老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

政治家の仕事

  猿は木から落ちても猿だが政治家は選挙に落ちたらただの人、よく耳にする言葉で、響きがいいものだから、なんとなくそのように思える。議会制民主主義国家では、政治を司るためには、議員にならなければならない。この論法はなんとなくではない、正にその通りである。

  そのために、政治家個人は、地元選挙区で義理は欠かさず、人情にも厚く、票になる事は、なんでもやってのける。政党は、世論の動きを機敏に捉え、民意を汲み取ろうとやっきになっている。

  私は、こういう政治のあり方が本末転倒に思えて不愉快でならない。

  商店のおばさんが景気の回復を、町工場のオヤジが注文の増加を、農家が買い付け価格の値上がりを、それぞれ願うのは、仕事だからだ。しかし、彼等は、その日、その日が勝負であって、5年後の日本、10年後の日本など、考えるゆとりはない。宮仕えでも、同じだ。特別に忙しい職場というわけではなかったが、私も、毎日、テレビのニュースを観、新聞を読んだが、国の抱えている問題までは分っても、その解決策までは考えることはなかった。平民は目先を優先し、日々の糧を得る。それでいい。

  政治家は政治が仕事である。その仕事の内容は国家百年の計を、少なくとも、10年やそこらの先まで見据えて、広い世界的視野、長い歴史的視野で、物事に当たることである。我々平民と同じ目先で政治をやるのだったら、それこそ、ただの人だ。政治家は、レジを叩かない、旋盤を回さない、畑を耕さない、魚を獲らない、注文取りに靴を減らさない、全く今の私の生活と同じで、時間はふんだんにある。そのふんだんにある時間は、日本がどうあるべきかを思考し、民に問い掛けるためにある。選挙に当選し議員になるためにあるのではない。

  世論調査で、(調査する側も側だが)人気が上がったの下がったのと騒ぐ。選挙で敗北すれば、次回の選挙に勝つために、政策・政治姿勢を簡単に変える。変節を恥と感じない。

  本当の政党・政治家は、確固とした己の信条に基づいて、論戦を張り、時には、不評を買おうとも、我々平民の無知ゆえの誤謬を正す位でなければならない。受け入れられなければ、捲土重来でいい。野にあっても、立派な政治家はあくまでも立派な政治家である。いずれ、日本が必要とする。議員になっても、ただの政治家はただの不労所得者である。怠け者に国の今日は託せても将来は託せない。

    論語 泰伯第八 十三
  子曰、篤信好学、守死善道、危邦不入、乱邦不居、天下有道則見、
  無道則隠。邦有道、貧且賎焉、恥也。邦無道、富且貴焉、恥也。


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『地の糧』  私のお気に入り

  文芸作品に限って言えば、私は、翻訳をあまり信用していない。どんなに優れた翻訳家でも誤訳は避けられないし、第一、原語の持つ音の響きが伝わらない。

  私は、私が耳にした言語の中では、ロシヤ語がもっとも美しく聞こえる。ドストイェフスキーやトルストイの長編小説を翻訳で読んだ時に、これを原語で読めたらどれほど感動が大きくなるかと嘆じたものである。翻訳書は、筋を追うことで満足しなければいけない、残りのすべては、自分のイマジネーションで補う、そういう読み方で、外国文学に接してきた。

  その例外が、『地の糧』である。私が知らないだけで、他に多くあるのは確かだろうが、私の読んだ範囲においてはこの翻訳に勝る翻訳はない。

  私の持っている『地の糧』は、訳者が今日出海、新潮文庫、定価80円で昭和39年の版である。転居の度に、多くの本を処分してきたが、これだけは、今でも、すぐ手の届く所に置いてある。かれこれ四十年を経ているので、紙はすでに頁の中まで茶色に焼けている。この翻訳はみごとな日本語でなされている。普通の翻訳であったなら、『狭き門』、『田園交響楽』、『贋金つくり』、などと比べても、特別どうとは感じなかったろう。

  さて、翻訳は翻訳として、『地の糧』がなければ、アンドレ・ジイドは並みの作家である。『地の糧』があることで、モーパッサン、スタンダール、バルザック等から一頭抜きん出ている。(他では、モリエールの『人間嫌い』が面白いですね)

  私は、翻訳で満足してきたが、原語のフランス語で朗読してくれたら、ほとんど、恍惚の域に達してしまうのではないか。私が億万長者であったなら、その億万で、誰かに朗読を頼む。その誰かとは、四十代のアラン・ドロンである。

     地の糧 第八書 (一部分)
   確かにその通りだ!我が青春は陰鬱に閉ざされてゐた。
   それを私は悔やむのだ。
   私は地の塩も
   塩辛い大海の塩も味はひはしなかった
   私は自分が地の塩だと信じてゐた。
   だから自分の味を失ふことを恐れてゐたのだ。      

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ミャンマー国営放送とNHK

  ミャンマーの報道は、国営放送がいかに民の視線からはずれているかを再確認できたいい機会であった。

  一つは、ミャンマーの国営テレビの報道。報道とは名ばかり、軍事政権の広報である。

  もう一つは、日本のNHK。自分の記者を派遣しないで、どこかの報道を借りて事済めりとする。羞恥心はどこへやら、よそのメディアの記者の死亡をニュースにする。一度でも、己の身を挺して、現場の真っ只中に入ったことがあるか。

  国営放送はピョンヤン放送や中国の放送を見ればわかるように、時の権力者の代弁者である。日本は議会政治だから別だという論は詭弁である。選挙が終わった瞬間から、政権政党は権力者となる。ピョンヤン放送を聴いて、顔をしかめる日本人は多いはずだ。しかし、NHKも同じ穴のムジナであることに気がついている日本人は多くはいまい。

  何か事が起こると、自分の責任で判断しようとせず、すぐ、“スタジオに専門家をお招きして”(何回このセリフを繰り返せば気が済むのだろう)百害無益の人間を相手に、雑談してごまかす責任回避体質を変えさせなければ、日本の民が危機に面した時に、NHKは必ずミャンマー国営放送と同じ態度に出る。危機とは、催涙弾や軍隊出動ばかりではない、テロ特措法をごり押し・からめ手、あの手・この手で日本の民をたぶらかしブッシュに日本の自立心をタダで売ろうとしている今も、立派な危機である。

  NHKが今や福田の手に渡っていることを、片時たりとも忘れてはならない。

  NHKを書いたついでに、前のアナウンサーの補足をここでする。私の尊敬するアナウンサーとは男性のアナウンサーである。女性アナウンサーは、銀座のクラブのホステスである。男性アナウンサーが話している間の、無意味な作り笑いが、それを証明している。そもそも一度に二人同時に発声することがないのだから、二人は要るまい。人件費のムダだ。ついでに言うが、クローズ・アップ現代もひどい。毎晩、日替わりランチのように話題を飛ばして、それで平気でいられる。思考回路ゼロ、伝達回路のみ。物事を深く静かに考えることが無理な女性インテリのサンプルである。天気予報もひどい。あの服装は、上野か神田の場末のキャバレーのものだ。(クラブもキャバレーも行ったことがないので、想像です。エヘン)
   「明日のお天気はどうですか」
   「前線が通過するので、天気は下り坂です」
   「そうしますと、雨の心配もありますね」
   「ハイ、外出の際は、折りたたみ傘を持っていくとよいでしょう」
 アホか。蛇の目傘だろうが、番傘だろうが、蓑笠(みのがさ)だろうが、こっちの勝手だ~い。

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政治とカネ 政党助成法の悪徳

  福田総理が政治とカネの問題に真剣に取り組むつもりなら、政党助成法の廃止をすることだ。

  私のブログではとうに過去のものとなっている1円領収証が、まだ、国会でガタガタやっているのが不思議で、自分の知識不足からかと、ちょっとアンチョコを見てみた。そうしたら、この政党助成法にからんでいることが分った。

  普通、自分の財布の金なら、何に使おうが、人様に文句のいわれる筋合いではない。あれこれ画策しているのは、自分の財布の金ではないからだ。

  しかも、あきれたことに、実績のある政党だけにしか、交付金なるものが配られない仕組みとなっている。

  今はどうか知らないが、私が現役であった頃は、日本経済の活性化にはベンチャー企業の育成が欠かせないと、ひよっ子企業にあれこれ支援する機運が盛り上がっていた。補助・助成である。

  政治も同じはずで、日本政治の活性化には、新規政党・政治家の育成がかかせない。それを、国民一人につき250円を既存政党に分配するという。これでは、既存政党ばかりが肥大していく。行き着くところは2大政党だ。2大政党のたらい回しがいかに政治を硬直化するものかは、アメリカ、イギリスで分っているのにだ。

  実社会で例えれば、トヨタやソニーの宣伝費を肩代わりしているのと同じだ。弱い立場の新規参入政党・政治家をますます(相対的に)弱くする悪法・悪徳商法である。

  政治とカネのニュースを聴いていると、アル・カポネが、子分の中にちょろまかす太い野郎がいないか、目を配っているのとそっくりに思えてならない。帳簿がいくらきちんとなされようとも、汚いカネは汚い。きれいな国民の税金が、既存政党に渡った瞬間にきたないカネになる意味では、二重に汚い。

  ところで、日本共産党はこの交付金を受けていないという。前のブログで、早く共産党から共和党に党名変更したらと助言したが、聞き入れてもらえないでいる理由がこれで、よく分った。彼らには、柔軟性がまったくないのである。

  私は原発に反対している。東北電力女川原発の近くに住んでいることもあって、時折、住民・知人との間で話題となる。ある時、ある者が、私を斜めに見ながら、原発反対なら、電気を使うなと言った。私へのあてつけである。こんな無茶苦茶な理屈があるものか。共産党と助成金も同じ関係である。

  共産党の党員も、一人当たり250円の頭数(あたまかず)に入っている。助成金なしでも党費で十分賄えるということとは、別問題である。割り当てられた分はしっかり受け取らなければならない。その受け取った金を自分たちの主張する護憲運動に最大限有効活用する。その上で、政党助成金の廃止を国会で訴えるべきである。

  アル・カポネ、女川原発、共産党と、あちこち話が飛んだが、言いたいのは、政党助成金は既成政党の談合であること、1円領収証云々は筋違いであること、そして、この助成制度があるかぎり、(既成政党の離合集散こそあれ)私の理想とする多党化が悲しいかな日本では実現しないということだ。

  附:福田総理と共産党の共同提案なんて、考えただけでも、スカーッとしますね。

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ヘンリ・ライクロフトの私記

  『ヘンリ・ライクロフトの私記』を初めて読んだのは高三の時だった。田舎での変化に乏しい引退生活をただダラダラと語っている印象しか残っていなかった。とは言え、引退を考える時は,必ず、思い出した。本格的に読んだのは、自分の引退時期が近づいた五十近くになってからだ。

  その語り口は、(映像でしか知らないが)イギリスの田園(イングランド)にふさわしい優雅さに満ち、様々な苦労を味わった後にようやくたどりついた老境の安堵感が伝わってくるものだった。十七歳の「ダラダラ」が三十年を経て「淡々」に変った。

  ライクロフト氏は、G.ギッシングの作中の人物である。それは分っていても、彼の読書を中心とした平穏な余生は、私には、お手本のように思えた。

  今、私はかなり彼と似た境遇にいる。彼は、知人の遺産でメードを雇うほどの終身年金を得ている、私は三十余年の宮仕えで、贅沢はできないが身の丈にあった暮らしに相応な厚生年金を得ている。彼のイングランドのようなはっきりした四季の変化は乏しいが、その代わり、私には海がある。彼は、母国語でシェイクスピアが読めてイギリス人でよかった、と言う。私は、徒然草を母国語で読める日本人でよかった、と返す。私は、生き物と一緒の生活を送っている。(これはギッシングが生き物を飼ったことがないからライクロフト氏に語らせることができなかったのではないか。また、ライフロフト氏は、散策以外体を動かすことをしない。今、思うと、高三の時の印象はこの点によるものだった)

  これから、読書の秋。私は、すでに拡大鏡なしには、本は読めない。小さな活字の辞書も無理となった。今更、外国語の復習をしようという気も起こらない。若い時に開いた本を、読み返すので精一杯だ。だが、この精一杯のなんと楽しいことよ。

George Gissinng The Private Papers of Henry Ryecroft

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福田総裁を海から見れば

  今でこそ、若者はいないが、島では、中学を出てすぐに、一部は上級の専門学校に進んでから、海に出る。タンカーや商船に乗る者もいるが、多くは漁船に乗る。そして、30年から40年、ほとんど海の上で過ごし、55歳の定年を迎えて、ようやく、島に落ち着く。

  海に出る時は、同じスタートラインであるが、海から帰る時は、ある人は船長や漁労長となり、ある人は普通の漁船員のままで終わる。

  この差は、言葉を交わす前に、その雰囲気でわかる。貫禄が違う。どんなに小さな漁船の船長でも、乗組員の命を預かっている。また、預けることができる人だけが船長になる。漁労長は、水揚げに乗組員の家族の生活がかかっているので、魚群を突き止めなければならない。しかも最短距離で。もう、これは、ライオンや狼の世界だ。

  私は、島に来た時、そういうお年寄りから話を聞いた。「船長は海の荒波でしょうが、こっちは人生の荒波ですからね」なんて減らず口をたたきながら、楽しく伺ったものだ。私は、ここにたどり着くまで、数回はしょっぱい水を飲んでむせたことはあっても、溺れるほどの荒波には遭っていない。しかし、船長や漁労長の荒波は、文字通りの荒波で、一つの判断の誤りがそのまま、海難事故につながる。穏やかな日に荒波は立たないから、事故は死を意味する。

  さて、福田総裁が、党役員に、派閥の長をズラリと並べた。派閥人事との声もあがっているようだが、私は自民党の体質から見れば、賢明な決断だと思っている。派閥の首領は、その派閥の中で最も信頼されている人物だ。海で言えば、船長・漁労長だ。記者会見で、「私は、議員のすべてをよく知っているわけではない」と派閥の長に若手の面倒を任せ、自分は首領だけに目を配る。省エネでもある。

  私は、自民の政策に賛成している者ではないが、今度の総裁は、並みの総裁ではないような気がしてならない。野党の皆さん、甘く見てはいけませんよ。

  今夜は中秋の名月。今、外を見たら、見事な月が上がっている。我が方丈からの眺めも、まんざらでない。今夜は私の仕込んだドブロクが日本一の美酒に変身する。

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福田総裁はイアーゴ

  シェイクスピアの戯曲の人物で私が一番好きなのは、イアーゴだ。フォルスタフも面白いが、少しましな役者ならフォルスタフはこなせる。イアーゴは簡単ではない。

  それを見事に演じたのが、今度の福田総裁である。100万円かそこらを村上ファンドに投資して、ああだこうだとさわがれたら、「そんなはした金でガタガタいわれるんだったら、辞めてやらぁ」と啖呵を切ってよさそうなものを、ぐじゅぐじゅいい訳をして、居座る兆の桁を扱う日銀総裁。自分の命を捨ててまで大臣の地位に執着した飲料水ガブ飲み大臣。女は産む機械大臣も原爆ありがたや大臣も、自分から辞めることはなかった。そんな中、福田総裁は、自民党レベルでは大した過失とは思えない理由でさっさと官房長官を降りた。理由はなんでもよかった。タイミングを計っていただけだった。バカ殿に仕えて、待てば必ず自分にチャンスがやってくることが分っているから、焦らない。

  その時、これはイアーゴだと確信した。しかし、記者会見のあの人を小ばかにした薄笑いを見て、イアーゴほど悪党ではないことも確信した。

  彼には先見の明がある。非常に頭がいい。オレがオレがと言わず、周りから頼まれるようになって初めて出馬する。頼まれる環境をマスコミに知られず(目先の動きしか見ないマスコミだからできたのだが)着々と築き上げる。総理大臣になれば、国会でも記者会見でも二度と薄笑いはしないだろう。官房長官時代とはガラリとスタイルを変えるだろう。そういえば、ヘンリー四世も王位に就いたとたんにならず者から名君に一変した。(彼が名君になると言っているのではありません、念のため)

  安倍さんが小泉さんの借金を全部負ってくれた。福田総裁は、そうなることを知っていて、その通りとなった。彼は、天皇を別として日本一の地位を賭けた勝負に勝ち、己の判断に自信をもった。こういう政治家ほど、強いものはない。福田総裁はアメリカにとっても中国にとっても、やっかいな相手となる。日本の野党も今のように浮かれっぱなしだと、次の衆議院選挙では、自民に大敗を喫するはめになる。いや、私は大敗すると予言してはばからない。

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童謡作家の田舎

  昔の童謡は田舎をのどかに歌うものが多い。カラス、スズメ、カエル、みんな英語でいうフレンドリーな仲間となっている。私はかねてより、彼ら作詞家は都会人で、田舎暮らしを経験していないと踏んでいる。箱根や軽井沢の別荘で何日か何週間を過ごした時の印象で、童謡を作ったのではないか。

  カラスは、トウモロコシの種を播けば、どこか上の方から見ていて、人が畑から去ると、すぐさま、降りてきて、ほじくりかえす。なんとか育てて、トウモロコシが食べごろになると決まってかじりにくる。(私が菜園を止めた理由は別。カラスのせいにしては、かれらにフェアーでない)魚網は海で使うものとばかり思っていたが、とんでもない、陸で立派な役目をもっている。もっとも、古くなってからだが。春になれば、カーカーを通りこしギャーギャー朝から鳴く。時には、夫婦二羽で鶏をネットの隅に追いやり、尻から喰い始める。そのチーム・ワークは見事な物で、私とかみさんのチーム・ワークと正反対である。

  スズメは、鶏のエサを鶏と一緒になって、ついばむ。体が小さいとはいえ、何十羽もさーと舞い降りてくれば、部落で最も品のいい私でも、こんちくしょうと思わず叫んでしまう。必ず、1羽、斥候がいて、安全を確かめるのも、人をバカにしていていまいましい。鶏も自分の分け前が減るといって、怒って追っ払えばいいのだが、そうしない。これもしゃくの種だ。

  カエルだって、小さな緑色をしたものなら、かわいいが、大きくて土色をしたものは、どこからみても、デジカメに収めたいとは思わない。子供の頃、よくあんな物を食べることができたものとあきれる一方、自分もグアムやサイパンのジャングルで餓えれば、ヘビやネズミが食べられそうな自信も起きてくる。

  昨日、蓮の実を食べたことを書いた。これが童謡になると、蓮っ田が蓮池に代わり、蓮の花、大きな葉、その上で転がる水玉と美しい描写となる。主題から離れるので、触れなかったが、この童謡の通りである。ただ、歌詞に蓮の実の味がでていない。作詞家が、蓮っ田に足をいれなかった生粋の都会人である証拠だ。

  なべて、田舎をめでる作品は、都会人によるもの見て、まちがいない。あまり信用するとまちがえるのも、まちがいない。ご用心。

       蓮池
   一.丸葉・巻葉をそよがせて、朝風わたる池のおも。
     立つやさざなみ、浮葉を越えて、
     まろびまろぶ露の玉、 
     ああ、涼し涼し、あけぼの。
   二.池のほとりにたたずめば、花の香おそふ袖袂(そでたもと)。
     空は月しろ、ほのかに見えて、
     水に白し花蓮。
     ああ、涼し涼し、ゆふぐれ。
  (尋常小学唱歌第六学年用。童謡とは言えないかもしれない)

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The Lotus Eater 私の老後

  サマーセット・モームといえば、「月と六ペンス」や「人間の絆」が有名である。大学入試準備に手頃な作家で、私たちの高校では、The Lotus Eaterという短編が使われた。

  終戦当時、家のすぐ裏が蓮田(下町言葉で“はすった”)だったから、蓮の実はよく食べた。淡い色のきれいな蓮の花が終わると泥沼のような田に入って採る。持ち主が売りに出す根は盗みとなるが、実は自由だった。その泥沼では食用ガエルもよく釣れて、脚の皮を剥ぎ、七輪で焼く。香ばしい匂いは、今でも、忘れない。蓮の実の味は、忘れていないが、悲しいかなどう表現したものか分らない。

  戦後の復興と共に、その田は、埋め立てられてしまった。高校でThe Lotus Eaterに出会うまでの十数年の間、一度も思い出したことはなかった。

  さて、その小説は、どこにでもいるような男が一目でナポリの美しさに魅せられて、すべてを金に換え、六十歳までの年金を確保して、ナポリに移住する。その後のことは、前の「帰らざる河」と同じ理由で、ここでは言わない。10ページ足らずの短編なので、小一時間で読める。

  当時、ギリシャ神話に凝っていた私は、老後をエーゲ海に面した小さな村で送るつもりでいたから、この小説は、面白くてならなかった。教師も、関係代名詞がどうだとか、ここは間接話法に換えるとこうだとか、一切解説しない。生徒に段落毎に訳させ、その誤りを正すこともしない。始まりから終わりまで、英語と日本語の繰り返しだけだった。このやり方がまた一層授業を面白くした。

  四十位で引退したいところだが(ここのあたりは徒然草からの感化?!)移住は五十五と決めた。ちなみに、当時の定年は五十五歳だった。老後はだから、五十五を意味していた。

  様々な職にはついたが、この五十五だけは、変らなかった。それまで働いて、あとは、Lotus Eaterとなる、しかしモームのLotus Eaterにはならない。・・・その夢は今実現している。

  雨音がし始めた。明日は、犬も、ヤギも、猫も、鶏も、一日中それぞれのねぐらだ。昼間、今年の最後と思い、少し、長く泳いだ。私も、明日はのんびり過ごす。ギリシャの夢は叶わなかったが、代わりのこの地でこうした老後が送れることで、少しも残念に思わない。

  附:lotus eater lotusは、蓮の実。蓮の実を食べて、世間を忘れ、とてもハッピーな人がlotus eater。どなたですか、世間を忘れた人間がこんなブログを書くかね、なんて、おっしゃる方は。ま、大目に見てください。また、小説の終わりを語らないため、文脈の流れがぎごちなくなったことも、勘弁してください。

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自民党総裁戦(選)

  自民党の総裁になれば、日本の首相になることが約束されている。負けたとて、政敵から命を奪われない。国外追放もない。こんな気楽な勝負はない。だから、二人とも、マスコミを引き連れてブラブラ歩いている。

  商店のおばさんからは、景気の回復を頼まれる。なんで、「おカミさん、あんた方はテレビずれしていて、すぐ、金をいうがね。政治はね、金じゃあないの。もっと大切なものがあるんだよ」と答えないのか。町工場のオヤジから、仕事が減って苦しいとこぼされる。なんで、「あんた、新聞、読んでいないの。誰にでもできる仕事は、昔は台湾・シンガポール・マレーシアだったけれど、今はみんな中国に移っているんだよ。あんた、日本製の千円の丸首を買うかね。スポーツ欄や芸能欄ばかり読んでいるからこうなっちゃったの」と答えないのか。田舎で、格差をなんとかしてくれと迫られる。なんで、「そんなにイヤなら、都会で生活したらいいんじゃないの。うまい空気、家は持ち家、車はスイスイ。それで、都会並みに医者が欲しいだって、学校が欲しいだって、ちょっとずーずーしいよ。でもね、農家の苦しいのは知っているから、動いているだけで働いていない農水省の役人を1000人ほど、クビにしてあげるから、それで我慢してちょうだい」と答えないのか。

  テレビには映っていなかったが、「麻生先生、野中さんを部落出呼ばわりしたのは、忘れていませんよ」、「福田先生、小泉さんの時の人を小バカにしたような薄笑いは、忘れていませんよ」と誰かが言っていたのではないかと疑っている。日本人が、候補者を芸能人と錯覚して、一緒に並びVサインをするバカだけではないはずだからだ。

  わざわざ、下界まで降りてきて、1億分の10や20の声を聞いても、クソの役にも立たない。初めて民の悩みを知ったというのなら、不勉強もはなはだしい。知らない振りをして、驚いてみせていたなら、ペテン師だ。どちらにしても、総理大臣はいわずもがな、国会議員として失格だ。

  折角さずかった自由時間、マスコミを避け、山にこもり史記でも読んでくれれば、それこそ、政治家として太鼓判が押せるのに、残念だ。

  ところで、麻生候補、国際記者クラブで、英語をしゃべった。福田候補への面当てのつもりか。救いようのないおつむてんてんだ。リーダーシップだって?スポーツマンシップ・シーマンシップで分るように、スポーツマン・シーマンにふさわしい精神とそれにともなう行動が備わっているかどうかのことだ。権力の座を射止めて、そこから、命令するのは、リーダーシップとはいわない。強権という。上に立つ者としては、下の下に属する。

  前のブログで、田中康夫を私は推薦した。田中のタの字もでてこない。田中康夫は脱ダム宣言で有名だ。今の自民党議員の3分の1は、離党する。官界・業界とのしがらみがないのでも有名だ。これで、また、3分の1が消える。残った3分の1が本当に国を思う筋金入りの自由民主党である。

  自民党に筋金が入れば、野党もしゃきっとする。日本にとってこれほど結構なことはない。二人のどちらが首相になっても、筋金はおろか割り箸さえ入らない。日本にとってこれほど不幸なことはないから、さっさと政権から降りてもらう。その時のために、野党の皆さん、足元をすくわれないように、身辺だけはきれいにしておいてね。

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テロ特措法 地に落ちた政府

  海上給油活動をなんとか続けたいがために、日本政府は、国連を山車(だし)にした。

  主役のアメリカは当然、賛成。ロシアはアメリカが面白くないだけの棄権。中国はオモチャやペット・フードで、借りがあるものだからアメリカに賛成。

  中国はそればかりが理由ではない。日本が平和的な国家になって欲しくないのだ。出来れば,麻生が総理大臣になって、靖国参拝も続けてもらいたいし、尖閣諸島の領有権も主張してもらいたい。いざという時、中国人民のガス抜きに使うためだ。

  中国はアメリカさえ押さえておけば、日本は相手にしなくても済むようになった(少なくとも、中国はそう考えている)。日中友好なんて中国が経済的にまだ童顔の少年時代の話。たくましい青年に成長した今、アメリカの属国日本は相手にするに足らずと、日本の足元を見ている。今回も、日本政府のお願いは、タダということはあるまい。何か、中国に手土産をもっていったはずだ。中国は、貰うものは貰う。海上給油でじゃんじゃん金を使ってくれ。


  まあ中国は中国。それにしても今回の日本政府のやり方には、なんたることだ。幕末、幕府側にフランスが、天皇側にイギリスが、それぞれ支援を申しいれた。それを、いずれの側も断った。(確か、そうだったように日本史で学んだ)国内の争いに外国が手助けするのは、必ず魂胆があり、決して、国のためにはならないことを、幕府側も天皇側も、よく知っていたからだ。

  今回、政府は、他国に自国の政争を有利に運ぶために助けを求めた。傀儡政権のやることだ。ここまで落ちたのだ。何が民主党の理解だ。たとえ民主党が理解しても、国民は絶対、理解しないからな。ついでに言うが、担当した外務省の役人は、生涯、これを恥としなければならない。こんな役、私の日本人としてのプライドが許しませんと、外務大臣に辞表を叩きつけるべきだったのだ。

  附:
  我ら日本人、ハマコーが、前にテレビで自民、民主の若手議員が、外交問題で二言目には国連、国連と繰り返すのを聞いて、嗤ったことを、共に思い出そう。「キミたち、国連なんかヤッチャバだよ」青物市場の俗称だそうだが、下品な男が口にすると、国連までが下品に思えてくる。その通りだからしかたがないか。

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NHKのアナウンサー

  NHKと聞いて、また文句が始まったかとうんざりしないで欲しい。今日は、褒める。

  私は話すことには自信があった。小学校3年から卒業まで、学芸会の主役を任されたし、大学では、金田一春彦先生から直に教えをいただいた。所帯を持ってからは、夏が暑いのはお前さんのせいだ、冬が寒いのはお前さんのせいだ、台風で風が強いのはお前さんのせいだ、とカミさんから攻められ、その都度、言い逃れをしてきた。会社でもクレーム処理はお手の物だった。

  このような私が、NHKの話し方教室という通信講座を受講した。当時の給料では随分高い月謝であったことを覚えている。受講の理由は、自分の話し方にミガキをかけようとしたからだ。

  与えられた題について話し、カセット・テープに吹き込んで送る。それが、添削(筆でなく語りで)されて返送される。添削はNHKの現役アナウンサーで、指摘のどれもが、反省の材料となった。ミガキどころか自分の話し方が欠点だらけであることを自覚した。

  NHKのアナウンサーは、第一に、品格がある。次に教養がある。そして、よき日本語の伝承者である。テレビやラジオで台本を読むだけの姿からは、到底、想像できなかった。演説はテクニック次第だが、1対1の語りでは、品格と教養が、正直に表れてしまうものだ。話し方ばかりか、この面でも、私は負けを実感した。

  今、受信料の不払いが若い世代で多いと聞く。それで、民放もどきの軽薄な言葉やジェスチャーで若い世代をなんとかつないでおこうとするように見える。信念を持っての不払いならともかく、単に金が惜しいというのなら、いくら擦り寄ってもムダだ。もともと、NHKのアナウンサーには、下品で粗野な振る舞いなど、似つかわしくない。ペラペラ早口でまくしたてるアナウンサー、地震や水害を芸能人の追っかけと区別しないアナウンサー、平気で関西弁のアクセントを混ぜるアナウンサー、かれらはアナウンサーではない、タレントだ。

  美しい日本は、何より、美しい日本語が不可欠である。アナウンサーは仕事柄、己の意を殺して、大本営発表をしなければならないだろう。その時でも、美しい日本語の語り方だけは捨てないで欲しい。

  前に提案したようにNHKがPPVとなれば、私は、テレビに限らずラジオにも、いくつかの番組には喜んで受信料を払う。少々高くても払う。美しい日本語を聞けるのは、もはやNHKのアナウンサーからだけである。

  新約聖書 マタイ伝 第五章
  汝らは地の塩なり、塩もし効力を失はば、何をもてか之に塩すべき。

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いじめ ある小学校での講演

  “どこにも”小学校の皆さん、こんにちは。

  このおじいちゃんはね、今、校長先生のお話にあったように、みんなと同じ歳の時、同級生にとてもいじめらたの。

  初めに、みんな聞いてみようかな。いじめに遭っている人は手を上げてごらん。おやおや一人もいないの。それじゃあ、いじめをしている人はどうかな。手をあげてごらん。あれ、一人もいないの。

  今度は、みんな、目をつぶってもらおうかな。校長先生も教頭先生も、後ろで参観しているお母さんたちも、つぶってくださいね。はい、いいですよ。もう誰にも分らないからね。また、聞きますよ。いじめられてる人、手を上げてごらん。ふんふん、では、いじめている人は、手を上げてごらん。ふんふん。

  さ~て、みんな、目を開けていいですよ。校長先生と教頭先生にお聞きしましょう。いじめられている児童といじめている児童がそれぞれ何人いたと思いますか。答えられないですって。困りますね。それでは、お母さん方にお聞きします。自分の子供がどちらかにでも手を上げたと思う人はいらっしゃいますか。おやおや誰もいない。

 手を上げた君たち、分ったでしょう。校長先生や教頭先生なんか、何にも分っていないということが。自分の親も分っていないということが。いじめなんか、大人に頼ってはだめなの。これから、おじいちゃんが教えてあげるね。

  それはね、いじめっ子とは、いつかは、別々になるんだと、いじめられるたんびに思うことなの。中学校にいけば、クラスが違うようになるでしょう。中学が一緒になっても、その先では、別々になるよね。おじいちゃんが我慢できたのは、そういう訳。

  もう一つはね、昔の中国の英雄で、韓信と言う人がいてね、子供のころ、ガキ大将から、股をくぐらされたと言う話。おしっこ臭いガキ大将の股だから、これほど、いやなことはないよね。それでも、平気でくぐったの。どうしてかというと、自分が大きくなったら、偉い人になるのだから、こんなガキなんかまともに相手にできるかと、心の中でバカにしていたんだね。心の中って、とても大切なんだよ。

  自分で分っているのに手を上げないウソつきいじめっ子は、将来どうせロクな人間にならないから、いいんだけど、いじめられっ子も、ロクな人間にはならないんだよ。いじめられっぱなしだと、自分よりもっと弱い人や動物をいじめるようになるからね。寝ているお父さんやお母さん、妹を殺してしまったり、じゃれついてきた犬や猫を簡単に殺してしまうなんて、いやだよね。そんなたいへんな事をしなくても、いじめっ子と一緒になって、自分をいじめることだっておきてくるの。自殺だね。みんなは、これからなが~く生きていくのだから、2年や3年のいじめなんか、気にしちゃあだめだよ。死んでしまうと、大人になってから沢山待っている楽しいことが、できなくなっちゃうし。

  これで、おじいちゃんのお話は終わり。冷酒の同じで、後になってよく効くからね。冷酒って知らないって。これも、大人になればわかるよ、それまで、お預け。

  それから、先生方にお願いする。職員室には必ずいじめが渦巻いているはず。そうでなければ、世間知らずを自覚してもらいたい。いずれにしても、子供のいじめなんか、論じる資格はない。もちろん、教育委員会なんか不要の長物だ。事件が起きる度に謝罪するが、はっきり、私たちにはその能力はありませんと、言えばいい。何かというと、すぐ、いじめられっ子をちやほやする。甘やかせば甘やかすほど、いじめは増長する。

  また、後ろのお母さん方に言いたい。旦那に頼んで、大人の世界のいじめがどれほど陰湿かを、子供に語ってやるように。子ども時代のいじめは、その耐性強化にどれほど役に立つことか。いじめる側は人間社会、絶対になくならない。いじめをなくす運動や活動は、まったくの偽善だ。こんなのに頼ってはいけない。

  徒然草 第百八十八段
  一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。人の嘲りをも恥づべからず。~

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愛媛県警巡査部長とわが身(続)

  昨日の続きである。どうしても言っておかなければならないことなので、くどいと分っているが勘弁してもらいたい。

  それは、巡査部長の場合は報復人事であるが、私の場合は、客先が中国に工場を作ったため、注文が無くなり、それにつれて、私に合うような仕事も無くなったという単純な理由からということである。

  創立者は敬虔なクリスチャンで、社風はおっとりしていて、下町の町工場がそのまま大きくなったような雰囲気であった。もちろん、組織が複雑になるに従って、さなざまな人間が現れ、すべてがすべて仏様ということではなかったが、出世してしまった元の同僚にも引け目を感じることもなく、周りの若手も先輩をそれなりに見てくれていた。まして、愛媛県警のやったようないかにも日本の宦官というような陰湿さはなかった。25日になれば、欠かさず給料は振り込まれたし、賞与は仕事をしていた時と変らず、パートのおばさんの1年分が1回に出た。最後に、経営方向転換のために実施した早期退職制度でも、私に在籍・退職の選択の余地を与えてくれた。

  愛媛県警のように明らかに組織に非があると確信しているから、あの巡査部長には、1年や2年の牢屋暮らしは、なんでもないと思う。鈴木宗男にからんで罪を負わされた外務省の中級役人が、正真正銘の牢獄で数百日を過ごした(しかも、本は読み放題!)という話を耳にしたときも、己に恥じない行為で罪に問われた本人にとってみれば、たいした苦痛ではなかったろう。しかし、牢獄でなく、同僚が忙しく働いている真ん中に置かれ、ただ座っているだけで、果たして、私のように1年半も発狂しないで過ごせたか。

  内部告発は必ずと言って差し支えないほど、報復人事がからんでくる。報復人事は決まって孤独な窓際への配置転換だ。そのニュースを聞く度に、私は子供の頃、カバヤ文庫で読んだ岩窟王を思い出す。情けには弱いが、怨みには強い、それが人間だ、普通の人間だ。

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愛媛県警巡査部長(続)とわが身

  愛媛県警の巡査部長が報復人事で、俗称地下牢に配置転換させられた。話す相手もいなければ、日も当たらない、と解説していた。が、普通でも、仕事が忙しければ、隣の同僚とお茶飲み話なんかできないし、ビルの中なら、日は当たらない。当たるのは、窓際だけだ。その窓際で、私は現役最後の1年半ばかりを過ごした。これから日が当たっても少しも嬉しくなかったことを話す。

  とにかく、ヒマである。会議に出ても、実務から離れているから、流れがわからず、ただ、座っているだけ。眠くなればコックリしてしまう。周りが真剣に議論している最中に居眠りするのは、大学のつまらない授業で居眠りするのとは訳が違う。会議に出なくて済むように、上に頼んだ。快く認めてくれた。

  次に、分厚い資料の月次報告書の配布である。初めの何回かは、実務に携わっていた頃と同じように、丹念に見ていたが、読んだからといってどうするわけでもないので、すぐに、飽きてしまった。コピーがもったいないから、もういらないと上に言った。これも快く認めてくれた。

  朝は定時出勤、帰りは、管理職だからということで、体裁があるから定時には退社してくれるなと言われ、きっちり30分余分に会社に残った。

  私の椅子は工場現場の真っ只中にあった。工場長付きであったためだ。(前に書いたように、“付き”は私の職場ではまともな肩書きではない)。部品が間に合わない、生産ラインがストップする、営業から文句がでる、品質管理からは出荷検査でダメがでる、パートのおばさんが休みとなれば、補充に慌てる、みんな、必死になって働いている。その中でただ椅子に座っている。

  仕方なく、1時間に10回位トイレに行く。人事課の人間ともしばしば出くわすことになる。「小国寡民さんとは、よく会いますね」と言われ、いくら鈍感な私でも、何をいいたいのか分る。

  それで、食堂で時間を潰すことにした。ランチの仕込みは朝から始まるので、いい匂いがする。社員は昼時以外、食堂に用はない。誰もいない。たまに総務の人間が来るだけだ。つい、居眠りをする。しばらくしたら、上から、居眠りはしないでくれと言われた。

  食堂に行けば、必ず睡魔に襲われるので、仕方なく、自分の席に戻り、今度は、TIME誌を持ち込んで読み始めた。(NHKには、物心ついてから、一度も払っていないが、TIME誌だけは、自腹で購読していた)。いい機会と、会社に持ち込んで、辞書を引き引き読み始めた。しばらくしたら、やはり、止めてくれ言われた。 

  ボーナス時期になると、組合がばたばたしてくる。いつのまにか机に置かれる組合のチラシで、0.01か月単位の攻防であることが分る。なんでこんな細かい数字にこだわるのか気が知れないと思っても、効率的な人員配置を経営者は怠っているなんて書いているアジビラを見ると、オレのことかと、いい気分はしない。

  結局、周りの人が懸命に働いている中で、何もせず、ただ座っているだけで、一日が過ぎる。五十五歳までの勤めと決めていなければ、絶対に発狂していた。

  巡査部長には気の毒だが、まだ、地下牢でよかった。これが現場の真っ只中での閑職だったら、腰にピストルを下げた警官ゆえ、どうなるやら、私は、想像しただけでぞっとする。

追:これは、前に約束した、島に来たわけの説明の一部でもある。

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愛媛県警の巡査部長 

  数日前のニュースだったと思うが、もっと前のことかもしれない。太平洋の潮騒を毎晩のように聞いている環境では、昨日も1ヶ月前も、同じだ。忘れる前に是非、書いておきたい。

  愛媛県警の巡査部長が、愛媛県警を相手にした裁判で勝った。前に話した通り、部長と言っても、それほど偉い地位ではない。しかし、上から偽領収証を書けと言われても、断ったというのだから、愛媛県警署長連は言わずもがな、そこらの警視庁長官より立派な人物だ。

  昔、ブラジルに行った時、パトカーに止れといわれ、止ったら、追いはぎされ、止らなければ、逮捕されると、ブラジル人は警官の質の悪さに困り果てていると聞かされた。その時、機動隊には怨みがあったが、日本のお巡りさんを誇りに思ったものだ。今や、日本の警察は当時のブラジル並みに堕落して、裏金作りまでするようになった。ヤクザやヤクザもどきの官界人、業界人、政界人と取り調べ室でテーブルをはさんで向かい合っていると、なるほど「朱に交われば赤くなる」。

  そんな中、この背筋をピンと張った巡査部長の姿を見て、地道に民に尽くしている警官が、愛媛県に一人でもいることを知って、日本全国には、まだまだ相当いるような気がしてきた。それに反して、警察機構の陰湿な仕打ちはどうか。彼が偽領収証を書かなかったことで、己の非を恥じ、改心するどころか、閑職に追いやってしまった。上司は、代わりに誰かに偽領収証を書かせたに違いない。罰金が100万円と言っていた。愛媛県警が払うのだろうか、税金からではないのか。

  どこの組織でもいい者もいれば悪い者もいる。私自身も、現役時代には、領収証の頭に1や2をつけたり、海外出張では、ノーマルチケットと格安チケットの差額をグランド・キャニオンやヨセミテ観光に充てた。手紙に同封されてきたぼろぼろの人民元紙幣はポケットに入れて、次の出張の時の水ギョーザに化けた。悪いには悪いがすべて、身の程をわきまえたみみっちい悪さであった。上司にバレても、「小国寡民、お前、困ったやつだな」で済んだものばかりだ。断っておくが、私が何十人もの上に立つ者であれば、そうはしなかった。少なくとも、部下に悪を強要しない。

  私には、悪事をする気持ちが、よくわかる。自己弁護のそしりは免れないが、そこそこの悪さは大目に見た方が社会は却ってスムースなような気がする。大目に見てはいけないのは、愛媛県警のような組織ぐるみの悪である。とりわけ、組織がまじめな人間をいじめる悪である。

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県のお金 体験話し

  島が僻地の代表格であることに異論はないでしょう。私のいる島は、本土から5キロほど離れているだけなのに、ネット注文では、離島扱いとなり、余分に送料を払わされる商店もあります。

  私の離島のイメージは、鳥島、近くても八丈島あたりです。もっとも、海が大荒れになれば、500キロ先の島も5キロ先の島も孤立することには、変わりありませんが。陸の僻地は災害時だけ孤島となりますが、海の島は年中孤島です。陸の孤島とは言っても、海の孤島とは言いませんものね。

  近くても離島扱い。これは過疎地の活性化の対象に願ってもない条件です。県の役人さんはひょいと来ることができる。日帰りもできれば、万が一の時でも、足止めは長くない。私のいる島は南三陸金華山国定公園に入っていますから、景勝地とまではいきませんが、そこそこ人を和ませてくれます。その上、“人のいい”人が多いので、県の役人さんが引率する何とかの団体のご来島となると、区長、婦人会、ほか何とか会の会長や事務局長が、ウニの季節はウニ、アワビの季節にはアワビ、芋の季節には芋煮会、天気次第では、釣りの案内と、人情味厚くもてなします。

  自然、役人さんの活性化の意気込みが違ってきます。それが、助成金につながります。離島振興策の一環でしょう。わずか300戸足らずの島でも、集落が二つありますから、別々に申請して、それぞれ助成金が下りました。

  ここからが、私が始めて知ったことです。

  先ず、金額が県から提示されたことでした。予算がこれこれですから、集落の皆さんで、一番いい使い道を考えてくださいいうことでして、ちょっと聞くとたいへん合理的のように思えます。でも、よく考えると、おかしいことに気がつきます。補助金、助成金は、ある目的のために住民自身が自分たちで集めた金が、どうしても、足りない、その足りない分を県に補助してもらう、これが筋でしょう。

  次に、申請書類は、住民からの素材を基にしてすべて県側が用意してくれたことです。住民のやることといえば、署名してハンコをつくだけです。時代劇にあるような住民のたどたどしい、しかし、切実な、そして心を打つような文章はありません。審査する県が作るのですから、審査もへったくりもありません。自作自演です。予算の枠さえきちんと押さえておけば、通るようになっているのです。それでも、審査に落ちるのなら、カンニングもろくにできない学生並みと笑われてもしかたがないでしょう。

  ここまでは、まあ、良しとしても、私が、驚いたのは、その振興策の実施により、どれほどの効果があったのかというレビュー項目が申請書にないのです。評価はどうなるのですかと役人さんに問うたところ、それは無くて結構なのですとの返事でした。それなら、振興策が成功したか失敗したか、わからなのではないですか、と再度、聞きましても、必要ないと繰り返すだけでした。

  この時点で、私は、補助金・助成金のお手伝いは一切しないことを役人さんに伝え、現在に至っています。

  以前、公明党が地方振興券とかなんとかいうけったいな景気振興策を与党であることをいいことにして、自民党政府に押しつけたことがありました。その時、私が作った川柳が「ばらまいて、あとは野となれ、山となれ」です。自分でもこの川柳がウイットに欠けていることは承知していますが、地方重視論を再燃させる今の自民党の様子では、まだまだ捨てた物ではないという気もします。

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税の使い方 宮城県

  以前書いた補助金の話の続きである。

  冬季オリンピックで金メダルを獲得した荒川静香選手が宮城県出身であることはあまり知られていない。時の文部大臣が表敬訪問した荒川選手に、「私は、他の選手が転んでくれればいいと祈っていた」と、彼女に妙な言い方で労をねぎらった。実際、周りの選手の転倒続出で荒川選手に金をもたらしたのだから、正直といえば正直な大臣であった。だが、人としては、とてつもなく下品である。

  さて、その荒川選手が練習に使っていたスケート・リンクが運営困難という理由で、村井宮城県知事が廃止を発表した。そうしたら、スケート選手の仲間が猛烈な反対運動を起こした。廃止反対の理由は国の英雄である荒川静香選手が育ったリンクであるとのことである。知事は存続を決めた。年間何千万知らないが(知ろうとすれば、分ることだが調べるための時間がもったいない)相当額の管理費に違いない。

  将来のオリンピック大会で、将来の文部大臣がいくら“転べ、転べ”と祈っても、そうやたらに他国選手が転ぶとは思えない。県のスケート・リンクで練習した選手が、10人も20人も荒川選手に続いて金メダルを取れるとも思えない。

村井知事は松下政経塾出身だ。松下といえば、かの経営の神様松下幸之助。一体、何を学んできたのか、首をかしげるどころか、体をよじってしまう。県の議会や広報紙(誌でない、紙だ)で、二言(ふたこと)目には、県の財政悪化は待ったなし、県民の皆様にご理解を、と訴える。

  私は、宮城県に限ったことでなく、全国、どこでも、行われていると見ている。助成金は必ず一見もっともらしい理由がつく。“らしい理由”で、簡単に助成金が国規模でばらまかれるのは、国民の不幸である。

  次回は、わが島の補助金について語る。国や県なら、何を言っても、「老いぼれの迷いごと、捨て置け」で済むが、島となると、現に生きている人もご登場願うので、よほど慎重に言葉を選ばないと、いろいろ差し障りが生じてくる。

  もしも、私に明日まで何事もなければ、もしも、あなたに明日まで何事もなければ、(これはどうも自分の言葉でないような気がする)、「島の助成金」をテーマにするつもりでいる。

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舛添要一 田中康夫

  去る者をして去るに任せよ。もう、安倍首相はどうでもいい。今日は、舛添要一と田中康夫の話。

  先日、仙台地裁が他の地裁と異なり、薬害訴訟で国と製薬会社に責任無しとの判決を下した。裁判官は、ゲーテは言わずもがな、スタンダール、ロマン・ロランに見向きもせず、大学では、ひたすら優の数を増やす女子大生の代表のような顔の裁判官である。私が優の数がわずか1個足りなかったため、超一流企業に卒業時、採用されなかったのを根に持っているためこだわっているのではない。なべて、世界文学をスキップした秀才に人情味が薄いからである。

  その秀才の舛添大臣が、直後の記者会見で、判決とは別に、国は被害者を救済しなければならないと、発言した。薄情どころか厚情だ。被害者の弁護団は直ちに上訴すると述べたから、高等裁判所で争うことになる。仙台地裁と同じような優の数優先の女裁判官に当たらない限り、国(正確には国の名を隠れ蓑にしている厚生役人)が敗訴する。その時、舛添がかれの同窓生がわんさといる高級官僚サイドの人間か国民サイドの人間かはっきりする。裁判では引き続き争うが、政府の責任で救済するなどと、繰り返すのなら、大した人物ではない。昔、経済企画庁長官をやった芸名を堺屋太一という筆先・口先の達者な評論家といい勝負だ。堺屋は“日本経済は日の出前、夜明けは近い”とかなんとか禅問答を終始繰り返しただけで長官を勤め上げた。今回は舛添が堺屋程度の評論家先生であるか真の政治家であるか、鼎の軽重が問われる番だ。

  さて、次期総理。舛添は立派な厚生大臣にはなれても、総理大臣の器ではない。麻生なんてダメ。吉田茂の血縁と聞いているが、氏より育ち。あんなこせこせした陰気男が日出(ひいづ)る国日本を背負えるわけがない。私が推薦するのは、新党日本の田中康夫である。この人物は太鼓判を押せる。世界のどの国のトップとも互角に渡り合えるおおらかさと貫禄がある。田中康夫が反対しているテロ特措法は、アメリカに安倍総理は切腹しましたといえば済む。ハラキリとカミカゼは単純なアメリカによく効く言い訳である。自民党は、政権にしがみつくためには、政策をコロコロ変える恥も外聞もない政党。社会党の村山を総理大臣にしたことで証明済みだ。党内がボンクラ揃いなのだから、サッカーの監督の招聘と同じ手口を使うしかない。

  これから、マスコミは、安倍内閣の足跡やら検証が始まることだろう。だが、自民党の将来になんら役に立たない。私の田中康夫総理の提案こそ、彼らにとっての起死回生策である。

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テロ特措法と三国志演義

  私の世代で、少年時代に孫悟空(西遊記)と並んで三国志を愛読した者は多いと思う。三顧の礼から始まる諸葛孔明の活躍。山奥に庵を構えているのは同じでも、安倍首相がこの難局打開に小国寡民師の知恵を是非お借りしたいと尋ねてくれば、私なら、これまでのブログなんかさっさと消して、是も非もなく一顧でホイホイとついていくところだ。諸葛孔明はやはり偉い。

  戦(いくさ)に明け暮れした時代、守るも攻めるも、ほとんどの場合、両面作戦・多面作戦となる(三国志は各国の采配の描写が実に面白い)。自軍の兵隊を、正面には兵幾ら、裏門には兵幾ら、と最善の布陣のために割り振る。その時、幸いにも、援軍がはせ参じて裏門についてくれれば、裏門に配置していた自軍の兵を援軍の数だけ、正面に回すことができる。

  さて、テロ特措法。アメリカとその同盟軍はイラクとアフガニスタンの両面で侵略戦争を作戦中だ。多分、他でもあちこちで侵略戦争をやっているだろうが、アメリカ放送協会は60年前の戦争をオチャラケ化したコンバットで報道(彼らの報道なんてこんなもの)するだけで、今起きている戦争は視聴者に知らせない。だから、これは残念ながら想像の域を出ない。とにかく、イラクとアフガニスタンでは侵略戦争をしていて、アメリカ政府はその兵の配分とそれに伴うロジスティクスに腐心している。ある国が、アフガニスタンに向かう艦船へ給油してくれれば、その分、アメリカは、イラクへの艦船に自分の油を回すことができる。援軍である。その援軍が、憲法で戦争放棄を国際社会(こういう時にこそ国際社会という言葉を使うのですぞ、ソーリ)に誓っているはずの我が日本である。

  かつて、朝鮮民主主義人民共和国に食料援助するしないの議論がでた時、援助すれば、その分、彼らの軍備が増強されるだけだと反対した自民党議員や政治評論家がいた。この論、この場で、そっくりお返しする。

  アフガニスタン向けだからOK、いやそうでもないからNO。寄港地がどこであれ同じこと。この次元の低さに向かって、60年安保のヤジで締めることにする「ナ~ンセ~ンス!」

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悪いやつら

  今、刑務所が満杯であると聞く。舛添大臣が、悪党は全員、牢屋にぶち込むと、意気込んでいるが、警視総監から、「もう、入れるところがありません」と言われたらどうするのだろう。社会保険庁ばかりでなく、厚生労働省を全部洗えば、千人や2千人では、収まるまい。私だったら、どこか適当な無人島を選び、島全体を刑務所にして、悪いのは、みんな、流してしまう。一番安上がりだ。監視員もいらない。流刑は日本の地理にかなった刑罰で、平安時代にもあった。島の管理は牢名主に任せる。この話は、あまり進めると、現実味(すなわち、日本の離島の多くがその結果、有人島になったという事実)を帯びてくるので、ここで止めておく。

  ところで、吉田兼好は、仏教の無常、老子の無為に名文を残している他に、政治においても、名文が多々ある。出だしと終わりがばらばらな第百四十二段もその一つ。(私は段を分けるのを忘れたと推測している)

  彼は、政治が悪いために民が苦しみ、やむなく盗みを働くようになったからといって、処罰するのは、かわいそうだと言っている。改めるべきは、為政者にありということだ。為政者云々は孔子の十八番(おはこ)だが、兼好は、どんな悪人が本当の悪人かに言及している。これが、すばらしい。手が届く書棚に徒然草がない読者のために、その部分の原文を写すことにした。

  徒然草 第百四十二段
  さて、いかがして人を恵むべきとならば、上(かみ)の奢(おご)り費やす所をやめ、民を撫(な)で、農を勧めば、下(しも)に利あらん事、疑ひあるべからず。衣食尋常(よのつね)なる上に僻事(ひがこと)せん人をぞ、真(まこと)の盗人(ぬすびと)とは言うべき。

  偽りの申請で巨額の助成金を受け取る真理の殿堂であるべき大学の理事長、バレてしまったとき同額返せばいいんだろうと高を括る年金を着服する保険庁の職員や町役場の小役人、横領・着服を知りませんでしたとうそぶく監督省庁の役人、官・業の犯罪にやたらに執行猶予をつける裁判官、これらの輩(やから)は、衣食世の常どころか、暖衣飽食の頂点だ。

  原爆許すまじ、真の盗人を許すまじ。

  追:昨日のブログですが、友人がメールで、テロ特別法でなくテロ特措法では、と助言してくれました。私にとっては、あんなの記号ですから、読み手に分ってもらえばと、ろくに調べず、書きました。しかし、正しい呼称があれば、その方がいいに決まっていますので、改めておきました。

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安倍首相の国際社会

  宮城県には、東北楽天というプロ球団があって、とても弱い。名将野村克也を監督に迎えても、ピリッとしない。野村監督は、今年Aクラス(6チーム中3位以内)に入らなければ、契約があるにもかかわらず、辞めると公言した。自信満々の場合でも、こういう言い方で、向こうを張ることがあるが、本当にチームが弱いので、やけっぱちの発言である。

  安倍首相が、職を賭してもテロ特措法を通すと発言した。こちらは、やけっぱちの発言とも言い切れない。未練が見え隠れする。第一、理由が振るっている、曰く、「国際社会との公約である」まるで、テロ特措法を通さなければ、日本が世界からつまはじきされるような、脅迫もどきの言い方だ。

  今日、十数年ぶりに、世界地図を開いた。ある辞典をネットで購入したら、付録で付いていたものである。そこに各国基礎データというのがあって、国名と国旗の下に基礎データが羅列されていた。データはどうでもよいのだが、驚いたのは、国の数である。1頁に12か国の紹介があり、それが、延々15頁続いていた。180か国。それに、主要国としていくつか別に載っている。たいへんな数である。

  もう賢明な読者は、私が何を言わんと欲しているのか、お分かりのことと思う。私並みの人のために蛇足の嫌いがあっても、述べておく。

  安倍首相の国際社会とは、アメリカ親分の子飼いが集まっている国で出来ている社会である。アンティグア・バーブーダ、エリトリア国、ガンビア共和国、コモロ連合、スワジランド王国(いずれも私には初めて知った国)、もうこの位で止めるが、もろもろ、少なく見積もっても、150か国を、安倍総理は国際社会から除外している。眼中に無い。いやしくも国際という以上、視野は世界に広げなければならない。公明党も、国際社会のなんたるかを知りもせず、したり顔でお追従する。

  去り行く者に惜別の情を抱くのは結構。だが、ちょっと待て。「あんさんがわちきを捨てるのなら、わちきは、加茂の川に身投げしやんす」なんてことでへたに遊女に情をかけると身代すっかり巻き上げられる。別れを惜しみたければ、安倍首相が辞職し、自民の官僚政治と公明の衆愚政治のごった煮が、ナベごとひっくりかえってからでも十分間に合う。

  野村監督は、公言したとて、辞めなくても、なお尊敬に値する人物だ。安倍総理は、辞めても、惜しむに値しない人物だ。アメリカもしばらくすれば、イラク侵略を反省する。アメリカが、Oh,no!と反省すれば、日本は、間違いなくOh,yesと反応する。それまでの間とはいえ、日本国民の税金(年間20億円とも30億円とも)をアメリカの産軍共同体のために、ゆめゆめ、使うことなかれ。

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正直っていいですね

委員長、「これから,予算委員会を開きます」パチ、パチ、パチ。

武士(つわもの)、「水害で、人民が苦しんでいると聞く。敵に塩を贈るは、日本古来の武士の道。いかが」
外交大臣、「北朝鮮に喜んでもらっては困るのです。拉致問題が早く解決してしまう心配がありますから」
武士、「なんと申される。政府はこの問題の解決を最優先としているのではないのか」
外交事務次官、「は、は、は。田舎侍さん。イギリスと大陸のせめぎあいの歴史をご存知ないとみえますね。朝鮮民族が一つになって、日本にいいことは何もありません」
武士、「では、拉致問題は解決させないということか」
外交大臣、「物分りの悪いお方だ。わが政府は実行犯の引渡しを要求していますでしょ。こんなこと、北朝鮮が聞くわけがありません。自国民を引き渡すのは、戦争で負けた時だけです。侍なら、落城でわかっているでしょうが。平時で止むなき時は、殺してしまいます。だから、引渡しの要求は無理難題です。いってみれば、時間稼ぎです」
武士、「拉致被害者の会はどうなのか」
国内大臣、「ははは、あのヒステリー団体ですか。国民の意見として利用できるので適当に騒がせています。AMK(アメリカ放送協会)には、ときどき出演させるように言ってあります」
武士、「最後の質問だが、なぜ、朝鮮民主主義人民共和国と呼ばぬ。以前は、必ず、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国と重ねて言っていたではないか。たとえ敵であろうと、その名誉は尊重する。これぞ武士道なり」
国内大臣、「ははは、いまどき、武士道なんて。近く、北朝鮮をペーと呼ぶように、AMKを指導しようと思っています」
武士、「ペーとは」
国内大臣、「本当に鈍いお方だ。トンナンシャーペーのペーです。私たちのご主人が、自動車産業や半導体産業でちょいと出すぎると、我が国をジャップというでしょう。蔑称ですよ」
商人(あきんど)、「手前どもは、損して得とれ、といいます。得を見込んで損をするのですから、ソロバンはしっかりはじいています。で、こんな時、支援を大々的にやれば、相手さんも、随分変ってくると存じますが」
外交大臣、「繰り返します。変ってもらっては困るのです。一日でも長く、南北が分かれていてほしいのです。日本の国益です」
国民、「今、支援するのは、国民感情が許さないとのことですが、私は許しますよ」
国内大臣、「あなたは、国民でも、頭に非がつく国民です。お上を見下すような国民は国民ではありません。お上は国家なり。口答えはいけません。やはり、道を通れば、ひれ伏すくらいでないと」
国民、「国連の呼びかけであるはずですが」
総理大臣、「ははは、国連なんかへのかっぱです。ご主人様から命令されないことは、どうでもいいのです。ご主人は絶対です」
国民、「それで、海上給油は続けるのですね」
軍隊大臣、「田舎住まいでも、さっきの侍さんより、少しは物分りがいいですね、あなたは。その通りです」
外交大臣、「補足します。なんと言ってもエサとアブラを毎日欠かさず与えてくれるのですから。私たちは、とても自分で確保できません。いかんせん、本ばかり読んで偉くなったエリート集団ですからね。海千山千の列国に伍しての外交活動なんか、思っただけで、震えます」
軍隊大臣、「わが軍隊省も補足します。外交省と違い、勇気があります。アメリカから支援の指示があれば、北朝鮮に陸、海、空、三軍、幾らでも送る用意があります。もっとも、アメリカにくっついての話ですが」
総理大臣、「食料、医薬品はダメです。しかし、軍隊大臣の答弁の通り、兵隊は出せます。実は、戦車、機関砲、弾薬の在庫がたまりすぎています。早く処分して次の注文をよこせと、軍需産業界から、突き上げられているのです。朝鮮半島が平穏だと、憲法を変えるムードにも水が入り、ほんとうに困ります。それで、今、政府は六か国会議の足を引っ張るのに外交大臣他、内閣上げて、懸命の努力をしています。どうか、理解のほどを」

委員長、「今日の予算委員会はこれにて散会」パチ、パチ、パチ。

よく笑う大臣ばかりでしたね。言っておきますが、福の神なんてあなた方にはいきませんよ。でも、正直って、いいですね、いいですね、いいですね。では、また、会いましょう。


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「法的には問題ない」、この先も続けろよ

  ここは、台風に直撃されると、決まって停電になるのです。今も、突然、電気が止りました。数秒で復帰しましたが、これまでの経験では、何回か繰り返した後、本格的に停電となります。昨年の夏は3昼夜停電となり、大変な思いをしました。隠蔽工作で有名になった東北電力の女川原発が目と鼻の先(と言っても十数キロ先ですが)にありながら、こんな具合です。原発の恩恵に浴しているのは、金さえ払えば文句あるまいとうそぶく遠くで湯水のように電気を使う恥知らずの都会人。さっさと持ってけドロボー。

  それで、今、台風の通過中で散歩どころではありませんから、早めに今日のブログを書いてしまいます。

  助成金を受け取っている団体の理事長が自民党議員に政治献金をしたニュースがありました。個人だから、法的には問題はないと安倍総理がいつものようにぼけーっとした公家様の顔で記者会見をしていました。補助金は補助のための金、助成金は助成のための金ですよね。当たり前だと怒らないでください。補助、助成の助は「たすける」。困っていない人を助けません、困っているからこそ、助けとなりますね。この小学生でも知っていることが、その理事長も受け取った議員も安倍総理も知らない振りをしています。政治献金する金があったら、先ず、自分が理事長をしている団体に回すべきです。それをしないで、右手で民の金をふんだくり左手で親しい仲間(同じ穴のムジナっていうやつです)に追い銭をほどこす。また、担当部門の役人も、自分が公僕であることを自覚せず、どうせ他人の金だかまうもんかとロクに調べもせず、それと、ヘタに調べてあやしいとなれば助成金が渡せなくなる心配もでてくるのでいいかげんに済ませます。あの人たちが小学生以上の学歴、経歴の持ち主であっても、人の道からみれば、とてもまともな感覚の持ち主には見えません。あの二人のいやしい顔をみればすぐわかります。

  会見の場で、NHKの記者に、「それでは、何には問題があるのですか」と突っ込んでほしかったのですが、それで終わり。いつも通りの大本営発表スタイル。情けない、お前、それでもジャーナリストか。

  今の日本は役人が決めた法律に頼りすぎていると思いませんか。こと政治家・役人の金に関する法律・罰則は、制定とともに、抜け道が、きちんと用意されているのではないでしょうか。パソコンゲームでいう裏ワザというやつです。人の上に立つような立場であればあるほど、合法的か非合法的かを云々する以前に人としての誇りで身を処してもらいたいものです。

  もらいたいものですとは言ったものの、安倍総理初め、もろもろの閣僚や事務次官の顔を見ると、とても無理な話と、がっくりしてしまいます。

  唯一の救いがあるとすれば、舛添要一厚生大臣の一連の怒りがどこまで旧態然の代議士や官邸役人を震え上がらせられるか、それが外野席から見られそうなことです。厚生大臣の職には菅直人という日本ではまれにみる優れた人物も就きましたね。彼に負けずに頑張ってください。

  台風一過、明日の秋晴れが楽しみです。いつものようにヤギと犬を思い切りあそばせてやろうっと。

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昔の酒の飲み方

  高校では、授業時間の関係で、サワリしか古文に接しなかった。当時の受験校はどこでもそうだったろうが、英語と数学の天下だった。東大入試の採点が最も高いため、また、英語と数学さえよく出来れば、必ず、どこかの大学に入れたためだ。

  国語の先生が、英語は将来にわたってついて回るだろうが、古文は、今しかないから、手を抜かないようにと、言われた。私は、「負け惜しみを言っているなぁ」としか受け取らず、まして、漢文など、入試になかったので、授業は居眠りの時間に当てていた。その結果、単位が取れず、受験で忙しい3年になって、また、漢文をやらなければならなくなった。必須科目だったのだ。これは毎度の余談である。

  今は、逆で、英語とは縁を切ったが、古文とはつき合っている。徒然草である。酒の話がたくさんあって、それらが、ずべて面白いとわかったのは、大人になってからだ。酒を知らない高校生に酒の話は無理だ。

  その中の一つ。酒を一人で飲むのはつまらないから、ちょっと一緒に飲もうではないかと友を誘う話。酒の肴は味噌。

  私は、親しい友が夜でも気軽に呼べるほど、近くにいること、味噌でも、親しい友となら、すばらしい肴となること、この二つにいたく感動したものだ。社会に出てからは、飲むのは飲み屋、料理屋、レストラン、クラブ、肴は、焼き鳥、活き作り、ステーキ、生ハム、飲む相手といえば、仕事上の付き合い。高校、大学の友は、皆、それぞれ自分の仕事が忙しく、お互いに会うヒマはない。と言って、隣近所に酒を飲む相手はいない。

  ようやく時間にゆとりができたと思ったら、今度は、豪快に酒を飲む体力が失せていた。

「昔はよかった」

  附:徒然草 第二百十五段
  「此の酒を一人たうべんがさうざうしければ、~」
   台所の棚に、小土器に味噌の少しつきたるを見出でて、~

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田舎の役人とエリート官僚

  田舎のいい所は、役場がとても近くに感じることだ。いろいろ話をするのは、いわゆる一般職の人達。役所仕事といえば、即通り一遍の仕事振りという先入観で、初めは接していた。そのうちに、いい加減な仕事をする人は、極めて稀でしかないことを知った。そのいい加減も、誰からも注意されないから、普通と思っているだけで、本人が、意識して仕事の手抜きをしているのではない。二度三度と会っていけば、なんでも気軽に相談に乗ってくれるようになる。人が善良にできている。田舎での収穫である。

  社会保険庁が槍玉にあがっている。ここでも、窓口はとても丁寧に応対してくれた。物わかりが特別遅い家内と物忘れが特別早い私のことだから、年金受給では、何回も社会保険庁に足を運んだ。示された年金が少ないことで夫婦ゲンカ(家内が攻撃、私は防戦一方)が始まっても、ニコニコ一段落するまで、待っていてくれた。

  警察の情報提供費が問題となっている。島にいたお巡りさんは巡査部長であった。私には、ヒラ、主任、係長、課長と出世していき、部長はその上の地位と思っていたが、警察機構ではそうではないとのこと。本人が語ってくれたのだから、間違いない。飲んだり、将棋を指したりした関係だから、謙遜して言っているのではかろう。島の老人は、人生の大半を船の上で送ってきたから、交通ルールなんか眼中にない。無免許、車検切れもあるし、ヘルメットをかぶらないバイクなんてざらだ。取り締まろうと思えば、一人残らず取り締まれる。しかし、そのお巡りさんは、今更、交通法規を学べといっても、七十、八十にもなる老人にはかわいそうだといって、何事にも片目をつぶっていた。人情を法律の上に置いたすばらしい考えである。ちなみに、島には信号がない、県道は、昼でも、ヤギを放して歩かせられるほど、人も車も少ない。少ないというより、ほとんどいない。夜は、漁民だから、出歩かない。

  外郭団体を渡り歩き多額の退職金をあさる天下り、大臣にたてつく傲慢なリート官僚。こんな連中はさっさとクビにして、現場で地道に民のために尽くしている人に、トップのポストを空けておくべきだ。もちろん、不良公務員になるための上級職資格試験など、百害あって一利なし。

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英会話教室 

  競馬や競輪などのギャンブル、高級ゴルフセット、車のアクセサリーなどに、40万、50万をつぎ込むのは、分らないではない。分らないのが、英会話学校に大金を納める若者がいることである。過日、個人レッスンが受けられるとか受けられないとかで、初めて金額の高さを知った。

  英語が話せるようになって、誰と話すのか。独り言を言うためではあるまい。普通の人は、英語を使う必要など、めったにあるものではない。年に何回か海外旅行できる位のゆとりがある人なら、その時だけ、通訳を雇えばいい。

  英会話学校の教師にも、疑問を持っている。駅前に乱立している教室がすべて、英語の標準語を話すとはとても思えない。教室に足を運ぶ以上、正しい発音を学ぶつもりでいるはずだ。そういう受講者に、十分対応できているのだろうか。

  会話能力は、仕事に応じて備わっていくもの。卒業してからしばらくたって、台湾との囲碁の親善試合の通訳をやらされた。囲碁は入門程度、中国語は話せない。冷や汗タラタラを覚悟していたが、試合が終わると、選手同士が、どんどん、話を進めていく。始めはぎこちなかったが、いくつかの専門用語をお互いに理解してからは、通訳不要となった。しかし、雰囲気で分ってしまい、外語をでても話が出来ないヤツと私の評判は落ちた。

  後になって、英語を使わなければならない仕事に就いた。やはり、英語は話せない。同僚の某ミッション系の名門校出はペラペラ。外語を出たくせに、英語も話せないヤツとここでも評判を落とした。だが、数年後には、乗り換え搭乗口の待合室のベンチで待っている間、背中合わせで座っている夫婦のひそひそ話まで聞き取れるようになった。アメリカやカナダの相手とは商談の場では10人から矢継ぎ早に質問されても、たじろかなくなった。

  その後、中国市場が仕事相手となった時は、北京で数週間、学生寮に住み込み、朝から晩まで会話の訓練。忘れた会話能力でなく、もともと話せなかったのだから苦労はしたが、しばらくすると、仕事に支障をきたさなくなるまでになった。もっとも、中国語は勤めた会社のブランドが一流だったので、たぶんに助けられた面はあったが。

  外国語を学ぶのは、その外国語でその言語文化を楽しむことを第一に思ってほしい。私の例でわかるように、会話なんぞ、その場になってやればいい。その代わり、必要がなくなれば、とたんに使えなくなる。しょせん道具なのだからそれでいいではないか。

  英会話教室に通う人が、どのような動機をもっているか知らない。ただ、いつ使うかわからないような会話能力ためとするのなら、それは金のムダであり、時間のムダである。

  私は、税金をムダにしている連中が気になってしかたがない。都立大には、すでにわずかながらでも都民税を払っていたから、後ろめたさはないが、外語では国税で勉強させていただいた。卒業の間際、教授から、「君は、今の語学力のままで社会に送ると外語の恥じとなる。本当は、もう一年、留年させたいところだが、税金がもったいないから卒業させる」と言われたのを今でも忘れない。忘れないから、いまさら、50年前の自分の税のムダ遣いを咎めるわけにはいかないので、人から八つ当たりではないかと言われようが、他人のムダ遣いを咎めることにしている。

  どうか英会話学校再検討を。これは税金が惜しくて卒業できた私だからこそできるアドバイスと自負している。

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広告 都会と田舎

  今年の5月、何年かぶりで、多分4年ぶりでしょう、こちらに移住する前に住んでいた埼玉にでかけました。

  生き物の世話を人に頼んでいるので、のんびりできません。それでも数日をすごすことができました。いろいろ驚きました。

  まず、仙台駅。駅構内の立ち食いそば屋に入ると、「おじいちゃん、先にチケットを買ってね」とカウンター越しにおばさんに言われ、自分が老人であることに気がつきました。島では、70代がかくしゃくとしていて、かれらを、おじいちゃん・おばあちゃんと呼びません。ですから、それより若い、若いというより、歳がいっていないということですが、自分が老人であることを島では自覚できません。やはり、たまには、都会に出で行くものです。それはそれとしてですが・・・

  大宮に着いて、びっくりしたのは電車の脇腹に広告が描かれていたことです。香港に出張する度に、東京がけばけばしい広告で覆われているような都市でないことに、誇りを感じたものです。それが、いつのまにか、香港並みになってしまった。広告収入による採算重視も結構ですが、電車は都市の景観の重要な一部ですよね。幼稚園のこどもに都会の絵をかかせれば、たいてい、電車が入るでしょう。新宿歌舞伎町のネオン広告と同じではないはずです。スペースがもったいないから、広告でもというのでは、あまりにも、美的感覚がおろそかにされていませんでしょうか。

  だいぶ前の話ですが、夜空に広告を映す話がありましたね。どこを歩いても、頭の上に広告があると想像しただけでぞっとしたものです。電車の広告だって似たような物です。いやでも目に入る。中国の老子さんも、五色は人をめくら、このめくらという言葉が差別語ではと気になさる方は、目の不自由な人と聞き替えてください、にすると言っておられます。都会の騒音は当たり前のようになっていますが、今では、風景までがさわがしくなってしまいました。話はそれますが、音は騒音で表されましょう。色はなんと表現すればいいのでしょうか。どなたか、お知恵を授けていただきたいものです。私は、香港並みという言葉しか思い浮かびません。

  私のいる島には広告がありません。強いて言えば、船着場に宿の案内板があるだけです。他といえば、一年前に行われた時の選挙ポスターがありますが、どちらも、とても広告なんていえた代物ではありません。代物といっても、軽蔑しているのではありませんよ。それに、昔栄え、今落ちぶれた田舎でみかける、すっかり色あせた「美空ひばり、○○町初公演、9月10日」なんていう広告もありません。要するに何もないのです。

  考えてみれば、当然ですね。広告はお金を使ってもらえそうな人に見てもらうため。島の五百人ほどのおじいちゃん・おばあちゃんは、私を含め、どんな商品もサービスも見込み客にはなりそうにはありません。

  忘れる所でした。葬儀場の看板がありました。ここ10年、一度も、取り替えていないようです。葬儀場は広告を出すまでもなく、みんな、知っています。たぶん、葬儀場はなにかの義理で出したものと私は踏んでいます。

  みなさん、田舎はないない尽くしです。でも、広告がない田舎こそ本当の田舎ですよ。長旅を終え、帰りの連絡船から見たモノトーンの風景でそれがよくわかりました。私は、その風景がとても気に入っています。

今日はこれで終わりです。

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師につく

  みなさん

  今日は、「師につく」を話します。師に就くのであって、死の床に就くではありませんよ。教師、牧師の師です。師匠の師です。といっても、銘刀作りや能など伝統芸術をいうわけではありません。お稽古、趣味、英語でいえば、ホビー、カルチャーセンターでやっているようなもののことです。

  何をやっても途中でギブ・アップの私ですが、囲碁だけは長く続いています。下手の横好きです。20代の若い時から始めましたが、初段を取るまで、10年かかりました。しっかりプロの指導を受ければ、たいてい20代では2年位で初段は取れます。早い人なら1年でOKでしょう。なぜ、10年かかったか。

  当時、私の知り合いには、大学囲碁部出身の強いアマが大勢いました。初歩の私には、プロも強いアマも雲の上の人です。プロに打ってもらっても、アマに打ってもらっても同じようなもの、そう考えていました。

  プロに1局指導を受けると、当時、6千円位したでしょう。その金があれば、アマに教わった帰りに、一緒にちょっとした食事ができる。知り合いですから、打っている最中には、雑談が入ります。負ければ、また次を始める。こんなことで、強くなるわけがありません。

  悪いことに、食事に飲み物が付くようになり、次第に会計が高くなってくる。それを、会社の接待費で落とすようになっていきました。経理もうすうす変だと感じていたのでしょうが、まあ、領収証があるので、詮索はありませんでした。

  さらに悪いことに、そうこうしていくうちに、仕事を早く切り上げて、さっさと、碁会所に行くようになった。直帰というやつです。電話一本で済みます。碁会所から掛けると組み合わせの大声が入る心配があるので、用心深く、外の公衆電話を使いました。

  こんな了見ですから10年掛かったのは当然でしょう。碁そのものが面白くなければ、とても続いたとは思えません。

  さて、師につく。2年前、尺八を始めました。ご存知のように、「首振り三年」といわれるほど、音を出すのがむつかしい楽器です。どうせ物にならないのだから、冥土の土産なんて言って、いまさら、という好奇と憐憫のまなざしを欺いていました。それが、今、初伝までになったのです。囲碁の初段と尺八の初伝の比較や私の才能の有無をいうのではありません。2年でまがりなりにも音が出るようになったのは、師についたからと言いたいのです。月謝と往復運賃は、碁に使った、正確には、碁に会社が払ってくれたですが、金額の数分の一です。でも、今の私にとっては一週間の食費に相当しています。少々海が荒れていても、船酔い覚悟で、稽古日を休みません。稽古はムダ口もへらず口もありません。師匠一人と私一人が向かい合う中で、一つ一つ、私は指導を受けます。

  10年の碁と大違いです。兄弟子の話では、初伝は普通、半年でなれるとか。まあ、歳を考えれば、2年でも、私は満足しています。これは余談です。

  これから、何かを習おうとするのなら、絶対にその道のプロに就くべきです。自分の時間と自分の財布を使わなければ、無駄ばかりかさんで、ついには、何をやったのかわからないまま、途中下車となりますよ。

  私の尺八のように、上達する前に、息が出来なくなる途中下車なら、納得もできましょうが、みなさんはそうではないでしょう。ご健闘を祈ります。

  今日は、これで終わります。

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ブログ、2か月経過

  日誌代わりに始めたブログ。慣れないまま2か月が過ぎた。

  銭湯談義だから、むつかしい資料など一切使っていない。傍らに広辞苑があるだけだ。また、評論の評論は、知的遊戯のループに迷い込むのが嫌で、しないことにしてきた。湯加減次第で、時に上気することはあるが、すべて感性に従って筆をすすめている。

  ありがたいことに、コメントをいただくまでになった。読んでくれている人が一人でもいてくれたと分ると、励みとなる。

  小国寡民が今の日本では不可能であることを百も承知の上で、これからも、大国日本の有り様を見続けていきたい。しかし、ブログの方は、少し、違ったテーマも取り上げようかと考えている。その時は、軽いテーマには軽い文体を試みる気でいる。

  今、夜10時。今日も一日のすべての時間が私のものであった。周りの生き物はとうに寝入っている。私も、それに満足して、床に入る。

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