老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

麻生演説

  演説、あきれて、書く気にならない。

  こんなのが一国の政治の頂点にいるのが不思議でならない。どこの選挙区か知らないが、よくもまあ、当選させたものだ。

  病に伏してブログを休んでいるのではないことを言いたいだけのために今日、載せた。

ブログ 永続は力なり

  この前、昔からの仲間から、「日本も変らないが、老いの一筆も相変わらずですねぇ」と、コメントをメールでいただいた。

  それで、アット・ランダムで、過去のブログを開いてみたら、その通りであった。同じような内容の繰り返しである。くどさは老人に許された特権と胸を張っても程度問題である。

  個人経営(!)で3年、4年とブログを続けている人は、本当に力がある人だと尊敬する。

  今、この無料ブログは写真のアップ・ロードに障害が生じている。繰り返しの退屈な文章もたまの写真があればまだしも、だんだん力が抜けてきてしまった。

  しばし、私の指定席である外野席で、いも焼酎をちびりちびりやりながら、秋の夜長、永続という力を持ったひと様のブログを楽しもうかと思う。

麻生総裁でも解散はない

  昨日から、どうも頭の中がしっくりしていない。腹の方も、何か腑に落ちない感じがしてならなかった。こんな言い回しは正しい日本語でないはずだが、他に適当な言葉が思いつかない。

  今日、その理由が分った。解散は小池先生に限らず麻生先生が総裁になってもありえないことに気がつかなかったからである。

  福田首相は任期満了まで政権を維持すると私は言ってきたが、彼の辞任で少し揺らいでしまった。その揺らぎの不必要である事が今日分った。

  今は、頭がスッキリしている。どうせ、解散となれば、坊主頭になるのだ。「毒を食わば皿まで」を地で行こう。


小沢代表の手強い相手

   これは、小池選手である。

  麻生選手が総裁になっても、国会答弁や予算委員会ですぐボロをだす。本人に謙虚さの欠如への自覚がないから、好き勝手に物を言う。彼好みで選ぶ取り巻き連中も、ロクな発言をしない。民主党にとって脅威にならない。

  小池選手の長所は、第一に女性である。女性でありながら、男性の襟を掴んで畳に投げ飛ばしたり、マットに体落としをかけるような雰囲気がない。オリンピックで大和撫子の恐さを知った日本男児は、安堵感からこぞって小池選手のファンになる。名前が百合子というそうだから、山百合のような清楚感さえ漂ってくるではないか。

  次に、二言目の「私など、血統書がありません」は、日頃不遇をかこっている大多数の日本人に大受け間違いなしである。麻生選手のような血筋の良さを逆手に取ってしまう。頭がいいのである。

  麻生選手が過半数を取れなくて、決選投票となる。非麻生の4人が揃って小池でまとまる。麻生支持者が密かに小池支持に回る。

  小池総理大臣の誕生だ。小池総理のパフォーマンスが国会内外で始まる。マス・コミがほっておかない。ならば、即刻総選挙をやるより、福田さんの任期満了までの時間をフルに活用した方が得策である。小沢代表と党首討論をすればするほど、小池ファンが増えていく。じいさんは、地味な背広。オバサンは毎回オシャレ。勝負あった。日本の大衆なんかこんな程度だ。

  幸い、小泉元総理が引き倒しの役を買ってくれた。これで、小池総裁の芽は摘まれた。民主党は、ほっとしている。別に民主党員ではない私もほっとしている。

小泉先生 贔屓の引き倒し

   小池候補を、応援するという。

  今時、田舎のどこの選挙区が小泉さんを懐かしむのだろう。都会のおばちゃん連が再び、純チャンコールをするのだろうか。

  小泉政権の役者は田中真紀子であった。彼女の迫力がなければ、とうてい最初の選挙に勝たなかったろうし、従ってその後もなかった。

  今度は、彼が、その田中真紀子役を買ってでた。同じがなりたてるのでも、彼女は、人をたぶらかす意図は微塵もない。語った通りをただ聞いて楽しんでいればよかった。

  小泉純一郎は、ごまかしの権化である。騙される方が悪いとするのが、私の持論であるが、羹に懲りずに、また舌を火傷をするとなれば、悪いというより、阿呆というべきである。民衆は、田中真紀子を聞くようには、彼の話を素直には聞かないはずだ。

  小池候補は、有頂天になっているようだが、その実、彼が応援すればするほど、小池候補の人気が落ちていく。贔屓の引き倒しである。

  付の一.
  「民信無くば立たず」を彼が座右の銘にしていることだけで、彼のごまかしが十分証明されます。

  付の二.
  前に書いたと覚えていますが、小池なる人間、厚生大臣時代、鶏インフルエンザ騒動の時、鶏舎をウインドウレス(IC工場のような無窓建物)にすべきであると発言しました。発症対策のためには、狭いケージでただ産むだけの道具になっている鶏(彼女たちは真に弱者であります)を健康な飼育環境に戻すべきであるのに、あきれました。彼女に弱者へのいたわりなど望んではいけません。(私の鶏は気ままに一生を送ってきました)

内閣支持率の変動

   総理大臣の支持率は、おおむね、新内閣発足時に70%で、一年過ぎると、30%程度まで落ちるようだ。

  これは、一年で、10人中の4人が不支持に変ったという事を意味している。最初の不支持者3人が終わりになって支持に回るなど、私のような天邪鬼以外に考えられないからだ。

  政治は信念・信条の世界である。関西芸能界の人気の世界であってはならない。それが、わずか一年で、国民の4割が心変わりする。これでは、最初から、信念・信条を基にして、支持したとは言えない。

  国民がこんな程度だから、政治家も、口先で、国民の苦しみと唱えるだけで、本気になって信頼してもらおうとは、全く考えていない。田舎でいえば、後援会だけが信頼できる仲間である。

  「国民の声なんか聞くな、国民に己の信念を聴かせよ」、これを私は政治家に求めている。断っておくが、「国民の声を聴く」なんか、信条とは言えない。媚び・へつらいという。こういう政治家を信用したら、大変な目に遭うこと間違いなし。それでも、引っかかるのだから、大衆は救いようがない。と、これは言い過ぎである。

  これからも、内閣支持率の調査は行われるだろう。一年で転向するのは、己の先見の明ならぬ「先見の暗」をさらすもの。それを恥ずかしく思わなくなったら、日本はお終いだ。

世論調査の怪

   NHKの“独自”の世論調査によると、麻生氏の総理が小沢氏の総理より、倍近く期待を持たれている、また、支持政党も自民は民主の倍である。

  ある新聞社の世論調査では、自民と民主にほとんど差が無いという。

  統計には、誤差がつきものだ。それが、許容の範囲であれば、その統計は信頼できるものとみなす。統計学は、脇に置くとして、調査対象の母集団は日本の有権者である。ほとんど同時の発表であったから、時間差による影響はすくないと考えていいだろう。

  この二つの調査結果は、見る側からみれば、メチャクチャな違いである。とても、信頼できない。どちらが正しいか、どちらも正しくないか、それさえ分らないのだ。こんなデータを基にして時局解説をする評論家がいるとすれば、お頭(オツム)を疑う。

  評論家はまあご愛嬌で済むが、こういうあやふや世論を政治家が真面目な顔をして、国民の声として崇める。これは問題だ。

  しかし、崇める、尊重するというのは、表面のポーズだけで、本当の所は、政治家は世論調査の世論はおろか国民の声などまったく無視しているのだ。

  今度の自民総裁選で、“国民の声”に向かってバスの窓から身を乗り出し愛嬌を振りまいている5人を見て、私は、愉快になった。車体を灰色に塗り、ガラス窓に金網を張れば、小菅の刑務所に直行便となるからだ。そのまま出所しなくても、日本の政治が更に悪くなるとも思えない。それも想像した。

  文革終焉の四人組と自民終焉の五人組。このダブル・イメージも私をして笑わせた。

  世論調査の結果を信じない私だから出来る事だ。

  付の一.
  電話調査なら、何時に電話を掛けたのか。昼間なら、自宅にいるのは、じいちゃん(小国寡民もその一人)ばあちゃん、有閑マダム、出勤前のホステス、ビルの成金オーナー位だ。

  付の二.
  電話番号をランダムに選んだら、最後まで掛けなければならない。少なくとも、9割位は回答が必要だ。会社に掛けたら、怒鳴られる。それで、集まっただけでいいやとなる。数値の入手(サンプリング)手法自体があやしい。

潜水艦を追え

  天気さえ良ければ、ヤギの放牧と犬の散歩で太平洋を見渡せる浜に出て行く。歩いて5分とかからないから、毎日のように、a fool on the hillならぬa fool on the beachの気分に浸れる。

  ぼ~としているのがfoolの特権とはいえ、飽きてしまうこともままある。そういう時は、倍率8倍の双眼鏡で、海面を見ることにしている。これは、潜水艦の潜望鏡がひょっとして出ているかもしれないとの期待からである。突然、潜水艦が浮上し、ファントマが現れたら、嬉しさのあまり卒倒してしまうだろう。

  本題。

  日本海軍のイージス艦が潜望鏡を見たという。潜望鏡の何百倍も大きな漁船は衝突するまで目に入らなくても、一本の棒は目に入る。不可解である。

  このイージス艦、潜望鏡(らしきもの)を一キロ先に発見。一本の棒が見える程だから、海はシケでない。それを、見失ったという。なぎの海の一キロ先なんか、目と鼻の先である。イージス艦だけでなく、最先端探索機能を有しているといわれているP3C哨戒機まで繰り出しても、追跡できなかったという。へりも動員されたそうな。

  潜水艦がどれほど速いか知らないが、飛行機には敵うまい。せめて、どちらの方角に行ったのか位はわからなければならない。

  今回の追跡劇で分った事は、たかが潜水艦1隻さえ満足に追い詰められない日本海軍の無能力さである。これでは、軍備賛成論者が好んで語る「一朝事あらば」の際、何十となく押し寄せてくる潜水艦にお手上げである。何のために、民生を犠牲にして、軍備に金をかけるのか。

  私の持論である、「自衛隊三軍にはブリキの軍艦、プラモの戦車、それと紙ヒコーキ」の有用性が証明されたようなもので、いささか鼻が高い。

  待てよ。

  1キロ先の潜水艦を見失うとは、どう考えても不自然である。レーダーやソナーに反応しない潜水艦なんか、それこそファントマの木製潜水艦だ。日本領海までノコノコやってくる潜水艦がオモチャであるわけがない。金属製なら、日本海軍が追跡できないはずがない。

  「○○時××分△△秒(以下○時)、国籍不明ノ潜水艦1隻、我ガ領海ニ向カッテ航行中」
  「○時、領海侵犯セリ」
  「○時、某国籍、○○級潜水艦○○丸ヲ確認セリ」

  こんな調子で、海軍は、侵犯前に早くも確認していた。それを侵犯させたままにしたのは、その潜水艦の性能、操舵性向、その他諸々の情報を収集するためである。まさに、泳がせていたのだ。

  それを、1キロ先に発見、追尾不能と発表したのは、敵側を欺くためである。正直に、日本人民に報道したら、「あんたらの潜水艦、近づくの、とっくに分っていたからね。おバカちゃん」と敵に日本海軍の索敵能力を教えることになる。こんなことを軍隊がやるわけがない。今回の報道は、がせである。

  だが、待てよ。

  国籍まで隠すことはあるまい。レーダーとソナーによれば、機種さえ特定できるはずだ。それでも国籍を不明としたのは、ロシアか中国かのいずれかであったからだ。領海侵犯は、自分の海でもないのに、大衆は無性に腹が立つもの。仮に中国だったら、日本の世論に、それこそ、火に油だ。仮にロシアだったら、泣き寝入りしかないから、政府のメンツがない。こんな時期にメンツが失われれば、来る衆院選へのダメージは計り知れない。これが朝鮮の潜水艦だったらどうなったか想像すればいい。

  ここで、私は悩む。

  本当に見失ったのかも知れない。いや、すべて分っていたのかもしれない。そうかも知れないし、そうでないかも知れない。

  古来、軍事と外交の二つは、国民に真実を語らない。たとえ語るとしても、ウソが混じっているのだから、どれが真実でどれが虚偽だか、国民には分らない。国家の広報を信用する方がお人好し(=愚)であるだけだ。

  付の一.
  外国の情報機関のプロが分析してもなかなか分らないようにカモフラージュしますから、自国民がお茶の間で分るはずがありません。

  付の二.
  拉致問題で、年がら年中、米・韓・日が集まっていても、会談の発表となると、「三か国が引き続き連携をとることに合意しました」のリーピトであるのも、当然といえば当然です。だから、へんてこな大臣を拉致被害者の応対用に据えたのです。外務省が被害者の会とかに面会して、いちいち経過報告するわけがありません。へんてこな大臣は、ガス抜きクレーム処理係という所です。

  付の三.
  潜望鏡を出して進むのを、潜行というのか航行というのか分りません。「航行」にしておきました。

  付の四.
  ここでいう「ファントマ」はフランスの映画です。私のお気に入りの一つ。表題は映画「レッド・オクトーバーを追え」から借りました。

いつまで飲める、鉄管ビール

   役場:「はい、水道担当の××です」
小国寡民:「朝、蛇口をひねると、水がオレンジ色なんです」
「昔建てた家には、鉄管が使われているからです」
「この頃、匂いがしてきました。鉄サビの味もします」
「そうでしょうね。鉄管がサビているのですから」
「鉄管は取り替えてもらえるのですか」
「ノー。本管から先は、個人の負担となります」
「これから何年使うやら。新しい管にしたくないですね」
「いずれ鉄管はダメになります。それまで小国寡民さんが・・・」
「鉄管がダメになるか、私があの世にいくか、速い者勝ちということですね」
「そういうことです。ははは」
「分りました。ははは」

  一般論として東北人は真面目すぎるほど真面目、これは結構なのだが、私の度を越したユーモアや冗談に怒り出す人も多い。その中で、お互いに顔見知りという間としても、この、担当者は、ユーモア精神が旺盛だ。気に入っている。

  小国寡民:「役場で教えてもらったのですが、水道管の交換をしてもらえるのですね」
工事業者:「ええ、やりますよ」
「50メートルはあると思いますが、1万円でできますか」
「なんですか、1万円とは。数十万円は掛かりますね」
「それなら、このまま使います。変色して異臭があって、鉄サビの味がするのですが、あと、どの位、大丈夫でしょうか」
「まあ、2年、長くて3年でしょう」
「分りました。ははは」

  1万円の提示は冗談だが、分ってくれない。考えてみれば、役場は真剣だろうが冗談だろうが、当事者でないから相手に合わせて応対するだけで済む。だが、業者にとっては商売だ。受注、工事、精算と、真剣でなければやっていけない。分ってくれなくて当然である。

  もう一つ、前の「ははは」と後の「ははは」は、ニュアンスにおいて大違いである。

候補者選定にあたって 民主党に多様性を求む

  今回の総裁選に出馬できなかった自民党議員に、棚橋先生という人物がいた。この先生、国家公務員を1割削減すると公約した。また、国民一人あたり700万円(だったか)の国債借金を次の世代に負わせてはならないとも発言した。総理大臣にならないから、残念なことに公約も発言も一夜の夢に終わった。

十数年、新聞を読まず、もっぱらNHKのニュースでしか自民党の姿を窺えないが、この棚橋先生までは、自民党は一枚岩だとばっかり思ってきた。この岩は、岩でも金(カネ)という岩で、なんだかんだと内輪もめらしきポーズをとっていても、この金という岩でがっちりまとまっている、そう見ていた。それで、彼の発言は私には自民の多様性の芽生えかと驚きであった。

  しかし、基本的には、金でも泥でもとにかくまとまってきた自民だから、あら捜しに困る度に、「民主はバラバラだ」と非難してきた。

  私は、欠陥だらけの現行選挙制度下では、バラバラが正常な姿であると思っている。外交、内政、福祉、教育、司法、自治、その他すべてにわたって、どこの党であっても国会議員が同じ意見や考えである方が不自然なのだ。

  政治家が金太郎飴となったらどうなるかは、大政翼賛会が教えてくれる。遠くは、ロベスピエール、近くは、4人組も好例である。

  本来、少数党が多数存在するのが、政治的に進化した国家の姿であるが、現行の選挙制度がそれを拒んでいるので、仕方がない。

  小沢代表は、霞ヶ関を解体すると言っている。私は、その実現に極めて悲観的だが、民主党のまとまりはこの官僚政治の終焉で十分である。他のことで、自民や公明がなんと言おうが無視することだ。

  候補者選びが進んでいるという。選考基準をあれこれ設けず、対官僚組織に物怖じしないかどうか、これ一本に絞っていただきたい。他の相違点は、選挙後、ゆっくり党内で話し合えばいいのだ。

  付の一.
  願わくば、海外派兵の禁止も加えてもらいたいが、先ずは、官僚政治をぶっつぶす(小泉さん調)ことだ。

  付の二.
  願わくば、親の敵である日米安保も解消してもらいたいが、以下同文。

  付の三.
  願わくば、裁判員制度を廃止してもらいたいが、以下同文。

  付の四.
  くどいようだが、自民党のまとまりは金によるものであって、日本かくあるべきという議論がなされた後の政治信条でまとまっているのではない。(かくあるべきの結論がカネであると言われればそれまでだが)

  付の五.
  カネでない一枚岩が日本共産党。どれほど理念が優れていても、全項一致であれば、せいぜいあの議席がベストである。早く、党名を共和党に改め、少し、幅をもたせたらいいのに。

  注:願文が多いのは見苦しいと兼好は誡めている。私も、この程度で我慢することにした。

農水大臣 国民に代わって農水省を告訴

  三笠フーズに限らず、偽装を行った責任者(大概は社長)は、金銭欲を何より大切にしている倫理観の欠如している人間である。放っておけば、何をしでかすかわからない。

  彼らの悪事は、最初から大規模だったわけではない。少しやってみる。役所の立ち入り検査が、心配していたほど厳しくないことが分る。「それでは、もう少し」、「まだ、大丈夫」、「もっとやってしまえ」、こうして悪事の拡大再生産が行われる。

  在庫と出庫先を調べれば、いとも簡単に不正は見抜けた。昨日のブログの繰り返しになってしまうが、農水省は不正を見抜く意志が全くなかったのだ。

  いつかバレるに決まっていても、それで懲戒免職になるわけでなし、民間悪事露顕会社の役員のように、低脳記者連に低頭する必要もない。国会では、時の大臣が一から十までかばってくれる。農水役人は社会保険庁よりマシとふんぞり返っている。

  三笠フーズの社長は、和気藹々で蜜月時代を一緒に過ごしてきた農水省から告発されるとは、夢にも思っていなかったろう。そして、今にして思えば、最初の検査で、注意してくれればこんなことにならなかったと、農水省を怨んでいることだろう。

  私は、耐震検査や食品検査は、受ける側より、する側に百倍の責任があると思っている。なぜなら、受ける側は、悪人といえども、われら国民。する側は、国家権力を後ろ盾にした官庁の役人や委託外郭団体の職員。

  農水省が三笠フーズを告発するという。いつのまにか、農水省は正義側に転進してしまった。この変わり身の速さよ。国家公務員の真骨頂である。

  どうせ数ヶ月、椅子に座るだけの農水大臣だ。この際、思い切って、農水省を告訴せよ。

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農水省の怠慢 立ち入り検査 民主党に(少し)期待

  家電品にアメリカのUL認定は不可欠だ。UL認定は主に火災に関する安全基準を満たした製品であることの証明で、アメリカに輸出できるためには、ほとんど絶対条件である。

  これは、抜き打ち検査で、受付でULの検査員であることを告げるだけで、そのまま、工場の生産ライン、資材・部品倉庫、製品倉庫、など現場ならどこでも自由に入っていく。念の入った検査員は、ゴミ収集箱の残材までチェックする。

  認定を取得した条件に出荷する製品が満たしているか否かを確認するためである。ちなみに、この認定を受けた製品、部品には、ULマークが印刷される。

  私は、ある会社の技術部でその応対役をさせられたことがある。受付嬢から電話で、立ち入り検査員が来たと連絡が入る。その刹那、すべての作業を止めて、検査員を迎えにいく。迎えはもちろん名目で、現場がボロをださないように、正確には、ボロを隠すように、応接間で時間つなぎをするためである。これ以上書くと少し生々しくなるので、止めるが、言いたいことは、検査は抜き打ちに限るということである。性能検査や耐久試験のサンプリングも同じで、前もって、検査用や試験用に作っていたのでは、その製品・部品の性能は把握できない。それでは、なんのために、検査を実施するのか、わからなくなる。

  このわからないやり方を、農水省は、やってきた。立ち入り検査を数十回行っても不正行為が発見されなかった。聞けば、事前に立ち入り検査日を、農水省が立ち入り先に連絡していたという。発見できないのは当たり前である。

  そこで、考える。

  抜き打ち検査でなければ、不正行為が発見されないこと位、農水省の役人は百も承知である。これがわからない程彼らはバカでない。検査は法律か規則で定められているから、やるだけであって、はなから、業者の不正を摘発しようなどとは考えていないのだ。検査官もただ出張するだけ。おかしいと感じても、それを上司に告げる勇気はまったくない。にらまれるだけであることが、分っているからだ。役所の体質および業者との癒着の見本である。

  「何を信じればいいの。襟を正して」で話は終わらない。

  知らないで買い付けた焼酎メーカーや酒屋、菓子屋など、商品の自主回収を始めた。農水省が未練がましく、健康被害はないと言っているが、そんな呑気なことで世間は通らないことを、知っているからだ。その損害は、いかほどになるのか、1万円以上は大金で括る私には、想像できない。とにかく、百万の単位ではあるまい。

  それだけ損害を蒙ったら、メーカーは被害者の会でも結成して、農水省に弁償を求めるのが、筋である。農水省の権利であり責任である検査を事前予告検査という明白な怠慢が原因であるからだ。

  私は、この筋はないと読んでいる。それぞれのメーカーは農水省から陰に陽に、三笠フーズのような恩恵を受けているに相違ないからである。そんなことはないというメーカーがあれば、損害賠償を請求して、後から、農水省の役人ににらまれることを恐れての忍であろう。

  一年前だったか、このブログで、内部告発奨励法案の成立をめざせと訴えた。ありがたいことに賛意のコメントも頂いた。

  国民の手前、検査をしぶしぶやっている役所や多くの外郭検査機関を撤廃して、それで浮いた数十億円を、内部告発者に生涯年金を与える、この方が、絶対に日本の偽装体質の改善に役たつ。

  民主党の小沢代表は、官僚政治を覆すと鼻息が荒い。政権を握ったはいいが、狡猾な役人は(自己保全はおくびにも出さず、業界保護もおくびにも出さず)自分の職場の廃止がどれほど民の生活に不幸をもたらすかを論じる。それに民主党がたじろき、結局は例外のオン・パレードになる。こんなシナリオしか、私には描けない。

 私は、明治以降の国家官僚機構が寄せ集めの国会議員先生によって揺らぐほど、やわでないと悲観している。私のシナリオの正しいことが証明されることになるとはいえ、次善の策ということもある。民主党に(少し)期待する。

ジェット戦闘機 (その三) F-22対F-15

  F-22はレーダーに映らないという。F-15は、映る。これでは、初めから「勝負あった」だ。

  軍人将棋で、自分の方だけが駒を表にして、相手が裏なら、100戦100敗である。それと同じだ。

  実際に模擬の空中戦をやったら、F-22の圧勝の結果となったそうだ。

  それでは、F-22とF-22が戦ったらどうなるか。

  私には、戦いそのもののイメージが湧いてこないのである。レーダーで敵機が確認できないということは、すべてパイロットの目視に頼ることになる。雲の上だから視界は常に良好であろうが、一本の道路と違って、平面の海と違って、敵は上にいるかもしれないし、下かもしれない。それを目視で確認することはほとんど不可能である。

  たとえ目視ができても、後ろからの攻撃しか有効にならない。正面から向かい合った場合は、目視ができたと思ったら、もうお互いにすれ違って数マイルはなれていたということになる。それでは、空中戦そのものができない。

  レーダーに映らなければ、誘導ミサイルも役に立つまい。

  1.アメリカが日本にF-22を売らない訳は、日米再戦の時、ジェット機が、無用の長物となってしまう。
  2.アメリカがF-22を売り始めたら、目視以外で索敵可能になったと思うべきである。アメリカは、むろん、内緒にしておく。

  日本の防衛庁が巨額の金をつぎ込んで、F-15を改造するのも、F-22の向こうを張って、主にレーダー対策ではなかろうか。それが実現すれば、空中戦ができなくなり、結局、ただ持っているだけで、かつ、ただエンジンの調子を保つために、一直線の飛行を続けることになる。

  千200億円を使って、「やれやれレーダーに映らない、めでたし、めでたし」と、F-22を売ってくれないアメリカをなかば怨み、なかば自国の防衛産業を誇りに思っても、その時、アメリカはすでに対抗策に成功しているかもわからない。

  すべからく兵器の向上は、軍需業者が儲けるだけである。F-22騒動のニュースは、それを語っている。

  付の1.
  アメリカは日本の自衛隊と戦う場合もきちんと想定しています。日本の防衛省も、たぶん、いくらか対アメリカ戦を(政治的でなく)軍備のあり方として想定しているはずです。

  付の2.
  軍人将棋で、駒をぶつけるとき、「バッカン」と声を出したように覚えていますが、定かではありません。終戦後も、私は遊びました。

お詫びと訂正 F-15改造費と大分県教委事件

  言葉がどうもしっくりしない、後になっても引っかかるような場合は、大体、そのブログを書き直している。例えば、忠信愛国と1度書いたが、これは忠君愛国でなければいけない。どこで忠信愛国を書いたのか、忘れたので、次は忠君愛国とした。キーの打ち間違えは、努めて少なくしているが、ひらがなの所が妙な漢字に変換されていることもままある。

  これを、一つひとつお詫びと訂正をやっていたのでは、神経衰弱になるので、「はは~ん、また、小国寡民、とちったな」でお許し願うとことに、(勝手に)決めている。

  今回は、少し、間違いの度合いがひどいので、特別にお詫びすることにした。

  1.F-15改造費
  120億円とか書いたが、これは千200億円の間違い。一桁違っていた。F-22並みにレーダーに映らないようにしたいためだろうが、映らなくなったら、どうやって空中戦をするのだろう。とにかくこの千200億円で、年収200万以下の人1千万人、その120万人が一年間10万円の免税となる。

  2.大分県教委事件
  強制退職(クビ)の教師は、昨年の7月に採用が決まったとのこと。だから、実際に教壇に立ったのは、4月からの数ヶ月だ。それを、2~3年と書いたのは、間違い。しかし、前から贈収賄があったというのだから、2~3年の実績どころか10年の実績があるのかもしれない。苦渋の決断と県教委が記者会見していたが、苦渋ついでに、教育委員会を廃絶してしまえ。

村井県知事の不作為犯罪 仙台市民オンブズマンの正義感

   たった今、ニュースで、宮城県議に議会に出席した日に、日当が支払われていることを知った。それを、仙台市民オンブズマンが不当であると、宮城県にクレームをつけた。

  県議は議員報酬が支払われている。その上に日当が1万800円から2万200円議員に支払われるというのだから、知らぬが仏。

  会社員は月給が支払われる。その上、出勤日の数に応じて、日当が支払われる、こんな会社は広い日本のどこにもないだろう。

  村井知事は口を開けば、宮城県の財政難を県民に訴えて我慢を求める。最近は、民主党の小沢代表が総理になってもいいように、財政難対策を民主党にお願いし始めた。

 仙台市民オンブズマンは仙台地裁に提訴した。仙台地裁には、まともな裁判官もいるので、それに当たれば、オンブズマンの勝ちとなる。当たらなければ、「むにゃむにゃ」と能書きがならべられるだけで、村井知事の勝ちとなる。公僕対国民の裁判で国民が勝つ判決など皆無に等しい。

  日当は計800万円になるそうだ。黙っていれば、どんどんふくらむ。村井知事は裁判沙汰になる前に、こんな無茶苦茶な日当は廃止していなければならなかった。それを、“目障り”オンブズマンから騒がれて、しぶしぶ応対するのだから、あきれかえる。

  彼は、例の自動車工場の誘致に舞い上がって、もう手がつけられない。国会解散と同時に宮城県知事も辞職して、県民の信を問うといい。県議会も当然解散で、その名も「日当解散」だ。

  一日も早く、県単位の国家にして、国家公務員のでたらめをお手本にして甘い汁を吸いつづけている怠慢知事や県議を、一掃しなければいけない。虎の威を借りた狐も虎がいなくなればおとなしくなるものだ。

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ジェット戦闘機 (その二) 紙ヒコーキの抑止力

   ある人が紙ヒコーキとジェット戦闘機の最大の違いは、仮想敵国の攻撃抑止力の差であるといった。差というより、有無というべきか。

  私が分るように、こんな例えで説明してくれた。

  毎年暮れになると強盗に遭うコンビニが、我慢がならず、入り口の両脇に一人づつと店内に二人、計4人の屈強なガードマンを雇った。そうしたら、それ以後、一度も強盗の被害に遭わなくなった。国を守るのも、店を守るのも同じで、無防備ではならず者国家から攻撃される。攻撃されないために、軍備は“必要”悪として、必要なのである。お分りか、小国寡民よ。

  ならず者国家という表現がひっかかるから、仮想敵国と読み替えることにして、反論する。

  コンビニに押し入る強盗は、目的がレジの金である。そのコンビニに強盗に入るのは、捕まる可能性と成功した時に得られるレジの金額を秤にかけて、成功率が高いと判断するからだ。ガードマンが4人もいれば、捕まる可能性の方が高くなるだろうから、押し入ることを諦める。では、どうするか。別の手薄なコンビニに押し入る。

  仮想敵国の攻撃は、これとは異質である。戦争の相手は、A国がだめならB国を相手というようなことではない。あくまでもA国であり、A国の軍備が100であれば、それに怖気づくことなく、それを凌ぐ軍備を企てる。自国の軍備が50だからといって、30の軍備をもつB国に攻撃を仕掛けない。コンビニ強盗の目的が金であるのに対して、国の攻撃は、正義の名において敵国の成敗が目的であるからだ。

  更に、強盗は金が目的だから当然損得勘定が先となるが、国は、計量不可能な正義が目的だから、しばしば、50の力で100の相手に向かうことがある。「そんな無茶な」と嗤うのは、戦争が終わってからの話である。

  そういう訳で、仮想敵を作っている限り、相手も自国を仮想敵と見なすから、自国がジェット戦闘機を増やせば増やす程、仮想敵も負けてはならじと、対抗して増やしていく。抑止力どころか、軍拡がエスカレートする。

  昨今、中国の軍事費が不透明であるとの苦情が日本に起こっているようだが、そんなもの、知っても知らなくてもいいのである。もちろん、朝鮮のテポドンかピンポンかが、一回や二回成功したからといって、右往左往することもない。騒げば騒ぐほど、軍需産業が繁盛する。それに反比例して日本の民生が疎かになるばかりだ。

  F-15なんか、いらない。紙ヒコーキを飛ばしていればいい。仮想敵国のスパイは、それを見て、本国に、「日本空軍は紙ヒコーキを主力戦闘機としている。わが方は、ラジコンで十分である」と打電する。

  抑止力は紙ヒコーキの方がジェット戦闘機より勝っている。


  付:
  4人のガードマンを雇ったコンビニは、強盗こそ来なかったが、毎月のガードマンへの支払いで、倒産した。こんなことなら、暮れに一回の強盗の方がよかったとは、店長の歎き。(想像です)

s-a0908白浜カヤック

ジェット戦闘機(その一) ただ飛んでいるだけか 

   ここ数ヶ月、何かわからないが、島の雰囲気が前と違っているように感じていた。

  9月に入って、それが分った。ジェット戦闘機の爆音である。

  5月の連休前に5機編隊の飛行が最後で、以来、ほとんど、松島基地から飛行ルートであるこちらに飛んできていない。その静けさが、前と違っていたのだ。

  ニュースで、ジェット燃料の高騰のしわ寄せから、滑走路では二つのエンジンの一つに点火しないことにしたという。

  片肺飛行がどれほどの危険が知らないが、空中では年中やっていられないだろう。それで、「いっそのこと、休んでしまえ」となったと憶測する。

  今月初めから、燃料の手当てがついたのか、また、キーンが始まった。

  ところで、ここは、空と海しかない土地だから、そして私はヒマだから、音がすれば、つい好奇心から空を見上げる。ジェット戦闘機だ。ここに移ってから、何百回と見てきたが、すべて、まことにすべて、一直線に飛んでいる。ただ飛んでいるだけである。疑問だ。

  話は飛ぶが、だだっ広い砂漠で車を走らせるのは、運転技術の向上のためではなく、その車の性能を確認するためである。運転技術を競うのであれば、S字カーブ、ヘアピン・カーブ、アップダウン、直線などを組み合わせて作ったF-1コースでなければならない。

  ジェット戦闘機でも、同じ事が言えるのではないか。空中戦の現場でいかに戦うかの腕を磨くことが、パイロットの日頃の鍛錬であるはずだ。現場までの飛行は、勤め人が通勤電車に乗っているようなもの。

  自衛隊は、模擬訓練は遠く太平洋上でやっていると言い訳をするかもしれない。これにも私は疑問を持っている。快晴の空、ジェット機は見えなくなるまで一直線に飛んでいく。2機が多いが1機対1機の戦闘はおよそ常識では考えられない。戦闘は、必ず複数機でするものだからだ。単機の時も結構あるが、どうやって空中戦の訓練ができるのだろうか。

  ここで、覚った。

  訓練飛行は、名ばかり管理職、いや、名ばかり訓練で、実際は、ジェット機のメンテナンス、車で言えば、アイドリングをしているだけのことだということを。パイロットはただ飛ばしているだけの役目であることを。

  いつ起こるか分らない空中戦のためのアイドリングならまだしも、いつまでたっても起こり得ない空中戦のために、ジェット戦闘機を飛ばすのは、おおいに“いかがなものか”である。

  私が、航空自衛隊は滑走路に集まって紙ヒコーキを飛ばしていればいいという理由の一つである。

  付の一.
  模擬戦をやっているなら、是非、私の見える所でやって欲しい。真上は嫌だが、10キロ先の太平洋は苦しゅうない。撃墜された戦闘機は、尻からオレンジ色の発煙筒を焚く。仮想敵のスパイに隠すほどのこともあるまい。どうせF-22に遇えば、F-15なんか全機撃墜だ。

  付の二.
  数日前、1機、大音響とともに超低空で通過していった。よほど、前のブログの紙ヒコーキ論が癇に障ったのだろう。パイロットは、私をにらみつけて、「Fxxx you」と叫んで去っていった。ミサイルの誤爆が心配だ。

  付の三.
  空中戦は多分、シミュレーション・ゲームでやっているのだろう。椅子に座ったゲームが実戦で役に立つとは思えない。

  付の四.
  この項、映画「トップ・ガン」を参考にいたしました。砂浜で空を見て、思いついた程度のものです。

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昔の「おしん」 国民の苦労 昔も今も、これからも

   「おはなはん」だったかもしれぬ。NHKの朝の連続テレビ小説が流行っていた。それが手を替え品を替え、今でも続いている事を島に移ってから知った。

  本土に行くには、朝の連絡船しかない。その時間がちょうど連続テレビの時間と合っている。だから、船室に座っている限り、否応なく見ることになる。

  かれこれ10年、年12回くらいか、見てきてわかったのは、舞台がまるで華僑の商売かと思うほど同族経営であることだ。同族経営と言っても、西武の何某一族でなく、経済統計上では、零細企業で、毎日なにがしかのトラブルを起している。まあ、トラブルがなければ、ドラマにならないから当然の話だが。

  そのトラブルの中に資金繰りが必ずと言っていいほど入っている。売上が年々倍増し、お金に困らない零細企業では、ドラマにならない。これも当然の話だ。

  そこで、どうするか。すったもんだ、滑った転んだを経て、ハッピー・エンドの最終回を迎える。

  この時、絶対に登場しないのが、政府の補助金・助成金である。

  「こんな売上では、来月まで、のれんが持ちませんわ」
  「ほなら、政府に頼みましょ。ばらまき予算があるからして」

  「現金がない、もう部品の手当てができない、嗚呼」
  「東京都の銀行に行こう。返せなくなったら、ごめんということで」

  これで事足れりでは、まったくつまらないドラマにしかならない。第一、誰も観てくれないだろう。

  不思議なもので、実社会では、補助金・助成金、放漫融資、なんでもござれである。少し苦しいとなれば、大声で叫ぶといつのまにか、金が入ってくる。そうでなければ、政府の怠慢・国民生活無視とこき下ろされる。次期選挙では、応援しないと脅迫される。

  私は、真剣に目を凝らして毎日観ることができるようなドラマとは、政府の補助金や東京都の銀行の融資を手にした零細企業や中小企業のその後の成り行きを描いたものであると思っている。

  その成り行きは、決して「事足れり」ではない。自助努力を捨てた末路が、他力本願で安易に仕事を続けた末路が、どれほど惨めなものになるか、これが最終日となるのだ。

  苦労など、とりわけ今だけのことではない。いつの時代にもあるもの。泣き言を言うのは結構だが、お上を頼むようでは、いずれ己の身に破滅がやってくる。お上は最後まで面倒は見てくれない。私こと小国寡民が連続テレビ小説のシナリオを書くとすれば、絶対にこういう風にする。

  付の一.
  正規度数分布の3σのことでして、この3σに下方側に外れた本当に苦しい人は、政府の責任において生活が保障されます。日本には、その位の金は十分にあるはずです。なければ、兵を先ず捨てることです(ここは論語調)
  付の二.
  今は、乗船時、アイ・マスクと耳栓を必携としています。本当によくも飽きずに放送するものだとあきれるのも、いい加減に飽きてしまったのです。

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石破先生、「日本だけ国際貢献しないでいいのか」と言う

   イラクがクウェートに侵攻(して奪回)した時、自民党の若手議員から結構歳がいった議員まで、「世界の若者が血を流しているのに、日本だけ金で済まそうというのでは、世間(世界)に顔向けできない」と言って怒りかつ歎いた。結局、クウェートから“ありがとう”のあの字さえ日本政府はもらえず、1万人が丸々1年遊んで暮らせるほどの大金を差し出しただけに終わった。

  そんな亡霊が、まだ、自民党に潜んでいたのだ。さすがに、昔のような「血を流せ」式の言い方はしないが、国際貢献の名目を使って、米国追随外交の維持拡大を図ろうとしている。

  映画に「血と砂」があった。ここでは「血と金」を自民の諸君にも分るように、やさしく説明する。

  石破先生を含め、クウェートの時の自民党議員は、血の方が金より重い意味を持っていると考えていた。これは、間違いである。大多数の人間は、命と金を天秤にかけるようなバカは考えない。命と金は、共通の尺度が全然ないから、そもそも比較のしようがないのである。

  もう一つ、少数派ではあるが、命より金を選ぶ人間がいる。正確に言えば「命の危険」より「目の前の確かな現金」を選ぶということである。世界のあちこちで乱暴狼藉を働いているアメリカの傭兵が典型である。

  これで、命と金の比較が無意味であること、仮に無理矢理比較しても、命は必ずしも金に優先しないということがわかるはずだ。

  石破先生は、財務諸表が読めるといって自慢していたから、よほど頭の中身に自信を持っているようだが、この血と金の関係はどうやら分っていないらしい。

  彼の頭脳がどれほどであろうが、おちぶれ自民が何を言おうが、負け惜しみで聞き逃せるが、この「国際貢献」という大麻は民主党まで蔓延しているようだ。

  血による国際貢献、金による国際貢献、ともに一部の“国際”を騙る詐欺集団への人身御供、自主献金である。それが心配で繰り返し一筆した。

  付の一.
  この石破先生、趣味がプラモの軍艦とのこと。国庫を使って本物の軍艦を公海に浮かばせるのは趣味を逸脱している。国民感情としていかがなものか(またもや麻生調)

  付の二.
  クウェートからみれば侵攻、イラクに言わせれば奪回。それでカッコ付きにした。

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麻生先生 「国民の不安の一掃」を語る

    国民は苦しんでいる。だから、積極的な財政出動が欠かせないという。

  苦しみの原因が、石油の高騰、原材料費の値上げ、物価高にあるという。これから続くなら、永遠に苦しみも続く事になり、財政出動も際限なく必要となっていく。

  ここでいう国民とは、第一次産業の従事者、中小の下請け企業経営者、個人経営の商店主を指しているようだ。

  国民の中には、裁判官もいれば、国家公務員もいる。天下り先で退職金の計算をしている理事もいる。この人たちが苦しんでいるとは、ついぞ聞いていない。

  第一.
  苦しいと訴えている業種を仔細に見ると、それなりの理由があることがわかる。冬にキウリやイチゴを作る。石油で育てている。養鶏は冬でも照明灯を点ける。エサは輸入に頼っている。昔ながらの農家の庭先飼いは見られない。漁民は、儲かった時にここぞとばかり大型エンジンを入れる。中小企業の親方は、雑草のような強さを持っている。商店主は、大型店舗が郊外にできれば、それで閉店となる。実際、ここ石巻でもシャッター通りばかりだ。石油の高騰が理由である場合もあれば、そうでない場合もある。それを一括して、財政出動で処理しようとするのは、“いかがなものか”(麻生調)

  第二.
  日本は経済大国と言われるように、国全体では、豊かである。問題は富の分配があまりにも偏りすぎていることにある。国家公務員の給与は、民間企業を参考としてながら、従業員が1,000人以下の企業は勘定に入っていないと聞く。年収200万以下の1千万人の日本人がサンプリングされなければ、とてつもなく高額給与となるのは目に見えている。事実そうである。

  また、今さらであるが、各種独立法人の存在。治水を名目とした公共事業、国防を名目とした軍需産業の繁栄、これらに、日本の富(と称する大部分)が流れていってしまっている。これこそ、国民が苦しむ源である。

  私は、働いている人の活力を認めている。国があれこれしさえしなければ、たくましく生きていくものだ。例外こそあれ、ほとんどすべての日本人は、まじめに働いて、それに相応しい生活を送れるのもと思っている。なまじ、政府が補助や助成をするから、狂ってくる。

  老後の生活は国が絶対に保証する。それだけが民の不安を一掃できる。財政出動など、言葉はきれいかもしれないが、バラマキである。そんなことを考えるより、国の無駄を徹底的につぶすことだ。

  自民のコップの中と誰かが言っていたが、総裁選はその通り。でも、「国民は苦しんでいる」との言い方は、どこが政権を担っても、安易に使われそうなので、ここに一筆した。

  付の一.
  そう言っている矢先、消費者庁につづいて、観光庁を作るらしい。役所は自己増殖すると何かで読んだが、あきれた。庁を新設すれば、長官も置くだろうし、局長、科長、その他続々役職役人が生まれる。まさか、総理大臣がすべて兼任するのではあるまい。

  付の二.
  現役世代の不安解消は恒久的年金制度の確立にある。現役世代への介入(補助、助成も含めて)は不安解消には無効である。

  付の三.
  自民に代わる政権は、半年以内に、行政改革を徹底しなければならない。それを過ぎると、賢い官僚に手玉に取られて、お終いとなる。連立当時の社会党の通産大臣がいい例だ。

一金百万円也 パラリンピックに及んだ文科省の魔手

   幾日も幾日も曇りと雨が繰り返されてきた。青空を海に浮かんで仰ぐことのないまま、今年が終わるのではないか。そうなったら、悲惨だ。

  せめて海に浮くだけでもと思い、昨日、今日と海に入った。やはり、気持ちがいい。ヤギを少し追いかけるだけで、足がもつれる陸と違い、海では全然そういうことがない。

  浮かびながら、昨日のニュースを考えた。パラリンピックにも、報奨金が渡されるというニュースである。金メダルに100万、銀に70万、銅に50万という。“にも”とアナウンサーが言っていたので、オリンピック選手の選手には、既に規定があるのだろう。

  プロとアマの違いは、その行為によって、金品を受け取るが否かだけである。オリンピックがプロ化して、大道芸人の興行と肩を並べて久しい。華麗な演技を見せる、金が入ってくる。プロであれば、当然のこと、今年も派手にやってくれた。

  だが、パラリンピックは、その根本思想はゆがみきったオリンピックとまったく異質であるはずだ。ハンディを様々な理由から持つようになった人たちが、社会復帰を目指して、リハビリを続ける。単調なリハビリに加えて、勝敗を抜きにしてスポーツを楽しむ。これが道理である。

  それを、文部科学省は、メダルに金品を添付する、そればかりか、メダルの色で金額の差までつけるという。

  それほどまでに、金を与えたいのなら、文部科学省の大臣や役人が、募金を募って、それをパラリンピック選手に与えればいい。国の金を流用してまで、ハンディ・キャップの選手を堕落させて、どこが楽しいというのだ。

  今に見ていろ。パラリンピックに参加する選手から、「銅メダルは、私には何の意味もありません。キンです。カネです」などと臆面もなくインタビューに答える者がでてくるから。

  国民皆兵は困る。国民皆泳も、私の我田引水だ。しかし、昨今ひ弱になったと報告されている児童の体力向上になんの寄与もしないプロ選手を国が育てるのは、どう考えても、行き過ぎである。しかも、それが、パラリンピックにまで及んだとなれば、小国寡民、黙っていられない。

  選手育成の励みになって、ひいては、裾野が広がるという。冗談ではない。今の日本のオリンピック候補選手は、昔の東ドイツ並みの国家管理下に置かれ、エリート中のエリートとして、一般大衆から隔離された、およそ裾野とは縁のない場所で育てられている。

  曇天の下、一人、海に浮かぶ。ここが、1000分の1秒を争う目的で泳いでいる国策選手の裾野であるとはとても考えられない。

オリンピックよ、原点に還れ。文部科学省よ、原点に戻せ。

付:
 島に一人面白い人がいます。その人、今回、着衣、しかもケータイを首にかけたまま、海に飛び込んだそうです。次は何を見せてくれるか、楽しみです。私ですか。私は凡人ですから、海水着に着替えました。

我が闘病記 完結編  その後

  「その後」は、私の退院後のことではない。

  「ああ、あのことか」と正しく想像できた方は、住環境が非常にエコロジカル、今風に言えば、地球に優しい所で生活している方である。

 病気の性質から、入院して最も頻繁に通ったのがトイレである。部屋が暖かであるばかりか便座まで温かい。大変気持ちがいい。ここなら、「ダブリン市民」も読めそうな気がする。天井では換気扇が静かに回っている。水洗である。ボタンを押せば、すべてを水が流してくれる。

  我が家はそうはいかない。冬は他の部屋も同じだが、寒くてたまらない。換気扇は取り付けてあるが、夏は外のエントツから、あの香りが漂ってくる。水洗でないからボタンはない。半年に1度は、自力で後始末をしなければならない。

  暖かな便座に座って、ゆっくり考えた。

  この水洗トイレの水はどこに行くのか。数ヶ月に1度、バキューム・カーが連絡船でやってくる。島内放送で、予告されるから、頼む家は、何千円かの券を購入する。病院も同じはずだ。それから、また、連絡船で本土に運ばれる。それからは、追跡していないから、想像に頼るのだが、多分、浄化施設に移されて、色々な薬品が投入され、再び、更に大きな専用トラックでどこかの専用港に運ばれるのだろう。あるいは、太いバイプが既に埋設されていて、そこを通って、港に行くのかもしれない。最後には、大型船で沖まで運ばれ、放散されるのではないか。

  ここまで考えた時、一人の人間の「その後」が、とてつもなくエネルギーを消費することが分った。

  便座の暖房は電気だ。水洗の水は屋上までポンプで揚げられる。これも電気だ。脱水症状から回復して、小用となれば、センサーが働いて、自動的に水がその前とその後に流れる。「終わったらボタンを押してください」という張り紙もボタンもない。センサーは電気で働く。

  続いて、電気が来なくなったらどうするつもりだろうと考えた。電気は、先ず、燃料が必要だ、次に発電所、送電線、変電所、また送電線、電柱のトランス、また送電線、最後に器械、それらがすべて順調に機能して初めて水洗トイレが使える。発電用燃料は当然として、途中の一つでも非連続となれば、もう、お手上げだ。

  地球温暖化の炭酸ガス排出量はニューヨーク市が突出しているのも、これで理解できる。夜間の照明より、昼間のオフィスのトイレに膨大な電力、その元の燃料が必要だったのだ。平面を運ぶのに比べ、垂直方向に移動させるには、重力に逆らわなければいけないから、6倍か9倍かのエネルギーが使われる。

  陰の気で上空が覆われている東京都庁ビルも、同様だ。庁舎のトイレだけで田舎の1集落を凌ぐほど消費しているのではないか。

  昨日、上海で104階建てかの超高層ビルが出来たというニュースがあった。中国では、50階、60階建ては、もはやニュースにならないのかもしれない。

  恐ろしい事態である。どんどん建てられる高層ビルに電力供給は絶対不可欠である。そのビルが“休みなく”建てられているのだから、石油は、“休みなく”値上がりしていく。それは、地球温暖化を進行させていくことでもある。

  サミットを何回開いても、国の代表が何回話し合っても、一向らちがあかないのも、こうして足元で高層ビルを建てているからだ。開戦間際の軍縮会議と全く同じ構造である。

  ここで思った。高層ビルばかりではない。一般のマンションだって、電気がなければ住めないはずだ。人力で水を運ぶとなれば、せいぜい5階までであろう。5階であっても、1日や2日なら我慢するかもしれないが、1ヶ月は耐えられまい。

  人間はバベルの塔でわかるように、サルと違わず高い所が本能的に好きな動物である。お山の大将でえばっている間はよかったが、近代建築技術で3階以上のビルがたやすく建てられるようになってからは、エネルギー消費に際限がなくなった。

  原油価格の高騰を投機筋のアブク銭という見方があるようだが、水洗トイレが使われる限り、値上がりは避けられるものではない。

  アフリカの婦人たちが、一列になって水壷を頭に載せて歩いている光景はよくテレビで見る。巨大都市の婦人も、いつかの日か、頭に水壷を載せて、3階、4階の登るのだろうか。方や、その前の水、方やその後の水。

  便座で考えたことである。

  付の一.
  中国の建築ラッシュを云々しているのではありません。たまたま上海をテレビで見たので、中国を出しただけです。既存の高層建築の方が、罪は重いです。

  付の二.
  「その後」は商品名にもありますが、ここでの「その後」は、本当のその後のことです。

  付の三.
  わずか4泊5日の入院で闘病記とは。針小棒大のお手本でした。すいません。

大分県 21人の教師に同情し、県教委を罵倒する

  採用試験で不正合格となった21人を、県の教育委員会がクビにするという。

  「不正に採用されたのだから、取り消す」一見、筋が通っているように思えるがよく考えると、とんでもないことであることがわかる。

  そもそも、採用試験は、教師としての資質を確かめるためのものである。本来なら、1~2年、教壇に立ってもらって、それで初めて判断するものである。これが理想であっても、現実には無理なので、“やむを得ず”採用試験を実施している。

  聞けば、21人はすでに教壇に立っているという。実際に子供たちに接しているということだ。しかも、父兄から、これら21人の教師に対して、他の教師以上に「困った先生だ」という苦情も特に起ってない。苦情があれば、あら捜し専門を得意とするマス・コミが飛びついているはずだ。

  教員室で、他の教師と机を並べている21人を、「この人、この人・・・」と、選別できる教育委員会の役職者は一人もいまい。文部科学省の役人や教育の専門学者を連れてきても、できまい。

  21人の教師は、教壇に立って一年、二年と、教師としての資格が十分あることを立証しているからだ。この重みは、採用試験のペーパーテストや教育委員会による面接試験など比でない。

  それを、本来なら採用試験に不合格だったからという理由でクビにするのは、本末転倒である。

  今回の事件で、採用試験が教師の適否を目的としていながら、何の役も果たしていない事実が明らかになった。

  言うまでもなく、正義、不正は、その基準軸がその判定に有効であることを大前提とする。今回の大分のスキャンダルは、ささやかな贈収賄を暴くことに意義があるのではなく、国なり公的組織の法律や規定がいかに杜撰であるかを再確認することに意義があるのだ。

  教員採用試験制度の温存を最優先にした役人の姑息が彼ら21人をクビにする。私は、21人に同情すると同時に、大分県教育委員会の行為に官僚主義の非人情を見る。

  「国の基準を満たせば良し、満たさなければ悪しし」大変な錯覚である。国は法律や基準を作らない。みんな役人が作るのである。その役人がなんぼのものかを、民は感づいていながら、法律となると、金科玉条と崇めてしまう。

  採血器具、耐震強度、賞味期限、歴史教科書、等々、役人の作るすべての法律・規定は先ず、疑ってかかることだ。私の周囲に限らす、日本のどこを見ても、お上に従うこと、素直に過ぎる民が多いので、改めて大分教員事件を一筆した。

  付:
  教員採用試験問題集をご覧になれば、試験の無意味さがお分りいただけます。

辞める時期

  一度、レベル6の俗界に降りたら、しばらくは俗界を楽しみたい。

  政治家だったか、福田さんの仲間だったか、かなり前にすでに「辞めたい」と聞いていて、それが、辞任の第一歩であると、ご披露した。

  どれほど自分に合った仕事に就いていても、1年に1度や2度、辞めたくなることがある。それは、仕事の行き詰まりよるものかもしれないし、人間関係によるものかもしれない。あるいは、最高裁判事、上級官僚や天下り理事なら、仕事そのものの空しさかもしれない。1年に1度もない人でも、10年に1度はあるはずだ。「いや、ない」と言う人がいれば、30年ならどうだ。それでも、辞める気が一度もなかったから定年まで勤続したという人がいるかもしれない。

  私はしつっこい。ならば、「こんな旦那と一緒にならなければよかった、ああ悔しい」、「なんでこんな女房と一緒になったのか、無念」と一度も思わなかったかと聞きたい。

  福田さんが、「辞めたい」と外部に漏らしたのは、気晴らしからで、本気で辞めるつもりでない。「離婚したいわ」と親しい仲間に語って、それで離婚となれば、日本中、男やもめだらけになるだろう。これも、気晴らしをしただけである。

  福田さんが辞める決心をした時期は、公明党にバラマキという煮え湯を飲まされた日である。だから、「辞めたい」と聞いて得意になっている人には申し訳ないが、私は、今でも自分のブログを書き改めるつもりはない。

  付の一.
  解散があったら、海上で三遍回るのではなく、坊主にすることでした。福田さんの辞職を免責条項にしたい所ですが、いさぎよく、坊主になって、ブログに1週間、その頭を恥を忍んで掲載します。

  付の二.
  私は、「なんでこんな女房と一緒になったのか」などと歎いたことは一度もありません。天地神明に誓えます。でも、「こんな旦那と一緒にならなければよかった」と一度も思われなかったかというと、いささか、否、かなり、否、大いに、否、まったく自信ありませんな。

辞任と辞意

  官庁等も同じと思うが、会社を退職する時、「今日で辞めます」と会社に言う人はいない。30日のADVANCE NOTICE(事前通知)を行い、会社に迷惑がかからないようにする。会社がクビを宣告する時も、「次のボーナスを受け取るまでは残っていいいよ」という。これが、常識ある勤め人の出処進退であり、日本企業の人情である。

  突然の辞意表示ということで、福田さんがメディアのバッシングに遭った。バッシングしたメディアは総理大臣の立場を全然理解していない。勤め人と同じものと思っている。

  総理大臣が辞めると告げる相手は、会社で言えば上司に当たる国民である。上司であれば、別室に来てもらって、一対一で打ち明けられるが、国民が相手では、記者会見の場以外に方法がない。辞意表示は勤め人も総理大臣も突然である限りにおいて同等である。世間が、いつ辞めると総理に言われても驚かない場合、すなわち突然と思わない場合とは、遠くは石橋湛山、近くは小渕恵三を見れば分るように、本人の病気に回復の目処が立たない事態に至った場合だけである。

  突然の辞意表明が2度続いた。それで「自民は何をやっているんだ」と非難するのは、どう考えてもピント外れである。前の安倍晋三さんも何ら非難を受けることはない。

  辞任と辞意表示を混同してはならない。福田さんが、記者会見したその足で、関越道を下り、国定忠治の墓参りをして、そのまま、赤城山に隠り般若心経の写経でも始めたとしたら、これは無責任である。今でも、粛々と総理大臣の職務に励んでいるではないか。

  総理の辞意表明は突然であるのが自然。これからも、辞意表明は、突然に起こる。それを“唐突”と表現するメディアや評論家がいるとすれば、己の考察力に疑問を抱くべきである。

  次の国会の冒頭で、民主党初め野党は、この“突然の”辞意表明を政府攻撃の材料にするのではないか。私は心配する。

  今回、一般のメディアや評論家の言動に言及した。たまには、最低次元のレベル6も一興である。

  付:(再掲)
         小国寡民の階層 
       レベル 0  全てなるもの
      レベル 1  宇宙
      レベル 2  その中の地球 
      レベル 3  その中の人間
      レベル 4  その作品(文芸、音楽、政治、社会、等々)
      レベル 5  その解説
      レベル 6  その評価・批判

民主党 小沢代表は殿様 どっしり構えて

    だいぶ前の繰り返しになる。いつ頃のことか、とんと思い出せない。過去のブログを読み返そうにも、500件を越えている現在、時間が食われるばかりだ。ヒマがもったいない。

  それは、小沢代表は殿様で鎮座すればいいという内容である。

  アジア人であるからか、古来、国のトップは、細かい事に口を出さず、鷹揚に構えているのを名君とされてきた。政治は、直下の宰相、左大臣、右大臣、参謀、等々、優れた判断力を有する知恵者に任せる。トップは、何をするかと言えば、何もしないのである。ただ居るだけで、その存在価値を周囲が認めるのが、トップの絶対必要条件である。

  劉備玄徳と諸葛公明の関係が代表格で、史記には、これが満載されている。そうすることで、司馬遷が自分の価値を訴えようとした様子も窺えるが、とにかく、トップというものは、自分からがたがた動かないものである。昨今、リーダーシップとやらが騒がれているが、アジアの政治風土にまったくそぐわない代物である。西欧かぶれのたわごとである。

  さて、民主党。小沢代表はれっきとした高齢者の一人である。島にいれば、年に1回、役場の保健士から、「電車に一人で乗りますか」という滑稽なアンケートが渡される歳だ。

  若い時のように暴走したくても、口は回らず、足は走れずだ。それでいい。いや、それがいいのだ。

  麻生自民党党首(仮)がリーダーシップを肩にかけてちょこまか動き回るのを、黙って眺めているだけでいい。

  その分、(ここが欠けたらおじゃんだが)、菅直人と鳩山由紀夫が実務を取り仕切る。宰相兼左大臣兼右大臣兼参謀である。この両人はまだまだ若い。存分の活躍が期待できる。

  少々頭のベクトルが狂っている若年者も少しいるようだが、現有の優れた長老でしっかりガードしていけば、自民・公明、まったく恐るに足らずだ。

  社民、共産の伸張も願う私だが、先ずは、自民・公明を外野席の芝生に追いやらねばならないと思っている。

  来る衆院選の比例代表候補には、先の参院選にあったようなレスビアン連盟なんてふざけた女性を指名せず、思想・信念の一貫性の有無を基準として、真面目に選んでいただきたい。

  是非、避けていただきたいのは、世論の動向に媚びる日和見主義者である。こういう人種だけは、テレビの顔は見たくないしラジオの声も聞きたくない。

  付の一.
  「電車に一人で乗れますか」の間違いではありません。
  
  付の二.
  小沢首相(仮)が、「国連決議があれば、自衛隊を派」まで言ったとき、両脇から、瞬間的に手を伸ばし、小沢首相の口を塞ぐ、これが菅さん、鳩山さんの最大の仕事です。

福田首相 その六(さよならの章) 公明党 次の手土産

   自民離れは、もはやどうにも止らない段階に達している。自民党議員は己だけのサバイバルを賭けて、必死に動き回る。傍で見れば、右往左往としか感じられないが、当人は死に物狂いである。

  東方についたものか、西方についたものか、思案に暮れた関が原の再現である。

  その慌てぶりを、快く思っていない学会員は、これまでと違って、公明党のトップの指示には素直に応じない。自民党候補者は、公明党支持者の票を期待できなくなる。学会員は、指示がくれば、「ハイ、ハイ」と返事だけはするが、公明党が出馬していない選挙区で、自民党に投票することはない。

  結果として、民主党を利することになる。

  これは、あくまでも、結果であって、公明党が最初から意図したものではない。ここを間違ってはいけない。なぜかと言えば、公明党が、学会員が自発的に行う対自民非協力を、手土産代わりにしようとするからである。

  民主党は、差し出された手土産をありがたく頂戴しておけばいい。恩に着ること、まったく無用である。

福田首相 その五. 辞任は無責任 どっちが無責任

    突然の辞任を民はあきれているか怒っているか、そのどちらかのように、NHKのテレビを見ていると感じる。

  内閣支持率が30%を割っているのだから、10人に聞けば、7人は、退陣を歓迎する計算である。それが、街頭の声、漁村の声、農村の声となって映ったのは、「唐突に首相の座を投げるとは、無責任である」が、ほとんどである。

  福田さんが首相である間は、彼の代弁者を買ってでていて、辞めると分ったとたんに、石を持て叩く、それも、自ら持つようなことはせず、第三者を使う。周りから万が一でも何かクレームが出た時、「これは、私の意見ではありません、国民の声でした」と逃げられるためにそうするのである。

  無責任論者を10人中7人であるかのように操作した。これが第一の罪。世論操作の罪である。

  権力の座から降りると知るや否や、福田さんをゴミ扱いにした。これが第二の罪。品格欠如の罪である。

  私は、福田さんが突然辞めたからと言って、彼が無責任であるとは考えていない。ケネディが暗殺(これこそ突然である)されたその日の内に、後釜が据えられた。アメリカ政府が機能不全に陥ったという話はついぞ聞かれなかった。

  何度も言うようだが、政治家にVIP(erson)はいない。あるのは、VIP(osition)だけである。現に、福田さんが辞めると表明した翌日には、後継者が待ってましたとばかり手を挙げたではないか。

  首相になるのは責任重大だが、辞める時の責任は、一サラリーマンの退職と変らぬ鵞毛の軽さである。

  辞任した福田さんが無責任なのか、無責任と民に語らせるNHKが無責任なのか・・・。

モモの尾に触るリッキー

   ここしばらく、娯楽番組から遠のいていたので、今日は、ご機嫌伺いといたします。

  久し振りの晴れ間、狭い我が家の中は、もう沢山とばかり、巾120センチのデッキに二人が出ています。

  朝、人間が起きると、この二人も起きてきます。人間が起きない限り、いつまでも寝つづけます。

  起きれば、決まって鼻と鼻をこすりあい朝の挨拶としています。どこかの国でそんな挨拶をする人間がいたように覚えていますが、まあ、四本足と二本足の違いくらいですから、不思議ではありませんね。いえ、私はこの挨拶に加わりません。犬にやれば、倍になって舐め返されますし、猫にやれば、噛まれます。アメリカン・ショートヘアーの血が混じっているせいでしょうか、ヤンキーに負けずやたらに喧嘩っ早いのです。

  その挨拶が終わったあとが、写真であります。

  二つ載せたのは、上が普通です。よく見てもらうと、リッキーの後ろ足がモモの尾すれすれであることがわかりますでしょ。下は、ついに触れた瞬間の写真です。モモはにらみつける、リッキーはそれがなんだとにらみ返しています。

  ちなみに、犬は尾を触られると、どんなにイビキをかいて寝ていても、跳び上がります。猫は、尾を掴んでも、いやがりません。

  価値観の相違をまざまざと感じさせる一幕でした。

  にらみ合った後ですか。何事もなく、日光浴を楽しんでいました。

   めでたし、めでたし

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福田総理 その四. 公明党、ほくそえむ

   最初、タイトルを、「公明党、呵呵大笑」とした。その時、ふと、昔からの仲間を思い出した。その人は言葉にうるさくて、無論、親切心からだが、時折り、ブログの表現を注意してくる。

  そうしたら、確かに、呵呵大笑は陽気、豪傑に相応しい笑いだ。今度の公明党には相応しくない。それで、「ほくそえむ」に改めた。

  大連立事変で、コケにされた意趣返しが、今度の辞任劇の第一幕である。辞任会見の前日だったか、町村官房長官が「バラマキはしません」と、公明党の尾を故意に踏んだことが、最後の決め手となった。バラマキが公明党の揶揄に使われていることは、公明党自身よく知っている。

  数日前だったか、公明党は手土産をもって、民主党に擦り寄るというようなことを私は書いたと覚えている。その手土産が、福田首相の退陣だったのだ。退陣は、すなわち、解散であり、解散は、民主党の望むところだ。民主党がいくら逆立ちしても、できない解散を、公明党は現実のものとした。民主党にしてみれば、勲一等の功績である。

  意趣返しと手土産の両方を一度にものにした公明党は、見事なものである。しかも、衆院選が自民・民主と他野党連合とも、過半数の獲得に至らぬ結果となる。これが見えているものだから、早く解散しようが遅く解散しようが、自分達が不利になるような心配は全然ない。それどころか、小泉政権で圧勝した自民党であるより、民主党と拮抗した自民党の方が、彼らには望ましい姿である。

  民主党に改めて忠告する。勲章はおろか、過半数欲しさに公明党と組んではいけない。公明党を自民党に追い返して、彼らに政権を継続させていけばいい。そうして、二院制の悪弊を国民が嫌と言うほど味わい続ければ、一院制への道が自ずと開けていく。

  一院制を私は心から願っている。

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