老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

元官僚と脱官僚

郵政事業でまたゾロゾロ官僚出身者が出てきた。

亀井大臣が、元官僚だからすべてが悪人であるというのはおかしいと発言した。私に異存はない。

問題は、「元」から「現」に移ったときどうだったかである。

「次官、あなたの外交姿勢は間違っています。政府にもっとまともな助言をしてください」と具申して、クビになった元官僚がいたとする。

「次官、私は次官になれなかったから、せめて、独立法人の理事にしてください」と願って、天下った元官僚がいたとする。

この二人は、同日の論にならない。前者は登用すべし、後者は解雇すべし、である。

もしも、天下りないし天下りもどきの立場の元官僚が一人でも今度の人事に含まれていたとするならば、脱官僚という政権公約の一角が崩れたことになる。

政権ダッシュの後のスタート・ダッシュ。ダム中止、普天間基地移転、脱官僚、この3本において、公約からのブレは一切許されない。

付の1.
ラジオで聞くだけなのでよくわからないから、ここは「もしも」としておきます。

付の2.
脱官僚はあまり褒められるフレーズではありませんでした。過ぎたことですが。

1029植林事業

普天間基地移転 石破元防衛大臣のピント外れ

民主党政権内でああだこうだと話があることに対して、石破さんが、「こんなことではアメリカとの同盟関係にヒビが入る」と懸念をテレビで述べていた。

それほど心配なら、「普天間基地は私の選挙区に移転したらどうですか。地元は私が説得しましょう。Trust me!」と提案すればいいのに、口が裂けても言わない。

野党に降ろされた今、彼ら日米同盟命の自民党が、政府に語るべき言葉は、「アメリカとの同盟関係を損なうことなく、円満に移転を実現してほしい」、これである。

相手の要求に唯々諾々と従って契約するのは、営業マンとしては下の下。相手を怒らせて契約ができなかった下より更に一段レベルが低い。

交渉が商売の外務官僚よ、朝飯前に解決したまえ。

付の1.
Trust me!は、映画「ターミネーター」から借りました。

付の2.
沖縄に任せて知らぬ振りを続けるなら、彼の国益はまったく欺瞞であることになります。

1027粟ケ崎から神社

JALは人災 運転手はキミだ、車掌はボクだ


パイロット、スチュアーデスなど横文字で羨ましがられたのは四半世紀前までのこと。

それもそのはず。海外渡航は農協や商社のエリートに限られていたからである。乗せる人がVIPなら運ぶ人もVIP並みに扱われていた。

今はどうか。

新聞の広告では、ニューヨーク往復が5泊で10万円也。まさか地下鉄の駅が宿などということはあるまい。航空会社に落ちる金はたかがしれている。お隣中国など3万円。これなら誰でも(私は無理だが)気楽に渡航できる。

そう。世間は、もう、飛行機は高速バスと同じ扱いをしているのである。カーゴ専用機のパイロットは、宅配便のトラック運転手と同じなのだ。

仮にバスの運転手やトラックの運転手の年収が2千万円だったらどうだろう。定年後の年金が1千万円だったらどうだろう。

バス会社も運送会社も倒産必定である。

JALは国策会社として産まれてからこのかた、甘やかされたまま老境に入ったのである。

JALの再建なんか大臣がでるほどのことはない。パイロットの給料をバス運転手と同程度にするだけでいい。こんな簡単な作業は、国交省のヒラ役人の仕事である。

年金だって?

企業年金は会社が存続している間だけの時限立法のようなもの。会社が倒産すれば、一銭も入らない。

企業年金を生活保護費程度まで下げさせてから、国は援助の手を差しのべるべし。ガタガタ組合が言うのなら、倒産させればいい。

組合は青くなって、なんでも聞き入れる。

昔の驕り、今のツケ。JAL騒動は人災である。

付の1.
タダで外国に行けただけでも、会社に感謝しなければいけません。

付の2.(創作ですよ)
   隣の奥さん:ご主人、みかけませんけど。
   ウチのカミさん:ドイツとイギリスへ。
   隣の奥さん: 昔:まぁ、ご活躍なさって。
           今:まぁ、かわいそう。
付の3.
行政官僚と国会議員の棲み分けを、真剣に取り上げるための一つのいい材料でもあります。

付の4.
私も大分あぶない(やましい意味でなく存続の意味で)会社から企業年金を受け取っている身ですが、いつ途絶えても狼狽しません。もっとも、額が額ですが。

1029リッキー

大臣職は官僚に渡そう 再び提案します

また起きちゃった。自衛隊の船が民間の船と衝突した。

責任がどちらにあるのかは後の話しとして、航空自衛隊のジェット機が墜落する、陸上自衛隊の戦車が民家を押しつぶす。

高架高速道路が陥没する。走行中のバスやトラックがバラバラと落ちてくる。一度ならずあちこちで発生する。

こんなことが仮に起こると、決まって、国会で大臣が謝罪や弁明を述べなければならなくなる。同時に大臣の進退が問題になる。

これがおかしい。

現行の大臣制度がおかしいのだ。

行政のトップは行政から出なければならない。今の次官止まりは悪い制度である。

国会議員は国民の代表として、行政のトップに指示する。関係部署は、トップの指示・命令を受けてそれぞれ最善を尽くす。

大臣職を政治家が手放さないのは、大臣の椅子に座ることが、次の選挙の集票に役に立つからである。

脱官僚は他人事ではない。政治家が「先生」と呼ばれ続けられたい限り、その代償として、国会で官僚に代わって謝罪し続けることになる。

ダム建設中止にしても、前原先生が直々に現地に出向くことはない。担当役人に指示し、実行させればいいのだ。国際空港問題も然り。JAL騒動も然り。

(潜在的)能力が備わっている官僚は、うまく働く場を用意すれば、比例代表で自動的に国会議員に選ばれた多士済々よりはるかに立派な仕事をするはずである。そのためには官僚としての夢を与える。

夢とはすなわち大臣職である。

付の1.
脱官僚は見事なキャッチ・コピーですが、実態は、政治家がだらしなかったことの裏返しです。それをも一度裏返しますと、だらしない政治家を後援してきた選挙民の責任ということになります。

付の2.
多士済々は「張り切る民主一年生」というサブの頭にあった「143人多士済々」からいただきました。私の言葉ではありません。ある大手新聞の9月12日付けです。物は言い様と感心するやらあきれ返るやら。

付の3.
大臣引継ぎが握手で済むなんて人をバカにしたこともなくなります。

実

動物虐待 盲導犬でなく盲導人を

盲導犬に適している犬種があって、子供のときに訓練を受けさせる。頃合いをみて、めくらの人に貸し与える。それから10年。お役御免となって育った家に戻る。足元がおぼつかない歩きで、子供の時の主人に向かう。短い間でも主人を忘れていない。

数年前にテレビで観て、私は、以来、一日たりともこの盲導犬物語を思い出さない日はなかった。

番組では、犬と人の美談として扱われていたが、私は、人間の仲間である私をつくづく嫌になったものである。

人間がめくらになる理由や背景がどれほどあろうが、犬はまったく責任はおろか関係さえない。

弱者に温かな社会が良い社会であると総理大臣が言っている。その通りである。従順であることをいいことに、犬をヨボヨボになるまで人に従えさせる社会は、最低の社会であると私は断言する。

犬を使うことはない。失業者が巷に溢れている。失業保険を受給している間に交代でめくらの人に仕える。

人の問題は人と人で解決すべしという私の地球レベルからの主張である。

付の1.
犬にしつけはいりません。無芸のバカ犬よわばりされている我が家の犬も、散歩では常に10メートルほど先を歩き、マムシなどの危険を知らせてくれます。

付の2.
差別語を差別するな。いずれ取り上げます。

秋の空

普天間基地はグアムへ 外務官僚の手腕

民主党は選挙前から、普天間基地の移転を話題にしていた。

日本の外務省の高級官僚が知らないはずはない。

だから、自民から民主に政権が移行するときをケースBとして、日米間の交渉のため怠りなく準備をしてきたはずである。

これは、外務大臣が誰になろうと無関係に、外務省の仕事である。いかにアメリカ政府に対応すれば、普天間基地をグアムに移設できるか、とっくに、そのシナリオが出来上がっていなければならない。

政治指導の国家運営は結構だが、外交交渉は外務省の仕事である。

販売相手にいちいち社長が立ち会っていたのでは、会社が成り立たないことと同じ道理と言える。「元々の契約がこれこれですから、仕方がありません」で営業が務まれば、こんな楽な仕事はない。一流の営業マン(ウーマン)は、前任者の契約ミスを円満に解消し、新しい契約を結ぶものである。

私は、外務省の官僚は、徒食かつ惰眠の集団と疑っている。

普天間基地を沖縄に留めるようなことがあれば、疑いが“晴れて”信念に変わる。

外務省官僚は、民間の営業マンとは比較にならない高給取りであろう。難しい交渉を成功させなければ、顔が立つまい。

岡田外相が悩むことはない。ひたすら外務省役人の尻を叩けばいい。

付の1.
ケースAは、自民政権継続です。徒食・惰眠を続けるのです。

付の2.
外務省がアメリカの出先ないし手先か否かは普天間基地問題の結末を見れば明白になります。

付の3.
秀才は、何か事が起こると、問題ばかり挙げるものです。旧帝国大学出身者の秀才に多い。傍からは私の偏見に映るかもしれませんが。岡田外相も同類でしょうか。

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鳩山由紀夫首相の所信表明演説

台風が接近しそうだというので、船を陸に揚げた。

家に戻って、再びラジオをONにしたら、鳩山首相の所信表明が始まるところだった。

くだらない内容だったらいつでも切るつもりが、最後まで聴くことになった。

いくつかの「はてな?」はあったが、全体としては、見事なものである。彼は、日本国の航路について、灯台を語るのではなく北極星を語ったのだ。

やれ世界第二の経済大国だのやれ景気回復最優先だのとカネ、カネ、カネの所信表明ばかり聞かされてきた日本人。

鳩山由紀夫氏は己の理念を己の言葉で演説した。聞く側の一部にはとまどいがあるかもしれないが、所信表明はこれでいい。

個々の演説内容は、これから徐々に解析(大げさな!)するとして、今日は一つだけ不満を言っておく。それは、アイヌを挙げながら、在日朝鮮民族に言及がなかったことである。

画竜点睛を欠く嫌いがぬぐえない。残念だ。

付:当分、本ブログは、毎月曜のアップ・ロードを原則にします。

1025モモとリッキーb

普天間基地なんか大した問題ではありません

アメリカが実施を迫っているとNHKは騒いでいますが、ボクシングと同じ手法をアメリカが採用しているだけです。

試合前の罵詈雑言で相手を威嚇するというやつです。

永年、尾っぽ振り政府で通用したものだから、適当な人間を使って今度も一発かましてやれということです。

アメリカ政府の本音。

日本の国土がアメリカの言いなりになるというような印象を日本国民に与えるような事態をアメリカ政府は望んでいません。

日本政府が毅然とした態度にでれば、普天間基地問題なんかあっという間に解決です。

今度の日本政府は、それほど卑屈な集団とは思えません。なにより、アメリカのそんなやり方はとっくに承知しています。

私は不安を掻き立てるメディアをのんびり見ています。

付の1.
「おぉ~。今度の外相は手強いぞ」 こう言わせなくてはいけませんよ、岡田さん。

付の2.
アメリカ放送協会を活用するのも、旧来のまま。日本のプロ野球よりアメリカの野球を優先する放送局ですからね。

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宮城県知事選 消化試合

明後日25日が投票日。

衆院選の前であれば、各政党から党首ほか、大勢応援に駆けつけるところだ。

関東地方を通過した台風情報のようなもの、あるいは、プロ野球のペナントレースの消化試合のようなもの。

同じ知事選が、国政選挙前と後では扱われ方がまったく違う。

だれも関心を持っていない。メディアも騒がない。

地方にはこの落ち着きが政治にも合う様な気がしている。

それに、国会議員が国の政治を専らにするパターンができたとしたなら、大いに結構なことだ。

10.18満10歳

すべて世は事も無し

当面崩れるようなことのない連立政権、たとえ崩れても、満期まで解散しないと民主党が明言したのだから、政局は大安定である。

何も言うことはない。また、言ったところで、どうというものでもない。

テレビは時間を潰すべく、新聞は紙面を埋めるべく、「お騒がせ」をやっきになって探すだろうし、なければ強引に作ることだろう。彼らはそれがなければ商売にならないから無理もない。

私には無関係な話。

今ほど、のんびり世の中を見ていられる時代は、これまでなかったように覚える。のんびり見ていられるということは、別な言葉で表せば、見ていなくてもかまわないということだ。

すべて世は事も無し。浦島太郎、本領発揮すべし。

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私のブログ チリが積もって1000回

チリの中にいくつかの珠玉の寄稿があるのが救いです。

長文・短文いずれであってもコメントがどれほど私の励みとなったことか。

唯一リンクをいただいているさいど~様は、ブログのトラブルではいつも助けていただきました。

それから、一度でもぶらりと寄ってくださった方々。

皆様に心よりお礼申し上げます。

今日のブログは、老子第八十章のみです。

老子 第八十章
小國寡民、
使有什伯之器而不用、
使民重死而不遠徙。
雖有舟輿、無所乘之、
雖有甲兵、無所陳之。
使人復結繩而用之、
甘其食、美其服、
安其居、樂其俗。
鄰國相望、鷄犬之聲相聞、
民至老死、不相往來。

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台風 (3) 船の陸揚げ

台風が来そうになると、組合からマイク放送で、集合がかかる。数人の移住者以外は、ほとんどが組合員だから、ぞろぞろ浜に集まる。

船を道路の反対側に移動させるのである。普段は「なめし」と称する枕木の上に置いている。台風が来れば、いっぺんに飛ばされてしまう。小型漁船とはいえ、数百キロはある。一人、二人で持ち上げることはできない。

それで、10人くらいで船を台車に載せて、風の当たらないところまで運ぶ。各人持っているから、順繰り30回を越える作業である。

これが、平均年齢70歳の小漁師には結構きつい。

私が移住して、ようやく組合員になった頃の話だから、10年前である。

今は、各人が台車を持っている。それに、「公共事業」のおかげで、道路脇にガード・レールが設けられ、それにロープをかけることができる。ガード・レールは車のためとは限らない。台風がきても平気である。

今日、私は浜からカヤックを引き上げてきた。

10月1日の泳ぎ、そして今日のカヤックの引き上げ、私の夏は終わった。

ガード・レール

台風(2) 定年後は南か北か

今年は数年ぶりに宮城県が台風進路に当たりそうである。

九州地方の被害がニュースになっている。それを聞いていると、子供のときの予防注射の順番待ちを思い出す。何かの事情で、先生(医師)が、自分の前で帰って行ったらとばかり念じていた、その意気地なしの自分まで思い出され、いやになる。

それにつけても、沖縄・九州地方の人たちはたいへんだと思う。年に何回が必ず見舞われるのだ。

定年後の田舎暮らしは、温暖な土地に限るということが定説のようになっているが、天邪鬼(他称)の私は、そう思っていない。

台風のニュースを見る度に、高齢者世帯の移住先としては、東北の方が適していると再確認する。

待てよ。

それでも、五島列島、沖縄、屋久島などが人気のあるのは、台風の被害を勘定に入れても、なお移住先として採算が採れるということではないか。

まあ、台風が、毎月、2回、3回と来るのなら話は別だろうが。

北に住みたければ北に行けばいい。南なら南だ。どっちに行っても、「やはり東京だ」とぼやく人は都会人、「ふるさと一番」と信じる人は田舎者。

私:「宮城は一番です」

1007台風前日

台風 (1) 天気予報

昔、北海道出身の仲間が、NHKが詳しく台風の進路予報をするのは東京までだと不平を言っていた。私はその度に田舎モンのやっかみだよと笑っていた。

宮城に住んでみると彼の意見もなるほどと思う。(直撃であろうが迂回であろうが)関東地方を過ぎたら、とたんに台風情報はニュースの後ろに回されている。これがNHK的公平性か、ぶつぶつ。

待てよ。

全国版ニュースは全国民のためにある。「はるか南沖」なら、100分の100だ。しかし、関東を越えたら、5分の4位の国民には無関係になっているのではないか。残りの2割のために全国放送することはない。ローカル局で十分だ。

北上すればするほど台風が強まるのなら、まだしも、北海道にたどり着く頃には、台風もへなへなになって、初夏ならそよ風と歓迎されるに違いない。

私は、このことに気がついてからは、北海道の仲間のようには不平を言わなくなった。

付:
その彼も、私と同じような歳なので、今では、やっかみに代わって南の被害状況に心を痛めていることでしょう。

1007店じまい

映画は楽しい(2) 何度観ても飽きない映画

一つは、「椿三十郎」
これは、何十回と観ている。場面とセリフは、ほとんど全部覚えた。昔、登場人物が口を開ける前に、すべて私がそのセリフをしゃべって、カミさんからうるさいとブーイングを貰ったことがある。(それからは、居間で映画は観ないことにした)

筋がいい。三船敏郎もいい。残念な所が一箇所ある。それは、刀がヌーと現れるシーンである。仲代達矢の気配に三船敏郎が気づかないはずがないのである。私は、自分なりに再編して、このシーンは飛ばしている。

最後の決闘の出血噴射は娯楽映画として許せるが、この刀のシーンだけは、いただけない。

もう一つは、「ビルマの竪琴」
日本の戦争月間である8月と1年の終わりである12月のいずれかに、毎年1回観ている。船上で手紙を読むシーンは、涙で眼が見えなくなる。何回観ても、涙はかれない。

この映画を観るたびに、戦争は職業軍人とボランティア軍人(志願兵)だけでするものという私の確信を更新する。

私は戦争に賛成・反対を云々すること自体がナンセンスであると考える者である。私の反対するのは、市民を兵隊に仕立てて、戦場に行かせることである。

私の映画趣味は、高倉健や勝新太郎を例外としてほとんどが洋画である。例外が、これらモノクロ邦画2作。何回観ても決して飽きない最高傑作である。

だいぶ以前、ブログに載せたように記憶しているが、改めて書いてみた。

池の浜から

映画は楽しい(1) 悪いのは、シナリオか、私の頭か

最近、映画は二度観ることにしている。ヒマはある。

一度観ただけでは、登場人物も筋もよく理解できなくなってきたからだ。昔の西部劇なら、白人ジョン・ウェインが正義、褐色インディアンが悪者と決まっていたから、ただスクリーンを見ていればよかった。

今は、無理にこじつけたような筋とやたらにどんでん返しが続く筋が増えて、ぼんやり眺めていては、この人誰だったっけと思い出そうとしている間に、終わりになってしまう。

[ぼんやり」は他人を想像しているからで、古希寸前の私は、真剣であってもである。

だから、観るときは必ず録画する。分からない所は納得するまで何回でも逆早送りができる利点があるからだ。

昔は、映画が単純で、私の脳細胞は複雑だった。今は、映画が複雑で、脳細胞は単純である。相乗効果というのか、相乗逆効果というのか、とにかく、映画は二度観なければならなくなった。

付:
DVDにタイトルを書いて、ファイル・ボックスに収めます。それから2週間後、もういけません。タイトルと内容が連結しません。

蜘蛛の巣

総合雑誌 徳は孤ならず

先月から、月刊誌を2冊、くまなく読み続けている。

何十年ぶりのことだ。

噴飯記事もあったが、読んでいくうちに、私のもろもろの考え方が、それほど、ピントはずれでないことが分かった。

新聞取らず、テレビ映らず、ニュース・ソースといえば、古い友人数人からの資料提供と助言だけ。

「徳は孤ならず」

毎月、読むのはしんどいが、これからは、一年に一度くらいのペースにカイゼンしようかと思っている。

付:
拡大鏡を左手に持って読んでいます。早晩、拡大鏡を持っても読めなくなるはず、今のうちに読むとしますか。


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さらば、五輪! 都知事は作家か 眼に見えない力

営業会議の席。営業員が一人一人営業部長に絞られる。最後に自分の順番がきた。

営:「小国、例の契約はどうした」
私:「ぼそぼそ」
営:「はっきり言え。四国の山奥まで行ったのだろう」
私:「他社に取られました」
営:「なにぃ、100億円も接待費を使ってどうしたんだ」
私:「信じてください。接待費は、全部思い切り使いました」
営:「使い放題のくせに、一体、どういうわけだ」
私:「眼に見えない力が働きました。帰りの新幹線で不覚にも泣きました」
営:「ふざけるな、不覚も三角もあるか。クビだ! 都庁に行って、知事にでもなれ」

外務省役人は可能性ゼロを最初から気づいていた。目に見えない力なんか信じていては、外交にならないからである。しかし、「ムダだから、やめたら」と、進言する立場にない。

都庁職員の大部分だって、分かっていた。残念ながら、直言する勇気のある人物がいなかった。

「眼に見えない力」は文学的には、彼の造語ではなかろうがすばらしい表現だ。

大昔、「声なき声」が流行した。時の首相が使ったことで、覚えている。

分かったようで分からない言葉を政治家が使うときは、よほど疑ってかからないと、騙される。

百億円のバカ騒ぎから収穫できた唯一の教訓である。

付の1.
最下位脱落決選投票方式とは知りませんでした。

付の2.
知事より作家の方が出世しまっせ、おじいさん。

付の3.
過去の政治家は語らないのがこのブログの原則。でも、100億円と知って、追加しました。他人の金とはいえ、キャビアとローストビーフに化けたのがくやしいです。

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JR西日本 誤解を招きかねない事態

事故調査委員会から、数度の会食の中で、調査報告書の内容を聞き出したという。

その記者会見で、JR西日本は、「誤解を招きかねない行動」と反省していた。

「李下に冠を正さず」

ムシャムシャかじっている現場を見られ、「誤解を招きかねない行動でした」と言い訳けしても世間では通用しない。頭に手をやる動作までが限界である。

JR西日本の駅売店から缶ビールをコートに滑り込ませて、店員に見つかったとき、誤解を招きかねない行為で申し訳ないと謝罪して済むだろうか。

JR西日本の役員は秀才だから、李下の故事は承知之助である。それでも、「誤解」を何度も繰り返したのは、世間に「誤解」してもらおうというよこしまな魂胆があるからである。

漢字の意味の作為的な取り違えは、表現の自由の濫用である。

付の1.
漢字の読み違えは、誰にでもあります。総理大臣だったから、話題になっただけのことで、今ではあのおおらかさが懐かしいくらいです。

付の2.
先輩・後輩の関係だったそうで、情をかけるのは仕方がないと思います。第三者委員会に真性の第三者なんかいないでしょう。


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LDからDVDへ モーツァルト バイオリン協奏曲第五番

モーツァルト バイオリン協奏曲第五番

これは、これから生きていく人の歓びを謳ったもの。これまで生きてきた人の喜びは、ベートーベンの弦楽四重奏曲第十五番である。

この2曲ほど、人生を肯定的に表現した作品はない。

私が勝手に決めただけだが。

AVルームが復活したので、何を観ても何を聴いても、楽しい。映画と音楽は居間で鑑賞するものではない。

中央の席に着いて、オットマンに両足を載せ、脇のテーブルに、熱いコーヒーを置く。その香りに包まれて暫くすると、開演だ。時には感極まって立ち上がることがあっても、常態は、物音一つ立てない。

私が勝手に決めた鑑賞法である。

付:
・バイオリン協奏曲第五番 Gidon Kremer  ウイーン・フィルハーモニー
・弦楽四重奏曲第十五番 スメタナ四重奏団 (LPからCD-Rへ)



人から見た私は

名もなく貧しく美しくと人間の必須三条件が備わった私が、活字で紹介されるとは、夢にも思いませんでした。

「あんたのことが書いてあるよ」と言われながら私の留守に預かってくれたお隣さんから受け取った十数ページの印刷物。

曰く:

「診療所からの帰り道、定年後に、都会から移り住んで、犬と猫の里親になってくれた小国さん宅も訪ねました。ヤギと鶏もいて、尺八を吹いて暮らしているそうです」

島の人たちから見ると、私は尺八を吹いて暮らしているのです。常日頃、世間の見る目は公正と言っていた手前、素直に読みました。

尺八を吹いて暮らしている・・・ははは。

付:
犬・猫の里親探しの団体の印刷物です。書店では、手に入りません。

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宮城県の天気は一番です

こういう表現は、都会人のするところではない。

いろいろな面から、私は、田舎者の一員としての資格を有すると自負している。だから、臆面もなく「一番」を使う。

ずっと前、このブログで、宮城県は、日本海と太平洋の間の陸地が非常に狭い県と紹介したと思う。

繰り返しになろうが、宮城の天気は静心なくころころ変わる。

大体3日から4日、外に出られる天気が続くと、決まって、雨になる。体の疲れが溜まる頃合いを見計らって、今日は一日中、家の中で、のんびりしなさいとお天道様が言ってくれる。

ここ数日もその通りだった。先月下旬、もうこれで海は終わりかとあきらめていたら、昨日までの数日間、晴れ続き。海水温度は、なかなか低くならない。昨日は、30ストロークのあと、甲羅干し。

今日は、低気圧の影響で、雨と風。ヒマに任せて、ブログを作っている。これも、宮城にいればこそ。ありがたい。

一度、書き始めたら、ダラダラ書くのが私。ついでに、オリンピックをけなそうかと思ったが、(Tokyoの可能性が皆無であることを最初からわかっていたから)時間のムダなので、代わりにネット碁を打つことにした。

たとえ負けても、まだマシということ。

付の1.
日本全土、至る所に天気一番があると思っています。私並みの田舎者で溢れている日本ですから。

付の2.
毎回のように、田舎者がこのブログに登場していますが、蔑視の対象ではありません。愛すべき、かつ都会人に分かりにくい日本人の代名詞として使っているのです。

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裁判員制度 最高裁の内なる心配事

その一.
いやいや選ばれた裁判員が裁判に立ち会って、こんなくだらない制度はムダだと騒ぐこと。

だから、正当な理由がなくて参加を拒否した場合にある罰金刑は、実際には適用しない。くじで選んだ資格者のうち、人を裁くことが大好きな人間だけをウェルカム!

ぶつぶつ言う資格人は、面接で丁重な言葉をかけて、お引取り願う。大好き人間の寄せ集めなら、良い事も悪い事も、万事うまく運ぶというものだ。

判決が下りた後の記者会見では、この大好き人間が、「とても有意義だった」とこの制度を持ち上げる。新聞はテレビには、いいことだけしか出てこない。

いいことだけを言うと、サクラになるので、ほんの少々塩・胡椒をかける。

ある新聞の連載記事がまさにこれ。

その二.
なんだ、こんな程度なら、判事なんかいらないじゃないかと国民が、言い出す。こうなったら大変だ。

二言めには判例・判例と昔話ばかり持ってきやがって、となり、判事の存在感がなくなってしまう。判事や検事は、膨大な判例集を頼りに食ってきたようなものだから、無理もない。

判例を参考にしたければ、裁判所の事務員にその都度、調べさせればどうということはない。なにしろ、裁判員は市民の感覚と良識を持っているのだから、その他は、軽いものだ。

その三.
殺人・強姦などばかり国民に押し付けて、こんなに裁判が楽なら、もっと、談合や汚職の裁判にも参加させろ、と国民が言い出す。

アメリカの真似をして作った裁判員制度なら、アメリカの陪審員制度をそっくり真似たらどうだ、とこうなる。アメリカの陪審員制度は、しっかり出来上がっているが、日本の裁判員制度は、いいとこ取り(司法官僚にとって)であり、地方、高等、最高という制度とは矛盾だらけである。

大体、官僚というものは、法律を一度作ってしまえば、後は慣性の法則が働いて、よほどのポカがないかぎり永久運動をするものとタカをくくっている。

口では、何が起こっても、「想定内」とうそぶくが、内心、ビクビクしているのではないか。

あれやこれやあるが、国民が怒って、憲法違反だと裁判所を訴えるようになったら、決着は最高裁でつけられることになる。

裁判所が裁判にかけられるのである。民主党政権はどう対処するのか。社民党が国民の味方になるのか、権力側に寄り添うのか。

付:
私は、司法全部が横着しているとはいいません。市民並みの感覚を持った判事も検事も大勢いるはずです。一番偉い人たちの中に少ないのが問題というわけ。

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カネはない、ヒマはある

昨日、今年、最後の海水浴を楽しんだ。いつものように、淡水シャワーを浴びてさっぱりしようとしたら、水道の元栓が区長によって締められていた。

一晩、塩吹きのままで寝たが、どうもチクチクしてかなわない。それで、朝風呂となった。

滑らないようにタオルに十分お湯を含ませて、頭の上に載せる。もう、温泉気分だ。

朝からのんびりしていれば、自然に、「カネはない、ヒマはある、うふふ」と独り言がでる。

数回、高齢者の生活実態を表したこの名コピーを繰り返していくうちに、なんとなく不自然さを感じた。

待てよ。

生活保護費程度の年金の私が、カネがないと実感したことがあっただろうか。五十五歳で収入ゼロの生活を始めて、このかた、「ああ、カネがない」と嘆いたことは一度もないのである。

通帳は7桁になったことはない。いつも6桁の間で上がったり下がったりしている。3月に確定申告があり、島に役場の税務官がやってくる。その人が、とても申し訳なさそうに、千数百円の所得税額をパソコンから打ち出してくれる。毎年のことだが、彼らの顔をみると、却って、私の方から、「いえいえ、納税は国民の義務ですから」なんて慰めるくらいだ。

千数百円の税金を納めて、国民の義務とは、大げさだが、要は、世間の尺度では、私に「カネはない」ことになっている。

次はヒマについて。

ヒマはある。確かに、朝から風呂に入るヒマはある。夜、何時まで起きていても、誰にも迷惑はかからない。翌朝、何時に起きようが、遅刻の言い訳は不要だ。雨なら、犬と一緒に一日中、昼寝して過ごすこともできる。気が向けば、浜で好きなだけ尺八を鳴らしていられる。これを世間が見れば、私はヒマだらけということになる。実際、島の口の悪い同業者から、道ですれ違うと、「今も、碁と尺八でヒマをつぶしているのかい」と挨拶される。

しかし、亡者(なきひと)の乱数表が示しているとおり、来年の夏、今年のように海に入れるかどうかわからない年齢域にいる私だ。陸で息ができなくて、なんで海に出られよう。

ぬるま湯に浸りながら、しばらく脳細胞をフル回転した後、私は覚った。このコピーが量る尺度を混同していることを。

カネは絶対的には「ない」。しかし、相対的には、「ある」。
ヒマは相対的には「ある」。しかし、絶対的には、「ない」。

これでなければいけない。

言い換えれば、

絶対的には、「カネもない、ヒマもない」
相対的には、「カネもある、ヒマもある」

ということだ。これは、私ばかりでなく、老人全般に有効な理論ではなかろうか。

(続く)

1001白浜f

政治とカネ もしも、私が国会議員であったならハウ・マッチ?

先ず、秘書が必要だ。年収1千万は用意しておきたい。それと、千に一もないはずだが、4年1期で落選の時のために、彼に退職金を年5百万を積み立てよう。

新聞は読売、朝日、毎日、東京、日経、アカハタを購読する。こんな量は読めないから、秘書に切り抜きを作ってもらう。癪に障るがNHKの受信料も払うことにする。タダ観を週刊誌に暴露されたくないからである。合計、年間30万円で間に合うだろう。

本は国会図書館から借りる。読むべき書物はすでに読んだあとだから、リフレッシュのつもりだ。

車は今の軽トラジムニーでいい。国会があるときは、宿舎と議事堂の往復に自転車を使う。多分そんなに遠い距離ではないだろう。疲れてこげないときは、乳母車に乗り、秘書に押してもらう。

住まいは、品川あたりのワン・ルームマンションにする。品川を選ぶのは昔からの碁仇がいるからである。もちろん、閉会中はここ遠き宮城の最後の楽園ですごすから、家賃はいらない。

理髪は、高いカネを払っても、中身がよくなるわけでなし、これまで通り、千9百円の流れ作業床屋に頼む。しかし、開会中は、月に1回は行く。今のように3月に1回では、議事堂の門番に誰何される危険がある。

背広は、銀座のテーラーに仕立ててもらっても、身長が10センチ伸びるわけでなし、9千8百円でいい。夏物と3シーズン用各1着あれば、4年は大丈夫だ。

後、何が残っているだろう。

酒。ホテル・オークラで飲まない。夏は自作ビール、冬は自作ドブロク、これは今と変わらない。酒税法違反と週刊誌に暴露される危険を察知すれば、4リットルの焼酎大五郎かウイスキー凛にする。年に4本もあれば、十分だ。どちらも、1本、3千円しない。

食べ物は、生協で間に合う。今更、酒池肉林もない。

こうして今の生活に加算されなければならない諸経費を個々にあたると、国会議員の私には、5百万円で十分であることがわかる。うまくやりくりすれば、カミさんに内緒で、ヘソクリも作れそう。

秘書に千5百万、私に5百万。年間2千万円で、立派に議員職をこなせる自信がある。

テレビに出なくても、国会議員は務まる。出れば、何がしかの謝礼が入ってくるだろう。これも、ヘソクる。余禄だ。

政治に必要な金なんかこんな程度ではないのか。

なんで国会議員が次から次へとカネで世間を騒がせているのか、私にはさっぱりわからない。


1001カフナ

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