老いの一筆

Fair is foul, and foul is fair – Macbeth Act 1 SceneⅠ・・・きれいはきたない、きたないはきれい

SPARE TIME by Joseph Addison

退院しても外出はできない。埼玉の暑さは、健常者でも音を上げる。まして、4週間もベッドの上で過ごした者には。

空調の良く効いた部屋での読書は快適である。ただ、座り続けはよくないとのことなので、連続3時間が当たり前だった入院前と違って、1時間毎に5分ほどのリハビリを入れている。

今日は、Joseph Addisonを読み返した。コピーに2018.02.04.と記してあるから、半年弱の間がある。

残りの人生が短いくせに、早く4週間が過ぎてくれと願った私には耳が痛い随筆である。

当然ながら、2月に読んだ時とは真剣さが違う。精読と言っていい。

明日は、4人を百科事典で調べよう。

付:
単語は、Collins English Dictionary Complete & unabridged New edition を引いた。

Joseph Addison 1672-1719
Robert Boyle 1627-91
John Locke 1632-1704
Nicolas Malebranche 1638-1715


usurer: obsolete a moneylender

quarter-day: any of four days in the year when certain payments become due. In England, Wales, and Northern Ireland these are Lady Day, Midsummer’s Day, Michaelmas, and Christmas. In Scotland they are Candlemas, White Sunday, Lammas, and Martinmas.

fervour: great intensity of feeling or belief; ardour; zeal

conversant: experienced (in), familiar (with), or acquainted (with)

unbend: 1 to release or be released from the restraints formality or ceremony 2 informal to relax (the mind) or (of the mind) to become relaxed

Alcoran: another name for the Koran

stir: to change or cause to change position

scarce: archaic or literary scarcely


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島で読む物


島で半年暮らすことを決めてからのここ数週間、非常に忙しかった。

先ず、読みかけの作品。

老舎の四世同堂とOrwellのDown and Out in Paris and London。先週ほぼ同時に読了。

次が、DL&Print。ネットがつながらない敷地だから、半年分の読み物をプリントした。コピー用紙2千5百枚、1ボックスきれいに消化した。

Illiad of Homer(新) 
  Pope版
  Cowper版
  Lang版
  Butler版
  中国語訳版

Great Expectations (Charles Dickens)(新)
遠大前途 (同 中国語訳)

The Grapes of Wrath (John Steinbeck)(新)
憤怒的葡萄(同 中国語訳)

道徳経 

Tales from Shakespeare (Mary and Charles Lamb)
莎士比亚故事 (同 中国語訳)

Sixty-Five Short Stories (S.Maugham)
The Magician (同)

彷徨・吶喊 (魯迅)

聊斎志異 巻之一、巻之二。

イリアドは平家物語と老残游記が対抗馬だった。

Dickensは、デービッド・カッパーフィールドにするか迷った。若い時に邦訳を読んでいたため、未読のGreat~に決めた。

怒りの葡萄も新規である。アメリカ文化は映画であって文学でないとの持論を撤回しようと思ったためである。私にとってアメリカの長編(世界文学では中編の範疇か)小説は初めてである。


道徳経は老子。私のブログの“雅号”はここからきている。静かに読み直しをしよう。

Tales from Shakespeareは気分転換用として。きれいな英語を鑑賞する。歴史劇は選ばれていないのは残念。

Maugham。これも主として気分転換用である。すべて読んでいる。同じ短編小説でもO.ヘンリーの米語にくらべて読みやすい。

彷徨・吶喊は、中国語がしみじみ味わえる。朗読がとてもよい。

聊斎志異。先週、巻之十二を終えた。また振り出しに戻る。これまでとの違いは柴田訳を脇に置かないことだ。自力で原文に当たる、とはいっても白話があるから、2割自力というところか。

以上だが、ありがたいことに、どれも動画か朗読がついている。そろそろ、読むことから聴くことに方向転換を迫られる末期高齢者なのだ。

今回落とした物といえば、シェイクスピア劇、ヘンリ・ライクロフトの私記、方丈記、徒然草。地の糧は、死ぬことが確定した時に家人に郵送してもらう。むろん、棺おけに入れるためである。

これまでの青空書斎の読書生活に比べ記憶力と判断力が衰えた分、白内障の手術のおかげで目が格段に良くなった。

昼は長い。夜も長い。

疲れた目には、昼間は白雲、夜は満天の星が待っていてくれる。

今は、車に積むばかりになっている。

(愛とはしばらくお別れ)
0424愛

Whistと囲碁 - Mrs. Battle’s Opinions on Whist

近頃、ポカがひどくなって、連戦連敗だ。

理由は簡単、軽率度の加速からだ。

囲碁は長いと200手になる。相手と半々だから、100手が自己責任である。この100手を初手から落ち着いてじっくり碁盤全体を見ながら打ち続ける必要があるのに、私は必ず1手をヒョイと打ってしまう。

ちょっとばかり大きな石でも捕獲しようものなら、温泉に入った気分になる。つい、「いい湯だな」が口に出る。

相手は、負けるのが嫌なものだから、必死に向かってくる。

必死に打てば、ポカはめったに起きない。

結局、ヒョイと打って大逆転で負ける。

軽率が私の人生における“一貫”した性格だから、死ぬまで直らないことは自分でよく分っている。「ハハハ、またポカがでちゃった、参ったな」も毎日となれば、何のために碁を打っているのか分らなくなる。自己嫌悪もどきに襲われる。

負ければ、降級し、(技術面で)弱い相手が組まされる。

相手のヘタに付き合えば、序盤で圧倒的に優位に立つから、その後の経過はいつもの通り、気が緩んで、ポカを打って投了という末路を迎える。

私は精神面に欠陥がある。

いくら定石や手筋を覚えてもだめ、いくら「慎みて軽率なるなかれ」を唱えてもだめ。

まさに、打つ手なし。バカにつける薬なしだ。

そこで、ふと思い出したのが、Lambの随筆である。

whistというカード・ゲームを知らない私は、これまで読んでいない。

しかし、この作品は主人公のwhistに対する真剣さがテーマであることは知っていたので、もしかしたら、あやかれるかもしれないと思い、読むことにした。

カードの専門用語のオン・パレードで悪戦苦闘が始まった。

英語辞書には「カード・ゲームの一種、ちょいちょい」で参考にならない。百科事典も役に立たない。

ネット情報でようやく最後まで読み終え、(なんとなくだが)理解できた。

以下がなんとなくの部分である。

The former bequest (which I do not least value) I have kept with religious care; though she herself, to confess a truth, was never greatly taken with cribbage. It was an essentially vulgar game, I have heard her say — disputing with her uncle, who was very partial to it. She could never heartily bring her mouth to pronounce “go”— or “that’s a go.” She called it an ungrammatical game. The pegging teased her. I once knew her to forfeit a rubber (a five dollar stake), because she would not take advantage of the turn-up knave, which would have given it her, but which she must have claimed by the disgraceful tenure of declaring “two for his heels.” There is something extremely genteel in this sort of self-denial. Sarah Battle was a gentlewoman born.

1. go: なぜ言いたくないのか、Lambは理解しているし、当時の読み手の大衆も理解できるはずだ。今のイギリス人だってハテナはないだろう。日本人の私には困った単語である。go に淑女が口に出せない意味があるに違いない、そこでSODを引いた。現代の英和辞典でスラングとなっていても、戦後にできたスラングであれば、それを当てることはできないからだ。
2. two for his heels:これも理由がわからない。heel(s)にかかとの他に意味があるのか、あるいはかかと自体に下級な意味があるのか。

専門(業界)用語と平易ではあっても(平易だからこそ)その言語圏でなければピンとこない単語や用法が満載されているこの随筆は、とっつきにくく、最後まで読むにはよほどの根気と真剣さが必要である。

私は、囲碁にはありえないそのよほどで丸々3日(1日4時間、実際は悪戦苦闘でなく善戦健闘で)掛けて読み終えた。

果たして、ポカ軽減に効果ありや....

付:
1.The former bequest:a cribbage board
2.「慎みて軽率なるなかれ」: 囲碁十訓の一つ

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分らなければ、飛ばせばいい - No! 分るまで意地を張る

In general, two blacks make a white, half a loaf is the same as no bread.

英文を読む時、中文の翻訳があれば大変助かる。邦訳書と同様、丁寧な脚注があるからである。

もちろん、中国語がネイティブの読み手を想定しているから、脚注のすべてが助かるとはいえないが、ポンと置かれた英文の原文だけであるより理解は早まる。

昨日から頭に引っかかっているのがこの文である。

やさしい単語と平易な構文。

この程度なら、私も日本語に書き換えることができる。

「言ってみれば、黒が二つで白になる、半切れの厚切りパンはパンでないということだ。」

この日本語の意味がわからない。

辞書を引くと、

Half a loaf is better than no bread.

があった。これの裏返しであることが分った。

分らないのは、「黒が二つで白になる」

困り果てて、図書館から邦訳を借りてきた。

そこの訳は、

「一般化して言えば、マイナスとマイナスでプラス、五十歩も百歩も同じことだ、という論理である。」

となっている。

「マイナスとマイナス」が私にはわからない。

中学数学でマイナスとマイナスは、掛け算に出てくる。マイナスとマイナスの加減では話にならない。

あれこれ思案しているうちに、ハタとネットに相談することを思いついた。中国語ではたまに世話になっているが、それは中国語の辞書が貧弱だからで、英文ではめったに世話になってこなかった。それですっかりこの手を忘れていたのだ。

出ていた。

two blacks do not make a white
黒が二つあっても白にはならない。

これは道理である。

だから、
two blacks make a white
は、
「無理が通れば道理がひっこむ」の無理を言っているのだ。

パンは半分でもパンである。それをパンではないと言うのは無理であり、二つとも、無理やりのこじつけのことを指している。

訳本のパンを日本人向けに五十歩百歩にしたのはわかる(私はこういうやり方に反対だが)、しかし、二つの黒をマイナスとマイナスにしたのはなぜなのか、私は首をひねる。

付:「ライオンと一角獣」川端康雄編 平凡社ライブラリー

0426愛の昼寝。今のうちにじっくり復習。
0426愛の昼寝



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Down and Out とOpium Eater

この前読んだOpium Eaterには凄みがあった。

今読んでいるDown and Outにはそれがない。自分の肉体と精神がアヘンで破壊されていく告白に比べて、こちらは底辺生活を楽しんでいるようだ。

私は1か月5万円の年金で暮らしている老人を知っている(今も健在かどうかは知らない)。私ならとても心細くて生きた心地がしないが、本人はいたって快活で人生を楽しんでいた。

清貧の極み、「老人かくあるべし」と褒めたら、「若い時から貯めた金3千万がゆうちょにあり、いつでも自由に使える」ことを告白してくれた。

褒めたことが馬鹿らしくなった。

オーウェルは文無しでどん底暮らしをしているが、本当はロンドンの銀行に数千ポンドの預金があったのではないか。

永久にどん底暮らしを続けていく以外に将来がない人間の中に入ってどん底生活を共有しても、少しも苦にしていないのはこのためではないか。

途中までの読みかけだが、ここまでのところ、貧乏の悲惨さはまったく感じられない。それどころか楽しむゆとりが感じられる。

敵がそれなら、私も私。新緑の公園にサマーデッキを持ち出して、のんびり読むことにしている。

付:
1.「乞食と王子」が連想される。
2. George Orwell Down and Out in Paris and London (1933)
3. de Quincey Confessions of an English Opium Eater (1821)


(復習中に人に邪魔されるのは我慢ならないが、愛に邪魔されるのは、Welcome! !熱烈歓迎!)

0424愛



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