半の四半世紀が堕落させた50年である。残念無念。

中学校の先生の間違い  明治不平等条約

中学社会で、日露戦争で勝利した日本が、西欧列強とこれまで交わしていた不平等条約を解消した。

これを、日本の悲願と形容した。

すなわち、鹿鳴館で猿真似ダンスをしても鼻であしらわれていたが、戦争に勝って、「日本の悲願であった不平等条約」を改めることができた、というのである。

戦争で負けていたら、なめられたままであった。これは正しい。間違いは「日本の悲願」である。

当時の国民が、日本国が諸外国と交わした条約が不平等であることを自覚していたとは私にはとても想像できないのである。

仮に、世論調査を実施したなら、「そう思う」、「そうは思わない」は合わせても1割に満たないだろう。9割は、「分からない」に○をつける。

国民なんか、条約はどうでもよいのである。外国船が立ち寄る港の人たちは、水が売れる、野菜が売れると、ホクホク顔であったろう。

不平等に不満を抱いていたのは、時の政府の政治家や官僚など、ごく一部の日本人に限られていた。彼らは、どれほど下級とはいえ、一応、武士階級出身であり、為政者としての誇りがあった。腰を折ってもみ手をしながら愛想笑いをするなど、屈辱以外の何ものでもない。

今の日米安保。

国の安全のために沖縄に我慢してもらおう。こういう意見が羞恥心なく語る政治家がいるのは、驚きである。

国の安全がそれほど重要なら、嫌がっている沖縄に代わって、自分の選挙区に移せばいい。不平等でないと主張する以上、自分の選挙区に移しても損得ゼロなはず。愛国心を満足させるだけ、余禄というものだ。

政治家ばかりではない。沖縄に我慢を強いるマスコミだって、本社を沖縄の米軍基地の脇に移転すればいい。記者は家族を沖縄に転居させればいい。

明治政府の気概の幾分でも有していれば、の話である。

水や野菜が売れてもみ手をするような政治家には到底考えられない話である。

私は、今の中学歴史教科書がどうなっているか知らない。不平等条約解消が日本の悲願であると今もあるとすれば、明白な間違いである。

付の1.
私の近くに東北電力女川原発があります。年中トラブルを起こして、そのたびに副社長が地元行政や住民に「より一層の安全管理に心がけます」と謝っています。副社長に米搗きバッタを100匹ばかり抜擢すればいいものを。原発は都会の電力浪費が原因です。迷惑を遠くに押し付ける都会の横着さに腹を立てています。ですから、私は沖縄が怒るのを理解できるのです。

付の2.
私の電力契約は20A.電力料は、3千円から3千8百円の間。映画のプロジェクターと音楽のアンプが主な消費源。原発はいらないです。

1122寒い海

小学校の先生の間違い  本能と理性

相当長い間、色々なことを教わってきました。

小学校の先生からはいいお話を沢山聞きました。たとえば、「未来は君たちのものだ」など、なんとなく世界が自分のものになりそうな気分がしたものです。気分だけだったのはあとになってからの話。それはそれ、「未来」という言葉の響きがとてもよかったです。

脳の発達につれて、学ぶことも増えていきましたが、振り返ると、小さい頃の方が学ぶ内容が濃かったように思います。

たった一つだけ、当時の先生の2倍の年齢に達して、初めて気がついた先生の間違いがあります。

~~~~~~~~~~~~
「人間は理性がある。動物には本能だけで理性がない。だから、動物は本能の赴くままに行動する。人間は理性で行動する。だから人間は偉いのだ」
~~~~~~~~~~~~

サバンナで肉食獣と草食動物が同じ池の水を並んで飲みます。肉食獣は腹が空くと、わっと草食動物を襲います。食べ終わると、昼寝。仲間(その意識があるかどうかは不問として)が襲われた草食動物は、わっと逃げた後、何食わぬ(食われぬ)顔でまた肉食獣と並んで、水飲み場で水を飲みます。

マグロの水揚げで有名な漁港があります。なぜ有名かというと、風光明媚であるからでも気候温暖であるからでもありません、漁獲量の高さで有名なのです。獲れば売れる、売れば儲かる、儲かるから、もっと儲けようと船をどんどん大きくする、エンジンを大型に換えます。行動半径が益々広がります。と言っても、地球の海は限りがあので、マグロがいなくなります。さあ、大変。

肉食獣の後ろに捕獲した草食動物を買い付ける仲買人がいるなど聞いたことがありません。自分の腹と家族の腹が満たされれば、それ以上、牙にかけません。

儲かるかどうかはソロバン勘定。数字を基とします。数字は理性。

本能に従えば、そこそこのハーモニーを保って、地上は平穏であるのに。

付の1.
「未来は君たちのもの」毛沢東語録で再び眼にしました。懐かしいやら。

付の2.
「純粋理性批判」こんな堅苦しい題の本は読むだけムダです。私は最初の1ページで止めました。
1123島の紅葉

石炭とマルクス、石油とシュンペーター

経済学など難しく考えることはありません。

マルクスが富は労働者からの搾取によると信じたのは、劣悪な炭鉱労働者の生活を見たからです。私たちは、資本論を読まなくても、ディケンズの小説からその雰囲気をうかがうことができます。石炭は地中に眠っているだけで、眠らせている限り、富、すなわち剰余価値、すなわち資本をもたらさない。地中をはいつくばって石炭を地表に出すことで富が生じる。なんとなくうなずけます。

シュンペーターは、石油産業発展の真っ只中で経済学を学んで自分も経済学者になった人。石油の採掘現場をみても顔を真っ黒にして地底、海底千メートルに潜って、石油をバケツに汲む労働者などどこにもいません。カリフォルニアをグレイハウンドで縦走すれば、のどかな平原にのんびり上下運動をしている採掘機械の林立を見ることができます。人かげはありません。

アラビアの王侯貴族やアメリカン・インディアンにまかせておけば石油はいつまで地中・海底に眠ったままです。それを、20世紀の科学技術が覚醒させた。すなわち、富をもたらした。

採掘現場に始まって、燃料は当然のこと、プラスチック、薬品、他あらゆる品物まで、石油の形状変化を目の当たりにして、富は技術革新によるとシュンペーターが宣言したのも、うなずけます。

富は石炭と石油、言い換えれば、地球に蓄えられていたカロリーであります。このカロリーは太陽エネルギーの累積であります。

今時、マルクスを世界経済の教本にするようなアナクロニズムはないでしょうが、シュンペーターは、まだまだ生き延びているようです。

シュンペーターに信奉を寄せて技術革新の上に技術革新を載せていくと、世界(グローバル)経済は発展しても、地球(グローバル)環境が疲弊します。カロリーはエネルギー、エネルギーは不可逆性。当然そうなるのです。

そうそう、ケインズ博士、これは富を語っていません。富の配分を上手に図れば、富が天からバラバラ降ってくるものと錯覚している経済学者です。小粒です。

経済学なんか経済学者が自慢するほど難しいものではありません。

付の1.
寒くなったので、今日から、朝風呂に切り替た。狭い湯船に浸かって、しばし我が経済“学”遍歴を振り返る。

付の2.
pの前はm。シュムペーターが正しいと思っているが、昨今はシュンペーターというらしい。素直に従う。

1118網地浜

ムダについて

少しも上達しない尺八を吹く、落ちるばかりの碁を打つ。そんなヒマがあったら、ロシア語でも覚えたらいいのにと、人は私を見ているかもしれない。

儲けるより損する方が圧倒的に多いパチンコをしたくて、石巻に一日がかりで行く。ヒマとカネが消える。そういう人がいるとする。周りがムダだと思っても、当人は少しもムダと思っていない。

己の時間や金をどう使おうが、周りがとやかく口を挟むものではない。

それが、国となると、事情が違ってくる。国にカネがあるわけでなし、みんな民から集めた金であるから、己のカネと言い切れないからだ。

今、鳩山政府はムダをカットすることやっきとなっている。ムダだといわれた事業や人間が、「ああ、そうでしたか、私はムダでした。ちっとも気がつきませんでした。多謝、多謝」というわけがない。

私だって、そう言われていい気分はしない。

ムダというからまずいのである。

鳩山首相は、所信演説で「友愛」・「弱者にやさしい国」を柱にすると言っていた。友愛をおセンチという人もいれば、私のように何を基準に弱者というのか疑問に思っている人もいるだろう。

それでも、日本国をどういう国にするつもりかに関して彼は明確に自分の信念を披露した。

信念を具体化するにはカネがいる。具体化の足しにならないカネを削るといっているのである。それを、ムダと表現するものだから、おかしなことになってしまった。鳩山首相本人がムダと言っているのか、あるいはマスコミが無神経に使っているのか知らない。いずれにしても、彼の価値判断により予算が組まれることになる。

以下の事業が廃止・停止されるのは当然の帰着である。

オリンピック育成予算・・・友愛・弱者に関係有りや否や。否。
宇宙開発ロケット発射・・・否
裁判員制度・・・・・・・・否
地震予知緊急速報・・・・・否
スーパーコンピュータ・・・否
ダム・・・・・・・・・・・否
高速道路・・・・・・・・・否
地デジ・・・・・・・・・・否
NHK受信料制度・・・・・否

ムダであるムダでない、これで仕分けしていると思われていることが政府への誤解を招いている。

付:
私がブラブラしているのを、「時間つぶし」と面と向かって私にいう人が島にいるんですよ。悪気のないことは分かっていますが、でもね。

1118モモとリッキー

仮想敵国 erliuzi氏の寄稿 

長くはない論評でしたが、言いたいことはくみ取れました。

もう一歩、進めれば「日米安保」はどこをーということになりましょう。今や明確になった保守系3紙(あえて名は伏せます)は「北朝鮮、中国・・・」というに違いありません。

しかし、ここで説かれたように、相手が核兵器を保有し、空母建造を始めたといっても「いま、ここにある脅威」にはなりません。

能力X意図=脅威ですから、そうした意図を抱かせない、封じ込める『政治・外交』が肝要でしょう。

米軍の行くところついて行くという「自衛隊」だとしたら、お笑いになりましょう。

原理・原則に立ち返る秋です。

大東亜戦争 仮想敵国


日本軍の失敗を分析した本を読み返している。

裏をみると、最初は1984年(44歳)、次が89年(49歳)と記されている。

ノモンハン事件から沖縄戦まで、要領よくまとめてある。

前回までそれほど気に留めていなかったことで、今回、改めて認めることになったものに、「仮想敵国」がある。

帝国陸軍はソ連、帝国海軍はアメリカをそれぞれ仮想敵国にしていていた。

いずれ戦争は避けられないと考えていた者もいれば仮に戦争が起こる(戦争を起こす)とすればこの2国と考えていた者まで相当の幅があったであろう。

それでも、軍人養成から軍備配置まで、当時の日本が置かれた環境で、戦争の相手だけは明確に規定していた。

これまでが日本軍。これからは自衛隊。

どこの国を仮想敵国として自衛隊員や陸海空3軍を養っているのか。まったく白紙なのだ。防衛白書だから白紙でいいと言っているのかもしれない。

朝鮮民主主義人民共和国、日本を襲うか。中華人民共和国、日本を襲うか。ロシア共和国、日本を襲うか。

朝鮮民主主義人民共和国、日本が襲うか。中華人民共和国、日本が襲うか。ロシア共和国、日本が襲うか。

あらゆる闘争に敵愾心は欠かせない。この敵愾心のエネルギーのはけ口がないものだから、年中、民間船舶にぶつかったり、隊員自殺を繰り返している。

幽霊やおばけなど実態のない対象物を、大の大人がまじめに相手などしていられない。

聞けば、防衛大綱が先延ばしになったそうだ。民主党政権、なんと書いたらいいのやら、さぞ頭が痛いことだろう。

付の1.
軍拡が戦争抑止力にならないどころか戦争加速力になることは、だいぶ前にすでにこのブログで「所信表明」済みです。

付の2.
招集兵の悲惨な体験談と並んで、職業軍人の体験談を等量聞かないことには片手落ちになりましょう。

1116モモとメリーとリッキー

日本の総理とアメリカの大統領(2) 洗浄は希釈なり

電子部品メーカの技術部に席を置いていたときのことである。

生産ラインに、いくつもの水洗工程がある。自動的に新しい水が洗浄槽に注入され、汚染濃度を一定以下に抑える。

景気がいい時代だったから、3直24時間ラインを動かす。休みは、正月の数日だけだった。

普段、のんびり構えている開発技術部員も生産技術部員と一緒になって、工場の現場で作業の手伝いをする。

洗浄槽を完全に洗浄するのである。

結構むつかしい。どうしてもいくらか残渣が検出されるのである。

そんな時に、ある本で「洗浄は希釈なり」の言葉を知った。希釈は実験室で年中やっていたが、洗浄とは別物であるとばかり考えていた。

さて、本題。

総理と大統領が、揃って、日米同盟を称えた。総理は、多岐に渡ってこの良好な同盟関係を維持・発展させようと提案し、大統領も「異存ナシ。可ナリ」と応えた。

従来の総理は、やれ(中国と名指しはしないで)近隣国家の軍拡がどうしたやれ朝鮮のミサイルがこうしたと、日米「安保」を前面に押し出して、大統領のご機嫌を伺ってきた。

今回の日米首脳会談で、軍事同盟がその他諸々の要素を加えることで、one of themになった。鳩山総理は賢い外交ブレーンを持っている証拠と言える。

そう遠くない日に、軍事面における協力関係(主従関係)に変化が生じるのは間違いない。

外交の希釈である。

付:
地ビールに古ビンの洗浄は不可欠。洗う度に、昔を思い出します。いい職場でした。

1103空

日本の総理とアメリカの大統領(1) 外交辞令

総理:「最初に日本を訪問されて感謝する」(時差ぼけ解消に寄っただけだろうにと心で思っても)
大統領:「日本は真っ先に訪問するに値する」(ついでに途中下車しただけだと心で思っても)

総理:「日米同盟はアジアにとって重要である」(米軍基地でこちらは大変迷惑をこうむっていると心で思っても)
大統領:「同感である」(米軍の費用をできるだけ押し付けてやれと心で思っても)

これで外交交渉はいい。あからさまに、本音を出して、相手の機嫌を損なおうが損なうまいが気にしないようでは外交員は勤まらない。

だから歯の浮くような美辞麗句を並べることを外交辞令というのである。

鳩山内閣に外交がバラバラだという批判は当たらない。鳩山総理の育ちの良さが外交面で遺憾なく発揮されている。

しばらくは安心していい。

付の1.
かっこ内は、たとえあったとしてもです。総理も大統領も、ひねくれ者ではありません。これも安心できます。

付の2.
小泉元総理以降、歴代の総理があまりにも貧相過ぎました。みなさん、氏はいいのに、ああ、「氏より育ち」。

1113モモとねずみ

十年一日 進歩なし

我が家の犬が先月で満10歳になった。何も芸は教えていないから、自然児のまま。

物心ついて以来この方、私の投げるオレンジ色のテニス・ボールを追いかける。一度くわえたらなかなか手放さない。私が追いかけると逃げる。そ知らぬ振りをしていると近くまで寄ってくる。私が、少し前かがみになって「う~」とうなると、喜ぶ。

これが10年続いている。よくも飽きないものと呆れる。聞こえないように小声で、「お前、進歩ないなぁ」と散歩の度に語り掛ける。

ふと、我を省みる。

私は、二十歳前後から囲碁をやっている。仕事の忙しさによる数年のブランクはあっても、ほぼ40年続けている。お金で手に入れたアマ5段の免状がどこかにあるはずだが、実力は2段である。少し酒が入ると1級の相手に負ける。犬と大差ないのではないか。

この感覚、私だけではない。対局中の私を見つめる猫の眼つき、犬の眼つき、どう見ても尊敬しているようには思えない。「お前、進歩ないなぁ」と言われているようでひがんでしまう。

だが、別な見方をすれば・・・

進歩がないことが美徳であるかもしれない。

1104熊野神社a




数字の話 音楽は音圧だ

現在のスピーカーは片チャンネル25cmウーハー4本となっています。

平面の面積はπ×rの自乗ですから、50センチウーハー1本と等価とみていいでしょう。

これを、力のあるアンプで鳴らします。

都会を羨むこと、鴨長明ほどではありませんが、演奏会だけは恨めしいです。それで、擬似ではありますが、我が家に演奏会場を私設しました。

クラシックは確かに擬似です。交響曲はいわずもがな、弦楽四重奏、ソロでさえマイクを通しません。オペラの舞台で、出演者がマイクを片手に持ってアリアを歌うなんて想像できませんね。

でも、よくよく観察すると、その他の演奏は、歌手ばかりか、ほとんどの楽器の前にマイクが置いてあることがわかります。ある種の演奏では、ギターやバイオリンに直接小型マイクが着いています。

マイクはそのまま、アンプへ、そしてスピーカーへと電気伝導で最後に音に変換されています。

なんということはない、私設演奏会場と同じルートなのです。

それでは、何が違うか。

一つは空気感とでもいいましょうか。雰囲気の有無です。これは、私の想像力で簡単に解決。

一つはパワーです。生演奏の最大の長所は、どんなに大きな音をだしても、周りに迷惑がかからない場所でなされることです。これも、私の住所で問題ありません。なにしろ、山の中の一軒家ですから。

音楽は耳で聴くものではありません。腹に感じるものでしょうか。いえいえ、そうではありません。

音楽は、肋骨が振動することで初めてその価値が分かるのです。

付の1.
バッハのトッカータ。これは序の口。エンヤ。ここで十両。鬼太鼓が横綱です。私の手元のソースに限っての話ですが。鬼太鼓は「おんでこ」。「おにだいこ」と言って、軽蔑された苦い思い出があります。麻生さんの心臓の強さが私にはないです、残念。

付の2.
両チャンネルでは、8の平方根の自乗ですから、約2.8倍。直径70センチのスピーカーとなります。和太鼓の響きにふさわしいこと、ご理解いただけましょう。

付の3.
最も小さな音(ppp)でもラジカセからとは違います。

付の4.
「政治家は顔だ」の続編です。
1110裏の路

国債は国営ねずみ講。どんどん応札しよう

どこのどなたがそんなに持っているのか、日本国民は千五百兆円のお金を眠らせているという。

結婚詐欺で数百万、オレオレ詐欺で数百万、こういう百万単位で物が語られるのだから、この千五百兆の数字、確かなのだろう。

億の単位で詐欺が行われるのはマルチ商法と決まっている。ニュースにでるときには、百億、千億の額に上る。それの自称被害者が一億人、十億人なら、一人当たり100円也の被害だが、日本人すべて引っかかっても、一億人。被害者の会はたいてい数百人、数千人である。被害者一人あたり数百万、数千万がうなづける。

指をくわえて黙ってみていることはない。ということで、国債を発行する。国がやるのだから、文句なく合法である。

良心的な政治家や知識人は、子孫にツケが回ると警鐘をならしているが、もともと返すつもりがないのだから、国は馬耳東風である。

やることといえば、「信用」にかかわるので、というのはウソで、次の国債発行に支障をきたすので、利子の支払いだけは怠らない。それも、国債でまかなうのだから笑いが止まらない。

これをねずみ講といわずに何をねずみ講といえよう。

ねずみ講は、地上のすべての人間が参加したときに破綻する。むろん、私のような文無しが世界には相当いるはずだから、すべてではなかろうが。

政府主催のねずみ講も、同様に破綻する・・・ことはない。伝家の宝刀をキラリ一振り、造幣局で一万円札の尻にゼロを二つか三つつければ、被害者の会が結成されることはない。

ゼロが二つ、三つとついた時代にはそれに相応するような金銭体系ができているので、その世代にツケは回っていかない。

ツケは、千五百兆円で国債という印刷物を買った瞬間にその当世人たちが払うのである。

赤字でも黒字でも青字でも、買い手の手元の千五百兆円がゼロになるまでどんどん発行したらいい。どうせ、結婚詐欺、マルチ商法、オレオレ詐欺で消えるカネだ。

しかし、一つだけ、絶対条件がある。人様から預かっているカネで国債を買うことを禁止することである。生命保険料、年金積立金、宝くじの寺銭、その他政府、民間に関係なく、いわゆる機関投資家の金のうち、証文が紙くずになったら困るカネで国債を買うなということである。

これさえ守れば、国債発行、ドンマイ、ドンマイ。

付の1.
国債発行はまともな国家のやるべきことではありません。ヤクザの国のすることであります。一度ヤクザの世界に入ると抜け出られない皮肉を書きました。

付の2.
今や資本主義の総本山である機関投資家が、「ハイ、そうします」ということはありません。そうと分かっていても、黙っていられない私の性分、困り物です。

付の3.
ゼロの代わりに、輪転機を増設してもいいです。

付の4.
国債の低減・回収を考えたら、財務官僚は夜も眠れないでしょう。そういう官僚がいればの話ですが。

付の5.
皮肉を込めて被害者と書きました。

1112夕方

フェリー転覆 またやっちゃった

昼のニュースを聞いていたら、フェリーが横転したという。原因は荷崩れである。

だいぶ前、このブログで、私の船長としての経験を書いたように覚えている。

強風、荒波の中の航海で、足場パイプが片側にガラガラと音を立て寄ってしまった話だ。

天気晴朗で波無しで出航した。その時、荒天であの丸くて重いパイプがどう踊るのか新米船長には想像できなかった。

ほうほう島に戻ったがあの恐怖は今でも忘れない。

フェリーの船長は私の某国工作船以下の名誉ある漁船と違って、簡単に横転するはずがない。船長でも永年経験を積んできた人であろう。

私は、これを不思議・不自然とはいささかも感じない。十分あり得ること、あって当然のことと思っている。

景気・経済を論じる経済学者、外交・防衛を論じる外交・軍事評論家、彼ら、彼女らプロの言っていることを見ればそれがよく分かる。

付:
一つ違うのは、転覆は気の緩みによるということです。

1112夕方a

資本主義と倫理について

この表題、私のものではない。いくら日本語がいい加減なことで日頃注意を受けている私でも、このような表題は思いも着かない。

正しい表し方は、「資本主義における倫理について」である。

資本主義は、アダム・スミスでは富、マルクスでは労働、ほか有象無象の学者が有象無象を開陳しているが、要するにカネを論じる世界の中のものである。

倫理は、人倫、不倫というように、人の生き方、人のあり方である。カネとは無縁の存在である。

「ドストィエフスキーと納豆」なら、「なんだこりゃ」であるが、「資本主義と倫理」なら、さもありなんということになってしまう。錯覚である。

金融危機を資本主義にその原罪を求めたくない人々が、作為した錯覚である。

彼らの論法はいくらでも敷衍できる。

社会主義が悪いのではない。当事者に倫理観が欠如しているのである。社会主義自体は善である。真の社会主義を構築しようではないか。日本の進歩人が好んだセリフである。

ローマ帝国支配が悪いのではない。当事者に倫理観が欠如しているのである。ローマ帝国支配は善である。真のローマ帝国支配を構築しようではないか。ブルータス、お前さんもかい。

資本主義を語るに倫理も不倫も無関係である。

付の1.
日本財務省の役人による論文も、「資本主義と倫理について」があります。偶然の一致ではありません。他人の評論を評論するヒマはありませんが、国家公務員の作品とあれば、別です。

付の2.
アメリカの自動車会社の会長が自家用飛行機で公聴会に駆けつけました。アメリカの投資会社の会長の年俸が100億円でありました。自家用飛行機を処分して、徒歩でワシントンにふらふらになってたどり着く、100億円を1ドルに減額する。大衆受けするこの処方、こんなことで、資本主義大王が黙って引き下がるわけがありません。金融危機は今でも時限爆弾ですよ。

1112夕方b

資本主義と金融危機について

昨年、連日連夜、ニュースで取り上げられていた金融危機はどうなってしまったのか。麻生さんの退室と共に百年に一度の危機が去ったので、次の危機まで百年あるというのか。

騒ぎの最中(さなか)にいるときは物事がよく分からないものだ。中国語に「当局者迷、傍観者清」がある。日本語の「岡目八目」によく似た意味である。囲碁を知らない人にはこの日本語が分からないだろう。かえって中国語の方が分かりやすいはずだ。

金融騒ぎが収まった今、頭を冷やして、金融危機の本質を探る努力をしても損はないように思う。

金融危機は資本主義の分業化に過ぎぬ。分業化はアメリカのフォード車が教材となっているように、量産に不可欠な生産形態である。

資本家がこつこつ貯めた金を拡大再生産に回す、それに満足できず、他人の金を集めて拡大再生産を続けた。作ったまではいいが売り先がない。いや、売り先はあったが、売ったお金が返ってこない。小難しく考えることはない、これだけのことだ。

資本主義は拡大再生産と同義語である。

拡大再生産を控えた資本主義が想像できますか。


1104熊野神社から

つもり違い十ヵ条

つもり違い十カ条
高いつもりで 低いのが 教養
低いつもりで 高いのが 気位
深いつもりで 浅いのが 知識
浅いつもりで 深いのが 欲望
厚いつもりで 薄いのが 人情
薄いつもりで 厚いのが 面皮
強いつもりで 弱いのが 根性
弱いつもりで 強いのが 自我
多いつもりで 少ないのが 分別
少ないつもりで 多いのが 無駄

何年か前、百円ショップで買った絵馬です。壁に掛けられるようにヒモがついています。

多分、どこかの刑務所の木工作業場で服役囚が生産したものでしょう。100円で手に入った「安い」善行でした。

形容詞は他にいくつかありますね。ヒマな時に考えています。

広いようで狭いのが 視野
狭いようで広いのが 死角

熱いつもりで冷たいのが ○○
冷たいつもりで熱いのが ○○

○ ○は、まだ考慮中です。

合計十何ケ条になるでしょうが、老子に言わせれば、みんなウソです。正しい言い方は、「~のようでもあり~のようでもある」です。

福岡正信師では、「~のようでもなく、~のようでもない」となります。

最近やたらに政治家が口にしている弱者救済。私は弱者と強者に人間を仕分けすることに反対です。弱者救済は私の善行と大差ありません。

1109リッキー

国家官僚はクジで選ぼう

人間にとってもっとも大変な作業は、「人に教える」ことと「人を裁くこと」である。この二つがきちんと行われていれば、その社会は極楽である。むろん、極楽の名の通り永遠に地上で実現されることはない。

この二つを目指してまじめに努力している社会があるとすれば、AAAクラスである。

「人に教える」
 この前、九州のどこかで教員試験で落ちた先生が教壇に立った。汚職がばれなければ定年まで何事もなく勤めたはずである。これで、試験がいかにいいかげんであるかが証明された。

「人を裁く」
 裁判員制度が施行されてこのかた、とんでもない判決が下されたことはない。判事がいてもいなくても「良識ある市民」だけで十分人は裁けることが証明された。良識ある市民はパソコンゲームのクジで当たった人々である。

人間の最も難しい仕事が教員試験・司法試験によらずに普通の人でできるということである。

ならば、他の国家公務は、クジで選ばれた公務員で十分ではないか。

役所は会社でいえば、総務部営繕課である。普通の人が普通に勤務すれば、なんということはない。

いかが。

付の1.
外務省に優れた通訳は必要です。同様に各省庁に実務担当者を世間並みの待遇で配備すればいいでしょう。

付の2.
繰り返しますが、国家公務員試験は昔の科挙とならんで悪しき制度です。私は、明治維新の残渣(残りかす)と言っています。

1109モモとリッキー

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