老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

大本営発表 NHKへのお願い

   去年の夏、先の戦争について、かなり語ったように覚えている。特に、NHKの若い記者が、「当時の新聞は事実に反して、大東亜戦争の戦果を、書き連ねた」と言うのを聞いた時には、怒り心頭に達して、ブログに書いたはずである。

  NHKからのお願い(金を払え)ばかり聞いているので、今回は、NHKにお願いすることにした。

  金をくれというのではない。真珠湾攻撃から終戦の天皇陛下の玉音まで、ラヂオで放送した大本営発表を、再放送していただきたいというお願いである。

  すべてとは言わない。毎月決まった日、例えば月初めの1日、年12回、流す。アナウンサーは、「これは、○年×月の録音です」と言うだけでいい。大分かどこかの教員試験答案用紙のように処分していないだろうから、私の目の黒いうちに、(耳の聞こえるうちにだが)、是非、聴いておきたいのである。

  戦時中、未就学児の私は、家のラヂオで浪曲ばかり流れていたようにしか記憶がない。NHKを国家権力の広報機構と言っていながら、大本営発表については、孫引きのような形のままでいるのが、残念なのだ。

  今年の夏は、北京オリンピックでNHKは大忙しだ。だからといって、テレビ、ラジオ、すべてを一過性のオリンピック一色にすることはない。

 南方の島々で戦い、文字通り命からがらで生還した日本兵も後期高齢者になっている。その戦争体験談は、もう十分だ。NHKがのこのこ出掛けて、昔の古傷を根掘り葉掘り聞き出すこともあるまい。

  そんなヒマがあるのなら、自分の蔵に残されているラヂオ放送を今の我々に示す方が、絶対に日本の将来のためになる。たとえ、それが、NHKにとって不都合な結果となろうとも。

元頭取と元社長 裁判員制度

   長銀の元頭取が無罪となった。理由は、新しい制度が浸透していなかったから、仕方がないということだ。1兆円か3兆円かの税金が消えた。

  ライブ・ドアの元社長が、懲役2年何か月かの有罪となった。日本経済を誤まらせたという。また、彼には反省がないと裁判官が怒った。

  長銀は国策銀行である。頭取が有罪になれば、副頭取はどうなのか、その部下はどうなのか、監督官庁の役人はどうなのか、責任問題がどんどん波紋が広がる。公明正大の裁判官は、“賢明な”判決をくだした。

  方や、自民党に担がれたことでわかるようにおっちょこちょいの単なる一民間企業の社長である。煮て食おうが焼いて食おうが、国家官僚になんら影響を及ぼさない気楽な裁判だ。この裁判長、バカかおとぼけかどちらかわからないが、そのいずれかであることは間違いない。なぜなら、「反省がない」と判決文をよんだからだ。元社長は、自分の無実を信じている。反省があるわけがない。

  経済犯では、反省(むろん口先だけだが)が物を言うらしく、ほとんどすべて、執行猶予が付く。大企業、大役人、大天下り先ほど、「なんとかの根幹を揺るがす、かつてない悪行」と口先で怒って、よって「執行猶予」となる。

  アメリカの陪審員制度は、経済犯に対して容赦しない。特に、ハーバード大出身者で固めた大手企業に対しては、べらぼうなペナルティーを科す。アメリカ進出の日本の大手自動車メーカーや銀行、家電メーカーに対しても然りである。

  日本の裁判員制度は、巧妙にこの部分を避けている。裁判官でさえ顔をしかめる殺人など凶悪犯罪を民に与えて、湯水のように民の税金を無駄使いしてバレた人間や、ウソを通してついに逃げ切れなくなった大手企業の幹部などの犯罪に対しては、裁判員に関与させない。

  裁判官などが、自分の“公明正大”に自信が持てないなら、経済犯罪にも民の良識に頼るべきである。

  ふざけた制度、それが裁判員制度である。

  付:
  1.「いいとこ取り」は聞いたことのある言葉ですが、アメリカの陪審員制度の「悪いとこ取り」という表現は知りませんでした。

  2.裁判員制度は、たとえ内容が重複したとしても、繰り返し非難し続けます。

教育は聖域、教職は聖職

   歳の差が離れていた私の姉は小学校の教師をしていて、私が入学した時は、クラスで「先生の子」として、特別に見られていた。正確には、「先生の弟」または、「先生の家の子」だが、同級生からも、担任の先生からも、かなりていねいに扱われていた。姉が、別の小学校に移動になってからは、同級生からさんざんいじめられたが、担任の先生は、変らず、面倒をみてくれた。

  小学校で何を習ったか、覚えていない。習字だけは、特別に先生がついていた。その先生はよく覚えている。四十過ぎの女の先生で、教室に入ると漢字を一字私たちに示して、あとは、大きな声で独り言を言い続ける。うるさくて習字にならないが、習字ができなくても別に困らないので、我慢していた。生徒はみんな、陰で「気違い」といっていたが、本当にそうであった。と言って、父兄からクレームがつくことも、校長が精神病院に送ったわけでもなかった。

  3年から卒業までの担任の先生は、てんかん持ちだった。遠足のバスでは、帰りの途中で突然、口から泡をふいて、全身を引きつらせる。毎回繰り返すから、生徒も父兄も同僚先生がたもみんな知っていたが、普段の授業がたいへん立派であったので、別に大騒ぎするようなことはなかった。

  今から思えば、実にのんびりしていた教育現場である。私は、小・中学校はそれでいいと考えている。それどころか、のんびりしていなければならないとの信念でいる。

  学力(知識の増加)など、高校に入ってから、ずんずん伸びる。義務教育で教える知識は「読み書きソロバン」で十分である。あとは、児童をのんびり、おっとり見守るだけでいい。教師は、夏休み、冬休みは、生徒と同じように、ゆっくり休みを取ればいい。強いて願えば、宮沢賢治のように、生徒と一緒になって遊んでほしい。

  今日の教育現場は、成果主義とやらで、先生までが、サービス残業もどきの仕事を家に持ち帰るらしい。宿題は生徒だけと思ったら大間違いとのこと。それに、40日間の夏休みもあれこれの行事などで満足に取れないらしい。

  先生は、定年までヒラに甘んじる、無欲の人である。だからこそ、子供たちと接することができるのであって、全国平均の学力の上だ下だと騒がれては、民間企業と変らない。

  教育委員会なる組織は、ダメである。出世欲に駆られた、現場で子供と楽しむ事ができない教師失格の人間の集まりだからだ。

  教師をコントロールしようとするのは、国家権力の意向を子供の頃から植え付けようとする、富国強兵思想に由来する。そのためには、唯々諾々と国家権力に従う教師が好ましいということになる。教育委員会はそのパイプである。

  はみ出し教師も中にはいようが、それでも、教職は、教師の団体に任せるべきである。県議先生や文部科学省の役人なんかより、何十倍もの良識と節度(世俗に無縁であるからだが)を有しているのである。

  日本には日教組という団体がある。校長も教頭も互選にして、マネジメントに得意な教師をその職に就かせればいい。もちろん、教師採用も日教組に任せる。

現在、日本で最も信頼の置ける職業、これが教職であり、数万人に一人か二人の下等教師が混じっていているからといって、役人や政治家、父兄がちょっかい出すべきではない。

  異議があるなら、教職より更に信頼できる職業を私に示して欲しい。
  
  日教組の独立で爛熟・腐敗日本が9年後には再生する。

教育委員会は不要である

   大分県のワイロは、発覚しただけで、他の県だって似たようなものだ。

  県会議員:「○○が受験するのだが、広報前に合否を教えてくれないかね。いや別に採用をお願いしているのではないよ、念のため」

  この一発で、教育委員会試験側は、はは~んと察する。ヤクザの親分が、襖をへだてて、「××は、どうも気にくわねぇ」と鉄砲玉(子分)の耳に届かせれば、子分は何を親分が言わんとしているか察する、それと同じである。

  試験側は、ニコニコして、「県議先生、○○さんは、落ちましたよ」というには、相当、肝が据わっていなければならない。

  メチャクチャな差があれば別だが、まあまあの優劣であれば、面接で、○○を合格させる。「県議先生、○○さんは、入りましたよ」と喜ばれる方がなんぼか気軽である。何より、喜ばれる。見ず知らずの受験生を落としても、県議先生の顔はゆがまない。

  県議先生がそれで、受験生の親から金品を受け取れば、たいへんな騒動になるから、そうはしない。その代わり、後援会組織で、選挙の時に、ヘタな数百万円のワイロ以上に集票活動をしてくれる。田舎の人は義理堅いから、生涯粉骨砕身を厭わない。

  教育委員会は無用かつ無益である。義務教育に関する全ては日教組に任せることだ。

室温は28℃ みんなぐったり

   先日、わが小国寡民居の部屋の温度計が28℃を指した。

  暑い。犬もネコも、ヤギも、ついでに私人間もぐったりして、それぞれのねぐらでゴロンとなってしまった。

  鶏は、一生懸命に砂浴びをしている。オンドリが時折りコケコッコーと鳴くだけだ。

  中部以南、内陸地、軒並みに30℃を越えたとニュースで言っていた。35℃もあるとのこと。どうやって一日を過ごすのか、他人事ながら心配した。

  街のインタビューで、多くの通行人が「暑い、暑い、死にそうだ」と笑っていた。テレビ局で、暑くて死にそうな人をインタビューしないから、また、「サミットで温暖化対策の成果があったといっている福田、どうしてくれるんだ」とからむ通行人もカットしているだろうから、一様に笑い顔になる。

  本当は笑っていられない。だいぶ前、猛暑のニューヨーク市で何十人もの死者がでたとニュースで聴いたことがあったが、実のところ、半信半疑でいた。

  今は、実感できる。都会の住宅・マンションで冷房すれば、その下げた温度分プラスαが外気の温度が上がる。外には、自動車も発熱体だから、益々外気温が上昇する。部屋の住民やオフィスの勤め人はかなわないので、外がどんなに暑くなっても、そこそこの室温を保とうとする。

  悪循環である。

  冷房装置が備わって、それをフル回転させるだけの経済的ゆとりがある人は問題ないが、電気代が払えない家では、サウナとなる。ジムで10分や15分なら健康にいいが、日中、サウナに入りっぱなしとなれば、結果は悲惨だ。

  川口元外相が、地球温暖化のスケジュールは国益を考えてと発言したことを覚えている。経済産業省や環境省の役人も彼女と大差ない見地であろう。みんな電気代に悩む連中ではないからだ。言ってみれば、私と同じように、他人事なのである。

  東北に住む一老人の私はそれでも許されるが、かれらにそんな呑気なことが許されるわけがない。

  いずれ、日本も、ニューヨークと同じように、バタバタ都心の弱者が猛暑で死んでいく。ここで言う弱者とは、高齢者にあらず、貧乏人のことである。

  私は貧乏人に相応しい賢明な居住選択をした。マムシの心配も暑さに比べたら屁のカッパだ。

「省エネ製品は家計におトク!!」 省エネ製品のウソ

   梱包緩衝材としてしか新聞を手に取る機会はない。くしゃくしゃになった新聞紙を広げるのは、旧活字人間の私にとって楽しみの一つである。

  今年3月4日付けに、見開き全面と次ぎの片面、計3面を使って、タイトルのような広告が出ていた。

  まあ、どこの家電メーカーか自動車メーカーかそれともハウス・メーカーか知らないが、ずいぶんお大尽なことと、感心した。

  企業名は読み手に一番よく見えるところ、あるいは、見えるように誘導されるものなのだが、それがない。よくよく見ると左下隅に小さく、「経済産業省資源エネルギー庁 財団法人省エネルギーセンター」が併記されていた。囲碁でいえば、盤から石が落ちそうな一の一の位置だ。省エネルギーセンターなる財団法人は、天下り受け皿団体であることは、想像に難くないが、それは別にしても、よくも、税金を派手に使ってくれたものだ。

  「省エネ製品を選ぶならこのマークのお店で」のコピーも載っている。メーカーばかりか家電量販店の代理まで引き受けている。

  一度でもメーカーで働いた人間なら分ることだが、セールス・ポイントがあれば、自社で宣伝するもの、また、販売員が、PRに努めるもの、これは、周りが黙っていても、メーカーのやる事だ。省エネが得意ならメーカーのコストの中できちんとまかなって、宣伝する。

  それを、国家が彼らに代わって宣伝費を国民に負担させるとは、何を一体考えているのだろう。

  あきれた口がふさがらないまま、見ていくと、優良店には、「環境大臣賞」まで表彰されるとあった。

  買い替えを促して、個人消費を増やさせようという魂胆がミエミエである。買い替えで何割かが省エネとなっても、その製品を買うためには金が必要だ。その金は、稼がなければならないから、何らかの経済活動を個人は行わなければならない。経済活動は、エネルギーを消費する。

  省エネ製品は、天から降ってこない。工場で生産する。鉄が必要なら、海上輸送、リサイクルなら燃焼装置の稼動、大量にエネルギーを消費する。

  そして、最後、省エネ製品が家に入れば、いらなくなった在来製品が処分される。タダで引き取る自治体はないし、その解体にもエネルギーが消費される。

  新聞紙3ページ、私の手にしたのは、最大発行部数を誇る新聞である。2番手、3番手の新聞社にも出稿しただろうから、使われた用紙の輸入に係わるエネルギー、輪転機のインクと印刷動力、個別配達にいたるトラック輸送エネルギー、チラッと見ただけで、ちり紙交換となって、再生処理にかかわる動力と化学薬品、家計におトクが聞いて呆れる。

  経済産業省と環境省がグルになった、まったく人をバカにした広告である。

チュド(竹島)とひとりじま(独島) erliuzi氏の寄稿

  久しぶりに一筆します。

  アメリカの後押しでできた日韓関係正常化にはいくつかの要点がありました。「竹島=独島を不問」と「軍事休戦線の北の扱い」です。

  前者については韓国の要人からも「爆破してなくせば問題は解決」との意見が出た由。「問題にすれば問題になるという禅問答」ですから対象がなくなれば一件落着です。後者は日本の主張(韓国の主権は休戦線以南)が正当でした。「半島全域が韓国の領域」という韓国の主張は70年代からなし崩しになりました。

  さて、鳥が翼を休めるところとてない「チュド」(竹島の韓国音)と「ひとりじま」(独島の日本音)は「係争の地」ということでうやうやしく棚に上げておけばいいのです。

  もっとも、韓国側が「係争の地」であることをも認めたがらないから今回の事新しげな騒ぎになったのですが。双方でどんな連中が声高にモノを言っているか、よく見るとわかってくることがいろいろありそうです。

「祝 海の日」 ゆりかもめ氏の寄稿

  この十数年の間に祝日が増えた。

その上、日にちではなく月曜日に移動された日もある。ただ単に三連休を増やすためで、ばかばかしいことこの上ない。

  今年は7月21日月曜日が「海の日」だった。本来の7月20日の「海の日」ですら、ある日唐突に決まったように覚えている。5月の連休以降、6・7・8月に祝日がないからという単純な理由だったようだ。

  さて、21日の日本経済新聞 朝刊に「祝 海の日」というコピーのついた全面カラー広告が沢山載っていた。でも、実のところ、この広告にまったく気づかなかった。日経は毎朝しっかりと読んでいるが、三連休の最終日ということもあってか見過ごしたようだ。

  なぜこんな話をしているのかといえば、その日の午後、この広告についてのアンケートが新聞社からメールで来たからだ。そのメールが来なければ気づかずに終わっていた。改めて新聞を見ると、あるある都合7・8ページのカラー広告だ。すべておなじブルーの色刷り。それも「海」の青色ではなく「空」色だ。

  どの紙面の広告にも「祝 海の日」というコピーがついている。でも、掲載企業のメッセージはまったく見当たらなかった。参加企業も海洋関連の会社ばかりで、いかにもお付き合いで参加した様子が見え見えだ。

  広告会社にとっては<カラー広告特集>ということで、夏休み前のひと稼ぎかもしれない。また、参加企業としても、恒例の「お祭りの寄付」のようなものだったのだろう。でも、私が社長ならこんな広告にお金は出さない。なぜなら、広告の趣旨が分からないからだ。

  スポンサー企業の社長は広告を見てなんと思ったのだろう?知りたい。

  ちなみに、日経の全面広告は500万円もするという。白黒の値段かカラーかは不明だが、ともかく格段に高いようだ。そして、それが製品コストにはね返るのだろう。

  アンケートの終わりに、今後も記念日や特定日にこのような<カラー広告特集>を計画しているが、その場合どのような内容がいいか?などと聞いている。これには驚いたが、私なりに親切に答えた。

  それにしても、「海の日」の何を「祝」うのだろう?

竹島と独島 固有の領土

  領有権の特長はこれまで何度もブログに書いた。問題にすれば問題になるという禅問答のことだ。

  これが、現実となった。日本政府は、教師が竹島は日本の領土だと教えていいと語った。タイミングを計って行動にでた。

  韓国政府が騒いだ。韓国の対米反感が、対日反感に移った。韓国政府がほくそえむ。

  こちら日本。油の高騰に喘いでいる日本人のガス抜きには、もってこいの状況である。ヘタをすれば、高い金をアメリカに払って、その油を再びアメリカに差し上げる海上給油を止めて、その油を国内に向けよと、騒がれかねないからだ。サミット祭で湯水のように無駄金を使った福田さんにとっても、「サミットは何だった」と突き上げられずに時間が過ぎる。願ったり叶ったりである。

  日本のマス・コミは、竹島は我が国固有の領土と、大衆を煽るだろう。韓国も同様だろう。どれほど、両国民がにらみ合っても、戦争にならないから、両国政府にとってたいへん好ましい姿である。戦争にならないと断言できるのは、共に、親分アメリカの子分であるからだ。

  そもそも、固有の領土など、世界にあるわけがない。戦争で負ければ領土を割譲するのが、当たり前であり、次ぎの戦争で取り戻すまでは、他国になるのである。

  また、レベル2の地球規模で考えてみる。渡り鳥に、この島は竹島か独島かと聞いてみればいい。領土の本質を教えてくれる。

  私は、あんな小さな島、欲しい国があったらやってしまう方がいいと考える。維持管理する無駄金が省けて結構なことだ。日本には、腐るほど広い領海がすでにあるのだ。巷間、小国寡民主義ばやりのようだが、小国主義の真価は、こういう具体的な事態に直面して問われるもの。

  同時に、平和論者も、こと領土となると、一夜にして愛国・主戦論者に変身するから、ゆめゆめ、踊らされることなきよう。

  もう一つ。日本は先の大戦で、たとえ北海道、九州、四国を戦勝国に取られても文句が言えない無条件降伏(unconditional surrender)をした事実を忘れないように。

津波予報

  先週の土曜日、マムシを踏まないように、草ぼうぼうの庭を草刈りした。終わって昼のテレビを見たら、11時50分に50センチの津波がやってくるとアナウンサーが話していた。

  地震は11時45分に福島県沖で発生して、5分後に津波が来るという。

  このニュース、12時15分に流れたものである。ていねいに、アナウンサーは、「すでに11時50分は過ぎています」と語ったが、言われるまでもなく、テレビの左上に時刻が表示されているから、だれでも分る。

  過去の事象を予報するとは、これいかに。

  答えは簡単だ。気象庁の言われるままにNHKが“公共”放送しただけだ。破廉恥を意に介さなければ、こういうデタラメが堂々とまかり通る。

  ひょっとすると、気象庁ばかりか、防衛省、外務省、厚生省、文部省、農林省、内閣府、ほか諸々の日本国家組織が、NHKを通して、デタラメを“広報”しているのではないだろうか。


ブログ1周年に寄せて  ヤロッコの父氏の寄稿 

  島の人は1サイクルが1年で、毎年同じ事を繰り返している。もっと先のことは考 えないのか?何か目標は持たないのか?何てお節介な事を考えた時期も有りました が、高齢になったら、遠い先のことは分かりませんから、去年と同じことが出来るのを幸せと感じ、又新年を向かえられた、或いは大晦日まで無事到達できたと言うのが幸せという事なのでは?と思い始めました。

  短いスパンで考えれば『今日も無事水戸黄門のTVまでたどり着いた』って感じで しょうね。

   死んだ親父が言ってました、『朝、目が覚めたら、夕方まで生きるために食おう、動こう。一日が終わって床に就いたら、明日の朝が来るかどうか分からないけれど、 寝ないのは毒だから取りあえず寝てみよう。また明日の朝が着たら儲けもの。でも 明日の朝が来なくても、しょうがないし本望だ』高齢になったらまあこんな感じの 未来感なんでしょうね。

  何事も無い、平々凡々とした生活、どこも痛くも無ければ、忙しくも無 い、退屈で何の変哲も無い退屈な日々の連続が実は平安で概ね健康な毎日の証なのでしょうね。

  退屈な日々の連続は中々やってきませんが、不本意ながらも、退屈な日々でも長く 続けられたらいいのにと思ったりして、、、。

田舎の10年、ブログの1年

  今日は7月10日。

  1年前の今日がこのブログの開設日だ。

  動機は、このサブ・タイトルの通りである。

  ありがたかったことは、コメントを頂戴するに留まらず、私には思いつかない視点からの寄稿まで掲載させていただけたことである。

  残念なのは、私がやや挑発気味に論を張ることで、反論を期待したのだが、見事に外れたことだ。考えてみれば、当然のことで、私のブログに異見の人は、「何をたわけたことを」で素通りして行くだけのこと、それは、ああでもない、こうでもないと、私のようなヒマ人と議論するようなヒマ人がいないということでもある。本当は、昔の銭湯のように、一番風呂に入って、仕事帰りの入浴客で混むまで、質の高い話題をのんびり語り合いたかったのだが。

  田舎暮らしは、とうに10年を回った。最初の数年で島の様子すべてが分った。その後は、繰り返しの連続で、日々を送ってきただけである。ここでの“だけ”は、つまらない、あるいは、些細なという意味でなく、他に難事が島の生活に迫ることがなかったという、肯定の表現である。

  この私のブログは、田舎暮らしによく似ている。誰から干渉されるわけでなし、好きなように一日を過ごす田舎の生活、私のブログがまさにそれである。

  これからも、この姿勢でブログを続けていくつもりでいる。私に何事も起こらない限り・・・

日米首脳共同会見 その3. 公共と広報

  似て非なるものの代表格である。

  日頃、NHKは公共放送を自負していると、触れ回っているが、実際は、政府広報放送である。

  メリーとモモの散歩を終えて、たまたまテレビのスイッチをいれたら、5時5分から記者会見があるという。くだらないのは分っているが、まるっきり見ないで語るのもいかがと、尺八を吹きながら、会見を待っていた。

  最初、福田さん、続いてブッシュさん。はなから期待していなから、会見内容が冴えないのは、いいとして、他のチャンネルに切り替えても、どこの民放も中継していないのである。

  民放は視聴者を惹きつけなければ、商売にならない。しかし、時には、儲からなくても、日本にとって重大な事件であれば、予定の番組を代えてでも、放映する。その位のプライドと責任観念はジャーナリストとして、民放は持っている。

  その彼らが、揃って、会見の実況中継をしなかったのは、どうでもよかった会見であったからだ。私も、両無能が前口上を語ったところで、電源をOFFにした。こんなことで、原発の電力をムダにしたくないからである。

  黙っても入ってくる金に頼れば、なんでも出来る。NHKは公共放送でなく、広報放送である。将軍様のテレビと本質は同一である。露骨であるかどうかだけの違いがあるだけだ。

日米首脳共同会見 その2. 9.11とヒロシマ・ナガサキ

  福田さんが、9.11を経て、ますます日米同盟が強固になったと語った。

  これにウソはない。しいて言えば、日米主従関係が強固になったのだが、何を今更だ。

  9.11はアメリカは当事者であるが、日本は当事者でない。アメリカが9.11の実行団体と共同記者会見をするのなら、アメリカにとっては、意味のあることだが、第三者である日本にとってはどうでもいいことである。

  日米会談であるなら、現にそうであるのだが、なぜ核廃絶をテーマにしないのか。ヒロシマ・ナガサ キは世界中の人間が知っている惨事である。ヒロシマ・ナガサキが日本の都市で、爆弾を投下したのが、アメリカであることも知っている。

  これこそ、福田さんが、1時間と言わず、2時間でも、3時間でも、粘り強くアメリカ合衆国大統領に迫るべきテーマである。

  イランの核だ、朝鮮の核だと、大げさに言う前に、自分の核爆弾の保有数はどうなんだと、言う、これが日本の総理大臣の責任である。

  もうすぐ、広島で原爆記念大会が開かれる。その時、また、歴代首相と同じように、「核拡散防止に努めて、日本国民の平和への願いを前進させる」なんてことでお茶を濁すつもりなのか。

  他国の痛みを感じるのも結構だが、先ず、自国の痛みを取り払ってからのことだ。属国の悲哀を私は改めて味わった。

  付:
  オリンピック開催にブッシュさんが出席すると述べた。福田さんは、「ブッシュさんが出席するのなら私も着いて行きます」とは言わなかったが、顔はそう言っていた。ボールを拾って尾を振った小泉さんに続いて、主人の後を追う福田さん。我が日本国の首相は2代にわたって忠犬ポチ公である。

日米首脳共同会見、またの名を日米無能共同会見

  拉致問題をアメリカは忘れないと言う。福田さんはそれを聞いて安心した表情を見せる。

  忘れないのなら、何をしようと考えているのか。ブッシュさんは、何の具体策も示さない。福田さんへのリップ・サービスだからだ。

  安心した福田さんは、ブッシュさんに対して、何をしてもらいたいのか、その“何”がなんであったのか、それどころか、もらいたいと言ったのか言わなかったのかさえ、会見の場で日本国民に語っていない。ただ、ブッシュさんのリップ・サービスで日本国民も安心するように、あの表情によってお手本を示しただけだ。

  拉致は拉致被害者の団体の幼稚で傲慢でピントはずれな言動を別にすれば、日本の外交姿勢の問題である。戦後処理の怠慢から生じた日本政治の問題である。

  アメリカに頼る無意味さは、拉致被害団体だけのものにしておいてもらいたい。日本国民の総意など、たいへん迷惑である。

  少なくとも、私は、彼らに誠意は感じられないでいる。

賢治 雨ニモマケズ

  しりとり遊びもたまには趣向だ。

  賢治と言えば「雨ニモマケズ」

  これは失敗作である。理由は、中ごろに、東西南北が入っていることにある。前段と後段にこれが挟まれたために、詩意が、一つにまとまっていない。

  観念論者は、なにげなく読み、感動するかもしれないが、私のような実践主義者には、この詩は、自己撞着の見本である。

  私は、東西南北の8行をカットした。そのため、私版「雨ニモマケズ」はすばらしい詩となって復活している。

  付:
  削除個所は以下の通り

   東ニ病気ノ子供アレバ
   行ツテ看病シテヤリ
   西ニ疲レタ母アレバ
   行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
   南ニ死ニソウナ人アレバ
   行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
   北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
   ツマラナイカラヤメロトイヒ

流れ星 賢治

  昨夜、久し振りに流れ星を見た。

  流れ星はどこから出てくるかわからないので、漫然と空を眺めている以外に手はない。眺めているとは言っても、いつ、出るのかもわからないから、待つ事もできない。できないわけではないが、待てばその晩に、必ず見られると保証がないのだから、実際には待てないということになる。

  まあ、偶然でしか見ることができないから、有り難味も倍増するのであろう。それに対して、天の川は、天候の条件次第で、結構見ることができる。昨夜は、空中に湿気がなく、月もいなかったので、存分に仰げた。

  家の明かりを全部消す、8倍の双眼鏡を持ち出す、そして、真上の空を覗く。無数の星がレンズ一杯に広がっている。双眼鏡でなければ、肉眼ではただモヤモヤしている所が星の群れであることは分らない。

  首が痛くなりそうになるまで、そうしていると、決まって、賢治の詩がでてくる。このブログでは二度目の登場となるが、かまわない。私の一番のお気に入りだからだ。

  まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう

  賢治は、岩手の田舎の星空から宇宙を感知できたのだ。恐らく、山々の稜線一杯まで星で覆われていたろうから、私のように真上を眺める必要はなかったと思う。さもなければ、「無方」は思いつかなかったと思う。私のいる場所は、周りがうっすらと明るいので、「無方」の実感はない。「無遠」となる。すると「ちらばらう」でなくなる。別の詩になっていたはずだ。

  夜は星、星は賢治、賢治は宇宙の微塵。他にいう事なし。

洞爺湖サミットの警備

  VIPの警護が過剰であることは、前回のブログで証明されたと思う。

  警備の厳重さは、実の所、VIPはどうでもいいのである。真の意図は、警備を通して、“テロの脅威”を煽ることにあるのである。

  イラクやアフガニスタンで苦しんでいる人たち、そして、その仲間たちが、のこのこ洞爺湖まで爆弾を腹に巻きつけてやってくるわけがない。海から絶壁を這い登って、ダイナマイトを仕掛けるわけがない。
  
  それを知っていながら、神武以来の警備体制を敷くのは、日本人民に、脅威を実感させたいがためである。

  テロがあれば、即座に対応して、(軍隊まで駆り出されるのだから、その位はできよう)、アメリカとの同盟を“より”確かなものにできる。

  テロがなければ、警備の完璧さをNHKの全国ネットワークでアピールできる。

  日本政府にとっては、どちらに転んでも、絶対に損のない取り引きなのだ。

  いくら掛かったか想像するだけでも恐ろしい国庫が洞爺湖の霧となって散った代償は、すべて国民が負うことに私は腹を立てる。

  付:
  目的や成果は、聞いても、うんざりするだけだから、たくさんだ。このセレモニーのために、いくら金を使ったのかだけ、7時のニュースで教えてもらいたい。

洞爺湖サミットのVIP

  新聞を取っていないから間違っているかもしれないが、今は、G8のはず。主要8か国のトップが一同に会するから、この年に1回のセレモニーをサミットと言うのか。

  私は、すでに各国の外務省が下ごしらえをし終えているのだから、着せ替え人形でも並べれば十分と思っている。その程度の人間8人に、日本の警察や軍隊がてんやわんやの騒ぎである。警戒は、普通“ものものしい”と形容されるが、今回の警戒はそんな生易しい表現では言い表せないほど、大げさである。過剰防衛は言葉として成立しているが、過剰警護は日本語にない。すなわち、聖徳太子の時代に遡っても、これほどの警護はなかったということである。

  彼らがVIPの中のVIPであるから、当然の警護であるとして、何の疑いも持たない。Very Important Personの頭文字から来たそうだから、そのまま訳せば、“たいへん重要な人”でいいだろう。

  本当に、彼らはVIPであろうか。

  火星人が突如洞爺湖にやってきて、かれら全員を空飛ぶ円盤に連れ去ったとする。火星人だから人間の警護なんか屁のカッパだ。その時、世界はどうなるか。な~んにも変りません。

  火星人が荒唐無稽と笑うなら、ファントマでもいい。日本に来る時は、すでにサルコジ大統領に変装して、最後の昼食会のときに、全員さらう。そして、各国政府に身代金を要求する。面倒な計算は抜きにして、それぞれ100億円を払えという脅迫である。

  日本政府は、社会保険庁や諸々の外郭団体のムダ金に比べれば屁のカッパと、閣僚全員が、即座に「諾、諾」と返答しようとしたら、かの脅迫文の最後に、「ただし、国民の税金を充てるべからず。自民党とその手下の政党で用意すべし」と書かれていたので、ビックリ。

  閣僚全員が、「諾、諾」から一転して、「否、否」の回答。さすがに気が引けたのか、変りに身代金の値下げ交渉をサルコジことファントマと開始した。

  ファントマも歳を取って、円満になっているので、最後に1億円まで譲歩した。福田さんにはかわいそうに、自民党総会で、1億円は惜しいということになった。そればかりか、次ぎの総裁選びに、右往左往し始めた。顔面の半分は神妙、半分は歓喜、まことに見苦しい集団となった。

  アメリカ合衆国の大統領も、同じような運命であった。頼みの産軍共同体も、役に立たなくなったブッシュさんには冷たい。副大統領が数ヶ月でも大統領の地位に就けるとほくそえんだだけだ。

  VIPを人はVery Important Personという。私は、Very Important Positionと言う。Positionの代わりにPostでもいい。

  英語嫌いの人のために、付け足す。G8の代表であろうがなかろうが、人は人、一人として政治家に“たいへん重要な人”はいない。いつでも代替できる安直な着せ替え人形である。

  そんな彼らの警護になんでああも騒がなければいけないのか、一度頭を冷やして考えてみるといい。

  付の1:
  VIPとは、ジョン・レノン、ロレンス・オリビエ、プラシード・ドミンゴ、エリック・クラプトン、三船敏郎、高倉健、ピンク・フロイドのメンバー、ジム・モリスン、こういう人のことです。人によっては、美空ひばりであったり北島三郎であったりするでしょうが、それも可。しかし、政治家だけは、VIPから除外しましょう。

  付の2:
  周りがチヤホヤするものだから、政治家先生が調子に乗るのです。私自身、目の当たりにしていますから、間違いありません。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。昔の人はうまいことを言ったものです。

  付の3:
  イラク戦争当時、外務省のヒラ職員2名が殺害されました。国葬と錯覚するばかりの葬儀でした。同じ手法です。その時、民間のフリー・カメラマンが殺害されましたが、政府と政治家は、“自己責任”と突っぱねました。私は忘れていません。

史記 その欠けたるもの

  列伝は、どちらかと言えば、英雄伝の様相を呈しているが、全百三十巻を通せば、やはり権力に向き合う人間の姿の万華鏡である。

  面白さはそこにあるし、今の政治のごたごたがお釈迦様の手の内であることも、よく分るのである。日本の政治ばかりではない、世界の動きも史記のミニチュア版と言って差し支えない。

  しかし、史記に書かれていないものもある。それは、官僚と民衆である。

  世間の平穏が長く続けば、官僚が腐敗し、政治が乱れ、国(為政者)が亡ぶ。現代は、民衆が加わっているが、国(為政者)を国(国民)に置き換えるだけで、この構図に変る所はない。

  史記が官僚の腐敗を言及せず、もっぱら為政者の誤りを亡国の源にしたのは、為政者次第で、官僚(権力者に従順である者)はどうにでもなることを知っていたからと、私は思っている。

  史記の時代と現代との違いといえば、為政者を選挙で民衆が選ぶ、これだけである。私は、議会制民主主義は議会制独裁主義と言い換えた方がふさわしい現在の日本を、実感しているから、敢えて“これだけ”と言って、千年以上も前の中国の政治に敬意を表するものである。

  追:
  1.政治ばかりでなく、社会で生きていく人間そのものも語っています。作品と趣味は、人様に勧めない主義の私ですが、この史記は、旧約聖書と共に、読んで損のないこと、請け負います。

  2.面白すぎるから、つい先、先と行ってしまいます。1巻ごとに、一休みし、自分の頭で考えましょう。

  3.「史記」と同じ頃、買った「ローマ帝国興亡史」は、結局1ページも読まずに、終わりました。

生涯の師 史記

  高校の世界史の先生は立派な風貌だった。いつも背筋がピッとしていて、声がまたずばぬけて迫力があり、90分の講義にいささかの弛緩も感じられなかった。惜しむらくは、私の頭が、時代と地図にまったく着いていけず、世界史の全部が遠い昔、遥かな国として括られていた。

  ある年の期末試験の監督にその世界史の先生が来られて、試験の間、史記を読まれていた。何の試験だったか忘れたが、その史記だけは先生の風貌と共に忘れることがなかった。

  光陰矢のごとし。私が史記を実際に手にとったのは、40過ぎである。岩波文庫の史記列伝全5冊だ。第5冊に1982年11月5日読了とあるから、42歳の時だ。

  それまでには、イギリス文学を主として、人並みにフランス文学、ロシア文学、ドイツ文学と、それぞれ少しばかりかじっていたが、どうも、中国文学だけは好きになれないでいた。

  それが史記で一変した。こんなにすばらしい作品があるとは、それこそ夢にも思わなかった。

  それから数年後、北京で仕事をするようになり、「白話史記」を手に入れて、残りの部分を読んだ。白話は中国語の口語体である。原文は無理だが、口語体なら私の力で十分である。日本語でもよかったが、中国の出版物は比較にならないほど、安かった、それが理由である。

  史記は、世間を一通り渡ったあとに読む本である。人対人の争い、国対国(もっともこれも、人対人に収斂される)がすべて網羅されている。しかも、そのスケールの大きなことときたら。

  私が、ブログで世事・世相といいながら、国家や外交に口出ししてはばからないのは、この史記による。

  今月6日で、このブログは1年を迎える。この記念のために、大事に残しておいた一つがこの「史記」。私にとって生涯の師である。

  付の一
  愛読書は、“私のお気に入り”シリーズで行ってきましたが、史記だけは別格です。

  付の2
  少年時代は、三国志、西遊記、大学では、魯迅、老舎。読みましたが、考えながら読んだのではないので、読んだうちに入りません。

s-史記の本

日本の生命保険会社 その二 悪事発表のタイミング

  1社、2社なら分らないでもない。悪事を企てる者は、どこの社会にもいるのだから。

  それが、全部となると話が別になってくる。生命保険会社の業界団体ぐるみの悪事である。“者”でなく、組織となれば、お互いに知っていながら、やったことになり、一流企業の堕落に目を見張るばかりである。

  こういう悪事は、毎日のように報道し続けなければいけない。監督官庁の指導と、会社役員の揃い踏み謝罪会見で済ましてはいけない。

  仮に、エビもなく、ウナギもなく、ウシもなく、サミットもない、たいへん平穏な日に、これを発表したら、どうなるか。

  ヒマな民放は言わずもがな、NHKだって、しぶしぶ、連荘(レンチャン)しなければなるまい。

  監督官庁がどこの省か、私は知らないが、前々からこの事態の公表のタイミングを狙っていた。詐欺だ、偽装だ、警備だと、民が落ち着いて物事を考える余裕がない時を計っていたのだ。

  今、日本の生命保険会社のスキャンダルをNHKは、過ぎたこととして、報道していない。

  けが人、病人。知らないのをいいことに、支払いをせず(保険だから、もともとは、みんな自分達の金なのだから、払い戻しというのか)、さんざん運用し、頃合を見計らって、事実を公表する。きたない、実にきたない。私は、いくら私企業とはいえ、巧妙な手立てを仕組んだ監督官庁と並べて心底憎む。

日本の生命保険会社 その一 135万件 973億円

  973億円は、本来、保険加入者に戻される金である。契約者に何事もなければ、絶対に戻ってこないのが生命保険であるから、135万件の意味は、なんらかの健康問題、不運や災難に遭った人たちが135万人いたということである。

  その人たちが、契約内容に気づいていないことをよいことに、ネコババをきめこんでいた。気づかないのが悪いといえばそれまでだが、保険会社の社員でも、保険契約書の端から端まで読んでいないのではないか、それほど、細かい字と多岐にわたる条項で埋め尽くされている。普通の人に読めというのが無理である。

  保険の趣旨が、相互扶助である以上、契約者が不運に見舞われたら、率先して、保険会社は契約者に知らせるべきである。そうでなければ、保険の意味をなさない。美名を語る悪質な詐欺集団である。

  日本の保険会社は学力優秀な社員で構成されている。ちょっとやそこらの大卒では、入社できない。まして、そのトップや中枢ときたら、おそらく有名大学の卒業生ばかりではないだろうか。

  彼らは、承知の上でネコババ行為を続けた。いつかバレるのも承知である。それでも、やったのは、バレる前に莫大な金を資金運用に廻して、金を増やしたいがためである。

  くどいかもしれないが、保険金が戻るような人たちは、何か不幸な出来事が生じている人たちである。中には、1万円でも助かる人もいるだろう。

  人でなし会社とはこういう会社である。

  監督官庁から指摘されて、恐縮して(表面はこうであっても、計算ずくだ)全額払い出すという。これで文句はあるまいというわけだ。

  監督官庁もグルであることも指摘しておく。135万件、973億円まで野放しにしておいたのは、その間、しっかり生命保険会社に稼いでもらいたいからである。グルでないというなら、135万件まで何を監督していたのか、ただ冷暖房の効いた役所に座っていただけで、何が監督だ。

  世間では、やたらに詐欺事件が騒がれている。生命保険会社のネコババとぼけからみれば、エビ養殖ホラなんか赤子のようなものだ。

  再発防止に「より一層努めてまいります」なんてセリフは聞き飽きた。他人の金を預かっている会社に対して、不正をしたら、家財没収、お家断絶という誓約書を毎年更新させることだ。ついでに、民の金を預かっている国家官公庁、独立法人にも誓約書にハンコをつかせる。

  それによって、2年目に日本の官公庁が消えても私はかまわない。

白髪三千丈

  転々と職を換えながら四十代の半ば、生涯一度は中国に係わってみたいものと、ある会社の中国室なる部門に転職した。中国語なんかからきし出来ない。大学が外語ということだけで、すんなり入った。

  役に立たないことは、本人が一番よく知っているから、なんのかんのと理屈をつけて、北京語言学院に留学した。わずか4週間だったが、大学の5年分は勉強した。つまらないからといって、授業をさぼり、グラウンドをはだしでぐるぐる走った外語時代の私とは別人である。付け焼刃のもろさは、帰国後、直ぐに露呈するのだが、それは脇におく。

  現代語の授業で、「誇張」の意味があった。どこからみても田舎のオバちゃんが教授だったのが、びっくりしたものだった。

  例の白髪三千丈が出てきた。これを、白髪三十尺とすると、読み手の中には、そう思う人がでてくるかもしれない。三尺とすれば、大半の人は現実にそういう髪を想像するだろう。これがいけないというのだ。「誇張」は絶対にありえないことに意義がある。そういう講義をしてくれた。

  日本人は、白髪三千丈を中国人のホラの象徴のように思っている人が多いはずだ。思うに、私の前にも、そういう考えの日本人留学生が、教授に持ちかけたにちがいない。だから、彼女は、愛国心とは別に、三千丈を解説したのだ。

  さて、エビ養殖詐欺事件。

  社長は1年で投資金額が倍になって戻ってくると勧誘した。

  貯金・預金に縁がないから、よくわからないが、今の郵便貯金は年利1%以下ではないか。単利で計算すれば、預金が倍になるのは、100年後である。

  100年を1年と表現するのは、三千丈の類(たぐい)である。これが、1年で10%増えますというのなら、まさかと疑う人もいれば、信じる人もいるだろう。金儲けにうずうずしている人で、金を捨てても惜しくない人は日本中にいくらでもいるような気がするから、10%は魅力である。

  現実には、出資しただれもが、1年で10%増えることは絶対にない。10%のご利益に与かるのは、特殊な環境の人だけである。エビ社長のパンフレットで応募するすべての人が10%儲かるはずがない。しかし、100%と違って10%には真実味がある。

  エビ社長は、ユーモアに富んだ面白い人である。おそらく、普段から、ジョークを飛ばして、周囲の人たちを楽しませたに違いない。

  100年の利息が1年で付く、これを文学(虚構)でなく本気にした人間も、有り余る金でジョークを買った、まことにユーモアを解する幸せな人たちである。騙された不幸な人たちではないと語言学院留学の私は断言できる。

エビ養殖詐欺事件

  ひどい話だ。

  2倍になりますと金を集めた会社が有罪となるとは、ひどい話だ。

  テレビで観るかぎり、怪傑ゾロのように背中に剣を押し当てて、契約を迫ったようには見えない。出資者は、自分の金がただえびの会社に出すだけで、倍になって戻ってくる夢から、自発的にお金を渡したのである。すべてがデマであったとしても、結果論であって、仮に2倍になって戻ってきたなら、騙されたと文句を言わなかっただろう。

  詐欺は、お互いの合意の上でしか成立しない。私の所にも、電話で、儲かる話が舞い込んでくるが、私が合意しないので、詐欺事件は生じないで今に至っている。

  以前、このブログで、騙される方のバカさかげんを語ったが、今度は、もう少し、深く切り込む。

  そもそも、詐欺罪が悪い。詐欺を犯罪と規定するから犯罪となるのであって、詐欺罪がなければ、騙す方と騙される方の立派な商取引(欲と欲のぶつかり合い、ないし馴れ合い)となる。第三者はまったく関係のない損得勘定なのである。

  たまに梱包材代わりに新聞が入っている。それを見ると、広告だらけで、その広告も、巧妙に読者を騙すものばかりだ。“巧妙に”とは犯罪を意識しているから、法に抵触しないぎりぎりで押さえているだけのことだ。

  目を見張る美しい画面、乗り心地よい車、健康増進のドリンク、心身ともに安らぐ建売住宅、なんとか温泉の一泊旅行、東大に入れる学習塾、あからさまにこうは写真も記事も言ってはいないが、普通の神経と頭脳を持っていれば、それらを暗示していることはすぐわかる。なべて、いいことだけしか書かれていない。1億円のたる宝くじなんかもきわどくセーフになっているのだろう。

  世の中、人のサイフから金を抜くに、強盗・スリか甘言しかない。

  広告は甘言の度合いが低い。一方、詐欺は甘言の度合いが過ぎただけのこと。国民の了解なしに、深夜タクシーでご帰還する役人とは訳がちがう。無論、役人の方が悪い。

  騙された側が、被害者扱いされるものだから、詐欺事件は後を絶たない。法律がなければ、被害者とならないから、当人は、自分の甘さや欲を反省するようになり、他人は他人が騙されたのを見て、私と同じように、バカなやつと詐欺話に乗らないでいられる。

  そうなれば、日本人が、どんどん騙されにくくなっていく。国家権力の報道に対しても、「ホントかね」と疑うようになる。最後には、「そうそう簡単には騙されませんよ」の声に、国家高級役人が震え上がる。私は、それを期待している。これが詐欺罪を廃止してしまえと提案する真の理由である。

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