老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

喧嘩は双方合意の上

今、朝鮮が核実験をしたとニュースが伝えた。

政府、マスコミが大いに元気付いたのは、私にとっては“想定内”である。

朝鮮は、日本を敵としなければ、将軍一家の存在意義が危うくなる。アメリカがピンポイント攻撃しないことが分かっているので、気楽なもんである。日本と仲良しになるわけにはいかないのだ。

それでは、わが日本はどうか。これも、朝鮮と似たようなものである。唯一異なるのは、日本では、民衆に敵愾心を植えつけなければ、自衛隊の存在意義が危うくなることである。

だから、朝鮮の核実験は、千載一遇の民のガス抜き機会を兼ねて、最大限活用することになる。

喧嘩は、皮肉に聞こえるが、双方の利害関係が一致する条件でのみ成立する。

日本のマスコミは、ここぞとばかり、朝鮮非難に走るだろうが、同等の程度で、日本政府を非難しなければならない。

そうしてくれないと、一兆円のミサイル防衛無駄遣いが現実味を帯びてきますぞ。

粟ケ崎



老いの確認 頭脳篇

先週のブログだったか、「馬鹿は死ななきゃ治らない」と自嘲した。

自嘲の前に自覚がある。

パソコンである。これと付き合うようになって、何度、発狂の瀬戸際に追い詰められたことか。

数ヶ月で旧製品になるパソコンなら、数年前でも同じと、OS込みで1万5千円以上の金を使ったことがない。ネット・オークションで、その範囲内で、新発売当初20万円のものが買える。

8年前からの初代が先日、ついにダウン。しかし、まだ、手元に3台あって動かしている。富士通の業務用のマシンだ。多分、倒産した事務所から只同然で引き取ったものだろう。私はそれでかまわない。

問題は、私のことである。

98、2000、そして、今XP。これらのOSが、とても誘惑的、temptingで、ついつい、これをクリックしたらもっとよくなるのではなかろうか、どんな画面に変わるのか、とカチッをやってしまう。XPに復元があることを知った時の安心感は、言い表せない。

それでも、あれこれ、ファイルを移動したり、設定を変更したりした数日後、復元も効かず、お手上げ。リカバリとなる。ISDNのとろとろダウン・ロードで半日つぶれる。黙って見ているもつまらないから、他の事に手を出す。そうすると、パソコンを忘れる。省電力の画面を元に戻すと、「正しくダウン・ロードされませんでした」が無言で迎えてくれる。

こんなことを年中繰り返していては、神経が参ってしまう。それで、パソコンとディスプレイの正面に、「二度と、いじくるな」と警告札を貼り付けた。

このまま警告に従っていれば、パソコンの物理的破壊まで、平穏に過ごせるのであるが、数ヶ月の平穏の後、つい、少しだけならいいだろうと、設定を変えてみてしまう。音楽ソフトからメールまで、初めからやり直し。いくらヒマ人間といっても、これでは、治る前に死んでしまう。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」

老いの確認  身体篇

先日、どうしても行かなければならない用事があって、石巻市街に渡った。町にでれば、島にない物を補うべくホーム・センターや薬屋、業務用食材店に寄る。

一通り買い物を済ませた後の姿は、戦後の買出しと同じである。大草原の小さな家なら、馬車に積むところだ。

それで、帰りは、2キロほどの距離でも、タクシーに乗る。手ぶらなら、もちろん徒歩の距離である。

運転手:「この位なら、私なら歩くね」
小国寡民:「荷物が重いもんで」
運転手:「お客さんより若いからね、私は」

乗りかけて顔を合わせた時、私は、彼が私よりはるかに歳のいっている老人であることに気づいた。だから、乗り込んだ時、いくら金を払うからとはいえ、後部座席でふんぞり返る気分にならなかった。自然、言葉使いにも敬老精神が現れた。

退役自衛官で、年に一度、召集があって、訓練は受けるが、その後の同窓会の酒席が本当の目的であるという。昔、自衛隊出身者の作った訓練所に数日お世話になったから、彼との話は、もっぱら聞き役とはいえ、尽きなかった。

降りてから、妙な事に気が付いた。私は、彼を私よりずっと老いていると感じた、彼は、その逆を感じた。狭い石巻市のことだから、いつかまた乗せてもらうことになる。その時は、生年を聞くつもりである。

人は見かけによらない。自分のことは、・・・人にみてもらわなければ、分からない。そういえば、その日の朝、少し寒かったので、ウインド・ブレーカを着た。ファスナーを上げていったら、喉に激痛が走った。喉の皮膚がたるんだせいで、ファスナーが食い込んだのである。

自分の老いを知らされた一日だった。

付:
老いの一筆なんて言っていながら、どこかに、まだまだ、というおごりがあったのでしょうね。今は、消えました。

日本の外交 朝鮮とロシア

日本政府は、ソマリア海賊退治に軍隊を派遣するに当たって、日本国民の生命と財産を守るためという。

朝鮮への経済制裁も、拉致された日本人の生命を重んじる国家として当然の所作であるという。

政府は、生命だけでよせばいいものを、つい生命・財産と財産を加えてしまう。国家官僚のなせる技である。

北方四島は、日本固有の領土であるという。私はそう思っていないが、政府がそういう見解を持っているのなら、それはそれで結構。

ならば、日本固有の領土に居座ったまま、返す様子のまったくないロシアに対しては、朝鮮に対して実施しているような経済制裁を施さなければならない理屈が出てくるはずである。

いや、人命と領土とは重さが違うというのであれば、北海道沖でこれまで何人の漁民がロシアの機銃掃射で命を失ったことか、それに対して、一度でも経済制裁を採ったか。

聞けば、プーチン首相を日本の財界が大歓迎したそうな。

これでは、プーチン首相ならずとも、「四島返還なんか日本は考えていないぜ」と独り言がついでてしまう。彼が、帰りの機内で口笛を吹いても、私は驚かない。

この大歓迎を異様と思わない日本人がいるとすれば、朝鮮の船が新潟の港に着いた時に、自衛隊の軍楽隊が演奏し、夜には、財界のお歴々が晩餐会に船長、船員を招待しても、異様と思わないだろう。

強きに弱く、弱きに強い。これはこれで立派な外交姿勢である。日本は、そうではない。お金があるかないか、儲かるか儲からないか、これがすべての町人国家である。

ダブル・スタンダード、日本語で表せば二枚舌か、で善良な日本人は丸め込めても、世界では通じない。ODAのばらまきで、わずかに体面を保っているに過ぎない。町人風情にふさわしい外交である。

プーチン首相と北海道知事

パソコン不調という近憂で、プーチン首相の来日のニュースはそぞろになっていた。一段落したので、腹の中から出してしまおう。

テレビを見ていたら、北海道知事が、北方四島について、プーチンに解決に向けて両国が努力しましょうとか何とか言っていた。

何とかとしか表現の仕様がない位、漠然としてものであった。

「何を言いたいのだね、おばちゃん」、これは、私の言葉であって、また、プーチン首相の顔に書かれていた軽蔑である。

プーチン首相からなんの返事もなかったが、北海道として訴える機会に恵まれたことは幸いだと、おばちゃんが胸を張って記者の質問に応えていた。

私は、アメリカ大統領と互角に渡り合うプーチン首相が、よくも田舎知事の話を終わりまで我慢してきいたものと、彼の忍耐力に敬意を表し、また、おばちゃんの厚顔さに恥ずかしい思いをした。

北方四島返還をロシアと外交で解決したければ、先ず、日本政府が、図式を示し、日本国民を納得させなければならない。

外交だから秘密裡になどとは、体のいい言い逃れである。誰が総理大臣になっても解決できない問題である。

解決したくてもしたくなくても、もともとできない問題だから、田舎知事を引っ張り出して、何か進展するかのような幻想を国民に抱かせる。

プーチン首相は、この間の事情を十分承知している。日本政府に拝まれて我慢を通したというわけ。これで、私は納得。

付:
バラマキの2兆円で、せめて半分の2島でも買い戻せばよかった。現住民が島を去るのなら持参金を、残るなら国籍をどちらかに選ばせる。空論千遍より金次第!

どめき灯台


韓国語VS朝鮮語再論   erliuzi氏の寄稿

「韓」も「朝鮮」も、かつてあの半島および満洲部分に存在した国の名称を受け継いでいます。1948年の建国以来、「吾をおいて他にはあらじ」と夫々「唯我独尊」を堅持してきたことはご存知でしょう。

「韓国語」と「朝鮮語」(WORDはやはり米国基準。「朝鮮語」がすぐには出ません)は“板挟み”になった日本の悲鳴です。

しかし、中華人民共和国なんか「血で固めた同盟」なんてどこへやら、「韓国語」と「朝鮮語」をいつの間にか使い分けています。

一言:
大阪語とは (東京語とも)言わないでしょう。日本語の枝の「弁」です。中国語(漢語)の場合、それよりは分岐が高度なようで、広東語と言っていいような気がします。

初夏の光 生きていてよかった

このやや大げさな表現は、確かこれで3回目であると思う。最初が、海水浴シーズンが過ぎた海に一人浮かんでいる時の自分、次が、・・・なんだったか忘れた。

二日続いた雨が上がり、今日は快晴。強い風に吹き流されて空を横切って行くちぎれ雲の群れ。そしてその背景としての青い空。

シュロの葉が、光を受けて輝きながら震えている。犬と猫は、それぞれ思い思いの場所を選んでデッキの上で居眠り。

人間の私は、久しぶりにモーツァルトの「レクイエム」をすべての窓を開け放した部屋で聴いている。大音響だが誰にも迷惑はかからない。次第に乗ってきた。これから、スピーカーの中央に立って指揮棒を振るので、このブログの執筆はこれで終わりとなる。

「生きていてよかった」は、この最後の楽園に移ってから、何十回、何百回、私は繰り返したことだろう。十二支を一回りした今、これに、もう一言が加わるようになっている。

「十分に生きたなぁ」

カエル

環境悪化のシミュレーション ハイブリッド・カーの奨励の欺瞞

政府のやることは見え見えなことばかりである。

環境省だったか、先日、現行の車をこのまま乗っていくと、二酸化炭素がこれだけ増加する、3割をハイブリッド・カーにすれば、いくらの増加、7割ではいくら、と続いて、最後に全車をハイブリッド・カーにすれば、これだけ環境悪化を防ぐことになると結論している。

彼らは、環境悪化の対策に便乗して、低迷している大手自動車メーカーに何とか「お役に立ちたい」と願っているだけである。

「何か忘れてはいませんか」と私は言う。

政府のシミュレーションは、普通車のハイブリッド・カーに限られている。ハイブリッド化した軽自動車の場合をシミュレートしていない。

これが私のいう「見え見え」なのである。もしも、ハイブリッド軽をリストに載せたら、そのデータを読んだ(環境破壊に心を痛める普通の神経の)国民であれば、みんな軽に乗り換えてしまう。

こんな事態になれば、頼みの大手自動車が販売不振となり、GDPの“悪化”は計り知れない。

環境悪化は避けたい、GDPの悪化も避けたい、この相矛盾する目的の妥協がハイブリッド・カーの奨励であると考えるのは、人が良すぎる。

彼らの目的は、大気汚染など眼中にない、景気の回復、これ一点である。

付:
シミュレーションの段階や数字は、覚えていません。現行のままが環境に最悪の数字、全車ハイブリッドが最良の数字になっていることだけ確かなら、あとは、数字遊びにしか過ぎません。

家電品の買い替え助成金 ポイント・カードの不公平

地上デジタルのテレビに政府から助成金が出るという。

うまく考えたもので、政府が国債印刷や税金で受け取る時は、現金で、国民に渡す時は、ポイントという商品券に変わっている。助成金という現金で渡せば、貯金に回るかもわからないし、パチンコ台に消えてしまうかも分からない。なにがなんでも、政府が与えた金は、具体的な商品に変身してもらわなければならない。消費は美徳だ。悪は栄える。

驚きの一。

大きな画面の購入者には、多額のポイントが与えられる。サイズが小さくなればなるほどポイントも少なくなる。大きな画面、小さな画面と言っても、実質的にはお金の高い低いである。テレビを趣味で見る人は日本広しと言えども、そう多くはいまい。現代社会での必需品と言える。

同じ番組を大きな画面で見る人は、金持ちである。小さな画面で見る人は貧乏人である。買えない人は、極貧である。

どこから金が湧いて来ようが、日本政府は日本国民の総代である。差別をしていいわけがない。米10キロ、5千円とする。4万円のポイントを受ければ、80キロの米にまわすはずの金が浮く。一人の一年分の主食代である。1万円でも手にすれば、20キロ。地上デジタルに移行するまで、なんとかテレビを買うお金を用意しなければと、毎月千円、2千円とコツコツ貯めている人には、一粒の米も与えられない。ローンを組まない律儀な人は、政府の勘定には入っていない。

驚きの二。

大画面テレビは、大きな分だけ、すべてにわたってエネルギーを消費する度合いが高い。小さなテレビは、逆であり、環境に対して、根本的にやさしい製品である。心からエコを願っているのなら、大画面には、ゼロ、画面が小さくなるにしたがって、ポイントを増やさなければ理屈に合わない。

確かではないが、テレビばかりか、冷蔵庫や洗濯機など、ほかの家電品にも適用されると聞いている。これらだって、テレビの伝でいえば、大型であればあるほどポイントが、すなわち、お米の配給量が大きいのではないか。今の冷蔵庫や洗濯機を丁寧に使って、最後まで物を大事に使おうとしている人には、お米はゼロ。

私は、「驚き」と書いたが、これを読んでくれる人には、「怒り」と読み替えてほしいものである。

付:
私も数十年前の冷蔵庫と洗濯機を今でも重宝して使っていますが、これは物を大事にするという高邁な精神からではありません。金がないだけの理由です。

裁判員制度 最後の章  とうとうNHKの出番となった

聞くところによれば、クジ運が強くてめでたく抽選に当たった人に、多数の辞退者が出ているとのこと。最高裁は、想定内としている事態である。

私は、これまで、赤紙一枚のファッショと同列に扱い、最高裁とその取り巻き連中を罵倒してきたが、これも聞くところであるが、嫌なら、赤紙に応じなくてもいいと、最高裁が寛大になったとのこと。

私はだまされない。

裁判員制度の狙いは、責任回避である。当事者能力の欠如をこの制度で隠蔽することである。国民の司法参加などは、欺瞞である。

どういうことか。本音は、クジに選ばれても、嫌なら、別に参加してもらわなくていいのである。人を裁くことが好きな、あるいは、一昔はやったスプラッター映画(血が画面全体に飛び散るどきつい超C級映画)のファンに来てもらえば、その方が最高裁にはありがたいのである。

なぜか。

喜んで参加してくれる人ならば、裁判の後の記者会見やインタビューで、裁判を“罵倒”しないからである。「裁判の厳しさを実感しました」、「一市民として、責任を感じました」、「裁判に携わる検事、弁護士、判事の皆さんの苦労がよく分かりました」、「制度ができたときは心配でしたが、やはりできてよかったと思います」・・・ざっと、このようなコメントが、NHKを筆頭に民法テレビ局に続々流されることが期待できるのだ。

赤紙一枚は、拒めば国賊で、憲兵の呵責のない暴行が待っていた。国が真に不可欠と考えれば、この位は朝飯前のことである。裁判員制度の寛大さは、この制度が国にとってどうでもいいことを正直に示している。

付:
これから、NHKは、「裁判員制度の光と陰」とかなんとか格好をつけて、“検証”に励むでしょう。番組の終わりは、いつもの、「今、その意義が問われているといえます」です。後から立派なことを言うのは、いい子の行動パターン。「遅いんだよ、あんた」

差別語、侮蔑語は、使う側の意図次第 erliuzi様のコメントにお答えします

チャップリンの凡作に「独裁者」があります。そこで、ヒトラーの演説をデタラメな音の組み合わせで揶揄しています。映画を観る人は、そのデタラメ語がドイツ語に似せてあることにすぐ気が付きます。チャップリンはドイツ語を馬鹿にしたのではありません。ヒトラーの演説の空虚さを哂ったのですよね。

チャップリンと違うのは、私のデタラメ語が日本語の方言であることです。私製ですが。「ミダ」は韓流ファンならずとも、日本人のほとんどが「~です」の朝鮮語であることを知っています。「イルボン」は「日本」、「カムサンミダ」は「ありがとう」、これだって、知らない日本人がいるとすれば、その人は多分、朝鮮半島がどこに位置しているのか見当がつかないでしょう。私のブログのお客さんではありません。

では、解題します。

ショコクカーミンチャーランポランミダ
  小国寡民、ちゃらんぽらん

バッキャシーナナンケリャナオランミダ
  馬鹿は死ななきゃ治らない

イルボンホッソーキョクアーメリカテッサキミダ
  日本放送協会、アメリカの手先

ヤクータタズミダ
  役立たず

ダイホーンエイハッピョウミダ
  大本営発表

クッニヲホーロボスデーアックトウミダ
  国を滅ぼす大悪党

こんな内容ですが、このブログで何十回も繰り返してきましたので、趣向を替えてみたというわけです。

私はどんな国体であれ、他国の内政には非干渉(ノーコメント)を通してきました。アメリカ、中国、朝鮮も、日本との関係においてのみ、言及してきたつもりです。

他人が、朝鮮語をどのように悪意を持って使おうが、私のブログにはまったく無関係であります。3つの朝鮮語を使ったのも、公共放送の皮をかぶって権力におもねるNHKが、朝鮮国営放送と少しもちがいがないと私がいいたかったからです。

付の1.
この頃、死んでも治らないのではないかと、思うようになりました。閻魔様が馬鹿者に対して寛容であらんことを。

付の2.
朝鮮半島が、朝鮮半島、韓国半島と二つの呼称があればおかしい。江戸弁と関西弁、これを、江戸語、関西語と言ったら、妙な感じがします。同様に、朝鮮語と韓国語、どうして分けているのでしょう。

0514カモメ

LDからDVDへ 映画「アマデウス」 NHKにみてもらいたいシーン

天才モーツァルトと凡才サリエリの映画。サリエリが生涯ひと時もモーツァルトが頭から離れられないのに対し、モーツァルトは、サリエリの存在をまったく意識しない。この行き違いが面白い。

映像と音楽を堪能できる映画となっていて、10回まではいかないが、5回は超えて私は観ている。その中にこういうシーンがある。

モーツァルトが雇い主である領主からクビを言い渡される。当時の音楽家には音楽著作権協会もなければレコードメーカーもない。宮廷楽員として雇われることだけが生計の道だった。クビは即無収入を意味した。

領主の部屋を出たモーツァルトが目にしたのは、彼の音楽に感動した人々であった。彼は、自分の味方がはっきりと分かった。そして、領主の部屋の扉を開けて、「もう、あんたに頼らなくてもいいんだよ」という態度で領主を見返す。

私はこのシーンを、NHKに観てもらいたい。

NHKは国家権力におもねって、公共放送の美名の下、広報活動に終始している。まれに政府批判に結びつくドキュメンタリが放映されるが、それは、すべてがすべて、「後の祭り」である。太平洋戦争、然り、近くでは、アメリカの対イラク戦争、これも小泉さんの時期にはだんまりを決め続けた、それどころか、熱心に彼の代弁を買ってでいた。

済んでから、実はこうだったで、国民に何ができるというのだ。

NHKは、自分でテレビやラジオで繰り返しているように、国民の視聴料で成り立っている。国家権力、モーツァルトの時代でいう領主、に頼る必要がない時代なのである。

権力に批判的態度を示さない報道は、報道の名を称する資格はない。いくらアナウンサーの言葉使いが正しくとも、美男美女をそろえても、中身が朝鮮国営テレビと同じであれば、日本国民にとっては、「ショコクカーミンチャーランポランミダ、バッキャシーナナンケリャナオランミダ、イルボンホッソーキョクアーメリカテッサキミダ、ヤクータタズミダ、ダイホーンエイハッピョウミダ、クッニヲホーロボスデーアックトウミダ」と原稿を読み上げるかの中年のおばさんアナウンサーと同じである。

カムサンミダ。


愛想が尽きた民主党

つくづく、民主党は阿呆な集団と、いいかげんに愛想が尽きた。

麻生総裁の人気が10%台に落ちても、自民党の内部で、反乱らしき反乱は起きなかった。これでは、選挙に勝てないと、2~3の議員が苦情をマスコミに漏らしても、それが、麻生総裁の進退問題には至らなかった。

派閥の領袖が、きちんと家来・郎党をコントロールしていたからである。領袖自身が、反旗を翻すなど、まったくなかった。マスコミのおだてに乗る軽薄人間も、いたにはいたが、今言ったように、2~3人に過ぎない。総数から量れば、ゼロと言える。

民主党はどうか。

公設秘書の悪事一件で、周章狼狽の極み。小沢代表が、昔の金丸先生と同じように、ポッケに献金を突っ込んで白を切ったならともかく、検察から事情聴取さえされていないのに、自分から、党全体が浮き足立ってしまった。

この党は、政権を握る前に政権担当政党になったような錯覚に陥る悪癖がある。前の岡田代表が先達だった。今もこの悪癖は治っていない。

よござんすか。

まだ、政権は取っていないのですよ。政権に就いた後なら、向こう4年間は、誰がなんと言おうが、天下御免。その時、初めて、党内抗争、覇権争い、殴り合い、取っ組み合い、なんでもござれとすればいい。

どれほど世論で支持率が高かろうが、今の座席は外野席なのである。寄り合い世帯、結構ではないか。いろいろな意見があっていい。それはそれと脇において、何よりも一枚岩でなければいけなかったのだ。

すでに手遅れである。

小沢代表のようなぼーとした殿様だからこそ、寄り合い世帯がまとまる。少し知恵のあるものがトップになったら、諸々の先生が「オレが、オレが」と収まりがつかなくなる。

政権を握った暁には、国家官僚に対抗できたはずの小沢代表が、マスコミの煽動でもろくも崩れ去った。

ひ弱な国、ニッポン。ひ弱な党、民主。

付:
「オレが、オレが」は、「ワラワが、ワラワが」でもかまいません。0509浪入田


大きな車か小さな車か

前回は、大きな車も小さな車も、立場の違いで、好ましい車にもなれば忌まわしい車にもなるとお話をいたしました。

ある人が常に加害者であるわけでなし常に被害者であるわけでなし、だったらどうすればいいのだ、と問い返されるかもしれません。

私は、答えをきちんと用意してあります。それは、軽自動車を国民車と位置付け、大優遇税制を施すことです。なにも、奨励金まで出せとは言いません。いえいえ、現行の税制でもいいです。

それに対して、660cc以上の車に、特大税制を当てます。昔、2000cc以上には贅沢車ということで、数倍の税金が課せられいました。それを倣うのです。

先ず、購入時の取得税が、販売価格の100%、車検更新時にも、100%の更新税。こうすれば、普通の人々は、馬鹿らしくなって買いませんね。当然生産台数は減少、少なければ、量産効果が期待できないから、製造コストはべらぼうになります。しかし、それでも、“車こそ我が命”の人々は、喜んで買うはずです。

そんな馬鹿な、とお考えでしたら、大間違いです。たとえば、指先に乗るような小さな五角形の木片一枚が1万円でも、それが命の人は買うのです。将棋の駒のことです。50センチほどの竹筒1本が30万円です。私の敷地の竹をこれで計算したら、私は、億万長者。尺八のことです。碁石でも、日向のハマグリでしたら、1粒、いや、1石、2万円を下回りません。

かように、好きであれば、お金に糸目をつけないのが、人情というものですね。

これで世間はどうなるか。

大きな車が公道を走るなんて、D51を見るように稀になります。交通事故は、五分五分の勝負。他人より大きな車に乗って、少しでも、事故の時、得をしようなどときたない感情が日本国民から消え去ります。

トヨタ、日産、どうなるのかですって。

心配ご無用。彼らの技術力と組織力で、現存軽自動車メーカーが追いつかないようなそれこそ見事な660ccの車を開発します。国内はもとより、大型車崇拝の低民度国家を除けば、大いに輸出が期待できます。

最後に一言。狭い日本、どんなに走っても、2千キロ。耐久レースに参加しない限り、軽で十分、十分。

それに、なによりかにより、軽い車は、原材料の調達、部品の加工、こういう完成前の段階ですでに、エコの実践となっていることがありがたいです。しかも、組み立てに費やされる労働力は、大型車と同じ、労働者への分配は見劣りしません。

というわけで、車に大小は余計な話題となりました。

説明責任はする側にあるか、受ける側にあるか

最近、いやに説明責任がはやっている。どうもすっきりしない。例によって、少し、考えた。

数十年前の一杯飲み屋にタイム・スリップする。

宮仕えの小国寡民、今でこそ、人間嫌いで有名だが、当時は、安酒をあおりながらつまらない話題で、同僚とやりあったものだ。上司の悪口が少々で、酔いがまわると、神学、文学、哲学、歴史観に移るのが常だった。でも、たまには、きわめて世間的なレベルの話題もでてくる。

私が聞き役の一場面。

「ワイシャツの肩に赤い斑点がついていてね」
  私:「ふん、ふん」
「洗濯するとき、女房が、『これはなんですか』、と聞いてきた」
  私:「ふん、ふん」(以下、略)
「なんだろね」
「なんだろねではありません、口紅です!」
「帰りの電車が込んでいたから、ついたのだろね」
「口紅をつける人がいますか」
「ほかに思いあたらないなぁ」

  ここから数十回のリフレイン~~~
「とぼけないで。終電まで銀座のクラブで遊んできたのでしょう」
「いや、同僚とマージャンをやったのだよ」
「うそおっしゃい。クラブでデレデレしたくせに」
「違うって。クラブになんか行っていないよ」
「それなら、なんで口紅がついているのよ」
「だから電車の中だって言っているんだよ」
  リフレインの頭に戻る~~~

「あなた、最後までうそをつきとおすのね。ペテン師、キィー」

  私:「で、何を言いたいのだね、同僚さん」

私は、これを今でも覚えている。説明はする側と聞く側の双方に理解しようとする姿勢がなければ成り立たないという、ごく当たり前のことを悟ったのである。する側が、正直でも、聞く側が疑えば、最後まで、エンドレス。する側がウソをついても、聞く側が、信じれば、めでたくジ・エンド。こういうことである。

小沢代表が説明責任を果たしていないと評判が悪い。秘書のやったことで、秘書の無実を私は確信している、私には何らやましい所はない。これは普通の感覚で聞けば、立派な説明である。これに、マスコミとそれに操られている大衆は説明不足だという。

それはそうだ。悪事、不祥事を働いた各界トップを一列に並ばせ、頭を下げさせて、溜飲を下げている放送局や新聞社の記者連は、頭を下げない小沢が不愉快極まりない存在なのである。彼らは、馬鹿ではないから、頭を下げたあとに、帰りのハイヤーの中でトップがアカンベーをすることを知っている。それでも、大衆に自分たちの偉さを示すために一列叩頭ショーを要求する。

  同僚が私に言いたかったことを、現代版に訳すとこうなるのである。説明責任は、よくよく考えると聞く側の責任なのだ。

付の1.
かの同僚、諦めて、クラブの口紅を(虚偽ではあるが)認め、謝ったら、「本心では、謝っていないのでしょう」と益々不利になったとのこと。ああ、無情。

付の2.
拉致被害も同じです。いくら朝鮮側が、これですべてですと、説明し、謝罪しても、拉致被害団体が、聞こうとしない限り、何を言っても、永久に説明責任は果たされません。愛国主義者の思う壺です。

ソマリア海賊に思う  徒然草の考え

ソマリア海賊がニュースに出る度に、徒然草の一段を連想してしまいます。かなり前に、このブログに徒然草を引用するのは終わりと宣言したのですが、無効にすることにしました。

隠遁者が俗人の俗たるをさげすむことはいけないと言っている段です。俗でなければならない理由があるかもしれない、当人は何も好き好んで物欲に溺れているとは限らないと、凡人をかばっています。

それに続いて、ドロボウにも言及しています。親の面倒をみたり女房・子供を食べさせるために、やむを得ず、ドロボウ稼業に就くこともあるのだ、盗みは悪いが盗まなくてもやっていける世の中であることが大切というのです。

いかがですか。ソマリア海賊にぴったりでしょう。

福岡正信師の話しでは、昔はソマリアもそれなりに生活ができていたとのこと。そういえば、海賊騒動は、20年前には起きていませんでした。背景に外国の干渉があったはずです。

海賊になった時が妻子を養わなければとの思いであっても、簡単に襲撃が成功して、大金が転がり込んでくれば、次はもっと強力な武器と人で襲撃することでしょう。クセの悪い人間が仲間に入ってくるだろうし、襲撃の際に仲間が殺されたら新たに復讐の念も沸いてきましょう。本当の海賊になってしまいます。

日本国民の生命と財産が脅かされて、黙っていては、国の責任が果たせない、こういう万人が万人納得する主張には、うさん臭さがつき物です。

もう一つ。ソマリア沖への自衛隊派遣が、実戦訓練の場となっていることを私は忘れていません。

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徒然草 第一四二段 後段

 世を捨てたる人の、万にするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、万に諂ひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、僻事なり。その人の心に成りて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべき事なり。されば、盗人を縛め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の饑ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒の産なき時は、恒の心なし。人、窮まりて盗みす。世治らずして、凍餒の苦しみあらば、科の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはん事、不便のわざなり。

 さて、いかゞして人を恵むべきとならば、上の奢り、費す所を止め、民を撫で、農を勧めば、下に利あらん事、疑ひあるべからず。衣食尋常なる上に僻事せん人をぞ、真の盗人とは言ふべき。

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付の1.
第一四二段は前半と後半を別々の段にしなけなければいけない。

付の2.
ソマリアを聞く度に、故福岡正信師の粘土団子を思い出す。

臓器移植に反対する

臓器移植に反対する意見を書くのは、これが二度目である。

最近、倫理委員会で、移植手術にあたって、年齢をいくらにするのか、が白熱の議論となったらしい。

おかしい。

年齢の規定は、数字の問題である。17歳が正しくて16歳は間違いである、これをいくら白熱の議論を重ねたところで、単なるテクニックの問題でしかない。

倫理とは、監督官がいない試験場でカンニングするかしないか、誰もいない道で拾った1万円札をネコババするかしないか、このように“やればできることを、敢えてやらない社会規範”のことである。

今日の医学では、内臓移植は特別の手術ではない。専門医も増えている。

できるから、やる。

人間の命にかかわる問題を年齢という低次元のレベルに下げていいはずがない。医者は、やりたくて腕が鳴っている。裁判官と同じように正義感に溢れているのだ。医者を倫理委員会に参加させてはならない。まったくの第三者で構成されねばならない。その中に、絶対に加えなければいけないのが、宗教者と文学作家である。

人の一生は、長短ではない。百歳を超える人も稀にいると思えば、誕生日を迎えることなく世を去る人もいる。

それをよしと観念するのが私の考える倫理である。

戦後の日本人は、誰もがわかりやすい数字ですべてを計るようになってしまった。すなわち、金額と寿命である。

臓器移植は、裁判員制度同様、スタート時点でいい加減に処理されたのだろう。白紙撤回を望む。

付の1.
人工臓器は許されてもいいでしょう。他人の体からは、輸血だけにすべきです。これも、人工血液の開発成功の時点で止めなければいけません。

付の2.
金と命についての倫理観。戦前はどうだったか、江戸時代は、平安時代は、・・・昔はどうでもいいことです。

付の3.
倫理の定義は私流です。

付の4.
正義感に溢れていても、倫理観に無関心であるなら、人を扱う職業には不向きです。軍人になりなさい。
0506こごみ

我慢できなかった民主党

定額給付金やETCの好評報道に浮き足だったのか。

連休のテレビのインタビューに出てきた人が一様にニコニコしているからと言って、麻生政権のバラマキに感謝しているわけではない。いずれ、ツケが回ってくる、だったら、今のうちに使えるものは使ってしまえ、こんな所ではないか。

選挙になれば、バラマキは恩恵としてありがたがっても、実際に投票するのは、非自民・公明であるはずだ。民は、結構したたかである。

記者会見を見ていたら、小沢代表が、まるでマス・コミの攻撃で辞任するかのように語っていた。質問する記者の要領の悪さは毎度のことながら、ここで辞めたら、マス・コミを益々増長させることに気が付かなかったのか。世論調査なんかアンケートに答えた人間だけの意見である。その人間も、何か新しいことが起これば、ころっと○を×に書き換える。

方や自民党。どれほど人気が落ちても辞めようとしなかった麻生総理の株が急上昇するに違いない。してやったりと笑いが止まらず、今夜は祝杯か。

この分でいくと、解散・総選挙は公明党の思惑に関係なく、早まるのではないか。民主党がバラバラになれば、火事場泥棒よろしく即解散だ。

次期代表に菅直人がなり、一切の企業献金の禁止をマニュフェストに盛り込めば、まだ大いに民主党政権の脈はあるように思える。大量の元自民議員がそれで離脱しても、である。 

付:
物分りのいい者が代表になって、大連立にでもなったら、世も末じゃ。

ヘビを見つけたモモ


党首会談に望む

久しぶりの党首会談のように思う。どん底から抜け出た麻生自民総裁と金の問題で味噌がついた小沢党首の対決だから、勢いが違う。定額給付金をありがたがる老婆の姿、千円乗り放題に喜ぶ若夫婦、テレビを見るかぎり、勝負あった・・・か。そこまでいかなくても、麻生有利がマス・コミの予測であろう。

これに追い討ちをかけるのが、防衛問題である。自民党は、民主党がどう考えているのか、正そうとするにちがいない。民主党内で、意見がバラバラであることを見越してである。

小沢党首がどう応答しても、この問題では、麻生総裁に勝ち目はない。戦争や争いが議論されれば、常に主戦論が勝つものだからである。麻生総裁のペースにはまってはいけない。

私は、小沢代表に二つ、主張してもらいたいと願っている。

一つは、ソマリア海賊。これに自衛隊艦隊の出動は不必要である。海上保安庁の船で十分である。艤装が不備であれば、自衛隊の装備をとりはずして、流用すればいい。

もう一つは、朝鮮の核兵器開発。これは日本にとってなんの脅威でもない。中国の軍備拡大。これも、日本の安全をなんら脅かすものではない。

麻生総理とそのバックの陣営は、「日本が攻められたら」を既定の前提にして、論戦を張っている。この前提が私の言う「幽霊」であるのだから、防衛論はまったく無意味なのだ。

防衛政策は民主党の弱点と言われているようだが、もともと無意味なテーマなのだから、バラバラであって当然だ。

小沢代表には防衛論争をそこそこで切り上げ、以下の三つを麻生総理に持ちかけてほしい。

一つは、裁判員制度の撤廃。
次が、臓器移植の禁止。
三つ目が、北方四島問題と拉致問題に対する具体策。

三つ目は、ならば民主党はどうなのかとやぶ蛇になるかもしれないが、国民の一人として私の知りたいところである。

景気対策と防衛論争に終始すれば、麻生総理の大勝が世論調査結果として出てしまう。そうなれば、民主党はバラバラどころかガタガタになってしまう。それが心配だ。

付の1.
小沢党首は公務員改革を断行すると言っています。小泉さんでさえできなかったことですから注目したいです。

付の2.
とにかく政権奪取です。政権を奪取したら、田中真紀子さんを外務大臣か行革大臣にしてください。常識人では、半年を待たず、霞ヶ関に丸め込まれてしまいます。

スギナ

首相の一日 落ち着きのない日々の繰り返し

人並みに新聞を購読していた現役時代の30年間、一度も読まなかった記事が二つある。一つが株式欄、もう一つが、首相の行動欄である。

どういう風の吹き回しか、1度読んでみる気になった。多分、年に何回かしか手に入らないことから、ありがたみを新聞に感じたのだろう。

首相動静の記事。

驚いた。多忙とは聞いていたが、これほど忙しい職業とは知らなかった。ある日。朝9時45分に官邸に入り、夜の9時55分、公邸となっていて、その間、正に分刻みで場所を替え、人を替えのスケジュールをこなしているのだ。ざっと数えただけでも20名を超えている。

私の動静はといえば。朝、尺八を吹く、午後、ヤギと犬と一緒に散歩、夕方、ネット碁、夜、映画鑑賞。昨日も今日と同じ。明日も多分同じ繰り返しとなるだろう。場所は我が島の中、一人の人にも出会わない日が普通である。分はもちろん、時刻、日にち、ぜんぜん刻まれていない。そろそろ生協の曜日になるかとなって、悠々、カレンダーを見る。

そこで、考えた。

麻生総理は、自分の頭で考える時間がないのではないか。会議や面会がこれほど多ければ、高級役人から原稿を受け取り、それを間違わずに読むだけで精一杯ではなかろうか。原稿の代わりに口頭の場合もあろう。間違わずに復唱するだけで日が暮れるのではなかろうか。腹話術の人形である。

私は、ある年齢までは人に教わる、それ以降は人に教える、教えるとまでいかなくても、自分の頭で物事を考えるべきとの、いわゆる孔子思想家(もどき)である。70近くなった麻生総理が、役人の書いたもの、言ったことを教わるだけで一日が終わるのなら、日本の政治の最高責任者の地位に置かれる資格がないのではないか。

高級役人はそれぞれの省庁を代表しているから、自分の都合のよいことだけを総理に告げる。いくつあるか知らないが、それらを整理・統合して、国政に当たるのが総理大臣の仕事であろう。この整理・統合は、麻生首相が自分の頭で考えなければならない。それをしないものだから、文部科学省は60億を学力テストに使えるし、法務省は大金を裁判員制度に使えた。総理大臣が自分の頭で総合的に使途を考えない結果である。

続けて、考えた。

こんな多忙な人生は、アホらしくてとても私には無理だ。一日100万円上げると言われても、御免だ。好きでなければとても勤まらない。これである。麻生総理はこの多忙が好きで好きでならないのである。彼は一日100万でなくても10万でも総理の椅子に座るのではないか。ここまでくれば、もう趣味・道楽の世界だ。だったら、俸給など与える必要がないのではないか。

総理大臣だけではない、国会議員のほとんどは、嬉々として多忙生活を送っている。無報酬なら辞めるという代議士は皆無ではないか。

ここまで考えてきたら、益々国会議員の費用がもったいなくなってきた。政党助成金は泥棒に追い銭に思えてきた。

なまじ中途半端に高額の金が入るから、金に汚くなる。いっそ、国会議員は無報酬にしたら如何。

付の1.
無報酬は言いすぎですね。生活保護費は与えておきましょう。

付の2.
側近の原稿はやさしい言葉が使われてようになりました。どうしても難しい漢字にはルビがふってあります。最近の麻生さんに読み違いがありませんでしょう。

付の3.
考えても考えなくても、同じかもしれません。そうでしたら、総理大臣から腹話術師の人形に職を代えてください。

090506モモ

核廃絶 何か忘れてはいませんか 4 核兵器は持つより持たせるな

アメリカは自分の所の核兵器をもてあましている。ソ連が崩壊してからは、惰性で保有しているに過ぎない。では、よその国の核兵器をどう考えているのか。

できれば持っていてほしくない国。国連常任理事国ほかアメリカの価値観が通用しているインド、パキスタン、イスラエル、などの国々である。

絶対に持ってほしくない国。イランや朝鮮などアメリカを崇拝していない国である。世界百を超える国があるなかで、わずか2カ国。四捨五入すれば、ゼロに等しい。それなのになぜ、アメリカは神経を尖らせているのか。

アメリカは相打ちが恐怖なのだ。アメリカに追随しない国は、おおむね貧しい。通常兵器では、とてもアメリカに太刀打ちできない。戦争が起これば、第一次中東戦争ではないが、あっという間に、空爆で焼け野原になってしまう。唯一、できることは、相打ちである。「攻めるのはいいですが、そうしたら、こちらも、ニューヨークかロスかシカゴか、どこか最低でも1つの都市には報復核攻撃しますよ」と事前に通告しておけば、アメリカは手も足も出ない。

アメリカにさんざんな目に遭わされたイラクは、核兵器を持っていなかった。アメリカは安心して空爆に踏み切れたのである。

朝鮮は学習した。核兵器の保有が通常兵器で劣る自国を守る唯一の対抗措置であることを。アメリカの本意は、世界から核兵器を抹消さたいのである。そうしておいて、他国を圧倒する通常兵器の勝負に掛けていたいのである。

さて、絶対の上に絶対を重ねて持ってほしくない、いや、許さない国がある。然り、我が日本国である。理由は何度もブログにしたので、ここでは述べない。ただ、アメリカに追随しなくても、今ぐらいの待遇はアメリカから受けられるということだけは言っておきたい。愛国政治家や愛国評論家の日米軍事同盟不可欠論は彼らの奴隷根性によるものである。

日本の世論が朝鮮に対抗して、自衛隊に核兵器を備える方向に向かおうものなら、アメリカの日本に対する態度は今の朝鮮どころではないはずだ。

090506モモとメリー

核廃絶 何か忘れていませんか 3 自力本願と他力本願

2050年の温暖化対策を提唱して辞めていった福田総理は別として、普通の人の感覚では、40年先は議論の対象にすべきものではない。文学の世界か宗教の世界に任せて、政治家は見渡せる程度の近い将来に悩まなければいけない。

政治家でない私が政治家並みに悩んだ結果が、先のブログで提案した核非保有国による新しい国連結成であった。

なるほど一理あるとうなずいてくれた人は千人中一人いるかいないか、残る999人の方は、荒唐無稽と一笑に付したにちがいない。その圧倒的多数の人に、ここで追加説明をさせていただく。

核廃絶は、保有している国の裁量次第である。麻生総理や公明党がいくらオバマ大統領に賛意を示しても、それはそれ、最後に決めるのはオバマ大統領自身。彼でさえ、廃絶宣言書に署名してアメリカ選挙民の同意が得られるか、不透明である。他力本願の持つ限界である。

日本が国連を脱退して、百数十カ国の先頭に立って、核保有大国を世界の少数派に追いやる。文化交流の中止はもとより経済制裁も当然である。

このような行動が、私のいう自力本願である。万に一の可能性もない他力本願と万に一の可能性のある自力本願。どちらが、まともな考えか。

国連、国連と特別席にふんぞり返っていても、非核保有国が団結して、脱退すれば、真っ青になるのは、彼ら常任理事国らである。

麻生総理、ならびに、日本国民が真に核廃絶を願っているのなら、日本が行動を起こさなければならない。言葉は、ハムレットではないが、「言葉、言葉、言葉」で空中に消えるだけである。何万回、集会とデモを日本国内で繰り返そうが、アメリカ初め、現国連常任理事国すべてにとってまったく無味無臭・人畜無害である。

付:
千人は当たり前ですが例えです。

090506モモとメリー1





核廃絶 何か忘れていませんか 2 ミサイル防衛

核廃絶はありえません。

廃絶すればミサイル防衛構想が不必要になります。ミサイル防衛は、軍需大国の産業界にとって一大プロジェクト、貴重な“金のなる木”ですね。それが、伐採されるのですから、黙っていません。ここで産業界と一般的な表現を使いましたが、軍需大国であれば、あらゆる分野の産業に兵器部品や組み立てが係わっています。決して大げさな表現ではありません。

それに、核兵器のユーザーは自国の政府だけです。インディアンに売ったライフル銃やマフィアに売ったAK47マシンガンとちがって、核ばかりはメーカーにとって顧客選択の余地がないのであります。

使えない兵器を持っていても、金がかかるばかりだと嘆くのは、納税者の立場の単眼です。金がかかることは、その金が誰かの懐に収められることでもあります。喜ぶ立場の人がいることを忘れてはなりません。この立場の人が多い国が、軍需大国と私は呼んでいます。

ミサイル防衛網というように網ですから、少しでも穴が開いていたら、魚は逃げる、ミサイルは飛び込む事態となります。結局、全国に張りめぐらすことになります。産業が盛んになればGDPの上昇に寄与すること大であります。

景気最優先の大衆とそれに迎合する政府、この癒着関係が続く限り、核廃絶はありえません。

090505リッキー

LDからDVDへ 映画「クリフ・ハンガー」

アメリカの造幣局から千ドル紙幣3億ドルをめぐる犯罪で、主演はスタローン。このLDは大分後のものなので、ありがたいことにワイドである。山に登るのは、サルと馬鹿だけと日ごろ登山家をけなしている私でも感心する見事な山岳風景である。

この中にバラマキ政府を連想させるシーンが二つあった。

一つは、一億ドル分の紙幣が空中に舞っていくシーン。千ドル紙幣だから、10万枚か。これだけの枚数がひらひら舞っても、私には何の感情も湧いてこなかった。これが金塊だったら、「ああ、もったいない」と少しは思うだろうが、少しも惜しい気がしない。

もう一つは、千ドル紙幣を燃やして暖を取るシーン。めらめら燃えるのを見ながら、スタローンが、世界一高い焚き火と言っていた。直ぐに、「悪い冗談」と付け足しのだから彼は見かけによらず聡明である。ここでも、私はもったいないと思わなかった。

思わない私は正常な感覚の持ち主である。世の中に一歩踏み出すまでは、ただの紙切れであることが分かっているからである。

千ドル紙幣は山林で雨にあい、誰の手に渡ることなくパルプに還る。燃えた分は灰になっている。

そこでである。国債や一万円札はどうか。

映画の千ドルとは事情が違う。間違いなく国民の手に渡るのである。それなのに、不足すれば、また、輪転機で印刷すればいいと腹をくくっている。これは、正常な感覚とは言えまい。

麻生政権はすでに狂っているのである。控え目に言っても、彼らは異常な感覚で国を運営している。バラマキは絶対に止まらない。それどころか、益々増えていくことになる。

映画の3億ドルは最後にどうなるか、観てのお楽しみ。

全国学力テストのコスト・パフォーマンス

今年、これにかかった費用が60億円であるとNHKが報じた。国の無駄遣いにはだんまりを通してきたNHKにしてはあっぱれである。

この60億、私の理論ではゼロ・サムだから、消えた国費分だけ日本人の誰かがたんまり儲けたということになる。

誰が儲けたか。

試験作成の教師への謝礼、印刷会社、運送会社、採点のためのコンピュータ会社、ソフト会社、例によって例の如しである。

このテストの成果は何か。

私には、まったく分からない。宮城県がトップであろうがボトムであろうが、それがどうしたというのだ。たまたま私の県が宮城だから宮城を出しただけのことで、宮崎県でも愛媛県でも同じである。

試験をすれば、採点される。数字で表されるのだから、必ず一番が出てくるし、必ずびりっけつがでてくる。その間にすべての受験者が入っているだけのことだ。

これに60億円を費やしたのだからあきれる。

小・中学生に試験問題に出ているような学力は不要である。世界の中のランクが下位であってなんの不自由はない。日本の県別対抗と同じで、世界一の国がでれば世界で下から一番の国もでてくる。それが何だというのだ。

字が読めなくても、大人になれば、読めるようになる。三角関数を知らなくても、金勘定はできる。徳川家康と織田信長のどちらが先に生まれたのか間違って覚えても、日常生活に何の支障も来たさない。

私など、今でも四国の4県の名前と位置関係が分からない。中学を卒業して50年、不便を感じたことは一度もない。

60億円は、テストが行われる度に、文部科学省管轄下の誰かの懐に入っていく。残るのは、どこの県が一番で、どこの県がビリという、まことにくだらない競争意識だけである。

60億の大金、他に使い道があろうのに。

聞けば、愛知の犬山市も、今年でついに陥落したそうな。最後まで抵抗した同市に心から敬意を表する。

家から眺める桜

裁判員制度のコスト・パフォーマンス

この制度のために国はいくら費やしたのだろうか。私の島にも判事が説明に来たほどだから、この人件費たるや気絶する位の額ではなかろうか。設備や印刷費などについては、すでに書いている。

仮に100億円とする。殺人事件が100件あれば、1件あたり1億円。10件であれば10億円の計算である。ずいぶん高いコストである。それが1万件であれば、100万になる。コスト・パフォーマンスが良くなる。しかし、良くなった分だけ、世相が悪化したことであって、決して喜ばしい事態ではない。

現実には、殺人事件は、年に数える程度である。そのために大金を注ぐのが、裁判員制度である。

アメリカの陪審員制度は、企業の社会悪まで国民が糾弾できる。だから、アメリカ人は、これを無駄と考えていない。

裁判員制度を立ち上げるためにばらまいた金は、使いようによっては、ずっと役にたったはずの金である。介護士の待遇改善に回したらどれほどの効果がでたことか。

私は、最高裁の判事が自腹を切り、日弁連が弁護料をその分割り引くなど、金銭面で他人に迷惑を掛けないことが最低条件であると考えている。その中でどうすれば、現行裁判制度が改善されるか、こうでなければならない。

次期衆院選では、どこの政党が、裁判員制度の撤廃をマニフェストに載せるか。私は、載せた政党に無条件で1票を投じる。

久丸

麻生総理、エコノミック・アニマル。経済と商業

昨今の麻生総理の発言を聞いていると、このお方は、経済と商業の区別ができていないのではないかと疑ってしまう。

商業は、物やサービスが売れるかどうか、これに限定されての論議である。経済は、その社会の全体的な価値観の現し方である。だから、アダム・スミス、カール・マルクス、ケインズ、シュムペータなど、志のある学者は、経済をテーマにしたのである。商業は貿易商に任せていればよい程度の認識でしかなかった。

一昔前であったか、クオリティー・ライフなる胡散臭い外来語が流行ったように覚えている。しかし、少々胡散臭くても、いくら儲かったか、どうすればレジにコインが積もるかなどよりはるかにレベルは高い。

麻生総理や与党の連中は、バラマキの有効性に確信を抱いている様子である。バラマキは、確実にレジのベルを鳴らすから、テレビ放送にとってこれほど平易簡明かつ安易な取材で作れるニュース種はない。

私は、この政府とテレビの両者に、今後、経済危機を商業危機と言い換えることを薦める。

なぜなら、ぼやぼやしていると、日本がエコノミック・アニマルからコマーシャル・アニマルともう一段ランク下げされかねないからだ。

付の1.
アニマルは西欧的感覚による比喩でして、東洋では、人間も動物も同じ生き物として扱われます。

付の2.
松下政経塾の創設者は、すぐれた商業人です。経済人ではありません。

付の3.
麻生総理ばかりが責められません。国民全体が経済と商業をごちゃまぜにしていますから。

鶏


核廃絶 何か忘れていませんかね 1 設計図

あり得ない事の後を語るのは、私の不本意とするところであるが、あり得ると考えるあるいは願っている人もいるので、“不本意ながら”申し上げることにした。

地上から一切の核兵器がなくなったとしよう。廃絶である。その時に、核兵器の設計図や膨大な核実験の資料はどうなるのか。焚書坑儒ではあるまいし、保有国は、秘密の図書館で保管するはずである。

世界の軍事情勢如何では、自国の世論が、核兵器を望むかもしれない。時の政権がそれを無視できなければ、再生産ということになる。図書館から取り出せば、多分1年を待たずに爆弾は完成するはずだ。

これでは、なんのために核廃絶をしたのかわからない。というわけで、設計図も資料も核兵器に関するすべてを焚書坑儒する。

これで、めでたし、めでたし・・・とはならない。1945年の技術水準でできた原爆が、2010年の先で作れない訳がない。パソコン一台で設計図など仕上がるのではないか。

今日の結論。核廃絶は軍事や戦略に従ってなされても、一時的なものでしかない。言うに足らず。

書斎

環境省の怠慢 京都議定書

昨年度の温暖化ガスの排出量が、京都議定書で定められた削減数値とほぼ同じ量が増加したという。

結果が出る前に、傾向がどうなっているのか計算して、それに対処する、それが環境省の仕事ではなかろうか。百歩譲っても、結果がでた今日、その分をどうするのか、対策に追われていなければならないはずだ。

昨年度の増加分を本年度の減少数値に加算しなければならないのだから、大臣以下官僚連は、真っ青な顔をしていて当然である。

それが、どうだろう。エコマークの補助金のニュースでは、メガネをかけた大臣が、ニコニコ顔で、「対象品目を増やします」と記者会見をしていた。新しい物は、エコであれなんであれ、それが作られるまでに大量のエネルギーが投入されている。お払い箱になった物は、ゴミのまま放置しておくわけにいかないから、分解処分にまた大量のエネルギーが使われる。

この大臣、見れば見るほど、神経系統が完全に弛緩した政治家の典型であることがわかる。この所、任命責任というあまりなじみのなかった言葉が流行っている。こんな大臣を環境省に置いた麻生総理に任命責任はないのか。

環境問題を真剣に解決しようとする環境大臣は、バラマキ政治にはうっとうしい存在である。第二経済産業省でなければいけないのだ。任命責任などという私の方が、間違っている。

次世代に回るツケは、赤字国債ではない、環境汚染である。何度でも、このブログは繰り返す。

付の1.
記憶が不確かなので数値は載せていません。

付の2.
環境省はどこの省より責任が重い。これも繰り返し申しあげます。

付の3.
消費者庁も今の環境省と同じで、第三経済産業省の出先機関として、消費者へのリップ・サービスに専従します。歴代自民党の産物ですから、ひょうたんから駒は出ません。

リッキーとネット碁

帝国憲法とNHK

例によって、NHK好みの、私の大嫌いな評論家のお出ましである。どうせ相手が考えている間のテレビというわけで、見たくない顔を我慢して終わりまで観てしまった。

始めは見ていない。中ごろでは、明治・大正・昭和天皇の写真が映され、明治憲法制定までの経緯が詳しく解説されていた。

さすがにNHKである。資料集めに苦労はない。いずれの大学も協力していた。ここまでは、中身の濃い番組として、私も評価する。

問題は、この先にある。すなわち、縷々述べてきて、最後になって、中国侵略や対米戦争の原因を明治憲法に求めたことである。

憲法解釈は現行憲法を見るまでもなく、学者に限らず、立場によって人それぞれである。帝国大学の美濃部らの教授が、講義でどのように自説を学生に語ろうが、あくまでも白亜の殿堂の内部のことである。民百姓の知るところではない。

ここに留まっていれば、大日本帝国臣民の議論になることはなかった。

それを、報道と称する扇動活動で、国民の主戦論に油を注いだのが、NHKである。番組では、大手新聞の記事を載せていたが、これも、例の如くであって、NHKが放送した内容には一切触れていない。もちろん、NHK好みのくだんの評論家も口をつぐんだままである。

何度も繰り返しているように、新聞は自由意志で選べるが、NHKは全国いやおう無く聞かされる。これは今も昔も変わらない。

美濃部教授の天皇機関説が正しいのかそうでないのかは、戦争日本に無関係である。戦争に導いたのは、時の政府の代弁者として民百姓を洗脳したNHKである。

これに対する反省がまったく聞かれない限り、これからも、私はNHKの報道番組すべてを疑って視聴することにしていく。

付:
地デジになれば、NHKはラジオだけになります。映画鑑賞には現行のNTSCで十分ですから。

ワカメ干し


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