老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

海賊退治 その2 日章旗の軍艦はダメね

    のっぴきならない立場の商船を国は知らぬ振りはできない。当然である。海賊に話し合いを持ちかけても、通じない。これも当然である。前のブログはここまでだった。

  だから、私は、前から、商船に海上保安庁職員を同乗させよと提案しているのである。職員の実は、自衛隊の精鋭部隊から選ばれた兵隊でいい。出向の形式を取る。命掛けの彼らには彼らが納得するような武器と装備を与える。

  海賊の船をテレビで見ると、私の所有する船外機船よりは立派だが、沖合い何百海里と追えるほどのものではない。それほど広くない海域の護衛に当たってもらえば十分であろう。

  危険水域から出た商船から、職員と武器をヘリで吊り上げ、危険水域に入る商船にピストン移動させる。

  海上自衛隊の駆逐艦一艘もインド洋に浮かべておけば、十分だ。わざわざこのために出動させなくても、アフガン給油などに使われている軍艦で間に合うのではないか。昔のバイキングなら話も大きくなるが、ソマリアの海賊相手ならこれで十分である。

  朝鮮のミサイルと同様、軍需産業と愛国政治家連は、恐怖心を国民に植え付けたいがために、大したことでない事を、大げさに騒ぐ。大衆はそれを真に受けるとでも思っているのか。その手は桑名の焼き蛤ときたもんだ。

  日章旗を掲げた軍艦を日本領海の外に出してはならぬ。憲法で決められているのだ。護衛が必要なら、軍需産業と愛国政治家からが猛反対するだろうが、気にすることはない、堂々と外国の軍隊を雇う。金で解決できれば安いものだ。

s-a0105じゃまするリッキー

海賊退治 その一  のっぴきならない

    私の眼が黒い間、日本の首相から絶対に聞きたくない言葉をついに聞いてしまった。

  「異国の地における邦人の生命・財産を守ることは国家の責任である」

  わずか60余年前同じ理由から、軍隊をアジア各地に送り出し、その結果がどうなったか。私と同年昭和15年生まれの麻生が知らないはずがない。

  国家の責任の後に続く言葉は、外交交渉ではなく、軍事行動である。

  海賊相手に外交があるかって。ないにはないが,問題をはぐらかさないよう頭を冷やして考える。

  ソマリアの沿岸に海賊が出没し始めたのは、最近のことである。少なくとも、20年前の私は、ニュースで聞いたことがない。

  ソマリアの人間をして海賊というのっぴきならない立場に追いやる。その結果、周りに言わせると手っ取り早い金儲け、海賊に言わせると好きでやり始めたわけではない金儲けとして、近くを運行する商船を襲う。商船を有する国は、放置するわけにいかないというのっぴきならない立場に追いやられ、止むを得ず軍隊を派遣することになる。

  軍需産業と愛国政治家の見事な合作である。大衆はコロリと参ってしまう。アメリカという後ろ盾があるものだから、第二次世界大戦のような損はしないと愛国政治家は踏んでいる。その通りである。日本国民が安心して外国に行けなくなればなるほど、軍隊の価値が認められ、軍需の増加が約束される。軍需産業が喜ぶ事態となる。

  損はない。その通り。彼らに損はない。損をするのは、国民の方だ。その損を損でないように錯覚させる巧みさに私は口惜しいが舌を巻く。


s-a0111じゃまするモモ

幸せ一日と不幸せな一日

   敬老の日の行事に市長が市内一の高齢者を訪ねるというのがある。この時は、後期高齢者の見本でありながら、長寿で大変おめでたいと行政が祝う。

  「おばあちゃん、長生きの秘訣はなんですか」
  「毎日が感謝です。ありがたい、ありがたい」

  生きている以上、不平・不満があろうに、嫌な思い出もあろうに、そういうレベルを超越した心境にちがいない。

  私にはとても無理な話だ。なぜなら、毎日が幸福と不幸のどちらかであるからだ。

  幸福な一日。
  朝の目覚めがいい。昨夜の夢がなんだったか忘れている。昼まで尺八を鳴らすことにしているが、長管(二尺五寸)の筒音がすんなり出てくる。首を縦に振っても、回しても思った音程になってくれる。

  午後は、モモ(犬)とメリー(山羊)の散歩。だいたい一時間から一時間半、県道、市道、山道とヤギの道草に付き合っても、人に遭遇しない。モモが落ち葉の間の十円玉を見つけ、口にくわえて持ってくる。警察には届けない。ネコババだ。

  夜は、囲碁。連戦連勝。苦手相手にも大勝する。このまま続けていたいが、暖房の灯油がもったいないので、そこそこで打ち止めとする。寒いから私設映画館は休館状態にある。

  不幸な一日。
  低血圧と寒さが重なって、なかなか床から出られない。昨夜の夢が思い出されて、不愉快になる。恥ずかしさの余り「わぁ~」と声がでると、モモが何事かと顔を上げる。

  気を取り直して、尺八の練習。長管がさっぱり鳴らない。しーしーという空気の音だけ。こういう時は原点に戻ればいいと思って、標準管(一尺八寸)に持ち替えるが、これも鳴らない。こんなはずはないと吹けば吹くほど、喉が鳴る(猫じゃあるまいし)。

  散歩に行く。ズボンのポケットからあふれ出している一万円札を目ざとく見つけたメリーが、さっと口にくわえる。怒りに顔が赤くなって追うが、ぴょんぴょん跳ねながら逃げる。その間にも一万円札が見る見るメリーの口の中に消えていく。

  夜。憂さ晴らしにアルコールを入れたあとの碁は、連戦連敗。普段相性のいい相手にもコロリと負け、「次回もよろしく」というメッセージ。素直に受け取れない。勝って終わりにしないと、寝付けないものだから、ラジオ深夜便の時刻まで続ける。灯油の減り具合を気にしながら打つのだから、勝つわけがない。仕方なく、負けのまま、終わりにする。着手のポカが頭から離れず、軽率な自分に嫌悪を抱く。

  こうした幸せの一日と不幸せの一日が存在する限り、とても「ありがたい、ありがたい」の心境には達せない。それが、交互に来るのならまだしも、1週間のうち5日は不幸の一日だから、たまらない。

  不幸せの一日に駄目押しがある。それはパソコンの不調である。最近特にひどくなった。原因や理由を言わず、ただ、「使えません」が繰り返され表示されれば、誰だってストレスが溜まるはずだ。

  やれやれ、今日はまあまあの一日だったと安全・安心を確認しても、発売後10年のパソコンに向かうと、まあまあの一日が不幸な一日に暗転する。

  このような日一日で私が長寿番付上位に進めるはずがない。諦めているが、別に悔しいとも惜しいとも思わない。

  でも、「ありがたい」の気分にだけはできるだけ浸るようにしていくつもりでいる。

  私の年頭教書である。

 付:パソコン、買い換えました。

パソコンとの相性

   私は、何事も大体は自分は正しい、相手は悪いとすぐに考えてしまうあまり誉められた性分でない。これは、自覚している。

  それにしても、パソコンには泣かされる。大昔のBASIC搭載のPC-8001が懐かしい。今は、何がなんだか分からないまま、WINDOWSを使う。動かない理由が知らされないまま、ただ「駄目です」の画面。これでは、ストレスが溜まる一方だ。

  よくよく読むと、WINDOWSという代物、買ったものでなく、借り物であることがわかる。使わせてもらっている状態である。金を払ったとはいえ、ネット・オークションで安く手に入れたものばかり、WINDOWSの会社に少しも貢献していない。といって自分でプログラムを作るには残り時間が少なすぎる。結局、あきらめる以外方法がない。始末が悪い。

  8年位前からだろうか、まず98を入れた。4年ほど使ったが、機械が故障したので、2000に換えた。それも、昨年末からおかしくなり、どうにもこうにもならなくなった。すなわち、順調に運んでいるかと思っていると、予告なしに、「駄目です」がやってくる。年中、駄目なら踏ん切りもつくが、そうでないから、「もう少し使おう」という貧乏人根性が抜けきれない。

  しかし、ついに、諦めた。そして、XP搭載の2003年製の機械を購入した。別に自慢するわけではないが、しかもノート・パソコンである。

  これで日ごろのストレスが解消されると思うと、急に気分が晴れてきた。

  附の1.
  道具はいいものを用意すべし。と言って、最上の物を用意することはない。大古人間には中古で十分だ。

  附の2.
  これまでのパソコンはすべて富士通の業務タイプ。よく働いてくれてきた。落札金額は、発売当初の大体10分の1位。

  附の3.
  NTTの回線もプロバイダにも問題がないのだから、インターネットと機械のいずれか、あるいは、両方かに問題が生じているのだろう。私には分からない。

  附の4.
  実際は、NTTの通信速度に問題がある。旧石器時代のISDNなのだ。光通信に換えても、投下資本の回収は永遠に不可能。私は無理なお願いをNTTに言わない。

非正規雇用者には同情でなく尊敬を

   その1.非正規雇用者は哲人である。
  古代ギリシャにディオゲネスという哲学者がいた。金なく家なく、日永ぶらぶらしていた。あまりにもかわいそうに思ったのだろう、町の政治家か資産家が、何か手助けしようと彼に尋ねたら、
ディオゲネス:「ひとつある」
政治家:「どうかおっしゃってください」
ディオゲネス:「今、日向ぼっこをしているのだ。君が私と太陽の間に立っている。すまないが、脇にどいてくれ」
確か、中学英語の授業で習ったと思う。無所有の思想なんかてんで分からなかった年頃だ。ただ、当時のギリシャの人たちが、どうして白い布一枚で冬を過ごせるのか、それだけが不思議だった。

  その2.非正規雇用者は風流人である。
  私は松尾芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が大好きである。道中、寝込んでしまえば、私の所はエリア外だが、ケータイで、慈恵医大付属病院か都立墨東病院に電話を掛ければ、彼ほどの有名人のこと、救急車かヘリが迎えにくるだろう。それをせず、枯野を選ぶ。その先は、いうまでもなく、野垂れ死にである。風流の極みである。健康保険を拒否し、病気を心配せず、なったらなったで枯野を駆け巡ればいいと達観している非正規雇用者は、芭蕉並みの風流人である。

  その3.非正規雇用者は覚醒者である。
  日本人ならイソップ寓話を知らないはずはない。アリとキリギリスの話は特に有名である。現代のアリは、20年の住宅ローンを背負って、会社では上司から、どこから見ても白なのに、「黒だ」と怒鳴られ、家では、カミさんから、どう考えても黒なのに、「お前さん、私が白というのに文句を言う気かい」と脅され苦笑いしながら従う、そうして定年まで生きながらえる。それがなんぼのものかは、鎌倉時代に吉田兼好が教えてくれている。

  その4.非正規雇用者は同時に非自己疎外者である。
  唯物史観を持ち出すまでもなく、現代社会において無産階級の人間が、どこかの組織に組み込まれ、そこで労働力を提供する。その何割かが給料となって、生計が成り立つ。この現象を、あるグループは、組織の歯車になり、自己疎外の矛盾を抱えた開放されるべき人間と言う。非正規雇用者は、すでに解放された人間である。

  これだけ立派な非正規雇用者を、周りの凡人や俗人、それに常識人が、よってたかって、「あなたがたは、不幸、不運だ」と彼らの耳元でささやく。ささやくどころか、あるNPOにいたっては、組合まで作らせて、路上を行進させる。

  ご丁寧に、マス・コミまでが連日報道する。そして、国会でまじめな顔をして、議員連中がああだこうだとおせっかいをやく。

  周りで騒げば、本人たちも、不幸の代表のごとく錯覚してしまうのも当然である。

  解雇された非正規雇用者の一人が、マス・コミのインタビューに応じて、「今夜はあの橋の下で寝ます。ははは」と笑って答えた。契約社員などの問題の答えはこれに尽きる。

  私が、非正規雇用者の契約切れの件で、もう自動車製造業に戻るな、陶淵明コロニーに行くことだと提案しているのは、彼らに同情をしているからではない。

  狭い日本に、8万7千人の哲人は要らない。一人か二人で十分。残りは、山間僻地で農に勤しむ。こうあるべきと思うからである。

東北の冬も結構

   私は冬が大好きだ。

  その訳は、散歩にある。雨さえ降らなければ、メリーの餌さ食いとモモの散歩を兼ねて、必ず外に出る。2時間の日もあれば1時間で済ます日もある。冬と夏とでルートを替えている。
 
  冬のルートは、林道である。もっとも自分の家が林道の中間にあるので、いやおうなく林道を歩くことになるが、それでも冬はいい。

  理由の一.
  落葉樹が葉を落とし、うっそうとしたジャングルでも、上を見れば、青空が見える。日本海側でお役目を果たした雲が、千切れちぎれとなって、足早に東に向かっていく。どうせヒマな身分だ。首が痛くなるまで見とれて過ごす。

  理由の二.
  落ち葉がじゅうたんとなって、老人の足首とひざにやさしい。さくさくと音がするのも気持ちいい。ところどころ、枯れ枝が小径をふさいでいるが、ついでに脇に寄せる。石油がなくなっても、炊飯だけはできる。この安心感に浸る喜び。

  理由の三.
  外敵、宿敵がいない。マムシは木の枝から飛び落ちてくると聞いてからは、暑い夏の日には、やむなく帽子を被る。これが苦痛である。もちろん、誤って踏みつけたら、マムシも怒るだろうから、長靴を履かないわけにはいかない。これも暑い夏には苦痛だ。さらに、音だけはうるさいスズメバチ。音だけならいいが、刺されたら大事だ。他のハチも多い。こちらが何かしなければ襲ってこないことは経験済だが、その何かの基準が明確でない。まだある。やぶ蚊である。竹やぶの中だから仕方がないと言われればそれまでだが、刺されて痒いと感じた時は、すでに手遅れである。心臓の神経は人一倍敏感なくせに、皮膚の神経は働きが悪い私の宿命か。冬の山はこういった心配が皆無である。頭には存分紫外線を浴びせられるし、980円也の中国製運動靴で歩ける。

  理由の四。
  あまり大きな声でいいたくないが、人に出会わずにすむ。もともと年金暮らしの高齢者漁業だから、住民のほとんどは、昼間、家でテレビを見ているか寝ている。だから、四季を通して、人の通りは少ないが、ことに冬は少ない。二日や三日、日本語らしき日本語を話さないまま過ごすのは普通である。会えば、挨拶をする、「おや、久しぶり」とつい長い立ち話となる。メリーがどんどん先に行けば、「これで失礼」となるが、道草を食い始めたら、テコでも動かない。長話は、家に戻ってからどっと疲れが出る。

  私の冬好きはこんな理由からである。昼間の外出の話しで今日は終わったが、冬の夜も、またすばらしい。いずれ。

機関投資家の撲滅運動を

   実体経済:「昨年は、お前のためにさんざん苦労したよ」
金融資本:「なに言ってんだい。たっぷり甘い汁を吸っておいて。誰のお陰と思っているのだ」
実体経済:「分かったよ。もう今年は、お引取り願いたいね」
金融資本:「オレに言われてもお門違いだね。日本政府やアメリカ政府に、これ以上、紙切れを印刷するなと言ってくれ」

  国会の議論を聞いている。まだかまだかと期待しているが、いつまでたっても、昨年来からの金融危機への正面からの取り組みが出てこない。

  大手政党は、2兆円で終始し、零細政党は、臨時工の運命を天下の一大事としている。

  おかしい。

  金の額は枝葉末節の議論である。どこにいくらをバラ撒こうが、事の本質にまったく関わりのないことだ。

  金融資本に手を入れない限り、問題の解決にならない。それどころか、補正予算が大型になればなるほど、将来、輪をかけて、しっぺ返しが返ってくる。

  政治家やマス・コミの気持ちがわからないではない。彼らは、資本主義だけはなんとしても維持したいと望んでいる。なぜ望んでいるかと言えば、資本主義でなくなれば、民主主義が損なわれると信じているからである。

  これは大きな間違いである。社会主義国家と独裁、資本主義国家と民主、この図式自体が誤りだからだ。なるほど、かつての社会主義国家、今の社会主義国家、これらには、人民独裁であったし、今もそうであると言える。ならば、資本主義と民主は同一であるかと言えば、否である。

  この錯覚は、資本主義思想家のアメリカの自由を引き合いにした巧みなプロパガンダによって日本国民に植え付けられたものである。

  私は、資本主義でなくても、民主主義と自由は可能である、それどころか、資本主義でないことが、民主主義と自由のためになると信じている者である。

  金は必要、私有財産も認めよう、ただ、金に金利をつけてはいけない、これだけで、資本主義は解体され、まっとうな社会になる。

  こういうことを、国会で議論してもらいたい。

s-a0121リッキー

周作先生 ボケの真相

   物事の中には、ある日、突然はっきりするものがあるようだ。この周作先生のボケもその一つと思う。

  試写会当日の1。リンカーン・コンチネンタルのリムジンが、先生の館の車寄せに着く。制服・制帽の運転手が、「先生、お迎えにあがりました」と敬礼する。周作先生、「ああ、ご苦労」と乗り込む。一眠りする。「先生、着きました」、「ああ、ご苦労」と言う。試写会が終わる。リムジンに乗る、一眠りする、館に着く。「ああ、ご苦労」といって書斎に戻る。

  試写会当日の2。愛車フェラーリに乗る。銀座の渋滞に巻き込まれる。すると、通行人の一人が、「あれ、周作だ、周作だ」と大声で叫ぶ。群集に囲まれる。呼びつけにされたのは、愉快ではないが、有名税と思えば安い。気分よく、試写会の特等席に座る。帰りは、渋滞もなく、時速200キロで首都高速を通過する。書斎に戻り、次の試写会には、ジャガーで乗りつけようと決める。

  試写会当日の3。1時間に1本のローカル電車に乗り遅れまいと、必死で家を出る。あわてていたので、財布を忘れる。切符を前借りする。駅員とは顔見知りだし、常習犯だから、問題ない。帰りの電車賃は、主催者に寸借する。常習犯だから、問題ない。

  周作先生の風貌からして、2は絶対になかろう。1は、あるかもしれない。最もあり得るのは、3である。

  まあ、そのいずれかでもかまわないが、これをすっかり忘れたと先生は書いている。あの記事はまさか代筆ではあるまいし、あれだけ書けてボケとはどう考えても不自然である。

  前回のブログ以来、どうもすっきりしないままできたが、二つのキー・ワードで氷解した。それが週刊誌と映画評の二つである。

  周作先生は、車の中で眠ったのではなく、映画の上映中に、居眠りしてしまったのだ。たぶん、映画のタイトルが映されてから5分もたたないうちに、映画のあまりのつまらなさにあきれ、そのまま居眠りをしてしまった。場内が明るくなって、目が覚めた。

  さあ、大変。書評なら、手元の贈呈本をゆっくり読み返せばいいが、試写会となれば、「悪いけど、もう一度、映画映してよ」と頼まない限り、ロード・ショウまでお預け。これでは、映画評が書けない。

善人の塊のような周作先生は、悩みに悩んだ。そして、名案を思いつく。連載の週刊誌に、自分のボケを告白するのである。若手の編集者からみれば、周作先生も百歳を過ぎためでたい人も同じである。ボケは言い訳になる。

  編集者に直接、「ぼくはもうボケたよ、ごめんね」とは言えない。それで、週刊誌に寄稿した。これは、編集者も必ず読む。そして、「ああ、先生もボケが始まったか、哀れ」と同情してもらえるかもしれない。同情はもらえなくても、週刊誌からは、まちがいなく原稿料がもらえる。

  遠藤周作先生のボケは頭にトが付くボケであった。

  周作先生の件は一件落着となったが、残るは、私のメガネ問題である。本当に自分でメガネ・ケースに入れて、一年以上開けたことのない整理箱にしまったのだろうか。それを覚えていないとなれば、真性のかつ極めて重度の「認知症」患者である。まさか。

  こういうわけで、私は、今もって物体移動を確信し続けている。

  付の1.
  周作先生は絶対に天国に行っている。私は、ウソの塊だから、閻魔様の所に行くにちがいない。だから、このブログで失礼を語っても、直接,苦情は受けないですむ。

  付の2.
  キー・ワードというハイカラな言葉を私は知っています。エヘン。

渡辺元大臣の離党

   自民党から色々非難が出ている。これはマス・コミのインタビューに自民党に残っていたいと考えている議員しか応じなかったからである。

  「さすが渡辺さん。大いに結構」などと内心思っていて、それをそのまま口に出したら、己の地位が危うくなる。だから、渡辺元大臣にひややかな視線と自民党を判断するのは、間違いの元になる。

  右往左往は高見の見物でいいが、一つ、気になった発言があった。

  「渡辺さんは、地元でがっちり組織ができているので、何をやっても選挙に勝てる。あれだけの事が言えるのも、地盤がしっかりしているからこそ。いい気なものです」

  これは自民党議員の言葉である。

  議員は政治家である。己の主義・信条を、有権者に訴え、それに賛同してもらい、選挙の時に票を入れてもらう。これが順序でなければならない。地盤や組織は後からついてくるものである。

  地盤がないからといって、信条を公開できないようなら、議員・代議士の議が泣く。議は義と言で成り立っているではないか。

  どこの県の代議士かしらないが、少なくとも、宮城出身ではない。一県民として、あのような代議士を選んだ不名誉の責任を負わなくて済むことを幸いとする。

s-a0120モモとリッキー

行政改革 織田信長の一向一揆鎮圧

     旧体制の打破に、例外を許すとどうなるか。

家臣1:「あのお寺は、将来、世界遺産になりますから、残しましょう」
家臣2:「あの仏像は、国の宝、残しましょう」
家臣3:「大変きれいな筆ですから、あの経文は残しましょう」
家臣4:「あのお坊さんは、笛の名手です。活かしておきましょう」
家臣5:「親思いの坊さんがいます。彼も活かしておきましょう」
家臣6:「どこのお寺を残すか、誰を残すか、みんなで、じっくり、話し合いましょう」
家臣7:「我々の知らない中に、まだまだ沢山残す物、残す人がありそうです。ついては、お寺の代表からも聞きましょう」
家臣全員:「一年位かけて、それから攻めましょう」

織田信長:「黙れ!」

  天下り人事の撤廃は、すべて一度にやらなければならない。

  前の高級幹部が退職金をつまみ食いしてきて、自分の番になってゼロでは、現役高級幹部が死に物狂いで抵抗するのは当然である。

  特殊法人が、自分の組織を自分から否定するはずもない。民への貢献を表に出して、なんだかんだと理屈をこねる。

  「黙れ!」の一喝が麻生首相の口から出ない限り、天下り制度はなくならない。

  麻生首相には織田信長の爪の垢ほどの決断力もない。だから、行政改革は口先だけ。どうせ、すぐに落ち武者になるのだ。気楽なものよ。

  付の1.
  爪の垢と決断力は無理な語法です。煎じて飲ませたいと語る価値さえ私は認めないということです。

  付の2.
  織田信長の配下にこんな優柔不断の家臣がいたとは思えません。

日曜討論会を見て その三 2兆円と1万2千円

    正月のテレビで、大臣が定額給付金を受け取るか遠慮するかが、大問題となっているように報道されていた。

  野田聖子大臣は、「税金ですから、ありがたくいただきます。地元で使って少しでも地元の景気の回復に貢献したいと思っています」と言っていた。

  他の大臣も、それぞれ、インタビューに応えていた。

わずか、1万2千円。それをどうするかと一国の大臣に問い掛ける、マス・コミの程度の低さに呆れ  たが、討論会でも、金融危機の発生原因の究明をほっておいて、金の話ばかりであった。

  一口に2兆円というが、アラビア数字で表すと、普通の人間なら、目を回すゼロが続く。

   国の定額給付金 2,000,000,000,000円
   大臣が受け取るか聞かれた給付金 12,000円

  こんな巨額を扱おうとしている大臣連中がになんで給付金の使い道に気を回さなければいけないのだ。

  付:
  朝10時からの日曜討論会、正月とあって、尺八の慣らし吹きの合間に見ました。この番組を初めから終りまで観る人は、よほどの忍耐強い性格の持ち主です。囲碁は、すぐ5段、尺八ならすぐ師範格、保証します。私は公明党の発言とその後のごちゃごちゃの言い合いに嫌気をさして切ってしまいました。 

日曜討論会を見て その二  定額給付金

   公明党の代表が、口を尖らせて、「4人家族で4万円、ありがたがらない世帯がどこにありますか」と定額給付金を賛美していた。

  私は、このシーンを見て(観たのではありません)、映画「バットマン」を連想した。

  ジャック・ニコルソンが巨大な風船人形で通行人を驚かせ、そして、お札をばらまく。ある者は宙に舞っている札に飛びつく。ある者は地面に落ちた札を拾う。みんな必死である。無理もない。天から降ってきたお金だ。

  ニコルソン、しばらくは群集の浅ましさを眺めて、それからおもむろに、毒ガスの栓をひねる。

  天から降ってくる、地から湧いてくる、それで金が手に入るのなら、誰でも、むろん、私でも、喜んで飛びつくし、拾いあげよう。

  うまい話にはトゲがある。そもそも世間にうまい話なんかないものだ。

  公明党の代表は、そのトゲを語らなかった。

  2兆円で経済が上向くと仮定する。その水準を維持するためには、更に2兆円が必要となる。そうしなければ、今回の天から降ってきた金で消費した分が維持できないからである。一体その金はどこから出てくるのか。公明党の代表のサイフからではない。

  映画のニコルソンは悪い事を自覚して悪い事をするから救われるが、公明党の代表は、善行との信念でやるというのだから、始末が悪い。

  あな、恐ろしや。

日曜討論会を見て その一  消費の低迷

    定額給付金を巡って、各党の幹事長かなんかが盛んに議論をしていた。

  あれだけ政党がありながら、消費者が物を捨てない、持っているものを大事に使っていく生活態度がまっとうな社会であると主張した代表が一人もいない。

  なにがなんでも、金を使ってもらわなければならない。さもないと、企業から労働者、市民すべて不幸のままである、こんなムード一色である。

  公明党にいたっては、金がなければ与えればいいではないか、とメチャクチャな発言を真顔でしていた。

  メチャクチャと思うのは私だけかもしれない。しかし、多数の考えが正しいとは限らない。たとえ少数であっても、私はメチャクチャであると真顔で発言する。


腹八分目

     私はこの言葉が大好きだ。

 日本の自動車が世界で大人気があるのは結構だが、だからと言って、日本の販売台数の何倍もの数を輸出するのは異常である。

  日本の食料自給率が40%そこそこであるという。これも行き過ぎである。

  自動車の生産台数の8割は国内。残る2割を輸出に向ける。食料は8割を自給する。残りの2割を輸入に頼る。

  この程度が、日本経済が病気に罹らない妥当な比率である。

  今、日本の自動車産業が輸出の落ち込みで大変であるという。買ってくれる相手に金がなくなれば、買ってくれなくなるから、当然である。それを、無理やりに金を押し付けて買わせようというのだから、話がおかしくなってくる。

  自動車生産に係わった契約社員に、もう自動車業界に未練を残さず、さっさと田舎に移って農作業に専念しなさいと、提案しているのは、腹八分目の健全性を日本社会に取り戻すべきであるとの考えによるものである。

昔の奴隷制と今の奴隷制

    アメリカの黒人のほとんどは奴隷商人によって強制移住してきた末裔である。アメリカ合衆国ばかりか、カリブ海の島々の黒人も同様である。

  なぜ、奴隷が必要とされたのか。言うまでもなく、主人が、彼らの労働によって、儲かるからである。

  今の話。銀行が融資をする。これは、100で働いている企業に金を与えてもっと働いてもらい、稼いだ金を貢いでもらいたいためである。

  貸し渋り、貸しはがしを世間銀行の社会責任の見地から非難するが、銀行とはそういう性格のもの、潰れそうな、あるいは、成長が見込めない相手に金を貸すわけがない。危ないと思えば、真っ先に融資の回収を図る。

  自分の金、すなわち自己資金の範囲で己の身の丈にあった商売(生産・販売・サービス等々)を続ける限り、最悪、店じまいで終わる。連鎖倒産を起こすことなく周りに迷惑を掛けないで済ますことができる。

  銀行は金を貸す。もっと儲けろとけしかける。儲からないとわかれば、いち早く金を取り戻す。一度、規模を大きくしてしまえば、もう元にはもどれない。融資元本は返さなければならない、利子も付けなければならない。

  虚業である銀行は、実体経済の担い手を着膨れ、水ぶくれにして、働かせる。今の奴隷制度である。

  昔の搾取と今の搾取。資本論を読むまでもない。

  付:
  仕事柄、かなりの銀行員と交流しましたが、彼ら、彼女らは、なべて真面目で、人付き合いのいい人ばかりでした。制度が悪いのですね、制度が。


ワーク・シェアリング ネック(障害)はローン(借金)に在り

     正規雇用者の週一日分を、賃金共に、失業者に与えよと先に提案した。その時、ローンの支払猶予が必要と付け加えた。

  正月明け、経営者側が、ワーク・シェアリングも検討すると言い出した。古い前に正社員とパートのことでブログに書いたと思うが、労働の質は優劣がないのである。経営者が、どちらでもいいですと言うのは、少しの痛みもない、なんの努力も必要としない提案である。

  問題は、労働者側にある。

  正規従業員は、勤務先が有名であればあるほど、銀行が金を貸したがるから、車は買います、家は建てますと、ローン漬けとなっているのが普通である。普通というのが言い過ぎなら、10人に1人は、ローンを組んでいるだろう。

  可処分所得が、仮に500万円とする。ローンが100万。この人がワーク・シェアリングで週休3日になったら、どうなるか。ローンが100万なら、残りは300万。400万でやりくりしていた人が300万に減れば、家計の方が悲鳴を上げる。当然である。

  ワーク・シェアリングは大体大手企業で採用されるもの。その労働組合員の1割でも、こういう姿であれば、組合はその1割の反対にあって絶対にワーク・シェアリングを受け入れない。

  だから、100万のローンを支払猶予にしなければならない、そのくらいの痛みは銀行が負ってしかるべきと書いたのである。

  そんなことをしたら、貯金者からの引き出しの応じられないって。どうせ、銀行に預けるほど余った金である。返さなくていい。しばらくは、麻生さんの消費税ではないが、景気が回復するまで支払猶予にしてしまうのだ。

s-0102モモ影絵

金融手品師

     年収5百万円の大手企業の社員か国家公務員にご登場願う。

  自動車が欲しくなった。40万円を店に持っていったら、「あ~ら不思議」4百万円の高級車が手に入った。

  家が欲しくなった。4百万円を持っていったら、「あ~ら不思議」4千万円の家が買えた。

  彼の年収では、とても無理と思われていたが、いとも簡単に4千4百万円の資産が手に入った。

  これを仲間に話したら、こんなうまい話はないと、こぞって車と家を手に入れた。

  するとどうなったか。車は増産に次ぐ増産。家は新築ラッシュ。自然な成り行きである。年収5百万の客を相手にして自動車会社は4百万円まるまる受け取れるし、住宅建設会社は4千万を受け取れるから。

  この不思議は、言わずもがな、金融手品師のトリックによるものである。トリックの形容詞はトリッキー。大和言葉に換えれば、「油断のならない」となる。「狡猾・ずるい」とも通じる意味だ。

  舞台の手品師同様、彼らは笑顔を絶やさない、虫も殺さないようなやさ男である(やさ女でもいいが)。観客は、「あ~ら不思議」の連発。分けのわからないまま幸せな気分に浸る。

  舞台の手品は結構なことだ。木戸銭は入る時に払い済ませているのだから。

  金融手品師の「あ~ら不思議」は、そうはいかない。1年後、5年後、長ければ10年後先と忘れて欲しいほど長い間木戸銭の請求書が届けられて来る。

  その時の手品師には笑顔はない。情け容赦ない資本主義の般若に一変している。

  あな、恐ろしや。

  付:
  ベニスの商人はお芝居ですからね。

パレスチナ問題に手を出すな

     「口を挟むな」が適切か。国連、アメリカ、欧州などがあれこれやったり言ったりしても、かまうなと言いたい。

  理由は簡単、当事者に解決する意志が表面とは裏腹に全然ないからである。

  もしも、イスラエルとパレスチナが仲良しになったらどうなるか。

    第一.イスラエルの軍需産業とその関連産業に打撃を与える。アラブ諸国との緊張関係があればこそ、最新鋭兵器の開発と生産、そして実績をもとにした輸出が可能なのである。

    第二.アラブ産油国の王侯独裁国家に、民主化の国内政治活動と富の再配分が求められるようになる。これは、アラブの金持ちとって大変好ましくない姿である。

  この2点を巧みに操作しているのが、アメリカのユダヤ資本とアラブの産油国である。王侯独裁国家は密かにパレスチナに武器弾薬類の調達金を流す。パレスチナ人は、それでイスラエルを攻撃する。下手をすれば自分たちに向けられるべき不満がこんな程度のガス抜きで済めば、ロケット砲代なんか安い物だ。

  イスラエル政府も、イスラエル政府だ。パレスチナ人を挑発して、戦争を止めようとしない。軍需産業が潤いつづける。

  だから、アラブ側・ユダヤ側の権力者が共に、解決を望んでいない以上、国連がいくら声明をだしても、パレスチナ問題は解決されない。

  解決できない政治問題は、問題にしても仕方がない。パレスチナの民の悲劇は、他の政治劇と同様、文学の世界に引き受けてもらう。

  すっぱい結論だが、仕方がない。

  付の1.
  イスラエル政府がイスラエル国民をかわいがる、アラブ諸国がアラブ人をかわいがる、アメリカ政府がアメリカ国民をかわいがる、すべて、錯覚です。「政権に従順な部分の」をそれぞれの国民の頭に修飾しなければいけません。日本の政治を見ればうなづけます。

  付の2.
  本題、日本政府がアメリカ・イスラエルに物が堂々と言う覚悟があれば、別です。

  付の3.
  日本人はとかく政治、とくに国際政治に対して情緒(人道)を持ち込みたがります。政治は冷厳、非情なもの。その補完が、文学です。私は、ミハイル・ショーロホフの「静かなるドン」で悟りました。

s-0109モモとリッキー

現金(げんなま)以外に手を出すな

     ジャン・ギャバン主演の映画「現金に手を出すな」のまぜっかえしである。

  国会は、定額給付金ですったもんだやっている。アメリカ発の金融危機がなぜ起きたのか、再発防止にどのような手段があるのか、等々、いつの間にかうやむやになってしまった。

  「金さえ払えば文句あるめぇ」は落ちぶれた渡世人のセリフである。それを国会議員が恥ずかしげもなく堂々と国会で使っている。

  金融危機は、現金以外に手を出したから起こったものである。現金だけの商売であれば、絶対に起きなかった。

  ここに議論の焦点を当てなければ、金融危機というドラキュラは、体を大きくしていきながら何度でも蘇生する。

  付:
  現金すなわち金塊という良き時代のギャング映画です。観たと思いますが、筋は全然覚えていません。題名だけが印象に残っています。

山賊との戦いの次は海賊との戦い

    現役の頃、ニーズを的確に掴んで、商品化し、市場拡大に努めよとハッパをかけられたものだ。トップは、それに満足せず、ニーズがなければ、種を蒔けと、英語のシーズという言葉を使うようになった。

  昨今の海賊騒ぎを聞くと、戦争商売人のシーズ作りの巧みさに敵ながらつくづく感心する。

  山賊は言うまでもなく、アフガン。海賊はソマリアである。

  いずれも、帝国主義兼金権主義国家の介入さえなければ、清く、貧しく、美しい国となって今日を迎えられた国々である。

  私はソマリアの国名を知らなかった。今でも、アフリカのどの辺にあるのか知らない。

  ソマリアを知ったのは、かの福岡正信師の語りによる。

  彼の哲学体系の完璧さは別として、ねんどだんご農法は有名である。ソマリアに出かけて、砂漠化した地をねんどだんごで見事に緑化した。NHKのテレビ番組で、その時のアルバムを開いて見せてくれた。使用前・使用後の宣伝はとかく俗悪であるが、その写真は正反対、蘇った大地と喜ぶソマリア人たちであった。鼻をヒクヒクさせながら、自慢げに語り続ける。こういう時の福岡正信師は好々爺である。

  その彼が、一枚の写真を指しながら、四国弁で「アメリカ兵が行きよったから今はどうなっているものか」と、悲しい目でポツリと言った。

  彼の眼差しの鋭さは、震え上がる程強い。時折、茶目っ気も見せる。そのどちらかしか知らなかった私が、その時に見たのは「深い悲しみ」の目であった。

  彼が大事にしていたソマリア。戦争仕掛け人代表の政治家が見ると全然違った様相を示す。

  ソマリアの海賊に悩まされている。海賊行為は悪い。つぶせ。自衛隊を出せ。自民も民主もノーとは言えまい。

  こうして、テロとの戦いが、海賊との戦いとなって、自衛隊の海外派兵の大義名分を構築していく。

  げに、戦争商売人はシーズ作りとその育成に長けているものよ。

  付の1.
  タンカーや商船が襲われていいわけがありません。自衛隊は使ってはなりません。外国の軍艦を雇うのです。アメリカから買って、アメリカに差し上げる油のお金を、それに充てましょう。ソマリアの海賊船をテレビでみる限り、ビクトリア女王の海賊船とはとても比較にならないほど貧弱です。イージス艦なんか雇わなくてもいいです。

  付の2.
  あれらの貧弱船では、マラッカ海峡までは追ってこれません。わずかなサーチャージで済むでしょう。

  付の3.
  最悪、海上自衛隊員を海上保安庁職員に転職させて、商船に乗り込ませるのはいかがでしょうか。武器・弾薬は十分装備して、海賊に、日本の商船は襲うだけ損だと一度ひどい目に遭わせればいいのです。

  付の4.
  絶対にダメなのは、日の丸軍艦をソマリア沖に向けることです。こなったら、もうどうにも止まりません。

  付の5.
  福岡正信師の哲学に少々難しいところがありますが、それは、25歳でわかった天才の書だからです。私のレベル(階層)は、この点をわかりやすく補っています。

国は身代金を払ってはならぬ

    野球に盗塁という手段がある。ベースに立っている限り、相手は手の出しようがない。ベースを離れた途端に、危険が迫る。その危険を犯しても次のベースに進む。目指す先のホーム・ベースに一歩でも近づくためだ。味方の打者の努力無しで進むのだから、危険を伴うのは仕方がない。だから“盗む”という。

  四面海の日本にいれば、このイメージが何の違和感もなく受け入れられる。ベースは日本、その間は外国である。

  今日、長く人質となっていた日本女性が解放されたという。無事に生きて祖国の土を踏めるのだから、本人はもとより、親族、関係者、みんな、喜びに沸いているころだろう。ここまでは、人情で通る。

  しかし、どうやって解放されたかとなると、一考が必要だ。犯人が、突然、良心の呵責に耐えられなくなったとは到底思えないからである。

  そう、身代金という金がからんでしまう。いくら払ったかはどうでもいい。問題は誰が払ったかである。

  仮に、日本政府が払ったとしたら大変な過ちを犯したことになる。

  先ず、金を払えば、それだけ、国庫が減る。身代金が一億円とすれば、一人の市民のために一億円を使ったことになる。国内でコツコツ働いている人間に顔向けできまい。

  次に、身代金が絡むと、どうしても、誘拐ブローカの世話になる。それが地元のボスかもわからないし政治家かもわからない。とにかく、日本の外務省の高給取りのでる幕ではない。ブローカに斡旋料を払う。

  次に、外務省は、それに便乗して、上乗せする。隠し財産を外務省に蓄えようとする。

  2億円の身代金だったら、1億円が犯人に、3千万がブローカに、7千万は外務省の内部留保という割合になるのではないか。

  政府は払ったことさえ公言できないのだから、総理大臣も2億円と言われれば、「そうか、いいでしょう」となる。誰も、追求できない闇の金である。ブローカへの金は必要経費といえなくもないが、便乗金は邪まな蓄財である。

  この私の勘を、外務省の担当役人は、笑うかあきれるか。いや、小国寡民、案外、いい線を突いているものと、感心するに違いない。

  付の1.
  外国に行く目的は様々です。観光、賭博、商売、人道支援、布教、逃亡、それこそ数え切れません。それらを例外なく、私は政府の身代金支払いを認めません。外国に出ることは、完全な自己責任においてなされなければならない、これが大人の世界だからです。

  付の2.
  ただし、国内、たとえば、仙台から羽田までの乗客が、ハイジャックされたら。政府はなんとしても生きたままの状態で人質を取り返さなければなりません。その責任は絶対です。

  付の3.
  カタログを背負ってあちこち外国に行った私。会社は誘拐保険を密かに掛けていました。損保会社と保険契約があると知れれば、誘拐犯が気楽に誘拐するので、公然とは絶対に言いません。でしたが、雰囲気で分かります。屋台で上役をおだてて、いくら私に掛けたのか、聞こうとおもえば聞けましたが、度胸がありませんでした。小国寡民には100億円掛けていると言われれば、帰りの電車のなかで、「オレは100億円だぁ」と叫ぶに決まっているので、そのまま誘拐される始末となります。でも、どう自分に甘く見積もっても、良くて、100万円、悪くすると100円。どっちにしてもためになりません。聞かなかったのは正解だと思っています。

  付の4.
  エーゲ海でリフレッシュするのも結構ですが、そんなヒマと金があったら、誘拐犯との外交交渉に磨きでもかけブローカに頼らなくしたらいかが、上級外交官諸君。

裁判員制度 四悪党の揃い踏み

  新聞はありがたい。

  法曹トップが協力呼びかけと題し記事があった。

  島田最高裁判事は、「国民の皆さんを裁判員として迎え入れる準備は整ってきている。多様な人生を歩む裁判員と専門家の裁判官が知識と経験を共有し、精神的な負担も分かち合いながら最善を尽くせば十分」などと協力を呼びかけた。

  大谷最高裁事務総長は、裁判員候補者の辞退の申し出に対しては、早めに検討し、義務を免除するなど、国民の負担軽減を図る考えを表明した。

  樋渡検事総長は、「パワーポイントを駆使する立証など法廷がわかりやすくなった」などと迅速な裁判になることを強調した。

  宮崎日弁連会長は、「(裁判員制度の実施を)延期すれば変化の芽を摘むことになり、問題の多い今の裁判が続くだけだ」と指摘した。

  新聞の小さな活字を一生懸命書き写したのは、私が四悪党と呼ぶ理由を知ってもらいたかったからだ。

  多様な人生を歩んでいることと人を裁く判断能力とは無関係である。専門家の知識と経験が、判例の暗記・検索にあると考えれば、大問題だ。犯罪は多様な人生のオン・パレードである。それの知識と経験が不足しているなら、先ず、そちらから、解決しなければなるまい。六法全書をくまなく覚えていても、クソの役にもたたない。

  その上、精神的負担ときた日には、呆れて物も言えない。市民は裁判を社会の必要悪と認める、しかし、自分たちはかかわりたくない、裁判官は代わって職業として携わってくれている。だからこそ、裁判官に高給を与えているのである。すなわち高給と身分保障は精神的負担に対する対価なのだ。それを、何を寝ぼけたのか、「分かちあう」という。

  その上のその上がまだ続く。

  「義務を免除するなど、国民の負担軽減」とはどういうことだ。免除は、「本当はそうであってはいけないが、特に貴殿に限って免じて許す」という意味だ。公僕の分際で民に向かって、何が「免じて」だ。国民の負担軽減。これも笑わせる。自分たちで勝手に押し付けておいて、30キロの袋は大変だろうから、せいぜい20キロの袋を背負ってくれ、と、ありがたい思し召しをのたまう。

  ついでに言うと、整いつつある準備とは、法廷の部屋のことを指している。建設業者、内装業者、家具屋、照明器具、冷暖房業者、みんなが手分けして「箱物」を作り、金を儲けた。肝心の、「人を裁くとは何か」については全然“整って”いない。

  最後に、彼らの心配する「問題の多い今の裁判」について。

  NHKのニュースを聴いている限り、多いとされている問題の一つとして、市民に説明されていない。むちろん、私は、現行司法制度の問題をその根源から知っている。知りたいのは、彼らが何を問題としているかである。それを明らかにせず、ただ、変化の芽を摘むなと言われても、ハイそうですかとはうなずけるわけがない。

  そして、問題があるのなら、なんで当事者たる自分たちで解決しないのか。出来ませんというのなら、それも結構。その時は、高給と身分保障を、さっさと返上することだ。

  精神的苦痛を分かち合おうと提案しておきながら、自分の俸給・賞与は分かちあわないのは、虫がいいのも程がある。

  四悪党は以下の通り。

  ・大谷最高裁判事務総長
  ・島田最高裁長官
  ・樋渡検事総長
  ・宮崎日弁連会長

  ここに彼らの悪名を長く伝承すべく記す。

  付の1.
  大手新聞、昨年10月1日の「あなたも裁判員」の記事によります。

  付の2.
  4人が笑顔で団結を誇示するかのように握り合っている写真が載っていました。白黒写真です。カラーはもったいないとその新聞社が判断したとすれば、立派なものです。

  付の3.
  10月1日は、「法の日」だそうです。それにちなみ、9月30日に日本記者クラブで共同記者会見したということです。

  付の4.
  現行司法制度の問題は、憲法第九条に対する最高裁の姿勢をみれば明白です。国の根幹を時の政治に委ね続けて、恥を感じない、この姿勢です。

  付の5.
  「隠し砦の三悪人」ではないが、悪人はどことなく間抜けやおっちょこちょい特有のユーモアの響きがあります。彼らにはもったいないですね。

裁判員制度 巧みに避ける国保横領事件

     茨城県の国民健康保険団体連合会の会計課主任が11億円余りを横領した。検察側は懲役15年を求刑。発覚したから正式には元がつくが、発覚しないままなら11億が20億、30億と増えて今でも会計課主任、うまくすれば、課長に昇進しているかもしれない。

  問題の1.
  11億も、最初は10万円かそこらだったはず。バレないことが証明されて、3年弱の間300回以上続けたという。

  その間、上司は何をしていたかというと、「上司は新聞を読んでいただけ」で、「(上司には)絶対に発覚しないと思った」とこの主任が告白している。

  「読んでいた」のは誤認で、ただ「開いて」時間をつぶしていただけである。この人が、部下の管理という上司の職責をまっとうしていれば、11億は、横領されなかった。

  問題の2.
  多分、この上司、現行の裁判では、連座されないだろう。気の弱い人間なら、辞職願い、太っ腹なら、もっと上の上司の穏便な計らいでどこかへの転勤で済ます。

  問題の問題。
  こういう役人の怠慢に対して、裁判員制度がまったく非力であることである。主任は11億を弁済するまで50年だろうが100年だろうが懲役、上司も同罪、主任と一緒に弁済のため残りの人生で償う。良識ある市民が10人集まれば、10人とは言わぬまでも8人はそう判定する。

  最高裁はこれが恐ろしい。こんなことに市民の良識が発揮されては、身内の役人に顔向けができない。

  私は今年ほど、「よい年でありますように~」を年賀状に載せるかどうか迷った年はなかった。5月に裁判員制度が施行されるのが分かっていたからである。

  血生臭い刑事事件だけを押し付ける裁判員制度、恥を知れ。

  付:
  ある大手新聞、昨年9月30日の夕刊です。

NHKの公平性と数字の公平性

      本当に甘いお汁粉には、少々の塩が入っているそうな。

  正月のオチャラケ番組の合間に、契約を打ち切られた非正規雇用者のサイフの中身を民放テレビが見せていた。金の無い視聴者はお呼びでないスポンサーで成り立っている民放だから、オチャラケを引き立たせるために、非正規雇用者を塩代わりに登場させたのだ。

  サイフの中身は金1700円也。テレビ局員が、「全部ですか」と聞くと、「全部です」と答えた。ヤラセにしては芸が細かく、多分、出演料かなにかの名目で、幾ばくかの謝礼は手にしただけだろう。

  ビッグ・スリーの会長が、アメリカ議会の非難を避けるため、年収を1ドルにしたと、NHKがニュースで流した。

  1700円もひどい貧乏だが、1ドルと言えば、100円だ。どうやって暮らすのか、栄華の夢、今いずこなんて風流を言っていられまいと、半ばいい気味だ、半ば哀れに思ったものだ。

  話しが違うことが最近分かった。彼らは、それまで、年収100億円だったということだ。全部が全部現金ではないだろうが、そのうち1%でもドル札だったら、年1千万の生活を10年続けれらることになる。

  何年前からCEOになったのか知らないが、3年とすれば、30年間、年収1ドルで、1千万円の生活が送れることになる。テレビでみた限り、30年が経つ前に、長旅にでそうな歳格好な者ばかりだ。

  ここで、「はは~ん」と気づいた。

  NHKは、1ドルも知っていたし100億円も知っていた。両方をニュースに出せば、1ドルに誰も同情しない。これは困る。アメリカ産業のシンボルである自動車産業に傷がつく。それで、100億円はカットした。

  私は、他の手づるで知ったからカラクリが分かったものの、そうでない視聴者は、永遠に年収1ドルに同情しつづけるだろう。

  アメリカ放送協会こと日本放送協会は、このようにウソをつかないやり方で、大衆を誘導している。数字の公平性を巧みに利用するNHKに、ご用心。

金本位制の復活

     経済学者は経済を命の次に大事にし、金融評論家は金融を命の次に大事にする。経済成長を願う人種は経済成長だ。彼らの共通点は、発想の原点が現状のシステムの中にあるということだ。

  彼らから見れば、金本位制など、話題のわの字にもならないはずだ。

  人は、大戦前の世界恐慌の再来と言う。色々なデータを集めて、比較し、似ている所を指して、再来と言い、似ていない所があれば、ある人は今をまだましと言い、ある人はもっと悪いと言う。

  まあ、どういう解釈でも勝手だが、一つだけはっきり頭の中に入れておかなければならないのが、昔はドル紙幣が金の塊にいつでも換えられたということである。

  だからと言って、世界中の国がドル紙幣を手に入れたそばから金塊に換えたわけではない。然り、いつでも金に換えられるというだけで、ドル札をありがたがり、各国政府は競ってドル札獲得に奔走していたのである。

  アメリカの中央銀行の地下には、多分世界中に出回っているドル札の合計額の1%はおろか、0.001%もなかったのではないか。それでも、世界がドルを疑わなかった。これが信用というものだ。

  形式とはいえ、金塊と交換できる約束がある以上、むやみにドル札を輪転機で刷るわけにはいかなかった。派手に刷ろうとすると、アメリカの内部で、必ず、「おい、大丈夫か」と声がかかったはずだ。

  今、世界各国でバラマキが始まった。印刷機がフル回転する。大丈夫もへったくりもなくなった。

  金融危機に対する処方箋は、金本位制復活以外にない。アメリカがやらなければ、日本が一国でやればいい。無論、その時点で、福沢諭吉、樋口一葉や野口英生は“刷新”されることになる。

  金融危機を根源までさかのぼると、こういう結論に行き着く。

物体移動 もう一つの可能性

     世の中には、他人の話をなんでも信じる人と、一切信じない人がいる。

  また、話し手によりけりという人もいることも知っている。

  私は、その話し手の中でもかなり信頼の置ける一人と自負しているが、他人はそう思っていないかもしれない。

  だから、物体移動は現実にあったとしても、信じない人がいても不思議でない。中には、小国寡民もオカルト信者だったのかと、怒りだし、これまで「老いの一筆」を読んだ無駄な時間を弁償せよと訴えるかもしれない。

  そこで、常識的かつ退嬰的な解釈をすることにした。

  そう、私のボケである。

  何かを手に持っている。電話が鳴る、カラスが叫ぶ、頭に落ち葉が落ちる、そのとたんに、手に持っているものをどこかに置く。電話が終わった時には、もうその何かはすっかり忘れている。

  不便を感じなければ、いつまでもそのままである。不便を感じて始めて、「あれ、どこだっけ」となる。置いた場所にたどり着けば、「ああ、ここに置き忘れたのだな、ボケが」と、苦笑いで置いたことを思い出す。

  七十近くにもなれば、あの秀才だって多分こんな程度だろうと、古い仲間を連想して、自分を慰める。道連れだ。

  ところが、今回のメガネ騒動は、発見しても、置いたという記憶がまったくないのである。単に置くだけでなく、物置の棚に置かれた整理箱の、またその中のメガネケースに入れる。一連のこれだけ複雑な動作をしたのなら、わずか3か月前のこと、忘れるはずがない。

  ここまで来て、嫌な記憶が蘇ってきた。作家遠藤周作先生、評の依頼で数日前に観た試写会の映画が雑誌編集者から催促の電話があっても、「なんだっけ」と応対して編集者から「ふざけないでくださいよ」と笑われたと告白した。映画を観たことを覚えていないとのことである。こんな記事を何かの週刊誌で読んだ。彼は、自分にボケがついに来たと書いていた。週刊誌を読んだのだから、電車通勤時代、もう20年も前の記事である。ボケとはこういうことかと他人事と受け取った。

  物体移動でなければ、私の周作先生に劣らぬボケとなる。私のボケとなれば、このブログはボケ老人の作となる。本人は結構真面目に書いてきたつもりだが、お寄りいただいている常連様の中には、「あのボケが」と笑いの種としておられるのではないか。

  物体移動なら、正月のめでたい話、ボケなら、正月早々滅入る話。

  いずれが正しいのか。しばらくは、悩み続けなければならなくなった。

8万7千人の陶淵明

     田畑は荒れ放題、さあ、田舎に帰ろう。役所仕事はコリゴリだ。

  帰園田去。なんと美しい響きよ。

  今、自動車会社や家電メーカーなどから、契約の打ち切りが続々と通知されているという。その数、8万7千人とか。

  仕事を失い、住まいを失い、手持ちの金ばかりが減っていく。こんな生活は、想像しただけでもぞっとする。

  ぞっとするのは、私が高齢者になっているからであって、もしも、30代、40代であったら、「人生、たまにはビバークも乙なもの」と笑い飛ばしているかもしれない。あるいはそうでないかもしれない。

  政府の対策は、ニュースではよくわからない。ただ、金を用意するというだけのように聞こえる。

  一方では、これまでしこたま溜め込んだのだから、ケチケチしないで、雇い続けろという人たち。

  雇用を続けたら、雇い主に100万円上げますというような政策もあるような。

  全部不可である。

  自動車はこれまでのようには売れないというトヨタ、テレビはこれまでのようには売れないというソニー、さすが経営者である、正しい前提にたっている。

  車やテレビは一年買わなくても我慢すればそれで済む。我慢強い人なら2年でも3年でも買わず買い替えもしない。細々年金暮らしの私なんぞ、死ぬまで買い換えないつもりでいる。(5年、10年買い換えないという意味にはなりません)

  唯一、一日として買わないわけにはいかない物、それが食料である。

  どんなに屈強なアメリカ兵でも、どんなに呑気な天下り役人でも、わずか一日24時間でさえ飲まず食わずではいられない。

  このように食料だけは、最後の最後まで需要が約束されている。ここから話が始まる。

  都会でどうしても仕事が見つからない失業者を、全員陶淵明にすること、これが今回の金融危機に対する最も有効な直近対策である。

  先ず、仮設住宅を建設する。一群3千人として、冬の今、比較的暖かな九州、四国方面に陶淵明コロニーを設ける。荒地を開墾する。年収200万円。米、味噌は支給する。家賃は無論タダ。

  春が来れば、何百人かを残して、北上していく。次々と各県の荒地が田畑として蘇る。宮城まで上ってきたら、私の島にも寄ってもらい、ジャングルを昔のような畑に変えてもらおう。

  真夏には、さわやかな北海道だ。そして、秋になったら、順次、南下する。行く先々で何割かが土着するので、数年後には、非正規労働者がゼロになる。同時に食料自給率が高くなる。

  これにかかる予算はどれくらいか。自衛隊の総予算が4兆円だそうだ。戦車も軍艦も不要、何とか交流会用のワイロも不要だから、半分の2兆円で十分間に合うはずである。ざっと試算する。

  仮設住宅  200万円 10万棟  2,000億円
  年収     200万円 10万人  2,000億円
  年収への税  40万円 10万人    400億円
  定住家屋  500万円 10万棟  5,000億円

  これだけ足しても、1兆円に満たないのである。給与以外は、すべて国の資産であるから、減価こそすれ、戦争用機材とちがって無駄にならないのだ。定住住宅は10年分である。1年では500億円で済む。

  これを2009年から4年続ければ、日本はすっかり変わる。失業しても、陶淵明コロニーで働き生活できる。10万人の中から田園詩人も出てこよう。

  2兆円をばらまけば、あぶく銭となって、パチンコ店に吸い込まれるだけ。いずれが賢いか。

  付:
  今年は陶淵明をどんどんブログにするつもりです。請ご期待。

同じ穴のむじな 自民と公明のジレンマ

     2兆円の定額給付金。このバラマキが不人気であることは、自民党のほとんどの議員が知っている。それ以上に、無意味であることも、半数以上の議員は分かっている。彼らは、バカではない。

  だから、民主党から、切り離せば、予算を通すと持ちかけられた現在、喜んで、手を打てばいい。民主党になにがしかの恩も着せられる。

  しかし、それをしない。

  切り離せば、公明党が離反する。次回の首班指名は中立の立場を守る、などと、言われたら、政権を確実に失うからである。3分の2は夢としても、過半数割れだけは勘弁だ。そのためには、公明党の議席数がなんとしても手元に置いておきたい。

  公明党の方はどうかというと、これまた、大変な事態となってしまった。給付金なんていう思いつきが、勝手に一人歩きして、今や、民主党他野党どころか、頼みとする分派行動グループからも見放されてしまった。

  麻生はダメ、早い所縁を切りたい、しかし、給付金なるたんこぶが邪魔して、相手が見つからない。

  ここまできたら、やけくそだ。自民党は、沈没するのなら公明党も巻き添えにするぞと覚悟をしたとも言える。

  こういう時は、NHK風に「目が離せません」だけではもったいない。アガサ・クリスティを読むように、次はどうなると自分なりに推理しながら、政局を見ていく。

  さあさあ、御身大事のサバイバル劇が開幕する。

  付の1.
  くどいようですが、民主党は身辺をきれいにしておかなければなりません。念には念を入れ、週刊誌の話題になりそうな議員は、今のうちに、除名しておくことです。落ち目になってからの処分は、落ちる加速がつくだけ。上げ潮の時なら、勢いが傷をカバーするものです。うちは大丈夫なんて、おっとり構えていてはいけません。足元をすくわれますぞ。

  付の2.
  週刊誌の話題には、異性関係、金銭問題、労組関係、分派言動などがあります。特に、労組には注意しましょう。

ブッシュ大統領と戦死者4,200名

     数字は無色である。それが、比較の手段となったとたんに色がつく。

  イラク戦争で、4,200名の戦死者。アメリカ兵の数である。それでは、イラク兵は、どれほどか。ゼロである。そもそもイラク兵がアメリカ兵と戦うという設定がなされていないからである。

  これだけ見ると、アメリカは大変な犠牲を払ったものと、小泉先生、福田先生、麻生総理ならずとも、アメリカに同情するだろう。なんでそれまでして戦争をしなければならなかったのか、と、話しがどんどんずれていってしまうかもしれない。

  NHKの報道のスタンスはこれである。

  兵隊は分かった。ならば、市民はどうか。

  イラク人の死者は10万人。戦災孤児が450万人。数字がアバウトなのは、有効桁数の操作でなく、基礎データがはっきりしていないからである。

  アメリカ市民の死者は何人か。断るまでもなく軍事会社の従業員は市民でない。戦災孤児は何人出たのか。

  さらに、アメリカ市民であれば、一人ひとりの名前まで正確に記され、丁重に葬られるはずだ。イラク市民は、アメリカ政府から見れば、十把一からげの大根なのである。アメリカで戦災孤児が一人でも出ようものなら、政府、議会、州知事、ボランティア、こぞって庇護する。450万人1割の孤児がアメリカで発生したら、アメリカ社会はパニックに陥る。

  親を失った子供。人情はどこの民族も同じはず。本当は、イラクもパニックに陥っているのだが、NHKのテレビはアメリカに遠慮して、そこそこの報道でお茶を濁している。

  繰り返す。数字は無色。だからといって、中立であるとは限らない。NHKは、アメリカの悲劇の450万倍の時間をイラクの報道に使わなければならない。

ブッシュ大統領と1兆ドルの行方

     イラク侵攻でアメリカ政府は1兆ドルを使った、それなのにイラクは親アメリカにならなかった、ああ、アメリカはバカなことをしたものだ。これが、ブッシュ批判の基軸になっているように思える。

  イラク侵攻は失敗だったと極論する人もいる。

  はたして、そうか。

  否である。1ドルたりとも、大西洋の淵に沈めたのではない。1兆ドルは、軍需産業を初め、服装会社、輸送会社、食料会社、教会、葬儀屋、電話会社、ありとあらゆる産業に支払われたのである。

  最初から、イラク人に好かれようが嫌われようが、どうでも良かった。金さえ政府のサイフから民間に、ただし、ブッシュ大統領のお気に入りに限るが、移すことができれば、彼のミッションはコンプリートであったのだ。

  アメリカは戦術はたいしたことがない代わりに、戦略では世界一である。

  イラク侵攻をアメリカの失敗と見るのは、誤りである。

  昨年に続いてもう一度書いて、ブッシュへのお別れの挨拶とする。

  付の1.
  ケインズ経済学は戦争を消費拡大に対する絶大なる貢献と見なしていますね。

  付の2.
  アメリカの戦略の優秀性を認める私ですが、それはアメリカの権力が自分の利益のための優秀性であるということで、世界にとっては、とてつもない不幸をもたらしているのです。優れているからこそ、始末に負えない好例、いや不幸例です。

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