老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

守屋さんの証人喚問 私の敵と味方



  福田首相が、自衛隊の皆さんが真剣に国際貢献をしているのに、防衛庁の役人がなんという体たらくだ、というようなことを言っていた。自衛隊員はボランティアでない。きちんと給料が払われ、日夜、人殺しの訓練に励んでいるのである。職業軍人とはそういうものだ。ある国の軍隊は、人間ばかりか、生き物は言うに及ばず、ベトナムでは樹木まで枯死させた。彼等の仕事だ。仕事を勤勉にこなすことと、国際貢献とは次元が違う。戦時中、兵隊さんが外地でお国のため戦っているから、銃後の婦女子も、工場で夜も寝ないで働きなさいというレトリックと同じである。地震災害の救援だって、有給休暇を取ってやったのではない。昼間の自衛隊員の手助けに感謝し、避難場所の公民館でおにぎりが一個ずつ避難者に配られれば、美味しいとおばあちゃんが感激する。その時でも、自衛隊員には、そのおばあちゃんが見たら、目をむくような豪華な食事が用意されている。美談でないものを美談にすりかえる。詭弁を承知で福田首相は語っている。

  自民の質問者が、日本にとっても世界にとっても大事なテロ特措法が、あんたのきたない行いで、危くなっている。一体どうしてくれるんだというようなことで、守屋さんを責めた。悪代官を極悪人に仕立てて、その対比でもって正義を鮮明にするのは、座頭市の映画の手法である。守屋さんを責めるのは勝手だが、事のついでにテロ特措法を“きたない”の反対に置かないでもらいたい。

  防衛大臣が、今後は、週末の行動もチェックしなければならないかもしれないと言う。冗談じゃない。いくら高級官僚でも、普通の人間並みに休みの日のプライバシーは持たせなければいけない。そんな暇があったら、在外外務省役人のウイークデーの行動でもチェックしたらどうか。ついでに金も。

  彼がゴルフを5年間で200回やったのが行き過ぎだという。趣味の世界では誰にでもありうることだ。私は、今年1月から、延べ840局、碁を打った。碁を趣味としない人がこの数字を聞くと、皆あきれる。へたの横好きだから、ちょっとした時間でも碁を打つ。雨、雪の日など、半日、打っている。好きなのだからしかたがない。守屋さんも、かなり、ゴルフが好きなのだろう。しかし、1年52週、土日すべてをゴルフに使えば、5年では、500回だ。200回は驚くような数字ではない。私は、現役時代、数年、ゴルフに凝ったことがあった。ゴルフは面白い。寝ても醒めても、ゴルフのことで頭が一杯。徒町のゴルフ街に数知れず足を運び、コネを探しては、安いコースでプレーした。自分にゴルフの才能が全くないことを自覚するまで続けた。コネでプレーするときは、コネ先からの指示で別名を書くこともしばしばあった。特別料金の適用のためである。

  前のブログで、偽名まで使ってなんたる男と書いたが、守屋さんの答弁では、本人が外務官僚であることを隠蔽するために偽名を使ったのではなく、頼まれて別名を使ったと述べた。私の身にもあったから、十分あり得る話だ。

  また、業者に便宜を図ったことは一度もないと言った。これもうなずける。彼ほど、偉くなると、彼の交友関係を忖度して、まわりの下っ端役人やちょうちん役人が、お膳立てをすることは十分考えられる。もちろん、業者が、守屋さんの陰で、担当役人に守屋さんとの関係を明示・暗示して画策することは背景としてあることだ。

  守屋さんは、後継人事で一度、テレビで顔を見た。その時の印象は、ゴンチャロフのオブローモフであった。たるんだ頬、輝きのない瞳、緩慢な語り口、どうして、彼が官僚の最高位についているのか、官僚機構が不思議でならなかった。彼個人は、今度の答弁で、大した悪ではない印象だ。

  私は、守屋さんの味方でない。敵でもない。彼は既に、私にとっては過去の人である。だから、証言のどこまでが真実で、どこからが虚偽であるかは、もうどうでもいい。

  彼を極悪人に仕立てて、テロ特措法を美化する福田首相、石破大臣、自民の国会議員、私の敵はこの人達である。

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日本国憲法 第十章 第十一章 私の新憲法草案



  やれやれ、今日で、憲法が終わりとなりました。これで、小さな字が読めなくなっても安心です。第十章は、最高裁判事や防衛省容認議員や不良官僚のための章なので、私があれこれ言う必要はありません。正に、「読んで字の如し」であります。彼等には、「馬耳東風」であります。

  新憲法草案を恥ずかしながら用意しました。憲法は国の姿、国の姿は私の名前でもあります。聖徳太子の向こうを張るつもりはありませんが、憲法なんかシンプルでいいのです。複雑にすればするほど、悪知恵・屁理屈が跋扈する法の隙間が広がります。学者先生得意の法体系など考慮していません。ポイントだけであります。私の理想国家をどうか、ご笑読ください。

  小国寡民制定日本国憲法

  前文
 戦争と平和は、人類の発生時より、表裏一体であること、および、国際紛争においては双方とも正義を主張すること、民族・人種・時代により価値観の違いが存在していること、の三点から、我が国は、他国の内政にはいかなる場合においても、干渉をしないことを誓う。同時に、いかなる他国からの内政干渉も、これを拒否する。また、世界に普遍的正義は存在しない。よって、いかなる国家とも軍事同盟は締結しない。強権発動国に対して無能な国際連合は脱退し、永世中立を宣言する。

  第一章 天皇
  男子女子問わず長子優先の世襲とする。天皇は自己の判断により継承時期を決める。国事行為および儀式は、天皇の裁量に委ねる。

  第二章 派兵及び武器輸出の禁止
  いかなる事由があっても、他国領域に軍隊を送ってはならない。国税を軍備に使ってはならない。軍備賛成者による軍隊基金で、陸海空三軍を賄う。軍は国の管理に置く。兵器・武器の類の輸出は有償・無償にかかわらず、一切禁止する。

  第三章 国民生活
  すべて国民は法の下に平等である。税の新設は国民投票により、3分の2の賛成を要する。義務教育は無償とする。義務教育・高等教育にかかわらず国は教育現場に干渉してはならない。および、国は教育者の誇りを傷つけてはならない。食料自給率は80%を下回ってはならない。臓器移植は、これを禁止する。国による保険は任意加入とする。年金は支給額に上限を定め、それに基づいて算出された額を国民は納付する。

  第四章 公務員 
  すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。公務員の採用試験は一律に行う。公務員の職務怠慢・不正行為により、国が国民に賠償した場合、国は、その損失を公務員当事者に懲戒免職・退職金不払いあるいは返還・減俸等、厳格に処罰する。公務員給与は、二人以上の組織の民間企業の平均を基準に、その8割とする。民より低い俸給の分は、国家への奉仕という名誉で余りある。すべての公務員は最下級から始める。

  第五章 国会
  国会は一院とする。選挙は半数を4年ごととする。すべて政党に投票するものとし、総数1,000票を単純な比率で、国会での議席数を割り振る。党首のほか議員は置かない。党は、自己の判断で、議案に従って最も適切な人材をその都度、議会に出席させる。全国区のみとする。歳費は、その人件費として得票数に応じて党に与える。

  第六章 内閣
  官吏に関する事務を掌理する。予算を国会に提出する。

  第七章 司法 
  司法試験は、志願者の良心・権力からの独立心を調査・確認するものでなければならない。いたずらに六法全書や判例の知識を問うものであってはならない。すべての検察・警察部署の官吏は、最下級から始める。最高裁判事は2年ごとの国会選挙で、国民投票で適否を問われる。○は可、×は不可。

  第八章 財政 
  公金は、軍備、宗教団体、社会福祉団体に支出してはならない。

  第九章 地方自治
  放漫財政に限って、国は干渉・指揮する権限を有する。

  第十章 改正
  (こんな立派な憲法が日本で出来るわけがないので、改正まで筆を進めることはしません)

   ・・・・・・・・・

  第十章 最高法規

  第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

  第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

  第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

  第十一章 補則

  第百条 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
2 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。

  第百一条 この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。

  第百二条 この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。

  第百三条 この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によつて、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。

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日本国憲法 第九章 改正   護憲or改憲


   1.総議員の三分の二が賛成すれば、国民投票にまわせる。この三分の二は33.3%で分割すれば、2対1の割合であることを意味する。大変な差である。国民がそれぞれ政治に関心を持っていて、自由に政治を語ることができる国家で、国民の意見が2対1以上の開きが起きることはない。政治は百家争鳴が当たり前。十人一色は台湾開放・チベット弾圧となると国論がまとまる中国や戦争開始となれば国論がまとまるアメリカなど、政治的民度の低い国だけの現象である。日本でも、小泉時代がそうだった。偉そうに、よその国を挙げる資格はない。今は、自民と民主が拮抗しているから、2対1にはならないと言う人がいれば、私はその人を楽天家と呼ぶ。その人の顔に知性が見られなければ、単に政治音痴と呼ぶ。ヤクザの世界では、群雄割拠が収まり、勢力が二分され、高値安定した時に、却って、手打ちが行われる(ヤクザ映画の観すぎではない)。日本の政治土壌も似たり寄ったり。自民と民主が手を組んだら、恐ろしい事になる。政党助成金はふんだんに入ってくるし、お互いの利益を尊重!し合い、好きなように日本を動かせる。もちろん、NHKほかマスメディアを懐に抱え、官庁とも、お互いの利益を尊重!し合う。

   2.そうなれば、早晩、憲法改正の国民投票が行われることになる。その時に、賛成反対をどう記入するかが、私が次に心配する所である。現行の最高裁判事方式のような、白紙は賛成、×が反対では、賛成が圧倒する。もっとも、どういう形にせよ、国民投票まで来たら、絶対に可決する。

   3.私の最も心配するのは、個々の条文の賛否を問うのではなく、一括処理されるのではないかということである。現行憲法が、護憲運動の意図を逆手に取り、各所で不合理を温存させている政治家のやりそうなことで心配この上ない。草案はすべて、高級官僚の手による。国会議員では、「先生、その表現は中学生の作文ですョ」と官僚、学識経験者、ほか、学力優秀人間に一言いわれて、しゅんとしてしまう。また、最も改正(改定ではない)すべき、官僚機構は、温存される。

  さて、護憲or改憲:
  私は護憲派である。私の護憲思想は、憲法を遵守しなけれならないという一点からである。憲法を持っていながら、憲法を守らない今の日本の政治、すなわち、それを構成している国会・地方議員、役人、選挙民、報道人を嫌っているからである。ついでながら、第九条戦争放棄も、この視点で見ている。

  私は改憲派である。現行の憲法は私には不満が多すぎる。どこが不満かは、おおよそ、各章ごとに述べてきたつもりだ。改めて、まとめてみるつもりだ。例によって、明日まで、私に何事もなければ・・・

  第九章 改正
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

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日本国憲法 第八章 地方自治 政治は田舎から

 
   町村合併前の話である。どこの田舎も似たり寄ったりであろうが、町長選挙となると、わずかの醒めた人を除いて、住民は、目の色を変える。普段おとなしい人が、興奮状態に陥る。政治が政(まつりごと)であることをまざまざと見せつけられる。

  ある事態をきっかけに、私は新人候補者を猛烈に応援した。私は、署名入りで部落全戸に、なぜ私がその候補者を応援するのか、手紙を書いた。選挙違反ではないかと、対立候補陣営が警察に届けた。用心して文字を選んで書いたので、警察からのお咎めはなかった。地方紙が、新聞とスポンサーとなっているテレビニュースで、私の行為を怪文書と同列に扱った。今のブログもそうだが、公に発言する以上、匿名はしない主義である。住所も電話番号も記載した。それを怪文書(封筒は裏が白紙、内容は下品な誹謗ばかり、また、少しはユーモアなりウィットでもあれば救われるが、それもない、無論署名はない)と同じに扱われ、地方のマス・コミのレベルの低さにあきれた。

  選挙の結果、応援候補が現職を破り当選した。島全体が私の応援を知っているから、祝いの言葉と怨みの言葉がやってくる。祝いの言葉は一過性だが、怨みの長い方は、5年ばかり続いた。これが、九州人だったら、と思うこと、しばしばだった。

  選挙の騒ぎが一段落した後のこと。私の家までの長い坂道はジャリ敷きだったため、足はすくわれるは、雨が降れば車の轍が小川になるはで、役場に見に来て欲しいと頼んだ。早速、建設課の職員が来て、アスファルトが敷かれた。

  この坂道は、片側は断崖絶壁なので、冬の凍結時、4駆のジムニーでも、ハンドル操作を誤れば、一巻の終わりとなる。それで、また、役場に連絡した。またたく間に、ガード・レールが設置された。

  役場の人間も私の町長支持を知っているから、その威を借りるようなことでないように、「現場を見に来て欲しい、他の地域から特に劣っていなければ我慢する」と、念を押していた。だから、私には、少しもやましい所はない。

  しかし、親しくしている島の幾人かからは、町長選での功労であると言われた。多くの住民はそう思っている証拠だ。私が移住してくる前から、そして、移住した後でも、町長選前には道路は良くならなかったのだから無理も無い。

  このことで、私は二つのことを感じ取った。一つは、住民は、選挙に勝てば具体的なご利益があると考えていること。もう一つは、役人いう人種は、上からの指示がなくても、上の気持ちを忖度して、行動するということである。前者は間違いない。後者は私の憶測である。

  地方は、都会人の浮かれ騒ぎをよそに、確固とした考えで政治に当たっている。確固がポジティブな表現であれば、ネガティブな頑固と言い直してもよい。

  “護憲vs改憲”、“安保賛成vs反対”、“テロ特措法賛成vs反対”、この構図は違う。“あらゆる国政課題vs地方の利害”、これが正しい構図と私は考えている。賛成か反対かの論を張る国家官僚、有識者、評論家、マス・メディア、みんな、心地よいサロンで熱いコーヒーを飲みながら、私が銭湯でやっているように政治談義を楽しんでいるとしか思えない。

  地方自治は憲法でわずか3条。しかし、議会制民主主義の日本では、外交が、およそインターナショナルから程遠い田舎の選挙で決まってしまう。“政治は田舎から”は、その意味である。

   第八章 地方自治
  第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

  第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

  第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

  第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。

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日本国憲法 第七章 財政 分らないことだらけ

  
  生涯、大金(おおがね)どころか小金にも縁の薄かった私には、わからないことだらけなのがこの財政だ。

  1.政党助成に使われる金は憲法違反にならないのか。大手政党の代議士が談合すれば自分たちの都合の良いように金が使えるということか。

  2.肝炎の対応に舛添大臣が、1千億から2千億使うという。製薬会社とグルだった役人の怠慢・隠蔽にどうして、国費を使うのか。国の敗訴による住民保障も同じだ。

  3.健康保険、介護保険、75歳以上のなんとか保険、どうして保険が税なのか。生きているだけで個人の意思に係わりなく税を取り立てるのは憲法違反どころか、非情の法律ではないか。(前にもこのブログで不満をもらした)

  4.農水省、文科省、林野庁ほか、特殊法人などあらゆる所で無駄使いがなされている。毎年、会計監査院の指摘が繰り返される。いつになったらなくなるのか。

  5.国会の予算委員会で、予算の数字を脇に放置して、代議士の失言や役人の不正ばかりが議論されるのはなぜか。こんなことでは、大蔵役人(財務役人)の天下が永遠に続く。

  金の流れを掴んで、FBIはアル・カポネをとっちめた。金は、大臣や次官の答弁と違って正直だからだ。行政部門の無駄使いや不正の内部告発をした者には、その1割を報償金として与える。金には金を。金に物を言わせて(ワイロではありません)、無駄使い人間をあぶり出そう。

  第七章 財政

  第八十三条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。

  第八十四条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

  第八十五条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

  第八十六条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

  第八十七条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2 すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を経なければならない。

  第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して、国会の議決を経なければならない。

  第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

  第九十条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
2 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。

  第九十一条 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。




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日本国憲法 第六章 司法  護憲の大御所


すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ
  この憲法で司法の独立が保証されていても、現実には、時の権力に追従する。世界史の中で、一つとして独立の例がない。現在でも独裁国家も民主国家もかわらない。

投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
  民生委員をしていた時、丁度衆院選にぶつかり、選挙の立会人となって、投票を監視したことがあった。ゲリラが突入するわけでなし、官憲が投票用紙をすりかえるわけでなし、なんでこんなに立会人が多いのか不思議でならないことは、さておき、おばあちゃんが、「おら~、わかんね~」と恥ずかしげに笑ったら、立会人の一人が、「わからないなら、そのまま、箱にいれればいいんです」とアドバイスをした。×の印をつけなければ、自動的にその最高裁判事は信任されたことになる。ひどい話だ。○をつけなければ、罷免にしたらどうか。少なくとも、○は信任、×は罷免、白紙は無効票にしてもらわなければ、永遠に、最高裁判事はあぐらをかき続ける。

  今はどうなっているか。選挙管理委員が、受け付けで、「最高裁判事の罷免の投票用紙が要りますか、要りませんか」と一人ひとりに聞いて確かめる。「おら、わかんね~」はみんな、要らないと答える。「要る」といえば、×をつける投票者と思われるだろう。これは、紙代の節約となるかもしれないが、節約するような事ではあるまい。

6 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。
  憲法を作る時に、収入が保証されなければ、政治からの誘惑に負けるだろうとの、配慮でこうなったのだろう。だが、現実には、身分・収入が保証されているが故に、安全地帯から、民の苦痛を別世界の出来事として眺めるようになっている。清廉潔白は、地位・所得に関係ない。それこそ、人格の問題だ。さらに“減額することがない”とある。裁判官になりたい者の中に、正義の代わりに生活の安定を考える輩がいて不思議でない。

第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
  最高裁判所が権力者のいいなりとなっていることの何よりの証拠が、自衛隊に関する最高裁の振る舞いである。自衛のためも侵略のためもへったくりもない。戦力は持ってはならないと、憲法で定められている。

  前に、今の司法は、民の番人ではなく、法の番人と、司法をけなした。ここにくれば、法の番人でさえないことがわかる。何のために裁判所がある?

  国連からの要請だって?国際紛争の解決に一役かうだって?まあ、好きにしてくれ。だが、武力の行使と陸海空軍は憲法で許していませんぞ。給油活動は自称海上自衛隊、世界の言葉では海軍がやっている。憲法はどうなっているのか。いや、最高裁はどうなっているのか。

  良心と独立なんか、彼等の脳みその1シナプスにも引っかかっていない。こういう最高裁だから、下級裁判所が好き放題を振舞うことになる。良心的な判事が、肩身の狭い思いをしているのではないかと、同情を禁じえない。

  末尾に第二章 戦争の放棄を再掲する。

  第六章 司法

  第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

  第七十七条 最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
2 検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。
3 最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。

  第七十八条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。

  第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
4 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
5 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達したときに退官する。
6 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

  第八十条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。
2 下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

  第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

  第八十二条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。


  第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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白い恋人たち、赤い福、次は何色  消費期限撤廃を

 
  消費期限のことは、前に「白い恋人たち」で書いたが、また、ぞろ出てきたので、取り上げる。

  都会から田舎に移って、先ず、驚くことが、賞味期限に対する田舎人の無頓着さである。私が何かのお礼にカン・ビール1ダースをある人に届けた。1年経って、ある人が何かのお礼に私にカン・ビールを1ダース届けてきた。同じブランドで同じ製造年月日であることから、出戻りであることがわかる。

  何かのお礼に一口羊羹をいただく。酒はなければないでいいが、甘い物には目がないと部落中にPRしておいたので、お盆が過ぎると、ごっそりもらえる(以前の話)。ある年にいただいた羊羹は賞味期限が10日過ぎていた。カミさんは食べないという。しめしめ。よくよく日付をみると、2年前の10日過ぎである。ここは、どこの家にも大型冷凍庫(冷蔵庫の他にですョ)の1台や2台置いてある。お盆が過ぎれば、冷凍庫に保管して、次の年のお盆に使うのだろうか。私にお礼をする必要がなければ、また、1年冷凍庫に保管することになったろう。2年前と知って、お盆休みで遊びにきていた娘夫婦も遠慮して食べない。私は、透明なポリエチレンかなにかの個装をはがして、匂いをかぎ、腐っていないことを確かめ、独り占めにした。腹痛も下痢も起きなかった。いつも、牛乳は10日位、納豆は2週間、醤油やソースは半年、等々、数え上げればキリが無いほど、賞味期限切れを食している。多分、島の人も同じように食べているはずだが、食中りで病院に担ぎ込まれたという話は聞かない。ノー・プロブレム!

  消費期限は食品企業の賞味期限である。期限過ぎを何年も出荷していれば、当然、消費者の胃袋に入ってしまっている。が、食中毒でバタバタ人が倒れたというニュースはついぞ聞かれない。今度の騒動がなければ、何事もなく、買い続け、食べ続ける。ノー・プロブレム!

  賞味期限の切れた弁当を、ブタの餌さにリサイクルするというニュースが、この前、宮城であった。以前は有機肥料にしていたそうな。例の放送局がべた褒めである。500グラム500円の弁当が、10キロ500円となる。仮に1000円としても、10分の1だ。人間が食えるものを。これでリサイクルと言えるか。

  前に島の賢人の話をしたが、ここでも、登場してもらう。消費期限ですったもんだするのは、消費期限があるからである。消費期限そのものを無くせば、きれいさっぱり問題がなくなる。

  食の安全・安心と消費期限・賞味期限とは別物である。役人とどこかの消費者団体がグルになって食品メーカーにブタの餌さをせっせと作らせる悪法である。違法と知りつつ捨てるのにしのびなかったと心境を吐露する食品メーカーの工場長に私は同情どころかその勇気に拍手を送りたい。同時に、法律を盾に取り、バッシングに精を出す正義漢気取りの報道機関を私は唾棄する。

  ところで、経済損失を怨むことは、私には二の次である。私が最も懸念しているのは、消費者が単なる日付スタンプを頼るばかりに、食べ物に対する動物としての判断能力が失われていくことである。腐っているか、これくらいの匂いならチャーハンにすれば大丈夫か、病弱な子どもに与えない方がいいか、味は落ちてもまだ食べられるか、捨てた方がいいか、こういう事すべてが、目と鼻で完全に処理できてきた。元来人間にはそういう能力が備わっているものだ。だからこそ、人類は滅亡しないでいる。山のきのこに賞味期限は貼られていない。海の魚も同じだ。

  私は主張する。消費期限・賞味期限は撤廃すること。ただし、匂いがわからない包装の場合は製造年月日を記すこと。もう一つ、牛頭豚肉は弁解の余地のない悪質商法である。お家取り潰しの厳罰に処すること。

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日本国憲法 第五章 内閣   大臣対官僚


  相手の立場に立って物事を見るのもたまには良いことだ。国民が選んだ大臣とエリート官僚。

  年中、官僚批判ばかりしていては、芸が無い。今日は、超一流大学の法学部出身で上級公務員試験を通り、次官クラスまで私がなったとする。その時に、自省(じしょう)の大臣をどう思うか。それを想像してみた。

  真っ先に思うことは、この先生(大臣のこと)、いつまで自分の省にいるのだろうかということだ。最大長くて、4年。後の先生が番を待っているから、どれほど適材適所でも、席を譲ることになる。悪事がバレたり軽口を叩けば、つかの間の上司となる。

  次に、頭の中身である。どこの大学出かでだいたいのレベルを判断する。また、官僚出身か親譲りの二世かを確かめる。官僚出身であれば、一目置く。そうでなければ、陳情を適当にあしらうだけで、あまり難しい話は言ってもわからないから出さないようにする。

  着せ替え人形のような大臣と国家の運営を真剣に話ができるか。いつ落ちぶれるかわからないような人気商売の議員に国の将来を任せられるか。我々、国家官僚がいればこそ、今日の日本がある。文句があるなら、私の大学に入ってみろ、上級試験に合格してみろ。

  そして、何十年かこういう感情で仕事をしていくうちに、まじめに働くのが馬鹿らしくなり、早々と天下りをするか、接待ゴルフに明け暮れするかとなる。こんなところだろうと思う。この「馬鹿らしくなり」というところがエリートのエリートたる所以である。

  芸がある話とはいえないが、私の想像はここまで。好例を挙げる。

  官僚vs舛添大臣:
  厚生労働省ばかりでなく、問題はどこの省にも存在する。みんな、隠しているだけだ。舛添大臣は、他の省に回っても、同じように、そこの省内の不祥事を暴いていくと思う。彼には、学歴コンプレックスが高級官僚に対していささかもない。そして、何よりも、官僚たちが、彼に対して、他の大臣に対するような、優越感を持てないことが物を言う。

  舛添さんの大学を出ることを大臣に求めているのではない。官僚を傲慢にしている現代版科挙を廃止してしまえ、というのが私の主張である。大学を出る出ないは関係ない。下からたたき上げていって、官僚の頂点に達するような仕組みにしない限り、大臣をいくら代えても、官僚のスクラムはくずせない。行政どころか日本の政治すべてを官僚がお膳立てしている。科挙の制を変えない限り、日本の政治は変わらない。

  第五章 内閣

第六十五条 行政権は、内閣に属する。

第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

第六十八条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。

第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

第七十条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

第七十一条 前二条の場合には、内閣は、新たに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。

第七十二条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。

第七十四条 法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。

第七十五条 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は害されない。

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日本国憲法 第四章 国会  是非とも一院制を


  島には賢人が何人かいる。その一人の彼は、問題解決が出来ない時には、問題そのものをないことにしてしまえと教えてくれる。日常生活の悩みのほとんどが消えるとても役に立つ考えである。今の衆参ねじれ現象の問題は、衆参があるから起きる。だから、1院制にしてしまう。ここのだらだらしている第四章もとてもシンプルになる。歳費の削減も図れる。

  私は多党化論者だ。昨今の民主党小沢代表の軍隊派遣論を聞くほどに、確信を高めた。今のままでは、アメリカと同じように、どちらに転んでも、大差ない政治が行われるようになる。

  国会については、前回の参院選の時、このブログで自分の考えを書いた。以下はその要点である。

1.1院制とする。2年毎に議員の半数を改選する。(解散には厳しい条件をつける。また、解散の対象は、次回改選議員に限る)

2.全国区だけにする。全国だから区を使うのはおかしいが、国会議員は国全体の内政・外交を討議・決定するためにある。地元の陳情や利益誘導のためではない。

3.選挙の投票は2党記名の複式とする。 2票は権利だが、行使は1票でもいいことにする。ただし、同じ政党を記せば無効票になる。(これにより、私の政党多数化の念願が成就する)

4.政党に投票する。個人名は表にでない。

5.政党助成金は廃止する。政治活動に億の金は必要ない。みんな選挙活動のために金を使う。言ってみれば、就職活動に金を使うようなもので、就職してからどんな仕事をするのかとは別物である。(歳費以外の支給、たとえば、交通費、事務所費、私設秘書など人件費などを禁止する項目を憲法に明記する)

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・
  第四章 国会
  第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
  第四十二条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
  第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。
  第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。
  第四十五条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。
  第四十六条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに、議員の半数を改選する。
  第四十七条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。
  第四十八条 何人も、同時に両議院の議員たることはできない。
  第四十九条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。
  第五十条 両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。
  第五十一条 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。
  第五十二条 国会の常会は、毎年一回これを召集する。
  第五十三条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。
  第五十四条 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。
2 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
3 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。
  第五十五条 両議院は各〃その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。
  第五十六条 両議院は、各〃その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2 両議員の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
  第五十七条 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
2 両議院は、各〃その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。
3 出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。
  第五十八条 両議院は、各〃その議長その他の役員を選任する。
2 両議院は、各〃その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。
  第五十九条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
2 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
3 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くこを妨げない。
4 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。
  第六十条 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
  第六十一条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。
  第六十二条 両議院は、各〃国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。
  第六十三条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。
  第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。


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日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務

 
 第十四条 法の下の平等
  今の裁判は第十四条を守っていない。法律学者や専門家がどう理屈をこねようが、社会的身分によって差別を受ける。

  大企業の社長や役員が不正を行う。不正を承知の上で不正を行う。発覚するまで不正を続ける。有罪となる。その時の、裁判官のいう事といったら、いつも、「反社会的行為であり消費者の信頼を揺るがすものであり、許しがたい」の決り文句である。政治家の犯罪には、消費者を有権者と言い換えるだけだ。それで、厳罰が下されると思いきや、「本人は既に職を辞しており、社会的に制裁が下されているから、・・・・よって、執行猶予3年、~」と続く。(前にブログに書いたが繰り返す)

  私のような年金暮らしの老人が、仮に、同じような不正行為をしたら、(あり得ない仮定ではあるが)、まず、執行猶予は与えられないと思う。

  現実味を帯びた仮定を設ける。ある役人あるいは政府関係の団体職員が、公金をネコババする。その役人が高級役人であれば、まちがいなく執行猶予がつく。私が、何か田舎の組織の役員になり(これも、99.99%あり得ないのだが)同じようにネコババしたら、執行猶予はつかない。即、監獄行きとなる。私には社会的地位がないからである。

  これまでも、そして、これからも、連日のように、エリートの犯罪は暴かれていく。裁判が開かれる。そして、「許しがたい犯罪」という庶民へのリップ・サービスに続いて、「執行猶予」の恩恵を社会的地位のある者が享受する。その度に私を不愉快にさせる。

  繰り返す。学者が何と言おうが、こんなのは法の下に平等ではない。憲法違反である。

  第十五条公務員
  公務員試験がいかに形式的なものであるか、ここでよくわかる。全体の奉仕者か一部の奉仕者かを試験に出せば、受験者、全員、全体の奉仕者に○をつける。実際は、偉くなればなるほど、別な言葉でいえば、裁量権が増加すればするほど、一部の奉仕者になっていく。ある者は薬品会社、ある者は武器商社、ある者はゼネコン、これらは私の目に入っているものだけで、当然、氷山の一角である。

  また、この条項には重大な誤りがある。それは、公務員の不法行為の弁償を国がすることとしていることだ。これが、裁判官、警察官、厚生役人、文部役人、選挙管理委員会、天下り先機関ほか、ありとあらゆる公務員の不法行為・職務怠慢を野放しにしているガンである。公務員の不法行為を、税金で尻拭いすることはない。不法行為をした公務員に償わせなければいけない。裁判官の身分保障と同様、撤廃しなければいけない。

  第二十条 宗教団体
  税の申告が必要ないそうだ。企業のように財務諸表の公開も必要とないそうだ。確かめていないので、間違っているかもしれない。一応名の通った宗教団体は、へたな会社より金の入りはいい。何しろ、原材料は不要、加工は不要、あの世の約束だから、いくら金を取っても騙されたとクレームはつかない。精神活動ではあっても、金が動く面では、りっぱな経済活動である。課税されないのは、特権である。憲法がおかしいのではなく、税制がおかしい。

  第二十三条 学問の自由
  今ではピンとこなくなってしまった。片やエリート官僚を育てる大学があると思えば、片やスポーツ選手養成所のようなところもある。一芸に秀でた生徒ということで、将棋のプロを受け入れた大学もあった。大学は学問の場。奨学金が入れば、その幾分かで学友と酒は飲んだ。ほとんど休講ばかりの串田孫一の単位(全員優がもらえる)を喜んだ。つまらない講義はサボった。それでも、大学が真理の追究の場であることを、私は疑ったことがなかった。学生諸君に向かって言いたい。学問の自由が保証されたのは、この憲法ができた時からと。無駄にしてはいけない。

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  第三章 国民の権利及び義務

第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する。

第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第二十三条 学問の自由は、これを保障する。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。

第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第三十二条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第三十三条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第三十四条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する。

第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

第三十八条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第三十九条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。


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福田と石破 貧すれば鈍する

   
  ついに馬脚を現した。共産党の質問に対して、「どうせ、何を言っても、共産党さんは反対なんでしょう」といって、薄笑いを浮かべた。私はしかと見た。かつて官房長官時代、記者席に向かって、しばしば見せた薄笑いである。政治部の記者なんてたいした人間でないのだから、記者に向けている限り結構だが、実際は、テレビを観ている国民に対しての薄笑いである。総理大臣になったら二度と顔に表さないだろうと書いたが、人間、窮地に追い込まれると、本性が出るものだ。
 
  今度も、共産党に向けた薄笑いは、国民に対する薄笑いである。政党政治である以上、政党同士が自分たちの主義・主張を互いに譲らず、その判断を国民に委ねるのが筋である。簡単に、「あんたのいうこともわかるよね」などと妥協してもらっては困るのだ。

  野党が勢力を伸ばして、これまでの強行手段が通用しなくなると、手の平を返したように、根回し対話路線に転じる。国会という堂々と是非を論じる場があるのにである。これでは田舎の政治だ。

  石破大臣、これからも当分この人の顔をNHKが出すと思うと、暗い気持ちになってしまう。自衛隊員が日夜頑張っているのに、水をさすようなことはいけない、とか言う。この発言は、ブッシュがイラクに行って海兵隊をねぎらう目的と同工異曲である。それが、賢い大衆に受けなくても、愚かな大衆には結構効き目があるものだから、彼は何回も繰り返す。

  日本がアメリカの戦争に加担することと、自衛隊員が職務遂行に励むこととは別物である。次元が違う。しっかり区別しておかないと、為政者のトリックに騙される愚かな大衆の一人となってしまう。あぶない、あぶない。

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日本国憲法 第九条 軍備と出兵


  私は小学校に入る前、すなわち戦時中、家の中にいればいつも、絵を描いていた。まず、潜水艦。兄から潜水艦はネットを破るために、ノコギリを頭につけていると見本をみせられ、いつも、ぎざぎざをつけた潜水艦を描いた。大人になって日本の潜水艦映画を観ても、それらしきものはなかった。
  
  そして、飛行機。高速回転のプロペラの間から、機関砲が撃たれるのが不思議で兄に聞いたことがあった。単葉もあれば複葉もあった。爆撃機の絵を描いた記憶はない。

  戦車も得意だった。キャタピラが面白かった。機関銃も帯のような所が面白く、よく描いた。

  まれにだったが日本の飛行機が飛んでどこかへ行くのが見える。そうすると、子どもたちが、みんなで、万歳をしたり、手を振った。描いた絵には、すべて、日の丸をつけた。どういうわけか、軍艦の旗は、日の丸から線がでているものだった。

  このように兵器を好んで描いたのは、私が特別に好戦的であるからではない。60年安保の時は、機動隊に追われて、路地裏まで逃げ、小さな喫茶店にかくまってもらい、まだ外で待ち伏せしているのではないかと、何時間も、お邪魔していたくらい臆病者だ。少々体力に自信がついた時でそうだから、小さい時はもっと気弱な子どもである。それでも、兵器はえもいわれぬ魅力があった。

  学校に入ってからは、一貫して平和思想教育を受けた。担任の先生が立派であったため、戦争反対は体の芯まで染み込んでいる。

  その私が、高校生から今に至るまで、戦争映画の大ファンである。レーザー・ディスクのコレクションも相当ある。戦争には反対する。兵器には近親感を持つ。私がごく普通の人間である証拠である。日本人のほとんどはごく普通の人間である。前文で崇高な理想を日本人に期待しているが、買いかぶりである。

  私自身は、軍備など無用の長物と思っている(映画で十分。戦争映画は100インチプロジェクションに限る!)が、持っていないと不安でしかたがないという気持ちもよくわかる。だから、日本人の多数が持ちたいというのなら、持ってもかまわないと考えている。そもそも、武器を手にしたからこそ、人間となったのだから、きわめて自然な姿である。

  その代わり、軍隊は一兵たりとも、日本領土から出してはならない。外国で日本人居留民がどんな仕打ちをされようと、軍隊の出動はまかりならぬ。どんな要請がどこから来ようと、出兵はいけない。今の話で言えば、アメリカは言わずもがな、国連の要請さえである。海外派兵は、人間の根源ではない。だから、許さない。

  もう一つ、兵器の輸出もしてはならぬ。少し改造すれば、兵器に転用できる物でもいけない。兵器輸出は絶対に儲かる。だが、そこをぐっとこらえる。日本人のプライドである。

  最後に、軍事同盟はいかなる国とも結んではならない。派兵をしないのだから、これほど、相手にとってつまらない同盟はない。だれも、好んで日本に同盟をいってこない。アメリカがなぜ、日本と軍事同盟を結んでいるのか、ここが解答の糸口だ。

  国際平和は人間という動物社会ではあり得ない。正義は戦う双方が主張するに過ぎない。バイロン卿もトルストイも戦場ではっきり見届けた。春秋に義戦無し、春秋の後も義戦なし。

  私の結論:軍備は可。出兵は不可。
    
  第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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日本の恥 愛国心以前に


  憲法第九条は、明日に延ばして、私の腹の虫がおさまらない一件を今日のテーマとした。

  中国の化学兵器処理にかかわっての不正のことである。日本国内の談合や不正なら、毎度の不届きなヤツで済むが、今度は外国である。しかも、戦時中の日本の悪行を少しでもぬぐおうとした日本人の税金を、懐に入れてしまう。

  今回、懐に入れた金が残っていれば、次の処理に使うことができる。日本人の税金と同額の利益が中国人に渡る。

  こういうのを、真の国賊という。朝鮮総連のビルにからんだ詐欺もそうだが、ワルはワルでも、日本人の恥となるようなことはしてくれるな。

  と言われても、はい、そうですかというようなタマではない。人間のクズには、それにふさわしい応対をしなければならぬ。

  役所は忙しくて、目が届かないだって、そうかい、そうかい。なら、随意契約とやら、うさんくさい契約には、必ず誓約書を書かせる。内容は、不正が発覚した場合は、契約額の10倍を弁済するという内容で十分だ。バレたら同額返済すればいいなんて、日本の役所だけで通じるジョークだ。(ここ宮城の町役場でもありました。年金保険のネコババ騒ぎで、全額返済の上クビにしたから、それ以上おとがめ無しにしたいと、市長が、舛添大臣の告訴に、不快感を露にした。田舎の政治感覚なんてこんなもの。地方への権限委譲なんて本気で誰が考えているのか)

  ついでに、担当役所の担当役人も、無駄にした民の税の額に応じて、年2回の精勤手当て(よくいうよ)の停止、それで不足なら、退職金の減額、これまできびしくしなければ、甘えは抜けない。民間製造業では、100個10円のビスを、なんとか9円99銭にならないものかと購買部門は必死になって働いている。役人に言わせれば、無駄に使われようが使われまいが、どうせ、人の金というわけだ。

  少し腹の虫が治まった。もう少し、治まれば、夕飯の密造酒が吟醸になる。だから、続ける。

  石破大臣が、倫理規定前だとかばった。やましいから偽名を使う。偽名を使ってまでゴルフをする。その役人をかばう人間が、一国の大臣である。国防を担う大臣である。こんな人間に悪人は守れても、国は守れない。

  福田の野党との協調姿勢。結構だが、ただ頭を下げればいいというものではない。

  修身斉家治国平天下。治国の前に、先ず自分の家来をビシッと取り締まることだ。

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日本国憲法 改憲or護憲 天皇


  第六条:任命は形式的なものであるから、削除したらいい。
  第七条:勲章を貰って感激する国民がいることから、栄典の授与は残す。皇室独自の儀式を行う。こういう形で儀式を残す。他の項は削除する。

  皇室典範。皇位継承は、男女問わずとしなければいけない。古今東西、王様もいれば女王もいる。男でなければできない仕事は何一つない。男子継承を主張する者は、セクハラである。

  また、天皇が個人の判断で天皇の地位から降りる権利を行使できるようにする。遠慮が心配なら、定年を設けてもいい。とにかく、平民が六十過ぎてのほほんと気ままな余生を送れるのに、民の象徴が、百を越える外国の公使・大使に接見したり、コロコロ変わる首相を任命したり、国体はじめ地方周りを休むまもなく続ける(ぴったりした言葉があるのだが、敢えて使わない)のは、見ていて痛々しい。高齢化社会の象徴と言えないこともないが、やはり、三十代、四十代の壮年天皇である方が、私の心は安らかになる。

  天皇制そのものを消滅しなければ、真の民主主義、民本主義が育たないとの主張は、日本が島国であることを忘れている者のいう事だ。天皇制は民主主義の障害ではない。日本人の血が天皇家を存続させてきた。へたに天皇制を云々しない方がいい。へたの代表が、日本共産党で、他にどれほど勇気ある正論を吐いても、これだけで、日本人から大いに嫌われ、今でもその致命傷は癒えていない。

  理念は情緒にかなわない。政治を論じる前に先ず、人間を。

   第一章 天皇
  第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
  第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
  第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
  第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
  第五条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
  第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
  第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
  第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

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日本国憲法 護憲or改憲

  中学の期末試験といえば、かならず、1~2題は「次の中の誤りを選べ」という問題があった。

  憲法をその手法で見てみると、誤り、あるいは、誤りとまでいかなくても疑問が多々あることがわかる。

  先ず、前文から始める。

  日本国憲法

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

  私の疑問:

  1.国民の厳粛な信託
親の跡を継いで、すぐ代議士になる。党首次第でころころ支持政党が変わる。義理と人情でごっそり票が移動する。とても厳粛とは言えまい。

  2.人類普遍の原理
政治に人類普遍の原理など存在しない。

  3.恒久の平和地球上のすべてが調和しているのなら、恒久もあろうが、実際は正―反―合の螺旋・分散の繰り返し。恒久の平和などあり得ない。あるとすれば、一国が世界統一に成功して、強力な警察機構を独占する場合のみである。こういう平和が望ましいはずがない。

  4.平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会
“努めている”と言えるのは、この憲法が作られたわずかな期間でしかない。国益最優先が国際社会の現実である。

  5.政治道徳の法則は、普遍的
普遍的なものは人類普遍の原理と同様、存在しない。

  6.他国と対等関係に立たうとする各国の責務
対等に立とうとすれば、時には、戦争も辞さない覚悟が求められる。一方で恒久平和に努めよと言い、他方では、対等関係を責務とせよと言う。

 このように、憲法のよりどころである前文に私は、はやくも疑問を抱く。

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核不拡散条約 教えてください


   いつも好き勝手なことばかり書きなぐっている私ですが、今日は、ご教示のお願いでございます。自慢するわけではありませんが、世の中、おおよそのことは、正しい分り方かどうかは別として、まあ、分っているつもりです。もともと、一言どころか二言も三言も多い性分の私ですから、“つもり”で何にでも、講釈してしまいます。

  この講釈はたいへん健康によろしいと見えて、体の所々にガタを感じるものの、頭の方は、いたって、好調です(好調と思うことが、すでに変調なのかもしれません)。王様、王様、ロバの耳、穴ならぬブログで思い切り声に出せるのですから、当たり前かもしれません。

 前口上はこの位にして、教えていただきたいのは、核爆弾のことです。

   一.核兵器と言われていますが、本当に兵器なのでしょうか。前に、これは、すべてを見境いなく抹殺するのだから兵器ではない、大量殺戮凶器であるというような事を書きました。兵器と凶器は別物ですよね。

   二.日本で核廃絶を訴える人の気持ちがわかりません。核廃絶は、核を持ってこそ、説得できるのであって、持たない国がいくら廃絶を叫んでも、馬の耳に念仏、犬に論語、ふふんと鼻であしらわれるだけです。これも、前に書きました。現にあしらわれています。それでも、訴え続ける理由はなんでしょうか。センチメンタリズムに見えて仕方がありません。

   三.核不拡散条約がなぜ世界のあらゆる国に通用するのでしょうか。条約に参加していない国は、自分の意志で保有してはいけないのでしょうか。この所が一番分りません。保有国のカルテルを許すのであれば、国連は全く無能であると思いますが。民主党の小沢さんが、国連が、国連が、と繰り返すほど、国連って役に立っているのでしょうか。

  国際法の単位を取ったような記憶がありますが、何を学んだのか、いや、授業に出たのかでさえ、さっぱり思い出せません。ですから、法律はからっきしダメです。保有国が強いからという理由しか、私には思いつきません。

  朝鮮民主主義人民共和国は、経済運営破綻からアメリカ合衆国に屈しました。アメリカの譲歩なんてとんでもない。してやったりですよ。核を持たない国・核を輸出できない国は、アメリカの脅威ではありません。いつでも、得意の空爆ができます。家康と大阪城の外堀の例もあります。

  日本が、アメリカに、もう防衛省もできました、自国で自国を守りますから、安保は止めにしましょう、日本の基地にいてもらわなくても大丈夫ですよ、核も自前で作れますと言ったら・・・・アメリカは、東京を空爆するでしょうね。すべて核に係わるアメリカの行動は、日本への見せしめに思えてなりません。

  今、私は、核保有を主張する誘惑にかられています。どなたか、私の頭を冷やしていただけませんでしょうか。お願いいたします。

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旧約聖書 傳道之書 第十三章 私の印象

  この伝道の書も、終わりに近づくにつれ、平凡なお説教が増えてきます。恐らく、格好がつかないということで、あとから、誰かが付け加えたのでしょう。すべて空である、だから、命がある間、生を、すなわち、生きていることそれ自体を、楽しみなさい、ここで終わるべきであるように思います。

  「箴言」がでできました。「箴言」と「エレミヤ哀歌」から、二十代の私は、大きな影響を受けました。箴言という言葉が良かったこと、地名、人名のカタカナがなかったこと、この単純な二つ動機から読みました。大好きな箴言を書き写すとなると、膨大な量になるのが分っています。もう今の視力では私にはできません。機会がありましたら、ご自身でお開きください。たいへん格調の高い文章です。

  さて、旧約聖書の印象です。

  一.強烈な純血主義であります。
  二.人間にも動物にも、徹底して、五体満足を要求しています。
  三.人も動物も殺すことに慣れています。

  動物を殺して食するのに理由はいりません。しかし、人を殺すとなると、何か理由が必要となります。それが、旧約聖書となったと私は考えています。初めに言葉があったのではなく、殺しがあった。その殺しを正当化するため、言葉が後からついて来た。人間発生を同種殺しに求めた私の考えではそうなります。

  申し上げますが、なにより旧約聖書で、驚いたのは、邪教に染まったものは、女・子供・老人関係なく殺してしまえと、神が命じていることです。神は当時のユダヤ民族が作ったもの、己で己の行為を正当化するのは、なにかと具合がわるいので、神に託した、と私の読み方ではこうなります。(宗教に係わりたくないので、あくまでも私の独善的な読み方であることを、強調しておきます)

  新約聖書との関係ですが、イエスが言う「~云へるあり、されど~」のすべてが、旧約に出ています。旧約を先に読む人は、新約に入りイエスのこの言葉に遇うと、はは~ん、あの所かと膝を打つでしょう。伏線がいたるところに置かれています。

  最後ですが、私が最も不可解とした所は、なぜ、旧約と新約が一つの本となっているかです。イエスはことごとく旧約を否定しています。彼が磔の刑に処せられたのは、当然です。私には、全く別の宗教としか思えません。

  私なりの結論ですが、新・旧を揃えているのは、キリスト教徒が、自分の都合で使い分けるためであります。一種のダブル・スタンダードです。その点、ユダヤ教徒は筋が通っています。(この頑なな態度が禍をもたらす、それさえも、神によるものと、あくまでも、頑固です)

  ブッシュさんもライスさんも、教会で祈りを捧げるでしょう。その1時間後、ミーティングで、アルカイダを殺す計画を打ち合わせます。明らかに、新約の世界ではありません、旧約の世界です。だから、イスラエルと仲良く、“悪しき人”を、老若男女見境なく、殺せるわけです。

  六十年ほど前に、日本も同じ目に遭いました。次にベトナム、そして今、アフガニスタン・イラク。キリスト教徒が旧約聖書を国史あるいは神話の書に格下げしないかぎり、これからも、どこかの“悪しき者”が殺されていきます。

  傳道之書  第十二章(終章)
~(略)~
  また傳道者は智慧あるが故に恒(つね)に知識を民に教へたり
彼は心をもちひて尋ね究め許多(あまた)の箴言を作れり
傳道者は努めて佳美(うるはし)き言詞(ことば)を求めたり
その書しるしたる者は正直(たゞしく)して眞實(まこと)の言語(ことば)なり
  智者の言語は刺鞭(とげむち)のごとく
會衆(くわいしう)の師の釘(うち)たる釘(くぎ)のごとくにして
一人の牧者(ぼくしゃ)より出(いで)し者なり
わが子よ是等(これら)より訓戒(いましめ)をうけよ
多く書(しょ)をつくれば竟(はてし)なし
多く學べば體(からだ)疲る
  事の全体の皈(き)する所を聴べし
云く 神を畏(おそ)れその誡命(いましめ)を守れ
是は諸(すべて)の人の本分たり
神は一切(すべて)の行為(わざ)ならびに一切の隠れたる事を善惡(よしあし)ともに審判(さばき)たまふなり

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旧約聖書 傳道之書 第十一章 若い時の楽しみ

  
  若い時の楽しみは、拡大といいましょうか、膨張といいましょうか、簡単に言えば“増えること”にあるように思います。行動範囲、金銭、資産、交友、知識、趣味、もちろん仕事も含みます。壮年期は、それが放物線の頂点に達する、そんなイメージを私は持っています。増やす楽しみは、たいへん分りやすい、あれこれ説明しなくても、万人にたやすく理解されましょう。

  放物線の下りは、すべてにわたり、縮小のプロセスであります。人は、知識、経験は増えるというかもしれませんが、私に言わせれば、壮年過ぎに加えられる知識や経験は、当人の頭なり体を通過するに過ぎません。

  この縮小を楽しむというのは、簡単でないように思えます。縮小の最後が、自分自身の消滅であるからなおさらです。楽しむということは、自虐的快楽と言えなくもありません。たいていの人は、そのような性向を持っていません。だから、下り坂にさしかかった時に、宗教の出番が来るのではないでしょうか。若い時から、宗教に熱心な人は、せっかく登り坂にいるのに、登り坂の楽しみを十分享受していないように、私には思えます。

  最初から最後まで、ピュアーで貫く人は尊敬に値する人ではありますが、若い時に放蕩三昧をして、最後に、「オレは馬鹿だったなぁ」と告白してくれる人の方が、私ははるかに好きです。

  傳道之書 第十一章
  ~(略)~
少者(わかきもの)よ 
汝の少(わか)き時に快樂(たのしみ)をなせ
汝の少き日に汝の心を悦(よろこ)ばしめ
汝の心の道に歩み汝の目に見るところを爲せよ
但しその諸(もろもろ)の行爲(わざ)のために
神汝を鞫(さば)きたまはんと知るべし
然(され)ば汝の心より憂(うれひ)を去り
汝の身より惡(あし)き者を除け
少き時と壯(さかり)なる時はとも空なればなり

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旧約聖書 傳道之書 第十章 私から見れば 


    今回、旧約聖書を通して読み始め、先ず気がついたことは、あの世のことにほとんど触れていないことでした。善行で天国、悪行で地獄というパターンが普通の宗教であろうと思っていましたので、驚きでした。前章第九章で陰府(よみ)がありましたが、それまでには出ていなかったように覚えます。あの世のことは、誰もわからないばかりか、生きている間でさえ、先の事はわからないものだと、この章で述べています。

  旧約聖書は、民法、商法、軍事、処世訓、裁判、家族の問題、英雄伝、土木建築技術、聖なる柩(はこ=櫃)対異教徒の偶像の争い、こういうもので一杯です。奇蹟や不可思議はとりたてて騒ぐほど書いてありません。並列する場合は、同じレベルであることが必要であること、そして私のこの列記がそれに反していることを、私は承知しています。しかし、旧約聖書そのものがごちゃごちゃのてんこもり(それ故、面白い)となっているので仕方がありません。信仰者や神学者から見れば、ひどい読み方でしょうが、私に言わせれば、読み方は人それぞれでいいのです。ヱホバが私の枕もとに現れて、間違いを正してくれるのならともかく、誰が、正しい読み方を決められるのでしょう。

  あと2章で終わりです。民主の小沢党首が、なにやら、トンチンカンなことを言っているようですので、これから2日の間、私に何もなければ(若い人にはピンとこないでしょうが、私の歳になると、とてもいい枕詞になります。前に一度使いましたが、使える間は、これからも使います)、彼に一言、申し上げるつもりでいます。

  傳道之書
  第十章
智者の口の言語(ことば)は恩徳(めぐみ)あるなり
愚者の唇はその身を呑(のみ)ほろぼす
愚者の口の言(ことば)は始は愚なり
またその言は終は狂妄(きゃうもう)にして惡(あし)し
愚者は言葉を衆(おほ)くす
人は後に有(あら)ん事を知らず
誰かその身の後にあらんところの事を述(のぶ)るを得ん
愚者の勞苦(ほねをり)はその身を疲(つか)らす
彼は邑(まち)にいることをも知らざるなり

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旧約聖書 傳道之書 第九章 我が身となれば


すべてが空であると知ったからには、何をやっても無駄だとつい結論づけたくなる。ところが、そうでない。生きること、そのものを楽しみなさいという方向に転じる。

  パンと酒・・・このところ、続けて失敗した。一つが水の入れ忘れ。もう一つが攪拌羽根の入れ忘れ。いずれも、ふっくらパン屋が泣く。私の口に入らず、鶏の口に入った。酒は自家製。税金が惜しいなんて負け惜しみで、酒に使う金がないだけだ。まさに、汝の働きに見合った酒。楽しむも楽しまないもあったものではない。  

  衣・・・私のは、犬の毛だらけ、鶏の糞もズボンのどこかについている。散歩では、草の上にあお向けに寝て、天を仰ぐ(落胆によるのではない、空を見たいため)ので、背中は土と草の種。どうせ汚れるのだ、洗濯も適当。前に書いたかどうか忘れたが、大阪のホームレスの方が、身なりはきちんとしている、とはカミさんの言。

  頭・・・膏をつけようにも、もはやハゲててっぺんに毛がない。床屋は見れば分るものを、私が椅子に座るとたんに、必ず、どちらに分けますかと確かめる。安い・早いのチェーン店だからマニュアル通りに尋ねるのだろうが、不愉快だ。人の勝手だが、高い床屋に行く気が知れぬ。頭の中身まで、きれいになるとでも思っているのか。

  妻・・・なんとも申し上げ様がない。コメントする資格がまったくない。しかし、言わせてもらえば、この伝道者だって、『世の人の樂しみなる妻妾を多くえたり』(第一章)とほざいている。その空しさを知ったからこそのアドバイスであるのだが、「よくゆうよ」とつっかかりたくなる。

  かように、私には耳の痛い章である。とりわけ痛いのが、次の一言である。
  『凡て汝の手に堪(たふ)ることは力をつくしてこれを爲せ』

  ここの“力をつくして”は、確か新約で初めて知った表現である。響きもいいし、特に好きな言葉だ。万事がちゃらんぽらんな私への戒めとなってきた。

  傳道之書
  第九章
  ~(略)~
汝往(ゆき)て喜悦(よろこび)をもてパンを食(くら)ひ樂(たのし)き心をもて汝の酒を飲め
其は久しく汝の行爲(わざ)を喜納(よしみ)たまへばなり
汝の衣服(ころも)を常に白からしめよ
汝の頭(かしら)に膏(あぶら)を絶(たえ)しむなかれ
日の下に汝が賜(たま)はるこの汝の空なる生命(いのち)の日の間汝その愛する妻とともに喜びて度生(くら)せ
汝の空なる生命の日の間(あひだ)しかせよ
是は汝が世にありて受(うく)る分汝が日の下に働ける勞苦によりて得る者なり
凡て汝の手に堪(たふ)ることは力をつくしてこれを為せ
其は汝の往(ゆか)んところの陰府(よみ)には工作(わざ)も計謀(はかりごと)も知識も智慧もあることなければなり
  ~(略)~

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旧約聖書 傳道之書 第八章 私の読み方 解説書

 
 月に1回、尺八の稽古で陸に上がる。帰りの連絡船を待つ間、たいてい、図書館に行って、何冊か借りる。朗読のDVDが新しく置かれたので、それも気分で借りる。返却は2週間後が規則であるが、私は1ヶ月後になる。返す時に、一言二言、詫びを入れるだけで、おとがめはない。おおらかな事は大いに結構なことだが、建設課、土木課、観光課、福祉課、総務課、万事この調子でやられているのではないかと疑うと、とたんにその「おおいに結構」がしぼんでしまう。

  さて、その図書館には、宗教という分類がある。解説書の山だが聖書自体が見あたらない。何種類も出版されているのだから、一通り揃えておいてもよさそうなものだが、そうでない。考えてみると、今の読書を象徴しているのではないか。手っ取り早く解説書を求める。解説書であることから当然であるが、原本より読みやすい、分りやすい。なにより、薄い。

  私は、解説書は読まない。読んでも、自分の思考に何の役にも立たないことを知っているからだ。マルチン・ルターが聖書に戻れと叫んで、宗教改革を起こした。昔の話なのに、今でも通用するとはどういうことか。

  孔子曰く、『思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし』しかし、解説書から学べるのは、聖書についての知識である。どれほど聖書に詳しくなっても、私に何の意味があろうか。私は人間を知りたい。そのために聖書を読む。これが私の“学ぶ”スタイルである。

  それなのに、ここの伝道の書は、「私でさえ分らない、まして小国寡民君、キミに分るわけがない。せいぜい、年金で間に合う程度の食べ物と飲み物を生協に注文しなさいよ」と私に諭す。ありがたいような、ありがたくないような。

   傳道之書 第八章
  ~(略)~
  我日の下に空なる事のおこなはるゝを見たり
即ち義人(ただしきひと)にして惡人(あしきひと)の遭(あふ)べき所に遭ふ者あり
惡人にして義人の遭ふべきところに遭ふ者あり
我謂(いへ)り是もまた空なり
是(ここ)において我喜楽(たのしみ)を讃(ほ)む
其(そ)は食飲(くひのみ)して樂(たのし)むよりも好(よ)き事は日の下にあらざればなり
人の勞して得(う)る物の中(うち)是こそはその日の下にて(かみ)にたまはる生命(いのち)の日の間もその身に離れざる者なれ

  茲(ここ)に我心をつくして知慧を知らんとし世に爲(なす)ところの事を究(きは)めんとしたり
人は夜も晝(ひる)もその目をとぢて眠ることをせざるなり
我神の諸(もろもろ)の作爲(わざ)を見しが人は日の下におこなはるゝところの事を究むるあたはざるなり
人これを究めんと勞するもこれを究むることを得ず
且また智者ありてこれを知ると思ふもこれを究むることあたはざるなり

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旧約聖書 傳道之書 第七章 私の読み方

  
  長編小説はロシア文学で慣れているので、この全千六百頁の旧約も、読むにあたり何の苦も感じなかった。国史の一つとしてとらえれば、人名・地名が続々と出てくるのも当然であると受け取った。

  新約が読まれても、旧約を読み通す人が少ないのは、この名前と地名の多さにあると思う。私は名前や地名をいちいち気にしない。名前は、ヱクテエルがイチロウであってもかまわないし、地名は、ミズバがカゴシマであっても、私にとって、一向に差し支えない。

  歳のせいか物忘れが益々進み、前に読んだものも思い出せないこともある。それもまた、かまわない。私の脳裏に最後まで残っているもの、それが、私の旧約聖書だからだ。
 

  傳道之書 第七章
  ~(略)~
  知慧の上に財産をかぬれば善し
然ば日を見る者等(ものども)に利おほかるべし
知慧も身の護庇(まもり)となり銀子(かね)も身の護庇となる
然ど知慧はまたこれを有(もて)る者に生命(いのち)を保(たもた)しむ
是知識の殊勝(すぐれ)たるところなり
汝神の作爲(わざ)を考ふべし
神の曲(まげ)たまひし者は誰かこれを直(なほ)くすることを得ん
幸福(さいはい)ある日は楽しめ 禍患(わざはひ)ある日には考へよ
神はこの二者(ふたつ)をあひ交錯(まじへ)て降(くだ)したまふ
是は人をしてその後の事を知ることなからしめんためなり

  我この空の世にありて各様(もろもろ)の事を見たり
義人(ただしきひと)の義(ただしき)をおこなひて亡ぶるあり
悪人(あしきひと)の悪(あしき)をおこないひて長寿(いのちながき)あり
汝義に過(すぐ)るなかれ 汝賢(かしこき)に過るなかれ
汝なんぞ身を滅すべけんや
汝悪に過るなかれ また愚(おろか)なるなかれ
汝なんぞ時いたらざるに死(しぬ)べけんや
汝此(これ)を執(とる)は善しまた彼にも手を放すなかれ
神を畏(かしこ)む者は一切(すべて)の者の中より逃(のが)れ出(いづ)るなり
  ~(略)~

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旧約聖書 傳道之書 第六章

  
  古本屋で求めた最初の新・旧約聖書は、紙が厚く、字も鮮明であった。しかし、次第に背がほつれてきて、買い替えが必要となった。30代のことである。何もかも忙しく、聖書を深く読む雰囲気にはとてもなれない。買い替えは四十歳の誕生日と決めた。区切りを歳にしたのは、論語の影響からだろう。そして、四十歳。本を買う金には不自由しない。最も高価な聖書を買う。日本橋の丸善に喜び勇んで行ったはいいが、そこにあった聖書は、長く待ち望んだ聖書ではなかった。

  紙が非常に薄い。白い(初めの聖書は茶色がかっていた)が、前の頁、後ろの頁が透けて見える。これでは、愛用のSTABILOの蛍光ペンが使えない。

  印刷部数が活字の限界を超えているのに、更新しないものだから、活字が磨耗して、字がかすれ、線が切れている。小さなルビが特にひどい。

  発行が80年、購入が80年だから、当時で、すでに、文語聖書は不人気となっていたのだ。止むを得ず、買って帰ったが、新しい本が自分のものになった時のいつもの満足感はさらに起きなかった。

  『1980.8.5.20日にて40才になるを記念して』と記してある。

  傳道之書
  第六章
  ~〈略〉~
人の勞苦(ほねをり)は皆その口のためなり
その心はなほも飽(あか)ざるところ有り
賢者(かしこきもの)なんぞ愚者(おろかなるもの)に勝るところあらんや
また世人(よのひと)の前に歩行(あゆむ)ことを知(しる)ところの貧者(まずしきもの)も何の勝るところ有んや
目に觀(み)る物事は心のさまよひ歩くに愈(まさ)るなり
是また空にして風を捕ふるがごとし
嘗(かつ)て在し者は久しき前にすでにその名を命(つけ)られたり
即ち是は人なりと知る
然(され)ば是はかの自己(おのれ)よりも力強き者と爭(あらそ)ふことを得ざるなり
衆多(おほく)の言論(ことば)ありて虚浮(むなし)き事を増す然ど人に何の(えき)あらんや
人はその虚空(むなし)き生命(いのち)の日を影のごとくに送るなり
誰かこの世において如何なる事か人のために善き者なるやを知ん
誰かその身の後に日の下にあらんところの事を人に告(つげ)うる者あらんや
~(略)~

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嘘つきは泥棒のはじまり  高村大臣に限らず


  今日まで三連休とは知らなかった。知ったからといって、どうということもないが、変化をつける意味で伝道の書は休みとする・・・

  嘘つきは泥棒のはじまり。私と同世代の人が大抵、子供の頃、親から教わった言葉だ。

  中学に入り、アメリカ人は、嘘つきと人から言われるのが最大の侮辱であるから、絶対にアメリカ人に向かって言ってはならないと、英語教師から教わった。スペル(liar)だけは試験によく出るから覚えるようにと付け加えたのは、さすが、教師だ。

  大きくなって、“嘘も方便”という言葉を知った。社会に出てから、親から教わった“嘘つきは泥棒のはじまり”より、はるかに役に立つことがわかった。もし、私の辞書が言葉を使えば使うほど磨り減っていくものなら、“嘘も方便”なんか、三十代の終わりには跡形もなく消えている。

  もう少し大きくなり、幌馬車を襲撃したインディアンを彼等の部落を丸ごと放火し皆殺しにする騎兵隊の総天然色映画を卒業した頃には、アメリカの国が大嘘つきであることを知った。英語教師は多分誰かからの受け売りであったろう。その英語教師は結果として嘘つきであったが、とりたてて彼を非とするつもりはない。

  さて、高村大臣。NHKの討論会で、「日本の石油の9割が中近東から海上輸送で運ばれてくる、テロに襲われたら、日本はたいへんだ。だから、シーレーン確保のためにテロ特措法が必要なのだ」というようなことを言って国民に理解を求めていた。討論会は残りいくばくもない時間がもったいなので、観ていない、ニュースで知った。

  テロ特措法は相手がアフガニスタン人である。彼等は山岳民族で、およそ海とは関係ない。馬に乗った彼等が商船を襲うなど、戯画にはなっても劇画にはならない。南アジアのイスラム教徒が結託して襲うなどと、付け足すかもしれない。外務省エリートの考えそうな理屈である。その心は、”国民なんてこんなもんで十分なのよ”

  この高村大臣、前に見たことがある。その時の印象は、「こんなのが中学の社会科教師だったら、さぞ、つまらない授業だろうなぁ」であった。凡相である。

  今度は、「とんでもない誤りを生徒に教えるにちがいない」である。悪相に変わったから、断言できる。理由は、まず、テロ特措法が出たら目であること、加えて、彼自身も、その出たら目を知っていること、この二つが顔に書かれていたからである。悪相、心のゆがみ・ねじれがかくも正直に顔に表れた大臣も少ないのではないか。このままでは、彼は間違いなく精神障害に犯される。

  吹けば飛ぶよな一大臣云々で私のブログは終わらない。

  以前、人間は道具を使うことで人間になったと書いた。その道具が武器であることも。

  もう一つ、人間という種ができたことに、言葉がある。その初めの言葉とは、“嘘”と“いい訳”である。嘘をつきたいがために、言葉が生まれた。寓話の世界ではない。この歳になって、誰の知恵を借りることなく、思考に思考を重ね、ようやくたどり着いた私の結論である。

  犬や猫には嘘がない。ヤギ、鶏も同じ。だから、肉食動物の鋭さ、草食動物のやさしさと、違いはあっても、彼等の瞳は私のものと同じようにつぶらである。澄んでいる。彼等と時を過ごすと、私は、何か、嘘をつかなかった人間以前の頃にタイム・スリップをした気持ちになる。私の口にする言葉といえば、「行くぞ」、「ほら」、「帰るぞ」のみ。それぞれ「アー」、「イー」、「ウー」に代えても一向に差し支えない。嘘のない関係である。

  嘘をつかない動物、嘘をつく動物。私は、残念ながら、嘘をつく動物の一員である。

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旧約聖書 傳道之書 第五章

  映画大好き人間の私は映画をよく観ています。老化が進んだ近頃は、半年前に観た映画でさえも、「この映画はどうやら前に観たようだ」と終わりになって気がつく始末です。でも、まれに生涯忘れないような強烈な印象を与えてくれる映画もあります。

  大分前、ジプシーの少女とフランスの少年が主人公の映画を観ました。その少女が少年に向かって、ジプシーは別れの後には何も残さないと話していました(そう覚えています)。映画の後半、実際、少女のおじさんが突然死んだ時に、おじさんの持ち物一切合財を幌馬車と共に、燃やしてしまいました。おじさんを偲ぶ物は完全に地上からなくなりました。

  考えてみれば、当然の所作でして、おばあちゃんの形見、おじいちゃんの形見、あの地で誰それから貰ったプレゼント、子どもの頃の写真、10年続けた日記などと、あれもこれもと残しておくことは、移動生活のジプシーにとって、たいへんな負担であります。先祖を祭るお墓も、ないでしょう。(これは憶測です)

  ジプシーは物理的理由からそうしなければならなかった、しかし、私たちも、突き詰めていけば、同じではないでしょうか。残ったわずかの人の頭の中にインプリントされれば、それで、十分。いや、それさえ無くても、一向にかまわない、無に還るとはそういうことであると思っています。

  傳道之書
  第五章
  ~(略)~
我また日の下に患(うれへ)の大(おほい)なる者あるを見たり
すなはち財寶(たから)のこれを蓄ふる者の身に害をおよぼすことある是なり
その財寶はまた災難(わざはひ)によりて失落(うせゆく)ことあり
然(され)ばその人子を擧(まうく)ることあらんもその手には何物をもあることなし
人は母の胎(はら)より出(いで)來(きた)りしごとくにまた裸體(はだか)にして皈(かへ)りゆくべし
その勞苦(ほねをり)によりて得たる者を毫厘(ひとつ)も手にとりて携へゆくことを得ざるなり
人は全くその來りしごとくにまた去ゆかざるを得ず
是また患(うれへ)の大なる者なり
抑(そもそも)風を追(おふ)て勞する者何の(えき)をうること有(あら)んや
人は生命(いのち)の涯(かぎり)暗(くらやみ)の中(うち)に食(くら)ふことを爲す
また憂愁(うれへ)多かり
疾病(やまひ)身にあり憤怒(いかり)あり
~(略)~

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旧約聖書 傅道之書 第四章


  私は、文語体の聖書は漢字の使い方と大和言葉の当て方がたいへん優れていると思っています。文章ではない、中味が大事だという考えの人もいるでしょうが、私は違います。口語体の聖書でしたら、私は恐らく、出エジプトの先には進まなかったと思います。新約の「狭き門より入れ」が、たとえば、「狭い門から入りなさい」となっていたら、どうでしょう。それから、漢字が本来の姿であることも私にとっては慰めです。

  第4章、後段は、カミさんに逃げられた私、身につまされます。できれば、省略してしまいたかったのですが、まったく愛想を尽かされたわけではないものと楽観して、全文、写しました。

  宮城も、地球温暖化のせいでしょうか、冬はそれほど寒くなくなりました。

  傅道之書
  第四章 
茲(ここ)に我身を轉(めぐら)して日の下に行はるゝ諸の虐遇(しへたげ)を視たり
嗚呼虐(しへた)げらるゝ者の涙ながる
之を慰むる者あらざるなり
また虐ぐる者の手には権力(ちから)あり
彼等はこれを慰むる者あらざるなり
我は猶(なほ)生(いけ)る生者(せいしゃ)よりも既に死たる死者をもて幸いなりとす
またこの二者(ふたつ)よりも幸いなるは未(いま)だ世にあらずして日の下におこなはるゝ悪事を見ざる者なり
我また諸の勞苦(ほねをり)と諸の工事(わざ)の精巧(たくみ)とを觀(み)るに
是は人のたがひに嫉(ねた)みあひて成せる者たるなり
是も空にして風を捕ふるが如し
愚なる者は手を束(つか)ねてその身の肉を食う
片手に物を盈(みて)て平穩(おだやか)にあるは兩手(もろて)に物を盈て勞苦て風を捕ふるに勝れり
我また身をめぐらし日の下に空なる事のあるを見たり
茲(ここ)に人あり只(ただ)獨(ひとり)にして伴侶(とも)もなく子もなく兄弟もなし
然るにその勞苦は(すべ)て窮(きはまり)その目は富に飽ことなし
彼また言わず嗚呼(あゝ)我は誰(た)がために勞するや
何とて我は心を楽ませざるやと
是もまた空にして勞力(ほねをり)の苦しき者なり
二人は一人に愈(まさ)る其(そ)はその勞苦のために善報(よきむくい)を得(う)ればなり
即ちその跌倒(たふる)る時には一箇(ひとり)の人その伴侶(とも)を扶(たす)けおこすべし
然(され)ど孤身(ひとり)にして跌倒る者は憐れなるかな
之を助けおこす者なきなり
又二人共に寝(いぬ)れば温煖(あたゝか)なり一人ならば爭(いか)で温煖ならんや
人もしその一人を攻撃(せめうた)ば二人してこれに當(あた)るべし
三根(みこ)の縄は容易(たやす)く斷(きれ)ざるなり


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旧約聖書 傅道之書 第三章

 
 私が新約聖書に出会ったのは、高校生の時でした。ギデオン協会から、生徒一人ひとりに配られた和英対照の聖書です。驚いたのは、当時では珍しく、表紙が厚紙であったこと、上質の紙が使われていたことです。

  西欧文化を理解するためには、ヘレニズムとヘブライズムの知識が欠かせないと教えられていたものですから、一生懸命に読みました。

  旧約は、20代中ごろ、神田の古本屋で手に入れた文語体の新・旧約聖書によりました。『箴言』と『エレミヤ哀歌』だけを繰り返し読みました。この2書で、私は、旧約聖書は片手間に読むものではないと分りました。

 さて、この伝道の書ですが、最大のポイントは、人間も他の生き物とかわらいじゃないかと述べている事です。創世記では、他の生き物はすべて人間の為にある、人間が支配すべしとなっています。

  『創世記』の次にこの書が来れば、たいそうな違和感を抱くでしょうが、千ページに渡って人間の醜さ・おぞましさを見せつけられた後では、違和感どころか、大きな安堵感を私の心に与えてくれました。

   傅道之書
   第三章
~(略)~
我また日の下を見るに審判(さばき)をおこなふ所に邪曲(よこしま)なる事あり
公義(ただしき)を行ふところに邪曲なる事あり
我すなはち心に謂(いひ)けらく
神は義者(ただしきもの)と悪者(あしきもの)とを鞫(さば)きたまはん
彼処(かしこ)においては萬(よろず)の事と萬の所為(わざ)に時あるなり
我また心に謂(いひ)けらく
是(この)事あるは是(これ)世の人のためなり
即ち神は斯(かく)世の人を撿(ため)して之にその獣のごとくなることを自ら曉(さと)らしめ給うなり
世の人に臨むところの事はまた獣(けもの)にも臨む
この二者(ふたつ)に臨むところの事は同一(ひとつ)にして是も死(しね)ば彼も死(しぬ)るなり
皆同一の呼吸に依れり
人は獣にまさる所なし皆空なり
皆一(ひとつ)の所に往く
皆塵より出て皆塵にかへるなり
誰か人の魂の上に昇り獣の魂の地にくだることを知らん
然(され)ば人はその動作(はたらき)によりて逸楽(たのしみ)をなすに如(しく)はなし
是はその分なればなり
我これを見る
その身の後(のち)の事は誰かこれを携へゆきて見さしむる者あらんや

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旧約聖書 傳道之書 第二章

  この伝道の書は、初めから3分の2位の所にありまして、わすが12章で成り立っています。15頁ほどのものですから、旧約聖書1600頁からみれば、1パーセントです。ですが、間違いなく千頁の価値があります。

  伝道者は、第一章にありますように、国王です。ここでは省いていますが、第二章の前半は、その権力と財力がいかにおおきなものであるかが、記されています。その上に知恵まで備わっていることも述べられています。

  すべてが空である、これが、厳しい修行を積んだお坊さんや、山と積んだ哲学書を読んだ学者の口から出たものなら、そういうものかで済むかもしれません。しかし、王様が、すべてを得た後に、そのすべてが空であると言うのです。

  数千年前に、すでに、世界を理解した人がいる。それを知った時の喜びを、なんと表現したらいいのかわかりません。

  世事・世相の、やれ滑ったのやれ転んだのは、いつでも話題にできます。しばらくは脇に置くこととして、私の“無”の思想にお付き合いください。

   傳道之書
   第二章
   ~(略)~
凡(およ)そわが目の好む者は我これを禁ぜず
凡そわが心の悦ぶ者は我これを禁ぜざりき
即ち我はわが諸(もろもろ)の勞苦によりて快樂(たのしみ)を得たり
是は我が諸の勞苦によりて得たるところの分なり
我わが手にて爲たる諸の事業(わざ)および我が労して事を為したる勞苦を顧みるに皆空にして風を捕ふるが如くなりき
日の下にはとなる者あらざるなり   (日本聖書協会 1980年版)

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旧約聖書 私のお気に入り

ブログを始めて、早、3ヶ月。十月一日に載せようと思っていたところ、緊急地震速報と裁判員制度が入ってしまい、今日に延びてしまった。

  前に話したように、ブログは日誌代わり。地震や火災に遭っても、ブログなら残る。ボケが始まっても、ブログに残した写真が慰めてくれる。

  私は、かなりbookishである。いい文章に出会うと、感動してすぐ日誌に書き写す。必ずペリカンかモンブランを使う。気分によって使い分けているが、万年筆の滑らかな感触は何事にも代え難い。

  だが、問題もある。なるほど、書くまではいいのだが、私は特別の悪筆、後で自分で書いた字を読むのに苦労している。ボケが始まったらまず読めない。ブログなら、活字だ。拡大も出来よう。

  そして、ブログの最も気に入っているのが、最後、死ぬ間際に、キーを1回叩けば、すべて消えてなくなることである。

  ただし、自分さえ読めればいいというのでは、ブログの趣旨に反する。公開する以上、読者にストレスを感じさせてはならないと思う。もちろん、読むことにおいてであって、内容には大いにストレスを感じて欲しいと願っているが。

  初めは伝道の書。口語体はだめ。字を見れば内容はわかるが、格調高い日本語だ、朗読できるように、ふりがなをつけたものも附として載せた。


   傳道之書
   第一章
ダビデの子 ヱルサレムの王 傳道者の言
傳道者言く 空の空 空の空なる哉 て空なり
日の下に人の勞して爲ところの諸の動作はその身に何のかあらん
世は去り世は來る 地は永久に長存なり 
日は出で日は入り またその出し處に喘ぎゆくなり
風は南に行き又轉りて北にむかひ 
轉旋に旋りて行き 風復その轉旋る處にかへる
河は皆海に流れ入る 海は盈ることなし
河はその出きたる處に復還りゆくなり
萬の物は勞苦す 人これを言つくすことあたはず
目は見ことに飽くことなく 
耳は聞に充ること無し
曩に有りし者はまた後にあるべし
曩に成し事はまた後に成べし
日の下には新しき者あらざるなり
見よ是は新しき者なりと指て言うべき物あるや
其は我等の前にありし世々に既に久しくありたる者なり
己前のものの事はこれを記憶ることなし
以後のものの事もまた後に出る者これをおぼゆることあらじ
  われ傳道者はヱルサレムにありてイスラエルの王たりき
我心を盡し知慧をもちひて天が下に行はるゝ諸の事を尋ねかつ考覈たり
此苦しき事件は神が世の人にさづけて之に身を勞せしめたまふ者なり
我日の下に作ところの諸の行為を見たり
嗚呼皆空にして風を捕ふるがごとし
曲れる者は直からしむあたはず
缺たる者は數をあはするあたはず
我心の中に語りて言ふ
嗚呼我は大なる者となれり
我より先にヱルサレムにをりしすべての者よりも我は多くの知慧を得たり
我心は知慧と知識を多く得たり
我心を盡して知慧を知んとし狂妄と愚癡を知んとしたりしが
是も亦風を捕ふるがごとくなるを曉れり
夫知慧多ければ憤激多し 

附:
   第一章
ダビデの子 ヱルサレムの王 傳道者の言(ことば)
傳道者言(いわ)く 空(くう)の空 空の空なる哉(かな) (すべ)て空なり
日の下(した)に人の勞して爲(なす)ところの諸(もろもろ)の動作(はたらき)はその身に何の(えき)かあらん
世は去り世は來(きた)る 地は永久(とこしなへ)に長存(たもつ)なり 
日は出(い)で日は入(い)り またその出(いで)し處(ところ)に喘(あへ)ぎゆくなり
風は南に行き又轉(まは)りて北にむかひ 
轉旋(めぐり)に旋(めぐ)りて行(ゆ)き 
風復(また)その轉旋る處にかへる
河は皆海に流れ入(い)る 海は盈(みつ)ることなし
河はその出きたる處に復還(かへ)りゆくなり
萬(よろづ)の物は勞苦(ろうく)す 
人これを言(いひ)つくすことあたはず
目は見(みる)ことに飽くことなく 
耳は聞(きく)に充(みつ)ること無し
曩(さき)に有(あり)し者はまた後(のち)にあるべし
曩に成(なり)し事はまた後に成(なる)べし
日の下には新しき者あらざるなり
見よ是(これ)は新しき者なりと指(さし)て言(いふ)べき物あるや
其(それ)は我等の前にありし世々に既に久しくありたる者なり
己前(まへ)のものの事はこれを記憶(おぼゆ)ることなし
以後(のち)のものの事もまた後に出る者これをおぼゆることあらじ
  われ傳道者はヱルサレムにありてイスラエルの王たりき
我(われ)心を盡(つく)し知慧(ちゑ)をもちひて天(あめ)が下に行はるゝ諸(もろもろ)の事を尋ねかつ考覈(しらべ)たり
此(この)苦しき事件(こと)は神が世の人にさづけて之に身を勞せしめたまふ者なり
我日の下に作(なす)ところの諸の行為(わざ)を見たり
嗚呼(あゝ)皆空にして風を捕(とら)ふるがごとし
曲れる者は直(なほ)からしむあたはず
缺(かけ)たる者は數(かず)をあはするあたはず
我心の中に語りて言ふ
嗚呼我は大なる者となれり
我より先にヱルサレムにをりしすべての者よりも我は多くの知慧を得たり
我心は知慧と知識を多く得たり
我心を盡して知慧を知(しら)んとし狂妄(きゃうもう)と愚癡(ぐち)を知んとしたりしが
是も亦(また)風を捕ふるがごとくなるを曉(さと)れり
夫(それ)知慧多ければ憤激(いきどほり)多し 
知識をす者は憂患(うれへ)をす

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裁判員制度 

  宮仕えで何が一番、身にこたえるかご存知でしょうか。

  楽勝と思われた契約を競争相手にかっさらわれて、上司から、こっぴどく怒鳴られることでしょうか。(ビール瓶で頭を殴られることでしょうか。あれは殺人鬼ですね)No!

  中国で買った100円のネクタイを本絹だと自慢した時に、女子社員から失笑を買うことでしょうか。No!

  音痴で遠慮しているのに、無理矢理、カラオケ接待で歌わされ、ホステスに、「良かったわね」と褒められることでしょうか。No!

  隣の同僚のボーナス袋の厚みが、自分と格段の差があることでしょうか(銀行振込以前は、1万円札でした。袋が立ったなどと自慢した人もいました)。No!

  何度書いても、「文章がなっていない、こんなの出せるか」と突っ返された英文レターを、みんなが帰った後に、一人残って打ち直すことでしょうか(残業代なんか出ません)。No!

  こたえるのは、「キミにはこの仕事、一人では無理だから、○○に助けてもらえ」、この一言です。曲がりなりにも(控え目で言っているのであって、当人は必死です)、与えられた仕事をまっとうすることで女房・子供を養っている身、無理と言われるのは、「女房・子供をもつ資格はないんだよ」といわれているようなもの。カミさんから、「お前さんは、はなっから、山奥にひとりで暮らせばよかったんじゃあないかい」などと絡まれるのとは訳が違います。

  だから、どんな事があろうとも、自分からは、「私には無理です、誰かつけてください」なんて言いません。宮仕えといえども、意地があります。こんな程度の意地かと笑われれば、それまでですが、一寸の虫にも五分の魂です。

  裁判員制度は、判事も検事も弁護士も、全員、己の仕事を民に助けてもらうという、誠に、横着な制度です。一昨日も書きましたが、民はそれぞれ自分の生計で日々、精一杯です。けなげに働いています。その民に、助けを求めるとはなんたる横着、怠慢!あろうことか、この助けは、お願いではなく、強制連行なのですよ。これまで交通違反の他、私たちが国から強制されたことがありましたか。金(税金)ばかりか、体まで強制するなんて、徴用ですよね。聖徳太子の時代の農奴と変わりありません。それに、宝くじなら当たろうが外れようが、買わない私には関係ないのですが、この強制連行、成人日本国民はすべてくじを買わされているのです。よほどのマゾヒストでもない限り、誰が、刑事裁判にかかわりたいと願いますか。司法のロシアン・ルーレットです。

  裁判のプロは、六法全書に精通する以前に、人間に精通しなければいけません。ましてや、人を裁く立場ですから、人並み以上に人間を知っていなければなりません。今日の日本人の市民感覚は言うに及ばず、古今東西にわたり、人間とは何かを、常に心に留めておかなければいけません。そういう土台の上に立つからこそ、法律も活きようというもの。過去の判例なんか捨ててしまっていいのです。

  今度の裁判員制度、彼等は、裁判員に必ずこう言います、「法律ではこうなっています、判例ではこの程度となります」、と。けだし、彼等は法の番人であって、(民)情の番人ではないのです。

  NHKのニュースばかりでは、間違う心配があるので、私としては、珍しく、ネットで、この法律を探してみました。どうせ、ロシアン・ルーレットにあたっても、離島を理由に逃げるつもりですから、本文は読みません。趣旨だけで、この法律がいかに欺瞞に満ちているかが知れようというものです。“司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上”ですって、傑作ですね。

  上品ぶってここまで、おしとやかに書いてきたのですが、やはり生来の品格は隠せないもの、つい口から出てしまいます、「テメーたちの仕事だろうが、できねーなら、金を取るなってんだ、ふざけやがって」

   (参考)

   裁判員の参加する刑事裁判に関する法律
      第一章 総則 (趣旨)
第一条  この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、裁判員の参加する刑事裁判に関し、裁判所法(昭和二十二年法律第五十九号)及び刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)の特則その他の必要な事項を定めるものとする。

(いちゃもん:“裁判官が~関与することが~”は“裁判官が~関与することで~”でしょうが。私のブログならテニオハが妙でもご免なさいですが、卑しくも法律ですよ)

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