老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

住宅ローン減税 いいかげんにしないか景気対策

   あれだけサブ・プライム・ローンが話題になっていながら、麻生はローンの拡大を奨励している。あきれる。

   今後、10年、20年と借金を抱えて、どこの会社に勤めていれば安心というのか。親方日の丸の国家公務員以外はすべて不安定である。

   県や市だって、安全でない。北海道のどこかの市、たぶん住民の要望を唯々諾々と叶えてきたためだろうが、がいい例だ。国家公務員が安全なのは、彼らがダメになる時は、国の名の元、恥じることなく、インフレか戦争、あるいはその両方に訴える。その時は、日本がお仕舞いになる時でもある。それまでは安全という意味だ。まあ、これほど不幸なことはないが。

   だから、20年後の年収がいくらになるかなど、誰も確信できない。1年や2年で明け渡すならともかく、半分以上返済した後で、家を手放すなんて、考えただけでも悲しい。そうなってから、(生きていればの話だが)20年後の麻生に、「一杯食わされた」とねじ込んでも、後の祭りだ。借金だけが残る。豪華な住まいに一時住んだだけでも幸せと、アメリカのローン住民に言い聞かせた私だが、若い日本人に同じ事は言いたくない。

   住宅ローン減税は、買い手のためにあるのではない。マンション建築業者、土建、住宅建築会社、そして、金融機関の救済と繁栄のために仕組まれたものである。

   麻生が抜本的対策というものだから、資金運用の禁止かと思ったところ、なんのことはない、ただ金をだぶつかせるだけのことだった。

   抜本とは、根っこを引っこ抜くことである。ローン減税や日銀利下げは、小手先、枝葉末節というものである。彼には中学校の国語のおさらいが必要だ。

   家を買うのなら、自分の金をコツコツ貯めること、それで不十分なら、万が一返せなくなっても笑って許してくれる人から笑って済まされる程度の金を借りることだ。

   政府や銀行と友達になってもろくなことはない。

2兆円の回収

    2兆円が自民党、公明党の党員の金でないことは、明白である。いずれ国民から回収されることになる。

   2兆円が2兆円ならば、まあ、何かのスポーツのように時間差攻撃という手段もあろうが、回収額は、2兆円をはるかに上回ることになる。国家官僚の費用をまかなう他、濡れ手にアワという手があちこちから伸びてくる。ピンはねどころかリャンピンはねだ。

   麻生や公明党はバラ撒きではないという。何をたわごと。

  最高裁判事、地震予知担当官、社会保険庁の役職者、裏金作りの警察官僚、等々、こんな者たちにも一律給付するというのだから、バラ撒きなのだ。

  バラ撒きでないと国民から認められたければ、国家公務員全員、都道府県の科長職以上、市町村の局長以上、せめてこれくらいは対象外にすることだ。彼らは、仕事以上に年俸を受けている。泥棒に追い銭だ。

 この考え、いかがなものか。

休日、高速料金格安! 環境省が猛烈に反対!

  だったら少しはまともと言いたい。

  少し前、ガソリン暫定税率が廃止されると、国民がどんどん車を乗り回し、環境に悪いと言っていた環境省。正論である。

  ガソリン高騰で政府が悲鳴を上げている時、「これでいいのだよ」と言うべき所をだんまりを決め込んだ。

  今回も、だんまりで通すつもりだろう。

  最初の正論は単に政府のご都合だけのためだった。

  こんな役立たずの省庁は、さっさと廃止してしまえ。

  ついでに言うと、屁理屈はいくらでもつけられるが、ETCだけが対象としたのは、ETCメーカーへのサービスである。

  NHKの受信料は“観”ても“見”なくても、暴力団のショバダイよろしく、総なめするのに、高速道路はETCと休日で差別する。

  両刀使い、そのあつかましさに言葉がない。

日本人は猿か? 日本版朝三暮四

    2兆円を日本国民にバラまくという。

  麻生と配下の自民党、そして盟友である公明党の諸君が自分の懐から出すのなら、「結構毛だらけ猫灰だらけ」だ。

  聞けば、国が出すという。国はどこから金を持ってくるのか。

  数千年前に、すでに中国では、これに似たような経験をしている。当時の中国では猿だったが、今の日本は人間である。

  日本人は麻生らから見れば、猿なのだ。どこまで馬鹿にすれば気が済むのか。

  早く一県一国制にしなければならない。つくづくそう思う。

  宋有狙公者。愛狙養之成群。能解狙之意、狙亦得公之心。損其家口、充狙之欲。俄而匱焉。將限其食、恐衆狙之不馴於己也。
  先誑之曰、與若芧、朝三而暮四、足乎。衆狙皆起而怒。俄而曰、與若芧、朝四而暮三、足乎。衆狙皆伏而喜。 〔列子、黄帝〕


株価の上下はネバー・エンディング・ストーリー

   ・半年振りに都会に出たので、大手新聞を読むことができた。大体一ヶ月前の数日分である。全面広告の多さと多色刷りに驚いた。それだけである。衆議院解散記事が滑稽だった。

  ・ここ一週間のニュースについては、すでにこのブログで書いてしまっている。取りたてて付け加えることはない。

  ・強いて繰り返せば、オイル・マネーの向こうを張って、賭博にカタギの金を使う資金運用を禁止する法律を作るべしの一言だ。

  ・麻生が緊急対策をすると言っているが、公的資金を流せば流すほど、後になって、株価の変動が増幅される。どうせあぶく銭の世界だ。下がるに任せよ。

  ・NHKが株の下落が“実体”経済に悪影響を及ぼしていると視聴者の不安を煽っている。いみじくも、株が“虚妄”の世界であることを白状したようなものだ。

  ・NHKが諸悪の根源の一つである「為替と株の値動き」を中止すれば、世の中、どれほど平穏になることか。

  ・資本主義の狼狽を一昔前だったら、「それ見た事か」と嗤う大国が、今や一緒になって右往左往している。淋しい限りだが、私がその大国に代わってしばし嗤うこととする。

  ・私有財産は認める(共産主義でない)、しかし、利子は一切認めない(資本主義でない)、・・・私にはこれが理想の社会である。

s-a1015モモ

国内排出量取引制度 

  ついに成立するのか。
  
  麻生のいう事が振るっている、「次の世代に責任がある」だって。

  裁判員制度もひどいが、大気の汚染を商売(金儲けの道具)にするのは、1ランク上のレベル2の愚行である。
  
  私はただ歎くのみ。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    注:  レベル 0 全てなるもの
        レベル 1 宇宙
        レベル 2 その中の地球 
        レベル 3 その中の人間
        レベル 4 その作品
        レベル 5 その解説
        レベル 6 その評価・批判

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金融についてのもう一つの不安

  10年ぶりにOASYSのワープロを使おうとしたら、フロッピーがダメになっていた。

  前々から、パソコンのHDに移そう移そうと思ってはいたが、ネット碁の方で時間がとられて、気がついたら10年経っていたというお粗末な次第。

  紙に書いてあれば、50年や100年位過ぎても、読めないことはなかろう。数年前、カビが生えてだめになったレーザー・ディスクを大量処分したが、名画の多くはDVDであるから、損をしただけで、どうということはなかった。

  この手元のフロッピーは世界でただ一つの情報が入っているため、ダメになったらもう救えない。むろん、是が非でも救わなければならないような情報でないから、世界で一つであろうが無数であろうが関係ない。残念で済む。

  待てよ。

  銀行口座の預金残高は、すべて光が磁気かなにかの記録媒体にしか残されていないこと、そしてそれは専用の機械でなければ読めないようになっているのではないか。

  機械は修理できても、一度物理的にあるいは電気的に破壊された媒体は、復元が不可能なのではないか。2000年問題の時は、前もってすべてプリント・アウトしたと覚えている。


  電算処理が始まって以来、一度もトラブルが無かったから、安心してせっせと銀行(郵貯も)にお金を持っていくが、将来にわたって絶対にトラブルが起こらないと言い切れるのか。

  ある日、突然私の残高5百円が5百万円に変わっていたら、あるいは5百億円に変わっていたら、その時、私はネコババをきめるだろうか。(正直者の私は、絶対にしない。いや、5百5円だったらネコババだ。正直者というより小心者ということ)。

  だが、いくら残高があったのか、記録媒体がダメになって分りませんと銀行から言われたらどうか。

「まあ、5百5円だったと思うよ」で私は済ませるつもりだが、5百億円の口座の人は当然のこと、正直者でない者でかつ太っ腹の者なら、「5百億円だった」とウソを言うかもしれない。

二重、三重、四重、五重のバック・アップがあるから大丈夫といわれても、手元の壊れたフロッピーを見ていると、少しばかり(500円分だけ)不安になってくる。

s-a0829リッキー

デスパレートな表情 (その2) 現実には 

  最近、「生きているのが嫌になった」という人間がテレビにしばしば映るが、その一人たりともデスパレートの表情を見せていない。まだまだ「生きていたい」顔である、少なくとも「生きていける」顔である。

  温泉気分(大楽勝の意)の碁をヒョイと打った一手のポカで失った直後の私の方が、数百倍もデスパレートな顔をしているはずだ。鏡を見ればの話だが、見ればますますデスパレートになるからそうしないでいる。

  付の1.
  デスパレートに相当する日本語・漢語がないのでやむを得ず、そのまま使いました。

  付の2.
  デスパレートな表情ができる日本の俳優はいないでしょう。

  付の3.
  顔自体がデスパレートな俳優は沢山います。なんの面白みもありません。

s-a1001空



デスパレートな表情 (その1)二人の名優 

   舞台俳優にせよ映画俳優にせよ、最も容易な表情は「怒り」の表情であるという。

  怒りの表情を表せない動物はいない。自分の食べ物を、「どうぞお好きなだけ」と寄って来た同種に笑顔で与えていたのでは、己の個体維持ができない。自分が見つけた異性を、「どうぞごゆっくり」と寄って来た同種に譲っていたのでは、種の保存ができない。だから寄って来た同種には威嚇して追い払う。威嚇には、怒りが不可欠である。

  人間もレベル3においては動物と同じである。「怒り」の表現がごく自然にできることは当然だ。

  また、「喜怒哀楽」の中の残り3つ喜・哀・楽も、よほどの大根役者で無いかぎりそこそここなす。

  最も難しいのが、デスパレートな表情だ。

 昔のハリウッドから今のイラクや中国の映画を観てきて半世紀。その私に言わせると、たった二人だけである。

  一人は、映画「テンペスト」のジョン・カサベデス。もう一人は映画「バッド・サンタ」のビリー・ボブ・ソーントンである。

  私は、その場面を観たいばかりに繰り返しこの二つの映画を上映している。

s-a粟ケ崎1





資金運用という名のバクチ

  私は勝負事が大好きだ。ヘタの横好きと言われようが、ザル碁を止めることは生涯ないと思う。

  碁に金は賭けないが、金を賭けるのも好きだ。

  カリブ海諸国をドサ回りしていた時は、パナマ市が出口・入り口になるので、そこのホテルのカジノでブラック・ジャックを楽しむことにしていた。007と違って、1米ドルでチップ1枚が使えるので、一晩の枠を負けきるまで相当な時間をバクチの世界に浸れた。

  バクチは酒と同じで、人間の業である。禁止してもしきれるものではない。

  投機もバクチである。参加した者は身ぐるみ剥がされても文句は言えない。それを覚悟で参加していれば他人がとやかく口を挟む事ではない。だから、私は、投機自体を、禁止せよと叫ぶことはしていない。

  私が絶対反対(なつかしの全学連用語)するのは、カタギの金を資金運用の名で投機に回すことである。

  銀行は預かった金を又貸しして儲けようとする。純粋に資金運用組織である。貸す段で用心に用心を重ねたところでバクチである。預金の利子が高いの低いのとブツブツいいながら銀行に金を預けるのは結構だが、それは、負ければ返ってこない賭場に投げられた金であることを承知の上でなければならない。

  返らない事態になってから、国や政府に向かって泣き言を言っても始まらない。

  カタギの人間にはタンス貯金が相応しい。もっとも、あればの話であって、流動性資産に無縁な私にはどうでもいいことである。

s-a1013粟ケ崎

1千兆円が消えたって、ホント

  株が大幅にダウンしたから、それを世界中で計算すると、この一週間か十日間で何百兆円か何千兆か知らないが気の遠くなるような桁の金が消えてしまったと歎き、驚く。

  ウソである。家や車を買おうとする段になって、総計1千兆円の株主全員が一斉に換金しようとしたら、どうなるか。これを考えればすぐわかる。

  もともとは株式証券と印刷された紙切れなのである。3万8千円で買う人(団体)がいるから、一金3万8千円也、50円なら買ってもいいという人だけなら一金50円也ということになる。

  3万8千円はバブルだったが、今の8千円は日本経済の実力を過小評価しているというのもウソである。すべてが泡沫(バブル)なのである。資本主義国のすべてばかりか自称社会主義人民共和国まで加入した、“世界規模”のネズミ講の醜態を見せつけられているだけのことだ。

  世界の指導者連中は、バカではない。この解決策がネズミ講の禁止以外にないことを知っている。知っていても知らぬ振りをして、更なる紙切れを増刷するから、極めて性質(たち)の悪い確信犯といえる。

  万国の人民に告ぐ、金を借りてまで商売をするな、と。うまい料理は、稼いだ金で食ってこそうまいもの。明日、働く分をツケにして飲む酒は、大吟醸でも酸いた水である。

  前借り常習犯の私はこの“確信者”である。

  付の1.むのたけじ氏はバブルを使うな、“アブク”を使えと言っていた。

  付の2.1千兆円の金塊が太平洋の淵に投げ込まれても、1千兆円が消えたとはいえない。“実体”経済に相応しい価格が残された金につけられるからだ。

  付の3.政府系ファンドを作れと騒いでいた自民党の代議士をテレビに出させたらいい。これから一年も経てば、再び、言い出すに決まっているからだ。今のうちに彼らの非を認めさておこう。

  付の4.3万8千の値がついたということは、だれかが3万8千円で紙切れを渡して現金を受け取ったということ。今頃、世界に向かって2番目の大金持ちと吹聴した愚か者とちがって、深く静かに潜行していることだろう。

s-a1001リッキー



金融危機 日本はお手本だと

  公的資金を注入して凌いだ先の日本の金融危機対応が、今回のお手本になるから世界は見習えと、真顔で誇る者がいる事を知った。

  あそこで、投機に向ける金を他人の金と自分の金にはっきり区別させておけば、こんな事態にならなかった。

  今回、同じ手口で凌ぐようであれば、数年後、再び、更に大きな危機となって、我々平民を襲うことになる。

  救済措置は応急手当である。抜本的対策は、運用益によだれをたらす人間と組織が二度と復活しないように、運用禁止令をもってバカどもにお灸をすえることだ。さもないと、二度も味をしめた彼らのこと、これから何度でもマネー・ゲームを繰り返す。

  日本のやったことはお手本どころか前車の轍である。

s-a0917海鳥2

Buy now,pay later. と先憂後楽

  歯切れのよいこの英語のコピーは、クレジット・カードというものが日本の庶民に行き渡った昭和40年代にできたものと覚えている。

  庶民の中のやや底辺気味に位置していた私も手に入れた。カードを見せればなんでも買えるので、海外出張では大変役に立った。すなわち使い過ぎたのである。

  その結果、帰りの機内では、使い過ぎた分をどこの経費に充てて、自分の出張手当を無傷で手元に残すかに四苦八苦することが通例となってしまった。

  辻褄合わせを終わらせた後の、ウイスキーの美味は今でも忘れない。

  ささやかなBuy now,pay laterで私は済んだから無事だったものを、これが他人の金を借りてbuy nowであったら、それこそただでは済まされなかったと思う。

  先憂後楽は為政者のあるべき姿ということになっているようだが、「先に苦労をして、後で楽をする」という風に解釈すれれば、立派な処世訓になるのではないか。

  Buy now,pay laterは金融危機の当事者の中だけで生きている。世間では、もはや死語であろう。数十年の寿命だった。それにひきかえ、先憂後楽は千年を経た今も生きている。

  どちらが、人の道にふさわしいコピーか、自明である。

s-a1010浪入田のメリー2

資本主義の対極 身の丈に合った生き方

  我が家は、秋口に入って、例年通り、蛇屋敷から蜘蛛の巣城に変身した。部屋の中でも歩く所以外は自由に巣を張らせている。テレビとパソコンは正真正銘のwebでつながっている。

  私の敷地は野草園だから、家の中どころではない。それこそ蜘蛛の巣だらけだ。それをよく見ると、母蜘蛛の巣に数ミリの子蜘蛛が数匹乗っていた。隣りを見たら、やはり数ミリの子蜘蛛が懸命に巣を張っていた。六十余年、全く気づかなかった。カエルに感動した歌人が昔いたそうだが、今の私にはそれがよく分る。

  大きな蜘蛛は大きな巣を張る。小さな蜘蛛は、小さな獲物で十分だから、小さな巣を張る。大人になっていくにしたがって大きな巣を張る。そして、大きな獲物を食する。

  身の丈に合った生業をしている姿は、資本主義の根幹をなす“先づけ小切手”の愚かさを私たちに(私にだけではありませんぞ)を教えてくれている。

s-a1009クモ


生きるのがいやになったら、クモを見よう

   生きるのが嫌になったという。そういう人間にしてみれば、活き活き生きている人間は、とても目障りであるかもしれない。想像できる。

  私は、人間であることに嫌気が差すのはしょっちゅうあるが、だからといって、生きているのが嫌になったことは一度たりともない。

  この世に現れた時は、私のように「たまごに目鼻」と紛うほどの器量でなくても、母親は当然のこと、周りのみんなから祝福されたはずだ。

  それがいつのまにか、自分の命ばかりか、他人の命まで巻き添えにするようになる。

  自殺防止対策にコンサルタントは、役に立たない。なぜなら、コンサルタントも自殺願望者にとっては目障りな存在だからである。

  そんなことより、数ミリの蜘蛛をじっと見てみよう。生きることを云々すること自体の無意味さがわかる。

  サイフの中ばかり覗かないで、空の雲を眺めよう。それでも生きるのがいやなままでいるのなら、夜空の星を眺めたらいい。

  自分がこの世にいてもいなくてもどうでもいいようになるはずだ。そうなれば、慣性の法則が働いて、死ぬまで生きていく気になる。

s-a1009ソバの花





金を貸すバカ、借りるバカ

  借りるバカ。これは、人のことを言っているのではありません。独身時代、ボーナスの前借り常習犯であった私のことです。

  金を貸すバカ。これは、私のことを言っているのではありません。消費者金融はもちろん、銀行、保険会社、一部健保組合など、資金運用を仕事にしている人間のことです。

  共産党に「くやしかったら議席を増やしな」の名言を吐いた都知事から、貸す金の無い人間のひがみとバカにされても我慢しましょう。

  ヒトラーをドイツ国民が自由選挙で総統に祭り上げたのは、金を貸すバカと借りるバカが当時のアメリカに充満していたからです。

  資本主義はバカがバカを認め合うことで成り立っているので、こんな主義はさっさとゴミ箱に捨てればいいのです。

  人間社会はバカがいなくても立派に継続してきましたし、これからも継続できます。

  私ですか。借りるバカはこりごり。大いに反省しています。少々、手遅れの嫌いはありますが。

s-a1010浪入田のメリー1


お国自慢を嗤う莫(なか)れ

  高校野球大会で、応援メッセージとやらが読み上げられる。ローカル土着民と蔑視していたが、ふと気がついたら、私自身もその一人であった。以下はその証拠。

  宮城にはサッカーJ2にベガルタ仙台がある。野球は楽天イーグルスだ。

  だらだら90分かけて数個のゴール。ひどいときには、ただひたすら足蹴りで終わるサッカーに付き合うほどヒマ、というより、余命というべきだが、はない。世界のマイナースポーツをあたかもワールドと錯覚させるマスコミ報道のネタになっている野球も、癪に障る。

  その私が、朝のインターネットに接続すると、つい、ベガルタとイーグルスの勝敗を知ろうとする。勝っていればうれしいし、負けていれば、何となく不愉快な一日となる。

  鴨長明は方丈記のなかで、一つ所に住んでいくと、コケが生えてきて、それを見て、愛着がわいた言っている。

  私の場合、この小島に愛着が先にあって、その結果、ベガルタやイーグルスを応援するようになった。

  私は、ローカル土着民の一人である。

付:
当たり前ですが、宮城県の知事や自民党県連に愛着はありません。

s-a0917海鳥1

福岡師とノーベル氏

   日曜の午後、NHKの番組に「心の時代」というのがある。物の時代ばかり取り上げているNHKのせめてもの償いであろう。

  囲碁番組が終わった後、スイッチを切る前に、誰が出るのか確かめることにしている。

  今週の日曜は、98年に採録した「福岡正信師」である。このインタビューの本は手元にあるが、テレビは初めてである。嬉しかった。

  「学問は、学問が何の役にも立たないことを知るだけに価値がある」、「科学は人類にとって悪いことばかりしている」、等々、いつも通りである。

  老人が自慢する時に見せる茶目っ気たっぷりのまなざし、蒙昧人間にメッセージを送る時の人を射る鋭いまなざし、やはり映像はすばらしい。

  それから数日後、日本の科学者がノーベル賞を受賞したと同じNHKが報道した。連戦連敗の中で戦勲をたてた出征兵士扱いである。

  ノーベル氏は、火薬を花火にして楽しんだ中国人と違って、ダイナマイトを開発し、無数の戦死者を出した戦争で巨万の富を築き、その贖罪意識からノーベル賞を設けた、マルクス流でいえばヒューマニストであり真性の軍需資本家である。

  賞ならなんでもありがたがるのは日本人ばかりではなかろうが、NHKはその由来を少しは視聴者に紹介してもいいのではないか。

  ついでに加えると、ノーベル財団が昔、佐藤栄作に平和賞を与えた。かれらの選考レベルはこの程度なのだ。

  金融危機で民衆が浮き足立っている最中の朗報とする意図はわかるが、福岡正信師のあの真剣なまなざしでにらみつけられたすぐ後では、ノーベル賞がなんだと言いたくなる。

0906リッキー



世界恐慌と映画「草原の輝き」

   犬や猫だから黙っているものの、人間だったら、絶対に、映画の観過ぎとあきれられる。私は映画大好き人間であるから仕方がない。

  株の下落が続いている。どうせまた上がる。それまで待てない人間はどうするか。

  これを思うとすぐに、ナタリー・ウッドの「草原の輝き」を連想する。あの控え目ではにかんだ表情は、齢70になんなんとしている今でもほれぼれする。

  嫌な事態をさわやかな映画に置換する。私の精神安定には不可欠な脳活動である。

s-a1003粟ケ崎のメリー



資本主義のカイゼン

   旧約聖書に他人に金を貸しても、利子は受け取ってはならないとある。前にこのブログでこの一語を絶賛した。先日、イスラムもそう教えていることを知った。長生きはするものだ。

  日本人の頭の中が景気の回復ばかりで一杯になっている根本原因は、借金にある。

  借金さえなければ、少々の“景気”悪化でじたばたすることはないのだ。まして、株の変動など「勝手にしやがれ」だ。

  農家が、借金をして最新型のコンバインを手に入れる。漁民は借金をして最強のエンジンを取り付ける。勤め人が借金をして、家を建て車を買う。北の大地に魅せられただけで数千万の借金して牧場主となる。

  借りた金は返さなければならない。返す時には、耳を揃えるだけでなく、何がしかのプラスαをつける。

  これが諸悪の根源である。

  借りる方(人でも企業でも地方公共団体でも)は、利子をつけて返すのだから、文句はあるまいと言って、堂々と借りる。貸す方は、その金を使って自分で増やすなどという面倒なことが嫌いな人間(あるいは組織)である。

  こんな関係が基盤となった社会で景気が常に右上がりでいられるわけがない。

  金の貸し借りに利子をつけてはならない。これには、貸す側と借りる側が金銭関係以前に人間同士(あるいは組織同士)の信頼関係が確立されることが大前提にならざるを得ない。

  共産主義は、私有財産の否定という地球レベルでの誤りから将来にわたって実現しない。それに対抗して造語された資本主義も、定義すること自体が無意味となっている。

  あえて資本主義と言ったが、まともな社会を作ろうという気があるのなら、利子という言葉を廃語にすべきである。

  付:
  私のいう「まともな社会」とは、並みの人間が、金に狂うことのない社会のことです。

s-a1002昼の県道

福岡師とレーニン博士

   毎日のように、金、金、金でうんざりさせられている。

  このバカ騒ぎを冷静に、感情として表現するなら、「冷ややかに」事態の推移を見ているのが、今年の8月に亡くなった福岡正信師である。彼の「無」3部作は昭和の最高傑作である。

  もう一人いる。マルクス・レーニン主義と常に、マルクスの後ろにぶら下がっているかのウラジミール・レーニン博士である。前に私のお気に入りに書いたかもしれないが、彼の「帝国主義論」は20世紀の最高傑作である。サブ・タイトルに、確か、「資本主義の最後の段階」とあったように覚えている。

  FRBの誰がどう言っているの、麻生がどう考えているの、そんな表層的な情報をいくら集めても現状の分析には足しになっても問題の解決にはならない。あの地震予知官と同じである。

  古典はなにも文学に限ったことではない。

  付の一
  23世紀頃には福岡師の著書は古典となります。

  付の二.
  レーニンの時代と今の時代が違うからといって決して「帝国主義論」を軽んじてはなりません。枝葉末節が違うだけであるからです。

s-a1002長渡

投資はカタギ、投機はヤクザ

  株が下落しているとニュースで言っている。言うだけならばいいが、それをあたかも天地が動転するように報道している。気に食わぬ。

  株は上がることもあれば下がることもある。上がるのも下がるのも、たまたま1円であったり1000円であったりするだけのことだ。

  株の所有者は、こんなことは百も承知である。知らないで損をしても誰も同情しない。

  それでも、株の値下がりで不幸に感じる人がいるのなら、私から一つ提案して差し上げる。

 株を額面50円とすれば、欲しい人にその企業は50円でいくらでも売る。ある企業の業績に期待がもたれたら、周囲の人は、こぞってその株を買う。一株に割り当てられる配当が目当てである。当てがはずれて、業績が伸びず、配当に不満を持つようなら、その株主は、証券市場に売りに出す。

  証券市場では、絶対に50円以上にさばけない。50円だせば、その株をその企業からいくらでも買えるから当然である。

  かくして、株の暴落は起こらなくなる。最悪が起こっても、50円がゼロ円になるだけのこと、今日のような空騒ぎは起こらない。

  これがカタギの投資である。右往左往するばかりが能ではない。ヤクザのアブク銭から実体経済を守るにはこれしかない。

  喉もとに熱さを感じている今こそ、株の額面無制限販売法を制定する時だ。

s-a1002金華山

麻生総理 その二  年金問題 あきれた所信表明

   彼は、国会で年金記録問題を取り上げた。

  曰く、「手間、ヒマを惜しまず、徹底的に処理いたす所存」と。

  年金問題は究明が不可能であるから、さっさと新しい年金制度を導入せよと提言した。

  彼は、最後までデータを追いかけるという。舛添大臣も引くに引けないのか、迷走している。二人に向かって、やるならやってみろと皮肉を言いたいのだが、ご両人は、真顔で、手間、ヒマを惜しまずとまるで勤勉実直の見本のような表現を使って対処するという。

  手間とヒマはどこから来るのか。

  すべての厚生省役人と連座制(連帯責任)の意味からすべての国家公務員が、休日を返上し、それでも足りなければ、有給休暇を返上して、処理するのか。当時の社会保険庁職員の定年者を呼び戻して、無給で処理に当たらせるのか。

  そうであれば、私も、「無理なのに、まあ、やってみたら」と冷ややかな目で見てもいい。

  ところが国の役人が絶対にそんなことをするはずがない。

  年休、祭日は温存、残業すれば残業手当も支給されよう。勿論、減給もなければ、ボーナスカットもない。公務員の年金は確実に、社会保険庁のずさんさを回避して、確実に定年退職職員に届けられる。

  なんたること、麻生総理の、「手間、ヒマ惜しまず」とは、「国民の税金を惜しまず」のことである。私は、冷ややかな目どころか、怒り心頭で発狂しそうである。

  売家と唐様に書く三代目。

  彼の祖父は国会で、「バカヤロー」言った。彼は、国会でバカを言った。血筋は争えないか。

s-a1002モモとリッキー





麻生総理 その一 あきれた国連演説

   毎日の情報接取にあたふたしている人には、遠くの旧聞だろうが、私には、まだまだ新鮮である。

  彼、曰く「世界で第二位の経済大国がそれにふさわしい国際貢献をするのは当然、云々」

  もちろん、国際貢献の自民党語は、アメリカ貢献の意であるが、それは彼に限ったことでなく今さら驚くほどのことではない。

  私が、あきれたのは、“世界第二位”の言である。

  近くに「オレはこの地域では2番目の大金持ちだ」と公言したら、たとえそれが本当だとしても、その人間の頭の中身を疑うだろう。

  普通、「金持ちケンカせず」と言われるように、本当の金持ちはできるだけおだやかに生活を送るもの。自分から金持ちを自慢するのは、成金だけだ。成金でも、程度がよければ、せいぜい金時計で止めておく。それを、公言するのは、成金は成金でも、バカが頭につく。

  国連の会議に出席した国が幾つか知らないが、仮に100の国があれば、97か国が日本より貧しいのだと麻生から言われたことになる。

  この無神経さは、救いようがない。外務省の高級官僚が、「殿、それは言い過ぎです」と忠言しなかったのか。日本人の恥さらしであった。

金融危機 終章 万国の人民よ、うろたえるな!

   金融危機で、アメリカは共和と民主が足並みを揃えて救済するという。これだけみても、2大政党がいかに危険なものか、よくわかるというものだ。

  テレビで、街頭のアメリカ人がインタビューに応えて、「ウォール街のバカども」と怒っていた。株の急落で、日本人がニタニタ笑いながら「困った」というのと、好対照である。

  そもそも金融危機など、額に汗せずキーボードを指先でトントン叩くだけで、巨万の富を得ようとする横着者の集団の危機に過ぎない。

  誰かが100万ドル損をすれば他の誰かが100万ドル得するだけのこと。

  損をしたパートを受け持った横着者の救済を国家の救済と同じように扱えば、得をしたパートの横着者がほくそえむだけである。日本のバブルで大儲けした金が150兆円に達して個人資産となっていることで明白である。

  夕飯のおかずのサンマを家族一人ひとりに一尾つけるか、それとも半分に分けるか、そういう人たち、世界の多くはこういう人たちだが、には無関係な出来事である。

  だから、われら人民は、かのアメリカ人と一緒になって、「兜町のバカども」と言っていればいい。バカどもの周章狼狽を嗤っていればいい。


  付:
  日本人でも本気で怒っている者がいる。しかし、テレビの編集ですべてカットされている。(憶測だが)

s-a1003三つ揃い

金融危機 その六 サブプライム・ローンはゼロ・サム

   世間ではサブプライム・ローンが悪党のように扱われている。

  物は考え様。

  家は建てました、水道は引きました、テレビも収めました、でも代金が入ってきませんでした。これは、営業員への同情に値する。自分がその立場になったら、鞭打ち100回の刑を受けること間違いなしだ。

  大量の金が普通では到底家を持てない人間に与えられた。与えられた人間のその金は、大西洋の淵に投げ捨てられたのではない。きちんと、建設会社、水道工事業者、テレビ、冷蔵庫など家電一式メーカーの手に渡ったのである。

  貸した側が損をした分だけ、売上げとして儲けた側がいるのである。私のゼロ・サムはこれを指している。

  六畳一間でカップラーメンをすすっていた人間が、水洗トイレ付きのシェラトンホテルに1年、2年と泊まっただけでも、幸せと思わなければいけない。本人が思うばかりでなく、周囲、とくにマス・コミもそう思って報道しなければならない。

  1泊200ドルなら、2年で7万ドルだ。貧乏人が頭金を7万ドル用意したとは考えられないから、彼らの人生の一時を、豪華なホテルで過ごせたのだから、頭金なんか安いものだ。

  例によって、経済評論家、国際金融専門家と称する低能集団があれこれ説明しているが、事はかく単純である。

  損と得は差し引きゼロ。ゼロ・サムだ。

金融危機 その五  実体経済という虚像

   NHKのニュースを聴いていると、さかんに今回の金融危機が実体経済に深刻な影響を及ぼしていると、国民に不安感を植付けているようだ。

  わずか数年前、アメリカの住宅建設戸数や自動車の販売台数が増加の一途をたどっていた。住宅や自動車はキーを叩いて儲ける虚業と比較すれば確かに“実体”である。

  だが、それは、サブ・プライムローンによる事象であって、本来とても買えない階層の人間が購買していただけのこと、一皮剥けば、住宅や自動車も虚業による繁栄でしかなかった。

  その時の受注増加に浮かれてそれいけどんどんと銀行から借金をしてまで設備投資をし人員増加を図った企業が今になって不景気風を吹かせているだけのことだ。当時、不自然な注文増が虚業によるものとして、設備拡大を控えた企業は、(そのような企業こそ実体経済の担い手だ)、あたふたするようなことはない。

  身の程をわきまえて行動することの大切さを、教訓とするのならば、今回の金融危機もまんざら捨てたものではない。

金融危機 その四  最大の横着者 目覚めよ、日本人!

 悲しいかな、我等の仲間である一般庶民である。

  株の暴落をパネルで知った通行人が、「損をした」と苦笑いをしながら、インタビューに応じた。

  誰も損をしたくて株に投資しない。そこの社長の人徳に感激して株を買う者もまずいないと思う。いたとしても、極々稀であろう。

  サラリーマン風、年金生活者風、有閑マダム風、様々だが、己の手足を使わず、他人に働かせて、自分の金を増やそうというのだから、横着者の粋である。テレビで見たかぎり、気品というオーラに包まれた通行人は一人もいない。皆、卑しい顔をしている。

  有り余って困るような金を持っていても、こういう人種が大勢いればいるほど日本の将来が危くなっていく。

金融危機 その三  もう一人の横着者

   銀行のことである。

  人は銀行に金を預ける。その額に応じた担保を受け取らない。預けたら利子が付く。

  企業や人が銀行から金を借りる。その額に何割か上乗せされて担保がとられる。保証人も必要となる。利子は払わなければならない。

  これが、当たり前となっているが、よく考えると不思議な事である。

  銀行が自分の金を他人に貸す限り、貸した先が倒産しようが夜逃げしようが、第三者にはどうでもいいことである。人様の金を使うから、貸した先の興亡が問題となる。元本の回収に不安のないことは当然として、利子の入金が間違いなく約束されなければならない。

  銀行自身も成長したいものだから、できるだけ多くの金を預かるようにして、その金を誰かに貸していく。貸した先は未来永劫に渡り成長しなければならない。

  これも当たり前のことだが、金がないから金を借りる。借りた金はいつか返さなければならないが、今、ピーピーしている会社や個人が将来、絶対に左うちわになるという保証はまったくない。十分ゆとりを取ったはずの担保だって、評価がストンと落ちることもある。

  当たり前のことをごちゃごちゃ書いてきたのは、銀行は貸し金庫に徹せよと言いたいがためである。

  手元に現金を置いておくのが不便である者の金を保管する。その分の保管料を客からいただく。物流倉庫の倉敷料である。保管している金だから、物と違って誰にでも貸せるが、勝手に他人に貸さない。

  スイスの銀行では、保管料をとって金を預かるそうだ。信用度が世界一であることも頷ける。もちろん、今回の金融危機も対岸の火であろう。

  日本の銀行も、お金の倉庫番に変身させるべきである。

金融危機 そのニ  ヤクザの世界に入った横着者

   生命保険会社のことである。

  統計確率論を最も有効に駆使している組織は人の命の長さを金に換算している生命保険会社である。余命予測もしっかりしておかなければ、一度に左前となってしまう。早い話、保険契約者が、保険会社の想定していない何かの疫病でバタバタ死んでいったら、左前どころか、即刻解散となる。もっとも、日本の生命保険会社は、契約者の無知にかこつけてとぼけ通すかもしれないが、これは別の話である。

  すなわち、通常であれば、統計理論から打ち出した数値で、運営費や相応の利益を差し引いておいて、保険料と保険金額を設定している。だから、大儲けこそ出来ないが会社の規模に応じた安定が保たれる。絶対に倒産はない。

  それが、金融危機によって、おかしくなっているという。政府が証券会社を助けないと、生命保険会社まで、つぶれかねないという。つぶれたら、死ぬまで払い続けている契約者の保険が死んだ段になって「払えません」ということになるという。冗談じゃあない。

  なぜ冗談が真顔で語られるのか。

  手元に巨額の金がある。他人の金である。だが、お札に他人の名前が書かれていないものだから、いつのまにか自分の金のように錯覚していく。

  厳密な統計学から算出された、「相応の」儲けだけなら、なんに使おうが、その生命保険会社の勝手である。

  それを、資金運用と聞こえのいい言葉で、ヤクザの世界に入ってしまった。保険契約者の金はクリーンである。それが、資金運用の美名でダーティ・マネーに逆ロンダリングされしまう。

  生命保険会社は正式には「相互」がつくはずだ。昔の頼母子講が原点である。頼母子講の幹事が仲間の金を勝手に使ったら、その時点でその頼母子講は倒壊する。

  自民党の中に、政府系ファンドを立ち上げろというバカがいる。それを、以前、私はこき下ろしたが、今でもその代議士がいるのだろうか。

  金融危機など、投機が絡めばかならず起こるもの。ギャンブルを人間世界から排除できない以上、せめてカタギの人間の金だけは、ヤクザの世界に注ぐことのないように法律で規制すべきである。

  資金運用が悪の根源。金融危機は対岸の火であるべし。

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