老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

夜は晩冬、昼は初夏 (お粗末に対してお詫び)

昨夜はなかなか寝付けなかった。アップ・ロードしたブログにどことなく引っかかったのだ。

今朝、開いてみたら、案の定、「裁判員制度」にダブリがあった。これは単純はチェックのし忘れである。

完全にダメなのが、「昼は夏、夜は冬」。

「晩冬」を「おそふゆ」と読む小学生レベルの間違いまで犯してしまった。

言い訳をさせてもらえれば、第一がパソコン。接続設定がなかなかできず、ようやくインターネットにつながったと思ったら、メールができない。メールだけは古い物でやろうとしたら、なにがなんだか分からなくなってしまった。

第二が裁判員制度。クジで外れたのだから、夜位忘れてよさそうなものを、海におもりをつけて沈ませた殺人事件に係わった自分を想像してしまった。

どうにかパソコンが復活してくれたので、今日は、だいぶ頭の中がスッキリしている。ダブリの部分と「おそふゆ」の付は全部削除。

「昼は夏、夜は冬」の題名は七五調の「夜は晩冬、昼は初夏」であるべきだ。

付の1.
軽率人間が焦るとどうなるかのいい見本です。

付の2.
このような間違いや錯覚が次第に増えていくのが、ボケの過程なんでしょうね。


網小鉢植え

昼は夏、夜は冬

いささか大げさな表現ではありますが、4月下旬の島はこの通りであります。うっそうと茂っている森の中にも、太陽の光が一本一本直線的に注ぎます。空の青はあくまでも青く、雲の白はあくまでも白い。もったいなくて部屋にこもってはいられません。

この頃は、尺八の練習は戸外でやることにしています。誰も近くにいないから、どれほど大きな音をだしても、迷惑になりません。それに、島の人の極々少数ですが、口の悪い人がいまして、そんな人に聞かれでもしたら、何を言われるかわかったものではありません。まず、「聞いたカラスが落ちてこなかったかね」程度は覚悟をしなければなりません。へたをすると、「魚が逃げるから止めてくれないかね」とクレームがつくかもわかりません。吹禅の精神こそ尺八。ヒヤヒヤしながら、尺八を鳴らしても、無の心境になれません。

半そで一枚で吹いていますと、犬とヤギは厚い毛皮をつけたままで、いかにも暑そう。

夜は、まだストーブが必要です。環境と財布に配慮して、できるだけ灯油は使わない主義ですが、7時を過ぎるともういけません。犬や猫の毛皮をみていると、いかにも暖かそう。ああ、うらやましい。ここ東北のハワイでさえストーブが必要ですから、はるか北の北海道では、5月にもストーブが欠かせないのではと同情してしまいます。

でも、2月の北海道で海水浴ができるようになったら、・・・ぞっとしますね。

付の1.
昼は初夏、夜は晩冬。これでは私の言語に対する美的神経が許しません。日本語は5個か7個の発声でなくては。

付の2.
カラスの落下は、有り得ないことではありません。夜、部屋で尺八を鳴らし始めますと、犬も猫も両前足で耳を塞ぎます。そんなにうるさいのなら、部屋から出て行ってくれといいたいのですが、ストーブはこの部屋だけ。寒さとうるささを秤にかけて残っているのですから、追い出すような無慈悲はしません。いつになったら、この仕草を止めるのか。私の上達ぐあいの目安と観念して、腹を立てないことにしています。

山桜

麻生総理の経済危機論

冬の間は、いつ帰りの船が欠航になるかわからないので、島から一歩も出なかった。もっとも一歩出れば、海に落ちるので、別の表現にすべきかもしれないが、とにかく、連絡船に乗って、本土の土を踏むことはなかった。

週に一度の生協で食料は不自由しないし、いざとなれば、歩いて3分のプライベート・ビーチでムール貝の形をした小さい貝を毎日食べれば餓えることはない。

それでも、我が“ないない尽くし”島で手に入らない物や兄弟子に尺八の稽古を見てもらう事のために、年に数回は本土に行く。今回は桜見物を兼ねることにしたため半年振りの出張となった。

石巻市街地を歩いて、驚いたのが、半年前とまったく様子が変わっていないことである。自動車は走っている、ホーム・センターには買い物客がカートを引いている。昼のレストランは席に空きがない。メニューも同じである。

麻生総理の百年一度説をまじめに信じた私は、道路はガラガラ、歩道は栄養失調者があちこちでうずくまっている、中には、物乞いする子供もいる、店はどこもかしこも閑古鳥が鳴いている、そんな市街を想像していたのに、裏切られた思いがした。

うれしい裏切られだったことには違いないが、床屋で頭の外側はさっぱりしたにもかかわらず、頭の内側では、麻生を信じた私の愚かさへの恨み一杯であった。

彼の危機論は選挙逃れの口実だった。ばかばかしい。

付:
文の構成上、無理して「麻生総理を信じた」としましたが、私は、はなっから彼を信用していません。

地蔵小経1

裁判員制度 その2 国民のトラウマも想定内

殺人事件には、凶器と死体の確認が不可欠である。

ミサイルとまではいかなくても、マシンガンが凶器なら、裁判員は、終わった後に、普通の生活に戻れる。

これが、出刃包丁であったらどうか。魚屋の主人は、魚をさばく度に殺人事件を思い出す。柳包丁なら、寿司屋の板前は、もう寿司を握れない。客だって目の前で大トロをさばいている包丁がいつ自分に向かってくるか、気がきでならない。みんな100円の回転寿司屋にいく。

ホーム・センターで買ったのこぎりが凶器なら、日曜大工を趣味にしている勤め人は、のこぎりを持つ度に思い出す。

かみそりで喉を掻っ切られたのなら、床屋の理髪師は、客の顔を剃る度に思い出す。床屋に行けば、かみそりで顔を剃られる。それが怖くて、床屋に行けなくなる男も出るだろう。

風呂場の感電殺人なら、ハミングしながら入浴を楽しむご婦人も、殺人現場の風呂を思い出しながらとなる。

絞殺なら、毎朝ネクタイをする度に思い出すし、ネクタイをしない仕事の人でも、電車の中のサラリーマンを見て、死刑裁判を思い出す。NHKのニュースが見れなくなる。

死体遺棄には移動手段が証拠となる。自衛隊の戦車や装甲車なら、裁判の終わりで普通の生活に戻れる。

これが、白のカローラだったらどうだろう。自分の車が同じならドアを開ける度に死刑裁判を思い出す。急いで買い替える。自分はベンツであっても、道路に出れば、さすがベストセラー、カローラはどこででもすれ違う。信号待ちでは隣り合わせになるかもしれない。その度に死刑裁判を思い出す。

死体も同じだ。首から上だけでも、間違いなく生きた人間が死んだ証拠だ。殺人の立証には欠かせない。ならば、首から下だけはどうか。これも誰かか死んだ証拠だ。自殺で首の上と下を分割するはずがないから、殺人である。目玉がえぐりとられた顔、切り刻まれた腹、数年後堀出された白骨、・・・とても普通の人間の視覚に耐えられるものではない。刑事や裁判官が職業として長く訓練されているからこそ耐えられるのである。

最高裁は、トラウマには心理学者やカウンセラーをあてがうという。最高裁にとってはトラウマは想定内のことなのだ。

凶器の確認、死体の確認、これを一般市民に押し付ける裁判員制度は、次期政権の下で、真っ先に廃止すべき悪法である。

付の1.
最高裁や日弁連はこの悪法を「押し付け」と思っていません。こんな楽しい仕事を、自分たちのだけのものにしては申し訳ないと思っているのです。

付の2.
次期政権への期待は、自民・公明以外の政権の成立を願っていることでもあります。前と重複しますが、繰り返えさせていただきました。

付の3.
カローラはサニーであってもかまいません。例えばのことですから。

網小花壇



猫とパソコン ニュートンの寛大さ

島暮らしに、無ければ無くてもかまわない物は別として、スペアは不可欠であります。例えば、刈り払い機、エンジンチェーン・ソーであります。故障したら直しに出す、そんなことをしていたら、待っている間に、草ぼうぼうになってしまいます。屋根に大木の枝がかかってしまいます。

私の場合は、パソコンが加わります。週1回のブログ更新が、私の生きていることの確認になっているからであります。死んでしまわなくても、入院騒ぎか、あるいは、裏山の土砂で生き埋めになってしまったのか、いずれにしても、ブログが2週間滞るのは、尋常でないことを、知らせるようなものです。

こういうわけで、我が家には3台のパソコンがあります。2台はデスク・トップで安い中古品、98と2000ですから、サポートは期待できません。しばしば不機嫌になりますので、最近ノート・パソコンを“導入”しました。

これにメールからインターネットまですべて任せ順調なパソコン・ライフをエンジョイしていました。それが、先日、突然、右半分のキーに入力できなくなったのです。いくら叩いても、うんともすんとも反応せず、「やはり、安物の中古はダメか」とがっかりして、前に使っていたパソコンを再度接続して使うことになりました。

安いとはいえ買ったばかりなので、直ぐに捨てるのが忍びなく、最後のお願いで、そのメーカのホーム・ページを訪ねました。取扱説明書をよんで、びっくり。Fnキーとほかのキーを同時に叩くと、BIOSの設定が変わってしまうとのことです。詳しく読んでいくと、右半分の十数個のキーは、機械の故障やさび・劣化が原因でなく、BIOSで受け付けなくなるというのです。

そういえば、前日、猫がパソコンの上に乗りました。その時に、いらぬ操作を猫が4つ足でやったのです。


猫が本の上にのったり、碁盤の上にのったりするのは自由。ヤギとちがって、食べたりかじったりしませんから。パソコンだけ乗るなと猫に要求しても、猫にとって碁盤とパソコンは同じもの、聞いてなんかくれません。それなら、いっそ、本にも碁盤にも一律に乗せるなという意見も出てきそうですが、私はそういう考えには賛成しません。

猫にとっては、本も、日誌帳も、碁盤も、パソコンも、みんな、座り心地のいい台なのです。たまたま人間が名前をつけて区別しているに過ぎません。

ニュートンは、貴重な論文を飼い犬のせいですべて灰になってしまった、それでも、決して犬を叱らなかったとのこと。力学論文は無理ですから、せめて、飼い猫を叱らないことは、まねすることにしました。

今は、リカバリを済ませ、順調にブログが続けられます。

付の1.
網地島研究所ではニャンコちゃんが秘書で、キーボードに乗って仕事をしていました。ホーム・ページの写真でしたか。

付の2.
取り扱い説明書をきちんと読んで理解してから、パソコンに向かう。これが王道でしょうね。

付の3.
いじればいじるほど、おかしくなっていくのがパソコン。分かっていても、つい、あれこれ手を出してしまう私に責任があります。

リッキーとパソコン




裁判員制度 その1 いよいよ到来する暗黒時代

最高裁かどこかの調査によれば、裁判員のクジに当たった4人に1人が辞退するという。私の腹八分の理論で言えば、75%の人に嫌われた裁判員制度は、完全に国民に否定されている。

それを、最高裁は、「想定内のこと」と気楽に評した。

想定内というからには、前もって国民に想定の内容を明らかにしておかなければならない。ポケットにカードを忍ばせて、客に好きなカードを言わせる。言わせた後で、そのカードをポケットから選んで出し、それで、手品というのなら、誰でも手品師になれる。これで金を取れば、イカサマ師として客のリンチにあう。

最高裁にとっては、どんな数字が出ようと、すべて「想定内」でなければならない。想定外となれば、国民が黙っていないからである。だから、事前に想定を公表できない。

これから何が起こっても、最高裁はすべて「想定内」として処理するだろう。国民からリンチにあうことなく、のんのんと定年を迎えられる最高裁には、たいへん便利な言葉である。


網小医院の桜2




LDからDVDへ 映画「私は死にたくない」 裁判員制度の非

スーザン・ヘイワード主演の古いモノクロ映画である。

連続殺人事件の犯人とされて、ガス室に送られる。よくもあれだけガス室の内部を見せたものと感心した。日本では、絞首刑の現場を映画に入れられるのだろうか。

この犯人、一貫して犯行を否認している。殺人現場に確たる遺留品もない、目撃者はいてもいい加減、動機もわからない、要するに藪の中、それでいて、裁判では、「スーザン・ヘイワード以外に連続殺人犯人はいない」との理由で、死刑に処せられた。

この映画は、冤罪を疑って、死刑執行後もこの事件を追っていた新聞記者が書いた本に基づいた実話となっている。

これは映画である。だから、映画作成者の意図に従って、彼女の冤罪を強く観るものに訴えている。しかし、実話そのものも著者の意図を表しているものだから、実際に起きた殺人事件の真実は、やはり藪の中なのだ。

来月からの裁判員制度。人が人を裁くのことを社会の必要悪として私も認めている。人を裁くことに快楽、とまではいわないが、平然としていられる人間がそれを職業とすればいい。だが、必要悪に一般市民を巻き込むことは悪いことである。

フィクションである映画は観賞し終えれば、電源を切り、天井の電灯をつける。元の日常に戻る。あるいは、滅入った気分の転換に、「オースチン・パワーズ」を続けて観ることもできる。

裁判員は、こうはいかない。生涯、悩み続けなければならなくなる。

私は、来月から施行される裁判員制度を思うと、日本人の将来を嘆かないわけにはいかない。

付の1.
司法試験の準備をしている姿をみると、この人たちは本当に人を裁くことが好きな人と思わざるをえません。国立上野図書館での印象です。

付の2.
原題は「I Want To Live」日本語の題名の違って「生きる」ことへの積極性が読まれます。

付の3.
証拠や目撃者の不確実さは、「11人の怒れる男」にもありました。

付の4.
スーザン・ヘイワードは、言葉にトゲがあり周りにから嫌われていた、それに、彼女は札付きの前科者ときています。周りの人々は、できれば存在しないで欲しいと願い、それに便乗したマス・コミも司法側の代弁者となったというわけです。

付の5.
実際の死刑は1955年。今から半世紀前。今から半世紀後も、冤罪の問題は解消しないと思います。

網小医院の桜1



万里の長城はアナログ、核廃絶はデジタル

オバマ大統領がヨーロッパでアメリカの核廃絶を約束したという。広島や長崎の核廃絶を訴え続けている人々から、大いなる前進と大歓迎を受けたニュースが流れた。

これを観て、つくづく「日本人ってお人よしだなぁ」と思った。

千里の道も一歩から。1里進めば、残りの行程は999里。

10キロ、100キロ、1,000キロと壁を築いていったから万里の長城と呼ばれることになった。壁は作っただけ確実にそれだけ延びていく。これを私はアナログという。

核廃絶は、言葉から言って核を廃棄しかつ絶滅させることである。1万発の原爆を今週は10発、来週は10発と減らして、最後にゼロになる話ではない。保有から非保有にスイッチする、すなわち1か0かの選択しかないのである。これを私はデジタルという。

オバマ大統領は、演説がうまいと周りが認めるから、本人の耳にも自然入ってくる。欧州人に受けのいい核廃絶を、彼の演説に加えない手はない。

廃絶宣言に時期の明記は必須である。時期を棚上げにしている廃絶宣言は、まったくのリップ・サービスである。アメリカが率先して廃絶運動することも同じくリップ・サービスである。ロシア、中国、フランス、ほか核保有国の動向に左右されることなく、朝鮮が核を1個、2個保有するようになっても、無条件に(unconditionally)廃絶すると誓わなければならない。それなしでは、世界の人民に風評被害をもたらすだけである。

麻生総理や外務省は、私と同様に、このことをよく理解しているから、負けじとオバマ大統領にならって日本国民へのリップ・サービスに励んでいる。

私は核の廃絶を願っている者の一人ではあるが、保有国にはいささかの期待もいだいてはいない。私は今の日本においては、数すくない「非お人よし」を自認している。

付.
非核保有国で新たな国連を作ることです。いくら大国とはいえ少数派に落ちますね。日本は今の国連に使っている金をすべてこの新国連に回せば、運営できます。外務省のODAは戦争放棄宣言国のみに使いましょう。前のブログで言った繰り返しです。

城跡の桜(原寸)

春の嵐

日本のどこでも3月には強風に見舞われると思う。高層ビルとマ ンションと地下街で構成されている大都会と違って、太平洋に面した私のいる小さな島は、東西南北のどこから吹いてくる風もまともに当たってしまう。四面楚歌が実感できる。

私の家は、東南に面しているため、真冬の風は当たらない。真冬の風は北西の風で寒いのなんのって、たまったものではない。浜の人家はガタガタしても、我が家は温室だ(言いすぎ)。

しかし、3月の強風にはめっぽう弱い。双子の低気圧が通ると、東南の風、東風、南風、やたらに吹いてくるのだ。

これが夜中であれば、もうじっとしているだけ。波の音は、ドド~ンなんていう生易しいものではない。ゴ~の3乗から4乗である。裏の大木、周りの竹やぶの竹すべてが、バリバリ唸る。風に負けて折れる竹のパ~ンという音があちこちでする。

お隣さん2軒が両方とも留守であるような夜なら、1キロ四方に人間は私だけ。犬は座椅子に丸くなって寝ている。猫はベッドの上で寝ている。いつもと少しも変わらない。私はベッドの中で寝ている。人工光のない六畳の狭い部屋で、身を寄せ合って、じっと低気圧が過ぎるのを待っている。

竹やぶの中の家だから、地すべりの心配はない。それでも、あれこれ考える。そうしているうちに、私は、ふと、一万年前の人間と犬と猫もこんな風にして、嵐の夜を耐えていたのではないかと思った。人間偉そうな口をきいても、所詮嵐の前では、犬や猫の平常心にかなうものでない。見習うべきは人間の方ではないか。

こう考えたら、嵐の夜が急に愉快になった。

付:
お隣さんは、直線で60メートル離れています。間にはジャングル。人の気配は、普段でもしません。

石戸

新車購入に補助金 その3 富の再配分には労働の再配置を

自動車産業全体の冷え込みは、市場の自由な活動から生じた自然の成り行きで、やむをえないことだ。

7年で新車に買い換えていた者が9年に延ばす。大型の車をワンランク下の車に乗り換える。物を大切にすることは、人類永遠の美徳である。

その反対が、贅沢と奢侈で、これが国を滅ぼす。

麻生政府はこの国を滅ぼそうと躍起になっている。早く車を買い換えて欲しい。トヨタ、日産の企業のためとはいえないから、エコのためという。一昔前に流行した有機野菜ブームと似たようなものである。体裁のいい言葉があればいいだけのことだ。

麻生は言うかもしれない、トヨタ、日産の従業員の雇用を政府は重視しているからだと。

これが誤りなのだ。トヨタの大排気量の車が売れなくなれば、その分、軽が売れる。軽が売れれば、従業員を増やさなければならない。トヨタでいらなくなった従業員を採用すればめでたし、めでたし。

有能な販売員も、トヨタを去って、軽自動車を売ればいい。有能な経営者・中間管理職も、トヨタを去って、軽自動車会社の要職に就けばいい。

1トンの車より600キロの車の方が、はるかにエコである。1トンの車に充てられたクリーン技術が軽にできないはずがない。

世間では、トヨタやソニーの業績悪化がまるで日本の衰退のごとくPRされている。国民一人ひとりが、自分の人生の浮沈がかかっているかのような錯覚に陥らされる。

デマである。トヨタがつぶれても、ヒンダが生まれればいい。日産がつぶれても、月産が生まれればいい。人間(すなわち富を生む労働者)が移動すればいいだけのことだ。

株主は?だと。カネの切れ目は縁の切れ目、工場労働者の企業愛着心など一片のカケラさえない。つぶれる前にさっさと手を引いてしまっている。とろい株主が損をするだけで、そんな者の面倒までみることはない。

新車購入の補助金は、労働者の再配置の障害となって、不自然な市場を延命させるのみ。

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新車購入に補助金 その2 国よりひどい宮城県

たまにローカルニュースを見る。

あの村井知事が、国に倣って、宮城県が追加として、車購入に補助金をつけるという。宮城県がそろそろ財政再建団体になろうとしている矢先にである。村井自身も、財政再建団体になったらたいへんだよ~とわめいている矢先にである。

この補助金、20万円、先着3000名様。早い者勝ちであるとは、アメ横のバナナの叩き売りだ。松下政経塾卒なんかこんな程度である。

その上に、軽はダメ、普通乗用車だけが対象という。これは、国よりひどい。今は軽も100万を超えるものがある。あと20万あれば、普通にしたいがと迷っている県民にはボタモチである。20万が不如意で、軽で我慢しようと考えていた県民にもありがたい話である。

もともと軽で十分、軽こそエコと考えている賢い県民は、こんな誘いに乗らないから対象外であろう。ふらふら迷っている県民を引っ掛けようという魂胆なのだ。

これでは、エコもへったくりもあったものではない。

わがブログ読者各位、この訳は簡単なのである。

トヨタの組み立て工場が宮城に建設される計画がトヨタと村井で決められた。昨今の自動車販売不振で、悪くすると建設計画が白紙に戻るかもしれない、村井はそれが心配で心配でならない。

トヨタにいい顔をしたい。このまま手を打たないでいると、普通車から軽にどんどん買い換えられてしまう。トヨタ様に申し開きができない。

ということで、助成金は軽をコケにするためのもの、同時に環境汚染対策に尻をまくったことでもある。

付の1.
助成金は10万円だったかもしれません。いくらであっても、宮城県の財政を悪化させるもとです。

付の2.
トヨタが潤えば、県民も潤う。いかにも商人松下精神という観です。

付の3.
企業城下町の悲哀を知ってか知らずか。

付の4.
トヨタとはセントラルなんとかという子会社のことです。

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新車購入補助金 その1 なぜ軽に少ないのか

麻生政府のバラマキは、後を絶たない。

エコ・カーの購入に普通車に25万円、軽に12.5万円の補助金を与えるという。

普通車は重い。1トンを超えるものもあるだろう。軽はその名の通り軽い。600キロ程度か。1トンの車は排気量そのものが多い。軽は660ccだ。普通車のエコとはいえ、ガソリンの消費、車体の鉄やプラスチック他、すべてにわたって軽の倍近くがかかっている。

狭い日本には、軽で十分である。60歳前の私は、宮城と埼玉の400キロを550ccの古い軽トラで何回も引越し荷物を運んだものだ。

地球温暖化は待った無しの問題である。役人言葉で言えば、「喫緊」の課題。

エコ・カーとは聞こえがいいが、大きな車を作るには大きなエネルギーを消費しなければならない。乗る前にすでに環境に悪いことをしている。

普通車にしようか軽にしようか、迷っているボーダーラインの人間にとって、25万円は魅力なはず。せっかくなら、普通車にしようという者は少なくなかろう。もっともこれが麻生総理の狙いだから、当たり前である。

彼が、環境悪化に加担してまで、普通車の販売を助長するのは、トヨタや日産など普通自動車製造業者を救うためである。国が助成しなければ、軽が1台販売されたのを、普通車の1台に換えただけのことで、労働者の総体としては、少しのメリットもない、ここでもゼロ・サムである。

自動車購入補助は、他の助成金・補助金と同じで、無益かつ悪いことである。

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核には核を 元酔っ払い大臣中川さんの主張

純軍事的にみれば、核には核というのが世界常識とか。私も同じ考えである。彼は、だから、核を以って日本の安全を確保すべきだと続ける。「純軍事的にみれば」は繰り返していくうちに、いつのまにか、消えてしまう。

私は、だから、核は廃絶しなければならないと続ける。同じ前提に立っても、180度方向が違ってくる。

私は中川さんに問いたい。いつから、朝鮮の将軍様の代弁者を買って出たのかと。3千発の核爆弾と無数のミサイル、どこにでも行ける原子力空母と原潜、こんなものに囲まれていては、将軍様でなくとも、夜も寝られまい。夜も寝られず、民の餓えにもかまわずに、寝ても覚めても、核には核を。

酔っ払いもたまにはしらふに戻る時があるもの。

付:
日本はアメリカの核の傘の下だから安全。かれの弁にはありませんが、ウソ。アメリカの核の傘の下でなくても、日本は安全なのです。

090419花

夢の東京オリンピック その2 夢は夢でも幻の夢

都知事は本気で東京が選ばれるとでも思っているのだろうか。

2008年に北京。その8年後に東京。ありえない。これは、都の北、東だからというのではない。あまりにも、地理的に近すぎるのである。東洋趣味は食傷気味、あと10年くらいは遠慮したいというところだ。

世界の人口何十億かしらないが、その九割以上は、ペキンと東京は同じ土地と思っているはずで、二つの首都の場所を白地図に正しく記せないだろう。日本人は日本が世界地図の中心に赤く描かれているから、そんなはずはないと思うかもしれない。が、丸い地球の位置では、極東なのだ。東へ東へとさすらってこれ以上行けない地の果てなのである。

もう一つ。リオはアメリカにとって時差の利がある。選手にもそうだが、応援団にも、そして、テレビ局にも好都合である。バルセロナは欧州国家の応援団には理想的な観光兼用都市だ。

たかがスポーツ視察団。国賓並みに迎賓館に招かれてさぞ感激したことだろう。ニュースを観ていると、まるでもう東京に決めたかのような笑顔を視察団団長は振りまいていた。長年、セールスをやっていると、「褒めてくれる客に本当の客はいない」が金言として私に染み付いている。あれはリップ・サービスである。東京や国が視察団への膨大な経費をかけたサービスに比べればタダ同然である。

帰りのヒコーキに乗ってしまえば、「はい、それまでよ」

16年オリンピックはバスセロナ。間違えば、リオ。間違っても東京はない。

それで、東京の模型の意味が分かった。落選したときに、石原都知事がやけっぱちになって、あの上を「オレは、ゴジラだ」と狂いながら地団駄を踏ませるために、都庁職員が作ったものだったのだ。これで、ガンコ爺さんからの八つ当たりから逃げられる。ほっ。

オリンピック、夢は夢でも幻の夢。

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夢の東京オリンピック その1  国を巻き添えにするな

2016年の開催地に東京が立候補したのは知っていた。他に、リオとバルセロナが名乗りをあげているらしい。

アマチュア精神を失った今のオリンピックにすっかり愛想を尽かした私だから、どこでやろうがまったく関心はない。

石原都知事が都民の合意の下で、開催するのは、東京都の自由である。いくら損をしようが、あるいはどれほど儲けようが、どうでもかまわない。

しかし、ニュースで、麻生総理が、金がいくらかかろうが、私がすべて受け持ちますと英語でしゃべったのを聞いたとき、これは、ひとつ、いちゃもんをつけておかねばならないと思った。

最近こそ口から出ていないようだが、麻生は世論調査で人気が下降線をたどっている間、しきりに百年の経済危機と日本国民に不安と悲観を撒き散らしていた。

彼に言わせれば、とてもオリンピックなど浮かれた話などできる状態ではないはずだ。

借金漬けで首が回らない安月給取りのオヤジが、「来年は一家揃ってハワイ旅行に行くか」と女房・子供に言っているようなもの。

「お前さん、金はどうするんだい」
「大蔵省が刷ってくれらぁね」

ニュースでもう一つ驚いたのが、東京の立体模型である。よくもあれだけ精緻に作ったものと、工芸会社の腕に感心した。同時に、あれは、20万円や30万円では済まないのではないかと、他人のサイフながら惜しい気がしてきた。

あの模型がオリンピック誘致のために作られたものかどうかを私は知らない。何が目的にせよ、今どきあんな仰々しい模型なんかまったくのムダというものだ。

あれは、最後には、ゴジラ最新作のためどこかの映画会社に身請けされるのだろうか。それなら少しは役に立つ。

が、思った。何十年も前なら、特撮にミニチュアが必要だろうが、今や、ターミネーター2の時代である。みんなCGで済ませられる。

それなら、なんであんなばかばかしいモデルを作ったのか。

続く。

付:
今は大蔵省ってないですよね。面倒だから調べませんが、お札を刷るところ、国債を刷るところのことです。

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石巻市長選挙 その2 選挙は火の用心か

棄権せず みんなで参加 投票日

明るい選挙啓発標語県入賞作品である。

県とは宮城県である。伊達政宗を崇めに崇める宮城の政治感覚がこの程度である。さぞや、正宗公、草葉の陰で泣いていることだろう。

なぜ、泣いているかと私が想像できるのは、この標語の作者が、小学6年生であるからだ。

大の大人が、政治の何たるかをさっぱり分からない小学生に政治のことで説教されるのだから、私はもう、何をか言わんやである。

選挙管理委員会は、政治と火事の区別ができないということなら、そんな選挙管理委員会はさっさと解散したほうがいい。

明日19日が投票日。もっと有益に活用されるべき選挙公報が、政治意識皆無の連中によってムダ紙になっている。これに我慢できず、書くことになった。

付の1.
マッチ一本火事の元。これは傑作です。今は、マッチの出番はないでしょうが。
付の2.
作品を作った小学生個人を云々していません。選挙の標語を小学生に求めたバカが宮城県にいることにあきれているのです。念のため。


日和山公園1


石巻市長選挙 その1 選挙管理委員会の質

世の中にブログなる物があって、誰でも無料で自分の考えを公開できると知ったときは、半信半疑であった。

評論家やジャーナリストなら無料と聞けば、多分原稿用紙の升目一つにもペンを走らせないだろう。プロであるから当然である。この点、アマは気楽だ。書きたいことを書いて、言いたいことを言えば、それで、終わり。読者が増えようが減ろうがまったく気にしなくていい。私のように、いつ裏山が火事になっても、思い出の写真だけは、貸し金庫に預けておきたいと思う者にとっては、ブログはありがたい存在である。

その第一回が、選挙についてであった。自由に政治に参加できる選挙のありがたみを書いたと思う。

今、再び取り上げたのは、選挙管理委員会が、この間、全然進歩していないことに腹を立てたからである。

石巻市長選挙公報

表面は立候補者の主張。これについては、公職選挙法に触る危険があるので、何もいわない。

問題は裏面である。裏面は、選挙管理委員会が作成している。

みんなで徹底しよう「三ない運動」
政治家は有権者に寄附を贈らない!
有権者は政治家に寄附を求めない!
政治家から有権者への寄附は受け取らない!

第3の表現はおかしい。第1と第2が徹底すれば、第3はありえない。中学国語レベル以下のまずい文章である。いらないのに三にしたのは、「二ない運動」では語呂が悪いからかもしれない。

大戦の犠牲を代償にして得た自由民権・民主主義は、60年の歴史を持つ。それなのに、今もって、寄附を止めよと大きな活字で広報に載せる始末である。

選挙があるたびに、毎回同じような運動を繰り返し行っている。完全にマンネリ化している。寄附を受け取る有権者の何人が、この広報の裏を読んで、改心するだろうか。

私は、選挙管理委員会は、税金を使う以上、もっとシリアスな内容を載せなければいけないと思っている。田舎の人は、まじめに書かれた記事ならまじめに読んでくれる。「どうせ年寄りだ、分かりやすく書いておけ」は傲慢である。管理委員会の怠惰を糊塗しているにすぎない。

付の1.
シリアスな内容は、最初のブログで十分述べられています。
付の2.
有権者は政治家からの寄附を受け取らない!これでまともな日本語の表現になります。

日和山公園0

LDからDVDへ リブチンスキーの「四次元」と「オーケストラ」

映画は趣味の世界ですから、ある人が、「映画を観るヒマがあったら、ラテン語を覚える方がまし」と思っても、それはそれでいいでしょう。

でも、稀に、これは絶対に面白いと万国の人民に私が自信を持ってPRできる映画があります。

それが、今日のリブチンスキー。

「四次元」は映像が日本の轆轤首(ろくろくび)もどきで、流れている音楽が、初めから終わりまでデデンデンデンと怪談・幽霊屋敷の伴奏。なんとも言葉で表せない異様な旋律です。

「オーケストラ」は正反対で、数々の名曲がちりばめられていて、それにマッチした映像が流されていきます。映画でありながら音楽主体です。もっとも優れているのが、最後のボレロ。マルクス、エンゲルス、レーニンをこれほどオチャラケにした愉快な映像はないでしょう。私の知る限りですが。

映画に費やした時間と費用を計算すれば、ラテン語をマスターすることだってできたと思いますが、もう一度、時間と金を与えられても、私は絶対映画に使いますね。間違っても、外国語会話教室には通いません。

付:
今週から添付写真を縮小25%にしました。以前は20%。それで、右半分が欠けて表示されています。全部をごらんになりたいという奇特な方は、右クリックして、映像を開いてください。全貌(!)が現れます。

迷惑なリッキー

送金システム erliuzi氏の寄稿

オレオレ詐欺、お説の通り、電話を取ってパニック状態に陥るのが最大の要因だろう。それを防ぐ手だてはいくらもあるはず。

次いで現金自動受払機で多額の送金がいとも簡単にできる日本的システムが被害を大きくした。それに気付いて最高10万円までとしたが、便利さに引きずられてここまで来てしまった。

いろいろな取引や買い物などで銀行振込が使われるが、手数料こちら負担となると釈然としない。書籍・雑誌代などは手数料の安い郵便振替に限っている。

オレオレ詐欺は<日本特有>の現象だから再検討すべきだ。

北方四島 口先だけか、麻生総理

外交にどこが優れているのか、さっぱり分からない私だが、麻生のロシアでの記者会見で言っていたことは分かる。

麻生、「役人に任せたらいつまでたっても解決できない。オレにまかせろ」と豪語したことである。

あれから、何時間、何日過ぎたのか。新聞・民放でなにか進展らしきものが述べられているのなら、知らない私に少しは非がある。しかし、NHKのニュースを聞く限り、な~んにもこちらに伝わってこない。

もともと、領土問題が麻生程度の交渉レベルで解決できるはずがないとの持論だから、私は失望しないが、舌三寸のウソはいけない。できないことをできるかのごとく、日本国民に幻想を抱かせてはいけない。

ついでに言うが、北方領土担当大臣とその官僚は毎日どうやってヒマをつぶしているのか、伺いたいものだ。まさか、朝から、尺八ではなかろうが。

無人の県道

議長声明 言い訳がましい外務省

朝鮮制裁に日本が熱心なのは、これまで書いてきたように、軍の維持拡大には敵が必要だからで、繰り返さない。

文句をつけたいのが、外務省の言い訳である。議長声明であっても内容が十分日本の意向を汲んでいるから、良しとした、という。外交では内容よりそのプロトコルの階級である。国対国の格式、庶民用語では面子が最も強く表わされるからだ。

アメリカは、「まあ日本がかわいそうだから、同調してやるか、本当はどうでもいいのだがね」、中国・ロシアは、「虎の威を借りた狐になんの遠慮がいるのか」、ってんで、まともに日本の外務省は相手にされない。

バカにされてなめられて、それで、「成果があった」などという政府と外務省。言い訳がましいというより、あつかましいと評すべきか。

もっとも、朝鮮脅威論には悪影響(軍需産業にとって)がなかったので、この点では、“ご立派”に仕事をこなしたことにはなろう。


尺八 老後のささやかな道楽

尺八を始めて、3年半。最初の1年は教本1冊に使われてしまったから、きちんと曲名のついた譜面に向き合ったのは2年半だ。

琴古流:
新松尽くし;金剛石;黒髪;千鳥の曲;六段;八千代獅子;鈴鹿;三谷菅垣。

都山流:
春の海。

明暗流の1:
調子;平許全8曲;門開曲;虚空;阿字曲。

明暗流の2:
調子;手向;薩慈;虚空;三谷;山谷。

明暗流の3:
調子;阿字観;獅子;虚空。

このうち、師について習ったのは、新松尽くし、金剛石、明暗1の平許の4曲、明暗2の虚空。兄弟子に習ったのが、琴古の残り全曲と春の海。残りはDVDやCDを手本としている。

昨年、琴古から明暗に移ったため、今では、半年に一度しか師匠から直接教えてもらえない。私ののろのろ進行では、程よいペースと諦めている。

師事は明暗尺八根本道場となっていても、自分の好みにあったものは流派を意識せず、練習している。

調子は、シンプルさから根本道場。虚空は、深みと華やかさの絶妙な混合から明暗の2、阿字は、音階の流れから明暗の3と、いう具合である。

私の歳では、レパートリーは、これが限界かつ十分である。欲を言わせてもらえば、いつの日にか民謡の江差追分を加えることだ。

付の1.
いつこのブログがダメになるか心配なので、書き留めておくことにしました。

付の2.
琴古、都山、明暗は、きんこ、とざん、みょうあんとそれぞれ読みます。

尺八譜面



麻生総理はオレオレ詐欺師に感謝状を

景気対策の一つに生前贈与にかかわる恩典がある。贈与はいらないから借金だけは残してくれるなと、その筋から念を押されている私め、小国寡民には縁のない話である。

ヒマに任せて考えた。

金持ち老人は、金持ちのまま老人になったのだから、もともと金を使わない。ケチなのである。ぱっぱか使ってもらわなければ景気回復のためにならないのだから、麻生総理にとっては、目の敵である。死ねば相続税が必ず国庫に入るのに、金持ち老人が死ぬのを待っていられない。近頃の老人は長生きするので、彼がやきもきするのは理解できる。

なんとか、早く金を世間に回してもらいたい。税金なんかいらない、使ってくれさえすれば資本家にいい顔ができる。

オレオレ詐欺は、これとまったく同じ発想である。金持ち老人の大金は、死ねば、親類縁者が寄ってたかって持ち去られる。親類縁者にとってアブク銭だ。ぱっぱと使うに決まっている。それまで、待つことはない、代わりにオレが使ってやろう。詐欺師は、老人から騙し取った金をユニセフに届けない、農業に従事しようと荒地の購入に使わない。銀座のクラブで男詐欺師ならホステスに、女詐欺師ならホストに高級コニャックを振舞う、高級国産乗用車を買う、私は他に思いつかないが、とにかく金離れがよく、ぱっぱか使うはずだ。

生きているうちに老人から金を巻き上げようとする点において、麻生総理の景気回復策となんら違いはない。

仮に、金持ち老人に、「お金は大切ですよ。どうせあんたは地獄にいくのですから。ほれ、地獄の沙汰も金次第というじゃあありませんか」なんて麻生総理が言えば大したものだ。彼は口元がもっとひん曲がっても絶対に言わない。

というわけで、麻生総理はオレオレ詐欺師に感謝状を与えても、私は有り得ることとし何も驚かない。彼は、内心、「志は同じだね、ご苦労さん、詐欺師」とほくそえんでいる・・・とは言い過ぎか。

民主党の誰だったからか、詐欺師と呼ばれて、怒った麻生総理であったが、私には、似たり寄ったりに思えてならない。

付:
資本家は現実に存在します。今様の姿で。

リッキー

映画「バットマン」 バラマキの極め

再度、映画「バットマン」の登場を願った。これは、バラマキの象徴であるからだ。

飛行船か気球かからお金をばら撒く。このばら撒くしぐさがさすがジャック・ニコルソンである。見事な演技だ。地上では、落ちてくるお札の奪い合いだ。私がその場にいたら、大風呂敷を広げただろうが、みんな素手で拾っている。

映画では、その後、すぐに毒ガスが撒かれる。

私はふと考えた。

ニコルソンがもし、毒ガスを撒かないで(悪者だからいずれ撒くのだが)、「地上にいる皆さん、衆議院解散をしますが、その時は、ぜひ私の党に投票を」とマイクで呼びかけたらどうだろう。支持率急上昇は間違いなかろう。落ちてきたお札を沢山拾った人ばかりではない、必死に取ろうとしても拾えなかった人だっているはずだ。不穏なムードが漂う。そのタイミングを見計らって、麻生が「もしも、政権を引き続き担当させてもらえるのでしたら、次回は、もっとばら撒きます、これが私の使命です」とマイクのボリュームを上げたらどうだろう。

その時、東の空から(西でもかまわないが)バットマンが舞い降りてきて、「こんなカネで、ニコルソンに騙されるな」と大衆に呼びかけても、「引っ込め、バットマン」の大合唱になるのではなかろうか。ぐずぐずしていると、石を投げつけられるかもしれない。

数年後の悲劇は、朝三暮四の日本人には予測できないのである。バットマンの忠告に耳を傾けるより、天から降ってくる1万2千円がありがたいのだ。あな、恐ろし。

付:
ボケの兆しでしょうか、ジョーカー演じるニコルソンと麻生総理との区別が付かなくなりました。それで、このブログの主語は、かなり混乱をしています。

メリーのエサ






景気の回復 インクリメンタルとアブソリュート

昔々、ようやく日本にCADが入ってきたころの話です。私はある電子部品メーカーの技術部に属していました。自分のFM-7では物足りず、CAD担当者に頼んで、こっそり深夜、電算室に入れてもらったものです。

もちろん使ってみたいからで、その時に覚えたのが、インクリメンタルとアブソリュートの“業界”用語でした。これは、プロッタの描画の際、ある座標位置から別の座標に移動するときに、ある座標をスタート地点とするのがインクリメンタルで、元の座標を無視して、原点からの(x、y)座標に移動するのがアブソリュート、簡単に言うとこういう用語です。

コンピュータの数値指示で動くプロッタは、どちらの方法でも、同じです。たとえば、(10、10)から、右に5、上に3、次に右に5、上に4と指示をしても、原点から右20、上17としてもプロッタのペンは同じ位置で止まります。

これを人間が物指を使ってやったらどうなるでしょうか。ある位置から、右いくら、上いくら、その次に、左いくら、下いくら、と繰り返していくうちに、とんでもない場所に行ってしまうはずです。誤差が累積されるから、仕方がありません。これがインクリメンタル。その点、アブソリュートでは1回1回原点から測るのですから、誤差は1回限りで、正確さにおいては、インクリメンタルの比ではありません。

なんでこんなことを長々と前置きにしたかといいますと、今の経済危機に対する政府初めマス・メディア(と言っても私の知っているのはNHKだけですが)の思考と行動が景気の回復を目的にしているからであります。

私には、この回復の目指す場所がわからない。早い話、株が3万6千円を回復地点とするのか、1万5千円をそれにするのか。自動車販売台数では、10年前を基準にするのか昨年を基準とするのか。回復先といいましょうか回復元といいましょうか、それをどこに置くかで、話がまったく違ってきます。

人間はCADではありません。直前の状況を基準にしていくと、いつの間にかとんでもない位置に進んでいってしまうということは、人間が定規を使ってプロットすることと変わりません。

バラマキの根拠を景気の回復に求めるのならば、この点だけははっきりしてもらわなければ困ります。

メリーのエサ1

春はハンモック

春は曙。清少納言は多分低血圧ではなかったでしょうね。

私の春は、ハンモックです。

乗った瞬間、両支柱を支点とするゆれ。これが収まるまではかなりの時間がかかります。いい気分です。そして、わずかに風を感じながら空を見上げる。背中にも風を感じるのです。これがまたいい気分。

松島航空自衛隊のジェット戦闘機が爆音とともに頭上を横切るとなれば申し分ありません。先日なんか、5機の編隊です。これまで4機までしか見ていませんでしたので、嬉しくなりました。

それの後には、うぐいすや他の野鳥の鳴き声だけ。カラスはだいたい夕方にやってきますから、あのギャーギャーは聞こえません。ありがたいことです。

ハンモックでうとうとしていますと、いつ来たのか、犬がハンモックの下で寝ています。イビキで気付きます。

春は、ハンモック。やぶ蚊もハチもいない今の我が楽園、極楽、極楽。

春のハンモック

このブログ なんだろね スポンサー!

古いパソコン、通信石器時代のISDN、これでどうにかこうにか零細ブログを続けて、回を重ねること7百余。

我が楽園においては停電、電話線の倒木被害など、珍しい事件でない。それにブログ管理側で稀に受け付け不能のトラブルが生じる。それで、私は、原稿を書き上げたらすぐにアップ・ロードすることにしている。

誤字・脱字、表現の不自然さなどは、一呼吸おいて読み手の一人としてブログを開きチェックする。これで、駄文が名文に生まれ変わる・・・わけではないが、とにかく再確認だけは怠らない。

いつものように再確認作業をしようと昨日、開けてビックリ玉手箱。

私のブログにスポンサー・サイトというのが、ケバケバしい文字で載っていたのだ。それもFXの勧誘とやらがあって、私の最も侮蔑する商売がスポンサーとなっていた。

こんな下品な広告で私の気品あるブログが汚されることに我慢がならず、即座に「右クリック→削除」を実行しようとした。再びビックリ、「削除」が見当たらないのである。

ブログ管理者のFC2に連絡しようと試みても、どこにもそれらしきタイトルがない。

仕方がないので、スポンサーに向かって罵詈雑言を書きたてた新しいブログを載せたら、今度は、まったく別のスポンサーにすり代わっていた。掲載したままでは、読者がなんのことかさっぱりわからず、「この書き手は相当ボケているな、嗚呼、哀れ」と情けを受けることになりかねないので、即刻、削除した。自分のブログは削除できて、頼みもしないスポンサー・サイトが削除できない。怒り心頭に達した。

どうにも手の施しようがなく、諦めたのが深夜12時。やけ碁を打ったら序盤でツブレ。どん底の一日だった。

そんな訳で、超低血圧の私にしても特に今朝の寝起きは悪かった。ヒマになった昼過ぎ、自分のブログに寄ってみたら、また違うくだらないスポンサーがへばりついている。

こんなくだらないスポンサーのために私は1行たりとも書くつもりはない。スポンサーが消えるまでは、このブログを休止とする。これにより、日本が崩壊への道から逃れられないとしても、私に責任はない。

付の1.
そうは言っても、まだまだ日誌代わりに書いておきたいことが山ほどあります。どなたか、スポンサー・サイトの削除方法をご存知ありませんでしょうか。お助けください。

付の2.
タダより高いものはない。じゃまなスポンサーなしのブログでしたら、有料も厭わずです。ご紹介くださいませんか。

付の3.
私のブログに永遠に入れ替わり立ち代り登場するスポンサー。もしも、そうでしたら、そんなスポンサーにびた一文、使ってはなりません。小国寡民より、怒りを込めて。

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なぜ私はオレオレ詐欺に遭わないか

68歳の私はオレオレ詐欺の見込み客の資格を立派に有している。それでいて、一度も遭っていない。遭っていないどころか、その気配さえ身に感じないで今日に至っている。

この調子でいけば、残る数年(あるいは数時間)、被害に遭わないままで済みそうだ。

リ~ン、リ~ン。「オレだよ、オレだよ。おじいさん、これから千万円を届けるからね」なんて電話なら、ありがたい話ではあるが、すぐに誰かの冗談と冷静に受け止めるだろう。しかし、あれこれ悩んでいる最中、「わ~っ、困った、困った」と突然電話が来て、その困った原因とあれこれとがたまたま完璧に合致すれば、「やはり心配していた通りか」と妙な自信を抱くことにならないとも限らない。電話の向こう側はプロの詐欺師だ。まして、私のような人を一度も疑ったことのない純真無垢そのものと言える老人は、ここでパニックである。

電話のパニックは、詐欺師のペースに乗らなければいい、10分でも20分でも、間を置くことだ。

リ~ンと鳴れば、ひょいと手が出る。パブロフの条件反射。これさえなければ、詐欺に遭わない。というわけで、私は、常時、留守電オンにしている。

効果抜群。一度も「オレだよ」が録音されていない。千葉県警だったか、特別に作曲しそれを警察付属の楽隊が演奏し、オレオレ詐欺を防ぐとしていた。ニュースで聞いたとき、紅衛兵が農村を回って毛主席のPRに努めたイメージとだぶっていやな印象を持ったので覚えている。今も、千葉県警は行脚しているのだろうか。

話しを戻す。難しいことは必要ない。留守電にすれば、限りなく被害ゼロに近づくはずだ。「折り返しお電話いたしますから、お名前と電話番号をどうぞ。ピ~」で、真正直に名前と電話番号を伝えてくる間抜けな詐欺師はいない。

バラマキついでに、高齢者世帯全部を留守電を無償提供したらいかが、麻生さん。

付の1.
メッセージ登録のことです。「ただ今、生きるか死ぬかの瀬戸際ですので、手が離せません。折り返し云々~」と登録したら、大クレームとなった。私の命ではありません、ネット碁の自分の大石のことでした。

付の2.
こんな貧乏老人にも、結構、誰からかわからない電話が入ってきます。その中の何割かはオレオレでしょうね。「ピ~」の後、無音で切られていますから。統計学的な実証はありませんが。

付の3.
私の留守電は正確には、「居留守電」です。

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イタリア大地震 気象庁地震に予知担当官がいれば、応えよ

昨年、地震なんか予知できない、そんなための役人はクビにしてしまえと、かなり吼えた。吼えたつもりでいるが、実際は「犬の遠吠え」と言う所だろう。

イタリアの大地震。気象庁の職員や気象庁が旅費を負担した学者が現地に行くかもしれない。目的は調査である。

その結論は、行く前から分かっている。

  1.倒壊家屋の多くは古かった。
  2.倒壊家屋の多くは、柱が細かった、あるいはなかった。
  3.活断層の上に位置していた。
  4.陸地が震源だったため津波は起きなかった。

ざっとこんな調査報告で、この“検証”のために膨大な数値データが添付されることだろう。

吾輩は猫ではない。地質学者でもない。地震学のド素人である。気象庁から俸給を受け取っている者でもない。しかし、この程度の検証報告は、そのド素人の私でも書ける。

バラマキ政府予算をいいことに、日本の地震予知に何の貢献をしないで、ひたすら「地震発生メカニズムの再確認」というテレビ・ゲームを楽しむ気象庁。

いいかげんにしないか。

私の罵倒に文句があったら、次の地震が日本ではどこに起きるのか応えてみよ。

汚職・贈賄は、動いた金が誰かしかの懐を潤す。無論、公平性から見れば悪いことだが、それでも、ゼロ・サムの域を出ない。地震は、一瞬で多くの人命が失われる。事の重大さは汚職・ワイロの比ではない。

いいかげんにしてはいけないのである。

付.
温泉は歓迎、地震は御免、こういうご都合主義は人間社会はともかく地球レベルでは通用しないことを、だいぶ前に、NHKの文化講演会で知りました。説得力のある講演でしたから忘れません。

春の尺八練習場

LDからDVDへ 映画「渚にて」

第三次世界大戦が勃発、核ミサイルの応酬で地球全体が放射能に汚染され、最後に残ったのがアメリカ原子力潜水艦の乗組員。それも、つかの間。結局、人間が一人も地球上からいなくなる。

1959年の作品。グレゴリー・ペック、エバ・ガードナー、フレッド・アステア、アンソニー・パーキンス、ドナ・アンダーソン。最後のアンダーソンは知らない。

この第三次世界大戦は1964年に設定されている。制作年のわずか5年後である。

グレゴリー・ペックの語りで、「今の戦争は、軍人より先に一般人が死んでいく」という意味があった。

核戦争がないまま、すでに40年以上が過ぎている。しかし、兵器による市民の殺傷は後を絶たない。

ピン・ポイント攻撃が可能となったとはいえ、テロとの戦いでは、“テロリスト”と市民との線引きができていない。“テロ”は正規の軍隊がないまま武器を使うのだから、当然である。

原爆は放射能で、テロ鎮圧は流血で、市民が殺されることには変わりない。

島暮らし 012

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