老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

何か忘れていませんか(3) 三大臣職兼務

与謝野大臣が三つの大臣職に就いた。

よほど親しい間柄の記者からであろう、「能力、体力、自信がおありですか」との質問があった。能力を問うのは、言外に、「お前さんのような能無しが、やっていけるのかね」が含まれる。

与謝野大臣は、ユーモア人らしく、「能力はありませんが、体力は自信があります」と笑顔で応じ、記者会見を笑わせた。

とてもいい雰囲気だった。しかし、いい雰囲気は会見場でお終い。国民にとっては迷惑なおふざけである。

私は大臣職がまったく名目でしかないとの持論を通してきた。ある大臣が突然辞任する。あるいは、内閣改造によって辞めさせられる。新任大臣への引き継ぎが行われる。それが、わずか一日で終わる。民間企業の社長交代であれば、いくらファイルが完備されている所でも、引き継ぎが一日で終わるとは思えない。まして日本国のある分野でのトップ交代である。

思えなかったこの疑問が、与謝野さんで氷解した。

大臣職は“名ばかり”大臣なのである。有能・無能はまったく関係がないのだ。だから、元総理の娘があれよあれよという間に大臣になっても、少しもその省庁に不都合が生じないのだ。いい面の皮が民であることはこの際別とすればである。

与謝野さんは体力があるといった。これは至言である。大臣のすることといえば、大臣の四角くて少し重めのハンコを、ペタン、ペタンと役人から届けられた書類の表紙に押すだけ。3つも省庁を抱えれば、霞が関を駆け足で回りながら、ハンコを押すのだから確かに体力がなければやっていけない。だから至言というわけだ。もちろん、書類の中身なんかとても読む時間なんかない。どさくさにまぎれて、高級官僚がこっそり例外項目を付記しても、「こりゃあ、おかしいんじゃあないかね」などと役人に確かめるゆとりなんかあるものか。

昔、残業時間が月数百時間のファースト・フード店長が、名ばかり管理職と騒がれたことがあったが、大臣職だって、同じようなものだ。

私はさらに、考えた。ユーモアのやり取りの陰で忘れそうになっている本質は何かを考えたのだ。

その結論となったのが、大臣職は体力さえ備わっていれば誰でもできる、よって大臣職はすべて3つを掛け持ちさせるべしというのである。省庁がいくつあるか知らないが、それで、三分の一に大臣が減る。経費節減への貢献大である。

隗より始めよ。この隗という人物、自他共に認める能無しであった。名ばかり大臣にぴったりではないか。

付:
私は、前に載せましたように、大臣職は官僚に与えよというのが持論です。国家上級試験の廃止が絶対不可欠条件であります。

島暮らし2009 140

何か忘れていませんか(2) 内需拡大 

連合は労働者の賃金が上がれば、内需が拡大され、景気が良くなると、「攻撃は最大の防御」方式で春闘の乗り切ろうとしている。勝ち取ろうではない、負け戦さが分かっているものだから、せめて、現状維持との願いからの方式である。

内需で景気回復はできない。日本国民の間でやり取りしている限り、ゼロ・サムだからだ。早い話、100円のものを200円で売る。売り手は100円の儲け。買う方は、もともと100円の物を200円出すのだから、100円の損。花見酒の経済である。

200円で売って本当に儲けとなり、日本の景気が良くなるためには、海外に売らなければならない。

この理屈、難しいことでもなんでもない。第二次世界大戦前に、西欧の列強がなぜアジアやアフリカに植民地を作ったかを考えれば簡単に分かることだ。

もう一つ、戦後から今日まで、日本の好景気のどの時点をとっても、内需主導はなかった。その典型が朝鮮戦争、ベトナム戦争の両特需である。

内需が増えることは、国家経済の衰退を意味することである。だから、連合幹部が勝手に作戦の手段に内需拡大を選ぶことは自由だが、(どうせ、そうなりっこない)、日本政府が内需拡大を唱えるようになったら要注意である。

定額給付金はこの面からも非難されなければならない存在だ。わずか1万2千円だから、ごまかせるが、各人1千万円の給付となったらどうなるか、・・・とてもごまかしきれまい。1千万は不可で1万2千円は可であるはずがないではないか。

そう、これは、量の問題ではなく質の問題なのだ。

  付の1:
  内需はダメ、だから輸出に重点を置きなさいと主張しているのではありません。その両方がダメと言いたいのです。つましくまっとうな社会に日本を改めて、景気の動向をブラジルの3月の月間天気予報より下位の話題に追い落とそうとしただけです。

  付の2:
  この要注意の先頭バッターが定額給付金であります。

島暮らし2009 136

何か忘れていませんか(1) 解散・総選挙

  失業を恐れるのは臨時工も国会議員も同じでしょうね。

  夜、ふとんの中で、
  「お前さん、落選したらどうやって食っていくつもりかい」
  「しんぺえするねぇ。金は天下の回り物よ」
  などと見栄を切れる先生はそう多くないはずです。夫婦共(荒)稼ぎをするはずだった中山大臣、麻生さんに抜擢されて5日かそこらでクビになった旦那さんのお奥様のことです、「お亭主をお養わなければおなりませんものですからねぇ」とお上品にお口になさるかもしれません。

  ナポレオンの時代から歴史は夜作られるのです。赤坂の夜の料亭ではありません、自宅の寝室で作られるのです。世論調査の結果やマス・コミの“助言”は一切関係ありません。まして、日本国の存亡なんか、おとといか先おとといの霞の中に置いてけぼりですよ。

  民主党がわめこうが泣きつこうが、麻生さんは、「解散権は私が持っています」を繰り返すばかりです。民主党の先生方のために通訳しますと、それは、「任期満了まで総理の椅子に座ります、しがみつきます」ということなのです。

  そもそも、自民党国会議員の半数以上がバタバタ討ち死にするような選挙を自民党がやると思いますか。解散したとたんに失業者の仲間入りとなるのですよ。どれほど失業保険が与えられるのか知りませんが、現役時代の厚遇には及びますまい。

  森さんや青木さんがどんなお芝居を打とうが、すべて、カモフラージュです。ただ一人、小泉さんが分派活動を開始したら、その時だけが解散・総選挙間近です。マス・コミの諸君は、日本の政局に限って言えば彼の動きだけ見ていけば十分です。

  こういう気まぐれを語れるのは、今日読んだのですが、ある大手新聞の昨年9月29日朝刊に、中山国交相が辞任と大見出しがあって、「早期解散戦略変わらず」を小見出しにして、ご丁寧にも、記事の中で、9日(2008年10月のです)までに解散に踏み切る意向とあったからです。

  出任せが一流新聞記者に許されるのなら、湯船でうろ覚えの浪曲を口ずさむ私にも許されていいでしょう。

  付:
  中山大臣のもったりした話ぶりは私は我慢がならないほどイライラさせられます。

島暮らし2009 044

LDからDVDへ ジャズ・ピアノ

チック・コリア&フリードリッヒ・グルダの「ザ・ミーティング」とビル・エバンス・トリオの「Live at The Maintenance Shop ‘79」を立て続けにダビングした。等速でしかできないので、ネット碁を打ちながら、時々、テレビ画面を確認していった。

オペラに限らず、映画も音楽会も、本格的に鑑賞するためには、プロジェクションで最低でも100インチまで大きくしなければだめ。29インチのフラットテレビはあくまでもモニターの域である。

夜の冷え込みが緩んだら、時間にせかされず、100インチでじっくり楽しもうとわくわくしながらダビングを進めていた。

その途中、どうも妙な感じがしてきた。違和感である。それが頭の中に広がってしまって、その原因究明をせんと、もう碁どころではなくなってしまった。

結論:

我が庵は、ジャズ・ピアノにまったくふさわしくないこと、これである。

まず、ど田舎はだめ。せめて人口百万の仙台程度でなければ。

平屋はだめ。高層マンション、その階はせめて20階、できれば40階のペントハウスでなければ。最大譲歩しても、周囲のビルから見下ろされるような階であってはならない。眼下には、自動車が豆粒のように見える。その走っている車は、軽トラなど見たくてもない。みんな、シトロエン、プジョー、フィアット、ベンツ、BMW、など、屋根だけみてもうらやましくなるような車である。日本の車も走っているが、癪なのでここには書かない。

部屋といえば、30畳は欲しい。フロアーである。擦り切れた日焼けの畳敷きはだめ。天井に32Wと30Wのサークル蛍光灯と富士山の型を抜いた四角のシェードがあってはだめ。どこから採光されているのかわからないのでなければならない。

床には、もちろんカーペット。ペルシャや中国段通のようなケバケバはだめ。毛はあってはいけない。

家具はすべて北欧のもの。犬はドーベルマン、このブログに登場するような貧相な柴の雑種はだめ。おなじくこのブログの常連である裏山を住処にした方が似合うアメリカン・ショートヘアの雑種はだめ。猫もペルシャ猫に限る。

酒は、コニャックだ。自家製ドブロクを百円ショップで仕入れたグラスで飲むようではいけない。

  このような環境でこそコリアとグルダの掛け合いを堪能できるし、ビル・エバンスの「Someday My Prince Will Come」が活きてくる。

  これは、黒人ジャズのトランペット演奏とは大違いだ。ジャズ・ピアノほど、聞く場所を厳しく求める音楽は他にないのではないか。

  更なる結論:

  ここで思考を止めておけばよかった。一つ、大変なことに気付いたのだ。それは、私自身がふさわしいかという疑問である。こういう高層マンションの一室に、誰が私の存在を想像できるだろうか。

  イマジネーション力の権化である私でも、さすがにこれには参った。DVDに落としはしたが、多分、二度と観ることはないだろう。

  付:
  コリアは1982年、エバンスは1992年のレコーディング。LDを購入したのもその近辺のはず。当時の私は、ジャズ・ピアノの鑑賞に堪えられる位は、リファインされていたのかも知れません。

09年鶏

景気の回復とは

  どうもよく分からない。麻生さん初め、日本中が景気の回復を口にしている割には、その中身が空虚に見える。

  回復というからには、戻る所があるはずだ。その戻る場所がわからない。前にも疑問を呈したが、再度、しつこく問うことにする。

  不景気、不景気と日本全国一律のように語られているが、その実態をよく見てみると、今労働者が失業の憂き目に遭っている業種は、人間の生存にまったく関係の無い所ばかりである。

  自動車産業。4年に一度、新車に乗り換える必要はまったくない。5年に延ばしただけで、販売台数は20%減少となる。私のジムニーはよく働いてくれていて、すでに12年を越えている。ボロがみっともないというのであれば、8年までは大丈夫、日本の車は、さすがに良くできている。8年使い続けても、持ち主の生死にかかわらない。

  液晶テレビの販売が不調という。今のブラウン管テレビでは、麻生総理大臣の口元ばかりか顔までゆがんで見えたり、NHKのニュース画面の右半分が写らないというのなら問題だ。もちろん、こんなことはない。我が家の30キロなんなんとする29インチテレビは、床さえその重みで抜けなければ、まだまだ使える。日本のほとんどの家庭でも、同じようなものではないだろうか。別に液晶テレビがなくても、その家族の生死にかかわらない。

  私は、「あれば便利、なくても困らない」業種と「なくてはならない」業種を厳しく選別して物事を考えることにしている。あれば便利程度の業界が不調であるからと言って、なにが百年に一度の危機か。

  麻生総理は、学校で習ったであろう鴨長明の方丈記を読み直すといい。食べる物がなく、天災・人災で餓死者が道に都にあふれる姿がよく描かれている。

  終戦直後の上野駅の浅草口地下道の写真を一度見るといい。子供までが浮浪者とよばれて、うずくまっていたのだ。仕事がないとは、そういう状況をいうべきで、養豚場の臭いがいやだと一日で辞めてしまうような若者が何万人失業しようと、単なる我が儘である。インドネシア人が介護に携われて、どうして同じ年代の日本人が就業を敬遠するのか。

  私は、十数年前から、ソフト・ランディングする景気の後退を主張してきた。トフラーのいう「第三の波」がでしゃばり過ぎた傾向が昭和30年代から続きっぱなしであったからだ。

  紙切れに1万円と印刷する日本政府、100ドルと印刷するアメリカ政府、こんなことを見境なく、大衆とその代弁者である国会議員の言うなりになって続ければ、どうなるか、今回の「百年危機」でよく分かったはずである。

  今や、自動車産業や液晶テレビ産業の景気の回復を画策すべきではない。今の苦しみは、もう一度、農本主義に国民の経済基盤をシフトする絶好の機会と捉えるべきである。

  太陽と水に感謝して喜怒哀楽も気候次第というつましい重農主義から、手っ取り早く金が儲かる重商主義、それでも横着は止まらず、金融資本が大きな面をして世界中を闊歩してきた末がこの有様である。

  農業人口が減少して、農地が荒廃してきた30年。こちらこそ日本の危機であったのだ。花形輸出産業の回復運動は、日本の危機の増大だけを結果とするだけだ。

  目先の失業や景気悪化を、禍とみるか、反省の具とみるか。バチカン観光の元大臣ではないが、日本人民、そろそろ酔いから醒めていいのではないか。

地方自治体の企業援助

   先日、ソニー工場がある宮城県多賀城市の市長が、日ごろお世話になっているからと、市の映像機器やパソコンの予算6千万円をすべてソニー製品に絞ると発表した。

  おかしい。ソニー工場があるのは、ソニーがそこを工場適地とみたからで、多賀城市の財政貢献を意図したものではない。不景気になれば、ソニーが自分で相応の対処をするはずだ。それを、お世話のお返しとして特定の一社に市政が優遇するとは、他人の市ながら、どうしても納得がいかない。

  この論法でいけば、広島はマツダ車を買うことになるし、三菱自動車の工場がある市では三菱車を買うことになる。こうなれば、地方自治体の“自治”の姿は完全に消えてしまうではないか。

  地元の従業員が解雇される事態が生じたら、なぜ解雇が発生したのかをじっくり考えたことがあるのだろうか。自動車産業や家電産業にカンフル注射を打てば、未来永劫にわたって、一層強力なカンフル注射を続けなければならなくなる。

  失業は市民にとって、市長以上に深刻な問題だ。「あれば便利」という産業から、なくてはならない産業、すなわち、農業、林業、漁業に配置転換することだけが、将来にわたって失業の不安を解消する道である。ここに市、(大体、工場がある土地は辺鄙な農林業にぴったりの田舎としたものだ)、の財政を投入しなければならないのに、小手先の企業援助とは、地方自治体は何を考えているのだろう。

  アメリカ政府に、バイ・アメリカンは良くないと、日本政府がお願いしたそうな。足元でこんな状態が生じていることを知っているのだろうか。

  企業城下町から脱皮しなければ、将来にわたってその企業の景気に地方自治が振り回される、それでいいのか。

  付:
  先日、マツダや三菱の車の優遇策を工場のある自治体が実施するとニュースが報じられました。冗談ではなかったのです。三菱にいたっては現金を渡すそうです。いやはや。

補助金、助成金

   私は、一切合財の補助金・助成金反対論者である。文化遺産、芸術分野、スポーツ振興、医療、すべて例外なしである。

  額に汗をしない金は、一度でも手にすると、人間、横着になるもの。自分がもう一度欲しくなれば、何か理由を付ける。他人が手にしたのを脇で見れば、自分もあやかりたいと何か理由をつける。理由を考え出すのに額の汗は無関係であるから、お安い御用というわけだ。

  医療・介護の分野で不足金がでて民の生活が脅かされるようなら、それは、補助金や助成金でお茶を濁すことなく、制度自体を改革すべきである。

  特に、4年に1度の興奮のために、オリンピック選手育成なんか、まっさきに中止すべきである。出場したい選手がいれば、自前で努力すればいい。もちろんスポーツ用品メーカーが支援するのは、勝手である。国の金は使わないことだ。参加することに意義があるというオリンピック精神の本来が取り戻せる。ここも「禍転じて福となす」である。

金1万2千円也 不道徳教育の教材か

  普段から人通りが少ない道を歩く。いつもは空を眺めながら通るのを、今日に限って下を向いた。そこに、1万2千円が落ちていた。

  これを拾う。誰も見ていない。ならば、ネコババを決めるか。それとも、やはり遺失物として交番に届けるか。ネコババを最初から決める人は日本人にそう多くはないだろう。と言って、一目散に交番に駆けつける人もそう多くはないであろう。大概の人は一瞬悩むはずだ。

  なぜ悩むか。

  それは額に汗を流さないで手にできる金だからである。お金は、欲しい。しかし、いろいろ手段はあったとしても、とにかく社会の需要を満たす行為の対価としてしか、お金は得られないもの、それをしないまま手にするのに、得をしたい気持ちとやましい気持ちが葛藤となるからである。

  これは、罪作りな状況である。最初から、道に落ちていなければ、何事もなく、再び空を眺めて通り過ぎることができたはずだった。

  落ちている金どころではない。日本国公認で日本人1億2千万に、落ちている金を拾うまでもありません、皆さんにお渡しいたします、もちろん拾ったお金と違うから交番に届けなくていいですよ、心置きなく使ってください、と奨励している。

  定額給付金は、道徳問題なのである。道徳から比べれば、景気など次元が低すぎる。

  働かないで金を手にする。こういう事を場合によっては好ましいと小学校で教えられる教師は日本広しといえども、一人としていまい。

  それを、今の自民・公明政府は、がむしゃらに通そうとしている。彼らにとっては道徳的羞恥心などどうでもいいのだ。小泉さんが退場すると、自民の議員の相当数が一斉に退場する。自民の中にもまともな人間はいる。

  付:
  与謝野大臣も、この定額給付金には反対していますね。彼も正常な道徳感覚を持っています。国債乱発にも警鐘を鳴らし続けています。正常な経済感覚も持っています。小泉さんと揃って退場すればいいのです。

北方四島復帰の幻想

どうせ、自分に来年は来ないと思えば、気楽なものだ。なんでも公約できる。言う総理大臣も気楽なものなら、聞く日本国民の方も、気楽に聞き流せばいい。なにも、NHKがニュースにするまでもない。

  北方四島の返還交渉、いよいよ始まるという。

  外務官僚の中で、一つの島でも返還されると思っているのは一人もいなのではないか。戦争で割譲した領土は戦争でしか取り返せないという例外のない歴史的真実を彼らは学んできているからである。

  麻生首相が、官僚には任せておけないと見得を切った。歌舞伎では通用しない。お笑い劇場である。外務省官僚の間で、「そんなら、総理、やってみたら」と話題にしてもらえれば御の字である。それさえないだろう。みっともない。

  四つの島をすべて返還する。ロシアが「ダー」と言うか。せめて一つと言っても、「ニェット」。日本国民はどうか。一つで「はい」と言うか。必ずいくつかの新聞社が猛反対する。それでは、二つならどうか。これでも、反対論は収まらない。四島全部復帰ではじめて、日本国民全員がさすが麻生となる。こんな夢のような話が外交で起こるわけがない。

  大臣に北方領土担当とやらがいるらしい。おためごかしもいいところだ。なんにもできないからなんにもしない。大臣職に少しでも座れば、次期選挙のための箔がつくだけだ。

  福田前首相が2050年の温暖化政策を謳った。今回の麻生総理の訪ロはこれといい勝負だ。

  減らず口とムダ金の合作である。

一番の寒さ


ヒラリー国務長官と拉致問題

拉致被害者の会とやらと会って、「子を思う親の気持ちはよくわかる」とコメントした。

これは外務大臣の口にする言葉ではない。人道支援家の発言である。人道支援家は、これに基づいて、なんらかの支援活動を実行する。だから、この発言は許される。

しかし、外務大臣は一国を、または複数国を同時に、相手にした、国家価値観の相違を前提とした交渉のトップである。人情はあくまでも、脇役である。

ヒラリー国務長官は、百も承知で、リップ・サービスに努めた。拉致被害の会もなめられたものだが、日本国民も馬鹿にされたのである。

拉致問題が、六カ国協議の主要な問題であることなどとうの昔、再々再々確認されているものである。耳にタコができるほど、日本の外務官僚から聞かされた割りに、な~んの進展もないまま今日に至っている。慰められたその時はなんとなく救われたような気がするが、よく考えるとなにも語られていないのだ。ヒラリー国務長官のリップ・サービスは日本外務官僚から入れ知恵されたものかもしれない。

  拉致被害者の会のピント・ハズレに怒ってきたが、その思考レベルのあまりの低さに、今ではもう哀れささえ感じてしまう。

  昔の人の言に、天は自ら助く者を助く、とある。何か事が起これば、すぐにアメリカにしがみつく根性で、どうして他国が日本を一人前として扱うというのか。

 
  初の外国訪問が日本。世界地図をみれば、アメリカから飛んでくれば、渡り鳥でもジャンボ機でも、日本が最初となるのが当たり前。地図がえばるのはかまわないが、日本政府が誇らしげに語るのは、いかがなものか。

  やる気のない政府・外務省の懇願で、ヒラリー国務長官は、外務大臣にあるまじき発言をすることになった。ロシア・欧州でこんな発言は絶対に彼女からはでないだろう。

  付:
  日本がなめられている外国。朝鮮とアメリカ合衆国がその代表です。次が中国、ロシア。フランスにいたっては映画でさえ日本を馬鹿にしています(メルシー人生)。

  金華山


がんばれ! 小泉さん

バラマキ給付金に反対するから、衆院に戻ったら、退場するという。まともな国会議員なら反対票か棄権かの二つしか選択の余地はない。賛成する議員は、国民の意思と自分の党籍を比べて、党籍という身分保障を選んだケチな人物である。

一度、賛成した以上、棄権するとは悪いと、現職大臣が、口をそろえた。

おかしい。参院で否決されたということは、直近の民意が否決したと認めるべきで、だから3分の2という強行手段に訴えてまで通過させるべきでないと彼は言っているのである。

貧すれば鈍する。今の自民はまさにこの言葉がふさわしい。

小泉さんが黙って、ボンクラ現職大臣や自民党幹部の言うままで収まっていると思うか。

小泉さんは新党を立ち上げる。ドロ船に見切りをつけた衆議院議員に残された選択肢は三つ、引退するか、自民党に留まり落選するか、それとも、新党に加わって自民党候補者と決戦するか、前二者を選んだ議員には、選挙後に国会の席はない。

小泉新政党が公明党に代わってキャスティング・ボードを握ることになる。小泉さんは執念深いから二度と自分を非難した現職自民連とは付き合わないだろう。

民主党にアドバイスをする。郵政民営化は間違いではない。それを徹底しないから、ほころびが目立つだけである。あまり民営化で騒ぐと、都会から見放されるぞ、昔の岡田のように。

メリー2


付:
郵政事業の完全自由化なしでは、相変わらず政府監督下の独占企業体として、甘い汁を官僚族に吸わせるだけです。はがき1枚が50円なんて、まともだと考えられますか?






国会中継 よっぱらい大臣をめぐって

国会議員なんか、100人で十分ではないかと思ってしまった。

相変わらず、野党が一人の大臣をネチネチとつるし上げる。与党は、ブツブツと言い訳を続ける。これが、延々と議会開催中、繰り返されるのである。

昔、水道料かミネラル・ウォータが月4百万円飲んだとかで、国会が沸騰した、すなわち空転した、すなわち議員がムダ飯を食った。当人の自殺で収まったと覚えているが、一政治家の不祥事なぜ年中こうも国会で取り上げるのか。国会は週刊誌か。

私もヒマだが、彼らは、私のヒマとちがって、一日数億円の維持費を使っているのだ。もったいない。

一人の酔っ払いはそれだけで、政治生命が途絶える。ほっておけばいいのだ。

そんなことより、先ず、ねじれ国会は好ましいことか、もしも、好ましくないとすれば、どう国会を変えるべきなのか、を国会議員は自分のこととして、議論してもらいたい。

付:
待ってくださいよ。本当に政治生命は終わりとなるのでしょうか。地元に戻れば、後援会に温かく迎えられて、次の選挙にはまた当選なんていうのもありそうですね。

メリー3

かんぽの宿 鳩山大臣対小泉元首相

鳩山大臣が日を追う毎に強烈度を高め、払い下げの不正を糾弾している。快哉だ。株式会社と名前は私企業を装っているが、実体は、官僚の外郭団体である。自分で稼いだ金なら絶対に提示しないような価格をつけた官僚もどきとその甘い蜜を抜け目なくかぎつけた御用商人が舞台に登場した例によって例のごとき官民癒着の一形態である。だから、法務大臣のときに死刑執行にハンコをついたほどの正義感と勇気をもった彼が、怒り狂うのは当然といっていい。

その彼が、公然と小泉元首相を非難している。党員である以上党に従うべきであるとの論理的根拠を理由にしている。

郵政民営化は小泉さんの功績である。それが不愉快なものだから、非難しているのである。小泉さんをノック・アウトにしたい。二度と日本政治の中心に戻ってきてほしくない。そこで彼は、かんぽの宿を、郵政民営化の失敗にすり替えることを思いついた。

郵政民営化は正しい政策であった。その後の処理を、旧態然のままの政治家と官僚に預けて、さっさと身を引いたのが誤りであったのだ。もっとも、小泉さんは、官僚機構にメスを入れるには己の力不足を自覚していたのかもしれないが。

私はアメリカ追随のポチの彼は嫌うが、金にしがらみをもたない国内政治家としての彼は好きである。

メリー1

かんぽの宿の値段

鳩山大臣が、2千億円の物件を百億円そこそこで払い下げるのはいけないと怒った。

官民癒着がからんでいるから面倒なことになっているが、金額だけで言えば、怒る理由はない。

私が今度入手したパソコンは6年前の発売当時の十分の一の価格である。なんら不自然さは感じない。作った当時は、製造コストや利益など計算した上で、また、当然ながら、競合他社製品を窺いながら相応の価格であった。

かんぽの宿も同じである。5年、10年と市場に置かれれば、おのずから市場が評価してくれる。100億円かけても、魅力がなければ、タダ同然となるだろうし、1億円のものでも、評判がよければ、10億にも20億にもなるだろう。

問題を、叩き売りの次元で処理してはならない。現在100億円程度にしかならない物を、2000億円かけて作った責任を問わなければ、これからも幾度となく、繰り返す。

払い下げ疑惑は明治政府から続いている。官民癒着の構造が一大臣によって解明されるなんて期待する方が甘いというものだ。

中川大臣ヘベレケ記者会見(2) 報道記者の質の悪さ

テレビに映っていた中川大臣。彼は年中二日酔いのような苦悩の顔だから着席まではなんの“感激”もわかなかったが、口を開いた瞬間、びっくりした。酔っ払っているのだ。ろれつが回らない。話にならない。記者会見どころの話ではないのだ。

そういう彼を現場にいながら、テレビ局、新聞社他の記者は、まじめな質問をしらふで出し続けていた。彼らの全員が、中川大臣の泥酔に気が付いているのにである。

だれ一人として、お付きの者に、「これはまずいよ、何か理由をつけて引き下がってもらったら」と助言しなかった。

これは、記者連が大臣に遠慮していたためではない。それなら、まだ、彼らを小心者と笑って済ませられる。真実は、大臣の酔っている姿を見て、楽しんでいたのだ。実に下劣な態度である。

仮に、日本人記者の中の一人が、助言したとすると、「こんなニュース種はめったにない、どんどん大臣に醜態を演じさせよ」と周りの記者から袋叩きに遭ったことだろう。人の不幸を愉快に感じる卑しい職業人の集団である。

民放や新聞社は私企業であるから、私は原則として放任してきている。いちゃもんはつけてこなかった。しかし、今回ばかりは、腹が立った。いわんや、NHKにおいておや。NHKも記者を送り込んでいたはずだ。日本の代表に恥をかかせて、何が公共か。ヘベレケが笑われることは、ヘベレケ大臣を選んだ選挙民が笑い者にされることと同じであるだろうに。

中川大臣は何か適当な病名をつけられて、クビになるだろう。それだけではいけない。あの場に居合わせた記者たちも、厳罰に処しなければいけない。NHK、民放、新聞社のトップに勧告する。

中川大臣ヘベレケ記者会見 (1) 悪いのは誰だ

   主要各国が会議を開いて、そろって財政出動するという合意に達したという。数年先に、今よりさらに大変な不況が約束されたようなものだ。そんな内容は別に置くとすれば、中川大臣は、日本の代表としての大任を果たしことになる。

  列国に伍して討論した後のことだから、疲労の極に達していたに違いない。部屋に戻って安堵感に浸りながら、高級ブランディーを味わうのは、至福の一刻であったことも間違いない。平のセールスマンが小さな注文をもらって、その帰りに安飲み屋で一杯ひっかける気分と根本は同じである。

  そういう時は、わずかなアルコールでも酔いが回るもの。気難しい交渉相手を10人一まとめで接待する時の紹興酒やウォッカの乾杯がいくら続いても酔わない不思議と同列な不思議である。

  中川大臣は、自分ではなんでもないと思って、会見に臨んだが、すでに酔いが回っていた。だから、もう、酔っているという自覚がなくなってしまった。呑兵衛ならこの間の事情はよく理解できる。

  これからが問題である。

  本人に自覚がなくなれば、周りが察して、その場をうまく繕いながら、彼を退場させなければいけなかった。周りとは、お付きの医者(大臣の外遊となれば医者の一人や二人付いていくと思うから)とその場にいた担当外務省役人である。彼らは、一体、何を考えていたのか。大臣の最初の発言で、「こりゃ妙だ」と感づいたはずである。

  私は、大臣に向かって物を言う勇気がなかったからではないと踏んでいる。何が原因か分からないが、日頃の恨みをこの際晴らしてやろうという魂胆を医者も外務省役人も抱いていたためと思う。そして、内心、「いい気味だ」とほくそえんでいた。私にはこれ以外に考えられない。

  中川大臣のヘベレケには同情の余地がある。しかし、主人に万が一の時のためにこそ存在価値が認められる同行随員の怠慢は、一切の言い訳を許さない。彼らが、日本を恥さらしにしたからである。


タバコと大麻

高校時代、水泳部に席をおかせてもらった。泳げるようになったことだけでも十分感謝すべきことであるが、もう一つ感謝がある。それは、たばこを吸う気に生涯ならなかったことである。

いくら仕事が一段落した後の一服がいいといわれても、気分転換のためだけで、体にはよくない。息を吸うために口を開ける水泳にはご法度である。

たばこは、習慣性があるという。一度、吸うと習慣になり、その習慣から抜けるのは並み大抵のことではないともいう。

体に悪い、止められない。それなら、大麻と同じではないか。

相撲取りが大麻でクビになった。牢屋入りとなる。彼が土俵で大失態を演じたわけでないから、麻薬患者とはいえまい。ごく普通の力士として生活を送っていた。他に数人クビになった。

最近のニュースで知ったことだが、一回か二回試しに吸っただけで、相撲界から追い出された若手力士がいた。大麻を吸い続ければ、強い力士になれる可能性はゼロだから、世間が追放するまでもなく、いずれ自滅する。それだけのことである。ヘビースモーカーに水泳選手がいないことと同じである。

大麻は悪い。体に悪い。ならば、たばこは良いか。たばこだって体に悪い。ならばなぜ大麻は悪いのか。大麻は法律で禁止されているから悪い、それだけである。一方たばこは、法律で保護されている、それどころか国家が独占権を行使して国民に配布している。

たばこが良いのは法律で禁止されていない、それだけである。このふたつの「それだけ」の違いは、精神的、肉体的健康問題から来るものではない。

税金という稼ぎを国が独り占めにしたいからだ。大麻を禁止しなければ、たばこが売れなくなる、税金が入らなくなる。これが困る。

大学生に大麻がはびこっているそうな。極々一部の学生に吸われているだけなのに、マス・コミは大騒ぎをしている。たばこは、何人の日本国民が吸っているか。こちらの方を人数に比例して大騒ぎしてもらいたい。

私は大麻を擁護しない。しかし、法律だけを頼みとして、大麻を悪者にしたてて、たばこを容認する世論に文句は言っておきたいと思っている。悪法を尊重する悪癖が裁判員制度にも及んでいるからである。

LDからDVDへ 007シリーズと天下り官僚

ジェイムズ・ボンドの不死身は語るまでもない。悪者にボンドを殺す機会がいくらあっても殺されず、また、絶体絶命のピンチに遭っても、何か都合よくできていて生還する。一匹狼のヒーローだ。

一方、悪者はといえば、大悪人を頂点とする組織を構成している。バタバタとボンドにやられるのだから、大勢いなければならないのだろう。仮に、007が100人いて、悪者が一人となれば、どっちがヒーローになるか疑がわれかねない事態になってしまう。

その、悪者の組織は、信賞必罰、温情なんかひとかけらもない。007を始末できない子分は、即あの世行きである。

これから、高級官僚の天下りを連想してしまった。

官僚と業界の癒着が数十年前から日本政治のガンと言われながら、今も存在している理由をこの007に対する悪者の手下に見ることができたのである。

企業、すなわち経済活動体が、人を雇うのは、儲けるためである。私なんか何遍、「うちの会社は慈善団体ではないのだぞ」と叱られたか、数え切れない。官僚を引き取るのも、儲けるためである。高級官僚が霞ヶ関でブラブラしていても、一度、企業に引き取られれば、何か成果をあげなければならない立場におかれる。

最初の1年位は大目に見てもらえようが、2年目からは、業績に貢献しなければ、居心地が悪くなる。

だから、同僚や後輩がいる官庁から注文を取ってこなければならなくなる。他は、規制や制限の緩和で企業の商売がうまくいくようにすること、これをやらないことには007の映画の悪者の子分と同じ運命をたどることになる。

癒着はだからなくならない。これら二つは、いずれも、官庁とのパイプが不可欠であるためだ。

もしも、このパイプ役が演じられなかったら、どうか。企業にとって役立たずの無駄飯食いである。そんなになったら大変だから、天下り元官僚は、必死になって、天下り阻止活動に対し阻止妨害活動をする。現役後輩も、自分の将来像が先輩に見えるものだから、必死に阻止を阻止する。

ボンド映画をダビングしながら、悪者の手下が死に物狂いで007に向かう姿が、企業から見捨てられまいと必死に古巣の役所に拝みこむ天下り官僚に瓜二つであると、つくづく感じた。

政党助成金という身勝手なぶんどり金をのんびり受け取りながら、どうして命がけで己の存在価値を認めてもらおうとしている天下り官僚に対抗できる。

暖冬異変は異常気象か

気象庁は、数日前の暖かな陽気に「観測史上初めて」と頭につけて、その原因を解説した。日本列島を中心にした地図を指しながら、高気圧がどうの低気圧がこうのと、“検証”するだけで、それでは、なぜ、そんな現象が2月に発生したのかは、追求しない。

気象専攻の大学教授でなくても、地球温暖化が原因であることは、すぐわかる。これを気象予報士の口から出るとなれば、何か手を打つか、それとも何もしないか、が問われることになる。それは、大いに困る。産業界や政府が大いに困る。だから、だんまりを通す。

確か、福田前首相が、洞爺湖サミットで2050年には、温暖化ガスを半減すると公約したと覚えている。それは、累積した炭酸ガスなど温暖化ガスの総量を半減させるのか、あるいは、2050年の排出量を2008年の半分にするのか、ニュースを聞いただけなので、今もって、よく分からないままでいる。40年先の地球は、私にとってあの世より遠い存在だからだ。

それでも今年の夏、そして秋、またその後に来る冬くらいまでのことは気になる。まともな人間なら誰もが気になる直近の事態には、産業界の空洞化なんかを言い訳にして、うやむやにしてしまう。それがそっくり、気象予報士の解説に表れているという訳か。

仮に、単年度の数値とするなら、2050年を待たなくても、温暖化の心配はなくなる。総入れ歯の老人に虫歯が一本もないことと同じだからである。

景気の回復が最優先なんて言っている暢気ではないはずだ。

消費は不徳、もったいないの思想をNHKが発表

   3週間ほど前の夜9時過ぎ。夕飯を終えて、碁を打ち始めた。連戦連敗で、勝つまでは寝られないから、しかたなく打ち続けていた。そのうち、運が向いてきて、序盤で勝勢を築き、相手の投了を待つばかりとなった。ところが、この相手、未練たらたらで、やたらに時間ばかり使う。「いい加減に、負けを認めたら」と言いたいが、棋品にかかわるので、我慢をする。相手が打つそばから、パッ、パッと打ち返す。それでも、退屈なので、NHKの解説番組があるのを思い出し、観ることにした。

  世の中、不景気で、ゆたんぽが売れているとの紹介の後で、「私が子供の頃、みんな、もったいないの考えから、物は大切に、長く使っていた」とコメントした。女性アナウンサーもその通りというような按配で、「昨今の消費至上主義は反省する点が多い」というような話にまでなった。

  経済を語らせれば、二言目は決まって、「消費低迷の悪循環」と浪費を勧めているNHKがこんな考えを披露したのには、驚いた。大手新聞が束になってもかなわない全国規模世論誘導力を持つNHKのこの発言は、うれしい驚きだった。そして、ラジオばかりかテレビにもまともな考えを持った人間がいることを初めて知った。

  餓えてどうにもならない場合の食料購入を消費とは言わない。餓えず寒からずを越えた、どうでもいいような物を買うのか買わないのかの時に消費という言葉がでてくる。

  政治家先生、百年に一度など、大げさもほどほどにせんと。NHKを見直した。

  付:
  あまりにも熱心に番組を観続けたので、碁は、最後の駄目が詰まったのに気付かず、頓死。でも、その夜は気分良く寝られました。

人事院の親分の程度

    政治家や役人の名前を覚えるほどヒマはないが、この人の名前は簡単なのですぐ覚えてしまった。谷である。人偏をつければ「俗」、まさにこの名にした方がぴったりの人物である。

  曰く、「政府の行革によると、人事院の公平性が失われる」と。

  後で知ったことだが、当の本人は天下りの名人であるそうだ。こういう者から公平性という言葉がでるのだから、日本語も元祖漢語も悲嘆に暮れることだろう。

  彼の論法は、日本放送協会が、視聴者や有識者に問いかける「NHKの公共性はどうあるべきか」と軌を同じくした、問題のすりかえである。

  すなわち、人事院それ自体の存在が必要か否かを国会で議論しなければならないのを、人事院は不可侵との前提から出発している。

  天下りや渡り現象は、数十万人の国家公務員の極々一部、多く見積もっても、千人とはいまい。こんな少数の始末のために、国会がクソまじめな顔をして与野党でやりあっている。バッサリ切ってしまえば済むことである。これによって、数十万の国家公務員がガタガタになるとはとても想像できまい。

  公務員にスト権を与えない代わりに、身分保障を与える、その体制のために人事院がある。ここにも現行憲法の不合理が現れている。

  警察であろうが消防であろうが、スト権を認めてやればいい。日本人である警察官や消防員が、地元をないがしろにしてまでストを決行するはずがない。ストをするとなれば、余程の虐待が彼ら、彼女らに降りかかっているということで、使用者側である政府、その大元である選挙民が、考え直さなければならないいい機会となる。

  そもそも、天下りや渡りを繰り返す高級官僚にストは無縁な存在である。

  前に人事院不要説を訴えた。ここに繰り返す。

  付の1.
  国会で不毛の議論を続けるのは、政治家は舌三寸を使うのが愉快でならないからです。

  付の2.
  一部高級官僚の金銭を問題にすると同時に、政党助成金なる金銭も問題にしなければいけません。共に、税金で生計を立てている公僕ですからね。


小泉元首相と国家官僚 信長もどきから秀吉もどきに 

   公務員改革が盛んに叫ばれている。民主党の質問者が、新聞記事を持ち出して、福田内閣時代のものだと紹介した。福田赳夫のオチが入って見事であった。

  それほど、中央官僚機構はがちがちなのだ。だから、常識人では絶対に手を入れられない。無論、学識経験者や有識者は、問題外である。

  異能者しか改革できない。その一人として期待されていたのが、小泉であった。ところが、ふたを開けたら、なんのことはない、ただのホラ吹き、いや、それより悪い、弱い所だけを選んで”改革“してそれをもって改革と騙った大嘘つきであることがわかった。

  第一に、異能者である田中真紀子外相が、外務省で孤軍奮闘していたのを、助けるどころか、クビにしてしまった。外務官僚の勝ち。小泉は、外務官僚と戦う勇気など最初から持っていなかった。できないことが分かっていたからである。田中真紀子さんが本気になってケンカをし始めたので、驚いたというのが真相である。

  平成の織田信長と期待していた庶民はガックリしたことだろう。それだけならまだしも、政治から足を洗うと言って、出処進退の潔さが注目されたそばから、今度からは息子をよろしくだと。ボケが進行した晩年の秀吉とそっくりになってしまった。ならば、秀吉の半分くらいまともに政治を司っていたかというと、ただただ日本をかき回しただけ。自民の郵政民営反対組の復活を見れば、よく分かる。

  民主党が官僚機構の抜本的改革を断行すると豪語しているが、勝負は政権奪取後のわずか3ヶ月と私は踏んでいる。それ以上延ばせば、官僚に丸め込まれるに決まっている。そのために、民主党は、異能者を10人ばかり集めておくことだ。松下政経塾出身者や労働貴族出身者では、官僚機構の改革は荷が重過ぎる。

  ウソとホラの小泉があっと驚くほどのホラ吹きであり且つ小泉に欠けていた行動人。狭い日本だ、くまなく探せばいるはずだ。

  国家官僚の消滅のために廃県置国を実現させる。この一県一国の実現が私の理想日本だが、その前にやれることといったらこの程度ではないか。やらないよりはましだ。

物体移動 棒温度計の巻 完結編

   あれから心配で心配で、ニュースなどまったく耳に入らなかった。自称憂国の士、形無しである。

  他所から自分の家に来る物は、一体何が来るかわからない。だから、不気味なのだ。自分の家の物なら、驚くような物、例えば、ストラスバリのバイオリン、原子力空母ジョージ・ワシントン、タラ ンチュラ、しゃれこうべなどがないから、安心していられる。

  買った覚えの無い棒温度計も、あるいは、自分のものではないか。それをじっくり考えてきた。そして、一つだけ可能性のあることに気が付いた。

  昨年春、地ビールキットを購入した。自宅で手軽にビールができるというもので、必要な道具と消耗品が一式揃っていた。あるいは、その中に棒温度計も含まれていたのではないか。早速、押入れの置くに突っ込んだままのキット袋のリストを調べた。案の定、棒温度計が載っていた。現物は袋の中にない。台所の棚に移動していたからだ。新品であるのは、すでに一本持っていたからだけのこと。

  すべてが氷解した。人間とは本当に現金なもので、この物体移動がすっきりしたとたんに、日本の政治が再び腹立ちの対象となってしまった。

  私の物体移動を信用しない人は、私が何を言っても、結局は信用しないと思う。イエス・キリストの時代と少しも変わっていない常識に止まって一歩先に進もうとしない臆病者が人類の圧倒的多数を占めているから仕方のないことと諦めている。

  ここに1912年生まれの政木和三氏の話を紹介する。保険組合から毎月配られたH&Lというパンフレットの中の記事である。今年78歳となっていたから、1990年発行である。

    ~~~~~~~
  「1976年、知人宅で友人たちと談笑していると、突然まばゆい光とともにテーブルの上に大黒様の像が出てきたんです。それから、食事中、口の中に違和感を感じたと思ったら、中から真珠が出てきたり、自宅の庭に果実酒が一年半もわき続けたり。喫茶店で支払いをするとき、サイフを忘れたのに気付いて困っていたら、忽然と一万円札が現れたり・・・『これでもか、これでもか』という感じで神秘的な現象がおきてくる。これには神仏を認めない強情な私もさすがに折れました。そして、あるときあちらの世界から『われは八幡大菩薩である。汝、永年にわたり陰徳を積たるが故に、汝の寿命を延ばし、大いなる力を授く』という声が響いてきたんです。陰徳というのは数多くの発明をしたにもかかわらず、自分の収入とせずに、他人の幸せに尽くしたということらしいんです」
    ~~~~~

  原子核の中の構造やくらげの発光など、現代科学の次元で解明できる事をいくらやっても少しも偉くない。実証、検証の域をでないからである。物理学の本質、エネルギーの解明に敢えて挑戦しようとしない平凡な学者ばかり世にはびこっていることを嘆く。空中浮遊・物体移動などに立ち向かう勇気を学者に持ってもらいたい。

  この身辺雑記は、それを願う気持ちから書かれたものである。


国会中継 麻生総理は病人である

   精神的に問題のない人として彼を見るから、めちゃくちゃな答弁に腹が立つ。

  総理大臣就任からの言動を振り返ってみると、そして、昨日・今日の二転三転の話を聞いていると、脳に異常をきたした人間に向かうように彼を温かく見守ってやる以外にないのではないか。

  私の同じ1940年生まれだから、68歳か。ボケが始まっても少しもおかしくない年齢である。病理学的になんと言うのかしらないが、彼は、すでに自分が何を言っているのか、まったく自覚できていないのである。

  もちろん、自分の発言がどのように日本が影響されるかなど、てんで頭にない。思考できないのである。

  外交に強いなどは外務省のお膳立てに従ったまでのこと。外国に行けば、客人として丁重に扱ってくれるのは、外交辞令のイロハ。手土産を両手に抱えていれば、なおのこと。

  自民党は、一刻も早く総理大臣を代えなければいけない。何人代えようが、野党がなんとわめこうが、現行憲法の下では、改選まで身分は保証されているのだ。

  そして、彼を早く日本に実害のないどこか知らないが地元選挙区に帰ってもらって、後援会の人たちとこれまた実害のない温泉にでもつかってもらうことだ。国会でボケ老人を見ているとその哀れに私は耐えられず、マス・コミに小突き回されているのをみていると、脳の病人をそれほどまでにいじめたいのかとマス・コミに憤りさえ感じる。

  悪いことは言わない。代替を用意しなさい、自民党様。

小泉元総理 一院制提案から思う

     ねじれ国会の弊害を理由に挙げて民主党他野党が解散を迫っている。いくら迫ろうが、麻生首相が嫌だと言い続ける限り、糠に釘である。

  それでは、板に釘ならねじれは生じないのか。

  民主党が政権を担当することになった。しかし、あれこれ人気が落ちる事が連続し、やはり民主は駄目だと、次回の参院選で、少数党になる。自民が過半数を占める。ねじれ国会となる。

  世論調査を見れば、選挙民の政治に対する感覚と芸能人に対する感覚に大きな差の無いことがわかるし、ひょんな事で一気に人気失墜に見舞われる。今でこそ、民主党が優位にあるが、ねじれ国会にならないと考える方に無理がある。2院制が続く限り政権交代の節目節目に必ず生じるものと考えるべきである。

  それだから、国会は一院制にして、6年任期、3年毎に半数改選を私は主張してきた。

  先日、小泉さんが一院制を提唱していると知って驚いた。いつからそういう考えになっていたのか、私は知らない。少なくとも、彼が総理の間は、一院制に移行すべしとの国会演説はなかったように覚えている。

  この小泉さん、私とよく似ている。エルビス・プレスリーのファンである。オペラ好き。ここまでは笑っていられる。次に「民、信なくば立たず」を座有銘としている。参った。どうしても彼の言動に結びつかないのである。竹林の清談として私が使うのは、実害がないが、彼は日本の最高権力者である。

  続いて、ウソとホラが得意である。「自民をぶっ壊す」とホラを吹いたり、ブッシュ大統領がイラクは大量破壊兵器を持っているといったから私はそれを信じただけとウソぶく。

  そして、極めつけが、彼も私も人間としての重みがまったく感じられないことである。この共通項は、近親憎悪というのか自己嫌悪というのか、とにかく彼を運悪くテレビで見てしまうと、深夜まで寝付けなくなる。

  彼を見ていると、テレビで見せるあの笑いが人を馬鹿にしていることがよくわかる。

  私は今、できるだけ人に遇わないようにしている。それは、彼の好みや性分と私のとがそっくりであるのだから、私が人と遇うと、多分彼のように人を馬鹿にしたような笑顔で会釈しているに違いないからである。人に不快感を与えることはよくないことである。小泉さんは一億数千万人に与えても、なんとも感じないだろうが、小心者の私には我慢がならない。この点だけは、彼と違っている。残念だ。

  付.
  人間の軽さについて。同じ軽さでも、彼のは軽薄で私のは軽率です。

物体移動 今度は温度計

   このブログにはホラとウソがかなり混じっていることは、当の私が認めるところである。

  しかし、今日の出来事は、真面目、シリアス、深刻である。

  私は、燻製作りとドブロク・地ビール作りのために100℃まで測れる温度計を持っている。燻製ドラム缶に吊るすために、温度計の頭にヒモをつけている。買ったのは、石巻市内のホームセンターで、かれこれ5年は使ってきている。ガラスが飛び散らないように、透明な粘着テープを巻いている。

  ノコギリ、草刈り機、パソコンは万が一の時のために予備を持つことにしている。しかし、緊急性の低い温度計は、これ一本だけである。2本をまとめて買うことはしていない。

  それで。

  今日、風もなく穏やかな日であったため、午後早めにヤギと犬を連れて散歩に行った。出掛ける前に、台所の棚に置いてあったその温度計を手にとり、地ビールを包んでいる電気毛布の温度を確認した。毛布に入れたまま、散歩に出た。

  2時間後、家に戻り、毛布の中から温度計を取り出し、目盛を読んで、元の棚に戻そうとした。

  すると、そこに、温度計が一本、何食わぬ顔でのっているではないか。手に取ってみれば、新品である。毛布から出した温度計と同じエンジ色のケースに、まったく同じ形の温度計が入っていた。

  散歩の前に、2本を認めれば、どちらにするか、選択したはずである。そうまでしなくても、一本を取り上げたとき、同じ棚にあるもう一本を認識したはずである。散歩から帰って、もう一本があることに違和感はなかったはずである。

  昨年のメガネは、自分の持ち物が家の中で発生した物体移動の実証である。今回の温度計は、我が家にない物が我が家に入ってきたことになる。この温度計は、どこかのホーム・センターから移ってきたのか、それとも、メーカーから直接来たのか、私には分らない。分っているのは、ない物があるということだけである。

  これは、メガネとは次元が違う。自分の持ち物が自分の敷地の中で移動するのは、「ああ、動いたか」で済む。しかし、他所から物が我が家に入ってくるとなると、薄気味悪い程度を越して、物によっては恐ろしい事態まで想像してしまう。

  日頃、イマジネーションの豊かさを自慢にしている私、小国寡民も、麻生首相がどうの高給幹部官僚がこうのと言う余裕がなくなってしまった。こういう時には、想像力が災いをもたらす。

  ある時間だけ自分が何をしたのか記憶にない人間は映画でさんざん観てきた。まさか、自分がその主役を演じているとは思えない。

  精神界に詳しい住人の話では、この島は、「場」が非常に強いそうだ。特に、私の住んでいる近辺は、それを感じるという。鬱蒼とした森の小径を歩いていると、私でも確かになんと表現していいのかわからないがある種の「気」は実感できる。この気はとても心地よい気であるが、今日から、もうそんなおおらかな雰囲気で歩けなくなってしまった。

  毎週更新しているこのブログから、読者の皆さん、私がボケていると思われますか。日常生活の朝起きて、尺八を吹き、散歩に出て、碁を打って、映画を観て、夜寝る。この毎日に、一刻の空白も存在していない。すべて連続して私は記憶している。それでも私のボケと言われるのなら、私はさっさと店仕舞いをした方がましである。

  月曜まで、私一人の頭の中に収めておけなかった。くどいがこれは真剣に書かれたものである。

  付:
  私が観た中で最もおぞましい映画がミッキー・ロークの「エンゼル・ハート」でした。

タバコは体にいいか。酒の大飲みは体にいいか。

   こう尋ねられれば、日本人の99.9%は正解を出す。その半数は、何を今更、と質問者の頭の程度を疑う。

  先日、厚生労働省の技官部長が、長生きの条件として、99.9%の日本人と同じ正解を発表した。

  9万6千人の日本成人を10年の間、追跡調査して、それで分かったことは、タバコを吸っている人が吸わない人より短命であること、酒を月に2~3回しか飲まない人のほうが、大酒飲みより長命であること、こんなことを部長さんが得々として語っていた。追跡データを統計的手法で今後2~3年あれこれいじりまわしヒマをつぶすつもりだろう。

  バッカじゃなかろか。

  こんな結果を得るために、厚生労働省の役人は己の時間、すなわち税金を使っている。

  国会の予算委員会は、予算を一括了承するものだから、その先で何が起きているのか、てんで関心がない。

  奇しくも、NHK がニュースに取り上げてくれたから、知ったものの、そうでなければ、永遠にこの部長さんのムダは明るみに出なかった。

  付の1:
  最初、こんなくだらない事物をニュースにしたNHKに腹を立てましたが、よくよく考えると、こんなくだらない事物を役人が平気でやっていることを暴露したのですから、感謝しなければと思うようになりました。

  付の2:
  「こんな」の連続使用でした。すいません。
s-a0131浪入田

大気汚染観測の衛星打ち上げ大成功

    埼玉の大した都会でもない所から、ここ、ど田舎に移って真っ先に驚いたのが、ゴミに関する言行不一致である。

  島はゴミだらけ。それではいけないと、役場の方の指示であろう、「ゴミを捨てない」という看板をめぼしい場所に立てる作業をしていた。

  そんなに若くない作業員(島の人間も入っている)は、一段落すると、一服する。ご当地では、ドリンクに人気があり、なにかというと、ドリンクが出てくる。汗を拭きながら、ドリンクをうまそうに飲む。ここまではいい。その後に、たて看板の奥の林にぽ~んと空ビンを投げ捨てる。

  ある移住者がやんわりとたしなめたら、「うんだね」と口で言っておきながら、これみよがしに、2本目を放り投げた。

  大気汚染は、測定機器を満載した衛星で分布状況を調べるまでもない。肝心なのは、汚染を防ぐことである。政府関係省庁の役人や学者が、「調べた結果、やはり汚染は広がっていました」と言っても、だからなんだ、としか返答のしようがないではないか。

  ロケットの打ち上げは、大量の二酸化炭素を排出する。調べてどうするかは机の上の論、打ち上げは実体ある汚染である。

  昭和30年ころからヒマ人が増え続け、やたらに調査や検証がはやり出した。その中には、地震予知という地震・津波の検証集団も含まれるが、事の本質に立ち向かおうとせず、本質の周辺をうろうろしているだけである。こんな科学や技術で日本がよくなるとはとても思えない。

  しばらくは、ロケットなんかに金を使わず、それでどれほど国民にマイナス影響があるかを見定めて見たらいい。国家公務員の技官の2割や3割あっさり削減できるのではないか。

  付の1.
  ロケット打ち上げが、大陸間弾道ミサイル研究であることも認識しておきましょう。

  付の2.
  この移住者は、私のことではありません。最近は、漁具までゴミとなって山に捨てられています。行政の無理な指令が理由ですが、これは、いずれ。

s-a0131モモとリッキー

2月2日の国会中継 国会の仕事と行政の仕事

   どうして、こうも枝葉末節ばかり国会は取り上げるのだろう。

  現下の不景気ばかり話題にしている。これは、立法府より行政府、すなわち、日ごろブラブラしている国家高級幹部に、テーマを与え、それの対策案を出させ、その適否を論議すればいいことだ。

  定額給付金も、このメリット・デメリットを幹部に調べさせ、それを元に、国会で議論する。これが筋である。

  非正規雇用者の失業対策も然り。具体的な対策を彼らに策定させ、それを国会が議論する。そうすれば、厚生労働省、総務省、防衛省他みんなでプロジェクト・チームを作って、いいアイデアを出すようになる。ただ政治家の言ったことを実施するだけでは、「仕事のし甲斐」はゼロである。

  ならば、国会は何を論じるのか。

  国のあり方、これである。アメリカに端を発した百年に一度の経済危機というのは結構。危機と表現する以上、好ましい姿でないことを認めている。なぜ危機が起きたのか、将来にわたって危機の再来を防ぐ手立ては何なのか。こういう議論こそ政治家の仕事である。

  こういう問題に最もふさわしいと思われる日本共産党の国会質疑でさえ、大企業のおごりを繰り返すばかりで、数十年来の姿から一歩も成長していない。今こそ、資本主義とは何かを語る絶好の機会であるはずなのに。

  民主と自民のやり取りを聞いていると、さらに悲観的になってくる。こんなことでは、本当に物騒な世間に日本がなってしまうぞ。

裁判員制度のパンフレット

  裁判員制度のパンフレットがポストに入っていた。郵便やメール便でないことは、封筒の表が白紙であることでわかる。

  多分、行政が区長を通して、各戸配布したのだろう。

  白紙といっても、下にこんな文言が載っている。

  裁判員制度
  みなさんが刑事裁判に参加する制度です
  私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します。

  「みなさん」と呼びかけておきながら、「私」が続く。これでは文脈が通じない。

  「参加する」もおかしい。「強制参加させる」ないし「参加しなければ罰せられる制度です」

  私の視点:新聞やテレビで気安く語れる多様性。それが視点である。殺人事件は生身の人間の命の問題である。殺人事件に視点があったら何のために裁判官がいるのか。

  私の感覚:殺人事件の証拠物件を閲覧して愉快になるか。

  私の言葉:長い人生、殺人事件について何か言葉を用意したことがあるか。

  内容はすでにこのブログで言い尽くされたようにふざけたものだから、今更おどろかないが、多色刷りのパンフレットの豪華さにあきれた。印刷業者が大儲けしたことは確かだ。

  それでもせっかくだから、チラッとみると、パソコンの解説書のようなQ&Aがあった。一点だけ確認しておきたかった事もあったからだ。

  それは、辞退者に対する罰則である。

  思っていた通り、どこのページにも記されていない。辞退できないとあるだけだ。

  嬉々として参加する者はともかく、参加したくない、できれば参加したくないが8割を占める国民になんのインフォメーションがなされていない。(カタカナを使ったのは、この制度がアメリカ追随制度であるからだけのこと、他意はない)すなわち、国民の8割が最もしりたい肝心要の情報が、この数種の豪華パンフレットに不記載なのである。

  こういう不心得な不作為行為を、私は見逃さない。

  ついでに、言う。証拠物件を見せられて、気分が悪くなった裁判員には、心理カウンセラーがきちんと対応すると、最高裁か法務省役人がえばって語っていた。人を不幸にして、その不幸を救う。だっだら、最初から人を不幸にするな。

  これからも、このブログでなんどもいちゃもんをつける。刑事裁判、それも重大な事件だけに絞ったこの制度は、極め付けの悪法である。アメリカの陪審員制度と同じように、民事裁判(国家高級幹部役人・企業の不正等々)も含めるのなら、この悪法の減一等の斟酌はある。

  民事は複雑だって?アメリカでは普通にやっているではないか。それとも、日本市民はアメリカ市民ほど理性と常識が備わってないとでも言う気なのか。

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