老いの一筆

昔、銭湯で年寄り連が湯船につかりながら、政治談義に花を咲かせていました。今は、私がその年寄り。世事・世相を飾り気なしに語り合う伝統を銭湯ならぬネットで守り続けたいと思います。

日本青年、殺害さる その二. 居留地の自国民の安全

   軍隊を外国に派遣、すなわち侵略行為をする時、100%とは言わぬが99%は、在外自国民の生命・財産の確保を大義名分とする。

  本音は領土が欲しいのだが、それではあまりにも露骨なので、自国民の安全を前面に出す。在外の外の方からみれば、理不尽極まりなくても、自国民の拍手喝采には、これほど効果的な理屈はない。「自分の兄弟・息子、娘が、外地で迫害に遭って黙って見過ごせるか」、この一言で十分だからだ。例の拉致被害と同じレベルである。

  チャールトン・へストン主演の映画「北京の55日」を出すまでもなく、大日本帝国の中国大陸侵略の第一歩は、この自国民の安全から始まったと言っていい。

  それがいかに無理筋であるかは、中学・高校の日本史が教えてくれているところだ。

  歴史は繰り返すか。

  町村官房長官が、亡霊を呼び戻そうとしている。純な日本青年の死を利用し、ここぞとばかり、「だから、テロとの戦いは正しいのです」と、厳かな顔で、記者会見を締めた。私の目は節穴ではない。彼の二つの瞳が活き活きと輝いていたのを、見逃さなかった。大臣・役所の不祥事の弁明記者会見とは、大違いである。

  町村、その親分の福田は、歴史を繰り返そうとやっきになっている。もうあと2〜3人日本人が殺害されれば、自衛隊の給油活動は無論のこと、機関銃や装甲車を携えた自衛隊派遣まで、正当化されるはずと期待している。

  冗談じゃない。

  「だから、テロとの戦いは正しいのです」は正しくない。「だから、テロとの戦いに組してはいけないのです」これが、正しい。

  上海の疎開地を列強に交じって占拠した大日本帝国。アメリカに従ってアフガニスタンを占拠しようとする民主国家日本。

  わたしゃ、そんな日本、御免だね。ねぇ、メリーちゃん。

s-a0828メリーと鶏トリム

日本青年、殺害さる その一. NGOがPGOに落ちた日

   昼のニュースで、遺体は軍用機で運ばれるという。一瞬、我が耳を疑った。先日のオバマ氏の核廃絶公約に続いて、二度目である。福田・町村の口を疑うばかりか、自分の耳まで疑うようになった。困ったことだ。

  殺害された日本青年は、あるNGOに所属して、政治色抜きで、アフガニスタン人民の幸せを願って行動してきた。内戦の巻き添えを食って死ぬかもしれぬこと位は百も承知の上での行動だ。だから、私は彼に同情するつもりはない。彼も、同情を受けるような軟弱な人物ではあるまい。ただ、冥福を祈るのみである。

  問題は、彼の遺体がアフガニスタンの軍用機で移送されることである。これでは、本人や所属団体が、いかに中立の立場であると主張しても、アフガニスタン政府側の者のレッテルが貼られる。

  カール・マルクスが口癖にしていた、「本人がどのように自分を定義づけようが、事態になんら変化はない」のである。

  NGOはNon。それが、PGO、すなわちPro(親)―政府団体に変貌してしまった。

  遺体はどんなことがあっても、政府の手に渡してはならなかった。たとえ陸路が危険であろうとも、自分達の車を使うべきであった。

  反政府勢力は、軍用機の移送を知って、そうでなくても日本政府に好感を抱いていないのだから、日本のNGOも結局は、アフガニスタン傀儡政権の手下でしかないと、決めつけるだろう。“完全”重装備のアメリカなどの軍隊に敵わないとみれば、“完全”無防備の日本青年が標的にされる。これから受難の時代がやってくる。

  優秀なスタッフが揃っているあのNGOが、どうして軍用機に遺体を載せたのか、このことが不思議でならない。NHKがデタラメを流すはずがないので、我が耳を疑うことした。

  夜7時のニュースでこの疑いは晴れるが、今日は、町村官房長官の記者会見に怒りが込み上げてきたので、早々と書くことにした。

  耳の老化を認めるのは悔しいが、なお私は私の聞き違いであることを願う。

アメリカ軍艦への海上給油

    一般の人は耳にした事が無い言葉に、「みかじめ料」がある。学生時代、ヤクザ映画ファンだった私は知っている。

  ヤクザが、「ここは大変物騒な場所ですよ。私たちが、守ってあげますから、安心してください。いえ、謝礼なんかほんの少しで結構です」と飲食店などに持ちかける。この時の謝礼が、「みかじめ料」である。

  物騒なのは、当のヤクザであるのは明白だ。しかし、断れば、本当に物騒な事態となる。だから、大抵は泣く泣く従う。これを見かねて立ち上がるのが、高倉健であり、鶴田浩二であり、勝新太郎である。

  池袋の地下映画館から出る時は、まるで自分が高倉健になったようで、普段柔和な私の目つきが、鋭い眼光に変る。

  さて、アメリカから油を買って、その油を、再びアメリカに差し上げる給油活動。

  日本の石油は80%だか90%を中近東から運んでいるから、シー・レーンの確保は国の存亡にかかわる最重要事項と、福田と町村は口を揃える。そして、そのシー・レーンがテロに脅かされているから、アメリカにお願いして、守ってもらうと言う。

  これでは、ヤクザがもちかける前に、店主の方から、みかじめ料を払いますからよろしくと、頭を下げることと同じだ。こんな映画が上映されても、誰一人観にいかない。

 国際関係において云々などと、福田は民を煙に巻いているが、どこが国際関係なのか、さっぱり分らない。

  福田は、この際、思い切って、国民に向い、「アメリカから、『みかじめ料を払わないと、ある日、突然、日本のタンカーが我が軍艦のミサイルで誤爆されるかもしれないよ〜。その時はごめんね』と言われているのです」と正直に打ち明ければいいのだ。

  続けて、「それでも、給油活動を拒否するなら、食糧も石油も値段が3倍に上がります。国民の皆さん、どうしますか」と国民に判断を委ねればいい。

  なにがなんだかとんと分らない国際社会を持ち出されるより、よほど、すっきりする。

  日本国民の大半が、それならやっぱり景気優先だというのなら、それまでの事。小国寡民は何も言わない。いや、ヤクザに払う金などビタ一文ない、というのなら、日本人の一人であることを誇りとする。

  付.
  おもいやり予算といい海上給油といい、自民党政府は、本当に、日本の自由選挙で選ばれた国会議員で構成されているのか、疑っています。民主党政権になっても、同じかね。

NHK この30年 変わったもの 変らないもの

   変らないものは、これまで何十遍と繰り返してきたように、国家権力の宣伝部隊であることである。文革当時の紅衛兵と同じと思っていれば間違いない。国家に都合の悪い話題をニュースとして提供することは、極力避けてきた。

  これは、なにも30年と言わず、太平洋戦争以前から一貫しているから、60年、70年のスパンである。

  今日は、「変ったもの」を考えることにした。

  質の高い番組が消えたこと、優れたディレクターが、(たぶん)干されていることなどを挙げてもいいが、最も顕著な変化は、自社CMの氾濫である。

  30年前は、日曜の大河ドラマの事前紹介程度だった。他に記憶がない。

  今は、ほとんど30分に1本の割合で、CMが流されている。「BS1ではなにがありますよ」、「BS2では」「ハイビジョンでは」、「総合テレビでは」、「今夜、8時には」、「今夜10時には」、「来週の番組は」、延々と“お知らせ”を視聴者に“知らせ”結語は決まって、「お楽しみに」である。

  第一の問題。お知らせが流されれば、その時間だけ、正常な番組が削られること。30分が与えられれば、意を尽くせるものを、29分になったため、やむなくカットしなければならないことなど、日常茶飯事であるはずだ。

  第二の問題。民放でこれだけ大量の自社CMを組む局は一つもない。一秒単位の時間が商品だから、自分の所の商品を自分で食いつぶすようでは、収入にならない。だから当然である。NHKがやっているような編成をすれば、民放なら、営業部長は即刻クビだ。

  NHKにそれができるのは、視聴料が黙っていても自分の懐に入ってくるからである。いってみれば、視聴者は、今やNHKにNHKの宣伝費まで負担しているようなものだ。

  新聞には、広告の紙面占有に歯止めがあると聞いている。NHKには歯止めはいらない。一切の自社CMを禁止すればいいだけだからである。

  このまま、野放しにしておけば、つまらない番組になんとか国民をつなげようとして、益々自社CMに彼らなりの心血を注ぐようになり、肝腎の正規の番組が疎かになっていく。

  私の知っている限りでも、金光寿郎による福岡正信師との対談、倉本聡氏の自然環境をテーマにした対談、グラフィック・オーディオ、外国メディアの優れた番組の紹介など、NHKにもいいものがたくさんある。

  自社CMに頼らず質の高い番組で視聴者を惹き付けよ。

  「桃季言わざれども下自ら蹊(みち)を成す」というではないか。

付:
 ここでは大河ドラマとしていますが、前に書きましたとおり、「せせらぎドラマ」が妥当な表現です。

我が闘病記 その四. 病は気から、気はネットから

  この気は病気の気。ネットはインターネットのネット。

  ネットに参加したのは、確か5年前だったか、碁の相手が欲しかったからである。それに、付随する形で、メールの交換、少し慣れてきて、オークション出品、そして、昨年から始めたブログと続いた。

  ここは、光も届かぬ地の果て、ADSLも永遠に来ないとNTTに念を押されている。せめてというわけで、フレッツISDNの常時接続で通してきた。

  その中味と言えば・・・

  ネット碁。碁は脳の活性に役立つかのように言う人もいるが、ほとんどウソだと思う。私は、数十年碁を打ってきたが、一向に頭の内部に変化は見られない。碁キチの仲間は沢山いるが、ノーベル賞を取ったとか、科挙に受かったという話は賀状を見る限り皆無である。

  オークション。あの世に出掛ける前に(と言って戻るつもりはありませんが)、身辺を整理しようと心がけて始めた。かれこれ2年ばかりやった。今年の春には、ついに売りに出す物が無くなってしまった。人から見れば赤貧、自分で言えば清貧である。

  そこにきて、七十の手習いの尺八である。入門当初は、師匠から、「小国寡民さん、音が出ましたね、素質十分です」などとおだてられ、いい気分でいたが、三年もすれば、兄弟弟子と比べるようになり、自分のレベルの低さを自覚することになる。

  そうなると、ヘタなゴルファーと同じで、己の実力を棚に上げる。ご存知の通り、ヘタなゴルファーに限って、フック、スライス、バンカーからの脱出、パット、みんなクラブのせいにして、東京御徒町のゴルフ街にせっせと通うものである。

  自分がいい音を出せないのは、ひょっとして、尺八に原因があるのではなかろうか、という気持ちになってしまった。少しまともな尺八となれば、20万円、30万円が相場とのこと。私の尺八は、8千円で落札した無銘。

  それで、私は計算した。

  碁は進歩がないから止める。出品できる物はないからヤフーのプレミア会員を下りる。残るは、メールとブログだけ。これなら、何も、常時接続でなくていいではないか。メールは下書き、ブログはWORDで作成して、あとでアップ・ロードすればいい。一日、5分とかかるまい。ならば、ダイヤル・アップで十分。

  そうすれば、差額を貯め続けた4年後には、20万円とはいかなくても、かなりの尺八が手に入る。ふふふ。冷静に考えれば、4年後には、尺八が吹けるどころか、息をしているかもわからないのにだ。

  NTTとプロバイダとの手続き、アダプタ交換、環境設定、等々、やっとのことで、ダイヤル・アップに変更。

  これが、思ったことと実際とは大違い。大誤算。

  プロバイダまでは届くのだが、その先につながらない。「ページを表示できません」。何度トライしても、白い画面にこればかりが表示される。プロバイダに接続されているので、課金だけは、分単位で増えていく。“老いの一筆”にしようにも、年がら年中門前払いを食わされる。一つの記事のために、1時間以上も、自分のブログに接続を試みること、ほとんど毎日である。

  もう一つ、メールに写真が添付されている場合。縮小されないまま送られてきたものは、2時間かかった。ウイルス・ソフトが小刻みに確認しながら、取り込んでいるためだろうが、数行の「今夜の集まり」文に付いている写真のために2時間。いくらなんでも長すぎる。このメールが開かれないことには、あとのメールが読めない。初めから2時間と分っていれば、まだしも、いつ終わるか分らない、ひたすら待つだけである。並みの添付でも、5分、10分はざらであった。せっかく近況報告を写真にしてくれている人たちに、いらないとは死んでも言えない。

  6月1日からの受難続き。尺八の買い替えどころではない。毎日1回はパソコンに向かい、向かえば、先の警告表示ばかりで、前に進まない。精も根も尽き果てた。完全に神経衰弱になってしまった。今風に言えば、ノイローゼ、ストレスの塊だ。

  下痢が病気だったが、たまたま下痢であっただけで、蜂に刺されても入院となったろう。散歩の途中、防波堤から落ちて骨折していたかもしれない。寝冷えから、急性肺炎になったかもしれない。

  すでに、私の全身を包んでいる気は病気の気になっていたのだ。

  付の一.
  ダイヤル・アップの送受信速度は、31.2kです。皆さんとは、2桁違うでしょう。

  付の二.
  今月半ば、フレッツISDNに戻しました。これでさえ、62kです。通信棄民です。別に怨みませんが。

  付の三.
  ネット碁も再開しました。頭は良くなりませんが、ボケの進み加減の物差しになることがわかったからです。

s-a0826リッキー